子供たちが病んでる。それは学校が病んでるせいだ。学校の病が、子供達を、突発的な暴力に、あるいは自閉症的な内向においやっているのだ。ほとんど毎日のようにこの種の紋切り型ほどいらだたしいものはないです。それとともに語られる「学校のあるべき姿」というのも、ほとんど時代遅れのステレオタイプの反復にすぎず、

そもそも、「あるべき姿の学校」などというものは歴史上いつどこに存在したというのだろうか。私達の考えるような学校というものは最初から大変な無理をかかえこんだものではなかったのか?今この時代が経験しつつあるのは、学校の病である以上に、学校という病のひきおこした末期症状なのではあるまいか?

学校は大変な無理をかかえこんでいました。現在その無理をささえることが、できない状態です。学級崩壊を、先生、生徒のせいなのですか?

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A 回答 (15件中11~15件)

崩壊している学級というのは例外なく問題教師のいた学級でした。


特に「悪いことは悪い」「ダメなことはダメ」ということをきっちり言えない、
言ってもけじめをつけさせることが出来ない、人間として自分を確立出来てない
教師のクラスが荒れていました。昔は体罰があまり問題になってなかったので、
してはいけない事をした生徒には尻を叩いたり頬をつねるぐらいのことはして
いました。それが加減のわからないバカ教師が出てきたり、目的を履き違えたり
(教育と自分の欲求不満とを)したりして社会問題化し、体罰を受けた本人も親御
も納得しているのに教師が処分されてしまったりと、指導力のある教師も変に抑圧
されてしまい、悪循環です。

ですから先生、生徒とで言うと、先生が悪いという言い方になるでしょう。しかし、
先ほどの体罰の例にもあるとおり問題教師がまともな教師の足を引っ張ったという
結果もありますので、教師全体を一まとめにして悪いという言い方は出来ません。

生徒のほうですが、人間というのは昔から勝手なもんですから、そもそもそれを
躾るのが教育というものでしょう。まあ、教師ばかりが躾るわけではありませんが。

ちゃんと自己を確立した上で教育の技術を身に付けた教師、
とりあえず学級崩壊はこれですね。

しかし制度にも無理があるのはいえてます。その一つとして6334制はもともと
アメリカが日本の国力を割くために押し付けた制度ですから、戦前みたいに(内容
までとは言ってませんよ)6533制にすれば成人前に「何をしたいかわからない」
と言う今のフリーターみたいなのはぐっと減るでしょうし、信念のある者が教育者
の道を選んでくれるでしょう。
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近代に成立した公教育制度がここにきてどうもおかしいぞと認識され始めたのは事実でしょう.たぶん古くなったんだと思います.「時代遅れのステレオタイプの反復」という表現は当たっていると思います.



公教育制度はもともと制度上の無理を抱えたシステムだったようです.制度上の無理というのは単に偏差値とか管理教育というのではなく,もっと根本的に,多様な人間を集団にまとめて「ひとつ」と見るということです.それは戦後,日本が復興から高度成長を歩むみちのりではとても有効なシステムだったのでしょうが,成熟社会と言われる今日,果たしてそれは必要なものなのだろうか?という疑問の声が内外からたくさん挙がっています(公教育制度への疑問は日本だけの問題ではないようです).たとえばイヴァン・イリイチの「脱学校化」の話は有名です.イリイチは,近代の公教育制度が人間の制度依存の姿勢(学校化)を作っているとしてこれを批判しました.他に論者としてはアルセチュール(国家とイデオロギー)やフーコー(監獄の誕生)もいます.

これは近代学校制度の矛盾が現れているというひとつの見方です.それはあるいは他の御三方がおっしゃるようなことも十分に考えうることであり,制度だけに原因を帰することは出来ないでしょう.就学前教育や社会全体を覆うニヒリスティックな空気,また人間のコミュニケーションの問題…これは私はいずれも極めて現代的な問題であり現代という文脈において解釈されるのは正しいことのように思えます.

ちなみにchoko73さんの高校では学級崩壊はありえないという言葉に少しだけ疑問の声を挙げさせてください.まず,高校は少なくとも現在においては学びたい人が集ってると言うのは誤認です.「なんとなく」というのが大半の進学理由です(これは大学でもいえることですが).ついでに言うと実は数年前まで高校生だった者としては,「ありえない」というより,現在の高校で授業が成り立っているのかさえ疑問です.寝てたり,受験勉強してたり,話していたり…崩壊の前に不成立しているというのが正しいと思います.
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この回答へのお礼

今度の教育のスローガンは、ゆとりと自主性です。多様な人間を集団にまとめて「ひとつ」と見るということで成り立つ近代教育の中で、ゆとり、自主性は近代教育と共存できるのか。非常に興味深いです。それとも、近代教育を突き破り新しい形の教育のありかたが出てくるのか楽しみです。

神戸大震災の時、大人が学校に避難して、それでも学校が運営されてたのをみて、先生は独りよがりになれなくて、生徒は居心地が悪い。先生と生徒の閉じた純粋な空間でなく、なにか雑多な路地を想像させる空間だと思います。その中から、新しい可能性が出てくると思いましたが、そうではありませんでした。

お礼日時:2001/04/25 23:07

私の学生時代は、先生が生徒を殴ったりするのはあたりまえでした。

生徒も悪い事をしているので、(殴られる理由がわかっているので)反抗する人間なんていませんでした。ある意味、今の日本は、国民全て中流階級で、生まれてから苦労する事が無い(特に金銭面で)事が、影響していると思います。そして、小さい頃から怒られない、(例えば昔でいえば、ご飯粒1つ残しただけでも怒られましたからね)で育ってきている為、我慢するといった事に欠けている性格のまま大きくなってしまう。といった事もあると思います。「三つ子の魂百まで」のとおり、学校へ行き始めてからでは治らない性格が形成されてしまっていると思います。 暴走族にしても我々の代は確かに暴走はしていたし、族同士の争いはありましたが、一般人に危害を加えるなんて事はありませんでしたし、ある年代になるとまっとうな人間になりましたからね。 ストレスがある子供が多いそうですが、私は我慢するという事ができない子供が多いと解釈しています。 時代を超えて考えると、今の子供達は大半が私から見れば金持ちの子供です。で、金持ちの子供はどうだったかというと、昔は買いたい放題・やりたい放題でした。貧乏だった日本に戻って欲しいとは思いませんが、たぶんワガママな子供は決して減ることなく増えつづけると思います。せめて人に対する思いやりだけは忘れないで欲しいし、これから親になる方も、子供に不自由させないのは悪い事ではありませんが、他人に対する思いやりはちゃんと教えて欲しいものです。
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こう言う問題はさも現代の社会問題のように思われ勝ちですが、何も今に始まった事ではありません。



マスコミはよく名前をつけてidentifyしてさも現在に始まった問題のように取り上げます。
その例が「セクハラ」「援助交際」「ひきこもり」「いじめ」「不登校」「切れる」…。

でもそんな事は何十年も前から当たり前のように起こっていた事なんです。
ここに気付いていない人が実に多い事に驚かされますね。
まずは「学級崩壊」という言葉に振り回されない事ですね。

いつの時代にも教育と言う問題には難しい問題がいっぱい詰まっています。
それを時代の性にして問題のすり替えをするのはどうかと思います。

簡単に答えは出ないでしょう。難しい問題なのですから。
ただ言えるのは生徒も先生も人間です。「心のつながり」、それがヒントでしょう。
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私の中での結論から言うと、原因は学校、生徒、親、生徒をとりまく社会的環境すべてに何らかの原因があると言わざるを得ません。


学校のあるべき姿とは、時代によって変わるものではないでしょうか?最低限言える事は、学級崩壊は基本的に中学校くらいまでしか起こらないものなのです。
高校以上は学びたい人が集ってるわけですから、崩壊など起こらないはずなのです。(学校の方針に合わない生徒は、退学させることも可能なので)
質問の答えにならなかったかもしれませんね。意見のひとつと思ってください。
一言では言えないのが現状だと思います。
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