「人の上に人を創らず,人の下に人を創らず」は,キリスト教的な「平等」を説いているように聞こえるが実はそうでなく,真意は…という話を聞いたことがあるのですが,
その「真意」を教えてください。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

いろんな説があるようにも思われますが、こちらなどいかがでしょう?



http://www2s.biglobe.ne.jp/~yukiya-s/home-2/fuku …

参考URL:http://www2s.biglobe.ne.jp/~yukiya-s/home-2/fuku …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
まさにこの回答が欲しかったんです!
ありがとうございます。

お礼日時:2003/10/17 12:21

学問のすすめは全17編で初編は郷里中津の学校開校の為に書かれた勧学の書で、好評を博したので書き継がれたそうです。

功利的美学主義をすすめ、独立自尊を説き、新時代の指針を平易な文章で示したものとして多大な影響を与えたとか。1870年の西国立志編(スマイルズ、中村正直訳・同人社)の日本版とも言われているそうです。あまり詳しくないので自信がないので違ったらごめんなさい。
真意について答えになってないですね・・・。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
#1の方のURLが参考になりました。
Rena424さんもご覧になってみてください!(^^)

お礼日時:2003/10/17 12:22

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Q福沢諭吉の名言

高校の入学の時に、学校指定の制服を買ったときに、制服の箱に紙が入っていまた。
その紙の内容は、たしか福沢諭吉の名言だったと記憶しているのですが、ネットで検索しても見つかりませんでした。
箇条書きでいくつか人生訓みたいな内容だったと思います。

ご存知の方いらっしゃいましたら教えていただけますか?

Aベストアンサー

福澤心訓でしょうね、きっと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E5%BF%83%E8%A8%93

「一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。」あたりは超有名ですね。

Q「よげん」してもらいなさい。「キリスト教」

少しキリスト教を学んでいます。

近くの学校に有名な講師の方がくるそうで、キリスト教のクリスチャンの友人に「よげん」してもらいなさいといわれました。

この「よげん」というのは「予言」の意味ではなく「預言」ですよね。
聖書のなかに「預言」とか「預言者」とかいう言葉が頻繁にでますよね。

「予言」と「預言」ってどう違うのでしょうか?
私は自分の未来のことを見てくれる人だと思っているのですが、そしてその方に「預言してください」と言いたいのですが、言葉を勘違いしていたら恥ずかしいので・・・・。

是非ともお知恵をいただけないでしょうか?

Aベストアンサー

預は豫の俗字で、予は豫の略字で、旧字で書けばどちらも豫言となります。つまり、まったく同じ意味なのです。

ところが、日本語では、預の字に対して「あらかじめ」と意読するより「あずかる」と意読する機会のほうが圧倒的に多くあります。そこから、預言は神から預かった言葉、予言を先見の言葉、という使い分けを許容するようになりました。ノストラダムスは予言者だが預言者ではない、とするなどです。また、広辞苑など多くの辞書も、この使い分け派です。

ちなみに、広辞苑は、prophecyを預言、predictionが予言と、さも根拠ありげに書いていますが、どちらの言葉も少しニュアンスが違うながらも「予想」というような意味です。使い分けの根拠にはまったくなりません。もちろんprophecyに「預かる」というニュアンスはないのです。

Q福沢諭吉の朝鮮観について・・。

福沢諭吉の朝鮮観についてなのですが、どうもわかりません。福沢諭吉は朝鮮とそもそもなんの関係があったのでしょうか?また、朝鮮について福沢はどう観ていたのでしょうか?どうかよろしくお願いします!

Aベストアンサー

すでにご存知と思いますが、「福沢諭吉のアジア認識―日本近代史像をとらえ返す 」を読まれるといいと思います。


(ご参考)
http://www.jca.apc.org/nmnankin/news10-3.html

Q有島武雄の小説で聖書かキリスト教に関する作品は?

「惜しみなく愛は奪う」と「カインの末裔」以外でお願いします。ちょっとでも関係があればよいです。
その関係しているところも教えて下さい。

Aベストアンサー

ずいぶん前に読んだ小説なのでウロ覚えですが、
以下のような話でしたよ。

主人公葉子のおっかさんやその周囲が
キリスト教婦人同盟のお偉いさんかなんかで
葉子もその教育のもとに育ったけど神へのひたむきな憧憬を
異性への情欲と誤解されて(縫い物か何かがきっかけだったと思う)、
はねっかえりになる。最初の夫と離婚した後も厳格な信徒連からは、
マグダラのマリア呼ばわりの叱責と白眼視を受けしぶしぶながら、
やはりクリスチャンの二番目の夫(在米)と再婚し渡米したかと思いきや、
(この船内でもクリスチャンの意地悪な夫人とひと悶着もありーの)
ところがどっこい渡米の船内で知り合ったイケめんマッチョの男性と
とっとと帰国。何のかんのと夫をだまくらかして送金させながらも、
不倫相手との人目を忍ぶ甘くいけない同棲生活が始まったのであった。
夫の親友で葉子の情事を知るクリスチャンの青年から切々と神の愛を説かれ、
堕罪を糾弾された葉子はさすがに多少の良心の痛みを感じるものの、
そこは持ち前の度胸とはったりで体よく追い返す。まではよかったが、
さてしだいに実際生活に窮した不倫相手が葉子を捨てるに及ぶや、
精神も肉体もすでにボロボロの葉子は(身籠っていたかどうだったかな?)
病床もう駄目というところで回心し一縷の望みで声を振り絞り
クリスチャン学校の先生(?)みたいな人を呼べど叫べどその人は来ず……
で、終わっていたように記憶してます。(細かいところで違うか)
ウソかホントか、国木田独歩から逃げた佐々城信子が葉子のモデルだそうで、
そうすると葉子を白眼視する禁欲的な夫人同盟とは、
キリスト教矯風会がモデルという話で通っているようです。
まあそうしたモデル論はともかくとして、
夫の友人の青年が葉子を説教する場面や、
葉子の断末魔の叫びはなかなか差し迫るものがあるよ。
時間があればもっかい読んでみては?

ずいぶん前に読んだ小説なのでウロ覚えですが、
以下のような話でしたよ。

主人公葉子のおっかさんやその周囲が
キリスト教婦人同盟のお偉いさんかなんかで
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異性への情欲と誤解されて(縫い物か何かがきっかけだったと思う)、
はねっかえりになる。最初の夫と離婚した後も厳格な信徒連からは、
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Q福沢諭吉の思想形成について

福沢諭吉の思想形成は幕末史とどのように対応しているのでしょうか。
日本史を勉強していて、福沢諭吉の思想が変わっていくことをしり、ふと疑問に思いました。
答えて頂けるとありがたいです。

Aベストアンサー

 ご指摘の通り、福沢諭吉の思想が変わったのは事実ですが、問題は貴方の場合はどのように認識していらっしゃるかです。
 
 政治学的意味で言えば、民権論者であったと見なされていましたが、時事新報以後は民権論を批判するようになります。政治は状況的にクルクルと動いていくのですから、彼の発言が変化するのも当然です。丸山眞男が「政論」というのは一過性のものだと述べていたと記憶がありますが。
 福沢に関しては、18年3月16日「脱亜論」が有名ですが、福沢が金玉均という人物を支援しお金まであげていることなどもあり、本当の意味での「脱亜論」の人だったかは疑問が残ります。この周辺の歴史は『福沢諭吉の真実』(平山洋)が詳しいです。
 このあたりの先行研究を踏まえると福沢も楽しくなります。
 
 本で言えばその名もずばり『福沢諭吉の思想形成』(今永清二)があります。福沢の郷里大分県出身の大学教授が書いたものです。かなり古く余り参考にならないと思ったら、平山さんの『福沢諭吉』ミネルバをお勧めします。私とは福沢の捉え方が違いますが。
 福沢が漢学を積み洋学に移行したという事実が重く、伊藤東涯に傾倒した父百助と、白石照山の影響は並々ならぬものがあります。最も、父は幼少の時に没しているので、殆ど彼の記憶にはありませんが。

 また何かあったらお答え申し上げます。

 ご指摘の通り、福沢諭吉の思想が変わったのは事実ですが、問題は貴方の場合はどのように認識していらっしゃるかです。
 
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Q才能の限界に近いという意味を、漢字3,4文字で,,,

わたし、このような文学系のところに投稿するのは始めてのことですので、
緊張するのですが、語学力のある方々にお力を借りたいと思い、投稿させて
いただきます。

お尋ねしたいことは以下、


『才能にMAXがあると仮に考えて、将来性伸びる残量』に相当するような
言葉とでも表現すればよろしいのでしょうか(説明力なくてすみません)

図にしますと、
0■■■■■■■■■□□□□才能MAX
       今の位置↑  ↑残り才能(?)

というような雰囲気で、「MAXに到達するまでの残り才能値」
とでもいうような意味を含む表現を、『漢字3、4文字程度』で
適当な表現がありましたらご教授いただければと思います。

つたない説明で申し訳ございませんが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 わかりやすさも加味すると「成長余地」あたりでしょうか。

 ところで、このご質問の背景に興味があります。よろしければ教えてください。

Q福沢諭吉のアジアと日本での評価の違い

福沢諭吉に関する本を読んでいて福沢諭吉の評価の違いが昔の書体で難しく書かれていて理解することができません。知ってる人がいたらどうか教えてください。お願いします。

Aベストアンサー

 特に甲申事変のことが要因ではないでしょうか?韓国では福沢諭吉は日本帝国主義者の一人としかとらえられていません。李氏朝鮮時代、福沢諭吉は金玉均を支援して李朝の改革を画策しようとしたことが嫌われている要因の一つだと思われます。

QSomething attempted, something done, has earned a night's repose.

昔、L.M.モンゴメリのアン・シリーズの中でこのようなフレーズを読んだ記憶があるのですが、どの作品の何章だったか思い出せません。ご存知の方、教えてください。
ちなみに原典はロングフェローという詩人の作品らしいのですが、それについても併せて案内いただければ幸いです ( ^^

Aベストアンサー

Longfellow はアメリカの代表的な詩人の一人です。
お示しの詩句は、Henry Wadsworth Longfellow (1807-82) が1841年に発表した "The Village Blacksmith" という詩の一節です。
→ http://www.hwlongfellow.org/poems_poem.php?pid=38

Lucy Maud Montgomery の小説のどの作品の何章までは確認できませんが、 "Anne of Windy Poplars" ではあるまいかと思われます(ただし、本を見て確認したわけではありませんので、間違っていたらお許し下さい)。

なお、彼女の Ephraim Weber 宛書簡(1930年6月)の中にも同じ詩句の引用が見られます。
→ http://books.google.co.jp/books?id=otExu-UUgsIC&pg=PA174&lpg=PA174&dq=%22Lucy+Maud+Montgomery%22+%22Something+attempted%22&source=bl&ots=n1S1WK1VXH&sig=m8_wZE-DvT_Rrclg-yzvDQOn44U&hl=ja&ei=x4QySrfkJYj6kAW4ndWLCg&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=3#PPA173,M1

Longfellow はアメリカの代表的な詩人の一人です。
お示しの詩句は、Henry Wadsworth Longfellow (1807-82) が1841年に発表した "The Village Blacksmith" という詩の一節です。
→ http://www.hwlongfellow.org/poems_poem.php?pid=38

Lucy Maud Montgomery の小説のどの作品の何章までは確認できませんが、 "Anne of Windy Poplars" ではあるまいかと思われます(ただし、本を見て確認したわけではありませんので、間違っていたらお許し下さい)。

なお、彼女の Ephraim Weber 宛書簡(1930年6月)の中に...続きを読む

Q福沢諭吉の誤訳?

薩英戦争が始まったのは、福沢諭吉の誤訳がきっかけになった、という説がこちらにあります。
(「交渉」の6月28日のところ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E8%8B%B1%E6%88%A6%E4%BA%89

こんなことがあり得るでしょうか?
これは薩摩藩とイギリスとの交渉ですが、
 1.当時福沢諭吉が薩摩に居合わせた可能性
 2.幕臣である福沢諭吉が薩摩藩の仕事を請け負う(?)可能性
いずれも無理があるように思うのですがいかがでしょうか?

Aベストアンサー

 1.当時福沢諭吉が薩摩に居合わせた可能性
→ http://www.keio.ac.jp/ja/contents/fukuzawa_history/index.html
薩摩に行ってないようですね
 2.幕臣である福沢諭吉が薩摩藩の仕事を請け負う(?)可能性
http://kbaba.asablo.jp/blog/2006/06/24/418674
幕府の要請のようです。
上のURLでは、元ネタはNHKのその時歴史が動いたですね、あの番組は、マユツバが多いです。

幕府が当時江戸在住の英語に堪能な人間として福沢諭吉を認識していた。なんせ咸臨丸に乗せているくらいで、幕府の翻訳方として雇われていた。中津藩から出向みたいだったみたいですね、正式に幕臣になったのは64年みたいです。

Q中国の古諺で民は不平等を憤る、という言葉

お読みいただきありがとうございます。

 昔々、新聞のコラムを読んでいるときに中国の古諺(だと思うのですが)が紹介されていたのですが、その言い回しを忘れてしまいました。

 大意としては、民というのは統治者が厳しい政治を行うことを憤るのではなく、不平等を行うことに対して憤るのである、というようなものでした。

 正確な言い回し、出典など教えていただきたいのですが。

Aベストアンサー

「不患貧 患不均(乏しきを憂えず、等しからざるを憂う 孟子)」

参考URLの序論の2の最初の方にあります。

参考URL:http://www.jri.co.jp/research/pacific/RIM/1999/RIM199903chinareform.html


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