プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

これはあくまで私の個人的な考えであり、それに対する意見を求めます。

3月に起きた東日本大震災で多くの人や動物が犠牲になりました。しかし、これは当然の結果のように思えてなりません。
宗教的思想になりますが、80年代のバブル経済崩壊後誰もが景気回復を願い、年末年始いやそれ以外の時でも、神社に参拝する人達の多くは景気回復を祈願したことだろう。そして、いまその願いは叶えられたのである。2~3年後本格的に復興が始まれば日本経済は大きく動く。家の建て替え、ビルや工場の建設、失った品々の買い替え・・・。正確に言えばもう既にその恩恵にあやかっている企業も少なくない。私の会社もそうである。はっきり言って儲かって儲かって仕方がない状態。今後はさらに忙しくなり10年は安泰とさえいわれている。

つまり日本経済は今後、間違いなく上を向く=願いは叶えられたのである。

昔から、神様などに願い事をするときは供え物をしたり大昔であれば生贄を差し出した。そう、神様はタダでは願をきいてはくれないのだ。つまり、今回大勢の人が景気回復の祈願をしたために、その分大勢の生贄が出たということ。願いを叶えてもらおうとするなら、当然それなりのリスクはある。むしろタダでそんな願いをきいてもらおうということ自体、むしがよすぎる。

どうでしょうか。

A 回答 (18件中1~10件)

随分回答きてるんですね!でもどれも違うみたい。


先ず宗教的思考ちゅうねんけど、これは「気にし過ぎ」が答えで、森羅万象何でも宗教的に捕らえればそうなるちゅう話ですわ。
次に「お供えや生贄」つまり捧げ物やけど、これ質問者の表記がが間違ってるもんやから、可哀そうに回答者みんなつられてもてんね。
何でかちゅうと、捧げ物は本来祈りの時に差し出すもので完全現金払い、後払い制度なんてあれへん。
せやのに質問者のアノ文章みとったら「30年近く皆が祈った。その結果大勢が(後払いで)生贄となり、願いが叶えられた」って、完全にバチが当たんのと捧げ物とがゴッチャになってんねんね。
おまけに言うと、質問者は捧げ物に何や宗教的価値を見てる様なんやけど、これも完全に間違いなんよ。
捧げ物の大元は古代宗教っても今の占い師と何ら変われへんシャーマニズム。要は卑弥呼みたいなもんやね。これが神のお告げとか占いとかで国の行く末を決めて行くんやけど、そんなん全部当たる訳あれへん。それやのに間違ったら首切られるちゅうたら、そら誰しも考えるわね。そこで登場した嘘の方便が捧げ物、詰まりOOが足らないから神が降臨しなかった式のシャーマンの言い訳の道具やってんけど、これがどんどん近代宗教に引き継がれて今に至るちゅう訳やねんわ。
せやから繁栄も滅亡も捧げ物とは一切関係あれへんちゅことやねんけど、まっ宗教観なんて個々人それぞれやから、好きなように信じててたらそれでええん違うのかなって思います。
    • good
    • 0

>宗教的思想になりますが、



質問文を繰り返し読みましたが、お粗末過ぎてとても宗教的思想になっているとは思えない。
強いて言えば、出来の悪い三段論法。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

で?あなたの意見は?

人を貶すくらいなら、自分の意見くらい持ってからに。

お礼日時:2011/06/21 08:49

質問者様は他の回答者様へのお礼でもおっしゃられていますが、神社に参拝するときは大概お賽銭を入れますよね。

あとは商売繁盛のお守りなどを買ったりもしてるハズ。今回の地震に関して質問者様の理屈を当てはめますとお賽銭では足りなかったということになるんでしょうか?

まあ大概の人は爆発的な景気回復を神社でお願いするなんてことはなかっただろうと思われますので、今回の災害と景気回復(本当に景気回復と言えるかどうかはまだわかりませんが)をムリヤリ関連付けるとするならば、お賽銭レベルのちょっとした景気回復でよかったのに神様は必要以上に回復させて有無を言わさずイケニエを取ったということになりますかねぇ
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ん~、やはり10円玉や5円玉じゃ願いが大きすぎたのでしょうか。
回答有難うございました。

お礼日時:2011/06/21 08:50

この震災は宗教とは関係ないと思う


もともと地震が多いのと何百年かのうちの一回は大津波が来るのに
そういうところに家なり仕事場を作ったから流されてもしょうがない
もし宗教がかかわっているならば天災をなくしてもらいたいですね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何百年に一回の津波がなぜいま起きたのでしょうか。地震は多いがなぜあれほど巨大な地震が今起きたのか。なぜ死んだ人とそうでない人がいるのか。さらに原発まで巻き込んで、より大勢の人が被災したのか。


全て偶然でしょうか。

お礼日時:2011/06/21 08:57

合格祈願をしたからといって勉強もせずに供物だけ捧げていても成就されることはありません



本来信仰とは常に自分の行動に自問自答をして確認する事で、その問いかける相手を神としているだけです
つまり神様は見守るだけで手を下したりはしません
だから参拝とは自分を投影して振返る場所で要求する手段ではないのです

生贄も本来は願をかけた当事者や関係者がなるものであり、家族の安全だけを祈願したであろう事情も知らない他者が死ぬことではありません
質問の考え方ですと、今後儲かり続けることを祈願したらまたその犠牲者が必要となりますね

自分の行動が次の生贄にされないよう自戒してみたらいかがでしょうか
    • good
    • 0
この回答へのお礼

参拝の本来の意味はわかりましたが、では参拝者たちはそれを理解しているのでしょうか。誰もが要求しその対価としてお賽銭を投げいれているとしか思えません。

つまり本来の意味合いがどうであれ、人は願いを叶えてもらうためには対価や犠牲が必要であると認識しているのは間違いないように思います。

その考え方に基づくなら、今回のように生贄的に死者が出てその変わりに得たものがあるという考え方もありかなと思いました。

ご回答有難うございます。

お礼日時:2011/06/20 15:15

何を以って「当然の結果」と言うかによりますが、少なくとも犠牲者は“いけにえ”ではありません。



「当然の結果」というのなら、過去において20m超の津波を繰り返し経験したのに海岸沿いに住んだから津波被害は必至。
地震大国に原発を作った、しかもわざわざ山を削って低くしたのだから津波被害を受けたのも必至。
電力を必要としない冷却システムを取り外したのだから、原子炉が暴走するのは必至。

と言う事はいえるでしょうね。

願いに対する生贄は日本の神様は求めていませんよ。
日本の祭は祈願と感謝です。
感謝はその年に得た作物の最初を捧げるもので、西洋の生贄文化とは違います。
そして、東北地方は本来、この祭りの盛んな場所なので生贄など望むはずもありません。
それに日本人的発想には本来生贄はありません。
日本人であればこう考えるはずです「今年は地震と放射能で作物が得られなかった。でもだからこそ、近隣からかき集めて来年の豊作を願おう」
日本の生贄文化は大陸からもたらされた思想でしかありません。
例えばアイヌなどの生贄も本来は“生贄”ではなく、「神から与えられた恵みをお返しする」という意味です。

もし“生贄”的に考えたいのなら、むしろ祈願に対する生贄ではなく、賠償です。
感謝の儀式である祭を商売のイベントとしか考えていないことへのバツと考えるべきでしょうね。
だから本来なら復興祈願の為により盛大に行なうべき祭を中止するのです。
つまり祭の本質を忘れて商売のためのイベントとしか考えていない証拠です。
でも少なくとも小規模でも東北では祭をやる姿勢をとっています。
これは東北の人たちが祭の本質を理解している証拠で、決して災害が生贄ではない理由です。
では祭をイベントとして取りやめているのは誰でしょうね。

もしこれが生贄ではないとすれば、本当の意味での賠償はこれから徴収されるはずです。
古来神道では「祓い」があります。
これはスサノオが高天原で暴れた事に対する賠償を表しています。
つまり、祓いを受けるには賠償が必要なのです。
その賠償が、国の経済的賠償なのか・・
ひょっとしたら放射能汚染による被害かもしれませんね。
天気は西から変ります。つまり静岡や敦賀が事故を起こせば、東京の被害は今回の比ではありません。
九州などの原発が事故を起こせば西日本、特に瀬戸内は空気が澱むので甚大な被害を蒙ります。
長崎の原爆が盆地であった為に周辺に被害が少なかった事は周知の事実。瀬戸内の原発被害はこれと同じ結果になります。
そして東海沖も活発化していると予知連が発表し、日向灘近辺ではスロースリップが既に起きています。
今回の地震では長野新潟県境や静岡で関連地震が起きています。これまで関連を否定していたものを初めて学者が認めました。今回も当初は関連を否定しましたが、すぐに認めました。

東海沖の反対側はドコでしょう・・・敦賀方面ですよね。
既に岐阜でも地震が起き始めています。これが東日本の関連震なのか、東海沖の予震なのか。
実に興味深い事だと思いませんか?将来を考えるとドキドキします。

つまり、今回の地震被害は生贄ではなく、起きるべくして起きた事。
被害は過去の経験を活かさなかった事に対する当然の帰結である。
人間の犯してきた罪穢れに対しては、その副産物で賠償するものであるという事。
もし、人間の行いが罪穢れであるなら、それはこれから現われる可能性がある。
ということです。

人が死ぬというより、人が自分の土地を天から強制返却させられるということです。
人が住めなくなっても土地は残ります。つまり自然に戻るだけですから。ワリを喰うのは日本人だけです。
    • good
    • 0

 あと30年、50年、100年後に日本が今以上に繁栄しているか、もしくは少子化に拍車がかかって人口がメチャ減って・・・それでもまあなんとか国家として頑張れてたとします。



 30年後じゃ無理ですが(現在も30年前くらいのことは日本史の授業では教えませんし)よくも悪くも50年後100年後に
「日本のターニングポイントは1980年代後半のバブル崩壊と、それに追い打ちをかけた2011年の東日本大震災だったなぁ・・・」なんて日はかならず来るでしょう。

 その時にこそ「神様の思し召し」ってことでいいと思いますよ。

まだ、今の時期に語る話ではないと思います。

 ただ、私も今後特需景気になればいいなぁとは思います。
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに現段階では、全てが憶測にすぎませんね。
回答有難うございます。

お礼日時:2011/06/21 08:58

犠牲を出したら毎回見返りがあるならそうなのかもしれないけどそうじゃないわけで、


たまたま今回は犠牲が出て復興って側面がでてきただけじゃ?

犠牲のでない特需はどう説明されるのかな?
むしろ被害をこうむった企業はどうなるのかな?

因果関係として結びつけるにはちょっと弱いんじゃないかな。

現状特需は国内の復興事業関係会社だけだもん。
日本経済上向くって言ってるけど日本の国際競争力自体はむしろマイナスだしさ。

まぁ、特需を受けた会社の人に神さまと通じてる人がいて俺の会社が儲かれって願いをかなえてくれるならどうなってもいいとか言ってたら別かもしれないけどね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有難うございます。

なるほどと思える部分がありました。まともな回答をして頂きありがとうございました。

お礼日時:2011/06/20 14:32

で、結局、


「神頼みなんぞするな」
といいたいのか、
「それなりの代償を差し出してから神頼みをしろ」
といいたいのか、どっちなのかなあ?

個人的には、
神社に行って願い事をするときに、たなぼたみたいなご利益を本気で期待したりなんぞしていませんよ。
どちらかというと、神様、私を見守っていてね、っていう感じですかね。
神様がいけにえを要求するなら、そんな神様、だれも見向きもしないと思うよ。
神社に恨みでもあるのかな?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

特にどうしろとかはありません。ただ、みんなはどう思うのかなって感じですね。
神社に見守っていてねとお願いをするとき、お賽銭を入れますよね?やはり、ただではきいてくれないということでしょうか。

経済的に余裕のない人の頼みはきけないとか。それも十分犠牲を払ってるような気がするのです。

別に恨みはありません。

お礼日時:2011/06/20 12:45

宗教的思想と言えば聞こえはいいが、所詮はその宗教にとって都合の良い解釈をすることが宗教的思想です。


だからこんなところで表明せず、駅前とか街頭とか商店街を練り歩くとか、そういうところでハンドマイクでもって、あなたの言う宗教的思想を喧伝しましょう。

そこで誰かに石でも投げられたら良い。
人前で大きな声でそれを言う勇気は無いのか?

宗教的思想だから、布教にもなるでしょう?

まあせいぜい頑張れ・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

別に布教活動をしたいわけでも、声を大にして言いたいわけでもなく皆さんはどう思うかを聞きたかっただけです。

こういう質問をすると必ず「被災者がかわいそうだ」的な回答をするひとがいますが、ではあなたは被災地へ出向きボランティア活動をしていますか?と問いたくなります。

そういうことは一切しないのに、こういう時だけ被災者の味方みたいなことを言う。まるでどこかの政治家みたいですね。

まぁ、回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/20 11:33

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!