船の進水式での現在のシャンパンを舳先にぶつけて割る儀式ですが、大昔には生け贄として生まれたばかりの赤ん坊を投げつけて航海の無事を祈っていたというのを聞きました。

シャンパンへは生け贄の血の色をしているワインから置き換えられた。さらにその前のバイキング時代には捕虜が使われたというのは調べて分かりましたが、この赤ん坊の部分は本当のことでしょうか?

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A 回答 (2件)

日本財団(=昔の日本船舶振興会)のHPですので、まずは正しいかと思う情報です。



ちなみに、No1の(1)の話は、日本書紀で日本武尊が、東京湾の湾口を渡って、房総半島に行くときに、嵐に遭い、「女子を乗せてはいけないのに、乗せたために 海の神がお怒りなので」と、尊の彼女が自ら身を投げた・・・というのが 有名です。

参考URL:http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2000/00200/ …
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この回答へのお礼

詳しいサイトを教えていただきありがとうございます。
赤ちゃん云々の話はないみたいですね。

お礼日時:2003/10/22 16:48

「赤ん坊…」の件は知りませんが、日立造船の方に聞いた話では


(1)以前は、航海中にひどい嵐などに出会うと海の神様が怒っているため、これを静めるため生きた人間を「いけにえ」として海へ投げ入れた時代があったそうです。
船も小さくどうせ全員死ぬなら、という考え方からだそうです。
(2)進水式の考え方はその後に生まれたもので、生き血に似た赤ワインをぶつけるのも、その名残りだそうです。
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この回答へのお礼

海へ投げ入れた時代があったんですね。
ほんと、今で考えられないほど野蛮ですよね。

ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/18 16:08

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質問です。朝鮮戦争においては北朝鮮軍兵士の捕虜と中国義勇軍の捕虜は休戦後どうなったのですか?北朝鮮軍捕虜は祖国に送還されたのでしょうか?それとも韓国に帰化したのですか?中国義勇兵は帰還したのでしょうか?帰還した後はどうなったのでしょうか?回答お願いします。

Aベストアンサー

 1953年、送還を希望する捕虜9万5千人が板門店(地名)から送還。
       送還拒否捕虜2万2千人は中立国送還委員会によって自由意志を確認後、希望地(南か北か)に。
       
 この9万5千人に、南北で捕まっていた北朝鮮兵士・韓国軍兵士・中国義援軍・国連軍が含まれるようです。
 南北の兵士以外は、北朝鮮を選ぶとか南朝鮮を選ぶとかは関係ないのでそのまま自国へ帰ったでしょう。

 ちなみに月並みですが、韓国wikiによると、
<共産軍側被害>
・中国義勇軍  戦死 13万5000名
        負傷 20万8400名
        失踪及び捕虜 2万5600名
・ソ連軍    戦死 315名
        負傷 500名

<国連軍側被害>
・米国     戦死 3万6940名
        負傷 9万2134名
        失踪 3737名
        捕虜 4439名
・豪州     戦死 339名
        負傷 1216名
        失踪 3名
        捕虜 26名
・カナダ    戦死 312名
        負傷 1212名
        失踪 1名
        捕虜 32名
・英国     戦死 1078名
        負傷 2674名
        失踪 179名
        捕虜 997名
・ニュージーランド  戦死 23名
           負傷 79名
           失踪 1名
・フィリピン  戦死 112名
        負傷 229名
        失踪 16名
        捕虜 41名
・トルコ    戦死 741名
        負傷 2068名
        失踪 163名
        捕虜 244名
・オランダ   戦死 120名
        負傷 645名
        捕虜 3名

 国連軍側は16カ国いましたが、上記以外の国の被害については載ってないです。
 「失踪及び捕虜」って、なんだかざっくりって感じですね。

 また、北朝鮮側というと中国義勇軍が有名ですが、実はソ連も「非公式支援国」として「部分参戦」していました。そもそも最初の6月25日の最初の南進軍に、「北朝鮮軍兵の軍服を着て参加した」という元ソ連軍兵士の証言なんかもあります。

 1953年、送還を希望する捕虜9万5千人が板門店(地名)から送還。
       送還拒否捕虜2万2千人は中立国送還委員会によって自由意志を確認後、希望地(南か北か)に。
       
 この9万5千人に、南北で捕まっていた北朝鮮兵士・韓国軍兵士・中国義援軍・国連軍が含まれるようです。
 南北の兵士以外は、北朝鮮を選ぶとか南朝鮮を選ぶとかは関係ないのでそのまま自国へ帰ったでしょう。

 ちなみに月並みですが、韓国wikiによると、
<共産軍側被害>
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Q修理地と動かせない障害物からの救済について

ゴルフルールについて教えてください。
修理地と動かせない障害物が混在する場所での救済について。

図参照
A点・・・ボールの止まった位置
B点・・・動かせない障害物(排水マス)から救済を受けた場合の位置
C点・・・B点からさらに修理地の救済を受けた場合の位置
D点・・・動かせない障害物(排水マス)も修理地の一部とみなした場合の
     救済の位置

(1)動かせない障害物(排水マス)のからの救済をうけた後に、さらに修理地からの救済を受けるのでしょうか?
(2)それとも、動かせない障害物(排水マス)も修理地の一部とみなし、一気に修理地のみの救済を受ければいいのでしょうか?

説明・図が分かりにくければ申し訳ありません。
アドバイスよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

複数の「障害」が生じている状態(別個の「動かせない障害物」が複数だったり、あるいはこの質問のように「修理地」と「動かせない障害物」だったり)から救済を受ける場合には、複数の障害から同時に救済を受けるのではなく、どれか一つの障害を選択して、その一つの障害に対する救済処置を取らなければなりません。

質問のケースでは、排水マスからの救済を取るか、あるいは修理地からの救済を取るかのいずれかを選択することになります。
前者の場合、救済のニアレストポイントであるB点から1クラブレングス内にドロップをし、球がホールに近づかず、落下点から2クラブレングス以上転がらずに止まったところがまだ修理地からの障害が生じていたならば、その球の位置に基づき、今度は修理地からの救済のニアレストポイントを決めることになります。
後者の場合、排水マスはあたかも存在してないかのように無視して、修理地からの救済のニアレストポイントを決めなければなりませんから、D点がニアレストポイントになります。D点から(修理地を離れた方向の)1クラブレングス内にドロップするのですから、常識的には、ドロップした球が今度は排水マスにより障害が生じることにはならないはずです。

複数の「障害」が生じている状態(別個の「動かせない障害物」が複数だったり、あるいはこの質問のように「修理地」と「動かせない障害物」だったり)から救済を受ける場合には、複数の障害から同時に救済を受けるのではなく、どれか一つの障害を選択して、その一つの障害に対する救済処置を取らなければなりません。

質問のケースでは、排水マスからの救済を取るか、あるいは修理地からの救済を取るかのいずれかを選択することになります。
前者の場合、救済のニアレストポイントであるB点から1クラブレングス...続きを読む

Q生前香典の儀式、またはそれに準ずる儀式について。

 時代劇の子連れ狼を見ていたら『生前香典の儀式』というのをやっていまして、それで気になったので質問します。

 この儀式は、昔本当にやっていた儀式なのかという事と、似たような儀式(西洋、東洋問わない)はあるのかを知りたいです。
 
 よろしくお願いします!

Aベストアンサー

『子連れ狼/生前香典の儀式』の内容自体を把握していませんので、
見当違いなら御容赦下さいm(_"_)m

「生前香典の儀式」を広い意味での「生前葬」と捉え、
あと『子連れ狼』の時代設定が明暦・万治・寛文期頃までとするなら、
当時、可能性の有り得たお話と言えるのではないでしょうか^^

キーワードは「逆修」。
逆修…生前に、自分の死後の冥福のために仏事をすること。
予修。逆善。逆修善。

「生前香典の儀式」までは定かではありませんが、
「逆修」については、下記論文などが参考になるかも知れません。

『大手前女子大学論集6/大手前大学・大手前短期大学/1972』(147-165頁)
◇「逆修信仰の史的研究/川勝政太郎」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000046384
『印度學佛教學研究57(2)/日本印度学仏教学会/2009-03-20』(687-691頁)
◇「中世日本禅宗の逆修とその思想背景/伊藤良久」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007131119

逆修を歴史的にたどると、わが国では平安時代中期以来、
貴族の仏事として華やかに行われたが、
一方大衆を対象とする法界衆生逆修のあったことも無視できない。
鎌倉時代に入って、貴族の風習にならう武士層や名主層などの富裕階級が、
盛大な仏事よりも記念物的な逆修石塔などの造立に熱を加えて行ったが、
石塔の造立は死者の追善や法界衆生の平等利益などが中心であった。

南北朝時代に至ると、逆修塔はようやく数を増すが、
室町時代になると急に様相がかわって、
小石塔、小石仏の増加が庶民の手によって行われ、
その大部分が自身の逆修のための造立という状態になってくる。
民間庶民信仰的な色彩がこくなり、十王信仰、十三仏信仰、
月待信仰などと逆修信仰がむすばれて、
すべてが逆修に塗りつぶされるような錯覚をさえ抱かされる。

しかし、江戸時代はじめからおとろえて、
寛文ごろまでの実例を私は見ているが、
その後はほとんど終息したように思われる。
従って現代の多くの人たちは、私どもの祖先の信仰の歴史の中に、
逆修というものが、長い間行われていたことを知らない。

昔の人が逆修を行うことが盛んであったことは、
寺や僧との結びつきを強いものとし、
寺や僧も人々の生活に直結したのである。
寺が墓を守るものとなって行ったのと、逆修の歴史が終るのと、
時期を同じくすることは偶然ではないようである。

「逆修信仰の史的研究/川勝政太郎」七.結語より

以上少しでもヒントになれば幸いです^^

『子連れ狼/生前香典の儀式』の内容自体を把握していませんので、
見当違いなら御容赦下さいm(_"_)m

「生前香典の儀式」を広い意味での「生前葬」と捉え、
あと『子連れ狼』の時代設定が明暦・万治・寛文期頃までとするなら、
当時、可能性の有り得たお話と言えるのではないでしょうか^^

キーワードは「逆修」。
逆修…生前に、自分の死後の冥福のために仏事をすること。
予修。逆善。逆修善。

「生前香典の儀式」までは定かではありませんが、
「逆修」については、下記論文などが参考になるかも知れません。
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Q自力救済について

自力救済が禁止されているのは知っています。
ところで、私は上司に精神的にぼろくそやられたので
慰謝料を200万円支払えと内容証明郵便で送ろうと思います。
裁判外でのことですが、これはゆるされますよね?
もちろん勝手に上司の家に押しかけて200万円取ってきたらそれは自力救済ですけど、
慰謝料200万円支払えと内容証明郵便で伝えるだけなら自力救済には当たらないですよね?
そして上司の家に直接行って、話し合いで交渉していくのも自力救済になりませんよね?
そして仮に話し合いで200万円払うことが合意されたとしても
これは自力救済ではないですよね?

Aベストアンサー

その通りで正解です。
回答としては#1の回答で必要にして十分だとは思いますが、もう少し補足説明をしておきます。

自力救済とは大雑把に言えば、
「私人が
"公権的手段によらず自ら"
"相手の意思を無視して(=相手の同意を得ずに)強制的に"
"権利を実現"
すること」
だと思えば大体あっています。
請求をするだけでは強制ではないですしそもそもそれ自体は権利の実現ではないので自力救済にはなりません。相手の同意があれば当然自力救済にはなりません。
なお、急を要する必要はありません。急を要する場合はむしろ自力救済が認められる可能性すらあります。

以下は参考としての余談です。

自力救済というのは通常は民法で使う用語です(行政法関係で使うこともあります)。刑法では「自救行為」という表現を使うのが通例です。
ですので、民事事件だから自力救済でないと述べるのは法律的にはお話にならないくらいの間違いです。
ともあれ、民法が権利義務の規定で権利という観念的存在を問題にするのに対して刑法が「犯罪は行為である」という大前提で現実の現象としての行為を問題にするのですから、その意味でこの使い分けは極めて理にかなっています。もちろん、用語としては相互に互換性はありますから、厳密な使い分けをしているわけではありませんし、要件効果は法分野あるいは個々の法令等でそれぞれ考えればいいだけのことなので厳密な使い分けをする必要もありません。

その通りで正解です。
回答としては#1の回答で必要にして十分だとは思いますが、もう少し補足説明をしておきます。

自力救済とは大雑把に言えば、
「私人が
"公権的手段によらず自ら"
"相手の意思を無視して(=相手の同意を得ずに)強制的に"
"権利を実現"
すること」
だと思えば大体あっています。
請求をするだけでは強制ではないですしそもそもそれ自体は権利の実現ではないので自力救済にはなりません。相手の同意があれば当然自力救済にはなりません。
なお、急を要する必要はありません。急を要...続きを読む

Q中世の天皇の儀式について

 平安~鎌倉期の天皇の儀式についてお聞きしたいことが3つほどあります。

(1)崩御された天皇の大喪の期間はどれくらいあったのでしょうか。
(2)崩御された天皇への追号は誰が決めて、崩御後どれくらい経ってから贈られたのでしょうか。
(3)新天皇の即位式(大嘗祭ではありません)は践祚の後、どれくらい経ってから行われたのでしょうか。

 勉強不足でおかしな質問をしているかもしれませんが、ご返答頂ければうれしく思います。

Aベストアンサー

1)戦後の皇室典範によれば(天皇が崩じたときは大喪の礼をおこなう)としか書かれていません。
実際に(大喪の礼)についての具体的な規定はなく、
天皇の崩御があった場合にのみ、(大喪の礼委員会)で協議することになっています。天皇、太皇太后、
皇太后、の大葬儀は新天皇が皇后の場合は皇太子が
喪主をつとめるのが原則になっています。
2)崩御された天皇の追号(諡号ともいう)は明治天皇以来、その皇位いた元号をつかうのが通例、明治に
入り1世1元制度(天皇の在位中にはおなじ元号を使い
改めない)が確立してから自動的に諡号がきめられた。また天皇が崩ずると(追号奉号の儀)という儀式
を経て諡号が一定期間公示されてから決定される、それまでは(大行天皇)とよばれる。
明治以前については、いろいろなケースがありd定まっていなかった、といわれています。
3)不明です

以上天皇の本(学研)より

Q救済

薬害肝炎の一律救済が採択されたようですが、
薬害肝炎よりもっと先に救済すべきことがたくさんあるはずです。
どういったものを救済すべきだと思いますか。

Aベストアンサー

年収100万円未満の低所得者で
定まった住居をもたない人たち。

まあ、彼らは自分の力で救済という
裁判結果を勝ち取ったのでとやかくはいいますまい。
めでたし、めでたしと言っておきましょう。

Qノルマンディー上陸作戦でドイツ軍の捕虜に東洋人?

マイウェイ 12,000キロの真実という映画を見ました。何でも監督が、ノルマンディー上陸作戦で捉えられたドイツ軍捕虜の中に東洋人がいたという話からインスパイアされたらしいのですが、本当にそんなことがあったのでしょうか?

http://myway-movie.com/

Aベストアンサー

たとえば
http://mltr.ganriki.net/faq08a04o07.html#03676
こんな写真があったりする訳です。

ナチス・ドイツの軍、殊に武装親衛隊(志願制なので。また、人的資源を当然正規軍と取り合う訳で、そこに軋轢が発生する)は人手不足に悩んでおり、補助兵力や兵士として捕虜やら占領地のシンパやらを使っています。

#イスラム教徒兵とか、イタリア兵とかまでいました。

で、ソ連東部のアジア人種が徴兵され(なんせ連中は雪男まで引っ張ったという巷説がある位手当たり次第引っ張った)、捕虜になり、ドイツ軍に「志願」(というのも、志願させるために意図的に待遇が悪かった)ということに。

ノルマンディの一件は、リンク先に依ればソ連軍経由のチベット人というようです。

Qゴルフのネット救済について解説をお願いします。 1ペナを表す黄色杭がネットより内側にあり、ボールが

ゴルフのネット救済について解説をお願いします。

1ペナを表す黄色杭がネットより内側にあり、ボールがセーフの場合、クラブがネットに当たるので救済を受けたい、このような場合、救済を受けれる、受けれない、どちらでしょうか?
OBを表す白杭がネットの内側にあり、ネットの救済を受けたい場合、受けれる、受けれない、どちらになるのでしょうか?

2つの質問になりますが、詳しく解説して頂きたいです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ローカルルールで別途定められている場合を除けば・・・・
1ペナという規則はないのであくまでもウォーターハザードを示す杭として解釈すれば、
・ウォーターハザード内であってもコース内なので人工物などは規則上の障害物である
・球がウォーターハザード内にないから障害物からの救済は受けられる
ので、救済は可能です。

OB杭の場合は、OB区域にある人工物は規則上の「障害物」ではないので、救済は受けられません。

規則の詳細は、第二章「用語の定義」と第三章規則24「障害物」を参照ください。

Q先の大戦で捕虜になって復員した日本将兵の数

ポツダム進級についてですが、複数のサイトで全く同文で次のように説明されています。

以下はサイトの説明文で、質問に関係のある箇所を抜粋しています。

敗戦時、生存者に対して行なった特別進級を俗に「ポツダム進級」と呼んだ。
狭義では兵は無条件で、大尉以下の士官と准士官及び下士官は勤続年数に応じて1階級進級させたことをいう。
広義では陸海軍の解体した1945年11月30日までに進級した将官と佐官も含んだ。
陸軍では将官の進級はなく、佐官でも中佐から大佐に進級した者が数名と少佐から中佐に進級した者が少数であり、捕虜となって生還した者は進級させなかった。

質問
1.「捕虜となって生還した者は進級させなかった。」と説明されていますが、対象者は、将官
および佐官ですか。つまり、尉官以下は進級させたのですか。
2.「捕虜となって生還した者」は、おおよそ何人くらいですか。
そもそもポツダム宣言を受諾したということは、日本軍は無条件降伏したのですから、将兵全員が捕虜になったと思っていました。
3.捕虜となって生還された方は、恩給その他で不利益を蒙りましたか。

よろしくお願いします。

ポツダム進級についてですが、複数のサイトで全く同文で次のように説明されています。

以下はサイトの説明文で、質問に関係のある箇所を抜粋しています。

敗戦時、生存者に対して行なった特別進級を俗に「ポツダム進級」と呼んだ。
狭義では兵は無条件で、大尉以下の士官と准士官及び下士官は勤続年数に応じて1階級進級させたことをいう。
広義では陸海軍の解体した1945年11月30日までに進級した将官と佐官も含んだ。
陸軍では将官の進級はなく、佐官でも中佐から大佐に進級した者が数名と少佐から中佐に...続きを読む

Aベストアンサー

1.「捕虜となって生還した者は進級させなかった。」と説明されていますが、対象者は、将官および佐官ですか。つまり、尉官以下は進級させたのですか。

「ポツダム昇進」は将校クラスのみに与えられた特権ではなく、下士官クラスへもちゃんと適用されていました。ただし将校であれ下士官であれ「ポツダム昇進」には条件がありました。それは「実役停年」というもので、昭和20年8月1日付けで実役停年の1年に達していた者だけということです。つまり昭和19年7月31日までに少尉になっていた人は中尉になれたということです。
 そうではない人、つまり昭和19年8月1日以降に少尉になっていた人はいわゆる「ポツダム昇進」は適用されていないということです。これで行くと、昭和19年7月31日までに見習い士官になっていた人は少尉になり、兵長だった特別幹部候補生は伍長、または軍曹に任官していました。
 
 この実務停年は自己責任での事故や病気などで入院していた期間は計算には入れていなかったようですし、戦場離脱者、つまりは脱走者も実務定年の適用外になっていました。ただ捕虜は戦闘中での行為によるものがほとんどであるので、これを適用させないというのはちょっと首を傾げますが、正直言ってその辺りの事情については自信がありません。もしそれが本当であるのならば、捕虜に対する旧日本軍の仕打ちは誰にでも変わりはなかったはずですので、階級によって差別していたという事実があるとすれば、それはそれで不思議な気がします。これに関することは後でも少し書きます。
 ちょっとしたトリビアですが、あの小野田さんも実は帰国した時点でポツダム昇進させるべきかどうかで議論があったようです。またこのポツダム昇進をした人は自嘲気味に「私はポツダム中尉でした」ということが多かったそうです。

2.「捕虜となって生還した者」は、おおよそ何人くらいですか。
そもそもポツダム宣言を受諾したということは、日本軍は無条件降伏したのですから、将兵全員が捕虜になったと思っていました。

 終戦後まずすぐに持ち上がった最大の難問は、外地に点在する330万あまりの日本軍将兵や軍属たちと、それと同数の海外在留一般邦人の復員と帰還です。
 その作業は連合国や各国政府との複雑な交渉も必要とあって、非常な困難を伴っていました。正直ここでその概容でも書こうと思っても、たとえ万の文字を使っても書ききれないと思います。
 結論から言えば「捕虜となって生還した者」の正確な数字は、現代では把握することは不可能です。詳細な記録が残っている旧厚生省援護局にもそれらに関する記録はまず見受けられません。
 つまり終戦後外地にいた戦闘態勢にあった兵士たちは、武装解除された時点でそれまで捕虜になっていた日本軍将兵と同じ立場になったのではなく、捕虜たちがその状況から解放され、武装解除後の将兵たちと同じ立場になったと考えるほうが自然だからです。

 無条件降伏であれなんであれ、戦争が終了した時点で「捕虜」という存在は消滅したのですから、外地の日本軍将兵全員は復員対象者と呼んでもいいのではないかと考えます。

3.捕虜となって生還された方は、恩給その他で不利益を蒙りましたか。

 これも先の回答に関連することですが、復員した時点で「捕虜」であったかどうかの記録は残ってはいないのですから、不利益を蒙る理由はどこにもありません。なんと言っても終戦時点で「戦陣訓」の理不尽な教えはもう通用しなかったのですから。
 万が一、そのような理由で何らかの不利益を蒙っていた方がいるとしても、国を相手取っての民事裁判を起こせば、ほぼパーフェクトゲームで原告の勝利になることは間違いなかったのではないでしょうか。

1.「捕虜となって生還した者は進級させなかった。」と説明されていますが、対象者は、将官および佐官ですか。つまり、尉官以下は進級させたのですか。

「ポツダム昇進」は将校クラスのみに与えられた特権ではなく、下士官クラスへもちゃんと適用されていました。ただし将校であれ下士官であれ「ポツダム昇進」には条件がありました。それは「実役停年」というもので、昭和20年8月1日付けで実役停年の1年に達していた者だけということです。つまり昭和19年7月31日までに少尉になっていた人は中尉に...続きを読む


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