自分の人生が 『本当にあとわずか』 だと知ったら、何をしますか?
 なぜ、それをしようと思いましたか?

 人に寿命があることは知っているけど、それはあくまで肉体の衰えからくるものだと思います。 
 でも、人の命にはもうひとつの側面があります。
 こころ、意識です。
 肉体が衰えるより早く、意識や心に寿命がきた場合、それでも人は生きるべきなのでしょうか?
 年齢は若くとも、一般的な社会との意識からはずれてしまった場合、事実上、心や意識に寿命がきたとは考えられないでしょうか?
 社会に出て働いて、自分のやりたいことに対する意識を高め、自立していくこと。
 人の多くは、この経路をたどって人生を歩んで、年齢相応の生き方をしていくのだと思いますが、この枠組みからはずれ、そのレールに戻ることができなくなった場合、人は、命の側面で寿命を迎えたことになると思います。
 質問をあらためて。
 もし、自分の命の側面が終わってしまったと感じた場合、何をしますか?
 なぜ、それをしようと思いましたか?

A 回答 (3件)

あなたは自分の命の側面で寿命を迎えたと思ってるんですね




何故側面に寿命を感じるのでしょう

あなたはあなたの見方で寿命としてますよね

私も辛くなった時あります
でも私は立ち直って今に至ります
考え方ですよ
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心の終わり?そんなものはないでしょう。


たとえば若年性アルツハイマーで身体より先に脳が死んで行くとか、医学的見地からの心の終わりならあるでしょう。
しかしご質問の定義を命の寿命とか心の終わりとか言うのはまったく違うと思います。

<社会に出て働いて、自分のやりたいことに対する意識を高め、自立していくこと。
~以下、の部分については強く否定したいですね。
自立してなくたって枠組みからはずれてたって人間の尊厳に何の差もありはしません。

質問の答えとしては、命の側面が終わるという表現を使うなら、それは自分で自分という人間、人格を認識できなくなった時であるから、その場合自分の意志で何かをする事は不可能です。
家族や周囲の人の意志にゆだねるしかないでしょう。
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年齢は若くとも、一般的な社会との意識から外れてしまった場合、心や意識に寿命が来たとは考えられません。


意識というものは外界からの刺激によって幾らでも変容して行くものだと思います。今、例え自分の精神なり心なりが死んだと感じたとしても、時間が経過して、その経過した時間の分だけの経験なり刺激なりが心・精神世界に積って行くと、少しずつ、何かが変って行きます。それが一定の閾値を越えると 心・精神世界はまた何等かの大きな変容を迎える事になります。

ということで、自分の命の側面が終わってしまったと感じたとしても、そのまま生き続けます。金銭上の問題といった制約が無いのであれば、外界からの刺激を沢山受けるためにも積極的に旅行などに行きたいものですね。
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