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なぜですか?
正気の沙汰ではないと思います。なんでも知ってる事教えてください。

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A 回答 (2件)

>私が知りたいことはより正確な情報にもとずいた結論です。



そうですよね。
まず、自分が救済される事が急務(結論)です。^^
そうすると人を救済出来るんです。


打ちこわしの場合、目的地があり、リーダーがいます。
一揆の場合は戦闘目的であり、軍隊のような統率が取れています。

これに対しての批判的意見としてえじゃないかの集団行動は

リーダーが存在しない。(命令が出せない。)
統率が取れない。(規律が無い。)

この為、略奪(生きる行為)、暴行(喧嘩やレイプ)
こう言ったモラルの低下で起きる行為は必然的に起こり得る。

こう言った記載のある文献もあると言う意味です。
多発したと言う証拠(奉行所の記録)が無いのであれば何とも言えないと言う事になります。
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日本のええじゃないか騒動でレイプが多発したのは・・




この、多発した、、という根拠を示してください。


仮に「多発した」ことが事実だったとして、昔は「性」に関して、今より

もっと  おおらか だったためなのでは?
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この回答へのお礼

私が知りたいことはより正確な情報にもとずいた結論です。「性」に関してはおおらかとも言えるかもしれません。

お礼日時:2011/07/02 16:32

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Qええじゃないか騒動(幕末)

歴史の参考書を見ていて、たまたま目に付いたのですが、江戸末期に「ええじゃないか騒動」というのがあったそうです。その参考書を読んでも、よく分からないので、ネットで調べると、「ウィキペディア」で、下記のようにありました。

『ええじゃないかは、日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した騒動。「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ。」という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。』(終期については、翌年の春頃までという解説もある。)

しかし、どの解説を読んでも、他の参考書を調べても、歴史的位置づけが小さいのか、その実態が、よく分かりません。

「お札」を作ったり、ばらまいたりするのも、経費の掛かることだし、仕掛け人はいるのだろうとは思います。討幕派との説もあるようですが、証拠もないとのことです。倒幕のために、自発的な民衆運動が起こるというのも、私のような素人には、想像しがたいです。

ここで質問なのですが、
(1) 「ええじゃないか騒動」の仕掛け人がいるとすれば、その仕掛け人は誰だと思いますか?そして、その目的は?討幕派が倒幕のために仕組んだことですか?それとも、他に?
(2) 「ええじゃないか騒動」は倒幕に貢献したのでしょうか?私は、1867年というのは、すでに維新へと大きく時代が流れており、倒幕に貢献したとも思えないのですが。
(3) 「ペリー来航以来、大地震、津波、大雨が相次いで起き、コレラが流行し、人々は恐慌状態に陥っていた。そうした中で民衆は、敏感に世の変革を兆しを感じ、重くのしかかり社会不安に耐え切れず、新しい世への世直しに熱狂した。いわゆる大衆的狂乱である。」という解説もあります。「ええじゃないか騒動」は、東海道沿線を中心に、確かに広い範囲に及んでいますが、さりとて全国的に広がったとは言えません。「ええじゃないか騒動」の発生した範囲は、は「大地震、津波、大雨が相次いで起き、コレラが流行した」範囲と一致しているのでしょうか?なぜ全国に及ばなかったのでしょうか?
(4) (1)~(3)とは別に、これを「大衆的狂乱」とするならば、その大衆のエネルギーというのは、どこから(狂乱の原因、狂乱を心理的に支えているもの、などなど)生まれたと思いますか?……多少のことでは騒がないというか、我慢強い日本人が、ここまで騒いだ原動力というのを知りたいです。

少しでも、歴史に関心を持たれている方が、この騒動についてどのように、理解し、また感じられておられるのかを教えて下さい。……(1)~(4)について、全部でなくてもかまいませんし、どんなことでもかまいません。

歴史の参考書を見ていて、たまたま目に付いたのですが、江戸末期に「ええじゃないか騒動」というのがあったそうです。その参考書を読んでも、よく分からないので、ネットで調べると、「ウィキペディア」で、下記のようにありました。

『ええじゃないかは、日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した騒動。「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ。」という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連...続きを読む

Aベストアンサー

(1) 「ええじゃないか騒動」の仕掛け人がいるとすれば、その仕掛け人は誰だと思いますか?そして、その目的は?討幕派が倒幕のために仕組んだことですか?それとも、他に?
討幕派には「ええじゃないか騒動」を起こせるほど力はありませんでした。
資料は聞き書き伝聞の類のみです。

(2) 「ええじゃないか騒動」は倒幕に貢献したのでしょうか?私は、1867年というのは、すでに維新へと大きく時代が流れており、倒幕に貢献したとも思えないのですが。
貢献したと立証できるだけの史料がありません。
但し、戊辰戦争が始まったのは「ええじゃないか騒動」の後です。
しかも、当時の江戸城内の出来事なぞ一般町民が知るよしもありません。
ただ断片的にもれてくる噂程度です。
江戸庶民が実感したのは明治元年の上野の彰義隊敗走からです。

(3) 「ペリー来航以来、大地震、津波、大雨が相次いで起き、コレラが流行し、人々は恐慌状態に陥っていた。そうした中で民衆は、敏感に世の変革を兆しを感じ、重くのしかかり社会不安に耐え切れず、新しい世への世直しに熱狂した。いわゆる大衆的狂乱である。」という解説もあります。
根拠のない記述者の推定創作です。

>「ええじゃないか騒動」は、東海道沿線を中心に、確かに広い範囲に及んでいますが、さりとて全国的に広がったとは言えません。「ええじゃないか騒動」の発生した範囲は、はなぜ全国に及ばなかったのでしょうか?
江戸時代というのは、江戸には確かに人口の50%前後の武家がいましたが、その他の地域は2%強です。
大半が農民です。
農閑期でもない限りわざわざ他所の土地へ出かけたり、農作業を放り出してお祭り騒ぎをするほど暇ではありません。
騒いでいたのは街道筋の町民です。のこのこ出掛けて行ったのは江戸、京、大阪の町民です。

>「大地震、大雨が相次いで起き、コレラが流行した」範囲と一致しているのでしょうか?
江戸と伊勢の間を中心に起きた騒動と、太平洋沿岸で起きた天災疫病の流行とを直接結び付ける根拠がありません。

>「大衆的狂乱」とするならば、
現代の感覚での「大衆的狂乱」ではありません。

>狂乱の原因、狂乱を心理的に支えているもの
お祭り気分でしょう

>我慢強い日本人が、ここまで騒いだ
我慢強い一方で流行に弱いのも日本人です。
AKB48、サッカーワールドカップなど現在でも集まって大騒ぎします。

江戸時代というのは、武家が直接庶民を統治していませんでした。
庶民の自治組織が庶民を直接統治していました。
農民の場合には名主(庄屋)を頂点とする村役人が統治していました。
町民も農漁村同様に町名主を頂点とした町役人が統治していました。
武家はこの自治組織の長を通じて行政を行っていました。
藩では武家は城下町を離れることは簡単にはできませんでした。
藩によっては禁止している所もありました。
庶民と武家との接触の機会は極めて限られていました。
この中にあって江戸という町だけが特異な人口構成の町でした。
江戸の町のイメージで全国を判断すると致命的な間違いを起こしますので注意して下さい。
生噛りのマルクス主義に毒された左翼系の人達が無理やり欧米や中国の歴史的状況を当てはめて、支配者対非支配者という構造で議論を薦めますが、全く的はずれです。
大衆だの大衆狂乱だのという概念は該当しません。

明治維新というのは、総人口の2~3%程度の武家階級内での政権交代です。
この為に革命と呼ばれません。
明治維新の結果が庶民に影響を及ぼすのは、明治以降です。
歴史小説家が好んで書く戊辰戦争も極めて限られた地点でだけ行われたものです。
戦国時代のように全国で戦闘が行われた訳ではありません。
これでは、小説家はおまんまの食い上げになりますから、面白おかしく書きます。

「ええじゃないか騒動」は各藩の藩政や幕府政治には何の影響も及ぼしませんでした。
ええじゃないかに参加した庶民も幕府や藩に対しては何の要求もしていません。
短期間で自然発生的に起きて自然消滅したのもこの為です。
正確な記録が見当たらないのも、当時の人達も記録するほどの事件とは見做していなかったことによるものです。
大規模ではた迷惑なお祭り騒ぎが流行した、という程度のことです。
おかげで歴史学者が苦労しています。
未だにその詳細が不明です。

もともと江戸時代には伊勢参りという習慣がありました。
裕福な人は、伊勢神宮の門前町にある料理屋や旅館が派遣する、今でいう観光ガイドに連れられて往復していました。
その一方で、無一文でも柄杓を一本だけ持って、それを「伊勢参りでございます」と差し出せば、宿泊も飲食も可能でした。
良く似ているのが霊場巡りのお遍路です。
四国地方では現在でもこの習慣が残っていてお遍路さんには親切です。
この貧乏旅行の連中が、伊勢皇大神宮のお蔭で世の中がよくなるのだからええじゃないか、と囃し立てて集団で伊勢を目指したのが引き金です。
囃し立てるための歌が沢山つくられました。もう完全に季節外れのお祭り騒ぎです。
指導者も管理者もいる訳ではありませんから騒ぎはどんどんエスカレートします。
街道筋では相当に迷惑だったとは思います。

(1) 「ええじゃないか騒動」の仕掛け人がいるとすれば、その仕掛け人は誰だと思いますか?そして、その目的は?討幕派が倒幕のために仕組んだことですか?それとも、他に?
討幕派には「ええじゃないか騒動」を起こせるほど力はありませんでした。
資料は聞き書き伝聞の類のみです。

(2) 「ええじゃないか騒動」は倒幕に貢献したのでしょうか?私は、1867年というのは、すでに維新へと大きく時代が流れており、倒幕に貢献したとも思えないのですが。
貢献したと立証できるだけの史料がありません。
但し、...続きを読む

Q幕末の一揆

「ええじゃないか」一揆って何なのでしょうか。あと、同時期なぜこんなに世直し一揆が起こったのか教えていただきたいです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「ええじゃないか」は、一種の念仏踊りで「打ちこわし」などの民衆蜂起的な一揆とはかなり違うでしょうね。
まあ、世情不安から生まれた民衆運動という意味では共通していますが。したがって、「ええじゃないか」は世直し一揆とは言えません。
一口に一揆と言っても、農民が武装して暴れる攻撃的なものもあれば、農民たちが集団でその土地を去る(夜逃げ)一揆もあります。
それから、打ちこわしなどの武装一揆は近年の研究で以外と少なかったことがわかってきています。

余談ですが、江戸時代中期以降(宝暦年間あたりから)江戸庶民たちは比較的、自由に旅行や外出していました。そのほとんどが、伊勢参りや富士講などお参り旅行ですが、近場なら伊香保や箱根に湯治に出かけたりしていました。
有名な「東海道中膝栗毛」などを見れば、庶民の旅行の様子が詳しく書かれています。
移動の制限があったのは庶民よりも、旗本などの武士のほうです。江戸詰めの武士は将軍の護衛がたてまえだったので公務以外の外泊は原則認められていまいせんでした。


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