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そんなに詳しいわけではなく大まかな事しか知りませんが、大和関連の記事を見ていて思った事を質問させてもらいます。

世界最大最強と言われながらも戦果はあまり残せませんでした。
最強かどうかはともかく、当時としてはトップクラスであったのは確かだと思うのです。

なのに活躍できなかった理由の一つは少し生まれた時代が遅かったのもあるでしょう。
航空戦力主体に移行しつつありましたから。

でも軍の使い方にも問題があったと思いませんか?

結局沈むにしても、使い方次第ではもう少しましな戦果はあげられたと思うのです。

沈むのが心配で序盤はあまり実践投入しなかった話も聞きますし・・・。


特に最後の水上特攻は撃沈されるにしても、もう少しは一矢報いれる作戦はなかったのでしょうか?

歴史に「もし」は禁物ですが、こういう使い方してたら少しは活躍したんじゃないかとか、軍のこういう使い方がまずかったとか思う所があればお聞かせください。

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A 回答 (11件中1~10件)

>でも軍の使い方にも問題があったと思いませんか?



他にも回答がありますが、当時の軍高官は「現在のキャリア官僚以上に官僚」です。
一度決定した事を改正する事は、100%行いません。
改正すると、誤りであった事自ら認める事になりますからね。
今の官僚も、一度決まった事は「何があっても、突進」しますよね。
1.農地が足りないので、海を干拓して農地にしよう。
2.米が余った。全国の農家に「米を作るな!」と厳命。
3.干拓工事は、治水事業として継続しよう。
今度の東日本震災・人災でも、「今まで通り、減反政策は堅持」と農水省から通達が来ました。

>特に最後の水上特攻は撃沈されるにしても、もう少しは一矢報いれる作戦はなかったのでしょうか?

これは、軍参謀が決めた事ではありません。
軍統帥権者が「もう動ける船(軍艦)は、無いのか?」と述べたので、突如として作戦が決まったのです。
戦没者には申し訳ありませんが、水上特攻という綺麗事ではありません。
同じ様に、ニューギニア戦線があります。
レイテ湾海戦で敗北。軍が撤収を始めると「朕は同意できない」という横槍情報が入りました。
突如として、戦局には意味が少ないニューギニアへ派兵が決まりました。
戦死者よりも、餓死・病死の方が多いという悲惨な戦場です。

>軍のこういう使い方がまずかったとか思う所があればお聞かせください。

素人の意見を重要視し過ぎた事ですね。
「僕ちゃん。東工大で原子力を学んだ専門家なんだ。福島原発事故は、全て僕ちゃんが指示をだすからね」
結局、ズブの素人では何も出来なかった(被害を拡大した)事がIAEA調査資料に載っています。
「ポンコツ菅政権が、口を出しすぎた」とね。
権力を持った素人ほど、怖い悲惨な結果を残すのはどの時代も同じなんです。
軍幹部でも、統帥権者からの命令は絶対服従ですからね。
もし、仁科研究所の「マルニ研究」での原爆が完成していれば・・・。
あと数ヶ月で完成だったようですね。ドイツからも、プルトニウムがUボートで運ばれました。
日本に向かった2隻のUボートの一隻は、米軍の降伏。一隻は、撃沈しています。

敗戦が遅れたのも、「皇室の存続保障」の確約が連合国から得られなかったので遅れたようです。
広島・長崎に原爆が落ちても、未だ存続の保障に拘っています。
「日本国民が、決める事だ」という最終回答が、連合国から届きます。
この回答が、憲法の条文にありますよ。
「天皇は・・・その地位は、国民の総意にもとづく」ってね。

以上、数年前に公表された戦時資料及びNHK特集からの回答です。
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この回答へのお礼

結局はお上の性質は何も変わってないという事ですね。
無駄、時代遅れの象徴とレッテル貼られてるのにその教訓が今もあまり活かされてないのが一番の悲劇かもしれません。

現在の政権と照らし合わせてわかりやすく書いてくださったので選ばせてもらいます。

お礼日時:2011/07/03 08:38

大和だけに限った話ではないですよ。



太平洋戦争が始まったとき、日本には、扶桑、山城、伊勢、日向、長門、陸奥と6隻の戦艦がありました。えっ、金剛級4隻はどうかって?まあ、あれは巡洋戦艦クラスですから・・・

さて、その金剛級4隻の巡洋戦艦は速力があり使い勝手が良く、しかも古いフネだったので使い潰して沈めてもさほど喪失感を感じなくて済むおかげもあり大戦中は八面六臂の大活躍を見せます。第三次ソロモン海戦では、名目上は戦艦同士となるものの、実質的にはジュニアヘビー級である金剛級がバリバリのヘビー級である戦艦ワシントンとサウスダコタを相手に砲撃戦までやっています。

で、他の6隻の戦艦が大戦中何をしていたかというと、大和級と同様にまったく何もしていませんでした。働いていないのは同じでしたが、最新鋭であった大和級のほうが何かと目立っていたということですね。
とはいえ実際は扶桑、山城はおばあちゃんもいいところで、使う場所がありません。伊勢、日向もやや時代遅れ。長門と陸奥特に長門は連合艦隊の旗艦として長年「帝国海軍の顔」を務めてきたのでなんだかもったいなくて使えず、という感じでした。大和が惰眠をむさぼったと批判されるなら、日本海軍の戦艦はだいたいみんな惰眠をむさぼったといえるでしょう。

はっきりいえば使いどころがなかったのです。南太平洋などの米軍との戦いでは鈍足で小回りが利かない戦艦に活躍の場はありませんでした。インド洋方面は英軍にこれといった獲物がないため出撃するだけ重油のムダ(イギリス艦隊は決戦を避けて逃げ回ればよい)。
いっそドイツ海軍のように通商破壊戦をもくろんで米豪連絡線の寸断なんかを狙えば面白かったかもしれませんが、日本海軍にそういう思想はありません。そもそもヘンダーソン基地への艦砲射撃作戦でさえ「千両役者の戦艦が地上砲撃なんてドサ回りの作戦なんてやってられっか」と強硬に反対したのを山本長官が「お前らがやらねえなら俺が自ら大和でやるよ」と言ってようやく実現したくらいです。

第二次大戦で最も戦艦を上手に使ったのはやはり栄光のロイヤルネイビーです。しかし、その英海軍でさえ、太平洋方面では虎の子のプリンスオブウェールズとレパルスを投入してご存じのとおり航空機に沈められ、以来、太平洋方面に戦艦は投入しなくなります。
確かに大戦を通じて作戦行動中に航空機によって沈められたのは上記の英戦艦(レパルスは巡洋戦艦ですけどネ)2隻と大和と武蔵だけです。しかし、太平洋戦線では、イギリス、アメリカ、日本のどの海軍も航空機の傘なしで戦艦を単独投入させるのはほとんど行っていません。

実質的に20ノット出せるか出せないかの旧式戦艦では、25ノット以上が出る空母を捕捉することはできません。航空機の傘なしで戦艦を突入させても敵の制空権下に入れば航空機によって発見されます。そうなると、空母だろうが他の艦船だろうが退避することができます。その間に航空攻撃で特に雷撃機で攻撃をして速力にダメージを与えればビスマルク追撃戦のように反撃でタコ殴りにすることもできます。
攻撃をさせる側とすれば、無理に投入して敵中に孤立すればみすみす虎の子の戦艦を失うことにもなりかねません。だから、どうしても躊躇せざるを得なくなります。
アメリカ海軍がガダルカナルをめぐる戦いでサウスダコタやワシントンなどの戦艦を投入しているのはヘンダーソン基地の存在が大きかったですし、強力な航空戦力がない地中海や北海(北欧)の戦いなどでは英海軍は果敢に戦艦を投入しています。それでも、ソ連への支援船団の護衛に戦艦は投入していません。

蛇足すると、日本海軍であまり役に立たなかったのは、大和、武蔵を含めた戦艦に限りません。
まず、いちばん使うところがなかったのが重雷装艦となった北上。軍艦として全く使うところがなく、なんと高速輸送艦としてこき使われました。その他の日本の軽巡洋艦もパッとしません。阿賀野級を除けば対空能力がほぼ皆無で、砲撃力も低く、対潜能力も低い。レーダーやらソナーやらの近代装備はほぼ皆無です。つまり飛行機に狙われても潜水艦に狙われても弱い。アメリカのアトランタ級やクリーブランド級に比べると使い勝手の悪さは特筆ものです。
極めつきは呂号潜水艦です。伊号潜水艦の名前はどこかで聞いたことがあるでしょうが、呂号潜水艦の名前はほとんど聞いたことがないでしょう。伊号潜水艦に比べれば小型であった呂号潜水艦ですが、実は船の大きさはあのUボートとほぼ同じ大きさです(ただし排水量が小さい)。大型である反面静粛性に欠けて騒がしかった伊号潜水艦に比べると大きさも手ごろで使い勝手も好評だったのですが、日本海軍には通商破壊戦という思想がびっくりするくらいゼロだったのでまったく活躍の場はありませんでした。
また日本海軍の駆逐艦の対潜能力の低さも特筆すべきレベルです(まともに戦うとアメリカのガトー級潜水艦に勝てない)が、それはまた別の機会に。
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この回答へのお礼

結局戦艦自体が肩身の狭い時期だったのですね。

図体がでかいのと造られたばかりな分余計に何もしてないのが目立ったのかもしれませんね。

大和以外にも悲劇的な最後を遂げた艦はいますので、大和だけが悲劇のとは言いませんが、いろんな意味で不運な艦ではありましたね。

お礼日時:2011/07/03 08:36

まあ、感情論はぬきにして



使う、という話はありました。ガダルカナルで金剛がヘンダースン飛行場を砲撃した前後で、大和も使おうという案です。

ただ、損傷をうけたらどうなるか。まずアッサリ撃沈は考えにくいので修理、となるでしょうが、当時大和・武蔵を収容できるドライ・ドックは内地に1カ所しかないんです。

泊地での修理という課題は日本側も考量していて、工作艦明石というフネを建造しつかっていましたが、これが有能なフネでしたが1隻しかなく、終始てんてこ舞いなので、外地での大規模修理はまずムリです(ちなみに米軍の最優先攻撃目標は、この明石でした)。

で、内地に戦艦がかえってしまうと、ガダルカナルで米側の戦艦とのパワー・バランスが崩れます。なので、使って損傷し内地送りになるのを望まなかった日本側の事情があります。

ちなみに、作戦行動中の戦艦が航空機「のみ」の攻撃で沈んだのは、

日本 2
英国 2

だけなので、戦艦には戦艦もってくるしか、やはりというか実は対応策がないのです。なので、ガダルカナルでアメリカの戦艦数に対応できる数を維持しておく必要があります。
さらに軍艦というのは戦力にするのに最低3隻は必要なので(作戦しているフネ、港に帰るか現場に向かっているフネ、整備中のフネ)、バランスとりつつ投入、というタイミングもむずかしいのです。

遅い、とか、レーダーがない、というのは枝葉末節なはなしで(撃ち合いのときに全速力は普通だしませんし、二次大戦でレーダー射撃のみのヒット例は3件くらいのはずです)、御家事情であれこれためらっていた、という状況がズルズル続きましたよ、というのがかなり近いと思います。

だから、使うのなら

ガダルカナルで多少の損傷をうけてもそのまま使い続ける決断をするか(責任とる人が必要になりますが)、

水上特攻しないで、北方領土に攻め込んできたソ連に対応・対抗させる、

もしくは、終戦工作の材料、それこそ、ソ連さん大和あげるから攻めないでね

が、役に立つシチュエーションだとおもいます。
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この回答へのお礼

今でこそ言えるけど、当時は何かするにしても色々問題があったのですね。
最大射程距離で命中するだけのレーダーが開発されてたらまた違ったんでしょうけどね。

速度的には同サイズの他の戦艦と大きな差はないように思います。

お礼日時:2011/07/03 08:16

 日本海軍には「大艦巨砲主義」という考えがあり、海戦では大きな砲を持っている方が勝つと信じて疑ったいなかった人が上層部に多かったようです。


 戦艦大和計画はその考えを基に実施されています。
 太平洋戦争が始まり、真珠湾攻撃ではアメリカ戦艦が日本艦載機の餌食となり、マレー沖海戦ではイギリス戦艦が日本海軍攻撃機に沈められました。
 この事は航空機による攻撃がある場合は戦艦同士の砲撃戦にならない事を示しており、「大艦巨砲主義」が通用しない事を自ら証明してしました。この事実を受け入れられない人も多くいたでしょうが、戦艦大和、武蔵に艦隊戦をさせられないと思ったのは確かだと思います。

 戦艦大和の主砲は射程距離が40kmと言われています。動いている船がこれだけの距離で撃ち合ってもまず当たりません。当てる為には接近する必要がありますが、第三次ソロモン海戦でアメリカ戦艦から行われたレーダー射撃の恐ろしさを体験してしまうと、艦隊戦に持ち込んでも有利とは言えなくなりました。

 当時の戦闘艦艇はボイラーで蒸気を発生させてタービンで動かしますから、絶対に動かない場合でなければ停泊していても燃料を消費します。終戦時に作戦行動が可能だった戦艦長門は燃料が無く、曳航して浮き砲台として使う事を考えていました。

 使い道が無くなってしまった以上、あのような最後になるのは不本意ですが仕方が無いでしょう。仮に沖縄へ行かなくても当時の燃料事情から動かない標的艦になってしまうのは容易に想像できます。
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この回答へのお礼

結局は懐具合や情勢を読めずに産まれてしまったのが不運の始まりなのでしょうか。

情勢読めてない政治家が今はいない事を願います。

お礼日時:2011/07/03 08:10

こう言った史実を振り返るといつもむなしくなる。


質問者様の回答に程遠いけど書かせてほしい。

戦争中の参謀本部と言うのは、軍人である前に官僚であること。
官僚の実態は責任を取らないこと。
頭がいい分机上の論理を振り回す。
常に自分たちが不利にならないように考え行動する。
それが官僚の習性であることは過去の歴史からも明らかで、
現在進行中の原発の後始末を見ても理解できる。

参謀本部にいて作戦の指揮を取っていた高官が戦争末期、
フィリピンへ転勤になって転勤初日、高官同士の会話の中で
ミンダナオ島の地名が出たら転勤してきたその高官が
「ミンダナオ島というのはどこかね」
と聞いたという。
当然座は白けたが、実態というのはそんなものなんだろうと思う。

それまで作戦本部にいた高官が、作戦上重要な島の名前を知らずに
作戦を練っていたのが当時の上層部の実態。

大和の最後の出撃も私にはその延長線上にあるとしか思えない。
無駄、無益な作戦で大勢の犠牲者が出たが、その責任は戦後総括されていない。
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この回答へのお礼

いつの時代も偉い人と言うのはそんなものなのでしょうかね。

現場事がわかってないのに命令だけ出す。

どこかの政権に似てますね。

お礼日時:2011/07/03 08:07

大和にどういう活躍を望まれているのかは知りませんが、


戦争の目的が大和を活躍させる事と化してやいないでしょうか?
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この回答へのお礼

そこまでは考えてませんよ。
単純に無駄、時代遅れの象徴みたいになってるので、一つぐらいめぼしい戦果を上げてくれたらよかったのにと思っただけです。

お礼日時:2011/07/03 08:04

不沈艦である事を求められながら、


沈む事を恐れて前線に投入されなかったというお粗末な結果は、
大事にし過ぎて売り時を逃した結果
ただの紙切れになってしまったタンスの中の株券のような物ですね。

ですが、私が思いますにネイビーホリデーを自らぶち壊し、また戦争気運の高まりから
懐具合に合わない大戦艦を三隻も計画実行してしまいましたが、
ランニングコスト的にも相当厳しかったのでしょう。
何せ西洋の脅威からアジアの解放独立とか神国日本の何とか
戦争の大義名分はありますが、大きな理由のひとつは
要するに資源が無い金が無いですから。

そういう意味では大和型は武器では無く大将の為の城や砦に相当すると思います。
46cmなんて飾りですよ。偉い人には判らんのです。

兵器として有効な使い方としては、射程距離は長いものの
距離が長過ぎても有効では無いですし、他の艦艇が短いので、
計画していた海上戦は戦果が上がりません。
巨体の割には足が速いので足の速い随伴艦を集めた艦隊を組んで
敵艦隊に特攻を掛けるとかどうでしょう。近距離で46cm砲を受けたらたまらないでしょうね。
ハエ叩きとバリアは随伴艦に担ってもらいましょう。
後は古来からある、地上部隊の支援砲撃の為の浮き砲台ですかね。

ただ、個人的には大和型が戦時中に全て沈んだ事は結果として(乗員の方達には申し訳無いですが)良かったと思います。
ウドの大木でも米軍には脅威でしたから、あんな物が残っていれば、
核を落とされても帝国軍部には戦争を続行しようとするバカや、
米軍にも徹底的に壊滅させねば気のすまない人がいたと思います。
何せ戦争は人を狂わせますから。
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この回答へのお礼

個人でもいますよね。
経済的に苦しいのに趣味の物に大金使う人。

フェラーリ買ったけど傷付いたら嫌だから軽自動車の方使っておこうと言うようなものでしょうか。

大和も外観といい性能と言い軍上層部の趣味で造ったんじゃないかと思える事があります。

最後も結局は上層部の自己満足な気も・・・。

それに付き合わされた国民や兵隊さんはたまったものじゃないですね。

だからこそ活躍してほしかったと言う気もしてます。

お礼日時:2011/07/03 08:02

・太平洋戦争序盤でそれまでの世界の常識を覆し、航空兵力の艦隊に対する有効性を日本海軍自ら示してしまった。



・機動艦隊に随行するためには大和型は速力が不足。

・そのために、高速戦艦の金剛型が多用された。また、機動艦隊は常に最前線で戦っているため、最古参の金剛型が使われた。

・あくまで大和含め戦艦は艦隊決戦用、不用意に動かして沈没してもらっては困る。

・莫大な燃料を消費するので容易に動かせない。


という感じで宝の持ち腐れとなってしまった。ヨーロッパ方面では戦艦・空母共に最初から想定された役割(戦艦は艦隊決戦用、空母は補助戦力)で戦っていました。
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この回答へのお礼

艦固体でもたら強いんでしょうけど、一隻で勝てるわけではないですからね。

これで電子機器(レーダー等)も充実してたら少しは変わったんでしょうが。

通信を傍受されて暗号も解読されてたのが致命的でもあったのかもしれませんね。

お礼日時:2011/07/03 07:54

ある意味、大和が負ける=海軍&日本の負け と考えてタイミングを逸したということでは? 失敗のパターンとして「too small too late」というのがあります。



大和と武蔵を同時に投入する場面があれば違った結果があったと思いますが・・・それが日本人にとって良かったかは微妙では?
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この回答へのお礼

大和は時代遅れや無駄の象徴みたいにされてますからね。
でも無駄を無駄なままで終わらせたのはやっぱり使い方だと思います。

今の政権もこの失敗を教訓にしてるのかどうか。

お礼日時:2011/07/03 07:50

「もし」と云うならば、大和 武蔵 共に空母にすべきだった。



戦艦は第二次大戦では既に「過去の遺物」でした。

戦艦を上手に運用出来たのはドイツぐらいでしょうね。
(通商破壊に運用した事が良かったと思う)

第二次大戦時の戦艦は航空戦力に余りに無力だったので、陸軍の揚陸援護ぐらいにしか使えないのに「主力」信仰の為に大規模作戦への集中投入が全くと言っていい程なかった。

海軍の艦隊戦と云う考え方が一番足を引っ張ったと思う。
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この回答へのお礼

一番艦の大和はともかく、戦艦ばかり作ったら4番バッターばかりの野球チームみたいなものですしね。

空母や航空機の援護やサポートでも良いからもう少し戦果をあげてほしかったですね。

お礼日時:2011/07/03 07:45

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Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Q戦闘機や航空基地 : どうして陸軍と海軍でバラバラだった?

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理由があったのでしょうか? 陸軍がまとめて防空の構えをすれば事足りるように感じたのですが ・・・

それと、海軍と陸軍でどうして戦闘機の機種を統一しなかったのでしょうか? 

もちろん、戦闘内容が違うので両軍が求める性能を統一するのは難しいのは理解できるのですが、すごく不経済だし合理的ではないように思いました。

たとえばゼロ戦を陸軍も使用するとか、逆に隼を海軍も使用するとか出来なかったのでしょうか?

歴史書を読んでいて、ふと感じたので質問させて頂きました。

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理...続きを読む

Aベストアンサー

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では「イエス・サー」といいますが、海軍では「アイ・アイ・サー」といいます。かように「はい」という答えひとつでも違う言い方をしたがるほど陸軍と海軍はときに対抗します。いわんや航空機の仕様については他の方も回答されているように陸軍と海軍では要求するスペックが違いますから自ずと機種が違ってきます。
それは現在でもそうで、例えばアメリカ空軍が使うF-16と海軍/海兵隊が使うF-18は大きさといい性能といいよく似ています。大きな違いは、F-16が単発エンジン、F-18が双発エンジンという点です。一時期、海軍でもF-16を採用してはどうか、という声も上がったのですが、海上で活動することが多い海軍機はエンジンがひとつ故障(あるいは損害)を受けてももうひとつのエンジンで基地や空母までたどり着ける可能性がある双発機のほうがふさわしいとのことで海軍/海兵隊はF-18を採用しました。しかし実際は長年米海軍とお付き合いのあるノースロップ社の「ロビー活動」のたまものです。

合理的精神の塊であるアメリカ人でさえ空軍(陸軍)機と海軍機の統一ができません。ロバート・マクナマラが機種を統一しようとしてF-111という戦闘爆撃機を作りましたが、これは海軍と空軍の猛反対を押し切って強引に進められたものでした。海軍はよっぽど気に食わなかったのか、何かと理由をつけてちゃっちゃとF-111を退役させました。

今でも、ゼロ戦と隼とどっちが優れているか議論させたら答えは出ませんよ。カタログスペックではゼロ戦が優れていますが、ゼロ戦はかなりクセの強い戦闘機だったようです。じゃじゃ馬だったんですね。それに比べると隼のほうがはるかにマイルドで乗りこなしやすかったそうです。ゼロ戦はホンダ車、隼はトヨタ車みたいなもんだったのかもしれません。

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では...続きを読む

Q何で日本は戦国時代に植民地にされなかったんですか?

大航海時代(日本では戦国乱世の時代あたりですよね?)、何で日本はポルトガルやスペインあたりの植民地にされずに済んだのですか?

すいません、もう一つ。

幕末の黒船来航の時は外圧に負けて開港させられ、不平等条約まで結ばされましたが、他のアジア諸国のように植民地にまではされなかったのはなぜなんですか?

私はまるで歴史ド素人なので恥ずかしい質問ですが、宜しくお願いします。

Aベストアンサー

>大航海時代(日本では戦国乱世の時代あたりですよね?)、何で日本はポルトガルやスペインあたりの植民地にされずに済んだのですか?

イスパニア(現スペイン)とポルトガルは当時、世界で植民地獲得競争を繰り広げていた。

1539 年には、ポルトガル国王ジョアン三世の要請を受けて、キリスト教イエズス会のF.ザヴィエルらがアジアでの布教を始めた。目的は植民地支配である。最初から武力を行使すると味方に多数の犠牲者が出るので、先ず先兵として宗教者を送り込み、現地の人々の心を支配しておけば、植民地支配が容易になる、という目論見でした。この方法は成功しました。ザヴィエルらは、日本においても布教を行うべく1549年に来日し、布教を始めました。

ザヴィエルらが日本へ来て知ったのは、ほかのアジア諸国の人民に比べて日本の人民は教養が高く、さらに戦が強いことでした。

1467年に始まった応仁の乱以後、日本国内は乱れに乱れ、内乱時代(戦国時代)でした。戦国の時代は、武器の発達が進みます。さらに武士たちの武闘能力も向上し、剣術や砲術の力が向上します。戦国時代の日本は、世界で最強の軍事大国だったという学者もいます。

そうした事情を知ったザヴィエルらキリスト教関係者が、本国の王へ「日本を植民地にするのは非常に困難です」といった報告をしたものと思われます。

織田信長はキリスト教を公認しましたが、豊臣秀吉はキリスト教を禁止し、キリスト教関係者を国外追放しました。イスパニア王フェリペ二世の日本征服の野望を知ったからです。

徳川政権もキリスト教を禁止しました。その上、鎖国しました。西洋人は日本を征服するチャンスを失ったのです。


>幕末の黒船来航の時は外圧に負けて開港させられ、不平等条約まで結ばされましたが、他のアジア諸国のように植民地にまではされなかったのはなぜなんですか?

日本も植民地にされ、列強によって分割される危険がありました。それを避けられたのは、

(1)人民の教養が高かったから。西洋の外交官は、江戸の町の本屋の店頭で、女や子供が立ち読みするのを見て、日本は植民地にすることはできないとあきらめました。多くの人が文章を読めたのです。(日本よりも西洋の方が文盲率が高かった。)

(1)武士階級が支配していたからです。清(中国)は科挙に合格した文官が支配する国でした。西洋列強の手が隣国に及んできても危険を感じませんでした。しかし日本の支配層は武官(武士)ですから、清が英国との戦争で負けて香港を割譲したことを知り、さっそく日本もやばいぞと危機感を抱きました。武士の仕事は戦争ですから、国の危機には敏感なのです。

(2)徳川幕府の外交が巧みだったからです。大政奉還と王政復古の直後の慶応3年12月16日(1868年1月10日)、15代将軍徳川慶喜が大坂城に6カ国の公使を招いて接見し、「朝廷は王政復古を宣言したが、朝廷側に内部事情があり、依然として徳川幕府が主権者である」と説明し、政権承認の確認を求め、さらに内政不干渉を約束させました。欧米諸国の目にも、この段階では、三職をトップとする新政府の実力は甚だ脆弱であり、国際社会の承認に値する政権とは見えなかったはずです。しかし徳川慶喜が各国に内政不干渉の約束を取り付けた結果、その後の内戦(戊辰戦争)では外国の介入を招きませんでした。慶喜の側近に国際法を理解していた人材が豊富だったからこその成果と言えます。徳川幕府の大手柄と思います。

>大航海時代(日本では戦国乱世の時代あたりですよね?)、何で日本はポルトガルやスペインあたりの植民地にされずに済んだのですか?

イスパニア(現スペイン)とポルトガルは当時、世界で植民地獲得競争を繰り広げていた。

1539 年には、ポルトガル国王ジョアン三世の要請を受けて、キリスト教イエズス会のF.ザヴィエルらがアジアでの布教を始めた。目的は植民地支配である。最初から武力を行使すると味方に多数の犠牲者が出るので、先ず先兵として宗教者を送り込み、現地の人々の心を支配しておけば、植民地...続きを読む


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