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ガリレオはなぜ光の速度が有限だと考えたのでしょうか?
唯単にそれまでの既成概念をぶっ壊すのが好きだっただけなのでしょうか?

A 回答 (4件)

ガリレオ・ガリレイ。

有名な言葉で地動説裁判にかけられて判決がくだった際「それでも地球は動いている」と言った・・・・というのは実は「ウソ」らしいです。ガリレオ自身、実は凄~~~く小心者で、裁判の際に火あぶりになるのが怖くて、自分の持つ「地動説」を簡単に「やっぱり地球が中心です」とあっさり「天動説」に従順する態度を見せたのですから。「それでも地球は動いている」は後から付け足された逸話みたいなもんです。ガリレオを大天文学者にする為の「作為」とでも言いましょうか。

科学のパイオニアって自分の意見を曲げないお方々が大多数を占めてますが、ガリレオだけは例外です。実はキリスト教会では未だに、このガリレオを「異端児」扱いしており、地動説を唱えた事に対しては許していないんです。地動説がハッキリしてる現代でもです。

ガリレオは確かに優秀な天文学者であった事に違いはありません。しかし自らにかかる火の粉は完全に払い落とす程度の学者で、偉い人が「それは違う」と言えば完全に自分の学説をひっくり返すなんてのは日常茶飯事の事でした。光の速度が有限だと考えたのもその表れでしょう。優秀なんだけど、とにかく何処かが抜けているとでも言いますか。本当の異端児です。ガリレオはその程度の学者です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/03 17:47

既成概念をぶっ壊すのが好きだったというより、


自分の目で確かめないと気がすまない人だったんじゃないですか?

Wikiには
「その業績から天文学の父と称され、フランシス・ベーコンとともに科学的手法の開拓者としても知られる。」
とあります。
実験や観測で間違っている事が証明できるものが科学、確かめようのないものがエセ科学なので、
落体問題や地動説、そしてこの光速(実験は失敗しましたが)などへの態度が評価されたんでしょうね。

ちなみにWikiの後ろの方には
「最終的に、1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオに謝罪した。ガリレオの死去から実に350年後のことである」
私は当時この事を新聞で読み吹き出しました。
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この回答へのお礼

自分の目で確かめなくては気が済まない人
もしかたらそうかも知れませんね(これしか言えませんが)
ニュートンさんが万有引力に林檎が落ちるのを見て気づいたように、何かこれに纏わるエピソードが残されているかな?とも思いましたが、この手のエピソードは後々付け足された物も多いですから残ってないのかも知れませんね。
ガリレオさんは当時、星から来る光の速さを無限だと捉えることに抵抗を感じていた可能性も有るかと思いました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/03 07:41

 既成概念をぶっ壊すのが好きだった、というより、既成概念に代わるものが必要だと考えた、だと思います。

というのは当時、既成概念はぶっ壊れかけていたし、それに代わるものを探したのは、ガリレオだけではないです(温度差はありましたが)。

 ここでの既成概念は、アリストテレス自然学です。それは中世においてキリスト教神学と結びつき、聖書の記述を解釈する基本になっていました。アリストテレス自然学は、生物学的自然観の一つで、例えば地上の物体が落ちるのは、羊が群れを作りたがるように、地球と地上の物体は同種の個体として惹きあう(引き合うではないです)からだと説明されます。一方、天上界(夜空の星々)は、宇宙にいる別の群れなので、落ちてこないし、永遠に夜空を周回するとなります。その根拠は、地上の物体は落ちるが、天上の物体は落ちてこないという単純な事実だけで、これがそのまま地上と天上界の定義になります。
 そうすると既成概念でやる事は、物の性質の分類だけになり、性質の実体視という方向につながります。塩が溶けるのは、可溶性を持つから(可溶性元素で出来てるから)となります。要するに、何でも説明できる訳です。

 ガリレオの時代にはある程度技術も発展したので(じっさい彼は望遠鏡を自作しました)、上記のような説明方法はあんまりではないか?、と少なからず誰もが思っていたようです。また当時、既にコペルニクスとケプラーがいたので、地動説は天文研究者の間では半分常識になっていた、という意見もあります。さらにガリレオ自身は望遠鏡により、月に凹凸がある事や火星に衛星を発見します。折りしもカニ星雲(だったと思う)の超新星爆発も、世界中で目撃されます。既成概念に従わない事実が次々に発見された時代に、ガリレオは生きています。

 ガリレオは数学を選びます。有名な「自然は数学の言葉で書かれている」です。しかしこれも異端というほどの事はなく、詳細な数学解析を通じてコペルニクスは地動説を、ケプラーは重力を発見しています(ケプラーの三法則)。ただガリレオが現代的だったのは、数学的理想化による理論の適用限界を認識していた点です。ここから、数学的結果を検証するという、実験の思想が出てきます。
 彼は数学的神秘主義者であるケプラーとは違います。数学解析によりケプラーは重力を提唱しますが、伝達機構もわからぬまま、ガリレオはそんなものは信じられません。数学の結果は正しいとしても、太陽と地球が訳もなく惹きあうという考えは、アリストテレスへの後退に見えました。ガリレオにとって潮汐現象は、月の引力のせいでなく、地球の公転/自転による海水面の「揺れ」でした。

 潮汐現象の例は、彼が機械論的自然観を持っていた事を示します。つまり力の伝達は、物質や物体の押し合いへし合いによってしか起きない、という事になります。そうすると地球と太陽の間には何か未知の透明物質があって、それが重力を伝える事になりますが、理論の適用限界と実験とを意識していた彼は、曖昧な仮説は作りません。重力の原因は問わず、それを観測事実として受け入れます。彼の落体理論は、惑星の落下でなく、徹頭徹尾、地上の物体の落下を扱ったものです。透明物質を大胆に想定し、同じ機械論的自然観の土俵で、結果が正しくないという意味では大失敗を演じたのが、ガリレオに続くデカルトです。ちなみにデカルトも、火炙りを見た後では、情けないほどトーンダウンしています。

 しかし機械論的自然観は、力の伝達の例のように、作用はだんだんと伝わるという、近接作用の考えを導きます。全ての現象には、伝播速度がある事になります。これに対して、ケプラーやニュートンの重力は、瞬時に届く結果になるので、遠隔作用と呼ばれます。

 地上の現象の中で、瞬時に届くように見えるものに、音や光があります。実験により、光の速度を測ろうとしたのは、そのあたりの事情だろうと、史実を調べて結論する人もいます。
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この回答へのお礼

長文での解答ありがとうございました。
時間についての本を読んでいて、光の速度が有限だと言うところから様々な結果が導かれていたのでそもそも光の速度の事などなぜ考えたのだろうかと不思議に思っていました。インターネットで検査してみてもなかなかその事を論じている物は少なく迷っていたのでとても助かりました。
当時、アリストテレス自然学との分かれ目に機械論的自然観を持っていたガリレオが光速は無限ではないと思ったのは流れからしてしっくりきますね。

お礼日時:2011/07/03 17:44

エーテルです。



凡人は「エーテルは存在しません。」で正しい事を言っいると思い込みます。

ガリレが生きていれば

なら何故光は真空中を渡るのか?
力は何を媒体にして力を伝播するのだ??

と逆に質問されます。
知ったかぶりで「それは次元です。」と答えれば、

それ(媒体)を聞いているのではない!!
それがどう言う振る舞いをして光を伝えるのか聞いているのだ!

まるで答えになっていないではないか!
こう叱責を受けるでしょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC% …

物は空間を伝わりますから、当然速度があるはずです。
恐らく、ガリレオの間違いは、目に見えるような速度差があると期待した事です。

正しければ必ず答えが出るとは限りません。
正しければ罰を受けないとは限りません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/04 19:02

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