プロが教えるわが家の防犯対策術!

個性にも「外見」と「中身」があると思います。
世では、中身の個性のほうを大切にしようという感じですが、よく考えると言葉とか思考とかには個性はないんじゃないでしょうか?

そもそも言葉は伝えるために生まれたわけですから、個性はむしろ邪魔なんじゃないですか?
たいていの日本人には日本語意外通じないし。

で、言葉の組み合わせである思考や知識には、個性がありそうですが、例えば、ここで僕が自分の考えを発表したら、それは自分だけものではなくなりますよね?
伝えなければ意味は無いし。

と、いうことは、つまりは「真の個性」が「唯一」という意味ならば、やっぱ生まれもってのもんが基本ではないですか?

とここまで書いてて、なんか根本的なトコが間違ってる気がします。が、ハッキリわかりません。
どうですか?

A 回答 (15件中1~10件)

あのー、僕も本当に適当に思いつきで書きこんだだけなので、恐縮しないで下さいね(^^;)

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この回答へのお礼

あれ?
気持ち的には、それほど恐縮したわけではなかったんですが、、、
うーむ、文字だけコミュニケーションは難いですな。
顔文字でも不十分。

どーも、お気使いありがとうございます。

お礼日時:2003/11/05 17:52

#13


の人のギロチンは比喩でしょう。

『異邦人』(カミュ、新潮文庫p.118、1942年出版)で
主人公ムルソーがギロチンに付いて述べるという記述
がみられます。それまで、「階段を登って、断頭台へ
あがらねければならぬ」と思っていたそのギロチンは
実は、「ごく単純に、地面にじかに置かれていて、
思ったよりずっと幅が狭かった(中略)機械はそれに
向かって歩いてゆく人間と同じ高さに置かれている。
男は誰かに出会うとでもいった調子で歩いて行き、
それにぶつかる。(中略)ところが、やはり、メカニック
なものが一切を粉砕するのだ。ひとは、わずかなばかりな
羞恥と、非常な正確さを持って、つつましく殺されるの
だ。」

全てのことを客観的に記述しようとした、前近代的な
狂気的な欲求を達成していく過程で、自分が、説明の
出来ない不条理な世界に住んでいるのだということを
忘れていたのでしょう。全てを説明し、所有することは
できても、世界の根源的な不条理からは逃れることは
できないということを、このおはなしは示していると
思います。


と、詭弁を述べてみました♪
(たまたま、今『異邦人』を読んでいたので、書きこみ
ました。)
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この回答へのお礼

フォローまでして頂いてありがとうございます(-_-;)。Evianusさん。
思いついたことを、たとえ下らないことでも即口にしてしまう悪癖持ちなんです。
悪気はないですし、全く深い考えもありません(-_-;)。てゆーかなにも考えてませんでした。スイマセンm(__)m。

『世界の根源的な不条理』ですか、、
僕が感じるそれは、「自分の死」ですね、、、。
あ~あ不条理だ~。

お礼日時:2003/11/03 20:33

すいません、お礼を頂いたのでちょっと追加してみます。



個性の表象として便宜的に3層考えてみるといいと思います。
つまり、
1.身体
2.言語
3.反応

です。1の身体はあなたの実際の身体です。身体の形も個性の
一つだと思います。あなたは男であるか女であるか、モンゴロイド
(東北アジア人)であるか、ネグロイド(南アフリカに紀元を
持つ黒人)であるか、長身か単身かなどなど。しかし、これらは
とても長い時間に影響されていて、あなたの一生ではどうしても
変えられない個性です。
そして、2の言語は、後天的に身に付いたもの。あなたの一生の
初期、意識が発達する前に身に付いた個性で、これは、あなたの
一生で変えることが出来ます。
最後に、3の反応ですが、これはあなたが日常生活を送る際、
その一瞬一瞬に対するあなたのリアクションです。意識しない
うちはそれまでの環境で身についたリアクションをあなたは
行いますが、これは意思をすれば次の瞬間から変更することが
可能です。(小さいレベルからですが。)反応のうちには、
「職種」や「ファッション」なども含まれていると思うので、
これらは変更するまでに長い期間を必要とするかも知れません。


どうでしょう。これで、わかりやすくなりましたでしょうか?
僕はパソコンを例に出してよく考えますが、1の身体はハード
ディスクです。2の言語はOSです。3の反応はアプリケーション
です。つまり、あなたはWORD98だということです^^。
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ども~★ そーサン私よりも頭良いンで、やや曖昧に行きます。


きっと私の思考以上に、物を考えてくれるでしょう。
 (※注). 以下は全くのフィクションですが、私なりの『回答』です『回答』!(笑))
―――

 むかし、あるところに男がおりました。本屋に新しい本が並ぶたびに、男は怒りました。「どーして本は次から次へ出るのか!この世の真理が説明するのに、言葉一つ、本一冊あれば充分じゃないかッ!」男は本屋が大好きなのですが同時に、本屋に行く度に腹立たしくなるのでした。
 ある日、男の家に聖書を持ったおじさんがやってきました。「コレだっ!」男は思いました。俺が新しい聖書を作って、コレ一冊ですべての真理を説き明かしてやろう!……

 男はそれから間もなく6日6晩寝ずに『超・聖書』という本を書きあげました。恋愛のこと。不倫のこと。お酒のこと。老後のこと……男の書いた本は奇跡のごとく人々の心を打ち、聖書にも勝るウルトラベストセラーとなったのです。『超・聖書』は世界3,000もの言語に翻訳され、男は尊敬され、世界の教祖となったのです。

 しかし……それから間もなく悲劇は起こったのです。金も名誉も、そして権力も政界とのパイプも握った男は、独裁政治を始めたのです。男に逆らう者はみな、殺されました。あらゆる国に戦争をしかけました。第三次世界大戦のさなか、終に国内でクーデターが起こり、男は捕らえられたのです。
 公開処刑のギロチン台に男が立たされたとき「なにか言い残すことはないか」と問われたので、男は言いました。

 「この世に真理など、あるものか!」

この回答への補足

個性は「見方」だとも言えそうです。
細かく見れば違いはある。
遺伝子を見れば確率にしても、同じ組み合わせは二度とないならば、明らかに個性です。
莫大な時の成せる業でしょう。

でもそれは、ある見方をしているのであって、細かく見れば見るほど、これからも個性は発見されるでしょう。
逆にピントをゆるめたり、遠くから引いて見たら個性は消えます。僕はテレビで、試合中のサッカー選手は識別できません。

時間も同じで、なにかをしたその瞬間に限ってそこだけを見れば、確かに文句なく個性です。

あくまで「いち個人の個性とは?」などを問題にする場合、あるていど、まとまった枠を決めて、その枠のなかでの違いが初めて個性と呼ばれるものに至ると思われます。

「人間」とか「日本人」とか「個人」は、個性であると同時に枠でもあるわけですね。

時間でいうと、個人の個性が個性的な瞬間を生み、その瞬間の連続がまた個人の個性を作る。

いち個人の場合、「外見」にくらべ「中身」の個性は、なんかボンヤリしてるなんて感じてしまう瞬間があったのは、「外見」はとりあえず膜があって離れてないと都合が悪いのにくらべ「中身」は特にその必要がないからということかもしれません。
僕の目が悪いだけだという可能性も十分ありますが(-_-;)、、、。

以上、さらに個性について考えてみました。
なんとなく、最初のわだかまりが融けてきました。

補足日時:2003/11/01 01:22
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この回答へのお礼

ほんとだー『回答』だ。
よ、読みてぇー『超・聖書』!!
いやワンさん。かいかぶっておられるようですが、僕などぜんぜんアホですよ。たいしたことは思いつきません。

落語ですねー、これ。面白いっす。
この主人公、極めて個性的かつ平凡な人ですね。

毎度ありがとうございます。
最後に・・・
「未来にギロチン台など、あるものか!」



いや、あるかな。

お礼日時:2003/11/01 00:05

僕たちが使っているこの言葉は、僕たちのオリジナルではなくて


何百年もの歴史の産物です。同じように、僕たちの生活様式も、
何千年もの歴史が積み重ねた結果だと思います。その点で、
僕たちには完全にオリジナルな個性はありません。


しかし、「今、この瞬間」にあなたが行うこと。それは、
個性だと思います。つまり、あなたが2003年の10月21日
22時57分にこの質問文を書いたこと。これは決定的に個性的です。
僕が言いたいのは、「個性」というのは反応だということです。
そして、反応は常に起こるわけですから、あなたは常に個性的
だということです。あなたがこの質問文をしたということを
例にとると、それはあなたがわけのわからない「世界」に
対して反応をしたのだと思います。そして、22時57分にあなた
がそのときいた場所から同じような質問を行った人はいない
わけですから、その行動は誰のものでもなく、ただあなただけ
のものです。その点であなたはいつも個性的だと思います。


「中身」と「外見」ということですが、僕もほかの回答者さん
と同じように「中身」はないと思っています。すべてが
「反応」ですから、僕は外側しかないと思っているんです。
たとえば、細胞には細胞膜というものがありますが、この細胞膜は
細胞の中と外を調節してバランスを保つわけです。個性とは
そういうことだと思います。「中身」といって、誰にも触れられない
精神があるという風に思う人もいるかもしれませんが、この
「精神」というのはまったく独立ではないのです。世間には
さまざまな思想や観念があふれていて心は常にそれらの影響を
受けています。よって、「精神」はあなたの皮膚の中にとじこめ
られているのではなくもっと大きく広がりを持って世界と
かかわっていると考えます。(細胞の中の物質はすべて、細胞
の外にあるものからできているんです。)


よって、「真の個性」とは「唯一」のものではなく、常に
環境に対応する、そのシステムだと、思います。
あなたが根本的に間違っていると直感していることは、もしかして
「真の」「個性」が「唯一普遍」と考えているかもしれませんね。

(と、えらそうに書きましたが、ただ、自説を述べている
だけなので軽く流してね♪)
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この回答へのお礼

いいえ、流せません。
・・って、それほど興味深い内容ですから(^・^)
全体的にとてもシックリきました。

そうですね。それはまさに個性ですね。誰のどんな行動も。

なるほど!システムですか!
細胞の話がでてくるとは思いませんでした。
内、外の問題ではなくて、ひっくるめて「機能」している。ということでしょうか。
うーーん、面白い!

ありがとうございます。Evianus様。

お礼日時:2003/10/31 23:43

言葉自体に個性は無くとも使い方には出てきますよね。

例えば自分の事を「おいどん」と呼ぶとする。九州男児なら納得できますが東京生まれの人間が使ったら個性的な気がしませんか?
しかもそれが女性だったらさらに個性じゃないですか? 
考え方にもあるはずです。
「おいどんは東京の生まれの末娘でございます。今年17才になり、来年には選挙権を父上から頂いての選挙参加をしたいと考えております。みなさんも御一緒にどうですか?」
とHRで自己紹介したとして、誰も納得できなければ意見を発表したところで思考の共有はできませんから個性が存在するものだと思いませんか?(変人に収まり個性とすら言ってもらえないかも知れませんが)

思考のみには言葉がありませんけれど言葉を用いての思考結果→考え方や、言葉の使い方などには個性は有り、それは生きながらにして備わるものも有るんではないかと思うのでした。
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この回答へのお礼

共有できないような言葉の羅列は個性的なのに、まったく評価されませんよね(^_^)。
共有できないんだから、あたりまえでがすが、、。
共有するかしないか、共有が起こるか起こらんのかは、かなり曖昧な表現ですが、「社会が決めている」んじゃないでしょうか?

共有がなければ、それは社会にとって、個性以前に「存在しない」のに近いような気もします。
難しいですね。

mukudoriさん、ありがとうございます。

お礼日時:2003/10/29 23:55

♯2で回答した者です



私もNo.8さんが出されたヴィトゲンシュタインの言説を一部拝借しておりますが、柄谷さんも『言葉と悲劇』で創造と言語について面白い考察を展開されておりました。デカルト、スピノザ、広告と批評といったすべての議論の背景に「個性」の問題が見られます。

『論理哲学論考』の名前を見て思い出しましたので、蛇足ですが、書かせていただきました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
深くて広いですね。こりゃ。

お礼日時:2003/10/29 23:31

死ぬ気で、そのゲームみたいなもんをやれるなら。


まぁ、すっきりするかもしれない。
「ま、いつか、スッキリするまでは止めませんが・・ 」
ってゆうか、止めれんのでは(^^。
思うに、君はもう落っこちてる。
 
個性をなくすことと、最初から無いことと、個性があったのに無くなったことと、これらは皆、違う事態の説明です。
特に三者目の場合、裏をひっくり返せば、表ではないってことなんですね。元に戻ったのではないということです。
 
本を紹介しようかーとも思いましたが、一応しとこうかな。
僕、ぱらぱらと、今日読んできたばかりなんですよ。
「論理哲学論考」
すこしタイト(密着)すぎるかなという感もありますが、そんなことを気にしなければ、理解できるでしょう。本文の解説も、訳者解説と、ラッセル解説と二つもあります。
だから、本文が意味不明なら、解説を読んで、それから本文を読むと、わかりやすい。
薄い文庫本で(会社は忘れた)、箇条書きのように進んでいく論文です。
いわゆる、「自分」というものの位置づけも、明確に論理空間においてなされています。
 
で、ことばにも色々ありますが、例えば数字。
2をあげましょう。2に、個性はありますか?
ってなことも、考えれるわけです。
1から2のあいだは、2から3のあいだにはない。
とか、でも、1と2の間は、2と3の間と等しいとか。
だけれども、2は1とは違うし、3とも違う。
2には、2にしかない確たる個性が在るともいえるわけです。
しかし、2は、れっきとしたことばです。
この場合、ことばにも個性が在るといえます。
私が、2もって来てよ。といって、あなたが1をもってきた。
だけれど、あなたにとっての2は、私にとっての1であることも在るわけです。
たまたま、あなたの2と、わたしの2が、意味が壊れない範囲で機能しているというだけとも言える。
 
だから、論理哲学論考の著者は、「論理に偶然は無い。だから、俺は論理で挑戦する。」
こういうわけです。
論理において、「かもしれない」
という可能性は、「ありえること」
つまり、事態として、その存在を認められるからです。
私が、ワニに、猫パンチをさせたという事態も、論理的にはまったくもって、正当なわけです。
 
しかし、ドロップキックはマイナス五匹の砕けた牛乳だぜ!っていうのは、かなり意味不明なわけです。
 
こういうことが何故意味不明なのか、そのようなことも、その本には明確に論じられています。
なんだっけな、論理形式があるということだったかな。
ドロップキックと砕けた牛乳と、マイナス五匹は、その文全体の見渡して、論理形式を共有できないからつながらないわけです。
ありえることは、論理においては事態として存在を認められます。
しかし、意味不明なことは、意味不明のままに転がっているわけです。
 
案外、私達の生とは、-五匹の砕けた牛乳がドロップキックかもしれません。
なんつて(--)。

この回答への補足

>Dragon_Brain様。
文中、お名前が呼び捨てになってしまいました。
打ちミスです。
失礼いたしました。

補足日時:2003/10/26 12:06
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この回答へのお礼

あははははははは
だぜ!ってのがいいですねー(^^)

なるほどー!
すごく面白そうな本ですね。探してみます。
ありがとうございます。
たしかに2は2以外に言いようがないですよね。ほぼ世界共通ですし。その点では個性ありますね。
言葉のなかでも数字はちょっと特別みたい。面白いですね。

いやーDragon_Brainのおっしゃる通りかもしれません。
このまま止めれんのかも、、、(-_-;)

今回「個性」なんてのを疑ったりなどしてるけど、よく考えたら、じつは個性ほど「好き」なものはないわけでして、、、
個性を求めるあまり、その抑制がきかないために、おかしなことになりはしないか?
と考えています。

例えば「論理で挑戦する」のは完全な人為だから、それを自覚してあえてそうするのか、その自覚がないのかで答えも、そして脳みそ自体も、違うものになっちゃいそう。
この本の著者は、あえてそうしてる方っポイですね。

お礼日時:2003/10/26 11:53

♯3です。

「中身はない」派です。我々は何か「中身」みたいなものがあってその思いのたけを言葉にして発していると認識しているが、それはもしかしたら間違いで、「発言・行動」は、「ひざの皿の下をたたくと足があがる」のごとく、「反応しているだけ」なのかもしれない。「意志」なんて実はあると錯覚しているだけで、反応の連続が映画のフィルムのようにあたかも連続しているように錯覚しているだけではないのか?毎度のその反応に統一性なんて確固たるものはあるのか?なんとなく他者の目にうつる発言・行動の傾向を勝手に「アイデンティティ」と呼んでいるだけで、中身なんて実はないのではないかと。「発言・行動」は個性によって決まっているわけではなく、毎度「選択肢」があるわけだから傾向(=個性)は「結果論」でしかなく、個性が行動を決めるのではなく、行動の結果を個性と呼んで分類しているに過ぎない。そしてその分類は主観的かつ相対的なものでなんの拠り所(ものさし)もない。
であるならば、「中身」と言われるものも「容姿」と全く同じで他人に「観察されるもの」であり、結局中身なんてなくて全てをひっくるめて「外見」というべきではなかろうかと。そしてその性質はちょうど服を着るのと同じで「プリテンド」できるたぐいのもので着替えることができる。なので中身の個性と言われているものは実は外見であり(発言・行動されて始めて存在する)、正体としてはちょうど「服」的なものではないでしょうか。「服」の個性は...おっしゃる通り組み合わせだ。そして材料はかぎられている。革か綿か麻か。色は赤か黒か黄色か。又、TPOに合わせる。個性は服だ。
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この回答へのお礼

またしても過激な「反応」ありがとうございます。

個性どころか「意思」「選択」も怪しいもんだと!
映画のフィルムみたいなもんと!
実は、みんな「後付けされた価値観」ではなかろうかと!
いやーとても面白いです。びっくりです。

連続こそいわゆる「自分」ですよね。
で、連続してるように感じてるのが錯覚だとして、それに気づいても、それを「意思」の力で止めることは不可能ですよね?たぶん。
マトリックスじゃあるまいし。
手術でもしないかぎりは。(手術でも無理ですか?)

で、手術で出来ちゃったとして、、、
された人はおそらく、もう「自分」という意識を失くしているわけだから、自分が自分を失くしたということもわかんないんじゃないでしょうか?

となると、そういうものはもう錯覚とは言えないような気もします。錯覚じゃすまないというか。
「そういうもん」としか言えないもの。かな?

いやーすごく考えさせられました。
ありがとうございます。MONKEYMONKEYさん。

お礼日時:2003/10/25 01:16

>よく考えると言葉とか思考とかには個性はないんじゃないでしょうか?



 今ベストセラーになっている 養老 孟司さんの
「バカの壁」という本の中でも養老さんが同じ
ことを言われています。

 個性の教育などというが、本当にみんな
個性的だったら、むちゃくちゃになる
っていうんですね。

 養老さんはもう一歩進んで、マニュアル人間
の何が悪いのか?と書いています。
マニュアル人間はマニュアルがないと何も
できない、個性のない人間だから人間と
してよくないという事が言われますが、
裏を返すと、マニュアルさえあれば、
どんなことでもできる、つまり他人の
指示がよく理解できる人間で、人間
社会の中ではマニュアル人間の存在
のほうが必要だというのですね。

 ただこれは私の意見ですが、
養老さんは、マニュアル人間
の頂点にたつお役人体質の
人材が育ちやすい東大で学ばれた
方ですから、個性の真意と重要性
が理解できないのではと思います。

 昔、音楽家の坂本龍一さんが
確か、誰かの音楽の盗作問題
について語ったときに、自分は意図して
盗作などしないが、それでも厳密には
自分の音楽も90%は過去の音楽家
からの盗作だと言われていました。
 全ては過去からの積み重ねで、
本当の個性の部分はほんの一部
ということです。
 でもそのほんの一部の重要性を
忘れてはならないというのが
要点です。

>例えば、ここで僕が自分の考えを発表したら、それは自分だけものではなくなりますよね?

 情報は共有化されますが、本当に個性ある
考えなら、「だれだれの理論」みたいな
形で残るでしょう。
 アインシュタインの相対性理論は、今では
多くの人に知られていますが、誰も自分の
考えだとは思っていない。やはりアインシュタイン
の考えです。アインシュタイン以前は誰もそんな
考えにたどり着かなかった。

 思想に個性がありえないなら、新しい思想が
生まれることもないはずですから、人間の
思想そのものに進歩はないはずですが、
実際には違います。人間の思想の進歩の
歴史は、次々と生まれてくる(以前にはなかった)
個性的思想の積み重ねの結果です。

 

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106100 …

この回答への補足

個性について、思うことを適当に書いてきてしまったけれど、一つの結論として「個性とは組み合わせである」というのは、どうでしょうか?
言葉の個性とは「言葉の組み合わせ」
思考の個性とは「思考の組み合わせ」
感情の個性とは「感情の組み合わせ」
身体の個性とは「遺伝子の組み合わせ」
そんで
個人の個性とは「人生という組み合わせ」
どんな斬新なものも何かと何かの組み合わせでしかない。

アインシュタインの考えも、たまたま一番のりだったというだけで「アインシュタインの」でなくてもよかった。「名前」が付いてるから完全オリジナルっぽいけどそんなことはない。
もし「名前」がついてなければいような考えならばパクっても全然わからないし。

表現の微妙な違いも「言葉」という形にしたときには、例えば「にゃ」は「にゃ」でしかない。
そこに作者のどんな人生がにじみ出てても「にゃ」は「にゃ」。

と、ここまで無理矢理もってくと、ほんとに「中身」に個性は本当にあんのか?という気になりませんか?
なりませんね(-_-;)スイマセン・・。

しかし「外見」はこんなにもハッキリ個性があるというのに。たしか声さえもひとりひとり違うんでしょう?まさに世に言う「世界にひとつだけの花」

まだまだ意見が欲しいです。
どしどし回答ください!

補足日時:2003/10/23 04:01
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この回答へのお礼

養老 猛さんの本は、前に友人に薦められたことがあって「厚くもないし、そんな難しくない」らしいですね。読んでみたいです。
ベストセラーなら小さな本屋にもあるでしょうか?

たしかに・・みんな個性的になっちゃたらイヤかも・・。
個性的とは、そもそも「共通」が大前提ですよね?
たとえば、サルに似てる人の顔はしばしば個性的と言われますが、人間のなかに本物のサルが一匹まざっていても、サルに「おまえ個性的なヤツだな」なんて言わないです。
容姿も人間ならだいたい同じだからこそ、「個性的な顔だね」とか言うわけで、この場合はふつう褒め言葉ではないですね・・・。

個性ばかり叫ぶのはどっか変だけど、個性も重要なのは間違いないと、、いうことですね。
なるほどー。

apple-manさんご回答ありがとうです。
ためになりました。

お礼日時:2003/10/23 03:22

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