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東北で知事を見下し、ムチャクチャを言った松本竜復興大臣のお爺さんは、解放運動で有名な松本治一郎です。
自分も解放同盟の副委員長の経歴があります。
人権にもっとも理解のある人だと思っていましたがアテが外れました。

【質問】 人権派の人というのは、口で言うことと実際にやることが違うものですか。
(今回のムチャクチャ言ったことは口で言うこと(高邁な理想)ではなく、実際にやったことです)

「松本竜復興大臣おい立ち」
福岡県福岡市出身。「解放の父」と呼ばれた松本治一郎[2]の孫(血筋の上からは治一郎の大甥にあたる)であり、自身も解放同盟副委員長を務めた。実家は養祖父の代からの福岡の中堅ゼネコンの松本組で、弟が社長である[2]。自身も顧問を務める

A 回答 (2件)

父子の親,君臣の義,夫婦の別,長幼の序,朋友の信は儒教の基礎


いわゆる五輪のひとつですね。

一方でこれを唱えた孟子は、無礼な君主の招きを断ったりしています。
当然、弟子から君臣の義に反するんじゃねーの?とツッコミが入るわけですが、
爵位や年功、そして徳という基準が世の中にはあるが、そこに優劣はなく
それぞれ重視され、求められる場面は異なる。
例えば君主には徳が求められるが、徳のある君主というものは自ら家臣の下へ
赴くものだ、と応えています。

つまり、君臣の義や長幼の序という基準は全ての場合において正しいものではなく、
あくまでお互いの役割を認識した上で、お互いの顔を潰さず、
お互いを尊重する手法として提示しているんです。
(大体、何でもいいから夫婦の別を守れ!とか同じ調子で主張しようものなら、
現代のおっさんに命の保証は無くなるわけでして・・・)



つまり長幼の序を根拠に、公衆の面前で相手の不明をなじるような
マネをするのはまったく見当はずれの行為というわけです。
もし、仮に彼らが友人であったとしても、朋友の信には外れた行為でしょうね。


逆に、大臣の1分20秒後に入室した知事に落ち度があったとすれば、
松本大臣バージョンの対応をしなかったことでしょうね。
反省されたのか、翌日知事はこんなこと言ってます。

http://www.pref.miyagi.jp/kohou/kaiken/h23/k2307 …

『松本大臣はそれではだめだということでございますので、今後、松本大臣が
お越しになった際には、松本大臣バージョンの気を配った接遇を
心がけてまいりたいと(思っております)。
他の公務よりもそちらの方を優先したいと思っております。
最後は、私が玄関までお見送りをいたしました。(松本)大臣をお見送りいたしまして、
最後は握手をしてお別れをいたしましたので、(松本)大臣と私の間で
特にわだかまりというものはございません。』

え?いやみに聞こえる?うがちすぎじゃないですかねー。
この会見時には知事も半笑い・・・じゃなかった、にこやかでしたし。



では、本題。なぜ、こういったとにかく何でもいいから長幼の序を守れ!
というような儒教の言葉の表面だけを引用する人がいるのか。

実はこういった人は昔から居て、中国の古典でも腐儒(腐れ儒者)なんて
表現があったりします。儒教という思想は、世の全ての宗教と同様、
組織体制維持に取り込まれるうちに、文言の意味を考えず、体制維持の為に
呪文を唱える組織宗教と化していったわけです。

結果、なんだか意味はわからんけど、いつも唱える呪文だから、
とにかく年長者は偉いんだということになってしまう。
原理原則や中身の部分をしっかりやらず、単語の暗記に腐心する。
こういった、人間の気質(あるいは教育制度)が原因じゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/07/10 08:52

最近、話題になったばかりですね。



「人権派の人というのは、口で言うことと実際にやることが違うものか」
という御質問ですが、これは まあ、何派だからということよりも、まずは、その人によるのだろうと思います。
松本氏ご自身の個性に加えて、情況・状況の如何ということの結果なのでしょう。

関係出身の人というのも、いわゆる「色眼鏡」で見られやすいという現実があるそうですし、それでいて、大した富豪でもあるそうで、内面的には、それらのことが、どう影響しているかは分かりませんけれど、
ただ、もともとは、めんどうみの良い温厚な人物、という定評があったとも聞きますし、そうかと思えば、高校時代から、けっこう横柄な口調でモノを言う傾向だったとも、当時の御友人の一人が おっしゃってたそうな。どちらが事実かは、直接に見てきていない者には分かりませんしねぇ。

ただですね。
本当に「ムチャクチャ」と断じるべき内容の発言だったかというと、これは一概には当たらないのではないかと思われます。

「甘えるところは甘えてきて、突き放すときは突き放す」云々とか「知恵を出さねば助けない」云々というのも、直接の当事者である地元の、それも一般人に向けているつもりでの発言ではなく、知事に対しての「ハッパ」だというのが本意のようです。

しかし、「長幼の序がわかっている自衛隊なら」云々という お説教で、「いいか。」とか「分かった? しっかりやれよ」などというところが、質問者さまも御指摘のとおり、いかにも見下し視線であるために、だいぶ割り引かれて受けとられてしまっているのは確かだと思います。

「最後の言葉はオフレコです、いいですか、みなさん。書いたらその社は終わりですからね」などとも、報道陣に言い放ったそうですが、これなんか、暴力団まがいの恫喝的発言だとして反感を買っていますね。知事にしても、あるいは報道人にしても、一応、時代の前面で活躍するエリート層のなかに属するという見方もありますので、彼らとて、それなりのプライドがないわけではないでしょう。

ところが、これ、実は、松本氏としては、年下の村井知事を庇うつもりでの、報道陣への牽制的発言だったらしいのです。ところが、東北放送あたりがアッサリ放映しちゃったとか、そんな発端ですよね?
また、個人的には、村井氏と親しいのだそうです。

やはり、口調というのかニュアンスというか、言いかたって、バカにならないなと思いました。

まぁ、本来は政治カテの話題なのでしょうが、一応、哲と付くカテゴリーですので、言わば、「ことばの本質とは?」などといった追究が できそうですかね。
「メラビアンの法則」とか。あ、これは、むしろ心理学のほうでしたか。

内容的には、よく分析してみれば、それなりに妥当なことを含んでいるにも かかわらず、尊大さが全面に出てしまって、自ら墓穴を掘ったという典型的パターンと言えそうです。
ですが、実は、そう簡単な話でもないらしいという分析もあるようです。

参照URLのなかで挙げている“ALL MY TRIALS”という歌が、松本氏の「決断」を促したのだとかいう話でしたが。。。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/07/10 08:52

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