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中国人の民度の問題について質問します。この場合の民度とは、国民全体の生活態度やマナー、仕事に対する考え方、性格と言った事を指していますが、中国は儒教の孔子・孟子等の偉人を多く輩出した国であるにも関わらず、現在の中国人の人々は、礼儀などに欠けていて、日本人に比べても、また、世界的に見てもかなり民度の低い国民性であると思います。これは何が原因なのでしょうか?歴史の流れの中で、中国人の民度や国民性は変わったという事でしょうか?

A 回答 (10件)

中国4000年の歴史の中で孔子・孟子の思想が庶民に普及したことは一度もありません。

孔子・孟子は王族・貴族といった上流階級に為政者としての徳の在り方を説いたのです。孔子・孟子が辻説法で文字が読めない民を教化したなどという事実はまったくない。中国は上と下の差が極端に違います。上は政治家・学者・高僧、下は人食い人種というぐらいの差がある。中国4000年の歴史の中で民が文字を読めるようになったのは中国共産党が1960年代に簡体字を制定した後の時代だけです。私たちが歴史や古典で知っている中国人はごくごくごく一握りの頂点の人達だけです。名も無き民は農民反乱を指導した時ぐらいしか名前が出てきません。質問者さんが、「現在の中国人の人々は」と呼んでいる階層は歴史的には農民反乱の時に反乱指導者の後をついていって、暴行・破壊・虐殺・放火・強姦・略奪・殺人を働いていた無頼の徒だった階層なのです。そういう階層は文字が読めないので、当然四書五経など読めないのです。
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>中国は儒教の孔子・孟子等の偉人を多く輩出した国である…


  民度が低いので、この種の偉人を多く輩出したのではないかと思います。
 日本国千葉県では、地区長派と市役所幹部の不正がまかり通り、
  県庁職員も不正に加担しています。

  中国と比べれば、半世紀前の日本の農村は、大差ないと承知しています。
    カラーテレビ普及前は、本当に発展途上国の生活水準でした。
  
  田中角栄首相の「貧乏人は麦飯を食え!」以来急速に所得倍増がなされたのです。

 その結果、在来の農家と兼業農家の間に、モラルや民度の格差が生じたのです。
  警察や法務局も集団暴行や人権侵犯に対応できません。
   「市をひっくり返す大事件だ!」という警部補は、その後不適切な対応があったようで
  担当でありながら、応接できない立場に成っています。
     これは、日本人の民度のバロメーターかも知れません。 
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多くの漢民族以外の人民が 共産党国家という吸込政治の中にいます。

莫大な人口の中国は、日本のような民度という尺度では 計りきれない矛盾や内政問題を考えると、まず コントロ-ル不能(日本で言う常識的な行動・態度)な国家ではないでしょうか。情報世界から来る色んな価値観で国家統制不能な状況になったとき、民度というイメ-ジがはっきり判るかもしれません。恐らく 多くの地方や他民族集団地域等を考えると、日本のような民度という尺度は 全く当てはまらないと思いますね。あまりにも国土の経済格差や地域格差が大きすぎます。
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人民は、孔子とは、生まれ持って異なります。


人間は、教育されないと、民度は高まりません。
これは、中国に限ったことではなく、何処の民族についても言えることです。
半世紀前までの日本についても同様です。
今の中国人の民度と変わりありませんでした。
確かに、一部の企業や政党(共産党だけではなく、国民党なども含めて)の幹部クラスは、優れた見識を持っていますが、圧倒的多数の人民を見ると、猿が、背広や、国民服を着て、うようよ歩いている様な印象を受けることもありましした。
中国人も、義務教育が普及し、国民の識字率が向上するにつれて、民度も改善されて行くことでしょう。
現在の、中国人の民度から、中国人を評価するのは、正しくありません。
まして、彼らと比較して、優越感を感じる事は、馬鹿げていると言えましょう。
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私には中国人の知人がたくさんいて、永くつきあって


います。皆、極めて優秀で知的で行動力があり勤勉です。
それで民度ですが、私は民度を私益と公益を調整する
力と定義しますが、それは確かに低いですね。

中国は孔子などを輩出していますが、日本には孔子は
出ませんでした。
それは本居宣長に言わせると、中国は民度が低いから
その必要があったのに過ぎないとのことです。

それにあそこは君子の国です。
君子の国、とは一部のエリートが支配指導する国だ、と
いうことです。これに対して日本は、大衆のレベルの高さ
で持っている国です。
だから優秀な人は素晴らしく優秀なのですが、それ以外の人
はどうしようもない、という図式です。

中国は易姓革命の国です。
日本と異なり、あそこは政権が交代すると今までのことは全部
否定し破壊してしまいます。
日本は大東亜戦争で価値観が大きく揺すぶられましたが、中国では
あれと同じことが600回行われてきました。
だから人民は、政府など信用しないのです。
つい最近でも、資本主義は敵だ、革命だとしていたのに
今は実質資本主義で、金儲け万歳の国です。
頼りにできるのは、我が一族だけ、自分だけ、という国民性です。

加えて、中国人の思想の根底には道教があることが挙げられます。
日本の思想の根底に神道があるのと同じなのですが、この道教てのは
極めて世俗的で、不老長寿を求めたりする民族宗教です。
まあ、これが原因で漢方が発達したのですが、中国人には聖的部分が
欠如しているのです。
だから個人の欲望を抑える思想がありません。
革命の父と言われる孫文が言っています。
「日本人は米のようだ。握れば固く団結する。
 しかし中国人は乾いた砂だ。固く握っていないと
 ばらばらになってしまう」

中国人の民度の低さは、徹底的な個人主義、それもキリスト教文明圏と
異なり、宗教の制約がない純粋な個人主義に基づくところに
あると思います。
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  (o^-’)bm 


中国籍を持つヒトを中国人と言うのでしょうね。

しかし、中国は広すぎて、北京辺りのヒトと 西域のヒトでは
 韓国人と日本人より違うように思えます。

長い歴史の中で、一時的に中華人民共和国になって共産主義の国になりました。

 しかし、改革が進んでいるようです。
日本も平仮名と片仮名が無かったら、中国の一地方となんら変わりはないと思います。

 香港もマカオも台湾も中国です。
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中国は儒教の孔子・孟子等の偉人を多く輩出した国であるにも関わらず、……


→漢民族というのがもしかしたら、そういう部類のようだったようです。アメリカでいうとインディアンのような民族が、中国でいうと漢民族だったようです。
今、日本をも支配しそうな中国の共産党だっけ?独裁政権とかいう…。
そいつらの祖先がむちゃくちゃな婚姻(漢民族の男性に余所からきた多民族の女性と結婚させ子供を生ませる、漢民族の女性には多民族の男性と結婚させ子供を生ませる)をさせたせいで純粋な漢民族というのは消滅させられたようですね。
最近ではチベット民族でも中国共産党による同じような事が行われています。純粋なチベットの民族をなくそうとしています。
日本でも気づかないうちに、そういう輩が入り込んで純粋な日本人家族の中に中国女性と結婚させ子供を生ませる…その子供は気性が激しく残酷な事件を起こす犯罪者となっているケースが現在、起きています。


うろ覚えで書いてるので、少し違うとこもありますが、もうちょっと詳しくは、多分『純粋な漢民族』で検索するとでてきたかと思いますんで、探してみてください。もしかしたら、チベット関連とかでも出てくるはずです。
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私の知ってる中国人はみんな真面目で優しくて厳しいです。


マスコミとかで見るような失礼な中国人とか会ったことがありません。
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 当時からほぼ100年程前まで中国は普通に人肉を食べていました



孔子も人肉を食べていた説があります
 よく孔子食人説に引用される『礼記』『荘子』には確実な記述はありません
『孔子家語』にはそれに近い記述があります。

 又『史記』にも、飢饉や戦争により食料がなくなると、自分の子を食うに忍びなく、他人の子供と交換したのち絞め殺して食べたという記述が残っています
 唐代以降は人肉食へのハードルが下がったという議論があり、例として引かれるのは『資治通鑑』の人肉の市場価格が二十年で数十分の一に暴落した記録である。 また自らの肉を病気の夫などに食べさせることが美談として称賛され、元代の『事林廣記』には、その行いに政府が絹や羊や田を与えて報いたという記述がある。

 明の時代の李時珍による『本草綱目』人部には、人肉をはじめ人間由来の漢方薬が記されている。特に宮廷を中心として、女人の血から作った薬(仙丹)が強壮剤としてもてはやされた。不妊で悩む世宗の代には、宮女に投薬してまで出血を強要したため、多くが衰弱死したという。 民間では、同時代の『南村輟耕録』に、戦場での人肉食の実例と調理法が多岐に渡って紹介されている。この食事方式を採用した隊では戦果が食事に直結するため、大いに士気が高揚したという。

 清の時代にも依然として人肉食が残っていた。宮廷でもしばしば人肉食が行われ、高官が赤ん坊の肉を好んで調理させた逸話が伝わる。著名人では、西太后が病の東太后の歓心を買うため肘肉を羹に供したという(左の肘に包帯を巻いた上での自己申告であり、真偽は不明)。
  また、古来より凌遅刑(千刀万剐)という全身を切り刻む処刑方法が存在したが、刑場近辺で死刑囚の肉片が食用ないし薬用に供されていた記録があり、廃止された1905年には北京で撮影が行われている。なお著名人が同処刑後に食された事例では、明朝の劉瑾・袁崇煥のものが挙げられる。。

 近代では、文化大革命時にも粛清という名目で人肉食が広西等で白昼堂々と行われていたという報告がある。

 中国人の民度が高いというのは単なる妄想だと思います
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金で買えるものだったら悲しいですね。

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