ちょっと調べものをしているのですが、今度秋に公開される『かあちゃん』で市川崑監督は実にこれで75本目の映画ということになるようなのですが、これ以上に多くの映画を撮った日本人映画監督はいるのでしょうか?それともやはり市川崑監督が最多記録なのでしょうか?

詳しい方ぜひ教えて下さい。。

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A 回答 (1件)

マキノ雅広監督(本名は牧野正唯ですが、正博、雅弘、雅裕と3度され、1990年に雅広と4度目の改名をされました)が、実に261本もの作品をお撮りになりました。

マキノ監督が最多になるのかどうかは知りませんが、商業監督としては、まずトップクラスの本数だと思います。

お父さんの牧野省三さんという方は、日本映画の父ともいえる存在で、大正時代から監督として活躍されましたが、マキノ雅広監督も役者としてかり出された後で、監督に転身しました。『浪人街』(1928)『首の座』(1929)で2年連続でベストワン作品をとり、しかも'28年にはベストテン中に自作が他に2本入ったりしてましたが、それ以降はとにかく大衆に楽しんでもらえるような映画作りに、生涯を捧げた名監督です。早く(作品を)仕上げるために、「中抜き(=脚本の順序通りに撮影を行なわない)」のような事を始めた先駆者で、当初はラッシュを見ても(撮影順につないであるので)筋がわからず、会社ともめたりして大変だったようです。

「映画渡世・天の巻」「同・地の巻」という、非常に面白い自伝がありますので、御一読をお薦めします。
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Qたしか市川崑監督の映画で「題名」が知りたいです。

お世話になります。

今(2012年)から20~30年ぐらい前に、
たしか市川崑監督の映画で、
一場面としておぼえているのは、
「障害を持つ子供が、足の指先で、
 ころがってきた硬貨を、
 器用に挟んで、まるで手のようにつかむ」
というところだけなのですが、
この映画の「題名」が知りたいです。

上記しましたように情報が少ないのですが、
もしご存じの方がいらっしゃいましたら、
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「典子は、今」
制作・監督は松山善三

ではないかと

Q邦画プーサン(市川崑監督1953)のプーサンとは何ですか?

邦画プーサン(市川崑監督1953)のプーサンとは何ですか?

見たことは無いです。ただ、題がプーサンとありますが、プーサンとは何ですか?なにか、気がかりなんですが・・・。ネットで調べても分かりませんでした。

Aベストアンサー

横山泰三さんの「プーサン」と云うのは、毎日新聞夕刊の昭和26年から28年12月29日まで連載されていた四コママンガで、風刺性の強い内容だったようです。

もともと、新聞の四コママンガと云うのは唐突に始まり、あまりキャラクターの説明などをしないものです。

さらに、鼻が大きく禿げているプーサンと云うキャラクターは、ある時は警官、ある時は天気予報官、又あるときは塾の先生だったり、選挙候補者だったり…と、その時々の社会風刺をする為に、色々職業も変化して登場していたようで、作者に言わせると「プーサンは、このマンガを見ている読者一人一人なのさ」と言う事らしい。

市川崑監督の「プーサン」は、この新聞マンガ「プーサン」と、サンデー毎日に連載されていた同じ作者の「ミス・ガンコ」と云う別のマンガのキャラクターを一緒に共演させたもので、プーサンこと野呂米吉を演じたのは伊藤雄之助、ミス・ガンコこと金森カンコを演じたのは越路吹雪でした。

映画でのプーサンは安月給で冴えない受験予備校の数学の講師だったのですが、首になり失業生活に…、ミス・ガンコの方は銀行に勤めている活発で負けん気の強い戦後女性と云う対照的な設定になっています。

この二人のラブストーリーと言う映画オリジナルの展開をベースに、マンガ「プーサン」独特の世相風刺を取り入れた内容になっています。

映画の野呂米吉は髪の毛もふさふさで、マンガのプーサンと外見的な共通点など何もないのですが、当時の再軍備で、きな臭くなって来た時代性を皮肉ると云うテーマ性はマンガそのままだったようです。

映画の中での野呂米吉は、特に人から「プーサン」などと呼ばれていなかったと思いますし、金森カンコの方も「ミス・ガンコ」などとは呼ばれていませんでした。

ですから「プーサン」と云うのは、特定個人の名前と考えるより、この風刺映画全体を象徴するネーミングだったとでも考えた方が良いのかも知れません。

横山泰三さんの「プーサン」と云うのは、毎日新聞夕刊の昭和26年から28年12月29日まで連載されていた四コママンガで、風刺性の強い内容だったようです。

もともと、新聞の四コママンガと云うのは唐突に始まり、あまりキャラクターの説明などをしないものです。

さらに、鼻が大きく禿げているプーサンと云うキャラクターは、ある時は警官、ある時は天気予報官、又あるときは塾の先生だったり、選挙候補者だったり…と、その時々の社会風刺をする為に、色々職業も変化して登場していたようで、作者に言わせると「プ...続きを読む

Q市川崑監督?の甲子園ドキュメント作品

市川崑さんが監督されたと思われる作品のタイトル及び内容を知っている方、教えてください。
甲子園球児のドキュメント作品(映画ではなく)だったと思います。
内容に関しては関連サイトなどを知っていらっしゃいましたら、それも教えてください。
どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2003-09/kaisetsu.html

によれば,1968年「青春」のようです.
「甲子園大会のスポンサーである朝日新聞社に、監督が自ら提案したという高校野球の記録映画。『東京オリンピック』で学んだ分担制の撮影を再び採用し、第50回記念となった大会の進行のみならず、球児たちのひたむきでユーモラスな練習生活にも照準を合わせた。」と書いてありました.

Q市川崑の映画金田一耕助シリーズに詳しい方、または原作に詳しい方、教えて

市川崑の映画金田一耕助シリーズに詳しい方、または原作に詳しい方、教えて下さい。

石坂浩二の金田一耕助映画「病院坂の首くくりの家」について、ちょっと気になっていることがあります。

シリーズのラストにあたるこの作品ですが、それまでの石坂金田一シリーズに比べて雰囲気が全く違いますよね。

舞台が田舎ではないことや、時代がちょっと近代的になってきた?ようなことも理由にあると思うのですが、なによりも今までに比べて金田一耕助本人に影があるというか、金田一が哀愁を帯びてるように思います。

私は原作を詳しく知らないのですが、この作品に至るまでに金田一耕助になにかあったのでしょうか?なにか裏の設定があるのでしょうか?それとも市川監督の中で、金田一という人物に対するイメージを変えるきっかけがあったのでしょうか?

自分の生まれ故郷について青味がかった画面の中で寂しげに話したり、被害者が出たと聞いた瞬間、今までのように「しまったー!」とか言わずにじっと唇を震わせたり、明らかに今までの金田一(石坂さんの)と違う気がします。

映画や原作に詳しい方、ファンの方、なにかその理由や経緯をご存じであれば、教えて下さい。ご存じでなくても「自分はこういう捉え方をしてるよ」っていうご意見も、ぜひお聞きしたいです。よろしくおねがいします^^

市川崑の映画金田一耕助シリーズに詳しい方、または原作に詳しい方、教えて下さい。

石坂浩二の金田一耕助映画「病院坂の首くくりの家」について、ちょっと気になっていることがあります。

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Aベストアンサー

こんばんは。

私は横溝氏を研究してるわけではありません。
映画と小説両方好きなので、私の推測を書かせてください。

この小説は、最初短編として書かれ、途中で横溝氏が病気で倒れます。
で、新たに長編として「野性時代」に連載されました。
物語は2部構成になっており、生首風鈴事件が発生し、迷宮入りになるまでが第1部、20年後、新たに連続殺人事件が発生し全てが解決するまでが第2部となっています。
解決までに20年を要した金田一最後の事件で、この事件の解決をもって金田一は消息不明となります。
最後は何度も書き直し、話がどんどん長くなったと何かに書いてあったのを読んだ記憶があります。

原作の舞台は東京・高輪ですが、映画版では舞台を奈良県吉野になってます。また原作のように一旦迷宮入りはせず、事件発生から解決までが滑らかに流れるように物語が改められています。

その辺りが、雰囲気が違う要因かなと思います。

Q市川崑版金田一耕助のラストシーン

 市川崑版の金田一耕助の場合、ラストに結構な確立で依頼料(必要経費で犯人死んだら報酬は受け取らなかった?)を貰って、しかも細かく金額を言った気がするのですが、その金額はいくらでしたか?

 そして、現在ではどれくらいだったのでしょうか?

 分かる方教えてください。

Aベストアンサー

「犬神家の人々」では礼金が3500円、必要経費が427円でした。
ちなみに昭和22年ころですね。


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