『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜこれほど人々を魅了するのか

時代劇をみていてふと思ったんですが、
豊臣秀吉の頃の武士のちょんまげは髪を根本でくくりピントのびたようなものでした。
大河ドラマの宮本武蔵を観ていても同様です。
それが水戸黄門や他の時代劇になると
髪が頭の上にちょこんと乗っています。
これはいつ頃から、また何かきっかけがあったのでしょうか。
気になって仕方ありません。
ご存じの方是非お教え下さい。

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A 回答 (2件)

こんにちは!



お尋ねは「銀杏髷(いちょうまげ)」、又は「二つ折り」の事だと思います。

髷の大きさにより「銀杏」、「大銀杏」、「小銀杏」とあり、身分が高い程、髷が大きくなる傾向です。将軍や力士のそれは「大銀杏」になるかと思います。秀吉のような茶筅(ちゃせん)髷?が江戸時代には銀杏髷になったのは時代の流れだと思います。あえて言うと、江戸時代に幕府が江戸に開かれ京の朝廷との交流が稀薄になったことで、烏帽子のような正装をする機会が少なくなり、烏帽子を被る事の出来る髪形(頭上一髻、茶筅髷)を結う必要がなくなり、結果より手軽な銀杏髷になったとも考えています。逆に京の公家は江戸時代になっても平安時代から続いている髪形のままです。

あと、頭頂部を剃り上げる「月代(さかやき)」は意外と歴史が古く平安時代末期の武士が台頭した頃に始まったようです。本来の月代は、武士が兜をかぶった時に頭が蒸れるのを防ぐ為にありましたが、室町時代には町人階級の男性にも広まりました。

http://www.remus.dti.ne.jp/~tshioiri/kurashi.html

http://www5a.biglobe.ne.jp/~system/kami.htm

http://www.f7.dion.ne.jp/~seiko.mo/p.b.fasion.html
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
髷が変わってゆくのはやはり時代の流れ、流行ということでしょうか、
ではこの流行の伝承者は一体誰なんでしょうか、
旅芸人や参勤交代で江戸を行き来した武士達から時代の流れをくみ取っていったのでしょうか。
今の時代のようにマスメディヤが発達していない
世の中に全国的に統一されていった髷文化に限りない興味がわいてきます。

お礼日時:2003/10/30 18:07

髷にも、時代によって流行があったようです。


詳しくは、参考URLをご覧ください。

http://www.cosmo.ne.jp/~barber/kamigata.html

参考URL:http://www.cosmo.ne.jp/~barber/kamigata.html
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この回答へのお礼

髪の形にもいろいろあるんですね。
徳川吉宗が結っている髷は何というやつなんでしょうか。

お礼日時:2003/10/30 08:26

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Qちょんまげについて

ちょんまげの髪型ってそもそも、誰が考えたんでしょうか?それでなぜみんながやるようになったのですか?あとちょんまげをやめようという事になったのはいつごろなんでしょうか?よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

 いわるる丁髷(ちょんまげ)の起源は、平安末までさかのぼる。丁髷は月代(さかやき)をして結う。月代は頭の中央まで丸く剃るか、または抜いて落とす。元々、兜(かぶと)をかぶった時、頭が蒸れてのぼせ上がるのを防ぐために起こったという。始めは合戦の時だけ剃った。しかし、室町時代になると、烏帽子(えぼし)が捨てられ、これまでのたぶき(俗にいう茶筅(ちゃせん)髪)に代わって、武士はもちろん、庶民の間でも行われ始めた。応仁の乱後は月代も次第に大きくなった。また、髪にも変化をつけ、年齢に応じても、形に差があらわれた。装飾としての意味が大きくなったのである。

 江戸時代には青年になると、それまでの前髪をやめて、武士も庶民も丁髷を結った。髪の大きさや形は、身分によって差があった。髪の薄い人は入れ髪をし、禿げた人はカツラをかぶって体裁をととのえた。のりではりつけるだけの簡単なカツラもあったようである。

 1871(明治4)年9月23日、『散髪勝手たるべし』の布告が出てから、ちょんまげを結う人は次第に無くなった。


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