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奈良時代・平安時代に教義上、「七堂伽藍」が必要である、という考えはありましたか。
誰かが、紀行文で言い出したような気がしています。
おかしいと思ったのは、鐘楼が七堂伽藍の一つに入っていることです。
鐘の役目は「坊門開閉などの時をつげる」と手元の本には説明されています。
鐘には、もっと重要な役目が本来あるのかも知れませんが、あれば教えてください。
何か数合わせのために「鐘楼」まで入れて「七堂」にしたような気がするので質問しました。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

http://www.sino-platonic.org/complete/spp182_gua …
これによれば、宋朝での禅宗の成立と関係あるようです。

Tang dynasty qielan layout differs from that of the Song dynasty. This term is now used mostly in association with Chan monasteries of the Song dynasty. The seven buildings in the Song dynasty Chan monasteries are。。。。

道元禅師のお経のCDを前に聞いたのですが、まぁ規律が厳しいというか、朝はあれをやれとか掃除の方法はこうだとか、そういう規律正しい修行には時間が必要かと思います。
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この回答へのお礼

ご教示ありがとうございます。
どのようにすれば、こんな論文を見つけることができるのですか、びっくりしています。
技術英語なら少しは読めますが、この論文は悪戦苦闘です。
が、なかなか面白いです。
この論文では、七堂伽藍に「鐘楼」は入っていませんね。
「clock tower」という名の建物が2箇所ほど出てきますが、何の説明もありません。
「東司」「浴室」は七堂に入っています。
日本でも禅宗寺院では、七堂に鐘楼を入れるのは、私の手元の本では少ないです。

しかし、「七堂伽藍」が宋朝の禅宗の成立と何か関係がありそうなことが分かりましたので、
十分満足です。
もちろん、修行で、時間が大切であることはよく承知して質問しています。

お礼日時:2011/08/08 20:48

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>奈良時代・平安時代に教義上、「七堂伽藍」が必要である、という考えはありましたか。

飛鳥時代、奈良時代から発展していきました。
当時の「七堂伽藍」で共通なのは、左右対称、南に大門、真北に金堂または塔を配し、全体を回廊で取り囲む様式ででした。
この配置は、都のミニチュアを模したものでした。南大門は羅城門(らじょうもん)、金堂は皇居(内裏・だいり)にあたり、そこに本尊が安置されました。


>>鐘には、もっと重要な役目が本来あるのかも知れませんが、あれば教えてください。

当初の目的は「煩悩」(ぼんのう)を払う目的でした。つまり、「除夜の鐘」のような役目でした。しかし、次第に「刻を告げる」役目へと変遷していったのです。
従って、取ってつけたように「鐘楼」を入れた訳ではなく、「七堂伽藍」では重要な役目だったのです。
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この回答へのお礼

いつもご回答ありがとうございます。
鐘の音を「聞く」と煩悩を払うことができるということですね。 なるほど。
聖武天皇が、できるだけ多くの民に
有難い「鐘の音」を聞かせてやろうということで、各地に国分寺・国分尼寺を建て、いま思えばあんなにバカでかい鐘を作らせたのだ、と理解できます。
東大寺の鐘は天平時代のもので、口径270cmもありますから。
それが次第に「刻を告げる」役目へと変遷していったということは、お寺は民衆へのサービスを始めたのかな、と思ったりします。

山岳仏教のお寺、例えば西国三十三観音霊場は、人里離れた山中にある寺が多いですが、そこでは鐘の必要性は低いですね。
三十三観音霊場のお寺は、天台宗、真言宗が多いのですが、これらの宗派の七堂に「鐘楼」が含まれないのに、妙に納得しています。
多分、私の推論は間違っているでしょうが。

ご回答からヒントを得ていろいろ想像できます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/09 20:31

時をつげる これほど重要な事が 他にあるでしょうか 時計も何もなかった時代ですよ


町は木戸でまもられ 鐘の音で木戸が開けられ 木戸が閉じられていました。江戸時代 世界一治安が良かったのは木戸に門番がいたり 道路には関所が設けられ 不審物の出入りを禁じていました。
寺には 線香を
渦巻きのように箱に入れ 角角で一時ときめて時を眺め 鐘を突いて町中に時を知らせる 寺にはその役目が一番重要だったのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
鐘を撞いて「時」をつげることが、重要であるとは思います。
しかし、それだけではなく、
「鐘を撞く」ことが何かの供養になる、というような釈迦の教えはありませんか。
お寺は総合大学みたいなものですから、天文、工学、土木など広範囲に最高の知識・技術をもっていたと思います。
口径2mを超す巨大な鐘を作った理由としては、技術を継承するとか、技術水準の高さを誇示するとか、の意味があるのではないか、と思っています。

禅宗では、七堂に鐘楼を入れず、東司や浴室を入れています。
平安仏教の代表である天台宗や真言宗では、鐘楼を外しています。
ただし、真言宗の一部には鐘楼を入れていますが…。

お礼日時:2011/08/08 10:50

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