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私はよくズボンを可能な限り上げて履くんですが、その事に対して今日、友達の友達から笑われてしまいました。
しかも、どうやら友達も以前からずっと私のズボンが気になっていたのにも関わらず、言えなかったそうです。

そんなにおかしい事ですか?
なんでズボンを上げたらダサイんですか?
靴下が見えるのがダメなんですか?
じゃあスソを伸ばせばいいんですか?
ズボンを上げて履いたらダサイって誰が決めたんですか?

まるで自分の存在が否定されたような気分になりました。
とても悲しい気持ちでいっぱいです。

A 回答 (7件)

ローライズでも無いズボンを下げて履くなんて


はっきり言ってみっともない

僕ならその場で
「もう、ズボンもちゃんとはけないなんて、まるで子どもみたいですね」
と、わざわざ上げてやります

大人から見れば、ズボンを下げて穿いてるヤツは
頭空っぽの、友人にすらなりたく無いやつです
それの何が格好良いのか。400字詰めの原稿用紙2枚以内に
分りやすく書いて説明しろって言うんです

それと
あなたもズボンを上げすぎないように
限度、というものがあります
ズボンの裾はくるぶし辺りです
それ以上は「なにそれ?」と思わせますよ
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この回答へのお礼

皆様の暖かいご回答、痛み入りました。
ちゃんと自信を持ってズボンを上げていきたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/08 21:03

30・男です。



>私はよくズボンを可能な限り上げて履くんです

「可能な限り」ってどの程度なんでしょう・・・。
ズボンのはき方はその人の好みですし、どうはこうが
迷惑は掛けないので、「馬鹿にする・笑う」ってのは
良くないですね。それで良いと質問者様が思うのなら
「ダサい・ダサくない」に関わらず、直す必要はありません。

因みに・・・
文章だけでは伝わりにくいですが、その辺に普通に
歩いている男性の中には「腰ではいてる人(若者)」と
「普通にはいてる人」、「上げ過ぎな人(アキバ系?)」と
います。

ダサいダサくないの話をしたら、三番目のはき方は「ダサい」
です。まして、普通に「立ってる」状態で「靴下が見える」としたら
余計ですね。それは、「誰が決めた」って話ではありません。
誰かが「これはダサい、アレはダサくない」なんて決められるん
であれば、アパレルの「デザイナー」は苦労しませんから。
あくまでも「大多数の人がそう思う」という、「社会通念」とか
「一般論」とかの話です。


結論、質問者様が「気にする」のであれば、腰ではく必要は
なくとも「普通」にはけば良いですし、すそを伸ばせば良いです。
ただし、「これは自分の個性だ」と言うのなら、そのままで良いと
思います。
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ファッションとして考えた場合に、どれが正解なんてのはありません。


あるのは、ファッション業界が仕掛けた流行という名の虚構だけです。
それに乗っかるのも乗っからないのも個人の自由。
たかがファッションでしょ、そんなことで存在を否定とは大げさな。
ただ、似合ってる似合ってないというのはあると思います。
似合ってさえいれば、別に他人が何をどう思おうが気にする必要はありません。
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流行とはそういうものです。


「今自分たちがしていることがかっこよくて、それ以外はダサい。特に、少し前まで流行っていたことは特別にダサい」
これが流行というものの定義だと私は思います。

「弊衣破帽」という言葉をご存じですか? 明治だか大正だかの頃のバンカラ学生さんたちが好んだスタイルだそうです。破れたマントや学生服に、破れた帽子。オレは身なりなんかかまっちゃいないぜ、中身が大事だからな、ふっふっふ。そんな気概を表現していたつもりなのでしょう。
そして今から40年ほど前。質問者様の生まれるずっと前だと思いますが、膝が破れ、裾もボロボロのジーパンが流行しました。
今また「ダメージジーンズ」とかいって、あちこち破けたのが流行ってるんですって?

ジャージもそうです。ストレート→ラッパズボン型→裾にゴムが入ったの→ストレート…をぐるぐる繰り返しています。
おじさんはこの間、20年ほど前の、裾にゴムが入ったジャージを履こうとして妻に叱られました。今はそれじゃない、と。

流行に関しては「正統派」よりも「多数派」が発言権を持っています。少数派は多数決で負けて「ダサい」と言われてしまうのです。今の質問者様は少数派なのです。

しかし! 屈するな、青年よ。流行に乗って、多数派の一人になって、自分を見失うな。ダサいと笑うヤツには笑わせておけ。
流行に乗るからダメなんじゃない。多数派に入るからダメなんじゃない。「どうしてダメなんだ?」と考える、そんな自分を曲げるからダメなんだ。自分を曲げるヤツは、一生そんなスタイルでしか生きられない。

服装にしろ、他の何にしろ、自分がこうだと信じることを貫き通せる、ということも、人間としての魅力の一つ。

ただ、どうでもいいこともあるわな。服装なんて何がどうなっててもいいわ、シャツは出すほうがいいの?ふーん、じゃあ出しとこう。ズボンはずらした方がいいの?ふーん、じゃあずらしとこう。それでもいい。
ただ、それは、どうしても譲れない、曲げられない部分がある人に限ってのこと。ここは譲りましょう、でもここは譲れません。そんな区別がはっきりできていることも、大人の条件。

ガキんちょに笑われたって、大人ならななんともない。「ああ、こいつら、まだ子供だからな」と思うだけだ。
君はまちがっていない。だから悲しむ必要もない。
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質問者様はかなりおこっていますね



わたしも、身内の者でしたらその場でいいます

うーん。
仲のいい友人なら言うかな

1950年代のたとえば
「ローマの休日」あたりの映画を見ると
主演グレゴリー・ペックなどは
ズボンを思いっきり上に上げてはいていますね

まわりの男性も同じです

もちろん裾は靴の上に乗っているくらい長いですね

誰かが決めたことではなく、流行です。

今ならちょっとかっこ悪いと思います。

そんなことが前から気になっていたので
以前に、ファッションデザイナーの方に
ズボンはいつ頃から腰あたりでベルトをしめるように
なったのかを、聞いたことがあります。

何か大きなファッション革命、もしくは
有名人、もしくは映画などで、
だれかズボンをさげてはいて流行したのか
聞きたかったのですが
その方は即答はされませんでした。

下着のパンツが見えるように
ズボンを下げてはいている人がいますね

あれだって最初は評判悪かったですからねえ
今もですが

あれは、アメリカの刑務所に入っている連中は
ベルトをしてはいけないので、ズボンが下がる
務所内の囚人の、ファションを真似しているんですね

だから、アメリカの大人の人たちは
囚人みたいな真似をしてというので
嫌われました

俺はこれがいいのだというのでしたら
それで通せばいいのですよ

それが案外かっこよければ
みんな真似するかもしれませんよ
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初めまして、50歳男性です。



ズボンを上げることによって、歩きにくいなどの弊害があれば
別ですが、機能的に問題なければ、後はファッション
(見てくれ)の問題です。

ファッションは個人の感覚です。
「個人の感覚に口を出すな!」といえばいいと思います。

一時期、下げパン、腰パンが流行りました。あれは、だらしなく
見せることによって、予め評価を下げておき、その後に、
「なんだ、こんな良い所(能力)があるじゃない」と評価が
上がることを目指したものだと思います。
一種の自己防衛です。

それと同じように、ファッションを統一して集団で身を守ろう
とする現象はよく見られます。ルーズソックス、ネイビーソックス
などそんな一例です。
自分に自信のないところからきています。

自分に自信のある人ほど、服装は気にしないし、また、人の評価も
気にしません。
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世の中の人を見てみてください。


ズボンを下げているのはすねっかじりなのに生意気そうな中高校生だけです。
大人でそういう人はいますか?

世の中の大人は、ズボンを下げているお馬鹿さんのカッコ良さはまったく理解できません。
逆にあなたのようにズボンをしっかりと上げて穿くの見ると清々しさを感じます。

何も変なことはありません。
否定されたなんて思わず・・・させたい奴にはさせておいて・・・もっともっと自信を持ちましょう!
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