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私は中学2年生の男子です。あまり実感はありませんが、思春期と呼ばれる年頃です。

最近、毎日毎日、すべての人に必ずやってくる「死」について深く考えてしまい、ため息ばかりです。
以前、小学校4,5年生の時も「死」について深く考える時期がありました。その時は時間が立つにつれてその悩みは消えて無くなりました。そして、また今、「死」についての深く考えるようになりました。でも、小学校の時とはちょっと違った感じです。

小学校の時は漠然と死にたくないな。という気持ちでしたが、今は「死」とは何なんだろう?死んだらどなるんだろう?「無」になるのかな?「死後の世界」はあるのかな?「生まれ変わり」はあるのかな?先に死ぬ家族とは再開できるのかな?今、勉強していることは死んだ瞬間に「無」になるのかな?そして、死にたくないな。小学生の時より科学的な事が少し、理解してきてその悩みが深いものになりました。

1週間くらい前からずっと悩んでいます。この「教えてgoo」にも「死後」に関わる様々な質問をしました。

この悩みは「思春期」という時期的な悩みなのでしょうか?

何をしている時も心の片隅に必ずこの悩みがあります。

そして、必ず来る家族との別れのことも考えてしまいます。

このような事を深く考えてしまうのは思春期の時期的な悩みなのでしょうか?

同年代の皆さん、貴方はどうですか?

大人の皆さん、そんな時期はありましたか?

詳しい方、この悩みは思春期には誰にでもある悩みなのですか?

そして、いつかこの悩みはなくなるのでしょうか?

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A 回答 (4件)

こんにちは



その問題は思春期の時は誰でも考えると思います。大人になったら忘れる人もいるし、大人になっても考えてる人もいます。この先この問題に解決というか自分なりの納得する答えが出てきたならばもう悩まなくなるかもしれませんが、納得できないのならなかなかこの考えを自分から消すのは難しいとおもいます。
ちなみに私も思春期の時に考え始め、今なお考えてます。ちなみに20歳すぎてますが。

この問題に興味があるなら質問者さんがしてるように、色んなとこで質問したり、それに関する本や小説、映画などを見るといいと思います。今まで予想もしなかった何かを見つけられるかもしれませんよ。

この問題と向き合ってると否定的になりがちですが、考える事も楽しみながら探索していけばいいとおもいます。
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思春期は、子供から大人になる時期と重なっています。

身体も心も大人になるという意味ですが、主に「心の問題として」答えてみたいと思います。

その前に人間の心と他の動物達や生き物や植物との違いを書いて見ます。

動物にも植物にも「命」が在りますが、その命はその命を「働かせている者の存在から」成り立っています。言葉を換えて云うなら「命を働かせている意思」が生きとし生きるものには備わっている」という意味です。

その者の存在するお陰で「命が芽生えた瞬間から細胞分裂」が始まって生命が芽生える事を意味します。

その者を「遺伝子」という言い方も可能かもしれませんが、兎に角そういう者の存在を抜きにしては命を語る事は出来ません。

桜の種類によって咲く時期や色や形までも再現する働きです。動物や昆虫でもその種によって行動も形も全て備わっています。その者の働きを仮に「命の働き」と云う事にしておきます。

人間にも当然備わっている者です、その者は生命として「芽生えた瞬間から」働き始めています、初めの働きが細胞分裂と云う事になります。

誕生した時には、泣く事も笑う事も、不安と云う事も恐怖と云う事も安心する事も全て備わっている働きです。身体に関しては腹が減った事や喉が渇いた事も全て知っていて、心臓の働きも呼吸する事も、ホルモンの調節も、腸の働きも全て行っている者です。この者を「命の働き」と先に書きました。

植物や他の生物達はこの働きのままで生き続けています。これ以上の成長はないという意味です。

処が人間にだけ在る脳の働きが在ります、それは「意識する事」です。人間にだけ備わっている「意識」が文明を発展させ源動力となって、人間を万物の長にまで押し上げてきたという歴史があります。

処がこの「意識する事」によって人間は苦しみが始まっています。この苦しみが「人間苦=罪悪感=業」と云う事になります。意識が人間に重い十字架を背負わせているという意味です。

聖書に書いてある言葉「失楽園」には、人間の脳の成長の完成という意味が含まれています。知恵のりんごを食べたという意味は、何事にも疑いを持ち始めたと言う意味があります。今までは何の疑いを持たなかった事に「意識する事で」疑いを持つという意味です。

この意味は脳の機能完成によって「意識が芽生えた事」を云っています。今までは「命の働きの意志」の命ずるままに生きていました。何の疑いも持たない状態を「天国」と形容しています。幼子こそ天国に一番近い存在という意味です。

思春期頃から人間は何にでも疑いを持ち始めます、人生とは何なのか?自分は何者か?死とは何なのか?という疑いを持ち始めるという意味です。この疑いが強くなった場合「苦悩する」事を意味します。

それが人間苦の始まりと云う事になります。悩みや苦しむと云う事は「二つの考え方の違いに苦しむ」という意味があります。宗教家が無情を感じて出家する年頃が思春期頃です。貴方が悩み始めた年頃です。


それは人間の左脳の機能が完成した事を物語っています。「命の働き」と全く別行動を取り始める事を意味します、つまり心が二つになって相争う現象を「悩みが始まる、或は苦しみが始まる」=天国から追放されたと言っています。

人間苦とは「心の矛盾」を感じている事を意味します。「命の働きは」思春期頃「意識」が芽生えた頃には「無意識の底に沈んでしまい」意識には分からない存在となっています。この事から「心を病む事」の原因が分かり難くなっています。

失楽園と言う意味は「二つの意識の間に矛盾が生じた」と言う意味です。この事を脳の機能完成と言う現象で説明すると分かり易いかも知れません。

主に右脳と左脳の機能と云う事になりますが、左脳には自我意識という人格が存在しています。この者は言葉で全てを行っている人格です。従って言葉になら無いものを理解出来ない者と言う言い方も可能です。

右脳の人格は「無意識の意識」として存在しています。人間は意識が無くなった事を意識出来ない事から、自我意識には「無意識の人格」は知る事は出来ないというシステムで構成されています。

右脳の意識は「命そのものを働かせている意識」です。身体全部と心と行動の全てを取り仕切っている機能から成り立っています。目にゴミが入ろうとした場合瞬間で目を閉じる事を目に命令しているシステムです。

心臓や肺や腸などやホルモンの調節もこの者の支配下に在ります。行動する場合にも、命の危険が伴う場合「自我意識を指し抜いて」この者が身体と心を一時的に支配しています。火事場のくそ力と言う場合です。急ブレーキを掛ける場合等にも云える事です。

人間の生活が上手く成り立っている場合「意識の根底で、どちらの意識の出番かが、上手く調節が取れています」その交替制が崩れた場合を「病む」と言っています。

その交替制が「行動する場合」に崩れた時、神経症と言っています。

その交替制が「身体機能」において崩れた場合を、自律神経失調症と言っています。

その交替制が「心に及ぶ時」心を病むと云っています。

三つの病状は全く違って見えますが、根本は同じです、心の矛盾を何処に感じているのかの違いだけです。自我意識にはその機能がないにも拘らず「自我意識が出来るもの」と勘違いしてしまう事を言っています。

これ等の解消がキリスト教においては「神と和解する」です。もう少し噛み砕いて書くなら「内在する自身の識られざる神と和解する」です。もっと分かりやすく書くなら、「生まれる前から働いている自分自身の働きと、自我意識が和解する」という意味です。

この事を仏教の文献から探すなら「自分自身を知る」=「見性」=「悟りを開く」と云う事を意味します。

そして、いつかこの悩みはなくなるのでしょうか?

と言う答えは、貴方が悟りを開いた時に解消します、と云う事になります。

そのためのテキストが在ります。「禅」です。

禅が生まれた中国では今から60年も前にはもう廃れていると、鈴木大拙博士はその著書に書いています。キリスト教社会でも教会離れが進んでいると聞いています。

そうして精神科医の元に迷える子羊が集合しているように見えます。処が精神科医達は「心を病む原因はまだ分かっていませんが、治療をするなら直ります、早期治療が有効です。と言っています。

原因が分からないのに如何いう治療があるのかと疑問ですが、薬が処方されていて長く飲んでいながら、寛解にまで達する事が出来ない人達も大勢いると聞いています。

心の矛盾の解消が全ての完治となります。
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ありました。



私は中学時代「死」を考えて、夜中に何回も起きました。
そして同じ夢を、何回も何回も見ました。
ずーと遠くに光が見えるんだけど、長い長い階段を上って上って行っても、その光にたどり着けない恐怖感です。
たぶん、生きてるから、本能的に死を考えるんだと思います。

で、そのうち忘れます。
現実世界が忙しいから。

死は何?なんて、答えられる人は誰も居ません。
でもいろんなその手の本を読むことは、参考にはなります。
その中で、ピン!と閃くものに出会えれば、ラッキーです。

池田晶子の「14歳からの哲学」お勧めします。
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 思春期に死について考え込んでしまう事は別に珍しい事ではありません。

ごく普通の事です。

 思春期の少し前、あるいは思春期の始まる時期というのは、まず「自分」というものの存在に気付きます。所謂、自我の目覚めという奴です。
 他とは違う「自分」に気付くと、当然のように「自分以外」のことも気になります。それまで意識していなかった「自分」と「自分以外」の関わりについて意識するようになるのですが、それまで自然に考えもしなかった事を初めて意識するので、どうしてもぎこちなくなります。
 「自分」をどう扱うか?「自分以外」をどうとらえるか?それらとどう関わっていくか?
 それらを不器用に、様子を見ながら、色々試したり、少しずつ確認したりしていくわけです。そこで様々な事に気付き、いちいち一喜一憂する。そうした成長過程が思春期です。

 そこで「自分」というものを意識する時、どうしても「死」というものを意識してしまいます。「自分」というものは生きているわけですし、これからも生きていくわけです。
 「自分」と「自分以外」の関係をどう気付いていくか?とは即ち「どう生きていくか?」です。「生きること」を考える時に、その対極である「死」に考えが及ぶのはごく当然のことであり、「生きること」を考えれば考えるほど「死」の存在は大きく感じられてしまうのです。
 「死」について考える事は決して不健全なことではなく、「死」に対する興味も関心も無しに「生きること」を考える事は不可能なのですから、無意識に「死」について考え込んでしまうのも当たり前の事なのです。逆にあえて「死」について考えることで、同時に無意識に「生きること」を考えているのです。

 したがって、あなたが「どう生きるか?」という答えを導き出せた時、「死」についての悩みは消えるでしょう。「どう生きるか?」の答えは明確ではないかもしれません。むしろ明確に一つの言葉にすることのできるような人はごく少数です。ただ言える事は、あなたが自然に周囲と関わっていけるようになった時、その答えは既にあなたの中に備わっているであろうということだけです。
 逆に、「どう生きるか?」「人とどうかかわっていくか?」という答えを出せずに悩み続ける人は、大人になってからもずっと「死」について悩み続けることになります。残念ながらそういう人は増え続けています。
 答えは「自分以外」の人と実際に関わって行くことでしか得られません。友人然り、恋人しかり、両親兄弟といった家族しかり、先生しかり、近所の人、バイト先の大人、これらとどれだけ多く、どれだけ深く付き合う事が出来るかで、答えは信念と呼べるような強固なものにもなりますし、簡単に忘れてしまうような薄弱なものにもなるでしょう。
 それはあなた次第です。
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この回答へのお礼

分かりやすい説明、ありがとうございました。自分の生き方を探してみます!

お礼日時:2011/08/15 19:03

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Q思春期に「死ぬ時」の事を考えてしまう

思春期(中学生)の時に「死ぬ時」の事を考えてしまいます。死ぬとそうなるんだろう?苦しいのかな?いつ死ぬのかな?死にたくないな。これは、誰にでもあることなのでしょうか?一生考えることになるのでしょうか?時期的な事なのでしょうか?

Aベストアンサー

私も、中高生のときぶち当たった疑問でした。
私の場合は死ぬとどうなるのか、よりもなぜ生きているのだろう、
の疑問の方が強かったですが。

私は今23歳ですが、
たくさんの人に生きることについての考え方を聞いて、
今でも生きる意味を自分なりに模索してます。

死は100%誰にも訪れる未来であるので、
質問者様がもし後に「今が楽しかったらいいじゃん」
という考え方になるのであれば「死ぬこと」についての疑問もいずれなくなるでしょうし、
もしそうならなければ一生考え続ける問題ではないかと思います。

いろんな年代の方を見ていても、
そういったことを考える人と考えない人は半々ではないでしょうか。

私個人としては、そういった哲学的なことを何も考えていない人より、
質問者様のような人の方がよっぽど素敵だと思いますよ。

Q思春期に死について考えてしまいます!

私は中学2年生の男子です。あまり実感はありませんが、思春期と呼ばれる年頃です。

最近、毎日毎日、すべての人に必ずやってくる「死」について深く考えてしまい、ため息ばかりです。
以前、小学校4,5年生の時も「死」について深く考える時期がありました。その時は時間が立つにつれてその悩みは消えて無くなりました。そして、また今、「死」についての深く考えるようになりました。でも、小学校の時とはちょっと違った感じです。

小学校の時は漠然と死にたくないな。という気持ちでしたが、今は「死」とは何なんだろう?死んだらどなるんだろう?「無」になるのかな?「死後の世界」はあるのかな?「生まれ変わり」はあるのかな?先に死ぬ家族とは再開できるのかな?今、勉強していることは死んだ瞬間に「無」になるのかな?そして、死にたくないな。小学生の時より科学的な事が少し、理解してきてその悩みが深いものになりました。

1週間くらい前からずっと悩んでいます。この「教えてgoo」にも「死後」に関わる様々な質問をしました。

この悩みは「思春期」という時期的な悩みなのでしょうか?

何をしている時も心の片隅に必ずこの悩みがあります。

そして、必ず来る家族との別れのことも考えてしまいます。

このような事を深く考えてしまうのは思春期の時期的な悩みなのでしょうか?

同年代の皆さん、あなたはどうですか?

大人の皆さん、そんな時期はありましたか?

詳しい方、この悩みは思春期には誰にでもある悩みなのですか?

そして、いつかこの悩みはなくなるのでしょうか?

私は中学2年生の男子です。あまり実感はありませんが、思春期と呼ばれる年頃です。

最近、毎日毎日、すべての人に必ずやってくる「死」について深く考えてしまい、ため息ばかりです。
以前、小学校4,5年生の時も「死」について深く考える時期がありました。その時は時間が立つにつれてその悩みは消えて無くなりました。そして、また今、「死」についての深く考えるようになりました。でも、小学校の時とはちょっと違った感じです。

小学校の時は漠然と死にたくないな。という気持ちでしたが、今は「死」とは...続きを読む

Aベストアンサー

心理士で、大学の教員をしています。

他の皆様方のお答えで、ほぼ疑問は解消されたかもしれませんが、敢えて一言。

このように、死について考えてしまうということについては、質問者様が、いわゆる思春期に入られたということとも深く関連すると思われます。
というのは、思春期というのは、これまでの学童期の時代とは異なり、心理的にも、身体的にも一段と成長し、発達が深まる時期なのです。

身体的には、身長や体重がいじる敷く増えるとともに、性的な成熟を迎えます。
これ自体、とても重大な変化ですが、身体的な成長・成熟は、心理的な面にも大きな影響を与えるのです。
一つは、そういう重大な変化をどのように、自分自身が受け止め、自分の中に位置づけていくかが、大切な心理的な作業になるという点で意味があります。
もう一つは、身体的な成長・成熟をきっかけとして、自分自身の内面に目が向くようになります。

この二つ目の特徴と、認知的な発達、具体的には、抽象的な思考が出来るようになる(たとえば、理想、価値、生き方など具体的な事物としては存在しないことについても考えることができるようになります)ことから、自分自身、自分の将来、自分の生き方について考えはじめ、それが高校生から大学生のはじめくらいの年齢まで、そういうことを考え続けるようになります。

このように自分自身について考える中で、人間として避けて通ることのできない死についても考えることがあります。
また、場合によっては、心理的に、これまでの自分と決別して、生まれ変わりたいと思うことがあります。
この後者のことと関連して、あくまでも心理的にということですが、いったん死んで、もう一度、心理的に再生するというイメージが浮かんでくることがあります。

このようにいう私(50歳代半ばですが)も、思春期に入る直前に実母を亡くした経験もあってか、質問者様と同年代の頃には、死ということについて考えた記憶があります。

これからの長い人生どう生きていくのか、自分自身にはどういう特徴があるのか、とくに自分として自信が持てるもの、特異なものは何か、それらを活かしていくにはどのような職業があり、望ましいのかという、ご自身の将来を考えることにつなげていってもらいたいと思います。

以上、他の回答者の方々のお答えに、若干追加をさせてもらいました。

心理士で、大学の教員をしています。

他の皆様方のお答えで、ほぼ疑問は解消されたかもしれませんが、敢えて一言。

このように、死について考えてしまうということについては、質問者様が、いわゆる思春期に入られたということとも深く関連すると思われます。
というのは、思春期というのは、これまでの学童期の時代とは異なり、心理的にも、身体的にも一段と成長し、発達が深まる時期なのです。

身体的には、身長や体重がいじる敷く増えるとともに、性的な成熟を迎えます。
これ自体、とても重大な変化ですが...続きを読む

Qタナトフォビア(死恐怖症)の症状を抑えたいです。

現在23歳、大学3年で就活が間近に迫っている男です。

昨年(2010年)の年末から、死んだら自分はどうなってしまうのだろうという思いがほぼ四六時中、頭から離れなくて心身共に疲れています。

小学校に入学するかしないかの頃から、ふとした瞬間に、死んだら自分はどうなってしまうのだろうと考えて得体も知れない怖さを感じることが度々ありましたが、寝るなどしてしばらくしたら治まっていました。

しかし、今回はすぐに治まらず、死んだら自分の意識は無くなってしまうのだろうか、「無」は何なのだろうか、何の為に生きているのだろうかとか、宇宙について考えてしまったりして、ここ数日は朝になるまで寝られず、起きている間も考えてしまいます。恐怖や絶望を感じてしまい、食事も無理をして行っている感じがします。情けないですが、自分の部屋で声を殺して泣いてしまうこともありました。

また、母親(60代前半)もいつか死んでしまって、火葬が行われるであろうことも考えてしまい、家で母親の顔を見ただけでも、涙が出そうになってしまいます。ニュースなどで人が死んだことを聞いても、その人について考えてしまいます。

先日、ネットで調べて「タナトフォビア」という言葉があることを知り、自分もそれを発症していると思い、ここのような相談サイトを見て回ったのですが、理論的な理解はできても、感情をなかなか抑えられません。少し落ち着いているときと考え込んでしまうときが交互に来ている状況です。

10代の時に強迫観念症(これが正式名かどうかはわかりません)を複数発症したこともありました。(元々、そのような病気になりやすいのだと思います。)そのときは病院には行かず、程度の差はあれ、自分で症状を改善しました。

心が休まりません。どうすれば、タナトフォビアの症状を抑えられるのでしょうか。

強迫観念症の件で家族には迷惑をかけてきており、また、今回は対象が「死」ということもあり、家族には話していません。なので、ここで質問させていただいた次第です。

長文かつ乱文で申し訳ございませんがよろしくお願いします。

現在23歳、大学3年で就活が間近に迫っている男です。

昨年(2010年)の年末から、死んだら自分はどうなってしまうのだろうという思いがほぼ四六時中、頭から離れなくて心身共に疲れています。

小学校に入学するかしないかの頃から、ふとした瞬間に、死んだら自分はどうなってしまうのだろうと考えて得体も知れない怖さを感じることが度々ありましたが、寝るなどしてしばらくしたら治まっていました。

しかし、今回はすぐに治まらず、死んだら自分の意識は無くなってしまうのだろうか、「無」は何なのだろうか、...続きを読む

Aベストアンサー

今晩は。

症状を抑えるのも大事かと思いますが、うまく付き合う、それもひとつの解決策かと思いお返事します。

強迫性障害を持っています。死が対象だったことがあります。
死に捉われ、苦労はしましたが、お陰で意識がとても変わりました。
その経験をお伝えします。

なぜ死に捉われるのかから探りました。
実は身近に死が沢山溢れていることに対し感覚がそれを捕らえていることに気付きました。
だから意識が「死」から離れない。死を感じる結果、それを強く意識してしまう。
だから病気だ、というよりも単純に感性が鋭い事が原因なんだろうと思いました。
感性が豊かな人なら大なり小なりタナトフォビックであろうとも今は思っています。
死、はいかなる人であれ未知です。
DNAからは死を避ける行動を取るように恐怖という感情を引き起こすよう書き込まれています。
それなので死=恐怖は自然な感情です。ところが死が溢れているがゆえにいつまでも繰り返し
恐怖を引き起こす、どこかで麻痺するのが通常なんでしょうけれど、麻痺しないことが苦痛となる。
麻痺しないことは間違ってはいないと思うので病気だとは考えません。
ただ麻痺しないから困っている現状がある、それをまず客観的に捉えられるようにしました。

そこで繰り返し引き起こされる恐怖への対処法を考え、実行しました。

何をしたかというと、死、の反対を探したんです。
誕生ですね。意識して、意識を向けた結果、溢れる死と同じように
生命の誕生を至る所に感じられるようになりました。
毎日、毎秒、ありとあらゆる生命が生まれている一方で、死んでいく。
繰り返し、繰り返し、です。その感覚を得てはじめて万物流転をきちんと理解できた気がします。
自分の身に起こる死もまた、肉体が解体され、流転する。自然の流れなんだろうと。
そこに魂を信じる気持ちがあれば、輪廻転生も有り得る事とも思いました。

その一方で、死からも学びを得ました。何よりも如何に命が儚いか、です。
だからやはり誠に、生きて存在しているということ事態が奇跡なのだと知りました。
一期一会という言葉の持つ真の意味に触れることが出来たのも、死を思ったが故に。
今は昔、全ての時計に書いてあった言葉だそうです。メメントモリ(死を想え)と。
その昔は今で言うタナトフォビアが当たり前だったのかも知れませんね。
ちなみに朝生まれ、夜死す、それが繰り返されて日々となる、という考えもありますね。
なによりも人は思ったよりも簡単に死んでしまうものなので
限られた日々を一所懸命生きなさい、という智慧なのでしょう。

いつか必ず死にます。死後の世界の話で困るのは、結局死んでみないことには判らないですし、
折角まだ生きているのに、知りたいから今死のう、というのも違います。
なので死後の悩みは死後のお楽しみとしてひとまず置いておきませんか?
死後も意識が継続していましたら、その時にあらためて考える、としておいて
意識が無かった時は諦めよう、としてみましょう。
問題の死への概念ですが、死の意識を振り払うことは大変です。
だったら死に対してポジティブな意識を持つように意識を変えてみませんか?

私の辿った道のりです。
身近に溢れる命が死んでゆく、その切なく脆い命が故に、命に対しての愛おしさに繋がった。
儚さゆえの愛おしさだとしても、溢れる息吹に感じ入り、懸命に生きる大切さが
死を感じるが故に繰り返し伝わってくる。
その時にはじめて死の概念がそのまま命への慈しみへと変わりました。

残された日々を大切な人たちといとおしみ、生きる。それはかけがえのない日々となるでしょう。
命を見送り、自分の最後の時には、素晴らしい人生を過ごせれた、と悔いなく死ねるでしょう。
思い残すことが無いから安心して自らの命を自然へ帰す。
そんな心を最後の時に持てるよう日々、命を燃やして生きていきたい。
それこそが、死を想うが故に苦しみを生むことに対しての最大の対処法として
僕が今、まさしく実践中の毎日です。

繰り返しますが、命は儚いものです。お母様を想う気持ちは慈しみでしょう。
慈しむ思いがあるのですから、まずはお母様への慈しみの行動を取ってみましょう。
具体的に、日々の感謝の気持ちを手紙としてお渡しするのも良いでしょう。
あなたの笑い顔を見せることも、もちろんとても喜んでくださるでしょう。
何も出来そうになければ、ただ、傍に居る、たったそれだけでもとても大きな喜びでしょう。
愛情こそ、死への恐怖から解き放つ何よりのものではないでしょうか。

私事ばかりで恐縮ではありますが、何か拾えるものがありましたら何よりの喜びです。
長々とお付き合い、ありがとうございました。

今晩は。

症状を抑えるのも大事かと思いますが、うまく付き合う、それもひとつの解決策かと思いお返事します。

強迫性障害を持っています。死が対象だったことがあります。
死に捉われ、苦労はしましたが、お陰で意識がとても変わりました。
その経験をお伝えします。

なぜ死に捉われるのかから探りました。
実は身近に死が沢山溢れていることに対し感覚がそれを捕らえていることに気付きました。
だから意識が「死」から離れない。死を感じる結果、それを強く意識してしまう。
だから病気だ、というよりも単純...続きを読む

Q死について考えてしまいます。

一年ほど前から、毎日死ぬことについて毎日考えてしまいます。

自転車を漕いでいるときに、駅のホームにいるときに、なんでもない日常の中で「今こうしたら自分は死ぬんだ…」と考えて、リアルな想像までしてしまうんです。
自殺したいという訳ではないのです。
特に大きな悩みがある訳でもないと思います。
でもどうしても想像してしまうんです。
我に返ったあとはとても疲れますし、そういうことを想像してしまう自分のことも嫌になります。

自分なりに考えた結果、一年前にあった祖父の葬式や東日本大震災でそれまで意識していなかった「死」を身近に感じてしまったことが原因なのではないかと思っています。

こういうことを考えるのは異常なのでしょうか。
止めたいです。
なんとなく親に相談するのも憚られて、こちらで相談させてもらいました。

Aベストアンサー

自分自身の意識の拡大を、死というテーマに基づいて行っているのではないですか
実際の死とはかけ離れた、バーチャルな疑似体験です
それは異常でもなければ、無意味でもないと思います
心の中の予防線が自然に行っている事だと思います
死にたくはないが、死が訪れてしまっても受けられるように、という一種の準備みたいなものです
心の余裕がありすぎる という見方もできると思います

>止めたいです。

疑似体験が悪癖になってしまった感想なのでしょう
意識の集中ができる別なものを見つけた方がいいと思います
一時の気分転換では直らないように思います。

Qなぜ「どうせ死ぬのに」、頑張って生きるのですか?

20代半ば、会社員です。


最近、あらゆることに対してやる気や情熱が持てなくなってしまいました。
理由は、質問のタイトルにも書いた通り「どうせ死ぬから」というもの。


例えば・・・

自分が勉強して知識を付けても、その内のほとんどは自己満足。

仕事でその知識を使い社会に貢献できたとしても、社会全体から見たらほんの極わずか。

自分が痩せて「嬉しい!やった!」と思っても、ほとんどの他人にとってはどーでもいいこと。ましてや社会にとっては何の意味もありません。

僕本人にしか分からないレベルで小さな変化や成長を自分の中に感じても、他人にとってはどーでもいいこと。

何かの技術に習熟して、他の人ができないことができるようになったとしても、やっぱり社会全体から見たら取るに足らないこと。

僕が何かの資格を取ったりしても、やっぱりそれは地球全体で考えたら本当に些細なこと。


そしてそもそもの話。

どんな風に生きたとて、結局のところ人は死にます。
当たり前の話ですが。

じゃあなんでどうせ死ぬのに頑張って生きるのでしょうか。

しかも、上述したように、何か頑張って成し遂げたとしても、ほとんどが自己満足。
自己満足を超えて社会に幾ばくか貢献できたとしても、その影響は本当に小さい。。。


もしあなたがベートーベンやゴッホなどの世界クラスの才能をお持ちであるならば、その影響は大きいでしょう。
ですが、そんな人は本当に極一握り。

僕を含む、彼ら以外のその他大勢の"凡人"は、結局頑張ってもその努力の跡や功績は後世には伝わらないんです。

じゃあ、頑張っても無駄じゃないですか?


一生懸命、大変な思いをしながら生きるのって、必要なくないですか?


ただでさえ、あなたは日本や世界という基準で見たら、小さい存在で、正直いてもいなくてもいいんですよ。
あなたは後世に残る程の偉人にはならないだろうし、多くの人間に必要とされる人間にもならないでしょう。


その上、悪口を言われたり嫉妬されたり、潰されたり、精神的に辛い思いをさせられたり・・・と、色々な目に遭いながらも一生懸命生きたとして、残念ながら結局は死にます。


じゃあもう、どうせ死ぬなら生きなくてよくないですか?



・・・・っていうようなことを、ここ3ヶ月ぐらい前からずっと考えています。



自分は今20代半ばで、これまで色々とその場その場で頑張って来たつもりです。


高校受験の為に勉強して、部活では一生懸命走って、大学受験をして、そして就職活動をして・・・と、なんやかんや頑張って生きて来ました。


でもここまで生きて来て急に気付いたんですよね。


「俺、どうせ死ぬんじゃん」
「このまま生きてても、どうせ俺は後世に何年も残る偉大なものを作り上げることなどできない。つまり長い歴史で見ると俺の人生なんて何でもないんだ」


ってことを。


これまで本を読んだりして知識を付け、本人しか分からないレベルで成長したこと。
趣味を一生懸命やって、そのスキルを磨いて自己満足を得たこと。
ダイエットして痩せたこと。
何かに感動したこと。
新しい経験をし、新しいことを知って喜びを感じたこと。


これら全て、結局僕以外の人間にとってはどうでもいいことなんだなと。
そして、当たり前ですが、結局死んで無になるんだから全ては無意味なんだなと。


こんなことを最近強く思ってしまうようになったんです。


別に仕事で辛いことがある訳でも、プライベートで絶望的何かがあったとかでもありません。
恋愛で躓いているとか、他人が羨ましくて仕方ないとかでもありません。
特にサボリたいとか、その様な怠慢状態になっている訳でもありません。


単に、

「凡人が生き続けても何も残らないし、自分が何に感動し何に喜びを感じても他の人にはどうでもいいこと。 しかもいつか死ぬ。じゃあ生きてても意味なくね?」

という気持ちが急に湧いて来て、消えないだけです。


巷には

「人間関係を円滑にする方法!」
「コミュニケーションをスムーズにする為の〇〇ステップ!」
「資格試験取得への第一歩!」
「10年先を見据えた生き方をしよう!」


みたいな趣旨を唱う自己啓発本みたいなのが山のようにありますが、こんなのも正直無意味です。

結局あなたに、そして僕待っているのは「死」なんです。



・・・みたいな、「そもそも論」的な部分でしか物事を考えられなくなってしまっただけです。



こんな状態なため、ここ3ヶ月は本を読んで知識を付けようと思っても、

「どうせ俺がこうやって知識を付けて賢くなっても、結局は自己満足だ。 しかも俺より賢い人はゴマンといる。 じゃあやっても意味ないよな・・・」

って考えてしまったり、趣味に没頭しようと思っても、

「どうせ俺がこうやって趣味を楽しんでも、俺よりこの趣味に習熟している人なんて山程いる。。。 じゃあ意味ないんじゃないか・・・」

こんなことを思ってしまい、もう全てに対してやる気が失せ、情熱を燃やすことができないんですよ。



この気持ちが一向に消える気配がないので、思い切って仕事も辞めようかとも思い始めてます。
仕事を辞めて、一切の友人関係を絶ち、部屋に引きこもって餓死するまでずっと横になって生ける屍になろうかと。

冗談ではなく、本気で。


かなり前置きが長くなって申し訳ありませんが、以上を踏まえて質問です。


なぜあなたは「どうせ死ぬのに」生きるんですか?
あなたが幸せになろうが喜びを感じようが他の人にとってはどうでもいいのに、なぜそれらを追い求めて一生懸命生きるのですか?
それと(これはできればで結構です)、どうすれば僕はまた生きることを肯定的に捉えられるようになると思いますか?


これらのあなた自身の明確な意見をお聞きしたいと思います。

(回答する際はお手数ですが、年齢の方も最初に明記して下さい。 その方が回答者様の人生経験などを推測しやすいので)

20代半ば、会社員です。


最近、あらゆることに対してやる気や情熱が持てなくなってしまいました。
理由は、質問のタイトルにも書いた通り「どうせ死ぬから」というもの。


例えば・・・

自分が勉強して知識を付けても、その内のほとんどは自己満足。

仕事でその知識を使い社会に貢献できたとしても、社会全体から見たらほんの極わずか。

自分が痩せて「嬉しい!やった!」と思っても、ほとんどの他人にとってはどーでもいいこと。ましてや社会にとっては何の意味もありません。

僕本人にしか分からないレ...続きを読む

Aベストアンサー

19歳女性です。

生きる意味なんていうのは、私も分かりません。
でも、「なぜどうせ死ぬのに頑張って生きるのか」の答えは何となく分かる気がします。
あくまでも私の考えです。

私は、「どうせ死ぬから」こそ、頑張って生きているのではないか、と思うのです。
もし、いつか死ぬと分かっていなかったら、ここまで生きてこられなかったかもしれない。
「死」という人生のゴールがあるからこそ、そのゴールまでの道のりを全うしたい、と思えます。
さらにいえば、生きる意味が分からないのも当然のことだと思います。
「生きる意味を探す」「生きる意味をつくる」というのも、立派な「生きる原動力」です。

抽象的になってしまい、分かりにくくなってしまいました。
もう少し分かりやすく言うと、私は、いのちの期限が決まっているからこそ、可能な限り、自分に与えられた人生を全うしたいと思うのです。
「生きる意味」というのは、誰かに提示されるものではなく、自分で見つける、さらにいえば、自分でつくるものだと思うからです。
だから、簡単に見つかるものではないのは当然です。
一生をかけて、向き合っていかなければいけない問いなのです。

勉学に励むことも、恋することも、友達と過ごすことも、家族をつくることも、仕事をすることも、全て、無駄なことではないと私は思います。
それらは全て、自分の生きる意味を形成するための重要な材料になるからです。

19歳女性です。

生きる意味なんていうのは、私も分かりません。
でも、「なぜどうせ死ぬのに頑張って生きるのか」の答えは何となく分かる気がします。
あくまでも私の考えです。

私は、「どうせ死ぬから」こそ、頑張って生きているのではないか、と思うのです。
もし、いつか死ぬと分かっていなかったら、ここまで生きてこられなかったかもしれない。
「死」という人生のゴールがあるからこそ、そのゴールまでの道のりを全うしたい、と思えます。
さらにいえば、生きる意味が分からないのも当然のこと...続きを読む

Q死ぬのが怖くてたまらなくなる時があります、、、。

26才主婦です。1才8カ月の息子がいます。
いたって普通の主婦です。小さい頃にもあったんですが
死ぬ事を考えるととてつもなく怖くなって動機がして涙があふれてきて体が震えていてもたってもいられなくなってこのままおかしくなるんじゃないかと思うほどです。普段はなんともないんですがたまにフッとその思いがよぎるんです。
学生や働いていて毎日忙しくしている頃にはありませんでした、結婚して子供ができて家にいるようになってからぼちぼちそういう事があるようになりなんども主人に話を聞いてもらったりしていました。出産後は病院にも半年ほど通いましたが薬を飲んでもあまりよくなっているような気がしなくて、そう先生に言って薬を変えてもらっても同じような感じでした、そのうち子供が動き回るようになり現在は子供が相手になってくれる事もありそんなになくなりましたが今でもたまになります。
身じかな人が最近の数年で何人か亡くなったということもあるとは思います。
だんだんそんな自分に嫌気がさしてきてしまいました。
テレビや本もそういった事からは遠ざけるようにしています。そんな事考える暇がないようになにかやる事を見つけようとは思っています、こんなふうな気持ちになったときどんなふうにぬけだしたらいいのか誰か教えて下さい、、、やっぱり病院に通った方がいいんでしょうか。

26才主婦です。1才8カ月の息子がいます。
いたって普通の主婦です。小さい頃にもあったんですが
死ぬ事を考えるととてつもなく怖くなって動機がして涙があふれてきて体が震えていてもたってもいられなくなってこのままおかしくなるんじゃないかと思うほどです。普段はなんともないんですがたまにフッとその思いがよぎるんです。
学生や働いていて毎日忙しくしている頃にはありませんでした、結婚して子供ができて家にいるようになってからぼちぼちそういう事があるようになりなんども主人に話を聞いてもら...続きを読む

Aベストアンサー

 わたしも、失いたくないものがたくさんあって、それを失うことを想像して
ふと、涙をこぼしてしまうことがよくあります。一人の夜とか、二人の夜とか、
寂しいときとか、、、。好きな人たちが死んでしまうことや、自分が死んで
みんなが悲しむ姿を想像したりして泣くことも、今の年になっても結構あります。

 その時、身近な人に「大丈夫だよ」って言ってもらえると、根拠はなくても
安心します。「絶対大丈夫なんてこの世にはない」って、理屈のわたしは
考えているのですけど、心は安心するのです。

 あまり悲しみに襲われる頻度が高く、毎日過ごすのが辛いようでしたら、
やはり皆様の言われるとおり心療内科が助けになってくれると思います。
 また、書物や音楽も心のなぐさめになってくれると思います。

 それから、考え事は明るいうちに、または誰かが周りにいてくれる環境でする方が、気持ちが暗くなりにくいです。
 わたしの母親が「夜に書いた手紙は朝読み直せ」とよく言っていました。
「夜は心に『魔』がさすから」だそうです。もちろん、比喩ですが、
人間の心に朝夜のサイクルも少なからず影響があるようですから、
環境面もちょっと工夫されてみてはいかがでしょうか。
 あまりご自分を追い込まないで下さい。同じことを考える人は
たくさんいると思いますよ。

 わたしも、失いたくないものがたくさんあって、それを失うことを想像して
ふと、涙をこぼしてしまうことがよくあります。一人の夜とか、二人の夜とか、
寂しいときとか、、、。好きな人たちが死んでしまうことや、自分が死んで
みんなが悲しむ姿を想像したりして泣くことも、今の年になっても結構あります。

 その時、身近な人に「大丈夫だよ」って言ってもらえると、根拠はなくても
安心します。「絶対大丈夫なんてこの世にはない」って、理屈のわたしは
考えているのですけど、心は安心するのです。
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Qわけがわからなくて、不安、不安、不安ばかり…思春期です。

最近、異常に不安に苛まれるようになっています。
以前から、ちょっと気にしすぎというか、強迫行為こそないものの、強迫観念のようなものに悩まされてきました。

最近、こんな症状が起こり始めました。「小さいころ、わけもわからず油性マジックのシンナーを吸ったのではないか、それで今、頭がおかしくなっているのではないか(さまざまな場面を想像します)」、「いたずらのつもりで、弟の体を害するようなことをしたのではないか。(飲み物に洗剤をいれたのではないか、など)」、その上、あと一週間ちょっとで試験があります。大きく分けて2つの不安のせいで、まったく勉強ができません。いずれの不安も「~~ではないか」というもので、今週の月曜日までは考えもしなかったことです。突然、不安になり始めました。

食欲もでなくなりました、、、

「弟のことを害するようなことをしたのでは」と強い不安になると、「自分なんかどうだっていい」という感情になり、すると「こんな感情になって、過去に油性マジックのシンナーをすったのでは(覚えなし」などと、不安が不安を呼んでいます。


「そんなことしないよ」といくら考えてもだめです。不安でしょうがありません。もう何もできません。不安ばかりです。

どうすればいいでしょうか。

ご経験者の方など教えてください

最近、異常に不安に苛まれるようになっています。
以前から、ちょっと気にしすぎというか、強迫行為こそないものの、強迫観念のようなものに悩まされてきました。

最近、こんな症状が起こり始めました。「小さいころ、わけもわからず油性マジックのシンナーを吸ったのではないか、それで今、頭がおかしくなっているのではないか(さまざまな場面を想像します)」、「いたずらのつもりで、弟の体を害するようなことをしたのではないか。(飲み物に洗剤をいれたのではないか、など)」、その上、あと一週間ちょ...続きを読む

Aベストアンサー

すみません、ちょっと思い出したことがあるので追加で記述させていただきます。

質問者様は何か夢中になれる趣味とかありますでしょうか?私の場合、これといった趣味はその当時なかったのですが、病気を発症してから何を思ったかギターをやり始め、それはかなり心の支えになりましたし、何よりギターを弾いている時は不思議なくらい強迫のことを忘れられました。もちろん、弾いてても強迫が出てくることもありましたが、それでも普段の頃よりはかなり軽く感じられたのを覚えています。他にも映画を観たり、音楽を聴いたり、強迫を一時的に紛らわす手段はあるのではないかと思います。

そういったことも強迫を遠ざけるのに有効だと思います。ですが、あくまで一時的なもので、根本的な解決にはならないのでやはり治すのには専門家に相談することが一番だと思います。以上、長々と失礼いたしました。参考になれば幸いです。

Q死んでしまう事を考えると怖くなる子供に対して…

小学4年生になったばかりの息子の事で相談です。

少し前(1か月位)前から、寝る前になると
自分が死んでしまう事を考えると怖くなると言うようになりました。

息子には特に、持病があるわけでもなく、
死んでしまうような体験をしたわけでもなく、
昼間は友達と遊びに出かけ、話もよくしてくれるので
いじめられて、死を考えたとかでもないようです。

いろいろ話を聞いてみると
いつかは自分は死んでしまう(おじいちゃんになってから)から
その時に、みんなとお別れになってしまう事を考えると怖いし、
苦しいのでは?痛いのでは?と思っている感じです。

3歳半の頃に、私の祖父が亡くなり、葬儀に参加したのですが
その時には特に何も言わなかったのですが、
4・5歳の頃に思い出したように、死んじゃうのが怖いといった事があります。
その時は、大丈夫だからと話していると、自然に気にしなくなったのですが、
また、それが思い出されたかのような感じなのかも知れません。

大きくなった分、具体的にいろいろ想像している分、
怖さが取り除けないのかな?と思っているのですが、
そんな息子にどうやって話をしてあげたら好いのか困っています。

寝る前になると、いろいろ考えてしまうようですが、
だからと言って、寝付けない訳ではないようです。
下の子がまだ寝付くまで私にいてほしいというので、
兄弟同じ部屋で寝ているため、4年の息子も一緒です。
ひとしきり、話を聞いてあげて、大丈夫だから今日は寝なさい
と言うと、とりあえず寝られるようです。
でも、次の日も「でも~」と同じことの繰り返しをしています。

本当にどうやったら安心してくれるのでしょうか?
心療内科とかに連れて行った方が良いのだろうかとも考えてしまいます。

小学4年生になったばかりの息子の事で相談です。

少し前(1か月位)前から、寝る前になると
自分が死んでしまう事を考えると怖くなると言うようになりました。

息子には特に、持病があるわけでもなく、
死んでしまうような体験をしたわけでもなく、
昼間は友達と遊びに出かけ、話もよくしてくれるので
いじめられて、死を考えたとかでもないようです。

いろいろ話を聞いてみると
いつかは自分は死んでしまう(おじいちゃんになってから)から
その時に、みんなとお別れになってしまう事を考える...続きを読む

Aベストアンサー

No.8です。

>私自身がどう死を理解しているか言葉に表せない

そうです。大人だからわかっているということではありません。
成長の過程と書きましたが、死というテーマは、子供の成長というより人間の成長のための議題だと思います。
だから子供の頃に悩む人もいれば、大人になってからこの問題にぶつかる人もいます。

死については誰も明確な答えを持っていないし、大人が子供を導くようなものでもありません。
お子さんの考えていることは、もしかしたら質問者さまよりも難しいことかもしれませんよ。

だから要は、大人として知ったかぶりの回答をしないことです。
お子さんに聞かれたら例えば
「お母さんも死ぬのは怖いわよ」
などと本音で話し合うのはいいかもしれません。

学校教育でも家庭教育でも同じですが、本音で接した時に信頼が生まれ、安心感を持つのです。

Q死が怖いです

人はいずれ死にます。それはどうしようもない事だと思います。
ですが、その事を考えると異常に怖くなります。
僕は特に宗教などは信じていませんので、
人は死んだら無になると思っています。
ていう事はこの無が永遠に続くわけですよね。
永遠にもう意識が手に入らないわけです。
それを考えると恐ろしくてたまりません。

なのでなるべく死については怖いので考えないようにしてるのですが、
時々ふと考えてしまうと異様な恐怖に襲われます。
どうしたらこの恐怖がなくなるでしょうか。
ちなみに21歳の男です。幼稚な質問でしたら申し訳ありません。

Aベストアンサー

はじめまして。31才・男です。

質問者様のご心境がどれ程のものかよく分かるつもりです!!
私も、幼少の頃から、度々このことを考えては一人恐怖におののき、周囲の人(例えば、父母・祖母など)をびっくりさせていたようです。私の方こそ愚かだったかもしれませんが、このことで母と口論になったことも度々ありました(苦笑)

もちろん、大人になってからも何度も何度も悩まされました。
質問者様が
>時々ふと考えてしまう
と仰るように、シャワー浴びてるときに突然このことが頭をよぎって、パニックになって風呂場からシャンプーの泡を付けたまま飛び出て、当時同棲してた女の子にびっくりされたこともありますから。。σ(^Дヽ^;)

はっきり言って、世間一般によくいう霊魂とか幽霊とかいうのが本当に存在するのならば、それの方が全然怖くないですよね!?むしろ、メチャクチャ嬉しいですよ!
でも、科学的合理的に考えれば考えるほど“死”=“(人としての)無”という現実的蓋然性は高まるばかり(例えば、人が物事を記憶するための機能を持つ前頭葉が“死”ことによって稼動しなくなる。⇒死後の記憶が無くなる⇒すなわち、人としての無、等)。。ww
また、たとえ医療・科学技術が進歩して、寿命を何万年、何億年延ばすことができたところで、それだけではいつか死んでしまうときの“死”=“(人としての)無”の問題解決はできませんもんね。

ただ、もし対策があるとすれば、我々人間の遺伝子情報の中には“恐怖”を感じる因子があるように聞いたことがありますので、それを除去することによって“恐怖”を抑制するという形であれば、近い将来に医療・科学技術の発展&倫理的ハードルのクリアにより、理論上は有効な物質的アプローチによる方法となるとも考えられます。
それから、大昔から人はこのことでずっと悩み苦しんでいたわけで、その中から“死”=“(人としての)無”ということを逆手にとって、「形あるものはいずれ崩れ去り、人はいつか必ず死ぬ(簡単に言えば「色即是空」)。だから、物事に悩むだけ無駄なんだ」という考え方が出てきました。これが仏教だったりするわけですよね。そのような“モノの考え方”“人生哲学”のような精神的アプローチが対極にある方法ですよね。

もちろん、そうは言っても、誰もが簡単に俗世離れした生き方が簡単にできるわけではないし、遺伝子操作等の方法も現実的には早々にできる対策とは言えないですよね。なので、やはり結論的に当面の対策としては“考えないようにする”ということしかなさそうです。

以上、結局煮え切らない物言いに終始してお粗末な回答となりましたが、多少なりとも参考になりましたでしょうか??
今回、私自身、質問者様のお悩みを私の回答で根本的に解決できるなど大それたことは考えてはおりませんが、少なくとも言えるのは、このことに関しては、私も現在進行形で“苦悩する者”ですし、逐一口に出さないだけで心の底から同じ苦しみで悩んでおられる方は大勢おられるはずです。
なので、本来であれば、少しでも人生を充実して送るための心のケアを図るべくこういったことを真摯に考え、話し合える場なり集まりなりあればいいのですが、現実生活の中では心の隙につけ込まれる悪徳商法等をはじめとする様々なリスクがあったりと、なにぶん気軽に相談できないジャンルですので余計に対処を難しくさせることも多いですよね。
その意味では、こういった投稿の場を利用して少しでもお気持ちを軽くする工夫をされるのも1つの有効な手段だと思いますよ!

なお、本当はここでご質問への回答としての範疇を越えてしまうくらいお話したいことはあるのですが、おそらく喋り足りなくなりそうなので今回は自重しようと思います(それでも十分長文回答になってしまいましたが・・苦笑)。
ではでは(´ーヽ`)ノシ

はじめまして。31才・男です。

質問者様のご心境がどれ程のものかよく分かるつもりです!!
私も、幼少の頃から、度々このことを考えては一人恐怖におののき、周囲の人(例えば、父母・祖母など)をびっくりさせていたようです。私の方こそ愚かだったかもしれませんが、このことで母と口論になったことも度々ありました(苦笑)

もちろん、大人になってからも何度も何度も悩まされました。
質問者様が
>時々ふと考えてしまう
と仰るように、シャワー浴びてるときに突然このことが頭をよぎって、パニッ...続きを読む

Q高齢者の方は死ぬのが怖くないのか?

「もしも明日の午前0時に、突然死ぬとしたら、何がしたいか?」
という問いをよく自分にぶつけます。

「女性とたくさん関係を持つ」とか「おいしいものを食べまくる」とか
「気に入らないやつを殴りに行く」とか、
低俗で下世話な欲望がいろいろ浮かぶのですが、
結局いつも最後に出るリアルな答えは
「死への恐怖に耐え切れずに、ただ泣きながらそのときを待つだけだろう」です。

しかし、高齢者(特に平均寿命を大幅に超えた)の方々は、
「明日、いや次の瞬間に自分は死ぬかもしれない」という
恐怖を抱えているはずなのですが、
精神面・行動面、
すべての面において、
若者よりも落ち着いているように私には見えます。

少し失礼な言い方になりますが、
脳が老化すると、死への恐怖が鈍化するのでしょうか?
それとも本当は、心の中が死への恐怖でいっぱいなのでしょうか?

私が今80歳になったと仮定すれば、
とても死への恐怖に耐えられません。

そう考えると、ご年配の方々はつくづく偉大だなといつも思っているのですが、
本当のところはどうなのでしょうか?

教えてgooのユーザーさんにいらっしゃるかわかりませんが、
80歳を超えておられるご年配の方々に、
死に対するご意見を聞いてみたいです。

「もしも明日の午前0時に、突然死ぬとしたら、何がしたいか?」
という問いをよく自分にぶつけます。

「女性とたくさん関係を持つ」とか「おいしいものを食べまくる」とか
「気に入らないやつを殴りに行く」とか、
低俗で下世話な欲望がいろいろ浮かぶのですが、
結局いつも最後に出るリアルな答えは
「死への恐怖に耐え切れずに、ただ泣きながらそのときを待つだけだろう」です。

しかし、高齢者(特に平均寿命を大幅に超えた)の方々は、
「明日、いや次の瞬間に自分は死ぬかもしれない」という
恐...続きを読む

Aベストアンサー

高齢になると身体のあちこちにがたが来る。燃えるような希望がなくなる。パワーがなくなる。つまり心身ともに衰え、死期の近いことを悟り(ああもうそろそろだな)とあきらめがつくのです。
わたしは団塊の世代ですが、老化現象があちこちにあり、これが年と共に強まり、衰えて行くのだなということがわかります。淋しいことですがこれが自然です。死なないとこれまた大変なことになります。要するに神によって生かされている間はしっかりと自己表現して生きればいいんです。


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