『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

第二次世界大戦で日本が戦った国は
中国、米英、オーストラリア、ソ連、それ以外にどこがありますか?
フランスとは戦いましたか?
インド、フィリピン、ビルマ、インドネシアなどとはどういう関係になりますか。

よろしくお願いします。

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A 回答 (4件)

フランスとは戦いましたか?


>亡命政権の自由フランスと戦いました。

インド、
イギリス領インドから徴兵された兵士がイギリス軍として戦いました。

フィリピン、
アメリカ領フィリピンから徴兵された兵士がアメリカ軍として戦いました。

ビルマ、枢軸国側(味方)として戦闘参加しました
ビルマ独立義勇軍(1941-42のビルマ進攻作戦のみ) が枢軸国側として戦闘参加しました
ビルマ防衛軍 民兵・ゲリラなど日本軍支援でつくられた郷土義勇軍 
ビルマ(1943-1945)連合国側に宣戦布告をしたが太平洋戦争には参加していない

インドネシア
オランダ領東インドとして占領 インドネシアとしては日本と戦っていません。
郷土防衛義勇軍(インドネシア)民兵・ゲリラなど日本軍支援でつくられた郷土義勇軍
スマトラ義勇軍、民兵・ゲリラなど日本軍支援でつくられた郷土義勇軍
ボルネオ義勇軍、民兵・ゲリラなど日本軍支援でつくられた郷土義勇軍
ジャワ防衛義勇軍、民兵・ゲリラなど日本軍支援でつくられた郷土義勇軍
1945年8月19日にスカルノとハッタ、ラジマンによって独立宣言(日本軍軍政当局「9月2日に降伏」や日本政府もこれを承認)
降伏後に日本軍が去ってオランダやイギリスの管理下に置かれた兵器庫から奪ったり、降伏を潔しとしない日本軍人の一部が横流しした武器・弾薬で武装し、様々の手段でオランダ軍を苦しめた。なお独立派には、日本軍政下で独立派への軍事教練を行っていた日本軍人が2000人加わり、訓練や教育、宣撫に活躍し、その半数は戦死したものの戦闘に参加した者もいた。
日本軍からは3万丁以上の三八式歩兵銃、数百の野砲・トラック、食料、弾薬、軍刀など多くの資材が独立派の手に渡った。日本に引き揚げずに独立派に身を投じた元日本兵は数千人に上った。


連合国側

戦闘参加国
アメリカ合衆国、
イギリス、
オーストラリア・ニュージーランド連合軍、
カナダ、
オランダ、
中華民国重慶政府、
ソビエト連邦(1945)、
蒙古人民共和国(1945)、八路軍、
自由フランス(1945)

参戦兵力の多かった統治領
イギリス領インド、
イギリス領マラヤ(現在のマレーシア)、
アメリカ領フィリピン

宣戦布告をしたが太平洋戦争には参加していない国
南アフリカ連邦、
レバノン(1943-45)、
エルサルバドル
コスタリカ、
ドミニカ(イギリス委任統治領)、
ニクラグア、
ハイチ、
グアテマラ、
ホンジュラス、
パナマ、
キューバ、
ノルウェー、
リベリア、
エジプト王国、
シリア(フランス統治委任領)、
サウジアラビア、
イラク、
イラン、
メキシコ(1942-45)、
ブラジル(1942-45)、
コロンビア(1943-45)、
ボリビア(1943-45)、
イタリア王国(※1943-45)、
フィンランド(※1944-45)、
ルーマニア王国(※1944-45)、
ブルガリア王国(※1944-45)、
ペルー(1945)、
ベネズエラ(1945)、
ウルグアイ(1945)、
パラグアイ(1945)、
エクアドル(1945)、
トルコ(1945)、
アルゼンチン(1945)、
チリ(1945)、
ベルギー(1945)


枢軸国側

戦闘参加国
大日本帝国、
タイ王国(1942-45)、
満州国、
中華民国南京政府、
蒙古自治邦政府、
自由インド仮政府、
ビルマ独立義勇軍(1941-42のビルマ進攻作戦のみ)

協力・支援国
仏印政府(ヴィシー政権下のフランス、
ドイツ(遣日潜水艦作戦や柳船など)、
イタリア王国(1941-1943、遣日潜水艦作戦など※)

民兵・ゲリラなど日本軍支援でつくられた郷土義勇軍
インド国民軍、
ビルマ防衛軍、
郷土防衛義勇軍(インドネシア)、
スマトラ義勇軍、
ボルネオ義勇軍、
ジャワ防衛義勇軍、
マレー義勇軍、
マレー義勇隊、
越南青年先鋒隊(ベトナム)、
フィリピン人義勇軍〈マカピリ〉、
比島ラウエル大統領付親衛隊、
石家荘白系ロシア人義勇軍(中国)、
皇協維新軍(中国)、
中華民国臨時政府軍、
皇協新中華救国民軍、
満洲イスラム教徒騎兵団

連合国側に宣戦布告をしたが太平洋戦争には参加していない国
ビルマ(1943-1945)、
フィリピン第二共和国(1943-45)、
ベトナム帝国(1945-)、
ラオス王国(1945-)、
カンボジア王国(1945-)、
ギリシャ、
クロアチア独立国、
ブルガリア(1941-1944※)、
独立スロバキア(1941-1945)、
ハンガリー王国(1941-1944※)、
ルーマニア王国(1941-1944※)、
セルビア救国政府(1941-1944※)、
ピンドス公国・マケドニア公国(1941-1944)、
フィンランド共和国(1941-1944※)、
ロシア諸民族解放委員会(1944-1945)
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・東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリにおいて調印された降伏文書の受領確認に署名した国



アメリカ合衆国、中華民国、イギリス、ソビエト連邦、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランド

・サンフランシスコ平和条約に署名した国

アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、ボリビア、ブラジル、カンボジア、カナダ、セイロン(→スリランカ)、チリ、コロンビア、コスタリカ、キューバ、ドミニカ共和国、エクアドル、エジプト、エルサルバドル、エチオピア、フランス、ギリシャ、グアテマラ、ハイチ、ホンジュラス、インドネシア)、イラン、イラク、ラオス、レバノン、リベリア、ルクセンブルク、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ニカラグア、ノルウェー、パキスタン、パナマ、パラグアイ、ペルー、フィリピン、サウジアラビア、シリア、トルコ、南アフリカ、イギリス、アメリカ合衆国、ウルグアイ、ベネズエラ、ベトナム
・講和会談に参加したが署名しなかったソ連・ポーランド・チェコとは後日、平和宣言や国交回復協定を結んだ。
・中華民国・インド・ビルマ・タイ・インドネシアなどとは二国間で平和条約を締結

なお中南米の多くの国のようにアメリカに同調して宣戦布告したが、実際には戦火を交えなかった国や、
ドイツ降伏後 国際連合の原加盟国の資格得るため 名目上 日本に宣戦布告した国もある。

フランスとは、太平洋戦争の前から、仏印(現在のベトナム)に進駐、占領したので、ドゴールの自由フランスは、日本に宣戦布告。

 英領インド軍は、マレー半島など各地で日本軍と交戦。一方、独立運動家ボースの組織した自由インド政府は、日本に協力、アンダマン諸島を統治し、英領インド軍捕虜を中核に、インド国民軍を結成、イン・パール作戦に協力、ビルマからインドに入ったが、帝国陸軍の杜撰な作戦のため、敗れた・

 フイリピンは1944年の完全独立を控え、米軍とは別に、マッカーサーをフイリピン軍元帥・総司令官に招き、アメリカ自治領フイリピン軍が組織され、バターン半島コレヒドール島まで、日本軍と交戦。
その後も、民衆の協力を得て、ゲリラ戦を行い、マッカーサーが米軍を率い上陸解放するまで
情報収集後方撹乱に貢献。日本はラウレル大統領など親日派にフィリピン共和国を称させ、親日勢力を武装させたが、結局、民衆の大半の支持を得られなかった。

 イギリス自治領であったビルマでは、アウンサンがビルマ独立義勇軍を組織、日本軍のビルマ占領に協力、
バー・モウを首班にビルマ国建国、米英に宣戦布告。しかし、日本が完全な独立認めず、ビルマを戦場化したので、
アウンサンらはクーデターを決行。連合国側に転じ、日本と交戦した。

 インドネシアは蘭印(オランダ領インドネシア)であったが、スカルノ・ハッタら独立勢力に日本軍が協力要請、オランダ軍を降伏させた。1945年8月19日に独立宣言するという方針だったが、
1945年8月15日に日本が降伏し、独立が反故になることを恐れたスカルノら民族主義者は同17日、ジャカルタで独立を宣言、日本軍の武器を奪い、それを用いオランダと独立戦争を戦う。
この独立戦争には、軍籍を離脱した日本人約二千人が最前列に立って戦い、その結果千名以上が命を落とした。
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 サンフランシスコ講和条約には、日本を含む50カ国が招請されました。

この中には、終戦時に独立国ではなかったものの、戦闘に参加した国は含まれています。

 また、日本と戦闘しなかった韓国は含まれていません。インドは、招請されたものの参加しませんでした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
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 インド・ビルマはイギリス領、フィリピンはアメリカ領、インドネシアはオランダ領ニャ。

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Q日本が戦争をした国を教えてください

日本が今までに戦争をした国を教えてください。
中国、アメリカ、ロシア、はわかるのですが、第一次世界大戦、第二次世界大戦の相手国ともすべて直接戦争していますか?ドイツとも戦っていますか?

第二次世界大戦終結は日本の降伏が最後となり、他の国はすでに降伏していたのですよね?最後は日本とアメリカのみが戦っていたのですか?
降伏日がちがっても世界的に第二次世界大戦終戦記念日は1945年8月15日と統一されているのですか?

また、世界大戦中は味方同士の国が一緒になって戦う事はあったのですか?別々に戦っていたのですか?
教えてください。

Aベストアンサー

明治維新以後の日本の戦争の名称と”戦闘相手国”を古い順に書きます。

(1)台湾出兵(1874年):清 ←ただし、台湾の民兵(ゲリラ)との戦闘のみ
(2)日清戦争(1894-95):清
(3)日露戦争(1904-05):帝政ロシア
(4)北清事変(1900):清
(5)第一次世界大戦(1914-18):ドイツ帝国
(6)シベリア出兵(1918-22):ソ連(ボルシェビキ、赤軍)
(7)山東出兵(1927-28):中華民国(国民政府)
(8)満州事変(1931-32):中華民国(国民政府)、ソ連
(9)第一次上海事変(1932):中華民国(国民政府)
(10)支那事変(1937-45):中華民国(国民政府)
(11)ノモンハン事件(1939):ソ連
(12)大東亜戦争(1941-45):アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア、ソ連

第一次世界大戦について:
日本は、日英同盟の関係で、ドイツとオーストリアの敵国となったが、戦闘した相手はドイツだけだった。

大東亜戦争について:
・インドなどアジアの諸地域は欧米の植民地であって独立国ではなかったため”戦闘相手国”としなかった。例えば、イギリスの植民地だったインドの人は宗主国イギリスの兵隊として日本兵と戦ったのでインドを”戦闘相手国”としなかった。同様にインドシアはオランダの植民地だった。フィリピンはアメリカの植民地だった。
・前記の5カ国のほかにも大東亜戦争で日本に宣戦布告した国は多数に上るが、日本側は宣戦布告しておらず、また、戦闘も行わなかったため”戦闘相手国”としなかった。

支那事変について:
支那事変は、1937年に日本と中華民国国民政府との間で行われた戦闘だが、初め、両国共に宣戦布告しなかった。1941年に至って相手は日本に宣戦布告したが日本は最後まで相手に宣戦しなかった。

大東亜戦争の名称について:
日本政府の正式名称である「大東亜戦争」には、1937年に始まった支那事変も含まれる。「支那事変を含めて大東亜戦争と呼称する」(1941年12月12日、日本政府閣議決定)

明治維新以後の日本の戦争の名称と”戦闘相手国”を古い順に書きます。

(1)台湾出兵(1874年):清 ←ただし、台湾の民兵(ゲリラ)との戦闘のみ
(2)日清戦争(1894-95):清
(3)日露戦争(1904-05):帝政ロシア
(4)北清事変(1900):清
(5)第一次世界大戦(1914-18):ドイツ帝国
(6)シベリア出兵(1918-22):ソ連(ボルシェビキ、赤軍)
(7)山東出兵(1927-28):中華民国(国民政府)
(8)満州事変(1931-32):中華民国(国民政府)、ソ連
(9)第一次上海事変(1932):中華民国(国民政府)
(10)支那事変(1937...続きを読む

Q小学生でもわかる第二次世界大戦の流れ

小学生と、知的障害がある中学生に第二次世界大戦のことについて
説明してほしいと頼まれましたが、しゃべった内容が難しかったのか
ぽかーんとされてしまいました。自分が完ぺきに理解しているというわけでもないので
説明しながら自分でもわからなくなってしまいました。

そこで、子どもにも簡単に説明できるような第二次世界大戦の
開戦きのっかけ、流れ、終戦、状況などをとても簡単に教えてください。
お願いします。
一時間以内で話せたらいいかなあと思っています。

Aベストアンサー

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメリカ
  やイギリスが邪魔をしたのでそれら強国との大戦争に
  なった。
 ・ドイツも同じく周りの国々を軍隊の力で支配し、
  アメリカやイギリスと大戦争になった。
 ・強国に支配されていた国々は日本やドイツのやりかた
  が酷かったので日本やドイツと戦いを始めた。

(3) 流れ

 ・日本とドイツの戦争のしかたは奇襲といって相手が
  油断しているときに突然襲う戦い。だから初めは
  勝つけれど、より強いAグループが本気を出すと
  日本・ドイツは負けていく。そして支配の仕方が
  酷いので支配された国の人から恨みをかい日本と
  ドイツは大敗する。

(4) 終戦
 ・負けることがわかっても日本だけ戦いつづけた。
  理由は天皇を守るためということだった。
  戦いが続く中、アメリカは原爆という大きな爆弾を
  日本の広島と長崎に落として日本は降参した。

(5) 状況

 ・この大戦争は初めは強国どうしのよその国を奪い合う
  喧嘩だった。けれど日本やドイツが少人数の偉い人の
  命令をみんなは文句を言わず聞け、一人一人の事より
  国=偉い人のほうが大事なんだという考え方と、一人
  一人の事を大切にする考え方に賛成する国々との戦い
  となり、最後は日本と80の国々との戦いとなった。

 ごめんなさい。やはり難しいですね。でもこれを下敷きに

もっとお話し的に変えたらどうでしょう?

 

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメ...続きを読む

Q第二次世界大戦って何で起きたの?小学四年生への回答

小学四年生の子に、
「第二次世界大戦って何が原因で起こったの?」という質問をもらいました。

色々と細かいことは数知れず説明が必要かと思うのですが、これを簡単に、かつ、四年生にもある意味バッチリと理解させるためには、どのような説明を行えばよいでしょうか?

ドイツの負債やブロック経済云々を話しても難しいですし、何と伝えれば理解しやすいでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

お子様がどの程度知識がお有りになれて、どんな切っ掛けで質問されたのか判りませんが取敢えずトライしてみます。

今は日本とかアメリカという国どうしで色々な問題があったときは、話し合いで解決しようとします。
その話し合いの場所として国連というのが、ニューヨークにあります。
今から70年ぐらい前の第二次世界大戦が始る前までは、どこの国も戦争をして勝ち負けで決めようという考え方をしていました。
今でも、シリアやアフガニスタンやアフリカで戦争をしています。
これも、話し合いよりも腕ずくで問題を解決してしまえと考えている人達が沢山いる為です。

第二次世界大戦が始る前の頃には、世界の国が二つのグループに分かれていました。
一方は日本とドイツ、イタリアのグループでした。
もう一つはアメリカやイギリス、フランスなどヨーロッパの国々でした。
今の国連とよく似た国際連盟というのがスイスにありましたが、なかなか話し合いが上手くいきませんでした。

ヨーロッパではドイツが初めに周りの国へ軍隊を送り戦争がはじまりました。
日本はその頃、中国の東北地方と呼ばれる朝鮮半島の北側の一帯に満州国という国を作って、そこへ沢山の日本人が移り住んでいました。
このことについてアメリカなどが強く反対していました。
日本とアメリカや他の国といろいろ話し合いをしましたが、上手くいかずに戦争で勝負を着けようということになってしまいました。
ドイツはフランスなどヨーロッパの国と戦争し、日本はアメリカや中国と戦争をするという状態になってしまいました。
ドイツと日本は同じグループでアメリカやフランスは別なグループですから、結局このグループ対グループの戦争となり世界中が戦争をしているという状態になってしまいました。

ドイツがなぜ他所の国へ軍隊を派遣したのか
第二次世界大戦の前に第一次世界大戦と呼ばれるヨーロッパの国々どうしの戦争が有りました。
この戦争でドイツは負けました、
負けた後に払いきれないほど沢山の賠償を要求されてしまいました。
この為に貧乏になって生活が出来なくなりました。
これを止めさせることをスローガンとした政治家が現れて、国民の支持を受けて独裁者となりました。
そして約束通り周りの国を武力で降参させていきました。

日本がなぜアメリカと戦争を始めたか
日本が中国大陸の一部に満州国という国を作ったことに対して、アメリカが強く反対しました。
その頃東南アジアの国々はフランスやイギリス、オランダなどの植民地でした。
これ等の国々も中国の各地方を自分の支配下に置こうとしていました。
フィリピンもその頃はアメリカの植民地でした。
日本のまわりの国を植民地にしていた国々がアメリカと同調して経済的な圧力を加えてきました。
今の経済制裁というやり方です、何も売らない、何も買わないというやり方です。
この話し合いが上手くいかずに、中心となっていたアメリカに対して宣戦を布告をしました。
当時、日本は石油はほとんど全てアメリカから輸入していました。
鉄も同じように輸入していました。
これを売ってもらえなければ、日本は生活ができませんでした。

今と全く違うのは、アメリカやヨーロッパの国も、戦争で勝負を着けることがごく当たり前という考え方でした。

こんなところですかね~
何かの参考になれば幸いです。

お子様がどの程度知識がお有りになれて、どんな切っ掛けで質問されたのか判りませんが取敢えずトライしてみます。

今は日本とかアメリカという国どうしで色々な問題があったときは、話し合いで解決しようとします。
その話し合いの場所として国連というのが、ニューヨークにあります。
今から70年ぐらい前の第二次世界大戦が始る前までは、どこの国も戦争をして勝ち負けで決めようという考え方をしていました。
今でも、シリアやアフガニスタンやアフリカで戦争をしています。
これも、話し合いよりも腕ずくで...続きを読む

Qなぜ日本は第二次世界対戦に参戦したのか。

一応検索したのですが見つからなかったので質問させていただきます。
どうか教えてください。

タイトルの通り、なぜ日本は第二次世界対戦に参戦したのでしょうか。
その背景には五・一五事件や二・二六事件も関係していると聞いたことがあるのですが、どういうことでしょうか。
そもそも、日本は第一次世界大戦に参戦し、戦争はたくさんの人の命を奪うということが分かったはずなのに、どうして戦争を止められなかったのでしょうか。
レベルの低い質問で申し訳ございません。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極東アジアには、列強の利権が最後まで未確定であった中国がありました。
 衰退した清朝の倒れた後の中国は、軍閥が群雄割拠する政治的に混乱した社会があり、中国と隣り合う日本はもっとも有利な地理的位置におり、中国の利権を手に入れれば一躍、アメリカ・イギリス(広大な植民地の中でも、インドという人口の多いアジアの重要地域を手に入れたことが、イギリスの繁栄の原動力でした。)と並ぶ列強トップになれるように見えました。

 第一次世界大戦の破壊からヨーロッパが回復するにつれ、世界の列強間の経済戦争が激化し、お互いの勢力圏から他国を締め出すブロック経済が進展、利権の確定していない中国が各国の経済戦争の主戦場となりました。
 
 経済戦争だけでは、国力のあるアメリカ・イギリスに勝てない日本は、その地の利を生かして軍事的に中国の利権を確保すればよいという考えが、軍内部に生まれました。

 皇道派(現場指揮官が多く、天皇に対する忠誠心など精神論を信奉。)と統制派(陸軍大学卒業者の参謀などが多く、論理を重視。)に分かれていた軍内部は、五・一五事件や二・二六事件によって、統制派がコントロールするようになり、暴力機関である軍の力を恐れた文官・政治家が増えたこともあり、軍内部で独自の政治的意図を持って行動する素地が生まれます。

 この時点で日本の選択肢は、日本がアメリカの覇権を認めるか(第二次大戦後、現在も続いている状況です。)、日本がアメリカと並び立つかという選択になりました。(当時、あめりかのGDPは日本の10倍と言われていました。)そして日本は日本がアメリカと並び立つ可能性にかけたわけです。
(ですから、日本とアメリカの間の戦争は侵略戦争ではありません。)

 日本がアメリカと並び立つには、その経済力の差を少しでも埋めなければなりませんが、その可能性は列強の権益の確定していない中国にしかありません。
 まともに正面から経済戦争をしたのでは、アメリカに勝てません。そこで軍事占領による市場・資源の確保を目指したのです。
(ですから、中国に対しては侵略戦争となります。)

 アメリカに対抗する以上、満州事変から日華事変(=支那事変・日中戦争)太平洋戦争と続くこととなりました。
 
<<個別エピソード>>
・満州事変と支那事変の開始
 戦前の日本の政治システムにおいては、日本軍は皇軍=天皇の軍隊として存在しており、内閣と軍(陸軍=参謀本部、海軍=海軍軍令部)は、天皇のもとで並立する立場でした。
 明治時代においては、明治維新の重鎮(政治家だが、明治維新では軍指揮官としても活動。)が生存しており、内閣・軍双方に対して強い影響力を持っており、天皇を補佐する枢密院のメンバーとして内閣と軍をコントロールし、日本の政治力の根源となっていました。
 昭和になると、この枢密院に軍・行政双方に強い力を持つ人物がいなくなり(政治体制が確立して年数がたったため、軍・行政いずれかの出身者となり、どちらにも強い発言力を持つ人物がいなくなったのです。)、軍事・行政を統括した視点で政治力を発揮出来なくなったのです。

 そのような状況の中で、政府・参謀本部ともに「満州では、極力事を構えない。」方針であった(=満州の軍閥、張学良の兵力は、日本軍の10倍あるといわれていた。)のに、満州派遣日本軍(=関東軍)の参謀であった石原莞爾・板垣征四郎が、この方針を無視して軍事行動を起こし、張学良軍を電撃作戦で圧倒、軍事作戦としては大成功をおさめました。参謀本部・日本政府ともに関東軍の軍事行動を追認し、満州国建国に至ったのです。ここまでは、石原莞爾の戦略通りの展開となったのです。

 その結果、石原は陸軍同期の中で最も早く大佐となり、陸軍内部で「軍参謀は中央の方針に反しても、作戦で戦果を挙げれば、出世する。」という認識が生まれることとなりました。

 石原莞爾は、満州を取って「日本・朝鮮・台湾・満州を日本の経済圏として開発することに専念すれば、アメリカに対抗できる。」との見方を持っており、そのための戦略は、『満州を勢力下に置いた後は、他国との軍事衝突は外交力を総動員して回避し、軍事費を抑え経済開発に専念する』というものでした。

ところが・・・・
Wikipedia抜粋 
 石原莞爾は、1937年の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長となり、内蒙古での戦線拡大に作戦本部長として、中央の統制に服するよう説得に出かけたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑される。戦線が泥沼化することを予見して不拡大方針を唱えたが、当時関東軍司令長官東條英機ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部から関東軍に左遷された。

 日中戦争を開始した中国派遣軍参謀を評して、石原は「鵜の真似をする烏」と言ったらしいが、過去の自分の行動が影響を与え、石原の戦略は崩壊することとなって行きます。

<<日米開戦>> 
 開戦直前に昭和天皇は「本当にアメリカと戦争して大丈夫か」とかなりしつこく聞いています。御前会議(天皇出席の会議)で昭和天皇は「発言する」と言い出して周囲を慌てさせています。当時、既に御前会議は形骸化していて「陛下、このようになります」という申し出に天皇がケチをつけるというのはありえないこととなっていたのです。会議において天皇自らが発言すること自体が異例となっていたのです。
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3146246.html

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極...続きを読む

Q日本は強かったの? 他国から歴史をみたら日本なんてなんてことない国だったの?

第一次、第二次世界大戦の時代
私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?)
私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

Aベストアンサー

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸軍は弱かった、人命無視のムチャクチャな作戦をやって自滅して行った…という悪いイメージがありますが、仔細に見るとそうでもありません。

A) 支那事変は、蒋介石率いる国民政府が、上海周辺にドイツ軍事顧問団の指導で建設した第一次大戦型の塹壕陣地(第一次大戦の常識では『突破不可能』。ゼークトラインと呼ばれた)を建設した上で、上海に駐屯していた海軍の上海特別陸戦隊を襲撃し、救援にやってくる日本陸軍を、上海周辺の塹壕陣地に誘致して殲滅する、という計画で始まりました。

蓋を開けてみますと、上海特別陸戦隊は意外なほど頑強に戦って陸軍の援軍が来るまで持ちこたえ、杭州湾に上陸した日本陸軍3個師団は、国民政府が頼みにしていたゼークトラインを「浸透戦術」を巧妙に用いることで少ない損害で突破し、国民党軍を包囲殲滅しながら国民政府の首都である南京へ進撃しました。

これは蒋介石にとって全く予想外のことで、国民政府軍は総崩れとなりました。日本陸軍は、上記のランキングでは「ランキング対象外」の国民政府軍より「遥かに強かった」と言えます。

ウィキペディア 第二次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89

B) ポツダム宣言受諾の「後」に、ソ連軍が北方から千島と南樺太に侵攻しました。
千島列島の北端である占守島、日本領であった南樺太には、比較的装備が良く、兵員も充実した守備隊が残っていました。
8月15日以降のソ連軍の攻撃に対し、占守島と南樺太の陸軍部隊は善戦し、
「占守島においては、上陸したソ連軍をもう少しで海岸に追い詰めて全滅させるところまで戦う」
「樺太においては、ソ連軍の南下を食い止め、南樺太の日本人が北海道へ逃げる時間をかなり稼ぐ」
という戦いぶりを見せています。

<海軍について>
日本海軍については、アメリカに次いで世界第二位の戦力を持っていたのは異論がない所で、戦前においては、東太平洋は「日本の海」でした。

「空母機動部隊」はアメリカと日本だけが編成して運用できたものですし、18インチ砲搭載の戦艦を建造できたのは日本だけです。第二次大戦終結までに完成させた大型空母の隻数で言えば、アメリカが圧倒的に多いわけですが、次に多いのは日本です。第三位のイギリスにかなり差をつけているはずです。

無限の物量と高度な技術を持つアメリカと戦っては、昭和19年のサイパン沖海戦で日本空母機動部隊が壊滅し、レイテ沖海戦で航空機の援護のない「レイテ湾への特攻」を命じられた水上部隊がろくな戦果を挙げられずに甚大な被害を受け、「沖縄への大和特攻」(坊の岬沖海戦)で終わったわけですが、アメリカ海軍相手にここまで戦える海軍は日本海軍だけだった、というのは紛れもない事実でしょう。

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸...続きを読む

Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Q第二次世界大戦の日本は世界から見たら脅威的だった?

第一次大戦では勝利国として、その後も
小さな島国のわりにはいくつもの戦いに勝利して
第二次大戦の太平洋戦争のときのアメリカは、自国に上陸される可能性を十分考えていたとか。
そして日本艦隊も強かったようなことを聞いてます。
最終的にはアメリカ、イギリス、ソ連の超大国を相手に
最後まで戦って負けてしまいましたよね。

そこで質問です。
第二次世界大戦の頃の日本というのは
世界から見たら大変な脅威、軍事力を持った国家だったのでしょうか?

Aベストアンサー

異論として聞いてください。
陸軍についてです。

陸軍力は、
1)ソ連
2)日本
3)ドイツ(ただし、新戦術を勉強中)
4)イギリス
5)フランス
6)イタリア
7)アメリカ

だと思います。あくまでも開戦時です。アメリカは陸軍を開戦時にはあまり持っていない軍隊でした。ただ、陸軍を作る産業の力はすべてにわたって文句なく1位です。

で、日本対中国は前述の方の言われるようになったわけで、ゼークト・ラインをデザインした中華民国のドイツ人顧問が拳銃自殺するほど、日本陸軍は精強でした。
その日本陸軍と二次大戦前に唯一対決した列強があります。ソ連です。いわゆる「ノモンハン事件」です。
この時は日本側の連絡が東京と現地で錯綜したり、ソ連側が兵力(特に航空機と砲兵)を集中して結果は事実上日本の負け、となったわけですが、やったソ連にしてみてもとんでもない大損害をだし、よく言われるソ連の戦車無敵、でもなかった事実が浮き彫りになりました。当時までの帝国陸軍は時代に即した近代兵器をそろえた軍隊だったのです。
この事件、を指揮したのはのちにナチスを倒すジューコフですが、彼が戦後西側のインタビューで「一番苦労した戦いは?」との問いに間髪いれず「ハルハン・ゴル(ノモンハン)」と言ったのは有名なハナシです。

ただ、英米欧は「よくわからないけど……よくわからないていい」という、対日情報の不備、というか、あえて無視したという感じがあります。日本なんて関係ない、と。
英国情報部が東京駐在武官とともに、日本は海軍強いのは知られているが、陸軍も戦車、航空機の充実した恐ろしい組織である、とシンガポールで報告したものの、パーシバルが「では、パーティに」といったエピソードがあります。
また、陸軍の二式(鍾馗)戦闘機に乗ったバトル・オブ・ブリテン経験したドイツ空軍パイロットは、世界最強の戦闘機は極東にある、と報告しています。
戦後、台湾にのがれた蒋介石は、日本軍関係者を極秘裏に台湾に呼んで、実践学舎という軍学校をつくりました。アメリカの将校教育を受けた中華民国の軍人は、それをはるかに上回る日本人教官の精密な指導に驚いたそうで、蒋介石も授業をよく聞きに来たそうです。この日本人顧問団を「白団」といいます。最盛期には60人以上が台湾にいたそうです。

雪原から砂漠、そしてトウキョウにまで展開している、極東の謎の巨大組織、というのが他国がみた帝国陸軍の実態ではないでしょうか。

異論として聞いてください。
陸軍についてです。

陸軍力は、
1)ソ連
2)日本
3)ドイツ(ただし、新戦術を勉強中)
4)イギリス
5)フランス
6)イタリア
7)アメリカ

だと思います。あくまでも開戦時です。アメリカは陸軍を開戦時にはあまり持っていない軍隊でした。ただ、陸軍を作る産業の力はすべてにわたって文句なく1位です。

で、日本対中国は前述の方の言われるようになったわけで、ゼークト・ラインをデザインした中華民国のドイツ人顧問が拳銃自殺するほど、日本陸軍は精強で...続きを読む

Qアメリカに戦争で最も人的被害を与えた国はどこ?

少し前ですが、テレビ特番の「世界サミット たけしJAPAN 2009日本を考えるTV」にて
町山智浩氏が、アメリカが戦争によって最も人的被害(死傷者の数)を出した国は日本であると発言していたのですが、
これは本当なのでしょうか?

なんとなく、一番は第二次世界大戦でのドイツだと思っていたので、日本というのは少し意外でした。
実際のところはどうなのでしょうか。
(南北戦争が最も死者は多いとは思いますが、内戦なので回答はアメリカ以外の国でお願いします。)

ソース元なども含めて教えて頂ければ幸いですが、大体でも教えていただければありがたいです。

Aベストアンサー

おいみんな、「第二次大戦 戦死者」とか「欧州戦線 戦死者」と検索すりゃ一発で出てくるじゃないか。

欧州戦線における米軍の戦死者が約18万人、太平洋戦線における米軍の戦死者が約10万人、合わせて約29万人です。ただし、欧州戦線ではドイツ軍の他にイタリア軍だって(一応)いたわけですから単純に対ドイツ戦のみというわけではありませんが。
投入した物資の量となると、イギリスやソ連への武器貸与分を含めると圧倒的に欧州戦線となります。アメリカがどのくらいソ連を支援したのかというと、ソ連軍が使ったトラックの約9割がアメリカ製だったくらいです。アメリカがトラックや弾薬、燃料をソ連に送ったので、ソ連はほとんど戦車とか戦闘機だけ作っていれば良かったのです。そもそもアングロサクソン人国家であるアメリカにとって大西洋と太平洋では圧倒的に大西洋のほうが重要であり(ワシントンDCは東海岸であることをお忘れなく)、太平洋戦線なんて言葉は悪いですが片手間でやっていたようなものです。

どうしても私たちは日本人なので自分たちを買いかぶってしまいますが、そもそもアメリカは対ドイツ戦に勝利してから太平洋戦線で反撃しようと考えていました。けれど、(欧州戦線でメインの)陸軍が反撃しているのに(太平洋戦線でメインの)海軍は反撃しないのでは国民への体裁も悪いことから主に米海軍が強く主張して太平洋戦線でも反撃することにしました(あとは国民的人気が高かったマッカーサーも主に自分の体裁から強く主張した)。だから、1943年まで太平洋戦線に投入された主な地上部隊というのは海兵隊一個師団程度です。

おいみんな、「第二次大戦 戦死者」とか「欧州戦線 戦死者」と検索すりゃ一発で出てくるじゃないか。

欧州戦線における米軍の戦死者が約18万人、太平洋戦線における米軍の戦死者が約10万人、合わせて約29万人です。ただし、欧州戦線ではドイツ軍の他にイタリア軍だって(一応)いたわけですから単純に対ドイツ戦のみというわけではありませんが。
投入した物資の量となると、イギリスやソ連への武器貸与分を含めると圧倒的に欧州戦線となります。アメリカがどのくらいソ連を支援したのかというと、ソ連軍が...続きを読む

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む

Q日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国があるのですか

先日、テレビでパラオは、過去の戦争で日本軍がいたのですが、すごい親日国だということを知りました。
過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。

韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。
>韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

回答:反日の国は、国民に嘘を教えているからです。

軍隊がいた=反日 というのは無知から来る短絡思考です。
日本には米軍基地がありますが、日本人は反米なのでしょうか。

この類の質問は何度もでていますが、日本を非難する方は何故か資料を出さずに、主観的な推測を語る方が多いようです。


まず、東南アジア諸国についてですが、日本は植民地にはしていません。
大東亜共栄圏構想は、欧米から独立してアジア諸国による民族自決を目指したものです。
当時のアジア諸国の国力は日本だけが飛びぬけていた為に、日本の主導になっていたことは事実ですが、「日本によるアジア支配」という解釈は歪曲です。
日本は、白人を排除した後に大東亜会議を開いて、彼等の自治を認めています。

【大東亜会議】
http://www.youtube.com/watch?v=3mvHRVlrFUU

アジア諸国は「日本の戦争は侵略ではない」という認識から、連合国が認めた賠償請求権を放棄してくれています。(しかし、日本はそれに対しても「準賠償」という名目で経済援助をしています)

【日本が支払った戦争賠償金】(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=euNuLLDSWTI


ソムアン・サラサス(タイ側交渉団)は終戦後の訪日時に、↓のように語っています。

「日本国民は餓死寸前でありました。日本中が焼野原でした。
そして、皇族も華族もいなくなり、有力な軍人と賢明な役人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。
アメリカはそっくり返って威張っている。団員は口々に“こんな気の毒な日本を見ていられるか”と言いましたよ」
「(こんな値引きに応じて)“国へ帰ったら、殺されるかな”とフッと思った。
けれど、“まあいいや、友邦日本は悲惨な状態なんだから”と自分に言いきかせました。団員も同じ気持ちだったのです」

大東亜戦争中、日本はタイから20億バール(当時の10億ドル以上)の借金をしていました。
タイはそれを2500万ドルに値引きしてくれています。


フィリピンについてですが、
私は、戦争がなくてもフィリピンが(タダで)独立できたか については疑問があります。

オランダはインドネシアの独立の時に60億$を請求しています。
他にも、インドネシアにオランダ人が所有している土地財産の保全と、スマトラ油田の開発費用の弁済を要求しています。(独立戦争をしてすら、このような要求をされています)

実は、フィリピン国民は「フィリピンの独立記念日」は1898年だと思っています。
フィリピンは元々スペインの植民地でしたが、スペインがアメリカと戦争したとき、アメリカは独立を条件にフィリピンを味方に付けました。
戦争はアメリカが勝利し、フィリピンは独立を宣言しました。
しかし、アメリカはスペインからフィリピン統治権を買い取り、新たな宗主国としてフィリピンを統治しました。

日本は占領後の1943年にすぐ軍政を撤廃し、「フィリピン共和国」として独立させています。

その後日本の敗戦により、日本に亡命したラウレル大統領によって「フィリピン共和国」は解散されます。
その後、1946年にアメリカ統治下での選挙で当選したロハスによって、「現在のフィリピン共和国」が独立します。


台湾とパラオについてですが、
【植民地】というものについては、欧米の支配の実態から誤解されていますが、
植民地の本来の目的は、宗主国の国民を入植させつつ遅れた地域を開発し発展させることです。
台湾とパラオが親日なのは、その通りの事をして、それらを評価しているからです。
(それらの領有の経緯と是非については、質問されていないと判断しました)

【日本とパラオ ~歴史を越えた友情~】
http://www.youtube.com/watch?v=cTRfPNEPR-A

【日本と台湾は一心同体】
http://www.youtube.com/watch?v=gwPwOrmdlMs

反日の台湾人の多くは、中国大陸で共産党との権力闘争に敗れて台湾に逃れてきた国民党(蒋介石)の人たちです。
どちらも日本とは戦っていたので、反日でした。


韓国と北朝鮮ですが、
無知な人は日本が朝鮮を侵略して植民地にしたと思い込んでいますが、
日本は、失政で破綻した朝鮮の要請を受け入れて併合したのであって、侵略してはいません。
世界も併合は両国の合意に基づく平和的なものであることを認めています。
併合とは、一つの国になることで、他国を一方的に支配する植民地とは全く違うものです。
そして、日本は併合した朝鮮地方に対して、植民地である台湾やパラオより優遇しています。
(当然差別や虐待などはなく、強制連行や、従軍慰安婦や、創氏改名の強制は、事実ではありません。)

今の韓国が、反日である理由は、独立後の教育が原因です。
今の韓国の政府のルーツは、併合で特権を失った貴族や、外国(中露)から支援を受けて反日運動をしていた者達が、上海で名乗っていた自称亡命政府です。
戦前の彼らは、世界中が併合の正当性を認めていた為に孤立していました。(犯罪で資金稼ぎをしていた事も原因です。)

その後、WWIIの終戦で朝鮮は日本から独立しました。
終戦時の朝鮮には、日本の教育を受けた者しかいなかった為に、連合国は影響力を行使する為に、その亡命政府を独立した韓国の代表に選びました。
功績も無く他国の都合によるタナボタで権力を得た彼等は、日本の統治の方が良かったと国民に言われることを恐れました。(実際、日本の方が遥かにマシでした)

それを逃れる為に、新政府は朝鮮が独立できたのは、戦前・戦中からの我々の抗日運動の成果である。
朝鮮は昔から日本より優れていたが、日本が卑怯な方法で侵略して、韓国の富を奪って行った。
今現在韓国の発展が遅れているのは、それが原因であると、事実と違う捏造教育をし続けました。

このように、自分達の失政への批判を、日本という敵を作ることでそらし続けてきた結果、反日が韓国人に定着してしまい、今更、教えた歴史が嘘でしたとは言えない状態になってしまっています。
今、それをした場合、韓国人のアイデンティティは崩壊して、国そのものが危うくなってしまうでしょう。

北朝鮮の反日も↑の自国の政府の正当性を、「日本と戦っていたこと」に拠っているからです。


中国の反日も、韓国と同じです。
彼らも日本の侵略を戦って撃退したと言っていますが、事実は全く逆です、
日中戦争は、中国が朝鮮(当時は併合で日本領)を侵略したのが原因です。

当時の中国ですが、清国が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態でした。
彼らは大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、現場の緊張は極限状態に達していました。
日本は、条約や協定による平和的な解決を試みましたが、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。)

当然治安も悪く、テロも多発しており、日本人の大尉が中国兵に惨殺される事件も起きています。
これらの結果、現地の部隊が暴発し、独断行動による戦闘が発生してしまい、それが満州事変に発展します。

これによる満州国の建国を、侵略によるものだという意見もありますが、満州国という地域を確保しないと当時日本が所有していた、満州鉄道へのテロを防止できませんでした。

その後の満州国は、日本が治安を維持した為に各地から人口が流入し繁栄した為に、再びそれを狙った中国によるテロ活動が起りました。
日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争に発展します。

私は、これらの経緯を日本の一方的な侵略と断定できる人の知能と国籍を疑います。

http://www.youtube.com/watch?v=Kiz7N4z7c3M

>過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。
>韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

回答:反日の国は、国民に嘘を教えているからです。

軍隊がいた=反日 というのは無知から来る短絡思考です。
日本には米軍基地がありますが、日本人は反米なのでしょうか。

この類の質問は何度もでていますが、日本を非難する方は何故か資料を出さずに、主観的な推測を語る方が多いようで...続きを読む


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