人に聞けない痔の悩み、これでスッキリ >>

閲覧ありがとうございます。
マニアックな質問かと思いますが ダメもとで書いてみます。

平家物語って… 
どうして 琵琶法師がほいほいと民衆に語って良かったのでしょうか?


琵琶法師が語ったのは鎮魂のためだった、という説はわかるのですが
なぜ 身分の高くない一般民衆にまで話す必要があったのでしょう?
源平の戦乱で民衆もとばっちりを受けていたから 説明代わりに…でしょうか…?

ただ平家物語の内容って 
貴族や(当時は神である)天皇がバンバン出て来られて
最後は安徳天皇の入水、三種の神器の一部紛失など
ものすごくタブーな事が書いてあると思うのですが…
そんなの民衆が気軽に聞いて良かったのでしょうか??

平家物語の成立が ものすごく後年だったなら
「昔のことだから」と許される部分もあるかと思うのですが
作者が信濃前司行長説でしたら 「三種の神器がそろわなかったという
コンプレックスを持っていた」後鳥羽上皇の時代ですよね…
琵琶法師…処罰されなかったのですか…… と…(汗)

すごく…「それを知ってどうする!」という疑問ですが
モヤモヤが晴れないので
どなたかご存知の方いらっしゃいましたら 教えて下さい!
よろしくお願いします。
(カテゴリ、文学かと思いましたが 
 作品の成立背景が知りたいということで 歴史で失礼します)

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A 回答 (3件)

疑問点としては 二点あると判断します



1 平家物語を語る権限があったのか?
2 琵琶法師が語るという世界はどうして成立したか?

これを考える上で二点を明確にする必要があります

A 平家物語を聞いた人々とは?
B 平家物語を作った人々とは?

A 聞いた人々
質問者は民衆としていますが、主力は地方武士です。
なにも、琵琶法師劇場とかいうのがあったわけでなく、琵琶法師は地方地方の有力者(=武士)の家を廻って語っていたのです。
で、聞き手が地方武士ということになると、どうなるかというと、「聞き手に合わせた変曲」です。
下野の足利に行けは、足利家大活躍。下総の結城に行けば、結城家大活躍。
平家物語の異本というやつで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E5%B9%B3% …
これなどは、上総の千葉氏が大活躍。

B 作った人々(作らせた人々)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%B6% …
直接の作者に関しては、上記に説明がありますが、そのバックヤードというか支援者というものがあります。
義経の登場―王権論の視座から
この本は、義経が ひょろっと 出てきたのではなく、反平家とでもいう王朝内でのネットワークが存在し、その中から義経が出てきた。というのを論述しています。
そして、それとちょうど反対の立場になる親平家とでもいう王朝内でのネットワークがあり、彼ら(彼女ら)が平家関係の情報を保有し、情報を提供した。この本だったか
物語の中世―神話・説話・民話の歴史学
この本だったか、本郷和人さんだったかが書いていた。

===
源平の戦乱で民衆もとばっちりを受けていたから 説明代わりに…でしょうか…?

源平争乱で活躍した人々の子孫が聞き手。

ものすごくタブーな事が書いてあると思うのですが…

タブーの中の人々が作らせた人々
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この回答へのお礼

聞いた人=民衆ではなく 地方武士だったのですね!
なるほど!
よく琵琶法師の説明文に
「民衆に語って聞かせた」と書かれているので
てっきり農民や商人にも話して回ったのかと誤解していました。
(だから そんな方達に 何故話す必要があったのかと疑問で!)
また
作った人というのも…
平家の悲劇を残したい人達がみんなで作ったのですね!
それなら たしかに安徳天皇の事や三種の神器のことも
後世に意地でも残そうとしますよね…。
タブーって言っていたら 無かったことになってしまうかもしれないし。
納得です!!

本当にスッキリしました ありがとうございました!

お礼日時:2011/08/20 23:46

ハーンの書いた、かの有名な「怪談」の中に「耳なし芳一」という有名なお話があります。

盲目の琵琶弾き語り「芳一」の「平家物語」が達者な事を聞いたという、ある鎧武者が現れ、芳一をどこぞの屋敷に連れていき、平家物語の弾き語りをさせます。屋敷の主人は芳一の語る平家物語に感嘆し「毎晩聞かせていただきたい」と申し出ます。芳一は了承しますが、毎晩の様に住んでるお寺から消え朝方帰ってくる芳一に不審を抱いた住職は芳一に問いただしますが、芳一は固く口止めされていた為に真実を語ろうとしません。そこである晩、寺男2人に芳一の後を付ける様に命じたところ、芳一は平家の墓場で鬼火に囲まれ、平家物語を弾き語っていた事が判明しました。平家の亡霊に惑わされていると悟った住職は、芳一の全身にお経を書き、亡霊に姿が見えない様にしますが、耳に書くのを忘れた為に耳だけを亡霊に引きちぎられ持っていかれてしまいました。その話が伝わり、芳一はますます著名となり「耳なし芳一」と呼ばれる様になった・・・・というお話です。

ハーンは勿論、架空でこの話を作った訳ではありません。やはり歴史上、平家物語を弾き語る「琵琶法師」という存在があったからこそ、それをベースに「耳なし芳一」を書いた訳ですが、天皇が出てこようと何であろうと、民衆用に「平家の栄華と悲劇」を伝承する為に書かれたのが「平家物語」です。「祇園精舎の鐘の声・・・・」から始まる平家物語。諸説ありますが、琵琶による弾き語りは「琵琶で弾き語りをして平家の亡霊を鎮魂する為に作られた」という説が有力です。特に安徳天皇の鎮魂の意が大きかったとも言われています。ですから、私は歴史的背景を鑑み、琵琶法師がそれを語っても処罰どころか、むしろ推奨されたであろうという考えです。

余談ですが、平家の怨念にもう一つ有名なものがありますね。「平家ガニ」です。甲羅の文様がまさしく平家武者の苦しみが乗り移ったかの様な怖ろしい文様を持ったカニです。私は亡霊・怨念というものを信じる性質なので、これは平家の亡霊以外の何物でもないと確信しています。
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この回答へのお礼

鎮魂のためであるなら むしろ奨励された…
鎮魂のためであるなら 
後鳥羽上皇も人々がタブーを語る事を許されていた、ということでしょうかね。
なるほど!
ただ 安徳天皇の鎮魂のためであるなら
従来の「御霊」の扱いのように 
各地の神社に祀る…というのだけでも良かったのに 
どうして物語にしたんだろう?なんて 新たな疑問も(^^;)
でも いろいろ考える事ができました、
ありがとうございました!

お礼日時:2011/08/20 23:45

琵琶法師って、流浪の民で、租税を納めないので、どこからも保護されなかったので、誰の規制にも縛られなかったのです。


だから琵琶法師は、盲目の障害者が、家業の手伝いをしないで就業できる数少ない職業、かつ無縁の世捨て人だったのです。
歌手や踊り子は興行であり、大道芸や見世物、曲芸、売春などサーカスとして奇形児の社会の受け皿があったのです。
のちに寺社勢力に取り込まれ僧兵やテキ屋となり、それが稼業人系ヤクザになり、または出雲阿国の歌舞伎や大道芸などから現代の芸能界映画界へ連綿と続いて行きます。

その立場を利用して、政治的には寺社と武家をつなぐ密偵として重宝がられました。
国をまたぐのが自由ですし、信書を盗み見る視力もない。歌を口伝で暗記する高い記憶力があり伝達能力がある、身寄りがいないので口封じが簡単など。
だから、武家にも出入りできるなど相応の待遇はありました。そうしないと買収されちゃうので。
その伝言を暗記するために、社会背景の歴史を覚えるための歌が、平家物語全巻であり、
最新のスキャンダルを全国に届ける、ワイドショーやゴシップ誌みたいな存在だったようです。
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この回答へのお礼

琵琶法師、結構すさまじい存在だったのですね!
ゴシップ誌みたいな存在であったという説 斬新だなと思いました。
こんな疑問にお応え頂けると思わなかったので とてもうれしいです
ありがとうございました!

お礼日時:2011/08/20 23:43

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Q琵琶法師が盲目だったのはなぜ?

琵琶法師についてウィキペディアで調べてみますと次のように書いてあります。

琵琶法師(びわほうし)は平安時代から見られた、琵琶を街中で弾く盲目の僧である。
琵琶を弾くことを職業とした盲目僧の芸人で、平安時代中期におこった

鎌倉時代には『平家物語』を琵琶の伴奏に合わせて語る平曲が完成した。
この時代には、主として経文を唱える盲僧琵琶と、『平家物語』を語る平家琵琶とに分かれた。
琵琶法師のなかには「浄瑠璃十二段草子」など説話・説経節を取り入れる者がおり、これがのちの浄瑠璃となった。

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B3%95%E5%B8%ABより引用)

琵琶法師が盲目だったのはなぜでしょうか。

また「盲僧琵琶と平家琵琶にわかれた」とありますが、どちらも盲目の琵琶法師によって語られたのでしょうか。

「琵琶法師のなかには浄瑠璃十二段草子など説話・説経節を取り入れる者がおり、これがのちの浄瑠璃となった。」とありますが、浄瑠璃は盲目の僧侶によって演じられたものではないですね?

Aベストアンサー

> 琵琶法師が盲目だったのはなぜでしょうか。

 「琵琶法師が盲目だった」 というより 「盲目の者の中に琵琶法師となる者がいた」 のではないでしょうか。

 盲目の者は大変なハンディを背負っているわけで、それでなくても生きるのが大変な世の中でした。それでも特殊技能として語りの出来る優れた才能を開花させる人がいて、芸能として貴重なものとみなされたのではないでしょうか。また、「法師」 と呼ばれるのは、仏教の説話を取り入れていたことも関係があるのではないでしょうか。

 なお、下記のところに 「(平曲は) 鎌倉時代に生仏という盲僧によって始められ」 とありました。盲目の者であり、しかも僧侶である人が元祖のようですが、後に僧でない人も出たであろうと想像されます。

 → http://homepage3.nifty.com/heikebiwa-arao/HEIKYOKUGAIRONN.htm

Q平家物語が生まれた(書かれた・できた)理由をご存知の方、大至急教えてい

平家物語が生まれた(書かれた・できた)理由をご存知の方、大至急教えていただけませんか?

平家物語はなぜできたのか?
なぜ生まれたのか?

よろしくお願いいたしますm(_ _)m

Aベストアンサー

http://homepage2.nifty.com/LUCKY-DRAGON/kakurega-8heike.htm

http://www6.plala.or.jp/HEIKE-RAISAN/zenshoudan/kaisetsu.html

http://www.e-t.ed.jp/edotori3901/kk-he1seiritu.htm

http://www.e-t.ed.jp/edotori3901/kk-he1seiritu.htm

http://www.geocities.jp/t0l_mei_sters/heike4.htm

 などに「成立」という部分があるので、参考にしてください。

Qこの世おばわがよとぞ思う望月の 歌の解釈 

「この世おば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしとおもえば」

この歌はたしか学生時代(小学校か中学校で)に習いましたが、
教師に教わった解釈は 満月のようになにも欠けた所がない、栄華を極めたワタシであることよ』というような自慢っぽいものでした。

しかし、ふと思ったのですが

『月が欠けることが無ければ、この世は自分のものだと思えるのに・・・』
という意味、とれるように思うのです。
満月を見て詠んだのではなく、ほんの少し欠けはじめた月をみて詠んだのではないかと。

作者の藤原道長は源氏物語のモデルと言われている人物でしたよね。
たしか光源氏は晩年、さみいしいというか、落ちぶれていくという結末ではなかったでしょうか。

栄華のなかにあって、ふと自分で何かを予感するような、そんな歌のような気がしたんですが・・。

今の国語の解釈ではどうなっていますか?宜しく御願いします。

Aベストアンサー

わたしも数年前に授業でならった時の解釈は、
「栄華を極めてこの世はわたしの世である まさに満月にかけた所がないように」
でした。
おそらく、現在の学校でも同じ様な解釈を教えていると思います。

ただ、わたしが調べた範囲では、こんなことがわかりました。
1)藤原道長は、30代くらいから病気を繰り返している。
2)「望月の歌」も晩年の病気と病気ので詠まれている。
3)「望月の歌」は、娘の威子が天皇の夫人となった時に読まれていて、
  同年に太政大臣を辞し、その前年に摂政を辞している。
4)「望月の歌」を詠んだ翌年には、出家している。

No3のkogotokaubeweさんの情報と以上の事を踏まえて、
質問者usiodonさんの解釈を敢えて採用するようにしてみるとこんな感じになります。
○病気が多くてそれは道長の悩みだったようで、
 病気がちの道長は晩年「糖尿病」だったそうです。
 自分個人の自信は失いかけていたかも知れません。
 また、「望月の歌」の前後で、役職を辞したり、出家してますから、
 自分の人生の事後処理モードに入っていた=欠けはじめた月の状態にあったとも
 取れます。
 「望月の歌」はそんな中で読まれているので、
 そんな本心の裏返し=強がりとして、酒の酔いにまかせて
 「いままさに栄華の絶頂にある」と詠んだ可能性はあると思います。

 それでも、出家後8年ほど生きていますので、役職は辞していても外戚政治で
 まだ権勢を奮っていたかも知れません。

質問者usiodonさんの解釈には共感できる点もありましたので
ちょっと余計な事まで回答してしまいました。

参考URLは、
「藤原道長の悩み」 http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub202.htm
です。

参考URL:http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub202.htm

わたしも数年前に授業でならった時の解釈は、
「栄華を極めてこの世はわたしの世である まさに満月にかけた所がないように」
でした。
おそらく、現在の学校でも同じ様な解釈を教えていると思います。

ただ、わたしが調べた範囲では、こんなことがわかりました。
1)藤原道長は、30代くらいから病気を繰り返している。
2)「望月の歌」も晩年の病気と病気ので詠まれている。
3)「望月の歌」は、娘の威子が天皇の夫人となった時に読まれていて、
  同年に太政大臣を辞し、その前年に摂政を辞し...続きを読む

Q舞姫について

高校の頃、教科書で学び、最近改めて読み直しましたが、大学になった今でも私が成長してないのか(^^;読後の感想は変わりませんでした。
文体が美しかったり、文学的要素はあるのだと思います。が、確か自分をモデルにした小説だったと思いますが、内容がどうも私には、筆者が「自分はエリートな男な上に、女にももてるんだ」と自慢しているようにしか感じられないのです。そもそも、女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだと私は思ってしまいます。
しかし、教科書にも載る程の文学ということは、何か内容的にもすばらしいところがある気がします。
そこで、私とは違い、この小説の内容はこんないいところがあると理解できる方、是非どんなところか教えて下さい。
この作品に対して違った見方をしてみたいです。

Aベストアンサー

明治文学の一愛好者として回答させていただきます。

まず、ほかの回答のなかにも誤解していらっしゃる方がいるようですが、『舞姫』に出てくる太田豊太郎は森鴎外の創作人物です。
にもかかわらず、『坊ちゃん』の主人公と夏目漱石をだれも同一視することはないのに、鴎外と豊太郎を平気で同一視して解釈しようとする人が多いことが不思議です。
まず、鴎外=豊太郎とする見方を捨ててください。

>女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだ

鴎外がElise Wiegertという女性と恋愛関係にあったことはいくつもの資料が指摘するところです。

けれども、鴎外が帰国した二ヶ月後の明治二十一年九月十二日、彼女は鴎外のあとを追って来日、築地の精養軒ホテルに一ヶ月滞在した後、帰国します(鴎外は、二十二年後、48歳という年齢になって、その経験をもとに『普請中』という短編を書いています)。

このElise Wiegertがどういった人物なのかはよくわかっていないのですが、とにかく鴎外を追って単身日本に来れるような彼女が、少なくとも作品中の「エリス」とはずいぶん境遇がちがったことは間違いない(当然狂気にも陥っていないし、妊娠の事実も疑わしい)。
むしろ、ごく普通の恋愛だった、と見るべきではないかと思います。

>筆者が「自分はエリートな男な上に、女にももてるんだ」と自慢しているようにしか感じられないのです

自慢がしたいなら、「エリス」を令嬢として描き、そんな極悪非道な仕打ちを書くかわりに、どれだけ彼女が別れをつらがったか、さらに「彼女ったらオレを追っかけて、日本にまできたんだゼ~、どうだ、オレってすごいだろー」と書けば、(文学として成立するかどうかはともかく)作者の自尊心は、はるかに充たされるはずです。

豊太郎はエリスに対してひどい仕打ちをする。
おそらく『舞姫』を読む人のだれもが、太田豊太郎を嫌いになるはずです。
豊太郎の行動を、批判するはずです。
憐憫を持つことはできても、好きにはなれない(たとえば「坊っちゃん」をキライになるのがむずかしいと同じくらい、豊太郎は好きになるのがむずかしい人物です)。

どうして鴎外は、あえて主人公をそのような人物として造型していったか。
また同時に、そんなひどい人間を描いた小説が「明治時代の青春を象徴する小説」(中村光夫『日本の近代小説』岩波新書)として、今日まで読み継がれてきたのか。
そこを読み解いていかなければならないと思います。

この場で読解をやっていく時間もスペースもありませんので、比較的手に入れやすい参考文献をひとつあげておきます。
山崎一穎『森鴎外 明治人の生き方』筑摩新書、とくに第四章「作家誕生 ――『舞姫』を読む」では、読解と作品が誕生した経緯が描かれています。

「鴎外が『舞姫』を発表した時、不特定多数の読者を対象にしてはいない。豊太郎の文脈に添えば、手記の読者として想定可能なものは、「心ある人」であり、豊太郎とエリスとの行実を「あやしみ、又た誹る人」であろう。これを鴎外の文脈で語るならば、エリス(エリーゼ)に代表される西欧の自由と美に象徴される市民精神を自らの手で扼殺した己れの生のあり様を「心ある人」に告白することであり、「この行ありしをあやしみ、又た誹る人」として陸軍軍医部の上官、特に石黒忠悳へ向けられた痛烈な刃であった。おそらく『舞姫』発表は対自家用(鴎外の母や妻登志子)を超えた標的に向けて放たれた小説であり、鴎外としても自己の進退を賭けた表現であったと言える」(引用同)

以下、簡単にわたしの解釈を書きます。
やはりこの小説を読むとき、何よりも忘れてはならないのは、明治という時代の特殊性です。

こんにちのわたしたちは、「日本」というものをそれほど意識せずに生活していますが、江戸末期に生まれた文学者、たとえば坪内逍遙も、二葉亭四迷も、そして鴎外も漱石も、「日本」をどうしていくか、が、自分の人生をどう生きていくか、と表裏の問題としてあった(エリートというのは、そのような社会的重責を課せられた存在でもあったのです)。

とくに鴎外は、ほかの文学者たちが、ともかくも文学を専業(二葉亭の場合はなかなかそういうのもむずかしい側面はありますが)としていたのに対して、陸軍の軍医として、作家とは別の顔を持っていた。

おそらくは鴎外の内面は、公的な生活の充実にもかかわらず、ひどく空虚な部分があったのではないか。
その空虚さとは、当時の日本の「外発的開化」の現状とも結びついていた。
鴎外の創作活動は、その精神的空白を見据え、なんとか埋めようとしたものではなかったか。
その空白は、早くも『舞姫』のなかに胚胎していたと思うのです。

冒頭、豊太郎は自己を恨みます。自分のしたこと、自分の卑しさを、だれよりもよく知っている。
おそらく豊太郎は、どれほど世間的に成功しても、みずからに対する尊敬の念を取り戻すことはできないでしょう。
だれよりも、鴎外がそれを許さないものとして『舞姫』を創作した、と考えることができると思います。

『舞姫』はこの文章で終わります。
「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり」

相沢謙吉とは誰か。
豊太郎を日本に連れ戻した友人は、同時にまた母であり、日本でもあったのではなかったか、と思います。

明治文学の一愛好者として回答させていただきます。

まず、ほかの回答のなかにも誤解していらっしゃる方がいるようですが、『舞姫』に出てくる太田豊太郎は森鴎外の創作人物です。
にもかかわらず、『坊ちゃん』の主人公と夏目漱石をだれも同一視することはないのに、鴎外と豊太郎を平気で同一視して解釈しようとする人が多いことが不思議です。
まず、鴎外=豊太郎とする見方を捨ててください。

>女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだ

鴎外がElise Wiegertという女性と恋愛関...続きを読む

Q「 沙羅双樹の花の色 」は何故「盛者必衰の理」なのか?

平家物語の冒頭で、
 祇園精舎の鐘の声
 諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色
 盛者必衰の理をあらわす
があります。

どうして「沙羅双樹の花の色 」が
「盛者必衰の理」をあらわすのでしょうか?
沙羅双樹の花は日本とインドで違うようですが、
ここでの花はどちらでしょうか?
↓ココのサイトによると
http://blog.livedoor.jp/rakutabi/archives/24721929.html
沙羅双樹の花は仏陀入寂のときに散った白い花だそうです。
でも花の色は変らず、変ったのは幹の色とのこと。
仏陀入滅=盛者必衰と結びつけるのも無理があるように思います。

どなたか説明していただけないでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。。

 仏滅の際、沙羅双樹がどうなったかは、複数の異なった様子が伝わっていて、一定しないようです。(原典を読んだわけではないので、詳しくはわからないですが・・・)
 手近な資料から見てみたので、わかりにくいですが・・・(自分もよくわかっていません。すみません。)

 釈尊が沙羅林に横たわった際、季節外れに花が咲き、散って釈尊の身を供養した。

 釈尊が横たわったところの東西南北に各一対の沙羅の木があり、入滅と同時に東西の二双と南北の二双が合わさって、それぞれ一樹となり、釈尊を覆った。
 このとき、木の幹が白変し、白鶴のような姿になった。(「鶴林」「鶴樹」という言葉の由来)

 この計8本の沙羅の木のうち、四方の双樹のそれぞれ一本は枯れて一本は繁茂した。(四方で一本ずつ残った)これを「四枯四栄」という・・・
 
 四枯四栄は、誤った8種のモノの見方、(凡夫が俗世間を誤った見方で見ることが「四栄」、大乗仏教以前の仏教徒が涅槃を誤った見方で見ることが「四枯」)正しい8種のモノの見方(大乗以前の仏教徒が俗世間を正しい見方で見ることが「四枯」、大乗菩薩が涅槃を正しく見ることが「四栄」)という二重の喩えになっている、そして、一方が枯れ、一方が繁茂した中で涅槃されたということは、枯れ(衰)も栄え(盛)もしない涅槃そのものを表しているとされています。

 沙羅双樹の花の色→盛者必衰というのは、双樹の片方が枯れ、片方が栄えたことか・・・?
 十分な説明になっていなくて申し訳ないですが、自分のわかる範囲ではこういうところです。では。
 
 

こんにちは。。

 仏滅の際、沙羅双樹がどうなったかは、複数の異なった様子が伝わっていて、一定しないようです。(原典を読んだわけではないので、詳しくはわからないですが・・・)
 手近な資料から見てみたので、わかりにくいですが・・・(自分もよくわかっていません。すみません。)

 釈尊が沙羅林に横たわった際、季節外れに花が咲き、散って釈尊の身を供養した。

 釈尊が横たわったところの東西南北に各一対の沙羅の木があり、入滅と同時に東西の二双と南北の二双が合わさって、それぞれ一...続きを読む

Q源氏物語の持つ意味ってなんでしょう?

こんにちは。
先日(といっても年始)、「千年の恋 ひかる源氏物語」を見に行った話を友人にしたら、彼は「源氏物語ってエロ小説だろ、あれのどこが素晴らしいのか、女の子が面白がる理由が理解できない。」と言われました。確かにそういわれると身も蓋もないのですが...
私は「女性が書いたはじめてのかな文学の長編小説である」という歴史的意味があると解釈している(この認識自体が間違ってたらどうしよう...)のですが、あの物語の凄さについて、友人を納得させられるよい回答がありましたら教えて下さい。

Aベストアンサー

たしかに、平安時代には、格調高い文学作品としてというより「長大な恋愛もの」、今でいえばハーレクインロマンスのような読まれ方をしていた面があると思います。古典なので勉強して読まねば!という人はいなくて、「源氏と朧月夜はどうなるの!?どきどき」とか「薫大好き!」みたいな読み方が多かったのでは、と私は想像しております。

そんな長大な物語が、現代まで(つまり千年も)読み継がれていることに価値があるし、それだけの魅力ある作品であることは間違いないでしょう。
もちろん、女性が書いた初めての長編小説であることも歴史的意義があります。

純粋に物語としての魅力をあげると、
・膨大な登場人物一人ひとりの書き分けが出来ていて、魅力ある様々な
 人物を創造している。
 なんせ、源氏占い(クイズに答えると、「登場人物の誰か」という
 診断ができる)というのがあるほどですから。
 (最近となえられ始めた説ですが、それぞれの人物に合わせて
  和歌のうまい、へたのレベルも書き分けられてるらしいです)

・光源氏という人物(ヒーロー)の創造。
 (在原業平につぐアイドル?を女性の手でつくった)
 どんなに評判が悪くっても、日本人みんな「光の君」というと
 知ってる、というのはすごいこと。好き嫌いは別として。

・長い年代にわたる一大ロマン小説の構成
 桐壺から宇治十帖まで、親子3代にわたる長編ロマンというのが
 千年前に描かれていたことはすごい!
 付録の家系図なんか読むとくらくらしますね。人物多くて。

古典としての価値は
・当時の風俗・習慣・考え方(仏教の思想など)を垣間見る
 ことができる。
・膨大な数の和歌(登場人物が作ったとされている)が載っている。
・古文の味わい。
・当時の都(京都)の様子をしのぶことができる。
 (今でも嵯峨野・宇治に行き、源氏ツアーが楽しめます)

結局、ひとつの小説作品として考えると、好き・嫌いは分かれるでしょうし、
光源氏を良いと思うか否か、でも評価は分かれるでしょうね。

でも、女の子の面白がる理由の一つはやはり、光が好きか、または、やはり時代は違っても人の恋愛話は面白い、ということではないでしょうか・・・。

たしかに、平安時代には、格調高い文学作品としてというより「長大な恋愛もの」、今でいえばハーレクインロマンスのような読まれ方をしていた面があると思います。古典なので勉強して読まねば!という人はいなくて、「源氏と朧月夜はどうなるの!?どきどき」とか「薫大好き!」みたいな読み方が多かったのでは、と私は想像しております。

そんな長大な物語が、現代まで(つまり千年も)読み継がれていることに価値があるし、それだけの魅力ある作品であることは間違いないでしょう。
もちろん、女性が書いた...続きを読む

Q祇園精舎の鐘の音・・・

このあとに続く文章を教えてください。読み方も教えてほしいです。すごく気になるので・・。

Aベストアンサー

 平家物語の冒頭ですね。読み方と意味は参考URLで分かると思います。1185年の下関「壇ノ浦の戦い」で破れ各地に散った平家一門の残党が残した物語が歴史を経て洗練された姿で残り、その形はさまざまなバリエーションがあるようです。日本人のもつ「滅びの美学」をよく著していると思います。

 祇園精舎とは古代インド、コーサラ国シラーヴァスティー(舎衛城)にいたスダッタ(須達)という人物がブッダに帰依し寄付した、修行のための施設だったと言います。祇園とは祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)の略で、持ち主の祇陀(ジェーダ)太子より購入した園林という意味で「祇樹」となり、「給孤独」は須達(スダータ)長者の別名で「孤独な人々に食を給する」聖人という意味があると言います。

 今はインドのサヘート・マヘートの遺跡が祇園精舎の跡とされていますが源蔵法師が7世紀に訪れたときには、すでに廃墟となっていて、この言葉が中国を経て日本に伝えられたそうです。三蔵が訪れたとき、恐らくうらびれて寂しい様子だったのでしょう。

 諸行無常とはもともとは仏教用語で「この世の万象はすべてうつり変っていくものであり、決してとどまる事が無い」という意味とか。

 日本では祇園とは京都八坂神社の社領として有名ですが、舞子さんが行き交う祇園と平家物語の祇園精舎との関係は、参考にした清水義範著「ムイミダス」(文春文庫)をお読み下さい。たぶん長々と書いている間にいい回答が寄せられていると思いますが、その時は御容赦を。

http://www.fides.dti.ne.jp/~kamokamo/gionsyouzya.htm

参考URL:http://www.fides.dti.ne.jp/~kamokamo/gionsyouzya.htm

 平家物語の冒頭ですね。読み方と意味は参考URLで分かると思います。1185年の下関「壇ノ浦の戦い」で破れ各地に散った平家一門の残党が残した物語が歴史を経て洗練された姿で残り、その形はさまざまなバリエーションがあるようです。日本人のもつ「滅びの美学」をよく著していると思います。

 祇園精舎とは古代インド、コーサラ国シラーヴァスティー(舎衛城)にいたスダッタ(須達)という人物がブッダに帰依し寄付した、修行のための施設だったと言います。祇園とは祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん...続きを読む

Q原文に(かなりの程度)忠実で読みやすい平家物語訳を教えてください

源氏物語に比べると有名な現代語訳は少ないようですが、平家物語の現代語訳版で読みやすいお勧めのものがありましたら教えてください。
あまり大幅なアレンジが加わっているものではないものがよいです。

ご教授およろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

「平家物語」と一口に云いますが、元々「平曲」と云われ琵琶法師が語ったものを筆紙に留めたものとされているので、版によってゆれがあります。「源平盛衰(じょうすい)記」も異本の一つされています。又「源氏物語」と異なり国史に基づいているので、史実も鑑みながら自己の小説として展開されている方もいらっしゃいます。その高名な例は吉川英治の「新平家物語」でしょう。(講談社文庫他多数)
「平家物語」そのものについては、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E7%89%A9%E8%AA%9E
さて、原典に忠実の口語訳ですが、前回も御紹介の講談社学術文庫に収められています。(全12冊の由)
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1583514
又、小学館の新編日本古典文学全集にも収載されています。これには口語訳が入っています。(「平家物語」は2冊)
http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/sol_detail?isbn=4096580457
(この全集当然ながら「源氏物語」の巻もあります。)
あとは、むかし河出書房から刊出されていた現代語訳のシリーズの一部が河出文庫に入っています。平家は戦前の芥川賞作家が担当しています。文庫は現行なようです。(文庫版は3冊)
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309407241

国文関係の現代語訳は、講談社学術文庫と新編日本古典文学全集(小学館)とに可也あります。「今昔物語」如く平凡社の東洋文庫にあるなど例もありますが。(但し、版元品切が多い)よく言われるようの国文の古典は大体全集に入っています。角川ソフィア文庫に入っているものも現代語訳を収めているものが多いのですが「平家物語」はそれがありません。上記以外となると中々難しいのですが、個々にあたると意外のものがあります。(絶版や稀数本もありますが…)
絶版本に福音館のものがあります。高等学校の生徒向けだったのですが、「平家物語(上・下)」「枕草子」「徒然草」などを全訳で収めていました。所謂袖珍本と云う大きさでした。「源氏物語」は2冊で中絶でした。

蛇足。Webで全訳を展開しようとしているところがあります。
http://kazeoto.com/heike-yaku001.html

ご参考にならば幸甚です。

「平家物語」と一口に云いますが、元々「平曲」と云われ琵琶法師が語ったものを筆紙に留めたものとされているので、版によってゆれがあります。「源平盛衰(じょうすい)記」も異本の一つされています。又「源氏物語」と異なり国史に基づいているので、史実も鑑みながら自己の小説として展開されている方もいらっしゃいます。その高名な例は吉川英治の「新平家物語」でしょう。(講談社文庫他多数)
「平家物語」そのものについては、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E7%89%A9%E8%AA%9E
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Q奨学金と成績について

今大学2年の男です。1年の時から日本学生支援機構の第一種奨学金を借りて大学に通っています。
うちの大学の卒業要件の単位数は128単位で、現在2年の半分の時点で64単位です。今まで落とした単位は1教科2単位なのですが、これ以上単位を落とすと奨学金給付停止とかになったりするのでしょうか?
取得単位数やGPAは周りの人や平均より少し上ぐらいなのですが、1種ということもありあまり成績がよくないと停止にされてしまうのではないかと心配になってきました。
あと奨学金を借りていて継続を希望する場合GPAは関係してくるのでしょうか?
一人暮らしなので奨学金がなかったらかなりきつくなるので不安で仕方ありません。

何か知っている事があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

私は大学時代、第一種奨学金を借りて通学しました。
成績は中の下あたりだったとおもいます。
真面目に、というか普通に通っていましたが落とした単位もたくさんありました。
3年次は実習、4年次はゼミに卒研と忙しく正直4年次前期まで単位はギリギリでしたが給付停止にはなりませんでしたよ。

2年の方なら継続の書類を一度書いていると思いますが、たしか勉学状況(?)について書く欄があると思いますが、半分の単位を取っていれば順調に通学しているといえると思いますし、大丈夫だと思います。

実際、私の友人で第一種、第二種両方借りている人でもっと成績が悪かった人(留年ギリギリ)でも卒業年次まで借りられました。
大学を普通に通って進学できる程度であれば、あとは借りる理由や継続理由(経済的理由など)の方が重要でしょうから心配しなくても大丈夫だと思います。

卒業までがんばってください。

Q★「封建制度」を簡単に説明してください!

★「封建制度」を簡単に説明してください!

世界史の時間によく「封建制度」なる言葉が出てきます。

いろいろと調べてみたのですが、いまいちよくわかりません。

理解力を深めたいので、封建制度を簡単に説明できる方よろしくお願いします!

Aベストアンサー

封建制度とは「封」(封土=土地)を与えて家来を「建てる」と言って、つまりは
「土地をなかだちとしてむすばれた主従関係(しゅじゅうかんけい)にもとづく社会のしくみ。」
のことを言います。
御恩と奉公ですね。
もちろん日本・中国(周)・中世欧で指す封建制度とはそれぞれ少し意味が異なったりしますが、基本的には上記の意味です。

ちなみに対義する言葉は絶対王政や絶対君主制です。


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