昨年の9月に、最愛の母を亡くしました。
1年近く経った今でも、辛くて辛くて涙が溢れます。

5年間、ずっと母の介護をしていたので、いつもそこに
いた人が居なくなると言うことが、こんなにも悲しいなんて。

休日は、家でダラダラして、誰にも会いたくありません。
仕事は毎日していますが、すっかり出不精になり、
気持ちも滅入っていて、本当に「鬱」ではないかと思います。

こんなことでいいのでしょうか?
どなたか同じ境遇の方がいらっしゃいましたら、どうかご意見
お聞かせください。

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A 回答 (12件中1~10件)

はじめまして。

私は20代後半で、幼少の頃に父を亡くし、小学校低学年で母が病気になり17年間の介護生活の末昨年母を亡くした者です。

いつもこちらのサイトを閲覧しているのみでしたが、質問を拝見しとても人事だと思えないので初めて回答させていただきます。

5年間もの間ずっとお母様の介護をなさるのは本当に大変だったと思います。

私は葛藤の毎日でした。
学生時代は、部活、バイト、遊びを思いっきりしている友人達が羨ましくて仕方なかったです。
進学も就職も母の介護があるからと自分の思う道には進めませんでした。
寝たきりで言葉を交わすことも意思の疎通も難しい母に当たってしまうことも数え切れないほどありました。
後で必ず後悔しますがそのときはどうしても抑えらず、悲しく苦しく自己嫌悪の毎日でした。
亡くなる一年前に容態が悪化し入院することになり、仕事を辞めてずっと母のそばにいました。
もうそろそろ危ないかもしれないと医者には何度も言われましたが、私が結婚するまで母は生きてくれました。
ドレス姿をどうしても母に見せたくて、病院側に許可をいただき式の翌日夫と3人でたくさん写真を撮りました。
すると、「おそらく意識はない」と言われていたのに母の目から一筋の涙が流れました。

それから少しして母は天国へ逝ってしまいました。

私は、言いようのない虚しさと悲しみで胸が埋め尽くされ、泣きたいのに涙も出なくなってしまいました。
あの時もっとああしてあげればよかった、と後悔ばかりが押し寄せてきて、母のことだけを考えていたいのに容赦なくやってくる「明日」に心が押しつぶされそうになっていました。
外に出て「いつも通りの自分」を装わないといけないのが苦痛でした。
毎日そんな感じでしたが、やはり「時」のパワーは偉大で、時間が経つ中で少しずつ自分が変化していったように思います。
私も母が亡くなって一年になりますが、母のことを想わない日はないしその度に涙が溢れます。
でも母と父は天国でやっと一緒に平穏な時間を過ごせるようになったんだとやっと最近素直に思えるようになってきました。

sirayukihime3さん、お母様は先に天国へ旅立たれましたがsirayukihime3さんにたくさんの大切なことを残していってくださったのではないでしょうか。
私は、葛藤しながらの介護でしたが母がいなくなった今、今までの選択は「母の為」に妥協したのではなく、この日の為に少しでも後悔しないように「自分の為」に選んだのだと遅ればせながらやっと気づくことが出来ました。本当にありがたかったです。
辛い経験をした分、心は成長できると信じています。その経験が必ず今後の人生の財産になると思います。
そして人の痛みに寄り添えるような温かい人になれると思います。
明日が来ることさえ嫌だった私が、今は明日がくることに感謝をして、毎日を大切に過ごせています。
(心が)豊かな人生を送るためにこれは何より大切なことだと思います。
sirayukihime3さんもそう思える日が必ず来ると信じて、決して無理せず、自分の心に嘘をつかないでいてほしいと思います。

私は泣きたい時は空を見上げて泣くようにしています。(下を向いて泣くとどこまでも深い悲しみに落ちていってしまいそうなので。。)

お母様はいつも、いつまでもsirayukihime3さんと共に、胸の中に生きてくださっていますよ。

かなり長文になってしまい、申し訳ありません。。
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この回答へのお礼

ご丁寧な長文をありがとうございました。

あなたは私よりも遥かに壮絶な人生を歩んでこられたんですね。
読んでいて、涙が溢れてきました。

でも、すごく嬉しかったのは、あなたが愛する人とご結婚され、
ひとりぼっちではないということ。

あなたと共に生きてくれる家族があるっていうこと。
きっと大切にされていることでしょうね。

これからもいつまでもいつまでもお幸せにね。

私、今までこのサイトでたくさんの方のお話を聞かせて頂き、
本当に本当に心から感謝しています。

書いてくださった皆さん全員に「ベストアンサー」を差し上げたいので、
誰も選べませんでした。

この場をお借りして、みなさまにお礼が言いたいです。
ありがとうございました。

本当は皆様全員とお会いして、心ゆくまで語り合いたいですけど、
このサイトはそんなサイトではないですので残念です。

同じ悲しみを経験した者同士です。
これからもお互いに頑張っていきましょう。

お礼日時:2011/08/28 00:50

sirayukihime3に、「さん」をつけるの忘れちゃった。



申し訳ない^^;
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この回答へのお礼

わざわざご丁寧にありがとうございました。

いいんですよ。
そんなこと、ちっとも気にしていませんよ。

みなさんから頂戴するご回答が毎日楽しくて、ありがたくて、
ごはんを食べるのも忘れて、涙しながら読んでいます。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/23 22:10

NO7です。



私の母も、私の息子をとっても可愛がり、息子もおばあちゃんが「大好き!」で、亡くなった時
「オレとおばあちゃんを、しばらく二人にしてくれ」と言いいました。
その彼の姿を見た時には、胸一杯になりました。

これだけ「愛」に囲まれた母は、毅然と、あの世に行ったと強く感じたのです。
その毅然とした母を尊敬する意味で、残された私たちが、幸せであることが、母に見せる姿だと思いました。
それが、母がいつも傍にいるという自覚にもなりました。

それと、3周忌の時です。
お坊さんのお経を目を閉じて聞いてた時、ふわ~と温かい空気が私の周りにきて「大丈夫だよ、大丈夫だよ」って
感じで、確かに母が来ました。

その時、私だけが、涙が出て出て止まらなくなり、そして凄く温かく強い慈愛に包まれました。

「やっぱり母は、あの世から皆を気にしてる」と感じました。

だから、sirayukihime3 も、絶対に大丈夫だよ!
必ず立ち直れるから!

母はいつも言ってました。
「体なんて車と同じ。使えばガタがくるんだよ。大切なのは魂。だから私が死んでも、泣く必要ないよ。
肉体無くなったら、今以上に、あんた達を守れるから大丈夫だよ」って。

だから、あなたも絶対に大丈夫!
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この回答へのお礼

凄いご経験をされましたね。

あなたのお母様はすごく気丈な方だったのですね。


私の母もかなり気丈なほうだと思っていたのですが、亡くなる3日前に
病室で、母のベットをのぞき込む私の首に両手を回してぶら下がるような
格好で、母は私に「おねえちゃん、あたし、ホントはまだ死にたくないんよ。」
ってつぶやきました。

けれど、その後で、「でも、もうあたし、家に帰れんなった。」とポツリと
こぼしました。

その時の私は、今にも溢れそうな涙をぐっとこらえて、「お母ちゃんは絶対
死んだりせんよ!早くよくなっておうちへかえろうね!」と、震えながら
そう言ったのを覚えています。


私の息子もすごくおばあちゃんに愛されたからか、とても心の
優しい子に育ちました。

母が病気になって、お墓の階段が上がれなくなったので
「今回は、もう、よう行かんから、母さん(私)と二人で行きなさい。」
って私の息子に言うと、息子は私の母をお姫様だっこして、
お墓の階段を上がってくれました。

なんで、お姫様だっこしたのかと言うと、母は心臓にペースメーカー
が入っていたので、おんぶすることができなかったのです。

今でもあの時の光景が頭に焼き付いて離れません。
息子の思いやりと優しさがなんだかとても嬉しくて、夜、布団の中で
一人で泣きました。

やさしい息子も今は遠くで仕事をしていますが、けっこう頻繁に
ここに帰ってくれています。

いつか一緒に暮らせる日が来たら嬉しいです。
また、何かありましたら、お話してくださいね。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/23 22:34

こんばんは!


ありがとうございました。
僕も自分を責めずに父の分まで頑張って生きていきます。
だから、貴女も貴女自身を責めないでお母様の分まで頑張って生きて下さい。
ある、回答者様へのペースメーカーの話に泣けました。
自分は父の入れ歯をお守りにしています。
辛いけどお互い頑張りましょう。本当にありがとうございました。
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この回答へのお礼

こちらこそ、2度もご回答頂き、本当にありがとうございました。
このサイトがあるおかげで、本当に心が救われますね。

何もしていない時が一番辛いから、こうやって返信できることが
心を癒していけるようで、嬉しいです。

回答の締切はもう少し先にします。
もっともっと色々な方のお話が聞きたいですから。
あとすこしだけこのままにさせておいてください。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/22 23:22

5年間、お母さんの介護をされていたんですよね。


突然大切な人を失って、色々としてあげたかったことができないで悔しい思いをする方達もたくさんいる中で、大きな親孝行ができたことと思います。

僕は父が他界した時に、親より長生きした(親に子供の死に目をみせないで済んだ)ことで、親孝行ができた
と思うようにしました。

あなたは、2つもの親孝行ができているではないですか。
母を想う気持ちも分かりますが、どうか元気を取り戻して下さい。

あなたが精神的に参っている姿なんて、お母さんはまったく望んでいないはずです。

早起きでもして、一人で散歩でもしたらどうでしょう。
少しは気分が変わることと思います。(気持ちいいですよ!)
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この回答へのお礼

そんなふうに言っていただいて、ありがとうございます。

それでも、心残りはまだまだありますが、考えていたらキリがないので、
そろそろ気持ちを切り替えられたらいいなと思います。

この家に家族が帰って来てくれるまで、頑張って守っていきますね。
ありがとうごさいました。

あなたもどうかおからだ大切になさってください。

お礼日時:2011/08/22 23:26

母親って、ホント、特別なんです。


母親の死は、本当に悲しいもんです。

私は、母親が亡くなって4か月たった頃、母の事を書きまくりました。
母との思い出、母の言った言葉、笑った事、母の性格、どう生きたか?娘(私)との関係
亡くなる瞬間の事、母と話した事などを文章にしました。

そして、母の人生は全うし完結したんだと納得しました。

私が生まれた時には、もう既に母が、この地上で待っててくれて、先に逝った母が、また今度、私が死んだとき
あの世で、待ってくれてるんだと思いました。
この世でも、あの世でも待っててくれる母親がいる子供は、幸せだと考えました。
つまりは、いつも一緒って事。

肉体は無くなっても、あなたの心の中には、確かにお母さんが存在してます。
そして、今まで以上にあなたを守ってくれてます。
私は、母が守ってるから安心!って気持ちがあります。

私は毎日、仏前に、お花とお線香で、母に挨拶します。
それが、母との会話です。

行ってきます。
ただいま。
あのね、お母さんって感じで、話しかけます。

あなたが、元気に生きていくことが、お母さんへの愛情だと思います。

お母さんは、肉体を離れただけで、あなたの傍にいるんですよ。
仏前の写真に語りかけ、お母さんって呼ぶことで、お母さんと繋がれますから(私の体験)

供養は、愛情表現です。
鬱になんか絶対にならないでネ。
お母さんが悲しむよ。

私の中には、母がいつも居ます。

この回答への補足

みなさんの心のこもった投稿に、涙が溢れて止まりません。
今、涙でにじんだ視界のまま、やっとの思い出キーボードを
打っています。

母は私が生まれた時に買ってくれたお雛さんの段飾りセット(ガラスケース)
を床の間に飾っていて、死ぬ前に私に「このお雛さんは絶対にここから
下ろしたらいかんよ。これはあんたなんやから、お母ちゃんが死んだら
そのあとはあんたがこの家を守るんよ。」と言いました。

そして私の息子をこよなく愛し、育ての親同然でした。
息子は今遠方で住んでいて、この家には私一人です。

私の仕事がハードなので、父は自ら私との同居を辞退して、
私の体が疲れないようにと、一人で暮らし始めました。

息子がこの家に戻るまで、私が元気で居ないと、この家が
終わってしまうからと、父がそのように配慮してくれたのです。

一緒に暮らしたいのに、頑固な父はどうしても聞き入れてくれません。
だけど、本当に父の愛情には涙が出ます。

あなたも毎日ご供養を懸命になさっているのですね。
お母さんがいつも傍に居るって、そう思えるような出来事があったの
ですか?

もしあったのでしたら、お話してくださいませんか?
どうしてもお訊きしたいしたいので、補足させて頂きました。

まだ少し病んでおりますので、どうかお許しくださいね。

補足日時:2011/08/22 23:04
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今から約12年前、人生で最も尊敬し一生付いていくと決心をした方を失いました。



長く生きていればいつかは大切な人の死に直面するものです。
悲しむ事は必要ですがそれ以上に大切な事は、その人の分まで生き抜く事だと私は思います。
お母さんは質問者さんをどんな気持ちで産みどんな気持ちで育てたのか。
どんな大人になってもらい、どんな生き方をして欲しかったのかをよく思い返してみてください。
それは確かに質問者さんの心にあるはずです。
それをまた自分が大切に思う人へ伝え暖かい心を持てるように、または、しなくてもいい苦労をしないように教えることが、残され今を生きる質問者さんに与えられた使命でありお母さんの願いだと思いますよ。

私には娘と息子がいますが、もし自分があの世へ逝きずっと悲しんでる息子達の姿を見たら居たたまれない気持ちになります。
自分にはどうすることもできないのですから。
一時嘆き悲しんだらその悲しみを乗り越え多くなくていい、大切に思うその数少ない人を支えたり救ったり愛し愛される人になってもらいたいです。
辛い時はただ黙って傍で見守ります。
そうすることしかできませんし、そんな時少しでも私の事や教えを思い出し困難を乗り越えられたならそれほどうれしいことはありません。

いつかは質問者さんがその立派なお母さんのような立場にならなきゃいけないわけです。
そこまで想われるお母さんは幸せ者ですね。
十分悲しんだならそろそろ歩みを進めてもいいと思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

私も息子にはこんな風にはなってもらいたくありません。
そう思います。

ただ、「母親」の死は、私が人生今まで生きてきた中で、
最も辛い出来事だったと言うことは確かです。

彼氏にふられたとか、友達に、裏切られたとか、これもまた
とても悲しいことですが、母の死というものは、そんなこととは
比較にならないほど、残酷な出来事でした。

生んでくれたお母ちゃんの存在は凄いです。
しっかりとしないといけないことはわかっています。

もう少し時間が経てば、わたしも今よりは元気になれると信じてみますね。
たった一人で暮らしているからこんなになっているかもしれませんね。

ありがとうございました。頑張ってみます。

お礼日時:2011/08/22 23:12

私は今年の4月に若い歳で妻を亡くしました。

まだ若い子供がいます。
4月から今日までの4ヶ月くらいで49日の7日毎のお経、仏壇の購入、仏壇の開眼、49日法要、お墓の購入
百ヶ日法要、お墓の開眼、初盆、と何もない状態からなんとかやってきました。
わたしも約3年入退院、自宅介護を地域のお医者様、看護士、介護士の方のお世話になりながら
やってきましたが亡くなってしまいました。
亡くなってから無意識に涙がでています。あなたのお気持ちは良く分かります。
泣きたい時は思いっきり泣いてください。私は友人知人から時、時間が解決してくれると
教えて頂きました。でも現在もなぜか無意識に涙が出てきます。
子供のいるところでは泣けないので隠れてトイレで思いっきり泣いて何もなかったようにして
部屋に帰ってくる毎日です。
今日は仕事が休みだったので実家のお墓と妻のお墓にお参りに行ってきました。
時、時間が解決してくれると教えて頂いた友人、知人の言葉を信じてこの先も
子供のためにも弱音を見せないように頑張っていこうと思っています。
あなたもつらいでしょうが頑張りましょうね
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この回答へのお礼

奥様を亡くされて、さぞ辛かったでしょう。
こんな気持ちは大切な人を失って初めて、感じることだと思います。
母が残してくれていたわずかなお金は、自分が働いて貯めたお金と
併せて、実家の仏壇の修復費用に使いました。
母が死んでから私も、49日までは心を込めて供養しました。
その後も今日に至るまで、毎日懸命に供養しています。
今年は初盆でしたが、家族だけでひっそりと行いました。
私にも一人息子と、残された父親がおりますが、父も最近とても
弱って来ました。父もすごく寂しそうにしています。
残された家族の命の灯を大切に、これからも頑張っていかないと
いけませんよね。まだまだ辛いですけど、温かいご回答に感謝
いたします。ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/22 21:52

愛する大切な人を亡くしたのです。

悲しいのは当たり前です。
一年たっても2年たっても涙があふれて来てもいいのです。
それは自然な事なんです。
思いたいだけ思ってあげればいいと思います。

5年間もお母様の事を大事に介護なさってこられたのですね。
大変でしたね。
でもお母様はそんなに大事にされて、きっと幸せな時を過ごされたと思いますよ。

よく頑張って来たから、今は少し休みなさい!という事です。
休みたいだけ休んだら、たまに一人で公園でも歩いてみてください。
自然の光や風や緑の木々にふれると、心が癒されますよ。

私もあなたと同じ様に母を亡くしました。
そして一年後に父を亡くしました。

どうやって息をしていいのか分からないくらい苦しかった!悲しかった!
毎日泣いて、動けなくなり、寝てばかりでした。

でもね。いつかきっとお母様といつでもお話し出来る時が来ますよ。
お母様はいつも何処にいても、必ずあなたの事を見守っていてくれています。
いつか遠い将来出会える時が来るまで。
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この回答へのお礼

ご両親をたて続けに亡くされて、本当に本当に残酷なことでしたね。
息もできない位、苦しかったでしょう。
悲しかったことでしょう。

あなたに比べれば、私はまだ父が生きていてくれるので、悲しみは
あなたの半分なんですよね。

私は母が亡くなった時、母が体内に入れていた、ペースメーカを
病院からもらって帰りました。
そして納骨の際に、母の骨壷から骨を抜き出して、それをお守り袋に
入れて、ペースメーカーと一緒にいつも、肌身離さず携帯しています。

お風呂に入る時も、お守り袋をビニールに入れて、母と一緒に入浴
しています。
寝る時も、枕元において、寒い日は布団の中に入れてやります。

なんか病んでいるでしょう?
でも、こうすることがくせになって止められないのです。

このサイト、本当にありがたいですね。
あなたも、そしてみなさん全員にベストアンサー差し上げたいです。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/22 22:02

通りすがりの者です



昨年9月と言うと330日余り・・・そうですね辛いでしょうね。
いいんですよ・・・泣いて泣いて、涙があふれ出て止まらなくても・・・
気持ちが済むまで納得するまで、もし納骨してなければお骨の壷を抱いて
泣き明かしなさい、何日も何日も・・・気が済むまで・・・。
もう納骨しているのなら墓前に通って手を合わし、祈って下さい。
お母様が亡くなって1,000日、およそ2年8ヶ月泣き続けていいんですよ。

人の悲しみは限りなく、個別の事情がある以上個人差があっていいのです。
貴女は貴女の気持に忠実に過ごしなさい。ただし今従事している仕事には、
精一杯頑張り、続けなさい。それが貴女の救いになるからです。

私も2,000日泣き続けました、毎晩毎晩涙が止まりませんでした。
5年が過ぎて6年目に入った頃でしょうか・・・春夏秋冬を感じるように
なり、春の桜のはかなさ愛らしさ、秋の紅葉の幻想を味わいました。
今はもう11年4,000日を過ぎ、ようやく人並みの人生を送っていますが、
まだまだ時に涙が溢れ出す時があります。

人間の死は2度あるそうです。
1度目は物理的な肉体の死です。そして2度目がその亡き人を誰も話を
しない・・・忘れられた時、だそうです。
即ち、貴女やご家族が、お母様を思い出し、話をし続ける限り、お母様は
死なないのです。
どうぞ、貴女の命がある限り、お母様のことを思い、話し、共に行き続ける
ことを祈っています。
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この回答へのお礼

私のような方がたくさんいらっしゃることがよく分かり、嬉しかったし、
とても励みになりました。

私、まだまだ泣いていいんですね。
そして、あなたがおっしゃるように、母を2度も死なさないように、
これからもずっとずっと永遠に、母のことは語り続けていきますね。

母は、お墓に入るのが寂しいと何度も何度も私に言っていたので、
私は母の遺骨を自宅にも置いています。

私がお墓に行けなくても、一人で寂しくないように。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/22 22:08

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Q母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも、手術を受け、半年間の抗がん剤治療をし、去年の年末には腫瘍マーカーの値も下がり、快方に向かっていた…はずだったのに、年明けに早くも癌が再発。その後は、脳梗塞・脳内出血・てんかんなどを立て続けに併発して抗がん剤治療ができなくなり、あれよあれよと言う間に逝ってしまいました。

 母とは大親友以上の仲だったので、亡くなった当初は天地がひっくり返るような感じだったけど、四十九日を終えて、少し落ち着いたつもりでした。でも、三ヵ月半たった今、なんとも言えない虚無感でいっぱいです。

 母はきっとどこかで見ていてくれるから、前向きに生きていかなければいけない。…とか、
 私が悲しんでばかりいたら、きっと母も辛いだろうな。…とか、
 40年間ほとんど我慢するだけだった結婚生活を送った母だから、きっと今ごろ若くして亡くした最愛の両親と、天国で平和に暮らしてるんだろうな。…とか、
 常に人への感謝の気持ちを忘れずに、いつも回りの人を笑顔にしていた母の心を受け継いでいかなければいけない。…とか、
 そんな心を、自分の子供にも引き継いでいかなきゃいけない。…とか、
 まだ3歳の子供の前で、しょっちゅう泣いているのはきっと良くないんだろうな、…とか、
 いつか母にもう一度会えた時に恥ずかしくないような生き方をしていくしかないかな、…とか、
 きっと時間にしか解決できないことなのかな、とか。

 頭ではいろいろ考えるのですが…。 

 飛行機と電車を乗り継いで6時間かかる実家に、職場にこれ以上ないくらい無理を言っては、しょっちゅう長期で帰って、してあげられるだけのことはしたつもりだし、最期にも間に合ったから、後悔はあまりしていないつもりです。だからか、亡くなる前や亡くなった直後の方が、悲しみは深いながらも上に書いたような前向きな悟り、みたいなものを心から感じていました。でも、ここに来て、なんだか時間が止まってしまったような感覚に陥ってしまっています。

 長い文章を読ませてしまい申し訳ないですが、皆さんはどうやって身近な人の死を乗り越えられましたか?乗り越える手助けになった本なども、もしあれば教えていただけませんか? 

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも...続きを読む

Aベストアンサー

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
なので天国で~,といった感傷はありません。
でも,「生きていたらどう言うだろうか」というシミュレーションはします。
祖父はとくに
「死亡通知は出さない。形式ばかりのお悔やみをもらっても意味がない。知人から連絡があったときに,こういう事情で亡くなりましたが故人の意思によりご連絡しませんでした,と返信せよ」
と,若い世代でもなかなかできない思い切ったことを遺言しました。
「死者は生者を惑わすべからず」が信念でした。

また,私自身は非婚男性で,おそらくこのままだと思いますが,「先祖代々」といったつながりは重視していません。
よく言われる「たくさんの人が先祖にいてあなたがいる」というのも信用していません。

霊感商法が問題になったときに,祖父の言った言葉が強烈な記憶になっています。
「先祖が苦しんでいるから供養がどうのなんていうが,子孫を苦しめるようなことをするはずがない」
私はさらに拡張して,子孫を苦しめるような祖先はいなくても結構だ,と言っております。

でも,これだけ極端に過激な考えを持ってる私でも,純粋に今でも「かっこいいなあ」と思います。
現代の若い世代でもこんなこと言えるのは何人いるんだ?と,身内贔屓ながら思ってしまいます。

死後の世界を否定しても,受けた教育や影響,話してくれた体験談や直接見聞きした記憶というものはちゃんと残ります。
長所も短所も個人の記憶として残っています。
自分のDNAは残せなくても,こういう考えをした人がいる,という話は伝えられます。
教育は誰も奪うことのできない財産であり,絶対に消えないものだと信じています。
残っているのは過去の出来事であっても,そこから新たな法則性や価値基準は抜き出せると思います。

視点を,ちょっとだけ亡くなったお母様から外してみませんか。
~してはいけない,~しなくてはいけない,と考えるのはどんな場合にもつらいです。
お母様は,あなたをここまで育てあげたんだから,あなたは何をするにも自分の考えと都合に素直に従っていいと思います。
泣きたいなら泣いていいでしょう。そこで泣けるように育ててくれたんですから。
お母様がどう思うかと意識が集中しすぎるとつらいと思います。
親がどう思うかで動くのは,言い方は悪いですが,ある種子どもの考え方ですよね。「怒られるからしない」と同じような。
でも,一個人として成長すれば,誰が何と言おうと私は嬉しい,何と思われようと私は悲しい,といえるようになります。
それで必要かつ十分です。
いま,質問者さんはどうしても亡くなったお母様に視点を合わせてしまうために,どう思うだろうか・これではいけない,と自分を抑えつけてしまうのではと思います。
自分を信じてあげてください。自分を大事にしてあげてください。
ときに自信がなくなったら,「お母さんが私には合格出してくれたんだから私はこれでいい!」と考えてはいかがでしょうか。
ご参考になれば幸いです。

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
...続きを読む

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q親がある日突然死んだショックを引きずっています

去年母を亡くしました。父はすでに死んでいるので私は一人暮らしになりました。
ある日突然死んだので、心の準備ができておらず、今でもつらいです。

母が入退院を繰り返すなどしてたら心の準備もでき、母の死を受け入れられ、悲しみや寂しさも時間とともにやわらいでくると思います。突然死だったから辛いのです。それまでふつうに暮らしてたのに
ある日突然倒れ、そのまま死んでしまいました。70代でした。

私は独身男性ですので「お嫁さんをさがしたら?」と言う人もいますが、そう簡単に結婚相手が見つかるものではありません。

今でも時々母を亡くした悲しみや寂しさに襲われ、胸が締め付けられるような辛さを感じたり、うつ状態になることもあり病院で相談して薬を出してもらっていますが、それでもどうしようもない辛さに襲われることがあります。

「予測できる死」と「突然死」では同じ死でも悲しみの度合は違うと思いますか?

親の突然死の悲しみをやわらげるいい方法はありますでしょうか?

Aベストアンサー

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃないかなと思います。それでも貴方が現在おいくつか分からないですが、少なくとも20代、30代で両親を亡くすというのは普通じゃないことですし、「予測できる死」と「突然死」という死の基準よりも、死という現実を受け入れる年齢が、「早いのか」、「遅いのか」ということ。

親が死ぬと言うことは誰でも経験することではありますが、実際若い身空で親の死を経てフラットになった時、何にもない自分に喪失感が出てくる気持ちは非常によく分かります。

結論からいいますと22歳の私はその踏ん切りつまり親の死を乗り越えたと、自分で思えたのは26の頃でした。質問者さんと同じく22ぐらいの時にはわかったような口を聞く大人に「はやく結婚すれば?」と言われました。結果、26で結婚しました。そのとき初めて肩の荷が降りる思いでした。

19の頃は絶望感ばかりがあり22の時にその加速度が増しました。大学もやめ、バイトをしながら親の貯金を食いつぶし、親が残した有り難くないコトを整理して俺が何をしたっていうんだよ!って毎日思ってました。23、4のとき就職をきっかけに地元を離れ違う土地へ行き、それこそ色んな年相応のことを経験してに両親のことに対して前向きな諦めをつけた瞬間に彼女が出来て、すぐに結婚~という流れになりました。ただし結婚して全てのことが払拭されたわけでもなく10年経っても未だ悩みはつきません。
だけど、自分の経験したことは確実に同世代にはない経験でしたし、自分の友人らにもし突然のことがおきても冷静に対応できるだけの能力は備わったと思っています。

できれば10年前の絶望感ばかりだった自分に今、まともに生きていることを教えてあげたい。

質問者様へも私自身、早く結婚しろとはいいませんが、今すべきこと、10年後のよりカッコいい自分を想像してみてはいかがでしょうか?そのために今自分がなにをすべきなのかが見えてくると思います。
それが答えです。

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃ...続きを読む

Q母が亡くなって3ヶ月…。まだ泣いてしまいます。

30代女性です。
2年間、病と闘った母が3ヶ月前に亡くなりました。
告別式を迎えるまでの4日間…ふいに溢れる涙を自分でもどうしようもなく、本当に泣き続けました。

告別式を終えても、本当はもっと泣き続けていたかったし、母の思い出に浸っていたかったけど、「毎日」は容赦なくやって来て日常生活に引き戻され…。

もう3ヶ月も経つのに、一人の時間に、またふいに涙が溢れてしまいます。

同じような経験をされた方がいらっしゃいましたら、ただお話しをかき聞かせて頂ければ…と思っています。

Aベストアンサー

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分を
責めてしまいます。

写真のなかの笑った父を見ると、会いたくてたまらなくなります。

今でもとても淋しいです。


亡くなって半年頃、うつのお薬も飲みました。(2週間くらい。)

特別なことではなく、こういうのもアリなのだと思います。

遺品整理でまた泣けて、父の手帳を見てまた泣けて。


でもそうやっているうちに、少しずつ、涙の量が減っていきました。

今でも思い出すといろんな気持ちが溢れてきます。

ただ、自分の悲しさと少し距離の取り方が学べた気がします。

母のときとはまた違うので、亡くなるたびに、また一からですね。


いつまでも泣いていると亡くなった人が悲しむといったことを聞きますが、
そうでもない気もします。

子どものとき、こけて痛くて泣いていたときのように、天国から、
あーあ、泣いてるね、と、笑って慰めてくれているような気がするのです。

kataomaさん、声が聞けなくて、触れなくて、とても寂しいですが、
きっとそばにいてくださっていると思います。

本当に鵜悲しいですよね、大切で、大好きだったのですから。
だからkataomaさんはとても正常なのだと思います。
(すみません、変な言い方ですが。)

どうぞ安心して悲しんでくださいね。
それが人の通る道なのだと思います。
そしてきっとその分、お気持ちに優しさが増えていくのだと思います。

お気持ちを逆なでしてしまったら申し訳ありません。

お辛いですが、悲しいお気持ちをしっかりとお受け止めになれるといいですね。

そうしながら、お気持ちはまた、少しずつ元気に向かわれていると思います。

悲しくて泣かないではいられないほどのお母様との思い出を、これからも
きっと大切にしていかれるのでしょう。

応援しています。

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分...続きを読む

Q母の死・・受け入れ方

母が2週間くらい前に癌で亡くなりました。毎日病院に通いました。でも・・私はなにもできず、ただ、もう一度家に帰してあげたくて「頑張ってよくなって」「良くなってるからね」と、少しでも生きる力が出て、奇跡でも起こらないかな・・といのるばかりでした。お医者様からは、もう治療する方法はない・・と言われていました。あとはただ死を待つだけでした。そう言われて、心の隅では納得し覚悟もありました。でも・・どうしても諦めたくなかったから、母に生きてほしい、頑張れと言い続けてしまいました。今思うと酷だったのかな・・本当はもっと早くに楽になりたかったのではないのかな・・と思ってしまいます。通夜、告別式と、親戚が集まり、私に「良くやったね」「えらいね」と声をかけてくれます。でも・・そんな言葉を聞いても素直になれず・・(偉くなんかない・当たり前だし・もっとできる事はあったはずなのに・なんで、もっと早くから手を打たなかったんだろう・なんで・・なんで・・)と、声をかけられればかけられるほど・・悔しくて、悲しくて・・・
残された人が、明るく前向きに幸せに生きていく事が亡くなった人も安心して成仏できる・・・泣いてばかりいたら心配になってこの世に未練が残り成仏できない・・・見たいな事を言われますが、その通りかもしれないけど・・・
今私は泣いてばかりいて・・
母は、あちらに安心して行けないでしょうか?
安心して行ってほしいから・・泣かないって決めても、母の話などが出ると、涙があふれてきます。
どうしたら、もっと強くなれるのでしょうか?
どうしたら、母の話を冷静な状態で出来るようになるのでしょうか?

母が2週間くらい前に癌で亡くなりました。毎日病院に通いました。でも・・私はなにもできず、ただ、もう一度家に帰してあげたくて「頑張ってよくなって」「良くなってるからね」と、少しでも生きる力が出て、奇跡でも起こらないかな・・といのるばかりでした。お医者様からは、もう治療する方法はない・・と言われていました。あとはただ死を待つだけでした。そう言われて、心の隅では納得し覚悟もありました。でも・・どうしても諦めたくなかったから、母に生きてほしい、頑張れと言い続けてしまいました。今思う...続きを読む

Aベストアンサー

No.8です。

しつこいようですが・・・

心が追い付かないなら、追い付くまでじっとしていればいいんです。
急ぐことはありません。

亡くなった人を弔わなかったらよくないことが起きるという信憑をもたぬ民族はこの世界のどこにも存在しないでしょう。それを妨げる人にはよくないことがおきるかもしれません。

泣くことも弔いです。

物言わぬ死者の代わりに残された人間が何かをするというのが弔いです。
あなたがいることを覚えているよ、というのが弔いです。

弔いすぎるということはありません。

悲しめなくなったお母様の代わりにあなたが悲しむのも弔いです。

気のすむまで弔ってあげていいんです。

「いつまでも・・・・」は余計なお世話ですよね。

いつか心安らぎます。

ご参考まで。

Q突然死んだ母に会いたいと思うことがつらいのです。

おととしの春、母が突然亡くなりました。父もすでになくなっているので私は一人で暮らしています。
口うるさい面もあり、よく喧嘩もしましたが心優しい母でした。

父は死ぬ数年前から病気で入退院を繰り返してたので、心の準備ができていて父の死の悲しみは
すんなり乗り越えることができました。

しかし母はある日突然倒れて亡くなりました。まだ70代だったので、まさか突然死ぬとは思っておらず、母の死から2年たってもショックをいまだにひきずっています。

外で仕事をしてるときは気持ちが落ち着いてるのですが、一人で家にいたりすると、「死んだ母にもう一度会いたい」という思いがこみあげ、悲しみで胸が引き裂かれそうになることがあります。

心にポッカリ穴があいて、その穴を埋められないような感じです。

親が突然死ぬとこんなにも長く悲しみを引きずるものなのでしょうか。

悲しみを今も引きずってる私は心が弱いのでしょうか。

親の死の悲しみから、みなさんはどう立ち直ってるのでしょうか。

Aベストアンサー

自分も父をガンで患わって亡くしています。
母も、くも膜下出血で倒れたときはどうなるのかと生きた心地ではありませんでした。
今は何もなく過ごしておりますが、あのとき亡くなっていたらと思うと、平常心ではいられません。
母を亡くされたお気持ち、心に刺さるように解ります。
今も引きずっているのは、決してこころが弱いからではないと思います。
自分でもまだ父が生きていたらと思うことが度々です。

人はいずれお別れしなきゃならい事がくることがあると解っていても、いざその時がくると受け入れられないものですね。
しかたの無いことだと思います。
それを無理に忘れることは絶対に出来ないことです。

しかし、気を紛らわせることは出来るはずです。
おひとりになるときに思い出されるとのことにヒントがあるんじゃないでしょうか。
出来れば結婚されてご家庭を持つことが一番の解決につながると思います。
それには縁が必要ですので、自分の思うままなりませんね。

他には夢中になれる趣味を持つことです。趣味ができれば、その仲間が作れます。
仲間との馬鹿な話で笑っているときは、少なくとも忘れる時間が持てるはずです。

少しづつですが、時間も解決してくれることでしょう。
皆さん、そうやって乗り越えてきています。
質問者のあなたも、あせらずに解決していってください。

自分も父をガンで患わって亡くしています。
母も、くも膜下出血で倒れたときはどうなるのかと生きた心地ではありませんでした。
今は何もなく過ごしておりますが、あのとき亡くなっていたらと思うと、平常心ではいられません。
母を亡くされたお気持ち、心に刺さるように解ります。
今も引きずっているのは、決してこころが弱いからではないと思います。
自分でもまだ父が生きていたらと思うことが度々です。

人はいずれお別れしなきゃならい事がくることがあると解っていても、いざその時がくると受け入れられな...続きを読む

Q両親の死が辛い

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気のいい母でした。少し口やかましいところはありましたが。私が子供をつれて実家に戻ってからは、ずっと食事など皆の世話をしてくれました。
娘にとっては、祖母であり母親でした。私は小さい時から母が大好きで「一緒に死ぬ歳まで待って」と言ってましたが先に逝ってしまいました。当然です、21歳違いですから順番からは親が先です。

父も自分が先に逝くはずだったと嘆き、「寂しい」とションボリしている日が続いていました。昨年末に手術・退院後は回復に向かって喜んでいましたが、やはり体力は弱っていたのでしょう。母の急死で気が弱り余計に菌を受け付ける体になっていたのです。母の法要の後に入院し5日後に亡くなりました。
続けて二人を送り、私は気が動転し何も興味がなくなりました。
今は、夕暮れ時になると母を思い出し、そして父が亡くなる前に世話になったと書き残した言葉と顔を想い辛く悲しく、気が変になりそうです。
また、自分もいつか天国へ行く日が来る、今度は娘たちが同じ想いをする、させてしまうと思うと、どうしようもなく悲しく、それまでに身辺整理をしなくては…とあせってしまいます。
みんな生まれると、必ず死が待っている事は分かっているのですがなかなか立ち直れなくて、もう一度会いたい、声を聞きたい、話がしたいと云う思いに胸が押しつぶされそうです。

迷惑ばかりかけていたとは思いません。母も「お前たちと暮らすようになって生活に張りが出来た」と言ってくれていました。父の病院通いにも毎日行きました。母は元気でした。元気に見えていました。血圧降下剤は飲んでいましたが、それが悪かったかも…と言う人もいます。もっと早く気付いていればこんな事にならなかったのに。もっと手助けをしていれば、もっと早く帰って母との時間を持っていれば…、など色々悔やまれる事ばかりです。
今日は母の4回目の月命日です。もう4ヶ月たちました。まだ4ヶ月なのかも…当初は何がなんだか分からず泣いたり後悔や自責の日々でしたが、今は忙しくしている時や会社にいる時などは忘れる時間があります。
こういう時は両親に対して罪悪感に似たような気になってきます。少しずつ落ち着いてきたので良いのかな?と思ったりもしますが、夕暮れ時や、何もないのに突然悲しくなったり、会って誤りたいと落ち込みます。こんな事を繰り返しながら日々を送り、いつの間にか普段の生活に戻るのかなあとも思います。
もっと若くして親と死別した方々もおられますが、私はもういい歳です。60です。次は自分の事を考えなければならない歳です。娘が嫁ぐと一人になります。その時こんな気弱でどうしていけばいいのでしょうか?
世間では親の歳を聞いて「大往生」と言いますが自分の親なら、大事に思っているからなおさら「大往生」だとは思いません。母は病気で寝込んだ事はないのです。夜中に一人で逝ってしまったのです。
82歳でした。まだまだ一緒に買い物も遊びにも…

私は娘に心配をかけまいと頑張り、仕事と家事で疲れています。これはかえって悪いのかもと思いますが今はまだ「気分転換にどこかへ」という気になれません。

会社のストレスもあり(小さい会社で休むのもままならないです)早く辞めて家の事だけにしたいと思いますが、そうなると収入も減るので大変です。

両親とか大切な人との別れを経験した人はどのようにして、どれくらいの年月でこの辛さがマシになるでしょうか?
私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていてはいけないのでしょうか?

宜しくお願い致します。

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気...続きを読む

Aベストアンサー

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして寿命というものがあり、親から先に旅立つのは必然です。
しかし、そんな事は頭で理解できることであり、決して心では
理解などできないのが本音だと思います。
私の両親はまだ健在なので、まだ死別の悲しみを味わったことは
ありません。
ただ、大好きだったお婆ちゃんとの別れは経験しました。
肝臓癌が判明してから、あっという間でした。
本人には知らせていなかったので、遠く離れて暮らしていた僕が
急に何度もお見舞いに行くと、おばあちゃんが自分の病を疑う
かもしれないと思い、泣く泣くお見舞いの回数を減らしました。
今思えば、愚かな気遣いであったと後悔しています。
何であろうと、毎日でも会いに行けばよかった。そしてたくさん
話をすればよかったと悔やみます。

人は大切な人を失って初めて、いろんな後悔に押し潰されます。
あの時こうしていたら、あの時もっと・・・・。尽きることは
ありません。
でも、悔やんだところで、亡くなった人は戻ってきてはくれ
ません。
それも頭で分かっているのですが、複雑な思いでした。

私はいつも近しい人とのお別れを経験する度に、思う事があります。
それは、人の死というのは、最後にその人から教えられる
愛なのだということです。
人は死というものがいつも身近にありながら、中々そこを見よう
とはしません。
ですから、そうした愛する人の死を目の当たりにすることで、
そこで改めて、死について見つめることで、それまで気付かなかった
事に気付くのです。
自分がその時を迎えた時、どんな思いで旅立つのだろうか?
思い残すことがあるのだろうか?
残していく大切な家族へどんな思いなのだろうか?
などと、リアルに感じることができます。

私も、41歳となり、結婚して妻も子供もいます。
あなたが言うように、私もいつかその時が来るのです。
妻や息子を残して旅立った後、妻や息子が私の死を悲しみ
苦しみ、毎日を泣いて暮らしていたならば、きっと心配で
心配で、残してきたことを悔やみ、きっと次なる場所へ行けなく
なってしまうと思います。
故人への一番の供養とは、故人に心配させないような生き方を
することだと、ある人から教わりました。
そうすることで、故人は思い残すことなく、次へと向かうこと
ができるのだそうです。
私は、その言葉を頂き、それからは、おばあちゃんに対して、
いつも「ありがとう。僕なら心配ないからね」って伝えるように
なりました。

この世へ誕生することをそばで見守ってくれた親へ、今度は
あの世へ向かう時に、そばにいて見守るのが、子供としての責任
だと思っています。
今度はあなたが、子供さんへ教えてあげる番です。
しかしあなたはまだお若いですから、まだ見えない先のことを
考えて悲観的にはならないでください。
そして、また今度会いに行けばいいでは無くて、会いたいと
思えたら、すぐに会いにいくのです。
伝えたい言葉があれば、すぐに伝えるのです。
それが後悔の無い人生というものです。
あなたのお母さんとお父さんがいてくれたから、今のあなたがあります。
そして、子供さん、お孫さんへと命のリレーはどんどん繋がって
いるのです。
私の祖母も祖父と二人で人生をスタートさせてから、今では30人という
家族たちができました。
そして今もなお、増え続けています。
そうした歴史も踏まえて、それぞれのドラマがあります。
辛い事、苦しい事。そして楽しいこと、嬉しかったこと、涙が出る
ほどの幸せな思いを感じてきたのです。
今はとにかくとことん泣いていいと思います。
気が済むまで泣けばいいのです。
そしていつか、涙を拭いて、新しい一歩を踏み出して下さい。
お母様とお父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして...続きを読む

Q母の死から立ち直るには

18歳男です。
45歳の母がなくなり1ヶ月が立ちました。
亡くなった人は生き返ることはないので
考えてもしょうがないことは分かっていますが、
生前の記録を見ると涙がでていつまでも忘れられません。
忘れてしまっても可哀想な気がします。

親の死から立ち直る為のアドバイスをください。

Aベストアンサー

初めまして。
最初に
掲示板に書き込みする事じたい初めてです。
ヤフーから検索したらココがヒット
どうしてもココに書き込みしたいと思いGooの登録に2時間弱
やっと今、文字を書いてます。

32歳の男未婚、片親なんですが
先日、H19・7・19 享年57
1人しか居ない親が他界しました
通夜、葬式が終わり1人では居れなくてパソコンいじってました

慌しく過ごしてきたので泣いたのは 親の顔、親戚の泣き顔 それぐらいでした。Windsor-Conroeさんの心境になるのはこれからですね。。。
自分でも立ち上がれないと思います。
今ではソレで良いと思ってる

忘れてしまっても可哀想って書いてあるけど絶対に忘れられない
父親が居るのかな?居るならまだマシ
慌しい毎日を送れば悲しみをごまかせる
問題は夜!夜は父親に支えてもらう

忘れられないから気持ちが薄れるまで誤魔化す
で、良いと今は思ってる。

まだ生前の記録や整理してないから言える身勝手な書き込みかな?


ああああソウソウ
rinco-o_oさんの参考URL見た時も泣いた
そんな風に思えるのはまだ先だけど
すごく泣いた 見なきゃよかったって思った
けれどお気に入りに入れた
すごく良かった
今も思い出し泣きしてる;
2時間も掛けて言いたい事はイエタ^^
でわ

初めまして。
最初に
掲示板に書き込みする事じたい初めてです。
ヤフーから検索したらココがヒット
どうしてもココに書き込みしたいと思いGooの登録に2時間弱
やっと今、文字を書いてます。

32歳の男未婚、片親なんですが
先日、H19・7・19 享年57
1人しか居ない親が他界しました
通夜、葬式が終わり1人では居れなくてパソコンいじってました

慌しく過ごしてきたので泣いたのは 親の顔、親戚の泣き顔 それぐらいでした。Windsor-Conroeさんの心境になるのはこれからですね。。。
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Q母の死 乗り越えられない

私は最愛の母を4/17に亡くしました。
すい臓がんでした。

亡くなって直ぐ、葬式、仏壇購入など瞬く間に過ぎました。
半年間、母はあんな恐ろしい病気に真っ向から闘っていました。
主治医から治療方法がもう無いので緩和ケアに移るよう進言されても
諦めずに他の治療法を探して欲しいいと頼まれました。

国立がんセンターなどセカンドオピニオンにも相談したのです。
探しましたけれど、もう痛み止め以外なかったのです。

母には体調が戻れば新しい薬が試せると伝えました。
母は喜んでいました。

私は3月で会社を退職していました(会社都合の解雇)。
母には隠していました。ショックを与えて死期を早める事を避けたかったからです。

亡くなって暫くは、何故か母はもうこれ以上苦しまなくて済むと考え、気が楽だったのです。
でも、仕事も無く家に居て母の思い出が詰まっている家にいて、母がいない現実にただ、心が
淋しいのです。心が晴れる事はあれ以降全くありません。無気力に日々が過ぎていきます。

仕事探しもこんな状態なのでうまく行きません。引きこもりになっています。
安定剤は飲んでいますが、効いているのか、いないのかさえ分からないです。

こう言う時、皆さんならどうしますか?

私は最愛の母を4/17に亡くしました。
すい臓がんでした。

亡くなって直ぐ、葬式、仏壇購入など瞬く間に過ぎました。
半年間、母はあんな恐ろしい病気に真っ向から闘っていました。
主治医から治療方法がもう無いので緩和ケアに移るよう進言されても
諦めずに他の治療法を探して欲しいいと頼まれました。

国立がんセンターなどセカンドオピニオンにも相談したのです。
探しましたけれど、もう痛み止め以外なかったのです。

母には体調が戻れば新しい薬が試せると伝えました。
母は喜んでいました。

私は3月で会...続きを読む

Aベストアンサー

そちらの地域の、
グリーフ・ケアの専門家に
会ってみることを
お勧めします。

世界周航のセンチメンタルジャーニーに
出かけてみるのも1つの方法ではないでしょうか。
長い船旅で、ホスピタリティのプロフェッショナルたちが
質問者さまを慰めてくれるでしょう。中には、
グリーフ・ケアのプロもいるでしょう。
お母さまの遺影を抱いて、お母さまが好きだった国や
都市を巡るのもお勧めです。旅のプロセスで、
記憶の糸を手繰って、質問者さまの幼い頃からの、
お母さまとの思い出の数々を
B6版のカードかルーズリーフのノートに書いて、
お母さまの俳句や短歌などがあれば一緒に
ご本に纏め上げて、ご法事の引き出物の1つにして
皆さんに偲んで貰うようにすることも考えませんか。

毎日、お母さまに《こんなことがあったわね》
《あんなこともあったわね》と話しかけてあげませんか。
それをライフログの書いておきませんか。
Good friends are always together in spirit. (『Anne of Green Gables』)
のお友達を、家族に置き換えて書いて
日々のライフログの「栞」にしませんか。

〈ふろく〉
上記の思い出の記録とは別に、
幼児期・小学校低学年~高学年、中学生時代、
高校時代~~~、できるだけ細かく分けて、
a.What you recieved from your mother
(お母さまにしてもらったこと)
b.What you did for her
(お母さまにして返したこと)
c.The troubles you caused her
(お母さまに迷惑かけたこと)
を書いてみませんか。書き終わったら、
ゆっくりと声に出して読んでみましょう。

いろいろ無意味なことを書いてしまいました。
ごめんなさい。
グリーフ・ケアの専門家の助けを借りて、
ご自身で、暮らしの再デザインをするのが
ベストです。

なお、新興宗教などにキャッチされないように、
くれぐれも注意なされてくださいませね。

そちらの地域の、
グリーフ・ケアの専門家に
会ってみることを
お勧めします。

世界周航のセンチメンタルジャーニーに
出かけてみるのも1つの方法ではないでしょうか。
長い船旅で、ホスピタリティのプロフェッショナルたちが
質問者さまを慰めてくれるでしょう。中には、
グリーフ・ケアのプロもいるでしょう。
お母さまの遺影を抱いて、お母さまが好きだった国や
都市を巡るのもお勧めです。旅のプロセスで、
記憶の糸を手繰って、質問者さまの幼い頃からの、
お母さまとの思い出の数々を
B6版のカードかルーズ...続きを読む

Q母が突然死しました

母を突然亡くしました。入浴中の事故で私が浴室に駆けつけた時にはもう既に意識は全くなく呼びかけにも全く答えてくれない状態でした。救急隊が来て救命処置、病院に搬送されましたが帰らぬ人となりました。
病院で死を告げられた時は突然のことで涙一つ出ませんでした。急を聞いて会社から弟も駆けつけたのですが、弟は人目も憚らず大声で泣きました。私はそんな自分に嫌気、自己嫌悪に陥りました。最愛の母が亡くなったのに涙が出なかった。今は少しずつですが、涙も出て悲しいと言う感情が沸き上がってきて今度は失った喪失感で何もする気が起きません。家には弟もいますし、父(これは長くなりますから後述、別の質問します)もいます。私が母がしていたことをしなければ家のことは動きません。ですが、どうしても母のことを思い出し、近所のスーパーに行くことすら出来そうにないのです。大切な人を亡くした方はどうやって克服したのでしょうか?
どんなに小さなことでもいいから教えて下さい。
よろしくお願いします。

補足
入浴中の死亡と言うことで警察が来まして色々と聞かれた上に監察医の検死が入らないと遺体は返せないと
言われてそれがまた悲しみが一層深くなりました。法律上仕方ないことなのでしょうが、いたたまれない気持ちでした。
検死も昨日終わり、虚血性心不全と言うことで死因がわかりました。もう少し詳しく知りたいのなら解剖がありますが、どうしますか?と聞かれこれ以上母の体をいじられるのも嫌だったのでそれはお断りしました。
突然死と言うことになるのでしょうが、本当に突然目の前から母がいなくなってしまって喪失感が日に日に大きくなっていってとても耐えられそうにありません。心療内科にも急遽かかりました。
突然死や事故で最愛の人を亡くした方の克服したお話を伺いたいです。
よろしくお願いします。

母を突然亡くしました。入浴中の事故で私が浴室に駆けつけた時にはもう既に意識は全くなく呼びかけにも全く答えてくれない状態でした。救急隊が来て救命処置、病院に搬送されましたが帰らぬ人となりました。
病院で死を告げられた時は突然のことで涙一つ出ませんでした。急を聞いて会社から弟も駆けつけたのですが、弟は人目も憚らず大声で泣きました。私はそんな自分に嫌気、自己嫌悪に陥りました。最愛の母が亡くなったのに涙が出なかった。今は少しずつですが、涙も出て悲しいと言う感情が沸き上がってきて今度...続きを読む

Aベストアンサー

私も似たような状況で母を失いました
病院で死を告げられた時は私も涙はでませんでした
後から考えると認識するまでに少し時間がかかったのかなという感じがします
体が反応してなかったんだと思います、全然問題はないです

乗り越えるのには時間はかかりました
母というのは生涯で一番子どもに多くのものを与えます
既に自分は多くのものを与えてもらっていたと気づくことで
そんな自分を信じて生きていくことが大切なのかなということで今は普通に生きています


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