映画でアメリカの南北戦争をみて不思議に思いました。
敵の砲弾が降る中を隊列をくずさずにゆっくり歩いてゆくシーンがあるのですが、本当にこんなことがあったのでしょうか?

さぞ、撃ってくださいといわんばかりです。
普通は物陰や塹壕に隠れたり、走って突っ込んだりすると思います。
日本の戦国時代でもこんなことはなかったはずです。
これは映画のフィクションでしょうか?
複数の映画で同じようなシーンを見たので、史実かなとおもい質問しています。

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A 回答 (3件)

>映画でアメリカの南北戦争をみて不思議に思いました。


>敵の砲弾が降る中を隊列をくずさずにゆっくり歩いて
>ゆくシーンがあるのですが、本当にこんなことがあった
>のでしょうか?

ありました。
下記URLを参照してください。
もっとも結果は、歩兵を剥き出しのまま前進させた南軍の
大敗北ですが。

『戦術の世界史』-19世紀-ゲティスバーグの戦い
 http://plaza4.mbn.or.jp/~tactic/

なんでこんなことをしたかについては、他の方の回答にある
ように、そういう戦術が当時は一般的だったからでしょう。
参考URLを丹念に読めば、戦術の世界的な流れがわかる
かと思います。

もっともアメリカ独立戦争時は、アメリカ民兵はたくみな
散開戦術を使って兵員の損失を防いでいます。
なぜその伝統が失われたかについては、識者の回答を待ちます。

参考URL:http://plaza4.mbn.or.jp/~tactic/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考URL読みました。

1万5千人の突撃隊が無防備のまま隊列を組んで行進して、敵陣まで辿り着いたのが150人とは!
絶句です。
これでは、16世紀の信長の軍隊にだって負けてしまうでしょう。

お礼日時:2003/11/04 21:44

隊列を組んで進軍する攻撃方法は、第1次世界大戦の初期まで使われていました。



現在の軍隊と違い、第1次世界大戦初期までの軍隊は、日本の武士と同様に誇り高い戦士でしたので、こそこそ隠れて戦うのは卑怯とされていました。

第1次世界大戦に初めてマシンガンが登場しましたが、マシンガンが戦場に投入された当初は、それまでの戦闘方法をつづけていたので、マシンガンの機銃掃射の中を隊列を組んで進軍した兵士が次々と殺されるという場面があちこちで見受けられました。そのため、マシンガンから身を守る新しい戦闘方法として塹壕が開発されました。南北戦争当時、塹壕というものはありませんでした。


>日本の戦国時代でもこんなことはなかったはずです。

日本の戦国時代の戦闘方法は、両軍が対峙しそうな場所(一般的には平野など軍隊を展開できる広場)に向かい、お互いに陣形を整えます。両軍が陣形を整え終わるまで、お互いに待っていたいました。そして、まず、弓あわせといってお互いに弓を撃ち合い、戦(いくさ)の開始を宣言します。鉄砲が普及した戦国末期は、これが鉄砲あわせに変わり、鉄砲を撃ち合います。次に槍あわせに入ります。両軍の先手(先頭を切って戦う部隊)が進軍し、ぶつかったところで槍で攻防します。この攻防をするうちに、両軍が入り乱れ始め、混戦になるのです。

テレビや映画でやっている戦国の戦闘方法は、後の第2次世界大戦や、ヨーロッパの中世や近世の戦闘方法を取り入れ、アレンジしてあるので、あまり実際の戦闘方法を再現していません。
実際の戦国時代の戦闘方法を再現すると地味で見栄えが悪いので、テレビや映画などではそのようにしているのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

実際の戦国時代も同じような戦法をとっていたのですか。
知りませんでした。
信長とか秀吉とかは、合理的な精神の持ち主なので、伝統的な戦法は行わなかったと勝手に思っていました。

お礼日時:2003/11/04 21:47

アメリカ南北戦争が、とは言えませんが、その当時の砲撃については、逃げ惑うよりまっすぐ歩いたほいうがあたらないということです。


的の中心に当たる確立と同じで、その時代の砲撃の精度は0に激しく等しかったからですね。以上
(その辺を映画では言いたかったんじゃないかな)
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Q南北戦争の意味

南北戦争の意味

南北戦争って北部(保護貿易、奴隷解放)と南部(自由貿易、奴隷解放反対)の戦いなんですよね。
結局北部が勝ったわけですけど、莫大な数の犠牲者が出た他、黒人奴隷に対する偏見や差別はしばらく続いたようですし、南部なんか奴隷制が続いてただけじゃなく、KKKなんて団体も出てきちゃって、結局何のための戦争だったのかよくわかりません。
第一、暴力や武力なんかで統一させようって考え方からしておかしいと思います。
しかし、現地の人たちの中には南北戦争があったおかげで今の自分たちがあると言っている人もいるようです。

一見すると南北戦争がなくても話し合ったり何らかの機会があればいずれ奴隷も解放されて多くの犠牲者を出さなくてもすんだと思うんです。

もし南北戦争がアメリカにとって必要な出来事だとしたら、その理由は何なのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは、

夫は南部出身のアメリカ人で先祖が南北戦争で(負けたんですけど)戦ったことを誇りにしています。ジョンウェインやクリントイーストウッドの映画を見ると胸がいっぱいになるのと同じですね。

アメリカ人は独立戦争と南北戦争については国の基盤を築いた戦争であると強く認知しています。

貴方が”暴力や武力で統一させようって考え方からしておかしい”と思うのは、日本が独立戦争を経ずに国体を維持できたからです。

独立戦争の後、アメリカは憲法を発布してひとつの国として歩き出しますが、それぞれの州が自治権を持っていて、いかにも統一が取れていない。

現実的にあそこで北部アメリカと南部アメリカに分割される大きな危険をはらんでいました。実際に南部の州はワシントンからあれこれ指図を受けるのは真っ平ごめんでした。私は奴隷問題は二の次だったと思っています。この辺はご自分でお調べになってみてください。

例えば九州で反乱が起きたときに古代日本の帝王はやはり軍勢を送って乱を鎮めていますよね。。。。磐井の乱でしたか。それと同じことです。話し合いでかたをつけようとすると、今の日本の政治みたいになりますよ。

南北戦争の後、アメリカの国としての統一が固まりました。

ワシントンDCにいらっしゃる機会があったら是非リンカーンモニュメントにいらしてみてください。彼がいかにアメリカ人から尊敬を受けているか一目でわかります。

こんにちは、

夫は南部出身のアメリカ人で先祖が南北戦争で(負けたんですけど)戦ったことを誇りにしています。ジョンウェインやクリントイーストウッドの映画を見ると胸がいっぱいになるのと同じですね。

アメリカ人は独立戦争と南北戦争については国の基盤を築いた戦争であると強く認知しています。

貴方が”暴力や武力で統一させようって考え方からしておかしい”と思うのは、日本が独立戦争を経ずに国体を維持できたからです。

独立戦争の後、アメリカは憲法を発布してひとつの国として歩き出しますが、そ...続きを読む

Qアメリカ独立戦争の頃の戦争の仕方

こんにちは
こちら↓の質問でも少しふれられていますが、
http://okwave.jp/qa210477.html
独立戦争を描いた、映画『パトリオット』で出てくる戦闘シーンを見て、
大変奇妙な戦い方に見えました。
鉄砲を持って横列にならんだ両軍が向かい合って、交互に一斉射撃をする
というものです。
当時の鉄砲は大変命中率が低かったのと、装填に大変時間がかかった。
ということを聞いたことがありますが、
なるべく兵力を失わないためにも、射程距離に入ったら、すぐ撃つのが自然じゃないでしょうか?
それをかわりばんこに一斉射撃をするというのは、運動会みたいで(笑)
そういう古風な、戦争のルールみたいなものがあったんでしょうか?

Aベストアンサー

時代はまずアメリカ独立戦争ですが、
ここに登場するイギリス軍の戦術は
すでに少し古いものです。
フリードリヒ大王の時代の
横隊戦術全盛期の頃のものを踏襲していて
映画でいえば「バリーリンドン」と同じ。
実際、イギリスの植民地軍は
かなりがドイツ人傭兵で構成されていて
ワシントン将軍が起死回生の大勝利を収めた
デラウェア渡河作戦は映画化されてますが
あの戦いも相手はヘッセン兵(現ドイツ)です。
アメリカの義勇兵は散兵戦術やゲリラ戦
(といってもゲリラ戦が定義されるのはナポレオン戦争ですが)を
展開して、柔軟性のないイギリス軍の横隊戦術を盛んに
悩ませました。
イギリス軍はこの戦争の反省から
ナポレオン戦争の頃には歩兵戦術を変革させ、
散兵を活用したり、横隊隊列を薄く長くして
火力集中を強めたりします。
クリミア戦争で謳われた”thin red line”は
集大成であり、かつ隊形戦術の最後の活躍でもありました。

フリードリヒ時代の横隊戦術は
一挙手一投足まで士官号令のもとに行うもので
ユニット(部隊)を一つのマシーンとして活用するものでした。
それに対して個々の人間の自主性を活用するのが
アメリカ大陸軍や、革命フランス軍などの
新しい戦術の波です。
アメリカ独立戦争はその変革期にあたるために
戦術としては古く非効率なものが用いられたので
実際問題としてイギリスは勝てなかったわけです。

あと射程(ちなみに射程距離という言い方は日本語の間違いです、
射程に距離の意味があり二重表現になります)
に入ったら撃つというのは、
軍事的・科学的な常識からいって大間違いです。
射程内でも、遠ければ遠いほど命中率は落ちるわけで
連射が聞かない以上、できるだけ引きつけて発砲するのは
当然の行為です。

弾薬も無限にあるわけではなく、有効射程は100メートルくらいあっても
実際には30メートル以内でないと確実には倒せません。
逆に、早めに撃ち出すと、弾は当たらず、
無駄な射撃と装填している間に
敵には容易に接近されて、
至近距離から敵の一斉射撃を受けることになります。

だから歩兵教則でどの軍隊でも十分な距離まで
接近しないと発砲してはならないと決められていました。
これを破って恐怖心から遠めで発砲を開始するのは
軍人としてもど素人で、この時代なら臆病者と評価されます。
敵の白目が見えるまで接近しないと撃つなというのが
ベテランの有名な教えです。

一斉射撃が交互に行われた、というのは
単なる映画の撮影と表現の都合でしょう。
実際には別に交互である必要もなく、同時に発砲することもよくあります。
しかしさっきいったようにできるだけ近くで
一斉射撃をしたほうが効果的なので
チキンレースみたいなところがって
我慢して我慢して接近してズドンとやるわけで
しかし近づきすぎて敵が先にズドンとやると
こっちは兵隊が死んで射手が減るわけでそうなると
まずいので、ギリギリのラインで駆け引きしながら
どっちが撃つか、先か後か、勝敗をわけるポイントになるわけです。

時代はまずアメリカ独立戦争ですが、
ここに登場するイギリス軍の戦術は
すでに少し古いものです。
フリードリヒ大王の時代の
横隊戦術全盛期の頃のものを踏襲していて
映画でいえば「バリーリンドン」と同じ。
実際、イギリスの植民地軍は
かなりがドイツ人傭兵で構成されていて
ワシントン将軍が起死回生の大勝利を収めた
デラウェア渡河作戦は映画化されてますが
あの戦いも相手はヘッセン兵(現ドイツ)です。
アメリカの義勇兵は散兵戦術やゲリラ戦
(といってもゲリラ戦が定義されるのはナポレ...続きを読む

Qアメリカの南北戦争って結局は黒人奴隷の取り合いだったの?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、なぜ戦ったのか不思議に感じていました。  普通考えるとあり得ないですよね。  あまりにもキレイゴトすぎるというか ・・・ もし自分が北部の白人兵士だったら、黒人奴隷を開放するために戦場に行って南部の白人と戦えますか?

結局は62万人もの犠牲を出して戦争は終結したのですが、朝鮮半島のように同胞どうしが国内で戦う悲惨な歴史をアメリカはもっているわけですよね。

そこでお聞きしたいのですが、有体にいってアメリカの南北戦争とは結局は 「黒人奴隷による安価な労働力」 を南北で取り合ったというのが正しい考え方でしょうか?

もしそうなら、リンカーン大統領はなぜ偉人というか歴史に残る大統領として今でも語り継がれるのでしょうか?

仮に 「たしかに労働力の取り合いだったとしても、結果的に奴隷制の廃止、またその後、黒人奴隷の人権も認められるキッカケになったじゃないか」 という意見があったとしても、実際にアメリカで黒人が白人同様の人権を認められるのに南北戦争後、約100年以上もの時間を要しているわけすよね?

つまり奴隷解放、人権回復というのは南北戦争がなくても20世紀に入ってからの時代の趨勢で実現されていたというか ・・・

それとなぜ英語では南北戦争ではなく、Civil War (市民戦争?) と表現されるのでしょうか?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、...続きを読む

Aベストアンサー

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですから自由貿易を望みます。
ところが新興工業地域の北部にとっては、まだ生産性が低い自国製品では進んだ英国製工業製品に太刀打ちでがきません。
イギリスからの輸入品との競争に弱い北部工業地域は、保護貿易を主張します。
南北戦争とはこのような国内産業のあり方、対外政策のあり方をめぐっての戦争だったわけです。
だから南北戦争では北部は南部に打撃を与えるための戦術として奴隷解放を主張したと思われます。(現に「勝つためなら奴隷のことなんてどうでもいい」というような発言も残っています。)

そして北軍の勝利となり、国内産業保護的な政策をとることができるようになり、これを背景としてアメリカ国内における工業が飛躍的に発展するわけです。
これがいわばアメリカ版産業革命です。

Civi lWarと呼ばれるのは多分対外戦争ではないからでしょう。

リンカーンが語り継がれるのは別に奴隷解放を主張したからではなく「人民の、人民による、人民のための政府」という演説が有名になったためでしょう。
日本でのリンカーン人気は、有色人種差別に苦しんだ明治の頃の日本人が、「奴隷解放宣言」を真に受けて広く紹介したためと思われます。

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですか...続きを読む

Qアメリカの太平洋戦争は侵略戦争ですか?それとも?

理由の如何に関わらずとにかく先制的に武力による攻撃を受け
それに応戦する形で始まった日米開戦ですが、これは
アメリカにとっては正当な自衛戦争なのでしょうか?

「侵略の定義」からいけば、日本国の領土内において爆撃等を
加えているので侵略だと思うのです。
しかし、自衛の考え方からいけば、自国の領土内で先に
攻撃を受けたので、自衛だと思いますが・・・
学者達の通説というかそういう見解があれば是非教えて下さい。

あと、原爆投下は明らかにハーグ陸戦法規違反だと思いますが、
それについても、専門家の見解等があればどなたか教えて下さいませ。
何卒、ヨロシクお願い致します。

Aベストアンサー

> 複数あるのは知ってますが、詳しくは知りません。
> ですが、細菌兵器や原爆などの恐ろしい兵器を
> 使用するのは違反だったような・・・・
> あと、一般の市民を無差別に爆殺するのも・・・?
> 貴殿が違反していると思われるもの全てをどうか列挙して下さいませ。
> 御願いいたします。

 そういう、事実に基づかない空論は私の嫌う所です。
 最低でも、条項を示してください。
 読んだことが無いなら、例えば下記をどうぞ。ウィキペディアでもいいですが。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/kaisetsu/other/hague_rikusen.html

> 援軍であって、戦争は、もう始まっているのだと思うのですが・・・?
> すなわち、日中戦争です。ですので日米開戦では決してないと思われますが・・??

 支離滅裂にしか見えないのですが、推敲していますか?
 援軍を出すということは、アメリカ軍は国民党軍の同盟軍だということすね。
 ということは、援軍を出した瞬間に、戦闘をしていなくても日米開戦です。

 世の中の論理はそうだから、ルーズベルトは日本に先端を開かせてドイツと交戦できる状態にしたのです。結論として、あなたの考え方は間違っています。


> けど、私としては、国際社会全体として正当性があるかどうか
> が重要だと思うのですが・・・・・
> その国際社会の代表が国連ではないかと・・・・・・
> たよりないにしても・・・・一つの基準を示しているのかなと。

 あなたが思うのは自由ですが、国際社会はそんなものに縛られたりはしません。
 また、国際社会の代表を国連だという勘違いした幻想を抱いているのも、日本人だけです。

> 複数あるのは知ってますが、詳しくは知りません。
> ですが、細菌兵器や原爆などの恐ろしい兵器を
> 使用するのは違反だったような・・・・
> あと、一般の市民を無差別に爆殺するのも・・・?
> 貴殿が違反していると思われるもの全てをどうか列挙して下さいませ。
> 御願いいたします。

 そういう、事実に基づかない空論は私の嫌う所です。
 最低でも、条項を示してください。
 読んだことが無いなら、例えば下記をどうぞ。ウィキペディアでもいいですが。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/t...続きを読む

Q南北戦争時代の歌:SAMBO'S RIGHT TO BE KILT(英語の意味)

「SAMBO'S RIGHT TO BE KILT」という歌らしいですが、ところどころ古い単語が使われているので、なかなか意味がつかめません。この歌を翻訳しているHPまたは書籍等があれば教えてください。

Some tell me 'tis a burnin' shame
To make the naygers fight,
And that the trade of bein' kilt
Belongs but to the white.
But as for me, upon my soul!
So lib'ral are we here,
I'll let Sambo be shot instead of myself
On ev'ry day in the year.

Aベストアンサー

* 'tis a burnin'shame = This is a burning shame
(disgraceful shame for country)

* naygers = nigger (ニガー)

* bein' kilt = being killed

* lib'ral = Liberal

* Sambo = ニガーと同様、黒人の悪い呼び方


人は言う。
「黒人をこの戦争で戦わせることは、国の恥ずべきことであり
これは白人の問題であって、彼ら(黒人)は自由を手に入れる事と
引き換えに、戦争で殺されているのだ」と。

確かにそうだ、もっともだよ
だからこの共和党がここに存在するんだろう、

俺が殺されずに済むのなら、

毎日(戦いに自らの意思で参加している)サンボ(黒人たち)が
撃ち殺されりゃいいんだ。

***************************************************

どの本から引用された文章でしょうか?
それが分かれば、資料も探しやすくなると思うのですが
でも、とにかくお役に立てるべく頑張ってみました!

私なりの日本語訳で意味が伝わるか不安ですが
全体的な内容として、いち徴収兵(北部に住む民主派区域の白人)が
当時奴隷解放を主張するリンカーンの制度によって
自由を得た黒人が戦いに参加している姿を詠ったものだと思います。

詩を書いた本人は、この戦争に疲れ、
文頭で人々が言っているとされる「黒人は戦争に参加するべきではない」と言う意見に対して
「やつらがそうしたいのであれば、
そうさせれば良い。生き延びれさえすれば、俺には関係ないことなんだ」
皮肉交じりの悲観的な内容である事に変わりはないと思います。

* 'tis a burnin'shame = This is a burning shame
(disgraceful shame for country)

* naygers = nigger (ニガー)

* bein' kilt = being killed

* lib'ral = Liberal

* Sambo = ニガーと同様、黒人の悪い呼び方


人は言う。
「黒人をこの戦争で戦わせることは、国の恥ずべきことであり
これは白人の問題であって、彼ら(黒人)は自由を手に入れる事と
引き換えに、戦争で殺されているのだ」と。

確かにそうだ、もっともだよ
だからこの共和党がここに存在するんだろう、

俺が...続きを読む

Q【戦争】なぜ日本人は戦争に対して被害者ぶってるのでしょうか?アメリカに焼夷弾を落とされた。もう2

【戦争】なぜ日本人は戦争に対して被害者ぶってるのでしょうか?

アメリカに焼夷弾を落とされた。もう2度とこんな残酷なことをさせてはならない。

って、最初に爆撃したのは日本人では・・

Aベストアンサー

「日本人が外国で残酷なことをした」と言っても理解できない人、受け入れられない人が大勢いますから
その人たちに戦争反対を訴える手段としては
「戦争になれば日本人も残酷なことをされる」と言うしかないのでしょう。

Q南北戦争とヴェトナム戦争

南北戦争とヴェトナム戦争はアメリカ史の中でとりわけ重要な位置を占めると考えられるが、それはなぜなのでしょうか。それぞれの原因と経過を述べた上で、各戦争の前後でアメリカ社会がいかなる変化を経験したか解説してください。

Aベストアンサー

まず国内戦争(南北戦争)と外国との戦争(ベトナム戦争)という相手が違います。

南北戦争は、農業中心が中心で奴隷制度の上に成り立っていた南部と
工業化が進んでいるいて、ほとんど奴隷の労働力を必要としない北部で、
第1の戦争の争点は、奴隷制度を廃止するかどうかでした。普通に使われ
ていた奴隷に対する必要性がまるで正反対でした。
1863年奴隷解放宣言を出した。ゲチスバーグの戦いを経て、戦争は北部軍の
勝利に終わったが、1865年戦争終結を前にリンカーン大統領は暗殺された。
アメリカを2分する南北戦争は北部の勝利の終わり、工業国家として人道的
方針としても、奴隷制度は廃止されていくが、依然人種差別問題は残った
ままだった。

ベトナム戦争は、第2次大戦の延長線上に宗主国のフランスが傀儡政権の
ベトナム国を1949年に、アメリカの影響下1955年ベトナム共和国を樹立。
ジュネーブ協定では、南のベトナム共和国と北のベトナム民主共和国とは
56年7月に選挙によって統一される事になっていた。しかし、南ベトナムの
ゴ・ディン・ディエムが大統領に就任したが、彼の独裁政治とアメリカの
軍事干渉に対して民衆の抵抗が高まり1960年南ベトナム解放民族戦線を結成。
63年11月ゴ・ディン・ディエムはクーデターにより殺害され、グエン
バンチュー政権ができた。65年2月からは北爆が開始され、3月大戦闘部隊
投入と、国際的非難の高まりをよそに戦争は急速にエスカレートした。
1970年4月からカンボジア攻撃を開始し、ラオスに侵攻して増大する解放
勢力の粉砕を図った。しかし、71年にはこの計画の失敗が明らかになり、
ドル危機の深まりとともに、国内分裂はさらに強まった。72年のニクソン
訪中は、この危機の打開策として実現されたが、中国は東南アジアの安定を
求めて米軍の完全撤退を強調し、パリ平和会議(68-73年)での南ベトナム
臨時革命政府の主張を積極的に支持した。その結果73年1月、アメリカと
ベトナム民主共和国(北)・ベトナム共和国(南)・南ベトナム臨時革命
政府の4者間で和平協定が調印され、アメリカはベトナムからの完全撤退
を宣言した。75年3月に始まった解放勢力の大攻勢(ソ連援助の武器と
戦術を採用)で4月末にサイゴンは陥落し、南ベトナム政府はたちまち崩壊
して戦争は終わった。
 アメリカ社会は、戦争に深入りせず反戦のためのウッドストックのコン
サート等、ヒッピー族等若者の反戦ムードは高まった。
 本来介入すべきでなかった戦争が、約10年間の続き、厭戦争ムードが
アメリカ全土にひろがった。
http://blog.livedoor.jp/hirose15/  http://blog.goo.ne.jp/haruohiro9
http://hirose15.blog.fc2.com/

まず国内戦争(南北戦争)と外国との戦争(ベトナム戦争)という相手が違います。

南北戦争は、農業中心が中心で奴隷制度の上に成り立っていた南部と
工業化が進んでいるいて、ほとんど奴隷の労働力を必要としない北部で、
第1の戦争の争点は、奴隷制度を廃止するかどうかでした。普通に使われ
ていた奴隷に対する必要性がまるで正反対でした。
1863年奴隷解放宣言を出した。ゲチスバーグの戦いを経て、戦争は北部軍の
勝利に終わったが、1865年戦争終結を前にリンカーン大統領は暗殺された。
アメリカを2分する...続きを読む

Q戦争中、日本人はアメリカのことをどう思ってた?

太平洋戦争中。日本人は、アメリカのことをどう思っていたと思いますか?(考えられますか?)
         (一般市民)

Aベストアンサー

太平洋戦争の前から、アメリカを知ってる大人は「工業大国・アメリカ」の印象を持ってました。

私の父親は、真珠湾奇襲攻撃の時には31歳の機械技師だったので、アメリカの工業力の優れたところを知ってたので「この戦争は負ける」と始めから確信してたそうです。

また、母親の兄(伯父)は開戦前から海軍将校だったので、やはりアメリカには勝てないと思ってたようです。
そして、真珠湾攻撃翌年のミッドウェー海戦の大敗を知ってた伯父は、妹である母親に「東京は近い内に必ず火の海になる」と忠告してたそうです。
従って、アメリカの強さを知ってた大人達は、とんでもない戦争を仕掛けた「軍部を憎んだ」のでアメリカには始めから負けると思ってたのです。
しかし、外国事情に疎い一般国民や子供達は、戦争に追い込んだアメリカを憎んだようです。

尚、戦争末期の昭和20年正月から、母親と姉達は母親の実家に疎開しましたから、3月10日の東京大空襲の難を逃れましたが、父親と祖父母達は東京に残ったので空襲被害に遭って祖父母は亡くなりました。
そして、翌月4月には伯父も戦艦大和と共に沖縄に向かった巡洋艦矢矧に海軍将校として乗艦して戦死しましたが、私の両親はアメリカより「日本の軍部(特に陸軍上層部)を憎んだ」のです。
だから、終戦の玉音放送を聴いた時、日本の敗戦の悔しさより「戦争が終わった事にホッとした」そうです。
因みに、終戦後に進駐して来た「アメリカ兵に日本の子供達は直ぐに懐いて」チョコレートなどをねだったそうです。

太平洋戦争の前から、アメリカを知ってる大人は「工業大国・アメリカ」の印象を持ってました。

私の父親は、真珠湾奇襲攻撃の時には31歳の機械技師だったので、アメリカの工業力の優れたところを知ってたので「この戦争は負ける」と始めから確信してたそうです。

また、母親の兄(伯父)は開戦前から海軍将校だったので、やはりアメリカには勝てないと思ってたようです。
そして、真珠湾攻撃翌年のミッドウェー海戦の大敗を知ってた伯父は、妹である母親に「東京は近い内に必ず火の海になる」と忠告してたそ...続きを読む

Q南北戦争における黒人の活躍

南北戦争での黒人部隊や黒人個人の活躍を調べているのですが、
なかなか見つかりません。
なにか情報またはリンクがございましたら、是非教えてください。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

宣教師の両親を持ちハワイで育った、サミュエル・アームストロングという人が、第9部隊という、全員が黒人で成り立った部隊の指揮将官でした。南北戦争の後は自由になった黒人の教育の為に活躍しました。英語ですが、下のサイトがブリタニカの彼に関するページです。

参考URL:http://www.britannica.com/seo/s/samuel-chapman-armstrong/

Q南北の対立・・・・

アメリカの話なんですけど、(南北戦争あたり
北部がなぜ保護関税を望んだのかまた、なぜそれによって連邦主義の主張が強かったのか?
同様に、南部はなぜ自由貿易政策を望んで、州権主義的な主張が強かったのか・・・・
教えてください。。困ってます。。よろしくお願いします。。

Aベストアンサー

No1です。

「連邦主義」と「州権主義」が抜けてましたね。
北部にとっては保護関税政策を維持するためには各州まちまちな対応をされるよりはアメリカ全体としてこうするんだという連邦主義を主張するのは当然ですね。
逆に南部は安い輸入品が入り、また自州の農産物を自由に輸出したいわけですから、州として好きにやらせてくれよという州権主義を主張したわけです。


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