映画でアメリカの南北戦争をみて不思議に思いました。
敵の砲弾が降る中を隊列をくずさずにゆっくり歩いてゆくシーンがあるのですが、本当にこんなことがあったのでしょうか?

さぞ、撃ってくださいといわんばかりです。
普通は物陰や塹壕に隠れたり、走って突っ込んだりすると思います。
日本の戦国時代でもこんなことはなかったはずです。
これは映画のフィクションでしょうか?
複数の映画で同じようなシーンを見たので、史実かなとおもい質問しています。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

>映画でアメリカの南北戦争をみて不思議に思いました。


>敵の砲弾が降る中を隊列をくずさずにゆっくり歩いて
>ゆくシーンがあるのですが、本当にこんなことがあった
>のでしょうか?

ありました。
下記URLを参照してください。
もっとも結果は、歩兵を剥き出しのまま前進させた南軍の
大敗北ですが。

『戦術の世界史』-19世紀-ゲティスバーグの戦い
 http://plaza4.mbn.or.jp/~tactic/

なんでこんなことをしたかについては、他の方の回答にある
ように、そういう戦術が当時は一般的だったからでしょう。
参考URLを丹念に読めば、戦術の世界的な流れがわかる
かと思います。

もっともアメリカ独立戦争時は、アメリカ民兵はたくみな
散開戦術を使って兵員の損失を防いでいます。
なぜその伝統が失われたかについては、識者の回答を待ちます。

参考URL:http://plaza4.mbn.or.jp/~tactic/
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考URL読みました。

1万5千人の突撃隊が無防備のまま隊列を組んで行進して、敵陣まで辿り着いたのが150人とは!
絶句です。
これでは、16世紀の信長の軍隊にだって負けてしまうでしょう。

お礼日時:2003/11/04 21:44

隊列を組んで進軍する攻撃方法は、第1次世界大戦の初期まで使われていました。



現在の軍隊と違い、第1次世界大戦初期までの軍隊は、日本の武士と同様に誇り高い戦士でしたので、こそこそ隠れて戦うのは卑怯とされていました。

第1次世界大戦に初めてマシンガンが登場しましたが、マシンガンが戦場に投入された当初は、それまでの戦闘方法をつづけていたので、マシンガンの機銃掃射の中を隊列を組んで進軍した兵士が次々と殺されるという場面があちこちで見受けられました。そのため、マシンガンから身を守る新しい戦闘方法として塹壕が開発されました。南北戦争当時、塹壕というものはありませんでした。


>日本の戦国時代でもこんなことはなかったはずです。

日本の戦国時代の戦闘方法は、両軍が対峙しそうな場所(一般的には平野など軍隊を展開できる広場)に向かい、お互いに陣形を整えます。両軍が陣形を整え終わるまで、お互いに待っていたいました。そして、まず、弓あわせといってお互いに弓を撃ち合い、戦(いくさ)の開始を宣言します。鉄砲が普及した戦国末期は、これが鉄砲あわせに変わり、鉄砲を撃ち合います。次に槍あわせに入ります。両軍の先手(先頭を切って戦う部隊)が進軍し、ぶつかったところで槍で攻防します。この攻防をするうちに、両軍が入り乱れ始め、混戦になるのです。

テレビや映画でやっている戦国の戦闘方法は、後の第2次世界大戦や、ヨーロッパの中世や近世の戦闘方法を取り入れ、アレンジしてあるので、あまり実際の戦闘方法を再現していません。
実際の戦国時代の戦闘方法を再現すると地味で見栄えが悪いので、テレビや映画などではそのようにしているのでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

実際の戦国時代も同じような戦法をとっていたのですか。
知りませんでした。
信長とか秀吉とかは、合理的な精神の持ち主なので、伝統的な戦法は行わなかったと勝手に思っていました。

お礼日時:2003/11/04 21:47

アメリカ南北戦争が、とは言えませんが、その当時の砲撃については、逃げ惑うよりまっすぐ歩いたほいうがあたらないということです。


的の中心に当たる確立と同じで、その時代の砲撃の精度は0に激しく等しかったからですね。以上
(その辺を映画では言いたかったんじゃないかな)
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q南北戦争の意味

南北戦争の意味

南北戦争って北部(保護貿易、奴隷解放)と南部(自由貿易、奴隷解放反対)の戦いなんですよね。
結局北部が勝ったわけですけど、莫大な数の犠牲者が出た他、黒人奴隷に対する偏見や差別はしばらく続いたようですし、南部なんか奴隷制が続いてただけじゃなく、KKKなんて団体も出てきちゃって、結局何のための戦争だったのかよくわかりません。
第一、暴力や武力なんかで統一させようって考え方からしておかしいと思います。
しかし、現地の人たちの中には南北戦争があったおかげで今の自分たちがあると言っている人もいるようです。

一見すると南北戦争がなくても話し合ったり何らかの機会があればいずれ奴隷も解放されて多くの犠牲者を出さなくてもすんだと思うんです。

もし南北戦争がアメリカにとって必要な出来事だとしたら、その理由は何なのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは、

夫は南部出身のアメリカ人で先祖が南北戦争で(負けたんですけど)戦ったことを誇りにしています。ジョンウェインやクリントイーストウッドの映画を見ると胸がいっぱいになるのと同じですね。

アメリカ人は独立戦争と南北戦争については国の基盤を築いた戦争であると強く認知しています。

貴方が”暴力や武力で統一させようって考え方からしておかしい”と思うのは、日本が独立戦争を経ずに国体を維持できたからです。

独立戦争の後、アメリカは憲法を発布してひとつの国として歩き出しますが、それぞれの州が自治権を持っていて、いかにも統一が取れていない。

現実的にあそこで北部アメリカと南部アメリカに分割される大きな危険をはらんでいました。実際に南部の州はワシントンからあれこれ指図を受けるのは真っ平ごめんでした。私は奴隷問題は二の次だったと思っています。この辺はご自分でお調べになってみてください。

例えば九州で反乱が起きたときに古代日本の帝王はやはり軍勢を送って乱を鎮めていますよね。。。。磐井の乱でしたか。それと同じことです。話し合いでかたをつけようとすると、今の日本の政治みたいになりますよ。

南北戦争の後、アメリカの国としての統一が固まりました。

ワシントンDCにいらっしゃる機会があったら是非リンカーンモニュメントにいらしてみてください。彼がいかにアメリカ人から尊敬を受けているか一目でわかります。

こんにちは、

夫は南部出身のアメリカ人で先祖が南北戦争で(負けたんですけど)戦ったことを誇りにしています。ジョンウェインやクリントイーストウッドの映画を見ると胸がいっぱいになるのと同じですね。

アメリカ人は独立戦争と南北戦争については国の基盤を築いた戦争であると強く認知しています。

貴方が”暴力や武力で統一させようって考え方からしておかしい”と思うのは、日本が独立戦争を経ずに国体を維持できたからです。

独立戦争の後、アメリカは憲法を発布してひとつの国として歩き出しますが、そ...続きを読む

Q新選組の史実とフィクションの混同

こんにちは、いつもお世話になっています。

個人的な趣味として、最近
「新選組の史実とフィクションの混同」
と題して研究
(・・といってもたいしたことはありませんが)
をしています。

これまでに、色々な混同されている
事例をみてきたのですが、皆様の中で
これは「史実なのか?フィクションなのか?」と
わからないようなもの、または勘違いしていた
ようなものってありますか?

Aベストアンサー

 いろいろとわからない(判明していない)ことは多々あるのですが,

1:7番組組長,谷三十郎の死因。ただ谷がある隊士の切腹の介錯を失敗し,3番組組長,斎藤一がその隊士の首を斬ったというエピソードはフィクションであるという説が濃厚です。なぜなら,その隊士(田内という平隊士ですが)の切腹は谷の死後のことだからだそうです。

2:総長,山南敬助についてですが,まず名前は「やまなみけいすけ」と呼ばれることが多いですが,実際は「さんなんけいすけ」という説が濃厚です。また,切腹(自殺)したのは事実のようですが,理由は明らかになっておらず,広く知られている脱走というのはフィクションという説が濃厚です。恋人の存在もフィクションという説が濃厚です。

3:5番組組長,武田観柳斎が男色(いわゆるホモのこと)だったというのもフィクションっぽいとのことです。

Q南北戦争時代の歌:SAMBO'S RIGHT TO BE KILT(英語の意味)

「SAMBO'S RIGHT TO BE KILT」という歌らしいですが、ところどころ古い単語が使われているので、なかなか意味がつかめません。この歌を翻訳しているHPまたは書籍等があれば教えてください。

Some tell me 'tis a burnin' shame
To make the naygers fight,
And that the trade of bein' kilt
Belongs but to the white.
But as for me, upon my soul!
So lib'ral are we here,
I'll let Sambo be shot instead of myself
On ev'ry day in the year.

Aベストアンサー

* 'tis a burnin'shame = This is a burning shame
(disgraceful shame for country)

* naygers = nigger (ニガー)

* bein' kilt = being killed

* lib'ral = Liberal

* Sambo = ニガーと同様、黒人の悪い呼び方


人は言う。
「黒人をこの戦争で戦わせることは、国の恥ずべきことであり
これは白人の問題であって、彼ら(黒人)は自由を手に入れる事と
引き換えに、戦争で殺されているのだ」と。

確かにそうだ、もっともだよ
だからこの共和党がここに存在するんだろう、

俺が殺されずに済むのなら、

毎日(戦いに自らの意思で参加している)サンボ(黒人たち)が
撃ち殺されりゃいいんだ。

***************************************************

どの本から引用された文章でしょうか?
それが分かれば、資料も探しやすくなると思うのですが
でも、とにかくお役に立てるべく頑張ってみました!

私なりの日本語訳で意味が伝わるか不安ですが
全体的な内容として、いち徴収兵(北部に住む民主派区域の白人)が
当時奴隷解放を主張するリンカーンの制度によって
自由を得た黒人が戦いに参加している姿を詠ったものだと思います。

詩を書いた本人は、この戦争に疲れ、
文頭で人々が言っているとされる「黒人は戦争に参加するべきではない」と言う意見に対して
「やつらがそうしたいのであれば、
そうさせれば良い。生き延びれさえすれば、俺には関係ないことなんだ」
皮肉交じりの悲観的な内容である事に変わりはないと思います。

* 'tis a burnin'shame = This is a burning shame
(disgraceful shame for country)

* naygers = nigger (ニガー)

* bein' kilt = being killed

* lib'ral = Liberal

* Sambo = ニガーと同様、黒人の悪い呼び方


人は言う。
「黒人をこの戦争で戦わせることは、国の恥ずべきことであり
これは白人の問題であって、彼ら(黒人)は自由を手に入れる事と
引き換えに、戦争で殺されているのだ」と。

確かにそうだ、もっともだよ
だからこの共和党がここに存在するんだろう、

俺が...続きを読む

Q敵艦の艦橋に水平に突っ込む特攻機について

太平洋戦争のビデオでよく出てくる、敵艦の艦橋に水平に突っ込んで、みごとに命中した特攻機、あれはいつ、どこの戦闘で誰が操縦している戦闘機かわかっているのでしょうか?当時の生存者がおられた時代に、当然、検証されて誰の機かわかっているはずですよね。あまりに有名な場面で非常によく使われますからね。私の世代(昭和40年前半生まれ)くらいまでならテレビで1度は見たことのあるビデオですね。特に、特攻隊関係の番組や場面では必ずといってよいほど、あの水平に突っ込む場面が出てきます。そして同じく、空中でバラバラにされて回転しながら海に墜ちてゆく残酷な場面もよく出てきます。そう、アレですよ・・・。
映画「連合艦隊」では、レイテ沖海戦の場面だったと思いますが、永島敏行ふんする瑞鶴艦上爆撃機隊隊長の本郷英一大尉(架空の人物)が九九式艦爆機で突っ込むシーンで、例の水平特攻の実場面が出ました。実際にはミッドウェー海戦での友永大尉(死後、中佐)の機とか、レイテ沖海戦なら最初の神風特攻を敢行した関行男大尉(死後、中佐)の機かもしれないと思い質問します。

Aベストアンサー

 空中でバラバラにされて回転しながら墜落していくシーンはミッドウェイ海戦の実写フィルムだと思います。
アメリカの映画監督でジョン・フォード監督の太平洋戦争のドキュメタリー番組が何年も前に毎週の決まった時間の定時番組で放送されていた時があり、ミッドウェイ海戦の放送の時に観た記憶があります。
ジョン・フォード監督はアメリカ海軍の軍人として太平洋戦争に従軍し、実際の戦闘シーンを数多く映像に収めていました。番組もその膨大な記録映像をテレビ番組として編集したものです。ミッドウェイ海戦にも勿論参加しており、空中でバラバラにされて回転しながら海に落ちていくシーンは日本軍の攻撃隊がアメリカ艦隊を攻撃した時に出てきたと思います。
永島敏行ふんする本郷英一大尉が九九艦爆で突っ込むシーンの時に使われている実写フィルムはわかりません。ただ体当たりしたアメリカ空母がエセックス級のようですので、おそらく戦争末期の特攻隊の突入シーンだと思います。

Qアメリカの南北戦争って結局は黒人奴隷の取り合いだったの?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、なぜ戦ったのか不思議に感じていました。  普通考えるとあり得ないですよね。  あまりにもキレイゴトすぎるというか ・・・ もし自分が北部の白人兵士だったら、黒人奴隷を開放するために戦場に行って南部の白人と戦えますか?

結局は62万人もの犠牲を出して戦争は終結したのですが、朝鮮半島のように同胞どうしが国内で戦う悲惨な歴史をアメリカはもっているわけですよね。

そこでお聞きしたいのですが、有体にいってアメリカの南北戦争とは結局は 「黒人奴隷による安価な労働力」 を南北で取り合ったというのが正しい考え方でしょうか?

もしそうなら、リンカーン大統領はなぜ偉人というか歴史に残る大統領として今でも語り継がれるのでしょうか?

仮に 「たしかに労働力の取り合いだったとしても、結果的に奴隷制の廃止、またその後、黒人奴隷の人権も認められるキッカケになったじゃないか」 という意見があったとしても、実際にアメリカで黒人が白人同様の人権を認められるのに南北戦争後、約100年以上もの時間を要しているわけすよね?

つまり奴隷解放、人権回復というのは南北戦争がなくても20世紀に入ってからの時代の趨勢で実現されていたというか ・・・

それとなぜ英語では南北戦争ではなく、Civil War (市民戦争?) と表現されるのでしょうか?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、...続きを読む

Aベストアンサー

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですから自由貿易を望みます。
ところが新興工業地域の北部にとっては、まだ生産性が低い自国製品では進んだ英国製工業製品に太刀打ちでがきません。
イギリスからの輸入品との競争に弱い北部工業地域は、保護貿易を主張します。
南北戦争とはこのような国内産業のあり方、対外政策のあり方をめぐっての戦争だったわけです。
だから南北戦争では北部は南部に打撃を与えるための戦術として奴隷解放を主張したと思われます。(現に「勝つためなら奴隷のことなんてどうでもいい」というような発言も残っています。)

そして北軍の勝利となり、国内産業保護的な政策をとることができるようになり、これを背景としてアメリカ国内における工業が飛躍的に発展するわけです。
これがいわばアメリカ版産業革命です。

Civi lWarと呼ばれるのは多分対外戦争ではないからでしょう。

リンカーンが語り継がれるのは別に奴隷解放を主張したからではなく「人民の、人民による、人民のための政府」という演説が有名になったためでしょう。
日本でのリンカーン人気は、有色人種差別に苦しんだ明治の頃の日本人が、「奴隷解放宣言」を真に受けて広く紹介したためと思われます。

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですか...続きを読む

Q「敵がいる!」←火縄銃ですぐ撃つ?

戦中の火縄銃での戦い方を調べています。
大坂の陣など戦国時代末期の頃の戦を想定してみてください。
戦っている最中、ふと見ると自分の隊に敵兵が数人侵入してきたのを発見。
このままでは味方軍が危ない、だが走っていって捕まえるのは困難。
その場合、とっさに火縄銃で侵入者を撃つ…ということは当時あったのでしょうか?

これよりもう少し前の時代だと隊列を組み、順番に撃ったというのは聞いたことがありますが、
大坂の陣くらい時代が後になっても刀や槍のように敵を見つけたら即攻撃とはいかず、
列を組み、撃てといわれたら撃つ、という戦い方だったのでしょうか。

「困ってます」レベルを選択して申し訳ないです、
ケガをしてしまい、図書館などに行けなくなってしまったのですが
ここがわからないとどうにも作業が進まなくて困っております…

Aベストアンサー

自分の陣営が数人の敵兵侵入によって危なくなっているような戦況では、逃げるを選択するべきです。発砲により自分の位置を敵に暴露するのは、懸命とは言えません。

また、陣営には指揮官がいるはずですが、指揮官の許可なく弾をこめることは御法度です。それ以前に、火縄の火口に点火する命令がでていないといけません。

この火口の維持が当時は大変で、鉄砲は天候に左右される兵器でした。なので、物見が火口が点火され、弾丸が込められた鉄砲を手にしている、という条件が整っていないと、発砲そのものが成立しません。

とっさに発砲しても、命中するのは一人です。残りの敵兵がこっちに来ます。弾を込めるのには熟練者でも15秒かかります。当然敵兵は、発射された鉄砲の再装填に時間がかかることを知っています。

当時あったかといえば、ありました。断言しましょう。
火縄銃が日の本に世界一存在した時代です。そして戦はそこら中でやっているわけですから、ないほうがおかしいです。

列をくんで指揮官の号令で発砲というのもありますし、スナイパーもいました。ただし、刀や槍とちがって準備が必要なので、とっさに発砲は極めてレアなケースだと言えます。

当時の鉄砲が威力ないというのはまちがいです。これは断言します。発射手段の進化はありましたが、織田信長の使った鉄砲と、ナポレオン・ボナパルトの軍隊が使った鉄砲、さらにリンカーンの北軍が使った鉄砲の、発射された弾丸の威力・性能は基本的に同じです。

当時の弾丸は今と違って鉛そのままだったので、命中すると変形するので、殺傷力が非常に高いものです。今日でも変形する弾丸はありますが、アメリカですら一般には販売していません。
というか、ここで50メートル先の南蛮甲冑を本当に撃っているので見てください。
http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/archives/82

私は個人的にここ知っていましたが、知らないなら検索位してから回答するべきであると思います。

自分の陣営が数人の敵兵侵入によって危なくなっているような戦況では、逃げるを選択するべきです。発砲により自分の位置を敵に暴露するのは、懸命とは言えません。

また、陣営には指揮官がいるはずですが、指揮官の許可なく弾をこめることは御法度です。それ以前に、火縄の火口に点火する命令がでていないといけません。

この火口の維持が当時は大変で、鉄砲は天候に左右される兵器でした。なので、物見が火口が点火され、弾丸が込められた鉄砲を手にしている、という条件が整っていないと、発砲そのものが成立...続きを読む

Q南北戦争とヴェトナム戦争

南北戦争とヴェトナム戦争はアメリカ史の中でとりわけ重要な位置を占めると考えられるが、それはなぜなのでしょうか。それぞれの原因と経過を述べた上で、各戦争の前後でアメリカ社会がいかなる変化を経験したか解説してください。

Aベストアンサー

まず国内戦争(南北戦争)と外国との戦争(ベトナム戦争)という相手が違います。

南北戦争は、農業中心が中心で奴隷制度の上に成り立っていた南部と
工業化が進んでいるいて、ほとんど奴隷の労働力を必要としない北部で、
第1の戦争の争点は、奴隷制度を廃止するかどうかでした。普通に使われ
ていた奴隷に対する必要性がまるで正反対でした。
1863年奴隷解放宣言を出した。ゲチスバーグの戦いを経て、戦争は北部軍の
勝利に終わったが、1865年戦争終結を前にリンカーン大統領は暗殺された。
アメリカを2分する南北戦争は北部の勝利の終わり、工業国家として人道的
方針としても、奴隷制度は廃止されていくが、依然人種差別問題は残った
ままだった。

ベトナム戦争は、第2次大戦の延長線上に宗主国のフランスが傀儡政権の
ベトナム国を1949年に、アメリカの影響下1955年ベトナム共和国を樹立。
ジュネーブ協定では、南のベトナム共和国と北のベトナム民主共和国とは
56年7月に選挙によって統一される事になっていた。しかし、南ベトナムの
ゴ・ディン・ディエムが大統領に就任したが、彼の独裁政治とアメリカの
軍事干渉に対して民衆の抵抗が高まり1960年南ベトナム解放民族戦線を結成。
63年11月ゴ・ディン・ディエムはクーデターにより殺害され、グエン
バンチュー政権ができた。65年2月からは北爆が開始され、3月大戦闘部隊
投入と、国際的非難の高まりをよそに戦争は急速にエスカレートした。
1970年4月からカンボジア攻撃を開始し、ラオスに侵攻して増大する解放
勢力の粉砕を図った。しかし、71年にはこの計画の失敗が明らかになり、
ドル危機の深まりとともに、国内分裂はさらに強まった。72年のニクソン
訪中は、この危機の打開策として実現されたが、中国は東南アジアの安定を
求めて米軍の完全撤退を強調し、パリ平和会議(68-73年)での南ベトナム
臨時革命政府の主張を積極的に支持した。その結果73年1月、アメリカと
ベトナム民主共和国(北)・ベトナム共和国(南)・南ベトナム臨時革命
政府の4者間で和平協定が調印され、アメリカはベトナムからの完全撤退
を宣言した。75年3月に始まった解放勢力の大攻勢(ソ連援助の武器と
戦術を採用)で4月末にサイゴンは陥落し、南ベトナム政府はたちまち崩壊
して戦争は終わった。
 アメリカ社会は、戦争に深入りせず反戦のためのウッドストックのコン
サート等、ヒッピー族等若者の反戦ムードは高まった。
 本来介入すべきでなかった戦争が、約10年間の続き、厭戦争ムードが
アメリカ全土にひろがった。
http://blog.livedoor.jp/hirose15/  http://blog.goo.ne.jp/haruohiro9
http://hirose15.blog.fc2.com/

まず国内戦争(南北戦争)と外国との戦争(ベトナム戦争)という相手が違います。

南北戦争は、農業中心が中心で奴隷制度の上に成り立っていた南部と
工業化が進んでいるいて、ほとんど奴隷の労働力を必要としない北部で、
第1の戦争の争点は、奴隷制度を廃止するかどうかでした。普通に使われ
ていた奴隷に対する必要性がまるで正反対でした。
1863年奴隷解放宣言を出した。ゲチスバーグの戦いを経て、戦争は北部軍の
勝利に終わったが、1865年戦争終結を前にリンカーン大統領は暗殺された。
アメリカを2分する...続きを読む

Q南北の対立・・・・

アメリカの話なんですけど、(南北戦争あたり
北部がなぜ保護関税を望んだのかまた、なぜそれによって連邦主義の主張が強かったのか?
同様に、南部はなぜ自由貿易政策を望んで、州権主義的な主張が強かったのか・・・・
教えてください。。困ってます。。よろしくお願いします。。

Aベストアンサー

No1です。

「連邦主義」と「州権主義」が抜けてましたね。
北部にとっては保護関税政策を維持するためには各州まちまちな対応をされるよりはアメリカ全体としてこうするんだという連邦主義を主張するのは当然ですね。
逆に南部は安い輸入品が入り、また自州の農産物を自由に輸出したいわけですから、州として好きにやらせてくれよという州権主義を主張したわけです。

Q南北戦争における黒人の活躍

南北戦争での黒人部隊や黒人個人の活躍を調べているのですが、
なかなか見つかりません。
なにか情報またはリンクがございましたら、是非教えてください。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

宣教師の両親を持ちハワイで育った、サミュエル・アームストロングという人が、第9部隊という、全員が黒人で成り立った部隊の指揮将官でした。南北戦争の後は自由になった黒人の教育の為に活躍しました。英語ですが、下のサイトがブリタニカの彼に関するページです。

参考URL:http://www.britannica.com/seo/s/samuel-chapman-armstrong/

Q世界史上の南北の争い

歴史上、ある程度まとまりのある国や地域や文化圏が南北に分かれてる場合、勝って統一してるのはほとんどが北の勢力だと思います。
日本や中国の南北朝時代、アメリカの南北戦争、ベトナム戦争。
インドも分裂してる時期も多いですが、全体をほぼ統一したマウリヤ朝とかムガル帝国は北の勢力ですし、近代のドイツ統一も概ね北ドイツが主体です。
朝鮮戦争でもアメリカやソ連や中国が介入してきたので引き分けになってますが、本来は北が圧倒していました。
例外ももちろんあります。イタリアの統一は南の勢力のサルディニアだし、ブリテン島でいえば南のイングランドが北のスコットランドを併合しています。
しかし全体的には北が勝った例が多いように思います。
これは偶然そうなってるのでしょうか?それとも何か理由があるのでしょうか?

Aベストアンサー

たしかに北から南に進出したり勝ったりすることが多いですよね。
でも実際になぜそうなるのか、それをはっきり説明するのは難しいと思います。

私はその理由としては「コラプサー化」に納得しました。
コラプサー イスラム でググると面白いと思います。長沼真一郎氏とか。極論も多いですが。
他の回答者様も仰ってますが、南下して文明に入り込むと何故か弱くなる、というのは本当に多いです。
例としてはどこでもいいですが、中国とかはもうほんと多いです。南下して君臨して弱体化です。
明の朱元璋のように北上して君臨してしまう人は少ないです。だからすごいと言われるのでしょう。
コラプサー化の例外としてはイスラム勃興とかはほぼ完全に南から北ですね。
コラプサー化については、イスラム帝国というかイスラム教は、
南の土地の人たちが北の人たちと比べて国として(勢力・組織として)陥りやすいコラプサー化を
防ぐ役割を果たした、という評価もあります。(南でも強いよ状態)

あと、今回の話(北→南)の例外としては、
海が関わる場合、むしろ南→北ということも多いですよね。
ヨーロッパのアジア植民地化は大海を抜けて南→北を続けてあそこまでなったわけですし。
他にも、南米太平洋戦争とか、ノルマンコンクエストとか、
日本も古墳時代に朝鮮半島南部を勢力下に置いたりしてます。
黒海のクリミアもオスマンの属国になってたかな?
逆にモンゴルが日本やインドネシアを攻めて失敗してます。
日米戦争も基本は日本から南が戦場です。(アメリカ軍としては)

北→南が多いのは基本大陸の陸地だらけ、つまり海が無いか少ない状態での傾向なのかな、と思っています。
仮に進出はしなくとも、海を隔てて北に位置する国にとって、南の国って歴史的に脅威になってると思います。
アメリカにとってのキューバ危機とか、イギリスもヨーロッパを一つの大勢力にしないよう四苦八苦したり……
スペインやポルトガルはレコンキスタ以降もモロッコに苦労してます。
デンマークが主導したカルマル同盟とかも含まれるかな?

日本史におきましても、東北や北海道への進出は南→北と言えるのではないかと思っています。
神話から見ても神武天皇は宮崎出身ですし、南北朝でも足利尊氏が九州勢力を引き連れての湊川でした。
南北朝後半は南朝勢力は九州中心でしたし、戊辰戦争でも薩摩が活躍したり、
個人的には日本の南側はいつも脅威的な印象です。というか九州が、ですが。
逆に島国にとっての北……つまり日本なら東北、イギリスならスコットランドあたりというのは、
どちらかというと「独立や権力簒奪というよりは自立を示せればそれでいい」のイメージです。奥州藤原氏とか。
南北朝なら北畠顕家が北からの進軍を行って活躍しましたが、勝者となるには至りませんでした。
源平での木曽義仲とか戦国の上杉謙信とかも自立や活躍を示すところまでで終わるのは似てるかもしれません。
でも都の位置で言えば、北朝が勝ちましたよね。あれはちょっと説明できるものが見当たりません。
普通に大陸の感覚でいいのか、それとも他の説で考えるべきなのか、たまたまなのか。

他にも例外はいろいろあると思いますし、もちろん全てにあてはまるものはないと思いますが、
ベトナム戦争なら、北ベトナム人自体がもともと気を抜けない環境でくらしてきているのも大きいかもしれません。
気を抜くとすぐ中国に食われるというのもありますが、ジャングルか沼地か高山地帯だらけというのも大きいと思います。
そういう国は強いですよね……スイスとかネパール、アフガン、フィンランド……歴史は壮絶の一言ですが。

コラプサー化以外は例外ばかりで、ちょっと質問の趣旨とは外れたかな?
駄文ですがこれで。

たしかに北から南に進出したり勝ったりすることが多いですよね。
でも実際になぜそうなるのか、それをはっきり説明するのは難しいと思います。

私はその理由としては「コラプサー化」に納得しました。
コラプサー イスラム でググると面白いと思います。長沼真一郎氏とか。極論も多いですが。
他の回答者様も仰ってますが、南下して文明に入り込むと何故か弱くなる、というのは本当に多いです。
例としてはどこでもいいですが、中国とかはもうほんと多いです。南下して君臨して弱体化です。
明の朱元璋のように...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報