『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜこれほど人々を魅了するのか

ケンカ空手の大山倍達、相撲とプロレスと空手を極めた力道山、YouTubeの映像で凄い合気道の塩田剛三。
三人が現役ばりばりのとき戦ったら、誰が一番強いでしょうか?
ルールはK1の立ち技ルールで。
お互いが5回づつ戦ったとして最多勝は誰になるでしょうか?
私は力道山が体力にものをいわせて9勝ぐらいするのではと想像します。
もし寝技、関節技ありなら合気道が善戦するかもしれませんが、合気道の格闘家は
観たことがないのでわかりません。
よろしくお願いします。

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A 回答 (4件)

塩田さんは合気道の達人でしょうが、


ルールがK-1ならK-1ルールに近い選手が勝ちます。

どんなにバレーボールで超がつく位一流な選手であっても、
バスケの試合に出させて結果が出せるはずがありません。
それと同じことです。

結論としてマス大山が勝つでしょう。
力道山も強いですが、
K-1はグローブ空手なので空手チョップやドロップキック等は通用しません。
上段回し蹴りに特化したマス大山の勝ちです。
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K-1ルールでしたら、大山倍截の圧勝でしょうね。



力道山の空手チョップは、観客にアピールするための真似事です。
あまりにもお粗末過ぎて、とても空手と呼べるレベルではありません。

合気道のガチ勝負は見た事が無いので何とも云えませんが
本当に通用するのなら、プロ異種格闘技の世界に
一人くらいはデビューしてても良いのでは・・・・と思います。
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間違いなく大山倍達です。


力道山でさえ、全盛期でない大山倍達に
戦いを挑まれ拒否しています。
合気道と空手ではお話になりません★
大山倍達の全盛期というと果てしなく強い!
李青鵬にも勝利し、世界でも最強だったとおもいます。
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>もし寝技、関節技ありなら合気道が善戦するかもしれませんが、合気道の格闘家は


観たことがないのでわかりません。

私も総合格闘技で合気道を見た事ないのでちょっと解らないですねぇ(笑)

K-1ルールでその3人で誰が一番強いかとなったら大山さんだと思いますよ。
K-1では相手の手とか掴めないしいなしたりが合気道向きではなさそう。
空手とプロレスになると普通のK-1でも見ますが、プロレスは攻撃を受けてそれに耐える事もパフォーマンスの一つになってたりそれほどかわしたり防御に長けてないように思える。
どんなにでかくても急所にはいるとKOとれますからK-1ルールだと不利ですね。
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Q大山倍達って強いの?

じっさいどの程度強かったのでしょうか?
よくボクサーやレスラーに連勝したとか
聞きますがどの程度のレベルの相手だったのでしょうか?
なにか相対的な強さがわかるように教えて頂きたいのですが

空手を世間に広めたという事はわかるんですが
=強さと言う事では無いと思うんですが



今のレベルでは話しにならないとは思うのですが
当時のレベルでも大山倍達は本当に強かったのでしょうか?

Aベストアンサー

この質問を読んで連想したのは、昔文壇で盛んに「宮本武蔵は名人か否か」が論議された事です。
その回答として吉川英治がかの大傑作「宮本武蔵」を執筆したのはあまりにも有名ですね。
大山総帥の場合、吉川版武蔵に相当する伝記作品が「空手バカ一代」になりますが、逆に「空手バカ一代」こそが論争の的になっているのは皮肉としか言い様がありませんね。

で、回答しますと
大山総帥は確かに強かったと思います。
最盛期の身体能力を持ってして現代の戦法・戦術を身につければ充分に現代の総合格闘技でも通用するとは思います
ただし、当時でも現代でも「最強」ではないと思います。
日本あるいは世界で1番強い、とはいかないまでも充分に強いと呼べる実力
そんなところではないでしょうか

Q大山倍達と袂を分かった弟子たちについて

空手バカ一代(どこまで本当の話かは疑問ですが)や初期の極真空手の本をよく読んでいます。

大山館長については、それぞれいろんな見方を世間ではしていますが、少なくとも空手で世界大会を開催するという偉業をなしとげた人物であり、過小に評価されるような人ではないことは確かだと思います。その館長の元で多くの弟子達が極真空手の基礎を作り上げ、現在に至っています。

そこで疑問なのですが、初期の門弟達はなぜああも多くの人が大山館長と袂を分かつことになったのでしょうか?

ワールド大山空手の大山茂泰彦兄弟、中村忠、佐藤塾の佐藤勝昭、逆真会館の山崎照朝、士道館の添野義士、円心館の二宮城光などなどです。

初期の荒々しい道場で揉まれていたこれらの弟子達が一枚板で極真を支えていれば、極真空手もまた今とは少し違った形で存在していたのでは、と思います。ですが、上に挙げたような方達が極真を離れたいった理由について書いてある本はあまり見受けられません。どなたかご存知な方がいれば教えていただけませんでしょうか?

Aベストアンサー

 「独立が容易」だったからだと思います。やろうと思えばそれを阻む障害が特にないということは、組織から離れていく側にとっての大きな引き金となってしまうものです。
これが組織を去る上での最大の“原動力”となっていることは明らかです。そういう安っぽい打算的な理由のみで去っていくというわけではなく、各人が去ることを決断した後のそれを後押しする原動力となっているはずだ、という意味です。

 カラテというものが世代を重ねた有形の技術、カネや組織力で生み出される工業製品や商品などとは違い、個人の身に一代で備わった「無形の技術」ですから、支部道場主としての運営ノウハウと、ある程度の名声さえあれば現行の看板を挿げ替えてしまうことでそのまま自分の流派、会派の道場主へと独立できてしまいます。特に70年代後半から80年代は梶原一騎のマンガの後、三協映画と組んでの布教映画(史上最強のカラテ、他)の影響が大きかった時代で、極真の誰々の道場というだけで練習生を集めるのに苦労はしなかったはずです。企業組織でそれと似たような独立をやるのと比べたら困難さにおいて、天と地ほどの差があったものと思います。

 支部道場というのは基本的に地域密着型の強固なコミュニティーを形成しています。アクセス至便という理由で通っている練習生と、あるいは支部長そのものを信望して通って来るというものですから、多くの練習生たちは先生が組織を離れ独立すると、思い入れも先生の側にそのままシフトしてしまいます。また、去る者に対して極真会側が表立って大きく非難することもなければ、金銭的なペナルティーや罰則も普通はなく、場合によっては「組織が違ってもカラテを愛する心は同じ!」とか、下手すると本音はさておき組織的に応援までしてしまう場合もありました。
カラテがどれほど高度な技術で、その組織の稽古体系の中でしか会得しえなかった技術であっても、それを「特許」などのように侵害、流失することを阻止するものはなにもありません。

企業組織のような利益を追求する集団ではなく、宗教団体のように盲目的に信ずる者のみによって成り立つ集団でもなく、自ら月謝を持ち込んで集い、時に信じ、時に疑問を投げかけ、利益追求は目的になく、純粋な強さへの欲求に傾注したある意味非常に時代錯誤的な精神的つながりだけで成り立ってきた組織であることがかえって強固な結束の一方で場合によっては脆弱な一面もあるのだろう、と考えています。
以上は本稿のご質問の趣旨とは若干違う角度からの回答になってしまいますが、極真を離れた個々の理由については、各人にしか分からない理由があったものとする一方で大山倍達氏(極真側)の側にどのような問題点があったかということでもあり、確実に分かっている事も幾つかはありますが、これについては言及するべきではないと思います。高弟の多くが離れたという事実こそが全てだと思います。

 「独立が容易」だったからだと思います。やろうと思えばそれを阻む障害が特にないということは、組織から離れていく側にとっての大きな引き金となってしまうものです。
これが組織を去る上での最大の“原動力”となっていることは明らかです。そういう安っぽい打算的な理由のみで去っていくというわけではなく、各人が去ることを決断した後のそれを後押しする原動力となっているはずだ、という意味です。

 カラテというものが世代を重ねた有形の技術、カネや組織力で生み出される工業製品や商品などとは違い...続きを読む


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