ちくのう症(蓄膿症)は「菌」が原因!?

芸能人は個性が売りのはずなのに、人のものまねで飯を食うのが理解できません。自分の個性を確立して初めて一人前と思うのですが。

人まねがうまくても芸とは言えないと思ってます。素人の宴会芸ならわかりますが、それでお客さんからお金頂くのか!?と。

ものまねタレントの存在意義とは何でしょうか?「ものまねも芸のうち」という回答はご遠慮下さい。

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A 回答 (14件中1~10件)

これは「芸」の解釈の違いではないでしょうか?



私は誰かを傷つけたりせずに、他人を楽しませるものは「芸」と言えるかなと思います。
そういう点でいうと、モノマネも落語も漫才も歌も踊りもトークも芸といえると思ってます。

グラビア系の方もある意味で人を楽しませているのですから「芸」のある人達でしょう。

素人では簡単にできないような芸であれば、お金をもらう価値があるように思います。

SPLINTERさんは「芸能人たるもの・・・」という観点からお考えのようですよね。
確かに個性も重要な要素であると思います。

ただ、歌手を例に取って考えると、歌がある程度以上うまくて聞く人が満足できれば、それほど個性がなくても合格点をあげてもいいかなと思いますが、どうでしょうか?

こんな意見もあるということで・・・。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。>芸の解釈の違い   そうかもしれませんね。

お礼日時:2003/11/06 09:48

#2の方へのお礼にある「芸の解釈の違い」これに尽きると思います。


芸とは何かという定義がそもそも違っているので、「ものまねは芸ではない」とするSPLINTERさんと「ものまねも芸のうち」とする大半の人と、話は平行線のままなのでしょう。

力説するSPLINTERさんを「なんだかな~」(失礼!)と私は思ってしまいますし、SPLINTERさんもまわりから理解が得られず疲れるだけではないでしょうか。

ものまね、形態模写といったものは、大衆演芸として古くから楽しまれていますよね。
ということは、ものまねも芸のうちだと認められているということではないでしょうか。

たとえば、パントマイムはどうでしょう?
顔を白く塗り感情を殺し自分という個性を無に消し去り別の物になりきる。
SPLINTERさんのおっしゃる「その人の個性や人格を無視する」ことそのものが、パントマイムという芸の魅力なのではないでしょうか。
ものまねも同じと私は思うのですが。

ものまねタレントの存在意義は、それを楽しむ人がいるのだから意義はあると思いますよ。
楽しませてナンボの世界でしょ。
俳優は演技を、歌手は歌を、グラビアアイドルは体を(笑)、人に見せて聴かせて楽しませるのが仕事ですから。

この回答への補足

皆様たくさんの回答に感謝致します。また別の質問や回答でお目にかかる事もあると思います。ありがとうございました。

補足日時:2003/11/07 00:47
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。パントマイムが引き合いに出されるとは思いませんでした。私は「芸術」という観点で見てしまうので申し訳ありませんが比較はできません。

>まわりから理解が得られず疲れるだけではないでしょうか
ご心配ありがとうございます(笑)競争なき場所に発展なし、議論なき場所に答えなしです。皆さんの回答はありがたく読ませて頂き私なりの意見をお礼として書いているつもりです。

お礼日時:2003/11/07 00:46

ほとんどの人はそこまで考えて見てないッスよ。


悲壮感もないし、そりゃ、オイシイと思ってるでしょ。笑えりゃ好いんですよ、笑えりゃ。
松村の掛布とか野村監督、中尾彬、出川とか笑えないッスか?あとグッさんも面白い。ダメ?
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この回答へのお礼

私がひねくれてるだけですかね(笑)それにしてもnanaさんは潔いですね。私にも笑いを分けて頂きたい!ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/06 18:46

あなたの定義でいうと、タレント活動を一切しない俳優さん、


例えば豊川悦司さんなんかは「個性」の無い人となります。
役を演じてるわけですから、個性はその人ではなく、物語上の人物の個性になりますから。
「演技力がすごい」「こういうタイプの役を演じるといい味を出す」という個性があるのであれば
「ものまねがうまい」も個性の一つですよ。
テレビやライブ活動を一切しないミュージシャンにもいえますね。

それにものまね芸人は個性がないとは言いきれませんよね。
ものまね(がうまい)芸人もいっぱいいます。
原口あきまさ、コージー富田、山口智充(Don Doko Don)、コロッケ、栗田寛一…
各人に個性がないでしょうか?私は十分すぎるほどの個性を持ってると思いますが。
ものまねにも各人それぞれの「カラー」がありますよ。
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この回答へのお礼

俳優は架空の人物を自分なりに工夫してその役になりきるわけです。元々架空の人物だからその役者が演じれば架空でも現実味を持つ=個性だと思いますよ。「個性」が無い俳優なら素人がセリフ覚えるだけでいいんじゃないですか?ちなみに豊川悦司さんは独特のセリフ回しなど十分個性を感じさせます。

あなたが例にあげたものまねタレントさんがゲストで出演される時、他の出演者に「ものまねやって~」と言われてやりますね、へたすれば番組中ずっとものまねキャラです。

これってその人の個性や人格なんて無視してませんか?ディズニーランドのミッキーやミニーの着ぐるみを連想させます。させる方も失礼ですが本人は「オイシイ」と思っているなら幸せですね、何も言う事はありません。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/06 17:10

個々のレベルで見れば


ものまねをベースにオリジナリティを確立しつつある人
少なくともオリジナルを確立しようとする意志がある人もいますし
そうでない人もいるように思います。

ただ、ご質問は個々のレベル=各論ではなく
>ものまねタレントの存在意義とは何でしょうか?
ですので、総論として答えないといけないですね。

SPLINTERさんの仰ることは御尤もだと思います。
ただ、過去の歴史を見ても
御尤もなモノから外れたところから
新しい文化や芸能が生まれることは多い。
(いや、もちろん確率的には低いのでしょうが・・・)
>芸能人は個性が売りのはず
なんて前提が崩れるとき新しい演芸が生まれるのではないか?
個性やオリジナリティを否定したところに
ポップアートやリミックス・カルチャーが生まれたように。
(ポップアートやリミックス・カルチャーを認めない、というのであれば
もう私は何も言いませんよ)

そんな僅かな可能性にかけて
私はものまねにも意義を認めてあげたいと思います。

なんてな。
私もゴールデンに「ものまね番組」とかやられると
実はムカツキます・・・
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この回答へのお礼

私の周りにも否定派はほとんど居ないので力説するのも疲れます。本物が居る限りものまねタレントが本物を越える事はできません。本当の自分を表現できるまでは。回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/06 17:32

No.2のものです。



ご質問文に「ものまねも芸のうちという回答はご遠慮下さい」とありましたね。
見落としておりました。
失礼しました。

で、改めてのコメントなのですが、SPLINTERさんが前提としてあげた「芸能人は個性が売りのはず」ですが、そうでしょうか?

どこにでもいるような・・・というのを売りにした方もいますよね。
「みんなの妹」とか「隣のお姉さん」という感じのキャッチフレーズで売り出すタレントさんもいますよね。
最近では消費者金融のCMでチワワを抱っこしている俳優さん、人気が出ているようですが個性でというよりは、本当に身近にいそうな親しみやすい感じではないでしょうか?

もちろん、個性が重要な要素であることは否定しませんが、それだけではないと思うのですが、いかがでしょうか?

どこにでもいるような・・・も個性と言われるなら、モノマネも個性となってしまいますよね。

また「自分の個性を確立して初めて一人前」とのことですが、これについても人を楽しませる手段を持ち合わせているならば、個性ではなくても一人前と認めてもいいと思うのですが、どうでしょうか?

度々の登場、失礼いたしました。
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この回答へのお礼

>どこにでもいるような・・・  居そうでやっぱり実際には居ないですよね(笑)やはりキラリと光る何かがあるからでしょう。私には解りませんがスカウトの目は確かですね。

自分の持ちキャラであろうたくさんのものまねキャラクターの中に自分本来の個性が埋もれていく事に悲壮感はないのかな、と思うのですが。ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/06 12:31

なるほど・・・という気もしますが、splinterさんの解釈だと、写真家という職業が成り立つのもおかしい、ということになってしまいますね(確かに、写真家を芸術家として認めない!という方もいらっしゃいますが)。


 ものまね=模倣、ではないと思います。少なくとも、単なる声帯模写ではなく「ものまね芸人」として成立する人々のものまねは、コピーではなく、芸人の独自の切り取り方、解釈というのがあるからです。本人の特徴がどこにあるかを見定め、それをオリジナリティあふれる方法で表現し、時には風刺する。このプロセスに個性があります。
 かつて「ものまね四天王」と呼ばれた人々は、このあたりに従来の声帯模写芸にはないユニークさがあったのではないかと思います(#8さんのおっしゃる例に沿えば、山田康雄のものまねをする栗田貫一はおもしろくても、単なる声帯模写であるルパンの吹き替えは面白くない・・・ところに、表れています)。
 素人の宴会芸は、えてして独自の切り取り方がなかったり(ものまね芸人のさらにまねをしているだけだったり)、表現のしかたがありきたりだったり、というものです。
 それにしても、「ものまねも芸のうち、という回答は遠慮せよ」というのは、「ものまねは芸ではない、という<全く証明もされていなければ一般的な理解でもない>仮定を共有せよ」という、普通は人にものを尋ねるときには考えられない条件なような気が。「回答」がほしいんじゃなくて、「同意」がほしいのではありませんか、splinterさん?
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この回答へのお礼

「ものまねも芸のうち、という回答はご遠慮願います」・・・こういう回答が多くなるのは予想できたからご遠慮させて頂きました。私は疑問に思っているわけで予想がつく回答を頂いても疑問が晴れないままです。

私の疑問に対して同意などは求めていませんよ。私とは違う価値観の意見大歓迎です。あなた様の回答にも感謝致します。ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/06 09:37

私はものまねタレントさんは「素人の宴会芸の延長」だと思ってます


ただ、金を取れるか?取れないか?の違いです
「見てる者を飽きさせず"魅せる"ことができるか?」
華があるってヤツですね^^
魅せる為に似せ、人数をこなし、デフォルメし、工夫します
歌が下手でも魅せることのできる歌手が売れてるってこともあります

>それでお客さんからお金頂くのか!?
  そんなプロがいることも認めますが
  これはものまねタレントだけの話じゃないですね^^
  プロ顔負けの物真似上手な素人でもプロの中に入ると霞みます
  霞まなかった人が物真似タレントになるのでしょう
  磨けば光るダイヤの原石ってやつかな?

同じ人の似顔絵を描いたとしてもAさんとBさんでは
できあがりが全然違います
Aさんはどこまでも本物そっくりに忠実に描き
Bさんはデフォルメして人間がモデルなのに猫の絵になってるとか・・
その手法の違いが個性だったり技だったり・・・

そっくりさんタレントさんは本物さんの活躍に頼るところが大きいですが
あれはあれで需要があるようなので・・・

ルパン(故・山田康雄さん)の物真似をやる栗田貫一さんは面白いのに
アニメの声優としてルパンの声をやる栗田貫一さんは面白くありません
タレントとして物真似する時の主役は栗田貫一さんですが
アニメの主役はルパンであって声優の個性なんて関係ありませんから面白くないし、面白かったらはダメなんです
声の似た人や物真似タレントを出すのは
今までの完成されたイメージを壊さないためです
って説明下手なもんで通じてます?^^;

個性を問うなら柳の下の2匹目のどじょうを狙ってるような
「二番煎じタレント」の方が・・・^^;

存在意義なんて考える必要ナシ^^
あえて言うなら「そんな種類のタレントがおってもエエんちゃう?」かな?
私にとっちゃ「モー娘。」は存在意義なんてないし(^_^;)

底辺が広くて流動的なタレント稼業です
金を払った客の目が厳しいからこそ食えてるタレントの方が少ないってことで・・・
ご参考までにm(__)m

さ・・寝よう・・・(-_ゞゴシゴシ
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この回答へのお礼

需要があるから人気あって飯が食えるのに、それを見た私は価値を見い出せない。生存競争は凄いと思います。見る人が見れば凄い芸人なんでしょうけど。

>存在意義なんて考える必要ナシ  まぁそうですけどね。代名詞が「ものまねで有名な人」で納得できるなら本人は幸せなんでしょうね。ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/06 12:10

単純に、ものまねで似ているのを見ると笑えるので、私はエンタとして成立していると思います。

それだけじゃダメなんでしょうか

許せる人と許せない人といるのでしょうが、飯をくっていけるぐらいには、許せる人がいるってことだと思います。といっても、ものまね界の中でも、満足に飯をくっていけてる人はごく少数だと思いますよ。
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この回答へのお礼

笑うもよし、おひねりあげるのも自由です。否定は致しませんが理解できないだけです。役者や歌手が話のネタにちょこっとものまねするのは別に何とも思いません。ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/06 11:50

私もあなたとある意味同じ意見です。



ただ、ものまねされる方が故人で、どうしてもその人のイメージが強すぎる場合にはある意味必要性はあるかな?とも思うことがあります。
それは、「声優」さんというお仕事の方です。ふざけ気味の「ものまね芸人」さんとは別と考えていただけるとありがたいです。

たとえば、私は「刑事コロンボ」の日本語翻訳版が好きなのですが、「ピーター・フォーク」さんの声を当てておられた故・小池朝雄さんのイメージが強いのでそれに良く似ている石田太郎さん<お二方のお名前が間違っていたらすみません!>が声を当ててくださった時は、それまでのイメージのまま作品を見る事が出来て良かったと思っています。

ただ、今のものまね芸人さんの中には「素人芸」ぐらいのものなのに必要以上に「ものまねも芸のうち」みたいな風潮があるようにも思えます。

これはあくまでも「個人的意見」ですのでその旨お知りおき下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。吹き替えはイメージが固定してますからね。昔の映画やドラマは当時の吹き替えのまま放送したりDVD化しているのもイメージを壊さないためでしょう。

二代目を継ぐ方は自分の意思ではなく、敢えて似せる様に注文されていると思います。この時点で個性の表現は皆無ですね。

お礼日時:2003/11/06 11:27

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