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私はぜんぜん詳しくないことだから、質問の前提が間違っていたら、申し訳ありません。

三島由紀夫は(そして司馬遼太郎も?)、二・二六事件で蜂起した皇道派に対して、すごく同情的な見方をしていました。

うろ覚えの知識ですけど、三島はたしか、『わが友ヒットラー』っていう本の後書きで、「ニ・二六事件が弾圧されて、統制派が主導権を握ってしまった。そのせいで日本が全体主義におちいって、無謀な戦争へと突き進んでいった」ということを述べていたはずです。

彼はどういう理屈で、そんなふうに歴史を理解していたのでしょうか?
皇道派だって、同じく日本が大陸進出するように主張していたし、議会制民主主義を停止しようとしていたんだから、結局は悲惨な戦争になってしまったと思うんですが……。

A 回答 (1件)

 


 二・二六の三人 ~ 再現・検証・拒絶 ~
 
 三島 由紀夫は、二・二六事件を描き、感情移入し、自ら再現した。
 松本 清張は、二・二六事件の経過を、史実資料によって再発掘した。
 司馬 遼太郎は、二・二六事件を「ヘドが出るほどきらい」と評した。
 
 三島 由紀夫・原作《憂国 196101‥ 小説中央公論》初出。
 三島 由紀夫・短編集《スタア 1961‥‥ 新潮社》所収(初版)
 三島 由紀夫・主演・監督《憂国 19660412 東宝 ATG》
 
 松本 清張・連載《昭和史発掘 19640706 週刊文春》初出。
 その完結(19710412)を待たず、三島 由紀夫は自決した。
 司馬 遼太郎・連載《街道をゆく 1971‥‥-199602‥ 週刊朝日》絶筆。
 
── 《昭和史発掘 07-13 19670918-19710412 週刊文春》初出
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020804 清張紙碑 ~ ぬばたま文学 ~
 松本 清張  作家 19091221 福岡 東京  19920804 82 /
 
── 晩年は「天皇のことを思い浮べると、涙が出てくる」と語った。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6595853.html (No.1)
 左右の論客 ~ 東奔西騒・君子難面・右応左往・右顧左弁 ~
 
 三島 由紀夫 作家 19250114 東京 市ヶ谷 19701125 45 /自決/籍=平岡 公威
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19701125 三島事件の人々
 
 司馬 遼太郎 作家 19230807 大阪    19960212 72 /元産経新聞記者
http://blog.livedoor.jp/up_down_go_go/archives/1 …
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960212 菜の花忌 ~ 完結した人生 ~
 
── 司馬さんも清張さんも彼ら青年将校らには「これっぽっちも愛情
を抱いていません」(半藤一利)私も、彼らを美化するつもりは、まっ
たくありません。しかし、司馬さんのように「全否定」して、目をつぶ
ってしまうというのはどうかな、と思います
http://blog.livedoor.jp/up_down_go_go/archives/1 …
 
── さっそく原稿用紙を買ってきて書きはじめたんですが、それが今
思うと実にこっけいでして、(、)や(。)が一字分だということも知
らなければ、改行のときは一字さげて文章を書き始めるということも知
らないんですね。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19800725 手掘り日本史 ~ わが小説のはじまり ~
 
【過去回答】
 
── 他の作品の、どの筆者も、これを読まずに書いた人はいません。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2726789.html (No.2)
 
── 生涯をかけて読むべき、畢生の戦争序曲です。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6679526.html (No.3)
 わたしの本棚から ~ 一読・通読・精読 ~
 
── こういう人たちが、よってたかってデタラメを流している。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6883973.html (No.4)
 解釈の暴走 ~ 昭和十一年二月二十六日(19360226 ~ 19370819)
 
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