アニメを見ていたのですが、聖飢魔II要素が入っているんです。
「世にも忍ぶ仮のお姿」や「悪魔が来りてスミを吹く」という台詞がw
作者って聖飢魔II信者なのかな~と気になったので知っている方教えてください!

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A 回答 (1件)

聖飢魔IIのセリフは存じませんが、



「悪魔が来りて笛を吹く」

って映画を思い出しました。
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この回答へのお礼

返事大変遅くなり申し訳ないです。
ご回答有難うございました♪

お礼日時:2012/07/26 22:47

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月 雨 闇(陰) 黄昏 透明
(知っていれば「深海」も)

を、西洋の外国語に訳し、発音も教えていただけないでしょうか?

太陽(光)の反対語です。

Aベストアンサー

スペイン語
luna ルーナ  月
lluvia ジュービア  雨
sombra ソンブラ  陰
oscuridad オスクリダ 闇
atardecer アタルデセール 黄昏(夕刻)
transparencia トランスパレンシィア 透明
grandes profundidades oceanicas グランデス・プロフンディダーデス・オセアーニカス  深海

Q「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の作者は?

俳句の作者で質問です。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の作者はは誰なんですか?
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Aベストアンサー

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Q作者論と作品論について

小説のあとがきを読んでいると、

『作者の生涯を知ることは作品理解に必要である』
『物語を作者の実生活と重ね合わせることでより深い理解ができる』

というような意味合いの文句をしばしば見かけますが、
どうもしっくり来ません。

小説を読解して評価するのに必要な情報は、作者本人が小説本文内に示しておくべきものではないのですか。
上に挙げた作者の実生活の情報が物語に要るなら、それは小説の本文中に書かれるべき事柄ではないのですか。

読者がわざわざ作者のプライバシーを詮索して物語本編と重ね合わせて理解しようとする、というのはどうしたものでしょう。


私はできるだけ小説の本文のみで小説を評価したいと思うのですが、
一方で、小説本編を読むだけでは理解できない事柄もあると思うのです。
やむを得ず小説本文外から情報を引っ張ってきて読まないと分からないことはあると思います。

たとえば小説が書かれた時代の情報のうち、
その時代の読み手なら当然知っているべき情報、というのはあるでしょう。
その説明は小説本文内では省略されることが多いでしょうから、
作者の後の時代の読者が読む際は、それを補って読まねばなりません。
これに限らず、作者の想定していなかった読者が作品を読むときは、似たようなことがあると思うのです。

しかし、作者のプライバシーとなると話は違うと思うのです。
プライバシーは『当然知っているべき情報』には該当しないと思うのです。
言わば情報に一般性がないのです。
プライバシーを知ろうとすることは、作品を読み解くことを差し置いて作者論に行ってしまう気がするのですが。


皆様はどう思われますか?
皆様はどのようにして作品論と作者論の線引きをなさっていますか?

もしかしたら読書人の皆様の中には『作品を読み解くこと』よりも『作者を知ること』に重きを置いて、
作品を『作者の人間像を形作るための資料』と見做している方がいらっしゃるかもしれません。
そういう方のご意見も頂戴したいです。

私個人は、できるだけ『小説本文内に書かれている情報』のみで小説を読みたいと思っています。
作者個人の性格だとか事情だとかを考慮しないと面白くない作品というのは……正直、あまり評価したくないですね。
作者論と作品論を完全に分けることは無理にせよ、
基本的には違うものと見做したいです。

小説のあとがきを読んでいると、

『作者の生涯を知ることは作品理解に必要である』
『物語を作者の実生活と重ね合わせることでより深い理解ができる』

というような意味合いの文句をしばしば見かけますが、
どうもしっくり来ません。

小説を読解して評価するのに必要な情報は、作者本人が小説本文内に示しておくべきものではないのですか。
上に挙げた作者の実生活の情報が物語に要るなら、それは小説の本文中に書かれるべき事柄ではないのですか。

読者がわざわざ作者のプライバシーを詮索して物...続きを読む

Aベストアンサー

>『作者の生涯を知ることは作品理解に必要である』
>『物語を作者の実生活と重ね合わせることでより深い理解ができる』

素人が言うならともかく、これがプロの批評家の言葉だとしたら、ちょっと信じがたい思いです。
なぜって、たとえば、フロベールなんかは「芸術家は自然において神がそうである以上に作品の中に姿を現してはいけないと思ってます。人間(作者)なんて無だ、作品が全てなんです。」(ジョルジュ・サンド宛書簡)と述べてますし、ヴァレリーもどこかで、作者の伝記は作品が生み出(捏造)したものだという趣旨のことを言っていたはずですから。

読者が「作者の生涯」なり、「作者の実生活」に興味や関心を抱くためには、まず作品に感動することが大前提だとしたら、どんなに実証的に書かれた作者の伝記であろうと、彼の書いた傑作のフィルターをくぐり抜けていることだけは否定しようがないですよね。
としたら、作者の内奥に潜んでいる本当の秘密にしても、作品以外のどこかに転がっているなんてことは到底ありえないはずです。

>私はできるだけ小説の本文のみで小説を評価したいと思うのですが、

実は「小説の本文」といっても、言語という、いや文字というテクストから成り立っている以上、それ自体で意味的に自律しているわけではなく、あくまでも読者の解読という作業を介して、はじめて何かが書いてあったのごとき印象を読者が抱くだけのことですよね。
しかも、読者がテクストを解読するためには、必ず解読のために準拠したはずのコードなり、規範なりがあったはずで、しかもそのコードなり、規範なりにしてもこれが生み出された背景があったはずですよね。

>皆様はどのようにして作品論と作者論の線引きをなさっていますか?

もしも「作者論」の目的が作者の内奥に潜んでいる秘密や謎の正体を解明することにあるとするなら、結局のところ彼の傑作中にしか、つまり彼の制作した文字テクストの内部にしか存在しないということになってしまいます。
また、彼の書いた文字テクストである以上は、いわゆる小説ではなくても、すべて彼の制作物であり、作品であることは否定しようがないですよね。
だとしたら、そもそも「作品論と作者論の線引き」をすること自体が無意味になってくるのではないでしょうか。

>作者個人の性格だとか事情だとかを考慮しないと面白くない作品というのは……正直、あまり評価したくないですね。

こういう「作品」がいわゆる《私小説》でして、これこそ小説の本道だと信じて疑わなかった久米正雄は《私小説》を「作家が自分を、最も直截にさらけ出した小説」(『「私」小説と「心境」小説』)だと説いております。

>『作者の生涯を知ることは作品理解に必要である』
>『物語を作者の実生活と重ね合わせることでより深い理解ができる』

素人が言うならともかく、これがプロの批評家の言葉だとしたら、ちょっと信じがたい思いです。
なぜって、たとえば、フロベールなんかは「芸術家は自然において神がそうである以上に作品の中に姿を現してはいけないと思ってます。人間(作者)なんて無だ、作品が全てなんです。」(ジョルジュ・サンド宛書簡)と述べてますし、ヴァレリーもどこかで、作者の伝記は作品が生み出(捏造)...続きを読む

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