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シェイクスピアの『ハムレット』(福田恆存訳)で、次の一文が分らないのですが、どなたか解説してもらえませんでしょうか。

第四幕 第七場
妃 (前略)口さがない羊飼いたちがいやらしい名で呼んでいる紫蘭を、無垢な娘たちのあいだでは死人の指と呼びならわしているあの紫蘭をそえて。(後略)

紫蘭には何か特別な意味があるのでしょうか。

A 回答 (5件)

先の回答では失礼しました。


どうもいけませんね。

http://member.nifty.ne.jp/hakuhyodo/kuzu/ohamlet …

でした。すいません。

さて、補足にありましたliberal、辞書を引いてみました。
ランダムハウス第二版には【廃】として「放縦な、放蕩な」という意味があげられています。
おそらく逍遙の「みだらなる」はこれでしょう。かなりストレートな訳。
さて「口さがない」は、口うるさくやたらにいいふらす、あたりの意味だと国語辞典に載ってます。
もう一度、ランダムハウスにご登場願うと、liberalは大きく分けて三つの意味がある。自由な、ということと、寛大な、ということと、量がたっぷりある、ということなんです。
だから、間違いではない。ただ、ストレートに出てくる言葉ではありません。
ただ、つぎのgross(er name)もやはり下品な、とか、みだらな、とかいった意味なので、言葉の重複を避けようとしたのかもしれません。
原意からいけば、いやらしい羊飼いがいやらしい名前で呼んでるわけです。
で、逍遙は「みだら」と「汚らわしい」と処理した。
福田は「くちさがない」と「いやらしい」と処理した。
小田島は「くちさがない」と「卑しい」と処理した。
う~ん。こうやってみると、みんな考えてますねー。

シェイクスピア研究家というのは、世にゴマンといるわけで、特にハムレットなどの四大悲劇ともなると、一言一句事細かに研究されつくしている、といっても過言ではないでしょう。
私は一応英文科ですが(専門領域は現代アメリカです)、かつてシェイクスピアを習った時、ハムレットも扱ったけれど、ここが特に解釈上の争点というようなことはないと思います。
ただ、シェイクスピア研究家の中には、登場する植物を専門に扱っている人はけっこういるので、その植物の特定をめぐっては、実際諸説あるようです。
「いやらしい名」の意味は、たまたま逍遙訳を探していたら、注解で見つけただけなのですが(余談になりますが、下の回答を投稿した時は、意味を深く考えることもなかったんですが、昨日、はっと「好色後家」の意味がわかって、一人赤面してました(#^^#;)。いや、シェイクスピアってそのテの戯れ言が好きなのは知ってたんですけどね)その「好色後家」が一体何の植物を指しているのかはわかりません。
ただ、植物というのは住む地域によって異なるものなので、小説や戯曲の中では、別のものに置き換えるのは、十分許されることではないかなと思っています(須田敦子のエッセイの中に、石川淳の『紫苑物語』のイタリア語訳をする際に、タイトルの紫苑という花をどう訳すか苦労されたエピソードがあったのを思い出します)。

翻訳で読むか、オリジナルで読むか、というのはなかなか一概にはいえないところだけれど、シェイクスピアに関しては、翻訳を読む楽しみ、訳者をくらべる楽しみも、十分あるのではないかな、と思います。

参考URL:http://member.nifty.ne.jp/hakuhyodo/kuzu/ohamlet …
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この回答へのお礼

liberalについての考察、ありがとうございました。
また、小田島版ハムレットのサイト、読みました。この中で興味深かったのは「To be, or not to be」のところです。小田島訳の「このままでいいのか、いけないのか。それが問題だ。」だと意味は明瞭になるのですが、ghostbusterさんの仰った「名文句度合い」が弱いように思います(サイトの文章を書いた方は、すばらしい翻訳と言っていますが)。この辺が翻訳の難しいところなのですね。原文の意味を汲むことと、日本語の文学、戯曲としての言葉の響き……、質問に掲げた一文も、これと同じことなのかなと思っているところです。

残念ながら私は全編を原文で読む英語力はないのですが、他の日本語訳は読んでみたいと思いました。さしあたっては坪内逍遥。それと、サイト上を検索したら、木下順二の訳が見つかりました。ご存知かもしれませんが、ご紹介いたします。
http://www.tk2.nmt.ne.jp/~takayo/art/wa-ophelia. …

きんぽうげにいらくさ、雛菊、それから紫蘭、
あれはいたずらな羊飼いたちがもっとはしたない名を付けているけれど
貞淑な娘たちは死人の指と呼んでいる。

「いたずらな」~「はしたない」というのもなかなか好きです。

では、いろいろ教えていただき、ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/15 21:09

ふ~、こんにちは。


仕事行き詰まったんで遊びに来ました(ぅぅ、こんなことしてる暇ないんですけど^^;)。
この間からこの質問、気になっていたので。

まずは大御所、坪内逍遙の訳を見てみましょう。
同箇所、こんなふうになっています。

「褻(みだら)なる農夫(しずのお)は汚らわしい名で呼べど、清浄な処女(むすめ)らは死人の指と呼んでおる……芝蘭(しらん)の花で製(こしら)えた花鬘をば手に持って……」(坪内逍遙 集英社日本文学全集第一巻)

で、上記書には注解があって、
「汚らわしい名」の解説がしてあります。掌状の根を持つ蘭の一種で、「好色後家」とも呼ばれた、と。

まず、羊飼いたちがいやらしい名で呼んでいる、という部分は、このことを指しているわけですね。

つぎに、白水社版で、小田島雄志訳によると、同部分

「口さがない羊飼いは卑しい名で呼び、
清純な乙女たちは死人の指と名づけている
紫蘭の花などを編み合わせた花冠を手にして」

こうしたことから、日本ではこれを「紫蘭」と訳すのが定訳であると言えると思います。

ただ、原文の"long purples"をGoogleのイメージ検索で見ると、蘭というイメージにはほど遠い植物が出てきます。

http://www.wellesley.edu/Activities/homepage/web …

まさに「キンポウゲ、イラクサ、ヒナギク、……」と続く野草にふさわしい植物ですね。

ついでに日本語の「紫蘭」をイメージ検索で見てみると、さまざまな種類がありますが、"long purples"とは異なる。

ならば坪内逍遙大先生の誤訳であるか。
ここはむずかしいところです。

まず、戯曲というのは、あくまでも劇を上演することを前提としたものです。

逍遙訳もそうです。
『ハムレット』は1907年6月7月の“早稲田文学”初出、そして同年11月には日本初の『ハムレット』が上演されています(この後、逍遙は『ハムレット』にも手を加え続け、当初河竹黙阿弥の五七調であったものが、次第に口語的になり、上記のもののような形になっていったわけです)。

戯曲は、まず耳で聞くものです。耳から入ってくる音というものが非常に重要となってくる。

逍遙訳を口に出して読んで見ると、死人の指……芝蘭、と音の繋がりが非常に美しく、イメージの喚起力にすぐれていることがわかります。直接に「芝蘭」という植物がわからなくても(明治時代の多くの日本人に蘭のイメージがどれほどあったでしょうか)、死人の指から芝蘭という植物への連想は、非常にしやすい、かつ、美しいイメージを喚起するものではないかと思うのです。

また、「雛菊、いらくさ、きんぽうげ……」と続くわけですから、はっきりとした固有名詞が必要です。
そこにたとえば、「オミナエシ」がきたらどうか。
「レンゲ」だったら?
「たんぽぽ」だったら?
「紫蘭」という言葉がもつイメージと比較してみてください。おそらく選ばれた言葉の的確さを感じとっていただけるのではないか、と思うのですが。

坪内逍遙は1928年、詩編まで含めて、シェイクスピア全集全40巻を完成させます。全作品翻訳というのは、この時期、世界にも例を見ないものだったんですが、それをたった一人で成し遂げた。まさに偉業といえます。

以降、シェイクスピア戯曲の翻訳は、逍遙訳が底本となっていきます。それに、訳者の解釈を加えつつ、発展させた形態になっていくわけです。

まさにそのようなものとしてあったのが、福田恒存版『ハムレット』なんです。
福田恒存自身も劇団を持ち、福田訳『ハムレット』の演出も手がけました。

また1980年代に入って出された小田島訳は、新しい『ハムレット』像を提供するものとされています。

なお、小田島版ハムレットについては、おもしろいサイトが見つかりましたので、参考にあげておきます。

http://www.wellesley.edu/Activities/homepage/web …

まぁあれやこれや書きましたが、こんなふうに、『ハムレット』の翻訳というのは、日本文学の中でもひとつのトピックスとなりうるほどのでかい問題なんです。ここを経路に、日本における英文学の翻訳を見ることもできるし、演劇の歴史をたどることもできる。

個人的には、福田訳が一番好きなんですけどね。小田島訳は、全体としてのキャラクターのイメージ喚起力は、きわめて優れたものだと思うんですが、たとえば一文をピックアップしたときの“名文句”度合いが、ちょっと少ないような気がする……なんて、ああ、話はとめどもなく逸れていく。

そうこうしている間に昼休みが終わってしまいました。
粗雑に書き散らしてしまいましたが、質問者さんの疑問に答えられたでしょうか。
ちょっと心配しながら、仕事に戻ります。ふ~。

この回答への補足

(補足ではなく、こちらが本当のお礼です)

「質問者さんの疑問に答えられたでしょうか」とか「自信:なし」だとか、謙遜しすぎですよ~。非常に判りやすく、満足のいく説明でした。

「好色後家」は、正に知りたかったことそのものです。
坪内逍遥の訳を底本として発展してきたこと、大変参考になりました。
「紫蘭」という言葉を選んだことの的確さの話、納得です。
「一文をピックアップしたときの“名文句”度合い」という考え方、気に入りました。
「『ハムレット』の翻訳というのは日本文学の中でも……でかい問題」というのには、知らずに触れてしまったことへの驚きと喜びを感じております。

さて突然話は変わりますが、問題の一文の中で私が気に入っているのは、「口さがない」という部分です。英語は詳しくないのですが、「liberal shepherds」から「口さがない羊飼いたち」というのは、スンナリ出てくるものなのでしょうか。さすが福田恆存先生と思いました。(なんて、偉そうに…見当違いの意見かな?)

ああ、話せば話すほど、こちらの無知・無学をさらけ出しそうなのでこの辺で止めておきます。

お忙しい中、時間を割いていただき感謝しております。ありがとうございました。

補足日時:2003/11/13 21:52
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
詳しいコメントは、また後でさせていただきますが、「小田島版ハムレットのおもしろいサイト」のURLは、一つ目のものと同じ花の写真が出てきてしまいます。急がないで結構ですので、よろしければ、正しいURLを教えてください。
何だかとっても、忙しそうなので気長に待ってます。
あまり、無理をなさらないでください。

お礼日時:2003/11/12 21:43

私自身勉強させていただきました。



現代演劇の一人の天才であると言われたハイナー・ミュラーはドイツ人ですが、彼のあの『ハムレット・マシーン』の背景には、部分的に日本人の理解と違う『ハムレット』がいるのだと思うと少し驚きましたし、やはり勉強は面白いと改めて感じました。

とくにオフェーリアの水死の描写は、多くの芸術のモチーフとなっているので、芸術的遺産に対する興味と理解が深まった気もいたします。
それでは

そして詩人は語るのだ、
星の輝く夜になると摘んだ花を探し求めにおまえが来ると、
長いヴェールに横たわる蒼白いオフェーリアが
大きな百合の花のように流れを漂うのを見たと
(ランボー)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ハイナー・ミュラーもハムレット・マシーンも全然知りません。質問しておきながら、話についていけず、申し訳ありません。
それはともかく、私が質問したあたりは、ハムレットの中でも有名な場面なのですか。(知らずに質問してました)それならば問題の一文については既に、解釈上の論争等があるかもしれませんね。いずれ、そういったものを探してみたいと思います。

話は#2に戻ります。「シェークスピアは見たこともなく、知らんかったはずです。」の「知らんかった」という言葉遣いが、全体の中で異質に思えたのですが、 これは、「紫蘭」と「知らん」を掛けていたのでしょうか。う~ん、参りました。

お礼日時:2003/11/11 20:02

「無教養な羊飼いというものは大雑把な名前(見たままの名前)を付け、一方、心のない女の子たちは死人の指と呼ぶのです。



上記の翻訳は、ドイツ語の訳を参照しました。ドイツでは18世紀以来イギリス文学がよく受容されてきており、翻訳も言語自体が血縁関係(古い英語ほど濃い)にあるのでヨーロッパの文脈から良く理解されていると思われます。
ドイツ語でもやはり「langen rothen Blumen」という言うように、「長い赤い花」というように固有名詞とはなっていません。
von Hahnen-Fuessen, Nesseln, Gaense-Bluemchen und diesen langen rothen Blumen, denen unsre ehrlichen Schaefer einen natuerlichen Namen geben, unsre kalten Maedchens aber nennen sie Todten-Finger;

日本語の翻訳は少し曲解しすぎのような気がします。
シランはもともとアジアの蘭だそうですね。
シェークスピアは見たこともなく、知らんかったはずです。

文中では、この「長い赤紫の花」だけが名前がなく、
そのため、普通どう呼ばれているかが関係代名詞で説明されているのだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
英語は不得意、ドイツ語の知識はゼロです。
#1の方が紹介してくれたサイトにある英文が原文なのだと思いますが、問題の箇所は「grosser name」となっています。これを福田恆存は「いやらしい名」と訳したため、次の「無垢な娘」と相俟って、妙に意味深長なものになってしまいました。(そう、感じるのは私だけかな)でも、arspoeticaさんが訳してくれたものだと、意味がスッキリとしますね。「紫蘭」と訳したのも強引だったようですが、これらは誤訳と言っていいのか、それとも解った上で、文学的、詩的、あるいは劇的効果を狙ったものなのか気になるところです。機会があれば、他の日本語訳も調べてみたいと思います。
軽い気持で質問したのですが、本格的な回答をいただき、思いがけず勉強してしまいました。ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/10 20:22

ご質問を拝見して、私も興味が沸いたので調べてみました。


「死人の指」については、
興味深い解説をしているページがありましたので、
参考URLをご覧下さい。

「羊飼いたちがいやらしい名で呼んでいる」については、
私は、こんな風に想像しています。
紫蘭は、「long purples」の訳です。
「purple」には「王位」という意味がありますから、
もしも、国王に批判的な人々がいるとすれば、
彼らは、「長い王位」という名前を忌み嫌い、
逆に、王家を呪うような言葉で呼ぶのではないでしょうか。

参考URL:http://page.freett.com/oreste/a-tree-h2.html
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この回答へのお礼

わざわざ調べていただきありがとうございます。
URL拝見しました。
「訳ではよく「紫蘭」となっているが、日本のシランとは全く似ていない」というのが参考になりました。
日本でいうところの「シラン」を想像しても答えは出てこなかったのですね。
「死人の指」については、このサイトにある説が有力そうです。

「いやらしい名」というのもよく分らず、私は単純に性的な意味での「いやらしい」を想像していたのですが、purple に王位の意味があるとすれば、確かにそれと関係しているかもしれませんね。

回答いただき、ありがとうございました。勉強になりました。

お礼日時:2003/11/09 20:59

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