出産前後の痔にはご注意!

今、PSソフトの「太閤立志伝2」をやっていて、ふと疑問に思ったのですが…。

木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が織田信長に命じられ、「一夜城」とも言われる「墨俣城」を蜂須賀小六らと建設したのは有名な話ですが、これについて詳しく知りたいと思いました。

どうも私は検索が下手で「これだ!」というのに、うまいこと巡り会えません。

1)墨俣城を作るまでの歴史的背景
2)実際の建設までにかかった日数、人員。また関わった武将
3)どのような方法で、建設中の城を隠していたのか?
4)墨俣城の主な役割

など知りたいのですが、詳しい方はおいででしょうか?
1つでもお答えいただければ幸いです。
どうぞ、宜しくお願いいたします。

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A 回答 (13件中1~10件)

元々美濃は土岐氏という守護の治める国でした。

土岐氏は室町幕府の重臣です。それを斎藤道三が乗っ取りました。
また、織田信長は城代家老の織田本家を潰そうとしてました。

そこで、少しでも外敵の心配を無くすために手を結びました。織田家は北に斎藤道三、東に今川義元、内に他の織田家と敵を多く抱えてましたから。
そこで内の他の織田家を抑えるためにも斎藤道三と同盟を組んだのです。

最初はお互いに割り切った不可侵同盟だったのですが、お互いに顔を合わせてからは、お互いを認める仲になりました。

また斎藤道三の息子の義龍は斎藤道三の息子ではなくて土岐氏の血を受けづいてるという噂が流れました。
真偽の程は判りませんが、義龍は信じました。そして道三を親として接しませんでした。
また道三も義龍を疎んじました。

そして道三は美濃を信長に譲るという遺言を書きます。
つまり信長を息子のように思ってたのです。

そして道三と義龍が戦を起こし、義龍が勝ちます。そのとき、信長はいち早く援軍を送ります。信長も道三を親のように思ってたのでしょう。
しかし、道三も信長と義龍がぶつかるのは時期尚早と見て、勝てないとみるやいなや、信長の軍が来る前に早々に自害して果てました。
こうして信長は美濃を攻める大義名分を得たのです。この時代、大義名分は重要でしたからね。

また、美濃は非常に作物が多く取れる実りの多き国です。
美濃の名前もそこから来ています。

そして交通の要衝でもあります。
後に有名になる関ヶ原は北に北陸街道、南に伊勢街道、東西に中仙道と主要な街道が交わる重要な土地です。
ですから、天下取りを目指す信長にはぜひ手に入れたい国なのです。

そして義龍の代になっても攻めきれなかったのは義龍の力ではなく、美濃の国人の力です。
この頃の大名は完全な主従の関係ではなく、国人たちと契約を交わしてるだけにすぎません。
結構気を使わなければ上手くやっていけなかったようです。
信長が子飼いの部下(その代表が秀吉)を大事にしたのはそういう気苦労を避けるためです。

さて、道三が亡くなってからはこの国人たちを自分の陣営に引き込むための工作が水面下で行われていました。
しかし義龍は元の主君である土岐氏の血を引くと皆が信じていたし、本人もそう宣伝していたので結束は意外と高かったのです。
しかし龍興の時代になって、徐々に国人との信頼関係が揺らいできます。

蜂須賀小六というのはそんな国人の頭の1人です。ですから、小六にならって信長についた国人も一夜城築城には関わっていると思われます。

そして人数ですが、それは正式な記録がないのでなんとも言えません。

さて、墨俣に城を築く理由ですが、これも交通の要だからです。
墨俣は稲葉山(今の金華山)のふもとを流れる川の三角州です。
また稲葉山城のような山城は戦時中にこもるだけの城で平時はふもとに住んでいます。そして篭城に備えて食料をためています。

篭城戦は根競べです。大きな城を攻めるときは攻め手が食料がなくなって引き上げるということもあるのです。
普通は篭城は援軍の当てがあって初めて篭城できるといわれ、援軍の当てのない時は攻め手に有利な戦いに見えますが、実は攻め手にも不安要素はあるのです。野営では常に敵の攻撃を恐れているので兵の消耗が激しいです。しかし城があれば見張りを除いてゆっくりと寝る事が出来ます。
また、川の脇にあるということで、城への補給を断つことも出来ます。
こういう山城では川は重要な補給路になるからです。夜の闇にまぎれて船を出せば補給が可能ですからね。

そして城側への心理的な影響もあります。目の前に城を作られた。これは自分の国が滅びる不安をかきたてます。この頃の戦は士気を無くした方の負けです。死者はそんなに出ず、1割の兵が死んだら大敗と言われます。

そこで信長は柴田勝家らに命令して城を作らせましたが失敗に終わりました。そこで秀吉が名乗りを挙げました。
城の作成は他の方が答えたように上流からいかだを組んでもって来ました。
上流の地理に詳しい蜂須賀小六がいたからこその計画です。上流には木曾杉と言うよい木材の産地があったのです。そして小六の案内で、やすやすと敵国に侵入し木材を切ることが出来ました。

そして他の家臣たちに出来なかった墨俣城を築城できたことで秀吉の名は織田家・その家臣の間にに知れ渡り、それから出世街道をひた走るのです。

そして墨俣に城が出来たことで美濃側に動揺が走りました。

上記で書いたように国人は大名と完全な主従の関係ではありません。となると新しい国主になりそうな信長に傾くのは当然の帰結です。
極端な話、彼らは自分の領土を安堵してくれれば国主が誰でも構わないのです。
そして美濃三人衆と呼ばれる稲葉一鉄(良通)、安藤守就、氏家卜全(直元)の3人を味方に引き入れ、さらに竹中半兵衛(重治)を秀吉がくどき落としました。
この美濃三人衆は有力国人で、3人が団結すれば国主(この場合は斎藤家)も逆らえないほどの力を持っていました。

そして、ここが攻め時と判断しやっと稲葉山城を攻め落とすのです。

このとき龍興は越前の朝倉氏の下へ逃げ込みました。

また秀吉は一夜城が得意で、小田原攻めの時も一夜城を作っています。
もっとも、この一夜城は森の中に城を作って完成してから城との間の木を伐採して城から見るとあたかも一夜で出来たように思わせる心理的な作戦でしたが。

この回答への補足

peitaサマ、janfrancoサマ、takesamaサマ、miskaサマ、nonkunサマ、ご回答、本当に有難う御座いました。
締め切りが遅くなり、大変申し訳御座いませんでした。

皆様の回答から、得る物が沢山あり、大いに勉強させていただきました。
ポイントの発行について、ひじょうに悩んでしまったのですが、今回は、すべてをまとめて回答して下さった、nonkunさんに「良回答」を、多くの参考物件を紹介してくださって、斎藤家について、詳しく説明して下さった、miskaさんに「次点」を差し上げます。
ポイントを差し上げられなかった皆様、申し訳御座いません。m(__)m

皆様、本当に有難う御座いました。
これからも、宜しくお願い致します。m(__)m

補足日時:2001/07/25 17:35
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この回答へのお礼

nonkunさん、ご回答下さって有難う御座いました。お礼が遅れて、申し訳ありませんでした。
随分前の質問にもかかわらず、ご回答下さったので、大変嬉しく思います。

信長が多くの敵と対峙していたのは知っておりましたし、織田家の中でも異質な存在で、内輪を掌握したかったのも存じておりましたが、nonkunさんのご回答により、さらに詳しく知ることが出来て大変勉強になりました。

> 斎藤道三の息子の義龍は斎藤道三の息子ではなくて土岐氏の血を受けづいてるという噂が流れました。

このことは初めて知りました!
息子はともかく、道三のほうも、このうわさを信じてしまって、2人の仲がより、険悪になってしまったのかもしれませんね。

美濃の名前の由来も初めて知りました。
また、「交通の要」という視点に気が付きませんでした。
ではやはり、信長は是が非でも美濃を掌握したかったのでしょうね。

> この頃の大名は完全な主従の関係ではなく、国人たちと契約を交わしてるだけにすぎません。
> 結構気を使わなければ上手くやっていけなかったようです。

いやはや・・・そこにも気が付きませんでした。
戦国時代ならでは・・・なのでしょうか?
蜂須賀小六は、もともと信長に仕えていたわけでもないし、そう考えると納得がいきますね。

墨俣の地理についても認識不足でした。三角州だったんですか~! 

そして、役割についても大変分り易い説明ですね。
もう、ただただ、関心するばかりです。

食料の事や、野営での体力消耗のことを考えると、墨俣城がいかに重要な拠点となったかが、窺えます

そして、地理に詳しい蜂須賀小六がいたからこその計画、家臣達の信頼(同盟?)関係があってこそですね。
信長の人を見る目、そして、その信長に尽くす家臣(と、この場合は「同盟相手」としたほうがいいのかな?)、このバランスが成り立っていたのが素晴らしい事ですね。

小田原の一夜城のことも、少しは知っていたのですが、どうやら私は、そちらのほうと少し混同していた部分があることに気が付きました。
お恥ずかしい・・・(^^;)

本当に大変参考になりました!!
ご回答下さって、本当に有難う御座いました!!

お礼日時:2001/07/11 05:14

すいません。

本そのものは本日、家に置いてきてしまいましたので、下のURLを参考にしていただければ・・・。
では。では。

参考URL:http://www.yosensha.co.jp/jinbun1.html
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この回答へのお礼

本当に何度も有難うございます!!
超速攻のお返事でめちゃくちゃ驚きました。

これは面白そうですね(^^)
私も主人もこういうのは好きなので、買うことにします♪
大変感謝しております♪

追伸:(こんなに何度もいいのだろうか…(^^;))gooのフリーメールって使ってますか? よかったら、1回覗いてみてくれませんか? 見当違いだったら、ごめんなさい。m(__)m

お礼日時:2001/05/07 20:32

コンコン。

ガチャッ。失礼します。まだ開いてましたね。良かった。(もうそろそろ一週間かなと思ってたので)
槍が深々と刺さり、瀕死状態のtakesamaです。「何度でも嬉しい」という言葉に甘えて再び登場させていただきます。

ご指摘の件に関しては、反論したいのは山々なのですが、ここでは回答者同士が議論する場所ではありませんので、敢えて触れません。それで、僕も勉強不足の点もあり、このままでは戦国武将フリークの名が廃るということで、色々調べてみました。よって、無理から責任をもって本題に戻します。

興味深い本を見つけて借りてきました。藤本正行著の「信長の戦国軍事学」と言う本です。
これには、信長の軍事的な”通説”(定説?)を思いっきりぶった切ったことが書かれておりまして、墨俣城についてももちろん書いています。
それによりますと、(考察は長々と書いていますので割愛させていただきますが、)『秀吉が墨俣一夜城を築いたという話には、それが史実であることを窺わせるだけの史料的な裏付けがない』とのことです。

前々回の回答と同じように夢の無い話になりました。興味があれば一度、読んでみてください。また、混乱を招いてしまったかもしれませんね。御免なさい。

これも、指摘を受けると確実に”討ち死に”ですな。

追伸の追伸:興味はありますが、なんのことやらさっぱりわかりません。

この回答への補足

すみません、takesamaさん。
「藤本正行著の「信長の戦国軍事学」」探したのですが、よくわかりませんでした。
よろしかったら…
・Bookサイズ(ハードカバー?文庫?)
・出版社
を教えていただけないでしょうか?
何度もすみませんが、よろしくお願い致します。m(__)m

補足日時:2001/05/07 20:01
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この回答へのお礼

takesamaさん、何度も有難う♪
本当にいろいろな本が出ているのですね。
いっぱい勉強しなければ…。

うーん…。
> 秀吉が墨俣一夜城を築いたという話には、それが史実であることを窺わせるだけの史料的な裏付けがない

というのがあると、この疑問自体がなんなのだろう…、という気にもなってきますが、いろいろな説が知りたいので、これも読んでみますね。

えー今回は1ヶ月くらい様子を見る予定です。<締め切り
質問がちょっと、複雑(?)なので。
では、いつもご回答下さって、本当に有難うございました。

追伸:ん~…(^^;)では、URLの末尾を(この質問は http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=70172 となっていると思いますが)64271・70373・70000 にして、質問・回答・お礼を全部読んでみて下さい。
これ以上のヒントは言えません…(ごめんなさいね)

お礼日時:2001/05/06 22:32

再び横槍を入れさせていただきます。


僕も真田家は大好きなのですが…

> takesamaさん

> 徳川軍を敗戦させたのは、武田軍が一度、真田軍が二度です。

武田軍も、三方ヶ原の前年に三河に侵攻して小競り合いながら勝利しています。
というわけで最低二度は勝っていることになります。
…というより、実際のところ徳川家って単独で勝った戦いはほとんどないんですよね^^;
# 姉川、長篠、関ケ原などは徳川家とは言えないでしょう

> 「太閤記」より、「真田太平記」をお奨めいたします。

太閤記は秀吉の伝記に伝統的につけられるタイトルなので、一本の小説と比較するのは無理があるかと。


と書いた直後になんですが、お薦めの小説ということで。
司馬遼太郎の一連の戦国モノを薦めておきます。
・国盗り物語(全四巻、道三、信長、明智光秀の話)
・新史太閤記(全二巻)
・関ケ原(全三巻)
・城塞(全三巻、大坂の陣)
※巻数は全て文庫版
それぞれけっこう厚い本ですが、都合がいいことにこれだけ読めばこの話題に出てきた人物に付いては一通り知ることができます。
もちろん、小説なので(これは真田太平記にも言えますが)全て事実だと思ってしまうのは危険ですが。
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この回答へのお礼

あら~みんなしてぇ、どんどん話が反れちゃうんだから♪
見ていて楽しいですけどね(^^)

オススメ本を紹介していただきまして、有難うございます。
まだ、図書館に行く前で良かったです。
「国盗り物語」「新史太閤記」「関が原」「城塞」……っと…メモメモ。
文庫版というのは有難いですね。
頑張って、読破しまーす!

参考になりました。miskaさん、本当に何度も有難うございました。

お礼日時:2001/05/04 17:59

またまた、しつこくやってまいりました。

(好きな分野はどうしても、複数回になってしまいます。御免なさい。)

直接の回答ではないので余談としてお聞きください。
>「真田幸村」ちょっとしか知りません…。ごめんなさいね。
許しません!!それは、冗談ですが、「戦国時代」が比較的お好きだということなので、真田家について。
徳川軍を敗戦させたのは、武田軍が一度、真田軍が二度です。真田軍が破ったのは、家康自身が率いたのではないのですが、武田軍の時は徳川軍が圧倒的不利にもかかわらず、戦いを挑んで惨敗しました。しかし、対真田軍は、圧倒的に徳川軍が大軍を率いておりました。でも、真田昌幸(幸村のお父さん)の見事な采配で、徳川軍が勝ちを得ることが出来なかったのです。

ね。巨大戦力に立ち向かう、弱小戦力。しかも、弱小戦力の勝ち。何かに似ているとは思いませんか?yayupuu3さんなら、必ず好きになると思います。

よって、「太閤記」より、「真田太平記」をお奨めいたします。15巻くらいありますが・・・。

質問の回答にはなっておらず、しかも押し付けがましいい文章になってしまい、さらにはただ単なる自己陶酔的な文章になりましたので、わざわざお礼をつけていただかなくても良いです。
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この回答へのお礼

おほほ(*^。^*) 私のコメント欄はお読みになっていますか?
「お返事だけは100%保証(?)です」と書いてしまっているのですよ(笑)

「真田太平記」ですね。図書館に行って、探してきます♪

何度でも嬉しいですから、あまりお気になさらずに。
何度も足を運んでいただき、有難うございました。

追伸:質問回答に関係なく発言できるところをみつけました。
興味があれば…私の回答した質疑の中です(^^)←多いけど…
(pさんの「納豆」もお返事済みです)

お礼日時:2001/05/04 10:55

横から失礼します。


墨俣城ではなく斎藤家についての補足を。

義龍が道三(秀龍)を攻め滅ぼしたことは間違いないです。
理由に付いては義龍の実の父は土岐頼芸(美濃国の前国主、道三に追放された)であり、その復讐だったという説が有力ですが、事実かどうかは今となってはわかりません。

義龍は1561年に没しています。病没と言われます。
可能性としては信長による暗殺もないとは言えませんが、彼の死が直接美濃奪取につながっていないことからも可能性は低いと言えるでしょう。
織田軍との戦闘で死亡という説は聞いたことがないですし、当時の状況から言えばかなり難しいのでは。
(信長の尾張統一が59年、桶狭間が60年と間もない時期ですので大規模な戦争を起こすのは難しい時期だと思われます)
跡を継いだ龍興は愚将と言われることが多い人ですが、それでも6年に渡り織田軍から美濃を守り通したほどなのですし。


墨俣についても少し。
現代人が城と言われると、つい姫路城などの立派な建築物を想像してしまいがちですが、戦国時代以前の特に前線の城というものはもっと小規模な、砦のようなものだと思ったほうがいいです。
特に墨俣のように目的(美濃制圧)が達成できれば価値のなくなる城だとなおさらでしょう。
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この回答へのお礼

> 横から失礼します。
なんて、とんでもない!
わざわざこの質問に回答して下さる為に、会員登録して下さったのかな? なんて感じましたから、涙がちょちょぎれるほど嬉しいです~!!!

「道三」「義龍」「龍興」の関係を判り易く解説して下さって、本当に有難うございます!
やはり、道三は義龍に攻め滅ばされていたのですね。
「義龍」の死因については、いろいろな説があるのですね。
本当に勉強になります。

「墨俣城」についても、認識不足でした。
いろいろと検索していたら、立派に「お城」としての建築物のように見受けられたので、「砦」という形が思い浮かばなかったんです。
これもまた、勉強になります。

いろいろと検索していて、思ったことですが、
「墨俣城」に直接足を運んだほうがいいように思えました。
「資料館」もあるようですし…。
ここが私の疑問を晴らす、最善の場所のように思えました。

miskaさんのご回答、大変参考になりました。
本当に有難うございました!

お礼日時:2001/05/02 10:37

takesamaさんへ。

(yayupuu3さんへの解答欄にごめんなさい。)
そんな、横取りだなんて思ってませんよ!気にしないでくださいね。
確かに墨俣に関する話は虚構も含まれるでしょうね。秀吉自身、話ふくらますの好きそうですし(笑)。
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この回答へのお礼

peitaさん、私は全然気にしていないから大丈夫ですよ(^^)
お礼欄に新たな質問をしても、回答を下さらない方もいらっしゃって、takesamaさんもその辺のことを配慮して下さってのご回答だと判断しております。
「会員同士のコミュニュケーション」がはかれるのも、このサイトの良い部分だと思っておりますので、あまり気になさらないで下さいね。
他の方のやり取りを見ているのも、私には楽しいです♪

お礼日時:2001/05/02 09:58

はい、はーい!!戦国武将フリークの顔も持つtakesama再度登場でーす。

と、書き出しは威勢が良いのですが先にお詫びいたします。(お詫びばっかり・・・)ご丁寧な返事を頂きましたが、正直なところ良く分からないのが現状です。
ただ、夢のない現実的なお話をさせて頂きますと、そもそも文献自体、誰贔屓なのかで誇張表現などが加わりしばしば、混乱を招きます。”ヤマカン”の語源とされる武田家軍師の山本勘助はその存在自体が怪しいとされています。(史料的には「甲陽軍艦」でしか登場しないはずです。)さらに、僕の一番好きな真田幸村をご存知ですか?そうです。真田十勇士(猿飛佐助、霧隠才蔵は有名ですね。)を連想させる武将です。しかし、この真田”幸村”とする良質の書物は現存してないのは有名な話です。真田信繁というのが正しい名前です。

墨俣城については僕は「太閤記」で3日と読んだ記憶があるのですが、「太閤記」自体が秀吉贔屓の書物ですから、実際はもう少しかかったかもしれません。しかし、一夜ではないのと、筏を使って今で言うところのプレハブ工法を採用したのは間違いないようです。

的確なお答えが出来ずに戦国武将フリークの僕としては悔しい限りなのですが、これ位が言い訳としては精一杯です。申し訳ない・・・。

それと、peitaさん。回答を横取りしたみたいな形になって、もし気を悪くされていたら御免なさい。
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この回答へのお礼

もぉ~、takesamaさんってば…出だしでかなり期待しましたよ!
そして落胆…(・;)
いいんです。気にしないで下さい。
大体、現在生きている人間には、過去の書物からしかわからないのが事実で、正確なことは、その時代を生きてきた人間にしかわからないのです。
ただ、私も「戦国時代」は比較的好きな分野なので、興味がわいたんです。

takesamaさんはいろいろな書物を読んでいるようですね。
「太閤記」私も読んでみようかな?
普段は「教えて!goo」ばっかりですから、ちょっとは離れたほうがいいかもしれません…。

「真田幸村」ちょっとしか知りません…。ごめんなさいね。
最近は「新撰組」に興味を惹かれて、そっちが多いなぁ…。
今回の質問に関しては、むかーーーしに「信長」のレポートを書いたことがって、その時のかすかな記憶からなんです。
でも、あまりにも昔の記憶すぎて、ほとんど忘れておりました(^^;;)

いろいろとご配慮いただき、本当に何度も有難うございました。

お礼日時:2001/05/02 09:50

yayupuu3さん、お返事ありがとうございました。

ご質問に関しては他の方々が答えてくださっているのでいいかなとは思ったんですが答えます。

このときの戦は、対斎藤竜興です。道三の孫ですね。子の義竜はもう亡くなっていますから。(確か道三を殺した敵として、信長に攻められ亡くなったはず・・。とにかく失脚していることは確かです。)信長は道三を尊敬し、また道三も信長のことをたいそう買っていました。子や孫はそれに反感をもっていたようですね。

あと、秀吉に築城の役がまわってきたのは、他の方がおっしゃっているとおり、秀吉が立候補したからです。前の回答でも述べたとおり、墨俣に城を築くのは並大抵のことではできませんし、実際何度も失敗に終わっています。ですから信長が人を募っても、そう簡単には「我こそが」という人がいなかったのです。秀吉は、これこそが信長に気に入られ出世できるチャンス、あるいは信長様のお役に立てるチャンス(おそらく両方でしょうが)と考えたのでしょう。なんにしてもアイディアマンの彼にとっては、自分の力を信長に知らしめるためのまたとない機会であったわけです。


と、こんなところでよろしいでしょうか?だらだらとわかりにくくて申し訳ありません。お役にたてれば幸いです。
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この回答へのお礼

peitaさん、本当に何度も有難うございます! 大変感謝しております。
わかりにくい…なんてとんでもないです!
大変わかり易い説明で、有難いかぎりです!!

義龍は信長に殺されていたのですか…。
勉強になります。
道三と信長の関係を考えると、子や孫が反感をもったというのもうなずけます。

「日吉」のころから秀吉は、信長のことを大変尊敬していたようですね。
この機会を生かせたのは、秀吉が本当に優秀な人材だったからなのでしょうね。
「何度も失敗に終わっていた」…というのは知りませんでした。
きっと藤吉郎もいろいろなアイディアを考えていたのでしょうね。

大変参考になりました。本当に有難うございました!

お礼日時:2001/05/01 13:24

只今、お昼休みです。


義竜については、義龍の方が普通ですよね。失礼しました。
墨俣城築城は、1566年。道三没が1556年といわれております。(因みにおっしゃるように子の義龍に攻められて没しました。)よって、道三相手ではないことは確かです。
で、訂正なんですがこのときの斎藤氏の主は義龍の子の龍興でした。重ねてお詫び申し上げます。(良かった。誰かに駄目出しされる前で・・・。)
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この回答へのお礼

貴重なお昼休みを割いていただいて、有難うございます。
そうだったんですね。
どうも私は「道三」「義龍」「龍興」「信長」の関係がよく把握できていなかったので、わかり易い説明で助かりました。

「義龍」「龍興」は「信長」に好印象をいだいていなかったようですね。
こうなると、「秀吉」の歴史を調べる前に「信長」「美濃」あたりを重点的に調べる必要がありそうですね。

後、ちょっと「墨俣城」のついて調べていたら、建設日数が60日くらいとか、人員数5~600人とか、ところによって1,200人とか…???
訳がわからなくなってきました(^^;)
この辺りのことも、takesamaさんはご存知でしょうか?
本当にお暇なときでいいので、考察等、お聞かせいただけますか?

また、質問が増えてしまってすみません。m(__)m
本当に何度も有難うございました。

お礼日時:2001/05/01 13:05

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Q信長・秀吉・家康のホトトギス

上記三人の人柄をホトトギスを用いて表現した文句は有名ですが↓

信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」

これらは彼らの人柄をわかりやすく例えるために後世に詠まれた、とこのサイト内の他の質問から知りましたが、これらを考えた「誰か」というのは特定の人物として存在するのでしょうか?
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

作者不明だそうです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~gokuh/ghp/think/zakki_08.htm

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

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Aベストアンサー

人間の三大欲望は
食欲 睡眠欲 性欲 です。
食欲は,物を食べ,エネルギーにする事。
睡眠欲は,睡眠をとり,脳を休ませること。
性欲は,トイレで用をたしたり,エッチをしたり,する事
この3つはある程度は我慢が出来ますが,人間が生きていくためには必ず必要なことです。欲望というより,必要不可欠なことです。
でも、このことを言った人はわかりません。昔からの言い伝えではないでしょうか?

似たような語で,「衣・食・住」これは、生活の上のことです。

Q内閣総理大臣の任期について。

内閣総理大臣の任期についてなのですが、アメリカでは四年で二期までですが日本ではどうなっているのでしょうか?
憲法第七十一条には「内閣総理大臣は、衆議院の解散や衆議院議員の任期満了により国会議員の地位を失っても、次の内閣総理大臣が任命されるまでの間は、その地位を失うことはない」とありますが何期できるのですか?
知っている方は教えてください。

Aベストアンサー

 日本の内閣総理大臣は,「1期○年」と決まっている訳ではありません。
 首班指名されてから,衆議院選挙後の首班指名まで,或いは辞職・死亡するまでが1期と言えるでしょう。というより,「第○代」と言う言い方をします。
 
>何期できるのですか?
 制限がないので,何年でもできます。
 ただ,自由民主党では,総理には党の総裁が就くことになっています。自由民主党の総裁の任期は現在,3年と定められており,2期までと定められていますから,最長6年ということになると思います。
 でも,自由民主党は総裁公選規程をコロコロ改正しています。昔,中曽根氏が総理総裁の時,総選挙で大勝したから,総裁任期を1年延長されたりしました。

参考URL:http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html

Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.

Qパスポート取得にかかる日数について

パスポートの申請をしてから何日ぐらいで
取得できますか?
よろしく御願い致します。

Aベストアンサー

こんにちは~☆

休日を含めないで、おそよ1週間くらいです。

最寄りのパスポートセンターに電話して、例えば明日申請したらいつ出来る??って聞くと教えてくれますよ。

Q北条氏はどうして秀吉に最後まで逆らいましたか?

秀吉の天下統一は北条攻めにより完成しました。
北条氏はどうして最後まで秀吉政権に屈しようとしなかったのでしょうか?
周囲が次々と秀吉側に組してゆくわけですから、とても危険な状況ではなかったのでしょうか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

北条氏の問題は、成長している最中であったこと。しかも、数年で急激に成長したのではなく、時間をかけて成長したこと。ここが、他の大代妙と違う点です。
戦国大名はおしなべて、実は家臣団の連合体という側面が実は強い。大名のトップが、「負けました」と宣言したら、家臣団に殺されます。

豊臣家に頭を下げたのは
徳川家:1582年以降に駿河・甲斐・信濃など急激に膨張
長宗我部:1585年に四国平定、そして四国征伐が同年
島津家:1584年の沖田畷の戦いで、九州のNo1へそして九州平定へ
伊達家:1589年、摺上原の戦いで、芦名氏を滅亡させ、奥州No1に
上杉家:1582年、信長に潰されるカウントダウン状態
毛利家:1582年、信長に潰されるカウントダウン状態

など、信長に潰される直前で、家臣団として「潰されるより、頭を下げましょう」という合意がなされやすい状況であったケースと、直前に領土を拡大させ、まだまだ、本領としてしっかり統治できていなかった(捨てても、まぁ いいやと諦められる)領土の大きかった大名家です。家臣団も、しょうがないやと思える。

ところが、北条家は、五代にわたってじわりじわりと領土を拡大し、五代目氏直の段階で、史上最大の領土を確保したところでした。
※ 氏政・氏直の無能論というのがありますが、領土を拡大させたという意味では有能であったといえます。
ただ、100年かけて獲得した領土なので、家臣団はギブアップ宣言ができない、しかも、毛利家における宇喜多家のように、新参の半分同盟国のような扱いの家臣団でなく、重代の家臣団であり、結束が強いがために、氏政・氏直としても、簡単にギブアップできなかった。
ということではないかと

北条氏の問題は、成長している最中であったこと。しかも、数年で急激に成長したのではなく、時間をかけて成長したこと。ここが、他の大代妙と違う点です。
戦国大名はおしなべて、実は家臣団の連合体という側面が実は強い。大名のトップが、「負けました」と宣言したら、家臣団に殺されます。

豊臣家に頭を下げたのは
徳川家:1582年以降に駿河・甲斐・信濃など急激に膨張
長宗我部:1585年に四国平定、そして四国征伐が同年
島津家:1584年の沖田畷の戦いで、九州のNo1へそして九州平定へ
伊達家:1589年...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

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・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q【脳・頭・意識】一瞬落ちる。一瞬グラっとする。

一瞬落ちたり、一瞬グラっとする感覚です。。。

初めてなったのが3年前くらいです。ベンチに座ってタバコをすいながら友達と会話をしていたとき、自分が話しているときに起きました。その時、会話は継続してできていました。友達の声も聞こえています。なので意識と書きましたが、はっきりしていますので、意識は落ちていません。
時間は0.3秒くらいです。
頭をグンッと絞めるような感覚で、周囲の音も声も絞られるような感じでした。
エレベーターを一階分落ちるような感覚が身体に感じました。
周囲は暗くなっていません、見えています。
お風呂でのぼせる現象に近いですが、時間があまりにも短いし、下に落ちていく感覚がありますので、あきらかに「のぼせ」とは違います。
金縛りの経験は数年前に2回ありますが、あきらかに違います。
身体は倒れこんだり、座り込んだりしません。体勢はしっかりとしています。
3ヶ月に一度くらい間隔で起きます。
現在まで、20回程度です。

おそらく自分では脳に関係している病状だと思います。
自分が一番気になるのは「エレベーターを一階分0.3秒の一瞬で落ちるような感覚」です。
いずれ医者に行こうかと思っていますが、その前にこの症状に似ている病名、考えられる病名を知りたいと思っています。
また、同じような経験者様の声や、家族の方で同じ症状が居るというかたの話が聞きたいです。
とても一瞬なので周囲の人にはわかりません。(気づかれません)


【症状説明】
*エレベーターを一階分落ちるような感覚
*会話をしていたり、テレビを観ていたりしていて一瞬体が落ちる感覚。
*頭がグラッと落ちる感覚。
*周囲の音が一瞬絞られるような感覚。
*症状が一瞬(0.3秒くらい)
*意識はある。
*症状の最中も会話はできている
*音も聞こえる
*吐き気・頭痛はまったく無し。
*倒れない。
*3ヶ月に一度くらい(20回程度)
*脈は正常
*どうき・息切れの経験無し。(どうき・息切れの症状がイマイチわからない)

【プロフィール】
*男
*30代後半
*身体や性格はかなり丈夫なので貧血や腰をぬかすといった経験はまったく無し。
*意識を失う経験は無し。
*人生いままでずっと血圧正常。
*大きな病気無し。
*服用している薬無し。
*酒やらない
*タバコ1日、1箱未満。
*過去に薬物使用経験10年程度あり(症状が出る前にとうにやめている)


ちょっと、ここ数日何度か連続して起き、最近は起きた後に数秒「よいん」が残るので質問してみました。
過去に薬物経験とありますが、ちょっとこれは説明が難しいのですが自分は薬物との「直接的な関係」はないと思っています。たとえば「過去に薬物をしていたなら脳が正常ではない」のではないかとかですが、正常か異常かだと「異常」だと思います。脳に関する異常だととくに目立って自覚はないのですが、経験のない人と比べると少なからず「記憶障害」くらいは後遺症としてあるのではないのかと思います。
もし目立って後遺症がでるならば、臓器にでていると思います。
もしあるとしたなら、「薬物と脳」の関係ではなく、血管注入していたので「血液と脳」に関する問題や、心臓には関係しているとは思います。

宜しくお願いいたします。

一瞬落ちたり、一瞬グラっとする感覚です。。。

初めてなったのが3年前くらいです。ベンチに座ってタバコをすいながら友達と会話をしていたとき、自分が話しているときに起きました。その時、会話は継続してできていました。友達の声も聞こえています。なので意識と書きましたが、はっきりしていますので、意識は落ちていません。
時間は0.3秒くらいです。
頭をグンッと絞めるような感覚で、周囲の音も声も絞られるような感じでした。
エレベーターを一階分落ちるような感覚が身体に感じました。
周囲は暗くなっ...続きを読む

Aベストアンサー

一瞬グラッとする・・・瞬発性脳血栓症が疑われます。
人の心臓は,一日24時間でほぼ10万回,或いはそれ以上の回数鼓動します。健康者でもその内の数回~数十回程度の不正常は,ごく普通に見られると言われています。
心臓の構造は左右の心室と心房から成り,心室の拍動信号が弱まるといわゆる心室細動となり,極めて危険です。心房の場合は心房細動となり,数分程度なら気分が悪い程度の感じで治まります。
心房細動も短時間で且つ頻度が低ければ,直接命の危険はありませんが,細動に伴って微細な血栓(血液凝固)を生じます。血栓が脳の微細血管内で詰まると,脳血栓症(脳卒中の一症状)を起こします。
極めて微細な血栓が脳内で一瞬詰まって,ごく短時間に外れて回復するという事例は,四十代前後の成人でも時折見掛けられるようです。加齢と共に血管老化により危険度は増します。血栓が大きくなると,極めて危険です。血栓の大きさと詰まった場所や経過時間によっては,命取りになる事も後遺症を残すこともありますが,ほんの一瞬で血管が開通すれば,貴方のような状態にもなり得ます。
大事に至らないためには,心房細動を防ぐこと,血流を良くするために血液の凝固防止剤(いわゆる『血液サラサラ薬』)の服用など,医師の診断による処方投薬等が必用です。
血栓は心臓弁膜の不正常でも起こります。
循環器内科,ハートクリニック等で受診されることをお勧めします。

一瞬グラッとする・・・瞬発性脳血栓症が疑われます。
人の心臓は,一日24時間でほぼ10万回,或いはそれ以上の回数鼓動します。健康者でもその内の数回~数十回程度の不正常は,ごく普通に見られると言われています。
心臓の構造は左右の心室と心房から成り,心室の拍動信号が弱まるといわゆる心室細動となり,極めて危険です。心房の場合は心房細動となり,数分程度なら気分が悪い程度の感じで治まります。
心房細動も短時間で且つ頻度が低ければ,直接命の危険はありませんが,細動に伴って微細な血栓(血液...続きを読む


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