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文化の対義語が文明というのは、どのように解釈したらいいのでしょうか?
私見で構いませんので、もしわかる方がいましたら、教えてください。

A 回答 (17件中1~10件)

大雑把に分類すると



文化…伝統など古くさいが浪漫を感じるもの
文明…利便性を追求した近代的なもの

だと思います。
文明が発達すれば発達するほど文化は失われて生きます。
文明重視派から見ると文化とは効率も能率も悪く意味がわからない とかそんな言葉をよく聞きますね。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
「文明が発達すれば発達するほど文化は失われていきます」というのは、
「確かに」と思うと同時に、「なぜだろう?」と思いました。
文明が発展すると、依存してしまうからなんでしょうかね。

お礼日時:2011/09/24 23:57

文化の中でも「伝統」という要素に着目したからではないでしょうか。


伝統文化に対する新しい技術(文明)みたいな意味なんでしょう。

実際は文明は文化の一部であるし、文明によって文化は発展し広く伝播する(衰退する場合もあります)んですけどね。

例えば機械や農薬を使わない伝統的な農業と言ったって、人類の文明の証である金属製の鎌なんかは使う、とか、外国の言葉や食べ物や音楽を楽しむことができるのも、車輪だの樽だの船だの羅針盤だの印刷秘術だの数々の文明の力に依っているわけで。

一般的には文明の対義語は野蛮、文化の対義語は自然ということになると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
人類学で対立しているらしいので、その解釈で正しいと思います。
ただ、もし文明が崩壊した場合、文明の対義語は野蛮ではなくなるかもしれませんね。

お礼日時:2011/09/24 23:54

 あくまでも個人的な見解であることをお許し下さい。

僕は「文明」の一つの側面が「文化」である、と理解しています。
 以前『文明の衝突』というS.ハンチントンの書物がありましたが、20世紀も末以後の「対立の構図」は「異なった価値観と価値観の対立」である、との指摘を目にした記憶があります。端的に言うなら、信仰と信仰あるいはそれを引っくるめた形、たとえばイスラムと西欧あるいは「中国なるモノと西欧」の様な図式になるかと思われます。これらの根底にあるモノを考えてみるならば、哲学や価値観に喩えることも可能かもしれず、それは「国家」という枠組みをあっさり越えてもしまいます。
 一方「文化」には「若者文化」や「活字文化」などの用例があり、対峙する対象がほぼ明確な場合に使われる傾向にあります。70年代から80年代そして90年代の流行やスタイルが生み出されてきた背景には少なからず「雑誌文化」が影響していることもあります。原宿文化とはいっても原宿文明とは呼びません。文化の発信地との表現はあっても文明の発信地とはいいません。文明の発生地なる表現はあります。
 
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この回答へのお礼

ありがとうごいます。
「文明」の一つの側面が「文化」であるというのは、同感です。
言葉では、文化は「文と化す」で、文明は「明らかになった文」という解釈できるのではないでしょうか?
個人的には、「結果=文明⇔文化=原因」と考えています。

お礼日時:2011/09/24 23:49

司馬遼太郎の文章の中に文化は文明の化石だというような意味の言葉があったように記憶しています。



文明が(過去現在未来を問わず)アクチブな、どんどん発展している途上の明るい感じがあるのに対して、文化というのは完成された、ひとつの体系として固まってしまった、ある意味過去のもの、時間的にフリーズしたものという考え方、感覚なのかなとか思っています。

あくまで、お互いを相対的に見比べた考え方ですが。

この回答への補足

回答、ありがとうございます。
未開社会の視点に観れば、変化=革新=文明⇔文化=伝統=停滞になりますね。
ただ、現代社会の視点で観れば、文明の方が個人の力で動かしがたいように思えます。
その意味では、「外的変化=文明⇔文化=内的変化」という対立軸も成り立つのではないでしょうか?

補足日時:2011/09/24 23:44
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質問は、


文化・文明論ではなく、
  対義語なる用語の定義と文化⇔文明の関係ですね。
            (⇔は対義語記号とする、以下同様)
“文化が文明の対義語”だとすると、その理由は、
  「両者の相互関係」かもしれません(参照:文末の参考)。

対義語は慣用に準拠するため、定義がなく、
文化⇔文明は使い方や文脈によっては、類義語ともいえます。
 文化⇔文明 だと言う本人にどのような観点で定義したのか、その根拠を問うしかありません。
もしくは、ご自分の文化・文明の解釈に基づいて、
 文化⇔文明 への賛否を決めることです。
少なくとも、文化⇔文明 は常識として定着したものではありません。
 ----------------------------
そもそも、文化が文明の対義語とはどこにありましたか。
むしろ、これらの対義語を想定すると、
 文化⇔自分、個人、本能、自然
 文明⇔未開、野蛮

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E7%BE%A9% … 
を参考にするならば、
・対義語対は一般・慣用的に用いられているものを蒐集したものであり、そのなかには一定の法則性が存在していることが指摘されていますが、絶対的なものではなく、どのように使うかによっても、対義語として成立しないことになります。
・どのペアを対義語ととらえるかはその言語がもつ文化的背景や、その言語が使用される文脈に大きく影響される。
・ 例えば「値上げ」「値下げ」など。商品Aの単価が「値下げ」になったとしても、その商品の容量が減り(実質的には)値上げになっていることもある。「増税」「減税」、「改善」「改悪」など字句上では対義語として蒐集・教本化されているものが実際に文脈の中で使用される場合、
 *その意味が正確に適用されているかどうか
   「対義語」の意味コレクションはなんら保障しない。

■すなわち、辞書や教本類に載っている対義語例は、必ずしも当てにならない。といえます。

■興味が湧いて、対義語辞典と称するもの複数当たりましたが、文化の対義語は見つかりません。Web一般には文化⇔文明なる記事もありますが、言語として論じたものではありません。
広辞林審判30版-文明の項に、
「~生活が快適で豊富になり、野蛮な状態から遠ざかって行く現象」
   とあります。
この観点に立てば、文化⇔文明も、古代⇔現代、遠⇔近 と同列?

参考:
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
たいぎご 0 【対義語】
同一の言語のなかで、その持つ意味が反対の関係にある語。「出席⇔欠席」のように中間の段階が考えられないもの、「大きい⇔小さい」のように中間の段階のあるもの、「親⇔子」のように
   両者が相互関係にある ものなどがある。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
質問の「対義語」は、「両者の相互関係」という広い意味で使っています。
ただ、全く関係していないものとしての解釈もありうるのかどうかも知りたかったので、
私見を述べずに、大雑把に質問させていただきました。
因みに、人類学では文化と文明が対義語にあるそうです。
NO.1のmizukiyuliさんとNO.2のhunaskinの回答を参考になりました。
でも、対立構造ではなく、相互関係で理解するために、新しい解釈を求めたいと思います。

お礼日時:2011/09/24 22:22

ご質問は、私も関心のある事でずっと考えてきました。


文明の発達によって滅びる文化がある事についての感情論に由来しているではないでしょうか。

文化住宅や文化包丁という言葉があります。これらは物なのに、技術よりもコンセプトが強調されています。ですから文化という言葉をくっつけたのだと思います。単に文化が当時の流行り言葉だったのかもしれませんがね。


文化と文明を対比させる文脈においては、

思想、芸術、習慣、情操などを文化、

道具、技術、制度、演算などを文明にしていると思います。

生活が便利になると文化が変わりますよね。納豆売りが無くなって、廃品回収車でしょ。紙芝居が無くなって携帯ゲームでしょ。これは文明によって文化が消されたとも言えるのです。文明に責任転嫁しているのではありますがね。
文化が文明よりも弱いとは言えません。現代の高層ビル建設においても地鎮祭をしたりします。現代の若者の感覚、たとえば空気読めないとかは、江戸時代の百姓と同じ倫理観です。

そんな中で、文明には時代を変える強力さがあります。
民主主義は思想という文化ですが、旧来の階級社会の思想を打破して民主主義思想を普及させた立役者は、思想活動ではなく、産業革命に始まる近代の物質文明なのです。さらには、産業革命以降、資本家が労働者を搾取するという視点があります。このプロレタリア思想も文明批判をしていますね。思想家によって文化と文明が対立させられています。
民主主義を維持するための諸制度は文明です。

どちらの語も抽象的なので、対比的に使う事で初めて具体的な意味を持つようになると思います。
幕末、日本は文明の進んだ西洋に迫られて開国します。文明開化です。しかし文化は日本の方が進んでいたのです。こういう議論において、文明と文化が対決的に使われていると思います。端的には思想文化vs物質文明という構図でしょう。
ですから実際、文明と文化の対義語関係が正しいかどうかよりも、文化重視側からの反論に使われているレトリックの一つと認識していいと思います。

既出回答の司馬先生の話は、この作家が専ら古い文明を相手に仕事をしているからです。現代文明は化石ではありませんね。

文明が文化を創っている面もありますね。この場合は、対立関係とは言えませんね。共同している関係です。
もちろん新しい文明の力によって新しい文化を創る創造力は、文化です。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
具体例があり、とてもわかりやすかったです。
文化と文明が対立関係ではなく、共同関係(相互関係?)にあるというのは、
私も考えていることで、対立していることが納得できませんでした。
本来、既存の文明の中で文化が展開していくのですが、開放系の(文明が開かれている)場合、
外から別の文明が入ってくることになります。
少しでも新しい文明が入ってくれば、そこに新しい文化が起こります。
開国や侵略ではそういったことが起こったではないでしょうか?
その結果、(古い)文化と(新しい)文明が対立しているように感じるのですね。
間違ってたら、ごめんなさい。

お礼日時:2011/09/24 23:18

文化と文明は類語として扱われています。

対義語は野蛮ですが、

文化と文明は広い意味では精神と物質両方の発展と成果を指すが
狭い意味では技術の発展による都市化等物質的成果を文明
人間の精神的な行為による価値、成果を文化という。
とされています。(広辞苑)
この違いを対義語と呼べるかどうかは疑問ですが、考えられるとしたら
これしかないと思います。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
NO.9のghostbusterさんの回答を読んで、広辞苑の定義に納得しました。
確かに、物質的成果=文明⇔文化=精神的成果という対比は単純すぎて、「物質と精神の違いとは何か?」という別の問題になりますね。

お礼日時:2011/09/24 22:01

No.7さんご紹介の辞書の定義で大筋はいいと思うのですが、



民主主義という思想は文化であっても、選挙制度は文明になるでしょう。選挙システムは文明でしょう。


明治の文明開化には、憲法や国軍などの国の制度や、義務教育などの社会制度が含まれます。
それらも文明なのです。軍が文化ではおかしいでしょう。
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ブローデルの『文明の文法』という本の第一章には「語彙の変遷」と題して「文明」という言葉の定義が「文化」と対比しながら試みられています。



「文明(civilisation)と文化(cluture)。civilisation という語は、フランスから発してあっという間にヨーロッパをかけめぐった。それに同道したのが culture という語だった」(p.52 フェルナン・ブローデル『文明の文法 I 世界史講義』 松本雅弘訳 みすず書房)

日本語で「文明」と訳されている "civilisation" というフランス語が登場したのは比較的遅く18世紀のことで、印刷物に公式に登場したのは1756年、経済学者ヴィクトール・ミラボーの『人口論』です。

それに対して「文化」に当たる "culture" という語はギリシャ時代からあり、キケロの『トゥムスクルム叢談』には「哲学は魂の涵養(cultura)である」という使い方をされています。それが意味を変え、"civilisation"とほぼ同様の意味を持つものとなっていきました。

ところが時代が下るとともに、二つの語を区別する必要が生じてきます。というのも "civilisation" という語は「精神的価値」と「物質的価値」という両方の概念を含んだ用語だからです。

マルクスのいう「上部構造」と「下部構造」、人間が作りだしたものの中でも、学問や芸術と、道路や港を区別したい、と、さまざまな人が考えるようになります。そこで"civilisation" と "culture" がふたつに分かれてきたのです。

「つまり、一方が精神的なるものの尊厳を担い、他方が物質的なるものの俗悪を担うというように区別したいという欲求は、そこから生まれてくる。不幸だったのは、どのように区別すればよいのかということについて一致を見なかったことである。そうした区別は国によって違うだろうし、それどころか、同じ国であっても、時代によって、著者によって、違うだろう」(p.33-34)

たとえばドイツでは「文明」は技術的知識とその実践を指すのに対し、「文化」は「精神」の役割を担い、はっきりとした区別をつける傾向にあります。一方、フランスやイギリス・アメリカではもう少し「文明」という語の意味合いは強く(そのためにそのちがいはあいまいで)、とくにフランスにあっては「文化」が「精神の生の個人的な全形式」であるのに対し、「文明」とは「集団的な諸価値をさす」ものであると考えられています。

一方、英語圏では、人類学者が未開社会を研究対象とするときに、「文明」とは異なる語が必要になってきた、という経緯があります。

「英語では、文明という語はふつう近代社会に関して用いられるからである。そこで彼らは、先進社会の「文明」と対立させて、原始「文化」というようになった。」(引用同)

以上のことをまとめると、
1.「文明」と「文化」という言葉は、「文明」という語が登場してきて以降しばらくは、ほぼ同じ意味であったが、その後、さまざまな局面で対義語として用いられるようになった。
2.その対義関係は、国、時代、人によって異なる。

さらに日本では「文化」も「文明」もともに明治時代に「訳語」として日本語になった新しい言葉ですが、このふたつが受け持つ領域のちがいは、ドイツの影響を強く受けていると言えるかもしれません。

ですから「科学文明」というときの「文明」が「物質的所産」をさし、「平安文化」というときの「文化」が「精神的所産」をさしている、というふうに考えるなら、「文明」と「文化」は対義関係にあると言えるでしょう。

この回答への補足

回答、ありがとうございます。
言葉の歴史的な文脈がよくわかりました。
個人的には「文化」と「文明」の言葉はうまく漢字を当てはめているなと感心するのですが、
言葉に囚われて、本質を見逃してしまう危険もありますね。
そんなとき、言葉の起源を辿ることの重要性は大いにあると思います。
二つの言葉は、civilize、cultivateから派生しているとすると、やはりニュアンスが違うように思えます。
civilizeは、教育という全体的なものの作用。
cultivateは、教養という個人的なものの作用と考えられるのではないでしょうか?
NO.6の回答にある
「文化と文明を対比させる文脈においては、
思想、芸術、習慣、情操などを文化、
道具、技術、制度、演算などを文明にしていると思います。」
というのも、そういった対立軸で説明できるのではないでしょうか?
とはいえ、市民化(civilization)と文明は、違う概念に思えますね。

参考
civilize
1〈民族などを〉文明化する,教化する.
2〈人などを〉洗練する; 礼儀正しくさせる.
cultivate
1
a〈土地を〉耕す,耕作する.
b〈栽培中の作物を〉中耕する.
2
a〈作物を〉栽培する.
b〈魚・カキなどを〉養殖する.
c〈細菌を〉培養する.
3
a〈才能・品性・習慣などを〉養う,磨く,洗練する.
b〈文学・技芸を〉修める,錬磨する.
c〈人を〉教化する,啓発する; 〈人に〉教養をつける.
d〈芸術・学術などを〉奨励する,〈…の〉発達に努める.
4
a〈知己・交際を〉求める,深める.
b〈人と〉親しくなろうとする,交際を求める.

補足日時:2011/09/24 23:37
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みなさんこの場を借りて、文化文明についての薀蓄を傾けているように見えますね。


"対義語が文明"にというからには、対義語がキーワードです。
質問者の質問の真意はどこにあるのでしょうか。気にせずに使った語でしょうか。
本音は聞いてみないとわからないのですが、これだけの回答に対して補足も礼もありません。
ご多忙なのかもしれませんが、"困ってます"というにしては、3日間も経っていますね。どうなっているのでしょうか。

回答を一通り拝読してみると、
ANo.5氏とANo.9氏の回答(as of 20:09 2011/09/24)が、文化文明論に没せず、この質問への回答としては正鵠を射ているような感じがします。
なぜならば、文化と文明を対義語として単純に受け入れず、対義語とする場合の観点に、客観的ないしは意図的に触れているからです。
外野ばかりが持論を展開しても無駄なので、質問者の反応があるまで放置したらいかがでしょうか。

*見ていて歯がゆさを抑えられずに横から割り込みでした、
             気に障られたらご恕しください。
因みに、この質問の課題については、私は誰のどのような"意図"の設問に答えるかで、回答は異なります。そうでないと真意が伝わらないからです。
学校の試験ならば先生の言うとおりに答えます。持論を述べよであれば、思うところを述べます。
これはかように正解のない課題です。質問の仕方から教えるのが本当の回答であり親切と考えます。

この回答への補足

返答が遅くなって、申し訳ありません。
質問の意図は、「文化」と「文明」の対立軸がどこにあるのかを知りたいということです。
質問のきっかけは、人類学で二つが対立概念として扱われていることを知ったことにあるのですが、
もう少し広い意見をお聞きしたくて、あえて抽象的な質問をしました。
NO.1、NO.2、No.9の回答を読んで、未開社会の視点に立てば、文明と文化が対立することがわかりました。
でも、個人的にはもう少しこの問題を深めたいと考えています。
No.6の回答にある相互関係の中で対立軸があるとしたら何か?
個人的には、「静的=結果=文明⇔文化=原因=動的」と大雑把に解釈していますが、
新しい意見がありましたら教えてください。

補足日時:2011/09/24 23:03
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