プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

相談させて頂きます。

数年前にうつ病で病院に行ったところ、広汎性発達障害であると診断されました(確定されたのはここ最近のことです)。たしかに子供の頃から人とはズレているという認識があったり、空気が読めず排除のターゲットにされたりと自覚できる点がありましたが、調べていくうちに自分はこの世に生きていく資格はないのではないかという恐怖に襲われてしまいました。

というのも、広汎性に限らず発達障害は他人の考えを読めない(苦手とする)のでコミュニケーションをとるのが難しく、今現在自分がそうであるようにリストラされてまともな仕事も就けず、社会の歯車として機能できないので、憲法で定められた「勤労の義務」に真っ向から反して(しまって)いる以上、自分は不良品の歯車であるかのような錯覚(現実?)を覚えてしまっています。

不安になる要因はまだあります。収入がほとんどないので家族もできないのではないかということです。女性が男性に求めるのは経済力のようですが、とうぜんながら自分のような発達障害者には経済力が期待できないのでまず叶えられません。
さらに、遺伝的要因で子供に自分の不良遺伝子を伝えてしまう可能性が高く、結婚もハイリスク行為ではないか、そもそも結婚とは家と家との結びつきでもあり、障害者であるということで拒絶されてしまうのではないかとか、その拒絶にもある程度の正当性があることなどから、一生孤独に過ごすしかないのかな…と悲観的になってしまいます。仮にできたとしても熟年離婚で捨てられそうなので…

…結婚に躍起になってしまっているのは、某番組で孤独死を知ってしまったからだと思います。誰にも看取られず、助けを呼んでも孤独なのでその声も届かない、苦しみながら死んでいくことのに、自分がここにいたということを示す印も残せない。しかし対策をしようにも障害のせいでうまくいかず、そもそも幼年期からの療育をしなければ間に合わないことを知ってしまったため、まともな療育を受けられなかった自分は24歳にしてすでに人生の「詰み」になっているのではないか思っています。

社会の歯車にもなれない、結婚もできないししてもハイリスク、矯正しようにも手遅れ、いったいなんで自分は生きているのでしょう?私の価値とは一体なんなのでしょう?最近、自分は外国の昆虫が生態系を荒らす「外来種」の一種ではないかという思い込み?が強まっています。ブラックバスみたいに在来種を駆逐できるのも問題ですが、今の日本社会の現状では淘汰されてしまうのでは…と生きる資格や価値を見出すことができなくなってしまいました。

一体どうすれば生きる価値や目的を見出すことができるのでしょうか?自分で見つける、とはよく言われることですが、理詰めで考えていくうちにもう見出すことができなくなってしまいました…

A 回答 (28件中1~10件)

どうも。

#4です。

あと13日で、質問されてから1年になりますね。

ウツの症状は、どうですか? お礼の文章を読む限り、あまりネガティブな思考は変わられていないようですが、行動としては「減薬」や「仕事」(不本意な仕事内容でしょうが)に取り組め、医者にも過大な期待を抱かないようになっておられるように思います。

ただ、質問されている内容には「何も役立つ回答になっていない」との思いもあるので、一旦、ここで私は回答を打ち切ろうと考えています。ごめんなさい。

>「物作り」という分野には興味がある一方で、「これずっと続けて大丈夫なのだろうか?」という疑問や不安が常につきまとってしまう悪癖ができてしまっています。

それは誰でも心の奥底に持っている思いです。ただ、口にしないだけ。
「本当に自分はこの道でよかったのか?」「もっと違う仕事を選べば…」「あのまま夢をあきらめなければ…」
ただ、漫然と生きていくために働くのも一生ですし、好きな仕事に打ち込んで生活がきつきつで働くのも一生です。
成功や達成感を約束されている仕事はありません。成功や達成感を期待して努力するだけです。

>スパナ一筋30年、事務一筋20年、一見すると耳触りのよいフレーズですが「じゃあその工場や会社が倒産しちゃったりしたらどうするの?その歳で」と頭の中でツッコミが出てしまい、そのツッコミを「なんでやねん!」と返せないまま悩んでいます

だから、職人は倒産しないように経営のしっかりした人(社長)についていっているんですよ。
自分の苦手な部分は、得意とする人が必ずいるのですから、そういう人を引き当てるのも運でしょうね。
そして、長い年月、同じ仕事を行っている「経験」や「知識」は「経営しか出来ない人」にとっては、宝物ですから、自然に寄ってきて「引き抜き」なんてこともあるのでしょう。

>他の人にこれを聞くと考えすぎ!とか働いている人に失礼だと思わないの!?とお決まりの答えが帰ってくるので払拭には至りません

確かに。そう言った発言をする方もいますね。そう言って会話を打ち切る人は、多分、考えたくないんでしょうね。不安になるから。^~^;

>>「障がい者枠」での「能力開発校」
>今なお障害者手帳をもつことができないです。

それは残念ですね。お礼文を読む限り「知的障がい」はないと判断できますから「精神疾患」での手帳所得が残されているぐらいでしょうか。

また、新しい回答者が現れることを祈っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>ウツの症状は、どうですか? お礼の文章を読む限り・・・
どんなに頭を抱えても生きていくにはお金が必要なので、否が応でも「現実」に生きなきゃいけないという自覚はあります。でもそれは「やむを得ず」「世間体的に」という半強制的なものであって、「何かをやりたいから」などというポジティブ思考に基づいたものじゃないんですね。それが「欲しい物があるから」とか「好きな子と結婚したいから」「息子のためだから」などといった基本的なものでもないんですね。 そういったリスクを許容しながらも生きていくのが社会人ですが、それをずっとやっていけるかと聞かれると自信をもって「ない!」と言い切れる心境です。

>>「これずっと続けて大丈夫なのだろうか?」
>それは誰でも心の奥底に持っている思いです。
>>「じゃあその工場や会社が倒産しちゃったりしたらどうするの?その歳で」
>だから、職人は倒産しないように経営のしっかりした人(社長)についていっているんですよ。
最近ではシャープの工場が閉鎖される、パナソニックのリストラが始まるなど、経営がしっかりしている(と思われる)大きい会社での切り捨てが始まっています。不況だから仕方ないといえば簡単ですが、激しい競争を勝ち抜いて入社したのに足元をすくわれる現実をみると、やっぱり「これずっと続けて大丈夫なのだろうか?」という疑念を払拭できないんですね。
今のこの時代においてこの「寄らば大樹の陰」まんまな思考では必ず破綻する、しかし一人で生きていくこと(独立業など)なんてできるの?というのも難しい・・・です。


>「本当に自分はこの道でよかったのか?」「もっと違う仕事を選べば…」「あのまま夢をあきらめなければ…」
> 成功や達成感を約束されている仕事はありません。成功や達成感を期待して努力するだけです。
自分としては「この道を選んだんだったら行くしかないね。人生強制スクロールだから戻れないし後悔先立たずだしね」と割りきっています・・・が、今となってはどの道を選んでいても今みたいな状態に陥っているんじゃないか?という疑念が頭の中にあります。 
最初の辺りに戻ってしまいますが、テンプル・グランディン氏も小さい頃から理解者を得て先進的な教育かそれに近しいものを受けていますが、もし受けられなければ今の自分みたいに社会につまづいていたんじゃないかな、と天邪鬼に考えてしまいます。かといって私がその先進的な教育なるものを受けていれば功績残しているよね?と言われたら・・・やっぱり難しいですorz


>「精神疾患」での手帳所得が残されているぐらいでしょうか。
そっちも「ダメ!」と断られています。これは住んでいる市だけでなく医者からもです。なぜかといえばこのFAQの最初辺りで述べたように「再就職したいなら持たない方がいい。偏見を持たれてかえって難しくなる」とのことでした。そんなバカなとは思いましたが・・・以前参加していた愚痴り合いの自助会において、苦労して精神障害の手帳を手に入れたのに、障害者雇用は身体障害者の方が優先されて結局出来なかった、という体験談を聞いてからは、やっぱり現実は精神に異常のある人間には厳しいのだな、と改めて思い知らされたからです。
確かに相手(雇う側)から考えれば同じ障害者ならコミュニケーションが円滑に取れる方(身体障害者)を選ぶなぁ・・・と考えてしまいます。じゃあいまの自分はコミュニケーションが取れるかどうかと言われたら、明らかに難しい方に分類されるので、それなら医者や市の言うとおりに持たないほうが現実に即しているのかなと思ってしまいます。何だか口車に乗せられているような気もしますがorz



以前の回答でも述べましたが、やはり禅問答みたいになってしまいましたね。申し訳ありませんorz
けっこう長い間のやり取りでも口を入れてくれる人があまりいなかったので、おそらくもう来ないものだと思います。仕切りなおしなり何なりでこちらも区切りを入れたほうがいいのかもしれません。

・・・長い間お付き合いいただきありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/10/06 01:06

#4です。

お久しぶりです。

>減薬中ですが、やっと吐き気が出なくなりました。

お薬、減らしているんですね。よかった。では、主治医とも信頼関係を結べそうですか?

>>「看守と囚人」
>スタンフォードの監獄実験のあれですよね。

はい。そうです。

>当初は若さ故の過ちなのかと思いましたが、歳を重ねてからも度々この手の排除行動を見てきたり、かくいう自分もその排除の標的にされため、「頭のオカシイ人間はいかなる手段をもってしてでも排除するのが社会の損失を抑えられる正しい行為?」という嫌な価値観ができています。
>問題なのは内容の善悪問わずにその社会に適応ができない、つまり疑問を持ったり改革しようとするような社会の破壊につながる行動を取るのは明らかに空気を読んでいない行為そのものであり、口や圧力で言ってもわからない「異分子」、つまり排除されてしまうのではないでしょうか。

私は「異分子」を排除してしまう集団は、幼い集団だと思うのですが、いかがでしょうか?
「異分子」を「理解できないもの」として、なんら知ろうともせず、単純に排除するのは、子どもの行動です。
成熟した集団ならば、何故「異分子」となってしまうのか「その人が集団になじめないポイント」を検討し、何らかの条件を付加することで「その人がなじめるように」しようと考えます。全てが、うまくいくわけではありませんが、その努力は行います。

具体的な例で言えば「自立支援法」がその一つかと。
これまで「障がい」を理由に雇用されなった人たちを、様々な支援を行うことで雇用につなげていく試みだと思うのですが。まぁ、道はなかなか遠いのですが。

>どれだけきれい事を言っても、職業というものは色々な見地から評価され、結果優劣や上下の区別や差別が生じてしまっているからです

確かに。人は評価しますね。それも「自分の経験を基準に」して。
あまり「肉体労働」に触れたことない人ほど「肉体労働」=「低い仕事」と言うようには思います。
だからと言って、それが万人の価値観かと言うと、違うと思うのですが。

>記事はアメリカの事例なのでここは日本だここは日本だと言い聞かせてはいるのですが。

アメリカは資本主義至上ですから。でも、そのアメリカでもそれとは違う価値観を思っている人はいます。

>>現実ならば「悪いこと」でも受け入れるのですか?
>何をもって悪いこととするか難しいです。「言わなくてもいいこと」や「お世辞」などはともかく、「赤信号皆で渡れば怖くない」に続こうという現実に直面したら…

ちょっと私の書き方が悪かったですね。すみません。
「現実ならば、あなたが気分が悪くなる価値観やあなたを苦しめてしまう価値観に賛同して、受け入れるのですか?」と言う意味で書きたかったのです。

>貴賤は人が作っているものであり、自分もその一人であるということ

など、あなたが「嫌な価値観」であると思うのならば、受け入れる必要はないのではないでしょうか?
誰かが「それは常識だよ」といっても、あなた自身を否定してしまう価値観など「くそくらえ!」と拒否していいと思うのですが。

>>肉体労働はなり手も少ないので、収入は良いですよ
>いったい何の職業を指しているのか、その収入とはどのぐらいなのか、なぜ収入がいいのになり手がいないのか

大工・左官業・内装業・鉄骨業など土木建築関係です。
まず「なり手が少ない」のは「肉体労働で体力が要る」「専門的な知識が必要」「長い徒弟制度で雇用される」「職人気質で、言葉遣いも乱暴」などでしょうか?
実際、収入は大工ならば1日の日当が初心者でも1万円前後(地域により開きがあります)経験者で独り立ちしていれば3万円、親方ならば5万円です。天候には左右されますが「腕がいい」と評判が上がれば、仕事の口は減りません。そして、若くなくなっても、ずっと仕事をしていれば、それなりの体力は維持できますし、経験から力の抜きどころもわかってきます。
実際に60歳を過ぎているのに「若い者には任せていられない」と棟上式で柱の上に上がってしまう大工さんを知っています。回りは「やめて」と止めていますが。^^;

>儲かるなら他人に教えないで独り占めすればいいのに、なんで競争相手を増やして自分の首を絞めるような真似をするの?自分の取り分を用意するならともかく…

それは集団で行う仕事だからです。個人単独では、内装業でも時間ばかりかかって効率が悪くなるからです。それと、仕事を請けた人は「親方」となるので、取り分は多いですよ。

>回復力が優れている若いうちはまだいいでしょうが、身体にガタがくる「その先」を考えると

その為に「経験」と「知識」がものを言うようになるのです。またそれを生かして「資格」を取る道もあります。

>なぜこれだけ忌避に近い感情を抱いているのか、中学校時代に腰を壊して歩けなくなった経験から身体が思うように動かない辛さを既に身にしみて知っているため

そこまで「嫌」ならば、誰も勧めないでしょう。いらぬアドバイスでした。

>後に求職者支援制度があることも知りましたが、これをやると今の仕事をやめなければならないし更に家に入れるお金もなくなってまた「無能」「穀潰し」呼ばわりされてしまう…かといって専門校も考えても、周囲が「お前にかける金なんてない。どうしても行きたければ自分で稼いでいけ」と突っぱねてしまう(だからいま働いているのですが、家に入れるお金や通院費、税金を差っ引いてしまうと手元に残らないため結局通えない)のでどうも泥沼にはまってしまっているみたいです。

本当に、負の連鎖ですね。「障がい者枠」での「能力開発校」を受験できるのならば、多少の給金もあるので、あなたの資格獲得には適しているのでしょうが。

>今現在確定しているのは「注意力がなさすぎる」という事実だけなので長所や利点は何なのか、どう活かせばいいのかがさっぱりわからない状態なのですねorz

ふむ。それは困りましたね。ただ、以前検査を受けた時から1年以上あいていれば、もう1度検査を受けることはできます。あなたが信頼できる病院で検査を希望されてはいかがですか?

>点数を当事者に伝えるというのは実はいけないことだったりするのでしょうか?

いいえ。本人ならば、知る権利はあります。法律に触れたりもしません。
ただ、数字と言うのは受け取り手によって、かなり誤解を与えるものですから「数字だけを知らせない。診断結果やアドバイスを添える」ようにするだけです。

かく言う私も、数日前にここでの他の方への回答で、この数字について「いい加減なこと」を書いてしまい、他の回答者の方にしかられています。^^;

>疑問に思ったのでハローワークや転職サイトなどの適職診断をしてきたのですが、出てくる適職が「介護職」や「クリエイター」ばかりでした。

適職検査をされたのですね。^^
「介護職」はあなたの言うように生き残るためには、厳しいでしょう。でも、決して先細りではありませんよ。年寄りはどんどん増えていますので。

>もう一つのクリエイターは興味はあっても、かつて就いていた仕事がまさにそれでした
>実際にその発想力を活かそうにもアイデアを具体的な形にしたりする実行力や、周りを説得したり納得させるコミュニケーション能力があって成り立つものじゃないの?

「クリエーター」にも職人的な分野もあります。以前と違う分野の「物つくり」はいかがですか?
靴・鞄・ガラス工芸・染色など、色々ありますよね。その場合、どこかの会社に入って、製作者になるだけです。実際、そこでの仕事は「発想」よりも「正確さ」が問われるかもしれませんが。

>なんだか「頑張りたくない言い訳」を羅列しているみたいですごく自己嫌悪してしまいますorz

それだけ、とことん疲れているんですよ。あまり、無理せず、ぼちぼちと。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。


>では、主治医とも信頼関係を結べそうですか?
>あなたが信頼できる病院で検査を希望されてはいかがですか?
残念ながら小さなクリニックなので専門的なところまでは踏み込めないのが現状です。「そういうのはもっと大きい病院じゃないと難しい」とのことなので、おんぶにだっことまではいかないみたいです。では大きい病院はというとどこもかしこも「他所をあたってね」「元の病院のほうがいいよ」「うちは中学生までが対象だから」とのことで結局県内で行ける範囲内には対象となる病院は無さそうですorz
かといって県外となると、働き始めたのがネックになってしまったせいで時間に融通が利かなくなってしまい…


>でも、決して先細りではありませんよ。年寄りはどんどん増えていますので。
さすがにこれはどうかなとは思います。今増えている老人は団塊の世代です。このため"当面は"医療や介護に需要が伸びていくでしょう。しかし問題が表面化してくるのは、その団塊の世代が寿命を迎えるであろう20年後です。業界最大の顧客たる老人は寿命を迎えていなくなってしまうので、一気に空洞化してしまうわけです。こればかりはどうあがいても避けられない、絶対に訪れる未来です。老人がいなくなれば顧客がいなくなるわけなので、需要も減ります。そうなると現在年間約8万人ペースで増えている介護士は供給過多になります。そもそもこの増加ペースも現在の不況の職目当てと介護特需に対応するために生じた「歪み」なので、需要が減るなり歪みが是正されれば破綻するのはほぼ確実です。
今でさえ介護保険は闇や矛盾(低すぎる給与や不払い、横行する違法行為)を抱え、その負担も大きくヒイヒイ言っている市町村が、これを切欠に切り詰めをするのはまず確実でしょう。仕事柄キャリアアップや転職も難しく(手に職のたぐいではないので潰しが利かない)、貯蓄もできないのでリストラされたら…総括すると介護業界に活気があるのは今だけの話であって、実は破滅が約束されたお先真っ暗な業界なのでは?という結論を出さざるをえないんですね。説明していただいた建設業ならばともかく、どうも未来に展望が見出せないのです。20年という数字も「うまく持ちこたえれば」と仮定したものであり、実際には顧客が減り始めるであろう10年~15年後ぐらいからその兆候が見え始めるものだと思います。


>土木建築関係
詳しく説明していただいてありがとうございます。ただやっぱり私の性分には合っていないみたいです。今現在働いている倉庫と(だいたい)通じるところがあるので、どうも「やりたい」とか「続けていけそう」という確信を得られないみたいです。屁理屈人間なので「つべこべ言ってねえで手を動かせ!」と怒鳴られる光景が容易に想像できてしまい…紹介していただいたのに申し訳ありませんorz


>私は「異分子」を排除してしまう集団は、幼い集団だと思うのですが、いかがでしょうか?
最近では発達障害なので懲役を伸ばしたというニュースや、サイコテストなるもの(http://megalodon.jp/2012-0704-2206-25/www.psycho …)も出てきたり、「育て方の問題」という発言なんかがあったように、どうも世間は「異分子」や「ゾンビのような危険生物」扱いしているようにしか見えないんですよね。 この手のすごく嫌な情報が、半年おきにやってくるだけでもキツイのに、短期間で立て続けに情報が流れてくるものなので尚更です。まるで「まだわからないのか。これがお前たちに対する世間の評価だ。甘言に耳を傾けないでいい加減受け入れろ」と言わんばかりですし、ここまで揃うと回答者様のおっしゃる「幼い集団だと思う」という言葉を社会が全力疾走で突っ走っているようにしか見えないんですね。しかもそれを決めているのが私よりも財力や地位、実績が高い人です。偉ければすべてが正しいのである、とは思いませんが、だからといって間違ったことを否定し撤回に持ち込むまでのことができません。 何でこんなのあるの?と聞くわけではありませんが、「需要がある、必要だからある」とか「理解された上で発達障害者は社会にとって危険であり不要であるという判断が下されている」と考えてしまうんですね。


>何らかの条件を付加することで「その人がなじめるように」しようと考えます。
うーん・・・最近は社会に余力がほとんど残ってないので「カネがかかるものは、切り詰めやすいところから切り詰めろ」「使えない社員は辞めさせろ」という効率主義をもうヤダというほど感じてしまうんですよね。今働いているアルバイト先も使えないと見做された人は老若男女問わず減給なり解雇なりの措置がバンバン行われているので、楽観視や明るい展望を見出せないんですね。
例に挙げてくださった自立支援法も「カネがないからこれ以上お前たちにかけてやる余力がない。俺達も余裕がないんだ。法律を整えてやったから、どうにかこれでうまいことやってくれ」感がヒシヒシと感じてしまうんです。自分の周囲にも「俺達が苦労しているのにあいつらときたら…」という陰口を叩く人ばかりだったり、以前の病院での「あの」医者の「あの障がい者の人とおんなじで同情心買って生きているだけにしか僕には見えないんだよね」という発言が世間の本音なのかな、と考えてしまうんです。法律の趣旨は理解も納得もできますが、しかし現実は大反対している障害者の人がたくさんいる…それに対して周囲の答えは上述の通り怨嗟の声をいう人ばかりで…私の周りだけなのでしょうか?


>現実ならば、あなたが気分が悪くなる価値観やあなたを苦しめてしまう価値観に賛同して…
良きにしろ悪しきにしろその価値観を作っているのが「社会に適応している大多数の人間」なのですよね…否定しようにも実績がないのでできず、多くの人間によって構築された社会の「常識」ゆえに多数決で覆すこともできません。かといって拒絶すればそれは周囲から見れば交通ルールを守らない暴走族か、あるいは映画の砂漠シーンでジュースが飲みたいとダダこねるヒロイン(古い例えですが)と同列視されるわけなので然るべき措置(村八分、解雇など)を受けてしまう…消去法で考えていくと生きていくにはイヤな価値観を受け入れなければならない選択肢しか残らないような気がするんです。
社会に出て働くということは自身を押し殺して我慢しなきゃいけないわけで、それができなければ周囲からワガママ!とか特別視するな!とか色々と叩かれてしまうんですよね。前職の解雇の一因となった電話応対の不備もできるだけ努力(電話帳リストの作成やメモや応対のテンプレート化)をしたにもかかわらず、「応対がまったくダメ」「君だけ電話に出ないというのは後から入ってくる社員のためにならない」と不備を並べられて叩きのめされてしまいました。何が言いたいのかというと、気分が悪くなる価値観というのはどこにでもあるものであり、社会にでる以上許容しなければならないものである…と思ってしまうんです。それを「くそくらえ!」と思っても、それは単なる癇癪じゃないのかな?と思ってしまう次第です。


>物つくり
この「物作り」という分野には興味がある一方で、「これずっと続けて大丈夫なのだろうか?」という疑問や不安が常につきまとってしまう悪癖ができてしまっています。 ほとんどの製造業が機械や外国で事足りてしまうのに、わざわざ日本で手作業で作り続けていくのは費用対効果が悪いし、いずれ前二者に取って代わられるんじゃないの?という余計な考えをしてしまうんですね。 たしかに日本製は魅力、しかしこの不況下では削れるところから削ろうという効率主義と、高級志向の共存は難しいので(すごく大事な部品が必要!みたいなニッチな分野はともかく)、介護業界ほどではないけど先細りしてしまうんじゃないのかな?と悲観論を出してしまうんですねorz
スパナ一筋30年、事務一筋20年、一見すると耳触りのよいフレーズですが「じゃあその工場や会社が倒産しちゃったりしたらどうするの?その歳で」と頭の中でツッコミが出てしまい、そのツッコミを「なんでやねん!」と返せないまま悩んでいます(他の人にこれを聞くと考えすぎ!とか働いている人に失礼だと思わないの!?とお決まりの答えが帰ってくるので払拭には至りません)。 繰り返してしまいますが、この手のネガティブ思考が生まれてくるのは、小さい頃から工場や職場が倒産したり解雇されたりして路頭に迷う人をたくさん見てしまったため、終身雇用に頼る生き方はもう通じないんじゃないかな?と思っちゃうんですorz

>「障がい者枠」での「能力開発校」
今なお障害者手帳をもつことができないです。市がけちっているのかどうかは定かではありませんが、いずれにせよ健常者として頑張らないといけないみたいです。
ただそれ以上に私の中で「脳みそが異常だということがわかっただろう。治しようがないし、これまで色々やってきたけどどれも拒絶されたり追い出されたりで大失敗ばかりだったじゃないか。成功した試しや得たものはあるか?ないだろう。徒労ぐらいしかないじゃないか。このようにいかなる努力も無駄に終わるから取り返しはもうつかない。諦めろ。この先お前の人生はもう消化試合だ。周りが幸せに人生を謳歌しているのを指をくわえるしかない。それがイヤなら自殺を…」という諦めの感情がよぎっているので、どうもやる気や気合いが沸かないみたいですorz


この「疲れている」という考えも甘ったれなのでは…と悩んでいます。ありがとうございました。

お礼日時:2012/09/05 22:42

#4です。

お久しぶりです。

>結構時間が経っていたんですね…

そうですね。私も半年以上続く、やり取りは初めてです。^^;

>セーフティパーソン
>今の子供たちは非常に恵まれているんですね…と思いました。

そうですね。今、40代の人たちが子どものころに比べたら、見てくれる病院も症状を緩和する薬も増えましたしね。ただ、地域差はまだまだ圧倒的にありそうですよ。地方から医療施設の整った都会に出てくる親子も後を絶ちませんので。

>>病院を変えるべき?
>支援センターの紹介を通じて病院を変えてみましたが、
>その割には大人の発達障害を見てくれる病院として紹介されている…

困ったものですね。もし、あなたの状況が許すのならば、他県への転居も考えに入れてもいいのかもしれませんね。ただ、あまりお勧めはできません。「引っ越し」はかなりのストレスになりますから。

>健常者という存在が幾多の顔を器用に使いまわす妖怪の類に見えてしまいます。

それは「健常者」と言うのではなく「利益を追求するだけの企業」だからでは?
確かに、企業で働いているのは人ですが、人は「会社員」と言う名前を与えられると個人の善良性はどこかに置き忘れるようなので。心理実験で「看守と囚人」と言う物を聞いたことがあります。
人間の怖さを物語る実験です。

>とりあえず今は薬だけ出してくれる病院に減薬することになりました。ただ最後に言われた「逃げるのか。だったらもう来るな。いい加減にしろよ!」という医者の言葉が非常に心に刺さっているのですが…

つらいですね。その医師は何故にそこまで「むごい言葉」を吐けるのでしょうね。
でも、お薬が減るのはいいことですね。

>義務はないので、あまり関わらないのがいいのかもしれません…

そうですね。それが一番賢明な方法でしょう。

>>「接客業や営業職」が偉くて、肉体労働系は偉くないのでしょうか?
>学歴や年収でその人を見下したりする現実があるように、貴賤は人が作っているものであり、自分もその一人であるということを思い知りました。

う~ん。「人を見下すこと」は「いいこと」なのでしょうか? 現実ならば「悪いこと」でも受け入れるのですか?

「見下されたくない」から「人に言えないような職業にはつきたくない」と言うのはわかりますが、「人に言えない職業」が「肉体労働系」となる部分が、何ともよくわかりません。実際、年収でいえば「接客業や営業職」はかなり低い部類に入ります。肉体労働はなり手も少ないので、収入は良いですよ。

あなた自身が「肉体労働系に向かない」として、「ボイラーの資格」を避けるのならばわかります。

そうではなく
>>>「もうその職種は無理だ。大人しくボイラー(資格)取れ」とボコスカに言われてしまい、
とあったので、その発言をした人も「ボイラーの資格」が「低い資格」だと言っているように感じますし、あなた自身もその発言を「ボコスカ」と表現することで、同意しているように感じたのですが、いかがでしょう?

>食わず嫌いはいけないんじゃないかと思い今年(1月からですが)に入ってから倉庫内のアルバイトをしていましたが…やはり肉体労働系は性分に合わないようです。

素晴らしいじゃないですか。経験した上で「倉庫内のアルバイトは、自分には向かない」と判断できたのですから。ただ「倉庫内のアルバイト」=「肉体労働全て」ではないですよね。

>頭脳労働か職人系などの技術系にいくしかないのではないか、そこから得意分野を見つければよいではないかとおもいますが、いかんせん今の私が筋金入りのクセモノであるためにたとえ適職があったとしても会社から叩き出されるのでは…と希望をもつには至っていません。

技術系ならば「即、就職」ではなく「専門学校」「訓練校」などもあります。まず、そこで基礎的な素養を身に着けるのも一つの手ではあります。その為にはハローワークで「適職検査」を受けてみてもいいかもしれませんよ?

>(仮に)自分の娘が将来キャバクラ嬢になりたい!とでも言い出したら

それは私も反対します。理由はあなたとは違い、水商売は天性の感覚が必要で、なおかつ「人にだまされない」だけの度胸と才覚が必要だと考えるからです。簡単に言えば「人を引き付けるだけの魅力があり、人の言葉に簡単に乗ってしまわない、脅しにも上手にすり抜ける」能力がいるということです。

>>発達障がいのメリット
>病院で行ったWAIS-IIIの結果もまったく教えてもらえませんでしたし(注意力がない、もっと注意深く行動しなさいとしか…)

何とも…お気の毒としか言いようがありません。それは、あなたの病院選びの運にです。
そんな「なさけないアドバイスしかできない心理士って!!」
発達障がいの人に役立てる為に発達検査をするのであって、レッテルを貼るためにするのではないのに!
その人が「何が得意で、何が苦手かを知り、苦手な部分をどういう風に得意な部分で補うのか」をアドバイスするのが、本来の心理士の仕事です。

>あれ実はないんじゃないか?と落ち込んでしまいます。考える人だと仰っていますが周囲からは「お前は口だけで逃げてばかりだな!」「うつで能力が下がっている?そんな台詞は年収300万以上稼いでから言うんだな!」と正論を突きつけられるので…

またまた、きついことを書きます。
全ての職業をあなたが熟知していると言えますか? 「ない」と思うのは「あなたが知っている職業に、あなたが魅力を感じている職業がない」と言うだけでは?
「うつ」ならば、まず症状を緩和させてから、適職検査を受けてみてはいかがでしょう?

体調がよくない時は、無理をせず、ぐっすりと睡眠をとるようにされた方が良いでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
減薬中ですが、やっと吐き気が出なくなりました。


>「看守と囚人」
隔離された世界で強制されるとどんな悪事もためらいなく実行できてしまうという、スタンフォードの監獄実験のあれですよね。似たような場面に遭遇したことがあります。中学生時代に知的障害者の同級生が教室に乱入してきた時、クラスメイトが総出で大ブーイングに物を投げて追い払おうとしたことがありました。当時の自分はそんなクラスメイトが恐ろしく見えてしまいました。たしかに彼は授業を妨害したり迷惑をかけている、だがそこまでやるか?異物を排除するのに手段は選ばなくてもいいのか?そりゃ確かに先生は頼りないからって…当初は若さ故の過ちなのかと思いましたが、歳を重ねてからも度々この手の排除行動を見てきたり、かくいう自分もその排除の標的にされため、「頭のオカシイ人間はいかなる手段をもってしてでも排除するのが社会の損失を抑えられる正しい行為?」という嫌な価値観ができています。
よくよく考えるとこの「閉鎖された社会」そのものは注目されるのが悪例であるだけで決して悪でもなんでもないと思います。問題なのは内容の善悪問わずにその社会に適応ができない、つまり疑問を持ったり改革しようとするような社会の破壊につながる行動を取るのは明らかに空気を読んでいない行為そのものであり、口や圧力で言ってもわからない「異分子」、つまり排除されてしまうのではないでしょうか。


>「倉庫内のアルバイト」=「肉体労働全て」ではないですよね。
この発言には頷けるものがありました。猛省する次第です。


>「人を見下すこと」は「いいこと」なのでしょうか?
良くないことだとはおもいますが受け入れたくはない、しかし…とはっきりした答えを出したくない心境にあります。どれだけきれい事を言っても、職業というものは色々な見地から評価され、結果優劣や上下の区別や差別が生じてしまっているからです(たとえば年収とか、あるいは結婚における相手家族の価値観やその後の生活とか、もしくはローンの申請などなど)。この記事(http://www.excite.co.jp/News/world_g/20110616/Po …)を読んでから、自分の中での考えはますます根深くなっているようです。記事はアメリカの事例なのでここは日本だここは日本だと言い聞かせてはいるのですが。


>現実ならば「悪いこと」でも受け入れるのですか?
何をもって悪いこととするか難しいです。「言わなくてもいいこと」や「お世辞」などはともかく、「赤信号皆で渡れば怖くない」に続こうという現実に直面したら…


>肉体労働はなり手も少ないので、収入は良いですよ
イマイチ同意しかねます。いったい何の職業を指しているのか、その収入とはどのぐらいなのか、なぜ収入がいいのになり手がいないのか、最初は「おお!」と思っても、いざ頭を冷やして考えると…屁理屈屋なので根拠を見出せないのです。 「儲かるなら他人に教えないで独り占めすればいいのに、なんで競争相手を増やして自分の首を絞めるような真似をするの?自分の取り分を用意するならともかく…」という疑問がまっさきに浮かびます。 考えられる原因はその職種(会社)が自転車操業である、天候や経済がモロに影響してくる水商売、あまりにも環境が悪すぎて定着しないので高給で繋ぎとめようとしている、ヤク●が返済で斡旋してくるマグロ漁船…などといった「曰くつき」ぐらいしか見出せません。
あと繰り返してしまいますが、私が肉体労働を避けているのは、「加齢」で体力が落ちて仕事ができなくなってしまったらどうすればいいのかという疑問があるからです。 回復力が優れている若いうちはまだいいでしょうが、身体にガタがくる「その先」を考えると・・・ケガと違って加齢は「もし」ではない、どうあがいても絶対に避けられない未来であるため、必ず行き詰まりを覚えてしまいます。 ケガなり何なりで体を壊してしまったら収入も途切れる、さらにそのケガの度合いも重症になりかねないなど、収入に対するリスクが大きすぎてあまりにも割に合わないのでは?と考えているからです。 実際今働いている現場も体を壊して辞めざるを得なくなった人がたくさんいますし(しかも現場の人は「あいつ辞めやがって!」と周りにあたる始末ですorz)、トドメに医師公認で「注意力がなさすぎる」となれば…今でさえ凡ミスを連発して自己評価と給料が下がっているというのに、ヘタしたら取り返しの付かない重大な事故を起こすかわかったものではない…おまけに外国人労働者がやってくるようになれば賃金格差の問題で問答無用で淘汰されるのでは…と考えるほど懸念点がいっぱい出てきてしまいます。
なぜこれだけ忌避に近い感情を抱いているのか、中学校時代に腰を壊して歩けなくなった経験から身体が思うように動かない辛さを既に身にしみて知っているため、「その時になったらその時考えればいいだろ」という楽観的な思考がどうしてもできなくなっているからみたいです。


>訓練校
失業直後に若年層を対象にしたコースの試験を受けてきましたが…何回やっても受かることができませんでした。点数は問題ない(らしい)のですが、どうも面接で落とされてしまうみたいです。そうこうしているうちに失業保険も切れてしまったため、どうも職業訓練はムリなんじゃないかと諦めています。後に求職者支援制度があることも知りましたが、これをやると今の仕事をやめなければならないし更に家に入れるお金もなくなってまた「無能」「穀潰し」呼ばわりされてしまう…かといって専門校も考えても、周囲が「お前にかける金なんてない。どうしても行きたければ自分で稼いでいけ」と突っぱねてしまう(だからいま働いているのですが、家に入れるお金や通院費、税金を差っ引いてしまうと手元に残らないため結局通えない)のでどうも泥沼にはまってしまっているみたいです。


>なさけないアドバイスしかできない心理士
そのアドバイスをして下さったのは、件の退職してしまった医師の方でした。
詳細を述べると、検査が終わってから心理士の方から「結果が出たらまた来てください」と言われたのですが、待てども待てども連絡が来ません。2ヶ月経ってからこちらから聞くと「いつでもいいから来てください」と医師から連絡があったことがありました。どうも心理士と医師とのあいだでの連携や情報の共有などがまったくできていないみたいでした。具体的な点数を教えてもらえばここで提示してアドバイスをいただけたかもしれませんが、「教えたところでわかるものじゃないでしょ?」「知ってどうするの?」と突っぱねられてしまったり、検査をしてくださった心理士の方も以後会うことなく退職されてしまったり、その後のSSTでも話題に上がらなかったり、かといって喧嘩別れしてしまった「あの」医師や病院にカルテを出してもらうと…今現在確定しているのは「注意力がなさすぎる」という事実だけなので長所や利点は何なのか、どう活かせばいいのかがさっぱりわからない状態なのですねorz
…ここまで書いて思ったのですが、点数を当事者に伝えるというのは実はいけないことだったりするのでしょうか?当初は病院が悪い!と思っても、いざ考えるとここみたいな場所で診断結果や点数などを開示したら法律か何かに抵触してしまうとか、当事者が絶望や思いあがったりしたりなどでその後の療育などに支障が生じるなどの理由で頑として言わなかったりするのでしょうか?


>全ての職業をあなたが熟知していると言えますか?
うーん・・・疑問に思ったのでハローワークや転職サイトなどの適職診断をしてきたのですが、出てくる適職が「介護職」や「クリエイター」ばかりでした。確かに介護職は需要は伸びているでしょうが、今でさえ薄給で、しかも年間8万人ペースで増えているうえ、、顧客が鬼籍に入る20年後には間違いなくリストラや倒産(ヘタしたら40代で無職に)、生き残りをかけた激しいシェア争い…一気に衰退化していくような気がしません。
もう一つのクリエイターは興味はあっても、かつて就いていた仕事がまさにそれでした。「あなたには他にはない発想力があります!それを活かせる仕事に就ければ能力を発揮できるでしょう」という触れ込みでしたが、実際にその発想力を活かそうにもアイデアを具体的な形にしたりする実行力や、周りを説得したり納得させるコミュニケーション能力があって成り立つものじゃないの?と素直に受け入れることができませんでした。能力や人間性を解雇というかたちで社会的に否定され、「何らかの発達障害(注意力がなさすぎる)」というかたちで医学的にもコミュニケーションに問題があるというお墨付きをもらってしまったため、また同じ事の繰り返し(2回解雇されていますorz)をしてしまいそうで、やってみよう!もう一度!という気合が沸かないですorz
そして周囲から「今の“単純な作業すら”ろくにできないくせに、“複雑な仕事”ができるわけがない!」と怒鳴られ、過去の経験からその内容を否定どころか実証してしまい、「あれ…実は適職なんてないんじゃないか?」という結論に至ったわけです…

なんだか「頑張りたくない言い訳」を羅列しているみたいですごく自己嫌悪してしまいますorz ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/04 00:03

#4です。

質問から7か月と少し、前回から1カ月ぐらいになりますね。

その間に主治医が変わり、服薬も増えたのですね。ちょっとつらいですね。

>推理小説のトリック解答や数学でいう途中式を書かないと計算式や答えもしくは公式に納得がいかないのと似たようなベクトルを感じるのです。

うちの生徒も、そのようです。ですので一般化しやすい課題をソーシャルスキルとして練習しています。ただ、これも細部にこだわりやすい子には不向きです。

>数学ならばある程度の途中式を書いた計算練習をすれば公式に納得していずれは省略して問題も解くことができるようになりますが(理論の受け入れ)…コミュニケーション(相手との会話)となると無数の公式パターンが生じる

全くその通りで、上記の生徒の中にも小さな違いが「明らかな相違」として一般化できない子がいます。
その子の場合は、母親(大変理知的で忍耐強い方です)と担任が彼の疑問や失敗に対してソーシャルストーリーを作成し、彼の理解の助けに入っています。(いわゆるセーフティパーソンです)

>>「障がいに理解」はあっても「障がい者に甘い」訳ではありません。
>ただその人ではありませんが入社条件をクリアするために資格までとってがんばったのに真っ先に解雇された、もうダメだorz という方もいたので「障がい者に甘い」と「障がい者に理解」の境界線はいったいどこで線引きされているのだろうか…と考えてしまうことがあります。

きついことを書きます。
その人が取った資格はその職業で最低条件の資格だったのでは? その職業に就く上でプラスになる資格を持つ優秀な人ならば解雇には至らないでしょう。または、資格をの有利さを上回るデメリットがその人の特性に合ったとか。(販売業務なのに声が小さいとか)

私見ですが「障害者に理解がある」と言うのは、その障害からくる不利益に対して配慮を行うことを言うのであって(具体的にいえば、ジョブコーチをつけるとか、手話ができる聴覚障害のない人を一緒に雇うとか)「この人は障がい者だから、ミスをしても仕方がない」「生産率か低くても仕方がない」とかではないでしょう。

実際に私の勤める支援学校には、教員や実習助手として聴覚障がい者や視覚障がい者がいます。会議の場合、資料の提示の仕方や手話通訳(同じ教員から)を配置します。それでも、彼らには「聞こえないから」「見えないから」と言う理由による仕事の軽減はありません。配慮はありますがね。

>本音と建前をうまく使いこなせない自分は愛すべき人間以前に、いかなる善人や仏ですらも怒らせ、人間関係を破壊する社会の有害生物(ブラックバス)ではないだろうか…と理解すればするほど自己嫌悪してしまいます。

本音と建前をうまく使いこなさなければ働けない職場は、確かに多いですね。(接客業や営業職など一般的な職業)
でも、そんな職場ばかりではありません。専門職や農業・漁業など第1次産業、大工・左官業など第2次産業など、人間関係よりも忍耐力や細部へのこだわりが重視される職業はあります。またそれらの職業では、若さや体力が大きなメリットです。

無理をして自分の苦手な分野で職を探すのは、何故でしょうか?
自分の得意な分野または苦手でない分野で職を探した方が、楽しいし続くのではないですか?

>「もうその職種は無理だ。大人しくボイラー(資格)取れ」とボコスカに言われてしまい、

ボイラーの資格はあなたにとって「低い資格」なのでしょうか?
「接客業や営業職」が偉くて、肉体労働系は偉くないのでしょうか?

多分、ここがあなたにとっての大きなキーポイントになるのだと思います。

>ただ今は自身が広汎性発達障害という自覚をもってしまったため、今までみたいな受け答えができる自信がどうしてもわかないんですね。
>どうしても発達障害としてのメリットが見出せずにいるからだと思います。

発達障がいのメリットについて助言をもらっても、実際にあなた自身の利点であるかないかはわからないので、あまり有用な助言にならないと思います。
ただ、メリットと言えば「僕の場合は、こう感じます。考えます」と「発達障がい者の一つの視点」を示すことはできるでしょう。それを武器として使うか、使わないかは、あなたがなりたい職業によって変わります。

先日、車いすの青年が起業した事をニュースで見ました。それによると彼は「公共機関への車いす利用者の視点でのアドバイス」に重点を置いたコンサルタント業を大学の仲間と立ち上げたそうです。彼のやり方は一つの方法です。誰もがそうできるわけではありません。

また、他のニュースでは「脳性まひの車いすの男性がケーキ屋さんをしている」と言うのがありました。彼の場合は「レシピを彼が考えて、別の人に作ってもらい、彼が街中で販売を行う」というもので「街中で目立つ彼が広告塔となる」方法です。これに似たやり方で、私が知る車いすの男性は大変口がたつので、自分が広報係として作業所を運営しています。

>「君は治す気がないから治すことは難しい」「前の人(担当医)も君に対して「もう限界」って言っていたんだよ。治す気がないからすごく悩んで辞めちゃったんだ。申し訳ないと思わないの?」「●●さん(件のセラピスト)が怒るのもわかるよ」「君は屁理屈で頑固だからセラピストたちが入れたくないと言っている。なんでそれがわかんないのかなぁ?」「障がいを建前にして自分の怠けぶりから逃げているだけ。あの障がい者の人とおんなじで同情心買って生きているだけにしか僕には見えないんだよね。それがいつまでも通用すると思ったら大間違いだぞ!」「他の病院に行きたければそれでいいよ。だけど自分で探してね。だけど同じ事の繰り返しになるだけかもしれないからムダだと思うけどね」

ひどいですね。
私ならばそんな病院やめますがね。発達障がい者支援センターに相談して、別の病院を紹介してもらい、前の病院からカルテを送ってもらいます。

医者が「一人の患者の治療が困難で辞めてしまった」と言うのは、明らかなうそです。もし、本当にそうならば「その医師は、初めから精神科医には向いていなかった」としか思えません。私が知っている精神科医でも「うつ病で治療中の患者3名が立て続けに自殺を図ってしまい、医師自身が鬱になった為、離職した」のはありますが。その医師は大変心の優しい・共感性の高い方だったので、大変残念に思っています。ただ、その方の場合もオブザーバーの精神科医の勧めで「一時離職された」だけで、また別の病院へ行かれるとは思います。

>私的にこの担当医はずばずばモノを言うタイプで合わないかもと思いましたが、

精神科は特に「医師と患者の相性」が重大です。患者が医師の言葉や処方に不信感を持っていては、治る物も治りません。あなたが「この先生ならば、信頼してもいい」と思えない限り、医師を変えた方がいいと思います。ただし、少しでも「この医師を信じてみよう」と思えたら、ちょっとした言葉の過ちや医師の態度は大目に見てあげましょう。

>それだけの事を言わせてしまう問題や原因をつくったのは他でもない自分にあり(そもそも自分に合う性格の人っているのだろうか?と自問してしまいますがorz)、もうこの世に産まれてはいけなかった、産まれながらの罪人ではないかと考えが浮かんでしまいます。

いや、それはあなたが現在「うつ状態」だからでしょう。
何度も推敲して書かれたここでの「お礼」を見る限り、大変頭のいい理論的な(理論的すぎる?)方だと思うだけで、あなたの周りの全ての問題が「あなたの性格」からくるとは思えません。どちらかと言うと「うつからくるネガティブ思考」が問題を増幅しているようには感じます。

あまり考え込まず、ボチボチとあなたに合った医師を探してみてはいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
結構時間が経っていたんですね…多くの相談を頂いてもなかなかうまく活かせずどんどん泥沼化しているので、この先もうよくならないんじゃないかと思ってしまいますorz


>セーフティパーソン
今の子供たちは非常に恵まれているんですね…と思いました。認知が広まっているので手探りとはいえ療育が行われ、40代以上の世代は社会に出た頃は好景気で求人も豊富、社会にも余力があったでしょうから当事者でも入り込める余地があったでしょう。
それに対して我々20~30代の世代の当事者は一番割り食っているんじゃないかと考えることがあります。社会に出る頃には大不況真っ只中、社会的余力はほとんどなく(利用するつもりはありませんが生活保護も変わるみたいですからね)パイを奪い合う時代で敗者は自己責任で片付けられる、最近でも某政治家の「育て方の問題」と騒ぎになったことがあったように、仕事に就けられなければニートだの甘えだのでレッテル張りされる…完全に愚痴ですね。ただどうしても明るい未来が見えないので楽観視できないみたいです。


>病院を変えるべき?
支援センターの紹介を通じて病院を変えてみましたが、「うちではムリ」とか「子供専門だから」とか「謝ってでも元の病院に戻ったほうがいい」とか、どこも電話の段階で突っぱねられるだけでした。その割には大人の発達障害を見てくれる病院として紹介されている…できるならできる、できないならできないとハッキリしてくれと言いたくなりますが、それが健常者がよく言う「本音と建前」とか「世間体」「同調性」の類なのだろうと思うと、健常者という存在が幾多の顔を器用に使いまわす妖怪の類に見えてしまいます。
もっとも愚痴を言ったところで状況が変わるものではないのですが、もう県内には診てくれるところはないみたいです。かといって県外になると今度は距離の問題になるので…やはり「手遅れ」なのかもしれません。とはいえ今までの病院が異常な薬の量を出していたことが分かったので(曰くパキシル40mgは流石にアレだ。あんたその病院のカモにされているんじゃないか?とのことです)、得られるものはゼロではなかっただけでもよかったのかもしれません。とりあえず今は薬だけ出してくれる病院に減薬することになりました。ただ最後に言われた「逃げるのか。だったらもう来るな。いい加減にしろよ!」という医者の言葉が非常に心に刺さっているのですが…


>きついこと
『「この人は障がい者だから、ミスをしても仕方がない」「生産率か低くても仕方がない」とかではないでしょう』という例が参考になりました。時たま見かける(?)障害を傘に自分の権利を主張する~…という件とか、「障がいだからしかたない」などなど色々な情報がごった煮でゴチャゴチャしていたので、整理できたかもしれません。 今回の障害者の人たちもこの考えだったのかもしれませんし、かの新しい医師も「同情心買って生きている」という発言も納得がいくものがありました。もっとも、今の自分ではあの人達を説き伏せたりするような能力や義務はないので、あまり関わらないのがいいのかもしれません…


>「接客業や営業職」が偉くて、肉体労働系は偉くないのでしょうか?
その言葉を聞いて、「職業に貴賎はない」という言葉をおもいだしました。しかし実際は学歴や年収でその人を見下したりする現実があるように、貴賤は人が作っているものであり、自分もその一人であるということを思い知りました。バキュームカーの作業員やキャバクラとかあまり人に語りたくないような仕事も「社会に必要があるから」存在しているわけですから、語りたくないという感情もその人や社会の価値観が原因なのかもしれません。

このことは今回指摘されるよりもずっと前から考え続けてきたことで、食わず嫌いはいけないんじゃないかと思い今年(1月からですが)に入ってから倉庫内のアルバイトをしていましたが…やはり肉体労働系は性分に合わないようです。たしかに体力的には十分追いつけるものの、作業中はものすごい焦燥感や不安感に襲われたり(このままでいいのか!?年齢の無駄使い!給料も安い!労働力が買い叩かれているも同然だ!頭使う仕事のほうが身になるだろう!そりゃ確かに体重は7kg減ったが時間とかスキルとか色々なものも減っているぞ!このままじゃ一生倉庫で安月給だぞ!この不安はうつ病だけじゃない、分析や理屈から導き出したそれなりに根拠あるものだぞ!)、周囲のペースに合わせられなかったり(注意力に問題があるので周りに追いつこうとすると凡ミスを連発、ミスを出さないように慎重にやると「遅い!」と言われる)、スピードを補いつつ作業精度を上げようと自己流のやり方でやっても「周りに合わせろ」と言われたりするので自己評価とあわせて時給がどんどん下がってしまう一方でした。
さらにその手の肉体労働系になるとけっこう荒っぽい性格の人が多いので(ミスをするとすごい怒られるし、何よりも単純作業なのでなんでこれをミスしたんだorzと激しく落ち込んだりします)、自覚せずに虎の尾を踏みつける真似をやらかす自分にはやはり向いていないのかな…と。


>またそれらの職業では、若さや体力が大きなメリットです。
>無理をして自分の苦手な分野で職を探すのは、何故でしょうか?
>自分の得意な分野または苦手でない分野で職を探した方が、楽しいし続くのではないですか?
もう一つ、肉体労働を不安視している理由としては低賃金である点と、事故で体を壊しやすく有事の際のリスクが非常に大きい点、仕事に関するスキルが身につけられない、そして一番重要なのが、「体の無理が利く若い時にしか働けない」という4点につきます。これは回答者様がおっしゃる「若さや体力が大きなメリットです」という言葉をまんまひっくり返すようなもので申し訳ないのですが…
この質問の最初の頃から述べていますが「加齢とともに要求される能力やスキルがどんどん高くなっていく」という現実と、同じ職場で働いているお爺さんたちが若い管理者にボコボコに怒られている(しかしお爺さんたちの作業の品質には問題があるために、その正当性は管理者側にはありますが)光景を目の当たりにしていると、この手の肉体労働はいつか必ずどん詰まりしてしまうのでは?という悲観論が私の中にあり、今回の件を通じてさらに再認識してしまう次第でした。
さらに物心つく段階から世の中の流れで容赦無くリストラされていく大人たちを見てきたため、同じ作業の繰り返しをする仕事では先人の二の轍を踏むだけではないのか、だとすると首切りの標的にされかねない(今も別の部署の人達が容赦無くリストラされています)ので、それを考えると単純作業系は若いうち限定の職業であり、それで食べていくのはほぼ不可能、頭脳労働か職人系などの技術系にいくしかないのではないか、そこから得意分野を見つければよいではないかとおもいますが、いかんせん今の私が筋金入りのクセモノであるためにたとえ適職があったとしても会社から叩き出されるのでは…と希望をもつには至っていません。

(仮に)自分の娘が将来キャバクラ嬢になりたい!とでも言い出したら親たる自分は果たして賛成し、協力するだろうか?と思案したことがあります。まず絶対反対するでしょう。エッチな客に触られる、生き残りをかけて熾烈な女同士の泥沼試合もありうる、などの職業上のリスクは甘んじられたとしても、若いうち限定なので働ける期間が少ない(結婚や独立などの手段を講じなければ…)など、老後の生活に困らない程度に財産を築けるのだろうか?という懸念点がこれでもかこれでもかと噴出するので、長い目で見ると反対せざるをえない…という結論を出さざるをえないわけですね。偉いか偉くないか、というよりもそれで食っていけるのか?という損得感情がどうしても先に走ります。それを考えるとやはり「低く」見ているのかもしれません。社会で必要なのはわかる。だけど自分がやるのは…と。


>発達障がいのメリット
実例を示していただきありがとうございました。たしかに車椅子は悪くも良くも目立ちますから、それを商売として利用したり応用したりするのはすごくよい着眼点かも知れません。
私の場合は…ケアレスミスを乱発するわりには記憶力がある(らしい)ので、作業終了後の進捗を書くスピードが早かったり、他の作業する人の細かいスケジュールを何故か当人よりよく覚えているため、そこら辺で不気味がられたり皮肉られたりすることがあります。たいていは「なんでそこまで記憶力があるのに普段はダメなんだ?まじめにやってないんだろ」と言われるだけなので、この特性がまったく生かされていないみたいです。他にあればとは思いますが、病院で行ったWAIS-IIIの結果もまったく教えてもらえませんでしたし(注意力がない、もっと注意深く行動しなさいとしか…)、屁理屈なだけで強みやメリットというものがいまいち見出せません…



余談ですが、営業職は低く見ていません。むしろ顧客拡大する仕事ができるというのはすごいことだと思います。自分にはまずできないでしょうし「合っている」とも思えません。じゃあ合っているのは何なのかな?と考えると…あれ実はないんじゃないか?と落ち込んでしまいます。考える人だと仰っていますが周囲からは「お前は口だけで逃げてばかりだな!」「うつで能力が下がっている?そんな台詞は年収300万以上稼いでから言うんだな!」と正論を突きつけられるので…
…やはり調子がよくありません。ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/21 01:06

#4です。

お久しぶりです。

>返事や回答が嫌になったというよりも、中途半端で放り投げて相手から「ああコイツもダメだったか…」と呆れられてしまうことに見捨てられ感をおぼえてしまうため、何らかの解決の糸口や光明が見えれば締めきりたいと考えています。

それでいいのでは?

>「ちょっと待ってくださいソレってオカシイのでは」「個人情報保護法ってありますよね。自分はソレやったら上司に激しく怒られたのですが…」「職場に私物って持ち込めませんよね…」とツッコミ続けていたら、同席していたほかの参加者も「言われてみればたしかにそうだ」「個人情報保護法って面倒くさいよな…」「センセイどうなのそこんとこ?」とナゼか同意してしまい、そのセラピストの思惑や集団の輪を乱してしまったのが原因だったと思います
>その後の診療で担当医から「あの人怒らせちゃったの!?いい人なのに…」と呆れられてしまいました。

なんだか自分の生徒を思い出します。

彼らも「なんでそうなるの?」ととことん聞いてきます。こちらに時間の余裕がるときならば大丈夫なのですが、余裕のない時は「明日、○時に話しましょう」としています。そのセラピストも余裕がなかったんでしょうね。
担当医の言葉は、あなたを非難しているというより「あちゃちゃ、誰に次は担当してもらおうか?」と困ってしまっての言葉なのかな?と思います。

>このFAQの最初の頃に指摘されていたように、どうも世間的に発達障害者というのは理屈でモノを考えることができない、口が聞けてもその口から出てくるのは飛躍あるいは破綻した論理や支離滅裂な話しかできない、ある考えにとらわれて相手の話を拒絶して話が通じない、あうあうモノを言うことしかできない人種としてしか見られていないのでは…?と考えるようになってしまいました。

確かに「発達障がい」に理解のない人たちは、そういった考えの方が多いでしょうね。

しかし、付き合いがあり、少しでも理解していれば、これほど「素直で、正直者」はいないと思うのですが、いかがでしょう?

多少こだわりが強くても、言葉の使用方法に厳しくても「愛すべき人たち」だと私は思います。

>カウンセラーやセラピストすら怒らせてしまうような意地の悪い不器用な人間なのではないかという自己嫌悪に陥っている状態にあるようです。 

カウンセラーもセラピストも「善良で心優しい人」ばかりではないでしょう。彼らも人間です。
相性と言うのがあります。「馬には乗ってみよ人には添うてみよ」と言うことわざがあるくらいです。
たまたま「あなたとは合わなかった」と言うことではないでしょうか?
けっして、あなたが「意地の悪い不器用な人間」だからではないと思います。

>「アンタは脳みそに異常があるみたいだけど見た目は普通だから健常者のなりふり格好すればまだやっていけるかもしれないぜ。だって精神に異常のないオレですら耳が聴こえないっていう理由だけで会社から追い出されたんだからな。」と言い放たれて陰惨たる気持ちになってしまいました。

その方の体験されたことは事実だと思います。けれど、そんな風な考え方だから解雇されたとは思いませんか?
結構、聴覚障がいの方って「情報量の圧倒的な少なさ」から「周りが見えない」「自分の考えに固執する」「誤解する」ことが多いように感じています。発達障がいの人以上に。

実際、うちの卒業生で学校に「仕事を変わりたい」と言ってくる子たちも同じような話をします。しかし、よくよく聞きだしてみると「それまでに何度も注意されていた」ことや「「事前に説明していた」こと、または「本人の能力を見込んでチャレンジさせたい」などだったりで、一方的に「会社が不当な扱いをしている」ととれるのは少ないです。(ただし、ゼロではありません)

>障害者に理解のある職場とは夢物語か宝くじのようなレアケースであり、その実態は障害者雇用促進法でむりやり現場にねじ込まれた障碍者が邪魔で邪魔でしかたないからで自分からやめさせるようにあしらわれているのでは…と考えてしまう出来事でした。

きつい物言いになりますが、企業は慈善団体ではありません。利益追求団体です。特例子会社にしても同じです。「障がいに理解」はあっても「障がい者に甘い」訳ではありません。

2~3年ほどの助成金がつく間に「その会社でなくてはならない人」になれなかったのならば、「邪魔で仕方がないから」ではなく「必要のない人材だから」いわゆるリストラ対象者になったので「追い出されてしまった」と言えるのでは?

辞めさせ方が事実ならば「不当解雇」にはなると思いますが「正社員ではなく契約社員枠で入っていたことがわかった」と言うのは、雇用される立場としてあまりにも「自分に甘い」と言えるでしょう。雇用時には契約書を交わしているのですから。
そして、単に契約社員ならば契約期間が過ぎれば解雇です。継続の義務はありません。逆に「長期に契約社員待遇での雇用はできない」=「長期に雇用するならば、正社員待遇にしなさい」というのが法律です。嫌味な仕方で不当解雇する必要はありません。

また「障碍者枠は一人につき1度だけ」ではありません。自分に合った仕事を何度でも探し、その職場で2~3年の内に「必要な人材」になるしか、ないと思います。

>>そして、人は誰でも一生の内に1度は障碍者になります。障碍者を排除していては、社会が成立しなくなります。
>身体にガタがくる50代以上の高齢者から表面化します。しかしその年齢になれば大体は社会人から引退し、それまでの蓄えなり息子世代に養ってもらうなりである程度は自活できますが…その体制を構築できないまま障害者になってしまうと上述のような状況に陥ってしまうのではないかと考えてしまいます。

そうですね。実際、お金がないと苦しいとは思います。
それでも、現在は日本は高齢者社会にまっしぐらです。「障がいがある」だけで排除していては、本当に立ちいかなくなります。「若さ」と言う武器は貴重になると考えますが、いかがでしょう?

>「キミを雇って投資して当社にメリットはあるの?投資した分会社に還元できないと雇う意味がない」
>…今でもこの究極の正論に抗する言葉を見出すことができず、心に深く突き刺さっています。

確かに「究極の正論」ですね。ただ、それは障がいがない人でも同じです。
私も若い時に似たようなことを言われました。「女を雇って、メリットは?」と。
今ならば「では、あなたの会社の顧客は男性ばかりを交渉相手に望んでいるか? 顧客は多様な人材を求めているのでは?」と反論しているでしょう。けれど、反論してもしなくても雇ってもらえなかったと思います。要は「あんたはうちが求めている人材ではない」と遠回しに言われただけなのだと。

>>森田療法
>バッサリ「時代遅れ」と切り捨てられて「今は“神経症”なんて言葉は使っちゃダメなんだよ。色々な種類の病気や症状の概念ができたからね。それを全部ひっくるめて神経症と呼ばれていたんだよ」「効くかもしれないけどオススメできないし、どうしてもというなら他所の病院に行ったほうがいい」「だけど発達障害でやっているとなると県外にいくことになるから…」とたたみ込まれてひどく難色を示されてしまいました。
>「認知行動療法がいいかもしれないけど、キミあの人怒らせちゃったからなぁ…」ということで(あれ以来他のセラピストやカウンセラーが主催する他のセラピーなどへの出席も断られるようになってしまいましたorz)、ますますもう人生の行き詰まりを感じてしまう状況です。

それで担当医のアドバイスは終わりですか?
認知行動療法は確かに有効な事が多いですが、必ずセラピストが必要です。
逆に、森田療法は「セラピスト」などは必要ありません。医師との面談だけで状態が変わってきます。時代遅れだろうが「自力でなんとか苦しい状態を脱出できるのならば」試してみる価値はあるのではないでしょうか? あなたが「担当医に別の治療法を紹介」してもらっているのならば「森田療法」を勧めませんが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>彼らも「なんでそうなるの?」ととことん聞いてきます。
No20のほうで「目よりも耳の情報を重視する」というお礼に接点を見いだせたような気がします。
相手の話を耳で受け入れて情報を整理しようにも整理がヘタッピなのでゴチャゴチャしてしまうため、その組み立てをするために「どうしてそうなる?」と相手にその論理性を求めようとしてしまうんだと思います。 推理小説のトリック解答や数学でいう途中式を書かないと計算式や答えもしくは公式に納得がいかないのと似たようなベクトルを感じるのです。 数学ならばある程度の途中式を書いた計算練習をすれば公式に納得していずれは省略して問題も解くことができるようになりますが(理論の受け入れ)…コミュニケーション(相手との会話)となると無数の公式パターンが生じるうえに失敗時のリスク(ひどいと相手から拒絶されたり解雇されたり)が大きいため、それを恐れて場数を踏めずどうしてもヘタになってしまうんじゃないのかな、と思いました。


>けれど、そんな風な考え方だから解雇されたとは思いませんか?
>「障がいに理解」はあっても「障がい者に甘い」訳ではありません。
…なるほど、その視点はありませんでした。相手に共感しすぎて視野狭窄になっていたみたいです。たしかにすごいバイアスがかかっていそう(なぜ契約社員で?とか)で、しかもかなり捨て鉢になっていたのである程度「割り引いて」受け止めるべきでした。 ただその人ではありませんが入社条件をクリアするために資格までとってがんばったのに真っ先に解雇された、もうダメだorz という方もいたので「障がい者に甘い」と「障がい者に理解」の境界線はいったいどこで線引きされているのだろうか…と考えてしまうことがあります。


>確かに「発達障がい」に理解のない人たちは、そういった考えの方が多いでしょうね。
>しかし、付き合いがあり、少しでも理解していれば、これほど「素直で、正直者」はいないと思うのですが、いかがでしょう?
>多少こだわりが強くても、言葉の使用方法に厳しくても「愛すべき人たち」だと私は思います。
非常に心強いお言葉ありがとうございます。その言葉を受け入れたいのですが・・・

「相手の冗談を真に受けて騒ぎを起こす(御土産はお菓子だという冗談をうけてしまい噛んで歯茎を痛めた)」
「真剣な問題を冗談と受け止めてしまいこれまた騒ぎを起こす」
「今度は真偽を確かめるために何度も聞いて相手を呆れさせる」
「休日出勤の可否で休みますと言い切ってしまい周囲が凍りつく」
「場の空気を壊して険悪な空気を作る」
「要らないことを言って相手をマジギレさせる」
「素直に相手の言うことを聞いて退職届を書いてしまう」
…これを全部経験して(やらかした、自業自得と表現したほうが適切かもしれません)今の状況に陥っているので、素直で正直というのは美点であってもそれを活かす場は果たしてあるのか、本音と建前をうまく使いこなせない自分は愛すべき人間以前に、いかなる善人や仏ですらも怒らせ、人間関係を破壊する社会の有害生物(ブラックバス)ではないだろうか…と理解すればするほど自己嫌悪してしまいます。 何だか揚げ足を取ってしまっているようで申し訳ありませんorz


>「若さ」と言う武器は貴重になると考えますが、いかがでしょう?
今現在にいたるまで無職期間が4年目に突入していますorz 面接にこぎつけても「無職期間が長すぎる」ことに対して「若さ」が武器にならなくなってしまっているんですね。 何周もして干からびた回転寿司のネタのようになっているみたいです。 無論今日に到るまで欝を治そうともがいたり勉学に勤しんでいるのですが、そのことごとくが失敗したり成果が出なかったり、周囲から「無駄だ諦めろ」「いつになったら職に就くんだ!」「逃げてばっかりだな!」「甘ったれ」「そんな子に育てた覚えはない」「もうその職種は無理だ。大人しくボイラー(資格)取れ」とボコスカに言われてしまい、ハローワークなどでも「やりたい仕事を探してからね」と言われるだけであしらわれるだけで何をしたいのかもわからない…この先年老いてからもずっとそのままなのか、生きていて申し訳ない気分に晒されています…orz


>究極の正論?
この正論に対して私のなかでは、回答者様のおっしゃる「あんたはうちが求めている人材ではない」と遠回しに言われただけなのだと。」と同じ結論に達してしまうんですね。障害を障害と自覚できていなかったうちはまだ「●●が得意なのでその面を生かすことで御社に貢献することができると思っています」とか回答者様のおっしゃるような「顧客は男性だけではないから~」と返すこともできたと思います。
ただ今は自身が広汎性発達障害という自覚をもってしまったため、今までみたいな受け答えができる自信がどうしてもわかないんですね。 先のお礼で「ある考えに囚われて~」と述べましたが、まさにこの観念に囚われているからかもしれません。 追い出される前のセラピーの中で「建物全館を動く歩道かエスカレーターにしないと…」と述べてしまったように、どうしても発達障害としてのメリットが見出せずにいるからだと思います。 よく言われる「驚異的な集中力や発想力が~」というのも、社会に出れば通用するかどうかも難しい話ですし(色々な雑務をこなさなければいけません。それはまだやれるにしてもすごく苦手な電話応対もちゃんとやらないといけませんし、解雇の原因の一因にもなってしまいましたorz)、その辺りをいろいろな人に聞いてもどもったり、話をそらされたり、会ったこともない過去の偉人を引き合いに出して「だから君も頑張りなさい」で締めくくられるなど(更に追求すると考えすぎだ、悲観しすぎだとあしらわれました)、イマイチ納得できる回答を得られなかったので本当のメリットって何なのかな…と可能性を見出せずにいます。


>>森田療法
>それで担当医のアドバイスは終わりですか?
「参加できそうなセラピーがあったら教えるから」と言われたきり4ヶ月が経ちました。 催促しても「他の先生の都合が取れない」と続いて薬だけ処方されていましたが、つい先週担当医が退職されてしまいました。

その後すぐに新しい担当医がやってきたのですが…完膚なきまでに叩きのめされてしまいましたorz
いろいろたくさん言われたのですが要点だけかいつまんで述べると「君は治す気がないから治すことは難しい」「前の人(担当医)も君に対して「もう限界」って言っていたんだよ。治す気がないからすごく悩んで辞めちゃったんだ。申し訳ないと思わないの?」「●●さん(件のセラピスト)が怒るのもわかるよ」「君は屁理屈で頑固だからセラピストたちが入れたくないと言っている。なんでそれがわかんないのかなぁ?」「障がいを建前にして自分の怠けぶりから逃げているだけ。あの障がい者の人とおんなじで同情心買って生きているだけにしか僕には見えないんだよね。それがいつまでも通用すると思ったら大間違いだぞ!」「他の病院に行きたければそれでいいよ。だけど自分で探してね。だけど同じ事の繰り返しになるだけかもしれないからムダだと思うけどね」

………という感じでした。私的にこの担当医はずばずばモノを言うタイプで合わないかもと思いましたが、それだけの事を言わせてしまう問題や原因をつくったのは他でもない自分にあり(そもそも自分に合う性格の人っているのだろうか?と自問してしまいますがorz)、もうこの世に産まれてはいけなかった、産まれながらの罪人ではないかと考えが浮かんでしまいます。
ともあれ、以後は1ヶ月ごとの投薬治療のみに徹する方針になりましたが(なんか10種類もあってびっくりしましたが)、病院や医師の態度をみるともうこれは拒絶されているのでは?と悲観してしまうんですよね(それを指摘すると「そんな事言ってないでしょ!」と強く言われます)。 周囲も「ほら見ろ!お前は障害じゃなくて甘ったれだってことがよくわかっただろ!もうそんな病院なんかにいくな!ああいうのは頭がオカシイ奴のいくところだからな!世間体考えろ!」と叩かれたり、セラピストを怒らせた件や自助会も追い出された件、アドバイスもいまいち活かせないなども含めると社会から拒絶され、そして拒絶しているのは他でもない自分自身ではないか…と。



…何だか本当に生きていてはいけない人間なのではという考えが浮かんで消えたりしつつあります。 ちゃんと就職しなければならないという考えがあるのに、人様に迷惑をかけるばかりで口先だけは百人前、だけど仕事のクオリティやスピードは劣悪な自分には人並に生きる資格がない、幸せになってもいけないし誰かを好きになってもいけないという考えがぶつかっているからかもしれません。
今日に至るまで色々ともがいてみましたが状況が悪くなるばかりでとても辛いです…もっと強く生きられればと思うのですが…ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/06 00:51

No.22です。

またもや纏められず、すみません。
No.21さん(何度もすみません)が親身に的確に解答なさっているので、私はお呼びではないのですが、あと一回だけ…
ご返信は気が向いたとき、それこそ締め切り後でも、一年後でも私は一向に構いませんので、どうぞ、気の向くペースで気軽になさって下さい。


>お年寄りに席を譲ろうとしたら「まだまだ元気だ、余計なことするな!」と怒鳴られたり
;そういう方もいますよね。ですから、私は黙って席を離れます。
声を掛けるにも微妙な感じだと、次に降りる風を装ったり、他の車両に移ったり…様々です。
別に座るのは、近くに立っているお年寄りじゃなくとも、体調が悪いのに我慢して立っている若い人でも良いと思いますので。

>相手に誤解無いように1から10まで説明しようとしたら「馬鹿にするな!俺はガキじゃねえんだ!」と怒鳴られるのと似たようなもの
;相手には時間的に余裕があるのかないのか、そこがポイントなのでは。
先に、「お時間はよろしいでしょうか?」と訊ねてから話を進めてはどうですか。
ないと言われれば、掻い摘んで話すなり、またの機会に丁寧に説明するなり、選んで貰えば良いのではないでしょうか。

>情けは人のためならず?
;排除側に追随しない、けれども自分に非があったと認め、100%相手に責任転嫁しない、貴方のその心が情けだと思います。
貴方が完璧にお調子者であったり、非情な人間であったら、もっと酷い目に遭ってしまったと思います。今はそう言われてもピンとこないでしょうけれど、人の一面だけで物事を捉え様とはしないという貴方の心掛けは感心します。
美化も貶めもせず、あるがままの姿を見る為には、多方面から総合的に見ることだと思いますので。

>自分の型
;解らないときは、人生哲学のしっかりした人の本を沢山読むとか…ですかね。
久しく読書はしていませんが、遠い昔は灰谷健次郎さんとか、比較的近年では、萱野茂さんの『アイヌの碑』を読みました。
ご趣味に合うかどうかは解りません。向き不向きがあると思います。
駄目だと思ったら読まない方が良いと思います。
しかし、苦悩しながらも自分を貫く人には惹かれますし、苦悩の中にも明るさ、潔さが感じられるので、私にとっては読後感が良かったです。
それとは逆で、太宰治さんの『人間失格』は私には駄目でした。
中学の夏休みに読書感想文の課題図書として読んだのですが、作品的には面白いと思ったけれど、毒に当たったみたいに衝撃的で、鬱ではなかったのに1週間は暗ーーーい気持ちになって中々浮上できませんでした。

>クールダウン
またもやご意見、ありがとうございます。
頭で考えていることは貴方と同じなのですが、私は何度も同じ質問をしている方だと最初のうちは気にしないように心掛けていても、どうも、そういう方は疑問を解決したいと言うよりも賛同者が欲しいだけ、同じ様な人を探しているだけなのではないかと感じ、問題は貴方が避けてきたその点にありますだとか、ここの管理体制が気に入らないなら、管理にメールで直接抗議すべきだみたいなことをつい言ってしまうのです。大体そういうケースは失敗します。パターンは読めているのですが…。
そういう私も通報に徹する、もしくはスルーすれば良いのですが。

「愚痴を吐く場所がないから、ここで誰彼構わず攻撃している」そのように思える質問を何度も見ると、焼き付いてしまうんですね。映像的に。
だから、「いい加減、やめてくれ!」と言ってしまう。
でも、これは、管理側やその他の人たちから見れば越権行為で、こちらも迷惑な会員としてカウントされてしまうんです。
上手く綱渡りしたかったら、人に欠点を感じても片目をつぶるようにする、忘却に努めることも生きる知恵だなと思います。
ある時は感覚を研ぎ澄まし、ある時は鈍くしてですね…。
自分に必要な情報だけを取り入れるのが、ネットではストレスのない使い方なんですよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
気持ちの整理が出来ず遅れてしまい申し訳ありません。

>鬱にあるときは、何もかもが責め苦に感じるものです。
>鬱を患っているときは、ごくシンプルに物事をとらえるのが良いと思います。
たいていは妄言とか被害妄想、根も葉も心ない言葉だと切り捨てたり突き放すこともできますが…

>貴方が今まで迷惑を掛けてしまったと思う人たちに~
今の私の周囲は「お前にはカネがかかってんだぞ!」「期待に答えろよ!」「甘えんな!」「親を泣かせるな!」「頭がおかしい、悔しいなら見返せよ」と正論を叩きつける人たちで囲まれています。 発達障害に対する理解がない、というよりも理解したらこれまでの自分たちの行動や価値が否定されてしまう(不良債権を産んでしまった、育てることができなかったという責任が発生する?)ため、受け入れたくないのではないのか…と突き放した目線で考えています。
ゆえに>何度も思い出すなんて~ というのも今現在叩かれているため、忘れようにも忘れられない、24時間イヤホンがかかっているみたいです。 「きつく矢の刺さるような言葉も、その人にとっては平手打ち程度のもの」という言葉も、実は平手打ちどころか助走をつけたグーパンチに感じてしまう…私には周囲の人たちに対して無限の負債を抱えているような感覚があるわけです。そしてその負債の利子は今もなお増え続け返すアテもない…となるとますます「お前なんで生きてるの!?」と自問自答してしまうんですねorz


>その人を酷い奴だと思うのなら~…
むしろ逆です。 酷い奴というのは周りの人間ではなく自分のほうではないかと思うようになりました。 この考えは先のセラピストを怒らせてしまった一件以来、ますます強くなっているみたいです。 だから自分に手厳しい言葉を述べる人はひどい奴というより「誰もがもっている性格の欠点や自分と反りが合わない」たぐいのものであり、大なり小なり社会的成功や幸せをその手で掴んでいたり要領がよかったりするのでその人の主義主張が正しい(間違っていない)、世の中の道理や摂理にかなっている、もしくはその道理をねじ曲げられるだけの力をもっているものだという考えが自分の中にあります。
さらにいいますと、私自身が他人とズレている、つまり「自分は人間として(根本的に)間違えている」という考えがあります。 他人の受け売りならともかく自分自身で導きだした考えがことごとく「それはおかしい」とばっさり切り捨てられてしまうため、自分の考えは何もかもが常識はずれで間違えていてろくな結果にならない、もう何も考えちゃいけないので他人に従っているしかないんじゃないかと思うことがあります。
しかしそれだと今度は周囲から「お前は何考えてるんだ!」「キミは自分の考えをもっているのかね」「将来はどうするんだ!」「少しは自分で考えろバカ」とも叩かれるので(何も考えていないから当たり前ですが)、一体どうすれば周囲に納得できる思考ができるのか…
そのためかはわかりませんが、あれもダメこれもダメと否定され続けていくうちに、周囲が普通(中庸)であり、自分は異常じゃないか(診断が更に裏付けているので的外れではない?)という思考ができつつあります。 もっともこれは異常な環境に置かれ続けているといつしかそれが普通だと感じてしまう・・・という類と似た匂いを感じてしまうのですがorz 少なくとも周囲の人がそれ相応に社会生活を送っている(過去のお礼で話しているように自分の周囲はちょっとすごい人ばっかりなのです)ので、中庸のハードルが高いんじゃないか、いやいやそれでも周りの人たちは自分に合わせてくれて…と混乱してしまいますorz


>カイロプラクティック
「言葉を文字面通りに捉えることしかできない」とはよく聞きますが、自分の場合はさらにやっかいなことに変な方向に曲解してしまったり誤解してしまったりする傾向にあるようです。 結果としてあまりうまくいかなかった原因にもなったわけですが…
先のお礼で「理論を受け入れると理解できるタイプ」という件について話しましたが、これって間違えた解釈で理論を受け入れると、いつまで経っても誤った価値観が根付いてしまう危険性が内包されているのですよね…年配の人が新しい技術や概念を「そんなはずがない!非常識だ!」と意固地になるのと似たようなベクトルを感じるのです。 今回の一件もこれに通じるものがあるので、だからこそ回答者様の息子さんにはよい家庭教師か頼れる大人が付いていただいたほうがいいのかな、と余計なことを考えてしまいました。


>先に、「お時間はよろしいでしょうか?」と訊ねてから話を進めてはどうですか。
アドバイス有難うございます。これは社会人になる前から徹底的に叩き込まれたことなので(相手の都合を訪ねてから要件を言いましょう)、この辺りについては抜かりはない…と思います。 ただその後に「誤解や語弊のないように相手に要件を伝えましょう」という教育も受けたのでどうしても要点を掴んで話すのが難しいので結局1から10まで説明して怒らせてしまった…という失敗経験しか積めなかった、この経験が尾を引いて(文章でならともかく)口でモノを言うのがヘタになってしまったんだと思っています。


>的を得た鋭い表現力?
…私が批評やライターうんぬんで難色を示しているのは、今に至るまでの間で「何様のつもりだ!」「上から目線を直せ」「なんでそんなに偉そうなの?」と散々にまで言われ続けてきた過去にあります。 しかも指摘してくるのは自分より目や歳が上の人ばかりなので、この指摘はどうやら私怨によるものではない…しかしどうやって直せばいいのかまったく検討がつかず(敬語やコミュニケーションの本を読んだり実践するとかでとにかく手当たり次第に改善を試みましたが全然ダメでしたorz)、ついにその人たちから嫌われてクビの原因につながった…という強烈な失敗経験が今でも根付いたままです。
だから「一般人には分かり得ない葛藤を経験した者にしか生み出せない~」という一文には心強いものを感じましたが、同時に人様を不快にさせるような長所(ここではその表現力)をもって何の意味があるのだろうか…ということで私自身はこの表現力について可能性をあまり見いだせないままにいますorz むしろ「え?!?どういうこと!???短慮だとしょっちゅう言われているのにこれのどこがすごいの??!?他の人ならもっと切り込めるんじゃないの?!!過大評価…?」と困惑を覚えてしまう有様です。

>アイデンティティ
アドバイスを受けていろいろな本を乱読してみましたが…どれを読んでも「努力をみてくれる人がいて、それに共感をおぼえた理解者や協力者ができて成功した」という類のものばかりだったので、理解者はおろか敵しか作れない(最近ではセラピストやカウンセラーすらマジギレさせてしまったぐらいですからorz)自分にはどうもいまいち合いませんでした。 あるいは「自分よりつらい境遇にいてここまでやってきたというのになぜ自分はこうもダメなんだorz」という感情に襲われてしまったりするので(なぜかめげてる場合じゃない!がんばろう!という感情が湧けない)、ただの「よくできたお話」としてしか受け取ることができない…すごいひねくれた考えになってしまっているみたいですorz


>その系統樹は、精も根も食い尽くすとんでもない魔物に成長してしまいます。
…手遅れかもしれません。 前の回答から述べている「内なる自分からのツッコミ」を述べているように、すでに魔物が巣食っている状態だと思います。 最近では「お前には価値なんてまったくないぞ。 たとえ死後に内臓提供をしたとしても不良品だのケチをつけられて使われない。 打ち捨てられてもその死体はカラスやプランクトンですら腹を壊して食ってくれんだろう。 親や身内の期待に答えられない遺伝子の不良品の塊のくせに生きてて恥ずかしく無いのか? 今生きているのはいざ実行に移せば法律に抵触して手を汚すリスク負って損するだけだから生かされているだけだぞ。 だから…」と、幻聴のたぐいではなくそう考えてしまうわけです。
まずはこの魔物を倒すなり追い払うなり、手懐けるなりでどうにかしないといけませんが…今でも「お前、人によくしてもらっているのに何にもできないな!アドバイスもろくに活かせないくせに一張羅にモノをいう資格があるのかい!?」と突っ込まれています。


…回答から3ヶ月経っても未だに調子がよくありません。
もう一生このままでよくならないばかりか悪くなる一方で、ゴミ捨て場で寝っ転がる未来しか想像ができない…
このマイナス思考をどうにかしないといけないのですが…ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/28 22:20

No.20です。

お礼をありがとうございます。
先ずはお詫びです。4連続は流石になかったなと、申し訳なく思います。

No.18さんへのご返信も併せて読みましたが、随分と精神的にきつい状態にいらっしゃるようですね。
情報を取り入れ過ぎて、随分混乱していらっしゃるような印象を持ちました。
恐らく、多くの人は自分には必要ない、あるいは向かないと思った情報は、その根拠を深く掘り下げるでもなく、直感的にあっさり捨て去るので悩まないのだと思います。この判断力も自尊心あればこそ(自分自身の価値観を認めることが出来る故)だと思うので、貴方も鬱が良くなれば、自然と情報整理が出来てくると思います。

鬱にあるときは、何もかもが責め苦に感じるものです。
鬱を患っているときは、ごくシンプルに物事をとらえるのが良いと思います。
無限ループに入ったら思考停止し、色々と関連付けて進化系統樹のように、どこまでも枝を広げて行くのは危険です。
下手をしたら、その系統樹は、精も根も食い尽くすとんでもない魔物に成長してしまいます。

結局は、思考というのは癖なんですよね。
繰り返せば繰り返すほど強化されて行きますから、鬱にあるときの底なし沼の恐怖を考えるのは、もっと後にしませんか?
もっと、理路整然と物事を考えられる状態になってからでも遅くはありませんよ。
「第三者が、何を悠長な…」とお思いになることでしょうけれど、かさぶたを何度も何度も剥がしたら、傷は治りません。
治るどころか、化膿したり、ケロイド状になって酷い跡が残ります。
弱って薄くなった皮膚は、擦ると簡単に傷が出来ます。
回復を早めたいのなら、皮膚がもとの強度を取り戻すまで、擦らないようにすることです。それには、かさぶたは見ないことです。

心もそれと同じです。
貴方が今まで迷惑を掛けてしまったと思う人たちに、懺悔する思いで回顧しているのだと言うのなら、もう充分なさっているのだし、これからの失敗回避のためにしているのだとしても、本調子ではない状態で考えたことが最良の策とは思えません。
その人達が貴方の気持ちを全て解らないように、貴方が想像するその人達の気持ちも貴方の想像でしかありません。
当たっている部分もあれば間違っている部分もある、正に占いのようなものです。

貴方にとっては、きつく矢の刺さるような言葉も、その人にとっては平手打ち程度のもので、叩いた本人は、それほど酷いことを言った気などないのかも知れないのです。そして、叩いた本人は手が痛かったぐらいで、時間と共に忘れて行きます。
相手が忘れている、またはそれほど重要だと思ってはいない出来事で、何時までも苦しめられるくらいなら、貴方はその相手を思い出さないようにするのが良いです。
もし、その人を酷い奴だと思うのなら、忘却に徹すること(思い出そうとしないこと)です。
特に思い浮かべることがなくなれば、その人は貴方の心の中で占めることはなくなり、貴方の精神状態に影響力を与えることもなくなります。
何度も思い出すなんて、まるで重鎮扱いする様なことは止めてしまいましょう。
特別視することが執着と確執を生むからです。

人だけではなく情報もそうですが、極端な例、派手な目をひく事柄ばかりに意識を集中しないで、話半分程度に聞く(向き不向きがある、必ずそうなるとは限らないなど参考程度に止める)ことだと思います。


>カイロプラクティック~「うつが治る」という先入観を抱いていた
;No.13さんも私も、「カイロプラクティックを受けただけで鬱が劇的によくなる」とは言っていませんよね。保証ではなく自身の経験談として、体が楽になることで気持ちをアップさせるのに有効な手段であったと書いています。
No.13さんの場合は、カイロプラクティックだけではなく、色々と組み合わせた結果、かなりよくなったと仰っていますが、完治したとは書いていらっしゃいません。
精神に掛かる負担を減らしていくことが回復への近道である、そう仰っているように私には思えたのですけれど。
(責め口調に思えたら、すみません。答え合わせぐらいに思って頂ければ幸いです。No.13のご本人の弁無くして語るのは失礼に思えるので、私からはこの辺で終えたいと思います。)

>的を得た鋭い表現力?
;一般人には分かり得ない葛藤を経験した者にしか生み出せない、重みのある言葉という意味で捉えてください。解らない人には解らない。解る人には解る。
それで良いじゃないですか。

>「人は信じたい情報しか信じない」ことや「お金になる情報しか受け入れてくれない」的なことを痛感されたことがある
;人は自分に都合の良いことしか受け入れないと言うことでしょう。
確かにそういう傾向はありますね。防衛機制の為せる技でしょう。
貴方は理屈として破綻していることはむやみやたらと信じられない、かといって、自信を喪失しているので、何に価値基準をおいて良いのやら解らないということですよね。解らないことは解らないし、傾向はあれども誰もが当て嵌まるものもない。
世の中には、完璧・完全・絶対というものはなく、だから世間では、経験的に中庸の精神がよいと考えられるようになったのでしょう。
鬱のときには革命的な素晴らしい発想をと自らに強いるより、中庸とはどういったことなのか、そこにポイントを絞った方が回復が早いと思います。
中庸を意識すること、それは、自分と周囲の人間を肯定することに繋がって行くものと思います。何故なら、0か100か、白か黒かではストライクゾーンが狭く、息が詰まる思いを自他に強いてしまうからです。

>目よりも耳から入ってきた情報
>自分もそうなのですが、この手の人は理論を納得すると理解しやすくなるタイプです。
;貴重なご意見、ありがとうございます。
昨日息子の主治医も同じことを仰っていました。殊に学習に関してはその様です。
しかし、息子の場合は思考の仕方が女性的な面があり、情緒や心の機微を重んじるので、そのことが空気を読むことに役立っているのかな?などと思えます。
夫が相手だと、まるで百科事典のように情報盛りだくさんにしないと話が通じてはくれないのですが、娘も息子も話しと一緒に状景を思い浮かべながら聞き入ってくれるので、割とスッと話が通ります。息子よりも娘の方がこれは得意ですが…。
一般に、共感力は女性の方が優れていると言いますが、その点は大きいのでしょうけれど。


>嫌な事を忘れる方法→いいことだけを思い出す
;これは、応急処置として提案しました。
でも、貴方の場合はセットで色々余計な物が付いてきてしまうのですね。
それだと難しいですね。

補足ですが、私が思い出すのは過去の良いことだけではありません。
最近のことも、もちろん含まれますよ。
場面も人も、ネットであったり実生活であったり、映画であったり、漫画だったり、関連することしないこと、新旧問わず何でもありです。

嫌なことが何故嫌か?
それは相手に対して罪悪感を持ったり、迂闊で未熟な自分が害悪のようで嫌だったり、回避も出来たはずなのに、不用意に関わった自身を買いかぶっていたという、自己嫌悪からくるものでしょう。単純に相手が憎いとかだったら、全ての嫌な感情の責任を相手に被せればいいのですから、何も辛くはないと思います。
しかし、何時までも反省して沈んでいても、ある段階からは唯の自虐でしかありません。
また、罪悪感を持つことを繰り返せば繰り返すほど、これまた、自分は相手に対して多大な影響力があると買いかぶっているようで、それこそ驕りなのではないか? 思い出すと言うことは、結局、自分は過失を許せない器の小さな人間なのではないか?と幾らでもツリーが伸びて無限ループに入ってしまうので、あとは考えないようにします。そして、いつのまにか忘れて行きます。
多分私は、そのスピードは標準より遅いと思うけれど、以前のように、罰のように無限ループに囚われるのは、もう懲り懲りなのでそうしています。

No.21さんが森田療法のお話をなさっていますが、私も昨日ご返信を見ていて、こちらの質疑を思い出しました。質問内容は違いますけれど、参考リンクの過去質疑で御一緒したNo.4さんのご回答が解りやすく、貴方の様な方には向いているように思えました。
嫌なことを思い出さない方法の一つとして、参考になさってはどうでしょう。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6790818.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。No23の方で述べさせて頂きました。

お礼日時:2012/03/28 22:21

#4です。

お礼ありがとうございます。

>ちょっとショッキングな出来事があったため落ち着くまで回答が書けず申し訳ありません。

もう大丈夫ですか?
「お返事」が遅くなっても気にしなくてもいいと思いますよ。

あなたが「返事を出すのが嫌になった」り「何とか不安に対して解決策が見いだせてきた」りすれば、ここを閉め切ればいいだけです。

回答者も「義務ではない」ので「自分の楽しみ」で記入を行っているのですから。^^

>>遺伝性について
>「少し高い程度」だとやはり遺伝しているじゃないか!と騒ぎ立てられたり、つけこまれるのではないかなと悪い方に考えてしまいます。今現在偏見や忌避が広がっている以上、相手によほどの知識と理解がなければこれを納得させることが難しそうです。

そうですね。なかなか言葉だけのイメージが先行して、正しく理解してもらうのは難しいですね。
でも、疑問を明文化すれば、理解を促す手段にはなりますよね。
まぁ、あきらめずにボチボチです。

>だからといって(http://asperger.byoukinavi.net/iden/)のように「どこのデータからその数字を出した!?」と疑うのも自分の中にあります。

ほぉ~中々読みごたえのあるブログですね。
基本的には「眉に唾をつけたくなる」ようなことは書かれていませんね。まだ、ざっと目を通しただけですが。
書かれている数字の出典元が、どこにも書いてないのは筆者が教育者でも研究者でもなく「子育て中の母親」だからでしょう。惜しいですね。

>そういった意味では社会的成功を収められる人はひどい事“も”できる器用さや図太さが必要なのかな・・・と考えています。

でしょうね。ただその上で、あなたは「社会的成功」がうらやましいですか?
私はやはり「穏やかな人生」が一番いいと考えます。

>表面上の付き合いがよかった人だったがゆえにそれすらできない、いちいち他人の言葉に傷つけられて魂に刻まれていてばかりの自分では社会に追従できないのでは、と考えてしまいます。

それだけのことを書かれれば、だれでも傷つくでしょう。
こう言ってしまっては、失礼になるんでしょうが、その記入された方はネットというものをよく御存じないのではないでしょうか。ネットで酒場のクダマキを再現してはいけません。言葉よりも文字は人の心に突き刺さりますから。

>ただ自分の場合は敵はつくれど味方はつくれない・・・本当の「憎まれっ子」ではないかと考えています。
>まさに今の自分は、最初の辺りで話していた「ブラックバス」そのものじゃないかと。

ブラックバスは北米に帰れば「普通の魚」です。
周りに「その人の障碍を理解しよう」という環境があれば、障碍者も「普通の人」になるのではないでしょうか?
「そんな環境、夢物語だ」と言われてしまうと、私は支援学校教員として悲しいですけどね。

>>ソーシャルスキルトレーニング
>広汎性発達障害を診断してくださった医師に紹介されたセラピーから出入り禁止になってしまいました・・・orz
>もともと3ヶ月のセラピー期間が終了したからというのもありますが、
>「君は社会を拒否している、理屈ばかりこねて他人を拒絶している、そこまで私のことを信じないなら来なくてもいい!」とセラピストを怒らせてしまった・・・という経緯でした。

ほぉ~そのぐらいの事で「出入り禁止」にするセラピストって…
「今はあなたに自分の助言は役に立たない」と感じたのでしょうか?
それとも「もともとセラピー期間が終了したので、区切りとして」終わったのでしょうか?

あなたは大変「言語性に優れている」方なので、セラピストもそのスーパーバイザーも「あなたの不安」に対して一定に指針を示せなかったのでしょう。
あなたが書いているような「個人情報だからメモ禁止」「障碍者に対する理解もない」会社では、確かにあなたが不安に思うのはもっともだと思います。「辞めてよかった」と言えるのではないでしょうか。

>「メモをとって自分の記憶や行動を補助しましょう」
>「自力でやるには限界があるので職場や周囲の理解を求めましょう」

これは合わせて考えると、どうですか? 今でも難しいですか?

>昨今の不況ではますます難しいし、そもそも福祉とはその社会の財政の余力でやりくりしているようなものですし、
>我々側障害者が健常者にあわせて動かないとダメなのではないでしょうか? さもないと周囲が我々に我慢したり投資してまで得られるメリットを見出してもらえず、就職しても周りの足手まといになるだけで解雇されるの繰り返しになるような気がします

う~ん。実際の所どうなんでしょうね?
ハローワークの障碍者枠での雇用は伸びています。不景気ですから。「障害者雇用促進法」が排斥されない限り、この傾向は続くでしょう。

また、障碍者は社会に一定の割合で必ず居ます。そして、人は誰でも一生の内に1度は障碍者になります。それで障碍者を排除していては、社会が成立しなくなります。

>>嫌な事を忘れる方法→いいことだけを思い出す
>「アンパンマンたいそう」の歌詞を思い出しました。たしかあの歌にも「いいことだけ思いだせ」というフレーズがありましたね。淀んだ精神状態を戻すには有効な手段かもしれません。

その方法は、ちょっと難しいかと思います。
以前にも書きましたが、発達障碍者はマイナスの感情を引き起こした出来事をよく記憶します。反対にプラスは難しいです。ですので、嫌なことを忘れようとするのではなく、嫌なことが頭によみがえったら、それを横に置いておいて『今すべきことをする』に気持ちを集中させます。これはうつ傾向の人も同じです。

森田療法が代表的な方法です。ご参考までに。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません。
返事や回答が嫌になったというよりも、中途半端で放り投げて相手から「ああコイツもダメだったか…」と呆れられてしまうことに見捨てられ感をおぼえてしまうため、何らかの解決の糸口や光明が見えれば締めきりたいと考えています。 しかしそれは相手に依存してしまうことにつながったり、禅問答か「人生のなぞなぞ」を強いているような感覚になってしまいます。 もっとも、このFAQが微妙な類の問題なのでなかなか難しいところですが…


>出入り禁止?
そのソーシャルスキルトレーニングのセラピーは、ここで相談を始めるちょっと前から医者に紹介されて参加しました。 さらにその主催している病院はいろいろな種類のセラピーを開いていまして(話し方の講座とか聞き方講座など)今回参加したセラピーは12月いっぱいまで開いているということで途中参加でした。
…最初の頃はためになる話や役に立つ考えだと思ってどんどん受け入れてきましたが、しばらくしてから「それって本当に社会で通用するのかな」「というかソレやったことがあったけどダメだったぞ。シチュエーションの問題?やり方が悪かった?」「10年ぐらい前までしか通用しない方法のような…時代遅れ?」と、その内容が自身の記憶や経験と剥離しているような気がしたのでついつい質問やツッコミをしたのが原因でした。
「ちょっと待ってくださいソレってオカシイのでは」「個人情報保護法ってありますよね。自分はソレやったら上司に激しく怒られたのですが…」「職場に私物って持ち込めませんよね…」とツッコミ続けていたら、同席していたほかの参加者も「言われてみればたしかにそうだ」「個人情報保護法って面倒くさいよな…」「センセイどうなのそこんとこ?」とナゼか同意してしまい、そのセラピストの思惑や集団の輪を乱してしまったのが原因だったと思います。 そうこうしていくうちに最終的には前回回答のように怒らせてしまい(静かに怒るのではなく感情むき出しにした“キレる”という怒り方)、その後の診療で担当医から「あの人怒らせちゃったの!?いい人なのに…」と呆れられてしまいました。 その後他のセラピーやトレーニングにも参加をしようにも嫌がられる(頭数に入れてくれない、こちらに話を振ってくれないなど)ので、事実上の出入り禁止状態になってしまった…という経緯でした。

このFAQの最初の頃に指摘されていたように、どうも世間的に発達障害者というのは理屈でモノを考えることができない、口が聞けてもその口から出てくるのは飛躍あるいは破綻した論理や支離滅裂な話しかできない、ある考えにとらわれて相手の話を拒絶して話が通じない、あうあうモノを言うことしかできない人種としてしか見られていないのでは…?と考えるようになってしまいました。 案外そっちのほうが楽に生きられる術なのかもしれませんが…


>穏やかな人生を送るには…
その人が羨ましい!という気持ちもあります。
「それはそれ、自分は自分。完全に同じ条件下で立ったとしても成功できる保障ある?」
「後から追いかけたってタッチの差でアウトかもしれないよ?」
「コロンブスの卵の逸話を思い出そうね」
「羨ましいだけにしようね。妬んだって100円の得にもなりゃしない」
「相手の立場になって考えてみろ。すごい見苦しくてうざったいヤツにしか見えないぞ」
…自分の場合は自身を突き飛ばして考えることでこれらの思考を強く強く言い聞かせ、「じゃあその人のマネとかいいとこを取って3割だけでも再現できれば御の字かな?」と思って実行しても…これはよくある「これをやれば株やFXで儲かる!」的な広告につられて知識もないのに生兵法をやったら借金地獄に陥ったのと似たようなものかもしれません。 最近になって身にしみたことですが、実は自分は他人のマネがとてつもなく下手くそなことに由来しているのではないか…と考えてしまいました。 かといって自分のやり方を見出そうとしても「お前のやり方はオカシイ」「常識で考えろ」「周りに合わせろ!」と叩かれるのでやっぱりうまくいかない…
話がずれてきましたが、自分は回答者様のおっしゃるような「穏やかな人生」すら送ることができない、カウンセラーやセラピストすら怒らせてしまうような意地の悪い不器用な人間なのではないかという自己嫌悪に陥っている状態にあるようです。 


>障碍者も「普通の人」?
先のセラピーの話に関連しますが、障害者雇用枠で就職したのに解雇されてしまった聴覚障害者の方と知り合って話を聞くことが出来ました。 ただその内容は散々たるもので…
事務で入ったはずなのに机がなく、やらされる仕事は清掃ばかりで関係のないものだけ、慰安旅行とか飲み会とかいった社内行事に連れていってもらえない、耳が聴こえないから研修にも参加できない、それでも雇ってもらっているから贅沢言っちゃダメだなと割り切っていたら3年経ったある日急に嫌がらせが始まった、それが助成金が切れたから自分から辞めさせることで余計な金を払わせないものだったとか(退職金?よくはわかりませんが…失礼だと思ったので聞けませんでした)、弁護士とか職安に訴えても面倒臭がって動いてくれなかったとか、味方らしい味方を見いだせなくなってついに欝になって辞めざるをえなかった、更に失職後に自分が正社員ではなく契約社員枠で入っていたことがわかった…と、「アンタは脳みそに異常があるみたいだけど見た目は普通だから健常者のなりふり格好すればまだやっていけるかもしれないぜ。だって精神に異常のないオレですら耳が聴こえないっていう理由だけで会社から追い出されたんだからな。」と言い放たれて陰惨たる気持ちになってしまいました。
たまたまその人にとってハズレだったのかとおもいきや、同席していたほかの障害者も似たような事情(出社も難しい僻地に飛ばされた、無理難題な仕事を任されて失敗したのを口実に解雇された、生活保護以下の収入で生活がきつく賞与はおろか交通費すらでなかった、耳が聴こえないのをいいことに悪口をしょっちゅう言われる、極めつけは歩行障害なのに外回りの飛び込み営業をやらされた)ばかりで、回答者様がその場に同席していたら卒倒しちゃうのでは…というぐらいのショッキングな話ばかりでした。
病院というたまたまそういう人が集まりやすい環境下にあったからか、あるいは意図的にそういう人が集められたからかのいずれかだとは思いたいのですが、障害者に理解のある職場とは夢物語か宝くじのようなレアケースであり、その実態は障害者雇用促進法でむりやり現場にねじ込まれた障碍者が邪魔で邪魔でしかたないからで自分からやめさせるようにあしらわれているのでは…と考えてしまう出来事でした。



>そして、人は誰でも一生の内に1度は障碍者になります。障碍者を排除していては、社会が成立しなくなります。
今働いている障害者の人たちにゲンコツされて叱られるのを覚悟して述べますが…医学がどうのこうのではありませんがたいてい障害者になるのは、身体にガタがくる50代以上の高齢者から表面化します。 しかしその年齢になれば大体は社会人から引退し、それまでの蓄えなり息子世代に養ってもらうなりである程度は自活できますが…その体制を構築できないまま障害者になってしまうと上述のような状況に陥ってしまうのではないかと考えてしまいます。 障害者が仕事についている人をあまり見かけないのも、就いていたとしてもトラブルを避けるためなのか腫れ物を触るような扱いで相手にされなかったり、健常者のような仕事のパフォーマンスが期待できないから賃金を低くせざるを得ず、しかし生きるためにも一社会人として土俵に立たざるを得ない、うかつにトラブルを起こしたら「弱者を叩いた差別主義者」のレッテルを貼られるのがオチであり、そんな爆弾を抱えたくないからこそ上の話でしたような排除行動が働いたのではないか(しかもいなくなってもあまり困らない)、と思ってしまいました。

なぜこんなことを考えてしまったのか、過去に面接でこう言われたことがあったからです。
「キミを雇って投資して当社にメリットはあるの?投資した分会社に還元できないと雇う意味がない」
…今でもこの究極の正論に抗する言葉を見出すことができず、心に深く突き刺さっています。


>森田療法
初めて聞いたので調べてみましたが、たしかに今の自分が神経症の一種に陥っているのかな…と思う所が多々ありました。 ただ自力でやるには難しそうだったので担当の医師に聞いてみましたが専門じゃないということで紹介してもらったのですが…
バッサリ「時代遅れ」と切り捨てられて、「今は“神経症”なんて言葉は使っちゃダメなんだよ。 色々な種類の病気や症状の概念ができたからね。 それを全部ひっくるめて神経症と呼ばれていたんだよ」「効くかもしれないけどオススメできないし、どうしてもというなら他所の病院に行ったほうがいい」「だけど発達障害でやっているとなると県外にいくことになるから…」とたたみ込まれてひどく難色を示されてしまいました。 「認知行動療法がいいかもしれないけど、キミあの人怒らせちゃったからなぁ…」ということで(あれ以来他のセラピストやカウンセラーが主催する他のセラピーなどへの出席も断られるようになってしまいましたorz)、ますますもう人生の行き詰まりを感じてしまう状況です。

…最近になってますます手遅れだとか、嫌な考えが浮かんでは風船のようにはじけて浮かんでは…の繰り返しになってしまいます。自分の頭のどこかで「諦め」の感情が湧いているのかもしれませんorz

お礼日時:2012/03/28 22:20

#19です。

先の文章に誤りがあったので、申し訳ないのですが再投稿です。
>ただし型があるのでまったくダメというわけじゃない、その時の状況と型が合えば十分な能力が発揮できるわけなので、「実はやればできるんじゃないか?」と思われてしまう要因ではないのかな・・・と思います。~
  ~の部分、私の編集ミスでリピートしています…申し訳ないです。<(_ _)>

力足らずですが、訂正だけで終わらすのも何ですので…
投稿が重なってしまったので以降の文章については、お時間のあるとき、気持ちに余裕のあるときに読んでいただければと思います。

*****************************************************************

“型があるのでまったくダメというわけじゃない、その時の状況と型が合えば十分な能力が発揮できる”
この言葉、逆にこちらが励まされました。

先の回答で書いたように社会に不満がないわけではないけれど、引き出しが限られている発達障害者は、特性を見誤らずに個性を磨くことが、どうしても肝要になりますよね。
努力することと無理を強いることはイコールではないですものね。
適性と合致しない分野で無理を強いると、自滅にもなりかねません…。

健常者が適性に合わない大学を受験しても、落ちたり中退してしまうのと同じことだと思います。
親の願望・家庭の経済事情だけで大学を選ぶと、将来に生かせないのとよく似ています。
本人の適性や気持ちを尊重することと甘えは違いますが、常に無理を強いられて来た人は、自分の気持ちを尊重することを甘えだと自らに厳しい判定をしがちなので、取捨選択に迷いを生じてしまうし、苦しむことも多いと思います。

結局、物事の基本的なことは健常者も発達障害者も変わらないのだけれど、守備範囲が大きく違う。
だから無理を強いるのでは方向性が間違っていて、ゴールにはたどり着けないどころか悩みを深めてしまう…。


自前の型を生かして、どうやって苦手な分野を補って行くのか、常に創意工夫を凝らすよりないのでしょうね。折角生まれてきた以上、それを楽しめるぐらいでなければな、と近頃は思います。

誰もが自分の型を見つけて、それを生かすこと、支援していくことが出来る社会を築いて行けたら本当に素晴らしいことですよね。
何事も他人事で済ませたら、確かにストレスは少なくて済みそうですが、過去を忘れることが出来ない貴方だから、自分だけではなく他の障害ある人達の苦しみも自分のことのように恐怖したり辛かったのでしょう。

それが見えてしまう、心に焼き付いてしまうのは辛いことだと思うけれど、貴方のように声を上げる人たちがいなかったら、益々それらは見過ごされてしまいます。
貴方が今ここで書いたことを読んで、虐めの罪深さについて再考察する人が一人でもいたのなら、虐めに荷担する側に回ることを踏み止まろう、食い止めるには自分に何が出来るのかと“冷静に考え行動する人”(方向性を間違えると、それも虐めになりかねませんから敢えて“冷静”という言葉を使っています)が現れるのなら、貴方の苦しんできた歳月は決して無駄ではないと思います。

専門知識がないので、このぐらいのことしか私からは言えませんけれど、医療、師弟、恋人、どんな関係であれ、二人三脚のパートナーが貴方に見つかると良いですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
4つに分かれているようなのでこちらに集中させてもらいます。


>カイロプラクティック
これもまた答えなかった自分に責があるのですが、中学校時代に組体操の事故で腰を壊してしまったことがあります。それ以来少し無茶な運動をすると、まず腰にきてしまう。それは筋肉が足りないからだと医者に指摘されたので、筋トレで筋肉をつけてもどうしても無茶が利かないばかりか(後になって効いてくる。2,3日は痛みが収まらない)、五本指靴下もなぜか右の指のほうだけが穴が空いてしまったり、左右の肩が平均していません(どうも右に偏っているようです)。
周囲から「姿勢が悪い!」と言われたりして、身体の矯正が必要だと痛感していたのですが、今回の回答を機にカイロプラクティックを受けてみましたが・・・その実態はカイロプラティックを利用したただのマッサージ店でした、ということでまったく治らなかったことと、「医療行為はしてませんよ?」という突き放された言葉に(ホームページには身体のズレを直します!という謳い文句まで書いてあったので)ちょっとショックを受けてしまったわけです。後にカイロプラクティックは医療行為にならない(柔道整復師や鍼灸と違って民間療法扱いなので法律的に医療行為と見做されない)ということを知ったため、少々高い授業料を払ってしまったかな・・・と凹んでいます。
ただし、その事情を抜きにしても「うつが治る」という先入観を抱いていたのも事実なので、そのこともよく考えて行動するべきでした。


>的を得た鋭い表現力?
うーん・・・お金になるかどうかと云うよりも(ゼロじゃありませんが)、先のお礼でも述べたように「その意見を聞いてくれる人はいるの?」的な方に疑問をもっているわけです。狼少年ではありませんが信じてもらえるのか、注視してくれるのかな?ということです。過去に「人は信じたい情報しか信じない」ことや「お金になる情報しか受け入れてくれない」的なことを痛感されたことがあるので、ライターとしての才覚があったとしても果たしてそれで身を立てることができるのだろうか・・・的な不安を抱いています。
近い話では「発掘あるある大辞典」の納豆ダイエット騒動がありましたよね。データが捏造されていてそうとは知らなかったとしても「痩せる」という信じたい情報を受け入れた結果、納豆がお店から消えてしまったいっぽうで、ウソだとわかったら手のひらを返してしまったかのように納豆がお店に並ぶようになった・・・受け手次第ですが難しい話です。


>文章の読み方
その読み方、かつての自分とまったく同じです。かつては長い文を読むのが嫌なので要点だけを掴んでパッパッパと読んでしまっていたことがあります。そのため全体の流れは理解できても細かい部分が理解できず(登場人物の心理の変化など)、それが文法がダメだったり、前述の「犯人の足を狙え!」的なヘンテコリンな思考につながっていた・・・と自分の中では考えています。
これが治った(?)のは興味をもつ分野、すなわちノベライズ化されたマンガでした。普段から読み慣れたマンガであれば文章だけでもある程度は脳裏で絵柄が再生ができるので、そこから隅々まで読む癖が見について、やっと文字アレルギーから脱却できたかな・・・?と思っています。「にんじんが嫌いならにんじんケーキから食べさせる」理論ではありませんが、「慣らし」で徐々に適応させていくほうがいいかもしれません。


>目よりも耳から入ってきた情報
自分もそうなのですが、この手の人は理論を納得すると理解しやすくなるタイプです。自分の場合は身体でその理論を実践させて納得するという手順を踏んで学習してきました。ただ耳の情報を優先するがゆえに手痛い言葉もどんどん受け入れてしまうのが悪い癖で・・・下手すると自分のようにネガティブ思考の化身のようになりかねないため、言葉を選ぶ必要があります。
これもまた経験則に基づくものですが、「赤い服を着たAくんと、青い服をきたBくんと、緑の服を着たCくんと、茶色の服をきたDくんが順番にやって来ました。2番目にやってきた子は誰でした?」的な問題がありますが、視覚での情報伝達が問題ない人は脳裏で色彩の再現ができるので迷わず答えられますが、聴覚の方となると何度も読み返してしまう。ただし「2番目の子供は誰でしたか?」的な問題には答えられる可能性があります。
これみたいに視覚で捉えるか聴覚で捉えるかの違いがありますが、それ以上に重要なのが「過程を重視する」ことです。視覚重視の場合は結論から述べるのでこちらからすれば「まてまてまてナゼそんな話につながるんだ、飛躍してるぞ!?」と疑問に思うことがありますし相手からすればこちらの説明は順を追っているために「くどい!」「見りゃわかるだろ見りゃ!」と思われてしまう。この差は思考の隔たりが大きいため、後者は研究職かあるいは語学に向いているという話を聞いたことがあります。不遇にも自分は語学がどうしても身につかなかったので一概にはいえませんが・・・どうも質問者と回答者があべこべになっているようなw


>嫌な事を忘れる方法→いいことだけを思い出す
「アンパンマンたいそう」の歌詞を思い出しました。たしかあの歌にも「いいことだけ思いだせ」というフレーズがありましたね。淀んだ精神状態を戻すには有効な手段かもしれません。しかし自分の場合はどういうことか悪い記憶もセットで再生されてしまう・・・「かけっこで1位になったこと」を思い出す→「でも来年は派手に転んで笑われていたな」という感じに連想ゲームの論理で出てきてしまうんですね。
さらに、「昔に縛られて苦しんでいるのに過去に拘っているのは矛盾しているな、越や空想に浸っているだけだ、今は変えられないだろ!時計の針は戻せないんだ!過去は過去、前や現実を見ろ!そっちが先だ!今10年後から戻っていると仮想して行動しろ!」という内なる指摘が強烈なブレーキをかけてしまうため、どうもこの方法は有効な手段にはなりそうもありません。

>思慮
今の自分の思慮のなさに関する不安とは、お年寄りに席を譲ろうとしたら「まだまだ元気だ、余計なことするな!」と怒鳴られたり、相手に誤解無いように1から10まで説明しようとしたら「馬鹿にするな!俺はガキじゃねえんだ!」と怒鳴られるのと似たようなものでしょうか。どっちも苦い経験があるので(特に後者は自分もそれが「基本」なのだと思ってついていこうとしても・・・ダメだったりします)、余計なことしちゃダメなのかな・・・という変な思考が入ってしまうようです。ヘタに本音を出すと後述のように余計な爆弾を炸裂させてしまうので・・・

>情けは人のためならず?
かつては自分に辛く当たった人たちの視点からすれば、いかに自分は彼らの環境を乱す存在だったのか、というのがわかるような気がします。最初の頃に話していた「ブラックバス」まんまのような存在だったのでしょう。だからこそ排除行動(≒いじめ)に走ったわけで、年がら年中全方位にそういった行動はまずしないものだと思います。
何が言いたいのかというと、そういった人達にも情はあるけど感情は排することができないだけだったということです。自分の場合も例外ではないかもしれません。よっぽどそいつが原因で精神的に追い詰められない限りはそういった排除行動や憂さ晴らしの類は行わないんじゃないのかな・・・と思います。イジメられた方に原因があるんだぞ理論ではありませんが(責任はやったほうにあっても)、火のないところに煙は立たないなんて言葉があるように原因を作ってしまうため、人を避あああけたりすることで原因を避けてしまっているのが現状のようです。

>自分の型
何らかの型があえばそこを下地に自信を構築できるのですが、何をやってもどうもしっくり来ない(スポーツは運動が下手なので合わない、デッサンはどうしても身につかないし音感やリズム感はゼロなので楽器演奏もろくにできず、とくにリズムゲームのたぐいが苦手で簡単な曲すらクリアできない、勉強は好き嫌いが激しすぎるのもあるけど今の精神状態が原因で「手遅れだ諦めろ無駄なあがきだ」という不安が脳裏によぎってどうも手に付けない・・・)ので、実は自分は一種のスライムかアメーバのように決まった型がない、不定形の生物か何かじゃないかという疑念が湧いています。似たような悩みをもっていた知り合いが過去にいましたが、その人は「型」を持たないがゆえに他人を真似ることに才覚を見出して、つまり役者になって活躍していますが、どうも自分には演技力もない。ほんとうに自分の型ってあるのかな?と疑念と不安が広がりつつあります。褒められても先のソーシャルスキルトレーニングのように「無理して褒めている?」「賞を取れればまだしも」という疑念が湧いてしまうので、才覚のたぐいがどうしても見いだせず・・・


>クールダウン
自分の場合は感情が排せないこともありますが、まずはメモ帳(Windowsのアクセサリ)で文字を書いていき、そこから何度もしつこく推敲して投稿する、というスタイルを採っています。その過程の中で誤字脱字の添削のほかにも「これ言ったらマズイだろうなぁ」と削ったり「相手はきっとこういう回答を欲しがってるんじゃないかなぁ・・・だったらこう書いて感情を害せないように意見を言えるかなぁ」などすることでやっと回答できるようにしています。ただしそれだとどうしても回答が遅くなってしまうというデメリットがあるうえにそれでもやらかすのでので難しいのですが・・・


もう少し器用に生きられればいいのですが・・・ありがとうございます

お礼日時:2011/12/28 17:46

何度もすみません。


鬱のときは長文が堪えるものと聞き及んでおり、返答を待たずして矢継ぎ早に書くのは非常識だと思ったのですが、前回割愛した部分がありましたので勝手ながらも再投稿です。
また、長文であり学術的ではないこと、質問者さんには直接結びつかないことを多く含む内容であることを先にお詫びしておきたいと思います。


>自分の考えの中では「健常者=電子顕微鏡」「発達障害者=ターレット式顕微鏡」という考えがあります。~後者は決まった倍率でしか調整できないのでどうしても不器用になってしまうわけです。

“「健常者=電子顕微鏡」「発達障害者=ターレット式顕微鏡」”この部分No.18さんも仰るとおり、私も表現に感心したのでコメントをしたかったけれど、何と返せば良いものか、言いたいことがあり過ぎて、思いあぐねているうちにうやむやにしてしまいました。

これまでにも発言してきた内容と重なりますが、私は以前、息子の主治医に次のように話したことがあります。
「息子は(周りの状況や感情が)見えていないのとは違うんです。的に近いところ迄は行けるのですが、情報を処理する途中で余計な情報が挟まってきて、つられて脇にそれてしまったり、言いたい言葉が直ぐには思い浮かばなくて、ニュアンスが違う言葉を使ってしまったりしてしまうんです。」

息子が考え込んだり、言葉を表出させよう絞り出そうと、視線をあちこちに移す様子から私にはそう感じられました。
この子は物事が解らないんじゃなくて、方向性や概要、輪郭が見えてもピントを瞬時に併せることが出来ないんだなと。

そして次のように言葉を続けました。
「健常者が言葉を話すとき、考えるスピードと発話するスピードがほぼ同時なのに対して、息子は言葉を表出させるのに時間が掛かります。
それこそ言葉を濾すように、不純物を濾すようにして話すのです。
近視や乱視の人が全体をボンヤリ見ることが出来ても、細部を見るのに近寄ったり目を凝らしてやっと全容が掴めるように、思考も言葉もピント併せに時間が掛かります。
視力に問題がある人たちが眼鏡があれば問題なく生活できるように、息子にも眼鏡に変わる存在があれば…いつもそう思います。それが解らないから悔しいんです」と。

それを言ったからなのか何なのか…。
本来の知能に見合った成績を残せない息子のことは、主治医もとても気に掛けて下さって、ADHDの治療薬をその後、処方して頂いています。
結果として、集中力が少しずつですが増し、学力にも少しずつですが反映されていると思います。

でも、やはり悔しいんですよね。
文字情報を瞬時に読み取ったり、同時処理に向く能力があると教えて頂いても、それが生かせるのは今のところゲームぐらいしか思いつきません。
いっそのこと、学校の教材がゲームソフト仕様になっていれば、息子にも効率よく学習したことが定着するのでしょうけれど、いかんせん、世の中は健常者向けになっています。
息子は目から入った情報よりも耳から入った情報の方が良く理解するという特性もあるのですが、学校の授業はそこまで配慮されていません。


>ただし型があるのでまったくダメというわけじゃない、その時の状況と型が合えば十分な能力が発揮できるわけなので、「実はやればできるんじゃないか?」と思われてしまう要因ではないのかな・・・と思います。ただし型があるのでまったくダメというわけじゃない、その時の状況と型が合えば十分な能力が発揮できるわけなので、「実はやればできるんじゃないか?」と思われてしまう要因ではないのかな・・・と思います。”

――このご意見、本当に、本当にそう思います。
発達障害者支援の学校に通わせてあげられなかったこと(本人曰く、周囲から知的障害者と受け取られる偏見も嫌だし、友達と同じ学校に通いたいから興味はないと言っていましたが)、研究が進んでいる地域に移住を決行しなかったことは親の責任ですが、大人も子どもも絶対支援する方法がないのではないのに、研究もされているのに、それらが「日本では浸透していない現状、見過ごされていることが悔しい」んです。
自分にあった型をみつけられた人、山下清さんも(外国の方ですが)トム・クルーズさんも才能に溢れていたのは間違いないことであり、情熱も意欲も並々ならぬものを持っていて、努力を厭わなかったからこそ成功したのでしょう。けれど、この型を見つけるのが本当に難しい。

貴方に限っては、此処で度々拝読させて頂いたご意見の中に、コピーライターや本の帯にある書評のような、的を射た鋭い表現力を感じます。
これを言うと貴方は過大評価やお世辞に感じて、居心地が悪くなってしまうのかも知れませんね…。
今、現実にお金に結びつかないのなら、何の意味があるのかと。
でも、そういう鋭い表現は、貴方の中で何度も何度も精錬され、余計な不純物を濾した上で誕生したものであろうと思いますし、誰にも真似できない才能であることは間違いないと思います。

貴方が全くの健常者であったら、この表現を果たして生み出すことが出来たのだろうか?
その様に私は思います。
傍から見たら効率の悪い、何度も何度も回り道をしたことで生まれる言葉。
だから、重みが違うんですよね。
物事は一長一短で出来ています。
だから欠点と思えたことも、視点を変えれば、素晴らしい可能性や輝きを秘めているものであり、そのことは慰めでも何でもなくありのままの現実だと思います。

貴方が此処で見せている思慮深さは、社会に出てからの失敗の上で成り立っているということを吐露なさっていましたね。現在は、配慮の程度が解らなくて苦しんでいらっしゃるわけですけれど、それは人の痛みを知っているからだし、誰もが少なからず経験することだと思います。
結局は、何を失敗と感じ何を恥と感じるのか、そういった感受性に関わる問題で、貴方は自分が言うほどには鈍くなど無いと思います。苦しむのは、その為でしょう。
それこそ、No.18さんが仰っていた「嫌なことを忘れられない能力」に由来していると思います。

では、どうやっても自然と思い出されてしまう嫌なことをどうやって忘れるのか?
私は、それを打ち消すことが出来るほどに良いことを思い出します。
繰り返し、繰り返しです。
嫌になるほど繰り返し嫌なことを思い出すのなら、それを押し流せるほどに良いことも、たくさん思い出します。そうやって、バランスを取って来ました。

駄目なときは駄目ですけれど、でも何かの切っ掛けで一度良いことを思い出せたら、そちらの波に乗ることで嫌なことを流し去ることが可能でした。
辛いものを食べたら牛乳を飲む。
甘いものを食べ過ぎたら漬け物で甘みを中和する。―― そんな感じです。
過去のことを忘れられないその能力を逆に生かしてみる、ということです。
(心が元気なときは趣味に没頭することで、嫌なことを思い出すこと自体、全くと言って良いほどなくなるのですが、元気がないときは中々趣味に没頭は出来ないので、良いことをたくさん思い出す方が即効性があります。)
でも、これは私流で貴方に合うかは解りません。


貴方は自信を沢山失っても、そこから得たものも沢山あり、本来の能力も消えて無くなったりはしていないんですよね。
辛いときは何もかも失ったように思えるでしょうけれど、そんな中にも必ず得たものがあります。
――素人があれこれと、経験に頼った話ばかりするのも何なのですが、陰ながら応援しています。
何度も付き合わせてしまい申し訳なく思います。どうぞ、ご自愛下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。No20の方にまとめさせてもらいました。

お礼日時:2011/12/28 17:48

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