教えてgooでも何度か質問されている
”鶏が先か、卵が先か”という言葉が
あるますが、これってどこの国が起源
なんでしょうか?

先日”チキンラン”を見ましたがここ
でもその話題が出ていました。日本だ
けのものだと思っていました。

A 回答 (2件)

 どこにでもあるものなんですね。


 考え方次第で、たとえば「鳶が鷹をうむ」ということがあったとしましょう。鳶が産んだ卵を親のものとして「鳶の卵」と定義したら、鷹としては「鷹が先」。たかが生まれるのだから「鷹の卵」としたら、鷹としては「卵が先」となりますね。

 狩猟・採取民族で、卵を孵化させて・・・、と考えずに、すぐ玉子料理で食べちゃう民族性であれば、トリが先でしょうね。
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この回答へのお礼

確かに考え方次第というところもありますね。

お礼日時:2001/05/07 09:00

良くありますね。

でもあれは卵が先ですよね?
品種改良または突然変異で卵で生まれて、雛になってから品種の改良又は突然変異の確認をすると聞いています。
つまり、卵の時点で品種改良又は突然変異されているので、親とは別の品種で区分すると聞いています。

ですので、ある時点から突然変異したり、品種改良の場合には卵から区分するので、卵が先ですよね?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
おっしゃる通り卵が先のようですね。

映画”チキンラン”はイギリスの監督が創ったものですから
この言葉はイギリスにもあるってことですよね?
起源は古代ローマかギリシアまでさかのぼるのですかね?

お礼日時:2001/05/02 08:58

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大平洋戦争の当時、アメリカの兵隊はとても恐ろしく残酷だと教えられていました。捕まれば男は八つ裂きにされる。女は犯されてから殺される。今では信じられないことですが当時の人々は本気でそう信じていたのです。

戦争末期、1945年の3月26日。その恐ろしい鬼畜米英がついに沖縄に押し寄せて来ました。最初の上陸地点は那覇の対岸に位置するケラマ諸島。今ではダイビングなどのマリンスポーツが盛んな美しい島です。
まず艦船と飛行機から激しい砲爆撃を加えて島を焼きつくします。それから上陸を開始。小さな島なので逃げるところはありません。追い詰められた住民達は「集団自決」を決行します。軍から自決用に手榴弾が支給されています。家族や親戚でそれを囲んで爆発させるのです。

それがない人、不発だった人はいろんな方法で自殺します。紐で首を閉める、首を吊る。カミソリやカマ、ナタで頸動脈を斬る。ネズミ取りの毒薬を飲む。棒や石で殴るとか。自分ではなかなか死にきれないですから、お父さんが、奥さんや、子供を殺す。兄が妹を殺す。

愛する人が苦しむところは誰もみたくないでしょう。だから一瞬で死ねるように、できるだけ思いっきり、殴るなり切るなりしないといけないわけです。そして自分は最後に自殺する。
そうやって島民がそれぞれ自殺していったのです。 無惨です。死ななくてもよかった人が大勢いたのです。そして死にきれなかった人、奇跡的に助かった人は多くを語りません。

「チビチリガマ」という洞窟に避難した140人の住民はアメリカ兵に包囲され投降を呼び掛けられます。壕内は自決派と投降派がいるわけですが、中国戦線を見た従軍経験者、またサイパンの玉砕を知っている人などにより自決を決行してしまいます。布団に火をつけて煙りと炎で85人が犠牲となりました。

しかしそこから800m しか離れていないもうひとつの「シムクガマ」。1000人の住民が避難していましたが全員が助かっています。ここにはハワイ帰りで英語の解る人がいたのです。

この人はアメリカ人をよく知っていたので鬼畜米英は軍の流したデマだと知っていました。住民を虐殺するようなことはアメリカ人はしないと皆を説得し自決を思いとどまらせたのです。

避難していたガマがついに敵に発見されてまう。入り口から「カマワン(Come On)デテコイ」と呼び掛けられる。アメリカ兵は残虐だと教えられている。捕まったら、ひどい殺され方をされる。

中国戦線を見た人の話しによると神国である日本軍も中国の住民には恐ろしい事をする。それなら鬼畜米英に捕まったらただではすむわけがない。自分の妻や親や、子供達をそんな目にあわせるわけにはいかない。自殺するほうがどれほどましだろうか。
それに生き残って捕虜になることは非国民であって恥ずかしいことでした。 皇民化教育は沖縄でも熱心に行なわれていたし軍国少年もたくさんいたのです。天皇陛下の為に潔く死ななければならない。また投降しようとすれば日本兵にスパイ容疑で即、処刑されるのです。

住民は飛行場や壕の建設に協力している。おかげで壕の場所、部隊の規模、大砲の配置など知っていたりするから、捕まって秘密がもれる事は十分ありうる。よって捕虜になる事イコールスパイ行為ということになるのです。
投降のビラを見ていただけでも、方言を使っただけでも、スパイ容疑です。日本軍のいるところでは投降は許されません。投降すれば後ろから撃たれます。軍民ともに玉砕するしかないのです。

暗い高温多湿なガマの中で爆撃に脅え水も食料もままならない。そして日本兵の恫喝や略奪。そんな状況が何日も続き、ついに鬼のような米兵に発見される。これでは集団で自殺するしかないのです。というよりやっとこれで楽になれるというぐらいの気持ちではないでしょうか。

首里の司令部壕が攻略された時点で沖縄戦は終わるはずでした。移動できない負傷者を1万も抱えていましたし、軍人としても、逃げ回るよりも皆でいっせいに玉砕して散って行きたい。ところが 3万の残存部隊を南部のほうに移してまだ持久戦を続けるわけです。そこにはすでに20万の住民が避難しているところなのです。その後ろは海ですから逃るところはありません。
そこに撤退するということは避難民のど真ん中を戦場にするということです。 知念半島が安全地帯になっていましたが、もはや混乱の中でそれを伝えることもできません。おりからの豪雨にまぎれて部隊は撤退していきました。歩けない負傷兵には自決用の青酸カリが配られました。

この地域は特にガマ(洞窟)が多く持久戦に向いた地形となっていました。しかしその中には住民がすでに避難しています。そこに軍が入ってきます。また軍に守ってもらおうと思って追い詰められた住民がやってきます。軍は守るどころかガマを陣地にするので住民を追い出す。または危険な入り口付近に追い立てる。外は砲爆撃が雨のように降り注いでいるので安全なところはガマ以外にありません。

日本軍の最後の組織的な抵抗も終わり各部隊がバラバラでゲリラ戦を続けているような状況です。最高司令官の牛島中将も6月23日に自決(この日は沖縄の終戦記念日となっています)。

アメリカ兵にとっては戦争は終わったようなものでした。あとは残兵狩です。 ガマをひとつずつ潰していきながら南下していきます。まず入り口から日本語、沖縄方言で投降を呼びかけます。住民が投降しない理由も知っていたのでハワイの沖縄一世二世、すでに捕虜になった人を連れてきて説得したりもしました。

それで応じなければ日本兵も住民も一緒に火炎放射器やガス弾で皆殺しにしていきます。 ブルトーザーで生き埋めにしたり、ガソリンを流して火をつけたりします。中では住民の集団自決が起きます。
真っ暗なガマの中で多くの人々が死んでいきました。

食うや食わずの避難民、 家族、子供やオジーオバー。

追い詰められた日本兵、
「ひめゆり」などの女子学徒隊、
男子学生の鉄血勤皇隊、
竹やりの防衛隊、
奴隷のように使われた朝鮮人軍夫、
だまされて連れてこられた朝鮮慰安婦。

沖縄人の全戦没者は15万人にのぼると言われています。そのうち約2/3の10万人がこの南部戦線で亡くなっています。

住民は捕虜になって初めてアメリカ兵と接するわけです。水や食料、チョコレートをくれる。ケガを治療してくれる。老婆をおぶってくれる。沖縄方言もしゃべっていい。鬼と教えられていたのにえらい違いです。
それに対して自分達を守ってくれるはずだった日本軍は高圧的な態度での横暴ぶりが目につきます。日本刀を抜いてヒステリックに脅迫し食料を奪う。物資を無理矢理提供させる。アメリカーよりも友軍(日本軍)のほうが恐かったとも言いわれています。

悪質なものになると、ガマの中で泣く赤ん坊は米軍に見つかるので射殺する。投降しようとするものは後ろから狙撃する。捕虜になった住民を収容所から拉致してきて殺す(食料を奪うため)。

また方言しかしゃべれない老婆をスパイといって日本刀で切り殺す(みせしめ)。中国などで日本軍がやってきたようなことが沖縄の住民に対しても行われたのです。
そのように残虐行為を行う者はほんとうに少数派だとは思いますが、体験談などを読むとあまりに悲惨で怒りがこみ上げて来ます。沖縄人の命を奪ったのはなんといっても米軍の砲爆撃や機銃掃射ですし米兵が沖縄人を虐殺したり強姦した例もたくさんあるでしょうが。仲間である同じ日本人から殺されることはやはり悲惨としかいいようがないです。
「戦争というものはそうやって人を狂わせてしまうものなのだ」という言葉で片付けることなど絶対に無理です。

http://www.geocities.jp/toyobox1/okinawasen.html

大平洋戦争の当時、アメリカの兵隊はとても恐ろしく残酷だと教えられていました。捕まれば男は八つ裂きにされる。女は犯されてから殺される。今では信じられないことですが当時の人々は本気でそう信じていたのです。

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