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よくテレビでインタビューされた一般の人々が、
「説明してもらわないとわからない」
「説明が足りないと思います」
などと説明不足を問題にしているケースが見受けられます。
普通に考えると
「よく分からない」=「頭が弱いから」
だと思うのですが、なぜこの人たちは
「よく分からない」=「説明が少ない(悪い)から」
だと思えるのでしょうか?

学校の授業で、先生に説明してもらっただけで
しっかり理解する力があるなら、東大いけますよ!

なんで、こんな風に考えるようになるのでしょうか?

A 回答 (7件)

これって多分、日本人の生まれ持った気質と言うか本能によるものだと思います。



日本人って、ホント根本的な思考を働かせたくない人種なのだと思います。例えば原発の問題をとってもそうです。原発で怖いもの。勿論ケースバイケースでいろんな事が考えられると思いますが、一般的に言えば放射能汚染でしょう。

で、放射能に汚染された場合何が怖いかと言うと発癌率の上昇で、要は癌にならないか心配だと言う訳です。で、癌の発症メカニズムはと言うと、遺伝子に由来する先天的な体質と癌を引き起こす切っ掛けとなる環境要因の2つで、特に環境要因に関しては過去に蓄積されたダメージにも影響される為、実際にどれ程の放射能を浴びればなど誰も答える事など出来ない訳です。

しかし日本人は先ずそれを聞く。で、この事を伝えて一応の納得を得たと思っても、実際には全く納得していなくて、次にか若しくは違うところで同じ事を聞いている訳です。

確かに放射能を浴びれば負の環境要因は増します。しかし例え放射能を浴びなくても癌で死ぬ人は死にます。癌を発症させる環境要因は別に放射能だけとは限らず、タバコやある種の食品添加物、大気中の汚染物質等も皆環境に含まれ、最近では携帯電話の使用過多まで言われている始末です。これらを全て気にしていては癌で死ぬより先にノイローゼによる自殺を心配しなくてはならない位で、ハッキリ言って生きていけません。

TVでよく言われていた数値は、あくまで一般的な基準の数値で、それ以下なら大丈夫とは誰も言い切れない。これって、理屈の分る人間なら癌発症のメカニズムの説明とセットで十分な答えとなるし、逆に言うとこれ以上の説明は不可能と言えます。でも厄介なのは、日本人の多くは一応これを理解する点に有ります。

頭では理解する。しかし心底理解していない。これって、どう対処すれば良いんでしょう。その反面、赤信号皆で渡れば怖くないでは無いですが、周りがしている事に関しては全く警戒感を持たず、放射能汚染よりまだ問題ありの行動を平気で行っていたりする訳です。

私は、東電や保安員の遣り方に賛同はしませんが、日本人のこの体質がある限り「邪魔臭いから騙して丸め込め」的な手法をとった気持ちは十分に分るような気がします。

で、最後に答えなのですが、「説明が足りない」は、聞かれたからそう答えただけの事であって、本当は「気に病む程の事で無いのでそこまで深く考えていない」が正解の様に思えるのですが、どんなもんでしょうか。
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3つ考えられます。



説明下手。
自分が息する感覚でやってることや当たり前と思ってることをいざ説明しようとすると、なかなか難しい。
1から10まで説明してるつもりでも、相手からすると0.1 0.2…と、自分でもわかってるところを事細かに説明してたと思ったらいきなり一足飛びで5、10の段階に移っていたりします。
自分が当たり前に知ってることであっても、それが必ずしも常識で一般的な教養とは限りません。
知らないからといって責められるいわれのない、ただの文化の違いでしかなかったりします。


無知、誤解を正すにしてもその言い方がなってない。
「おまえは何も分かってない」「こんなことも知らないのか」なんて考えで説明してたなら反発買って当たり前。
オタクが、ガンダムなどのアニメのマニアックな設定を一般人に対し延々と得意げに語るようなものです。


そしてもう一つ。
そもそも、わかろうとする気がない。相手に共感できない、非難ありきである。
この場合、どんなに説明してもムダ。言い訳の屁理屈としか受け取ってもらえません。

たとえば私が重度のアトピーでなかなか就職が決まらなかったとき、親や友人からアトピーでも就職できた人を引き合いに責められました。
どんなに個人差や応募した業種の違いを説明しても、ニートの言い訳と一蹴。

そもそも、この場合に親や友人は就職できない理由など聞いてはおらず、就職できてない状況をどう思うか、どう向き合うかを聞きたかったわけです。
なのにただ言い訳ばかりだから責められたわけで、病状を理解されたって無意味。

>テレビでインタビューされた一般の人々
も、わからないと言った相手に対し似たような苛立ちを抱いているのではないでしょうか?
説明した側が起こした問題に対する怒りがあって、説明はその怒りを鎮めるには不適切だったのでは。
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4度目です。

続きです。osaka-girlのあなたは恐らく女性で私は男性です。
私は異性とはできるだけ交流を持ちたくないので、頃合を見て質問を締め切ってください。
よろしくお願いいたします。

<そうした大人は、質問に対して「私あまり頭がよくないので・・・と思います」
<というふうに前置きをします。日本人としての美徳・道徳です。
そうですね。昔はそうでした。しかしたとえば薬剤師・医者・大学教授が謙遜したらどうなりますか? きっと「じゃあ何故その程度の頭脳の人が高給取りなんですか?」と突っ込まれるだけです。私はどの大学でも教授が「自分は頭がよくないので」と言ったら公衆の面前で議論を申し込み、言い負かす自信があります。そして社会で「下克上」を起こすでしょう。東大の教授でも3割位は言い負かせると思います。きっと。事実、私は公の皆の前で教授を論破して学問を教えたことすらあります。まだ学生の身分ですが。謙遜したら、専門職の人は私のような賢い、一般人、それもたまには学生に潰され放題です。それは社会としては困りませんか? 矛盾だらけの社会では人間も矛盾になっても仕方が無いと思います。

<そうでない世の中になったのだとすれば、日教組と文科省の失敗ですね。
いいことを言いますね。私もそう思います。

<結局そうすれば、頭いい人も悪い人もみんな頭悪いというので問題ないのです。
しかし頭が悪いのをごまかして甘い汁を吸っている人が大勢います。総理大臣もそうですし、教授も専門職も皆がそうです。彼らが一般人に片っ端から「論破されたら」どうなりますか? 私は実際に薬剤師と医者と教授を公衆の面前で何人か論破したのですが。もし、「自分は頭がそんなに良くない」と薬剤師・医師・教授が主張したら私は「頭の良くない専門職の人がいる社会はおかしい」と声を張り上げるでしょう。そして論破された彼らの居場所が無くなって彼らが可哀想です。あなたはそういう人まで謙遜すべきだと思いますか? 実際には専門職の人だって「自分はそんなに頭が良くない」というべき人間だらけですが……。

<まず自らの無知を知るところからはじめよとの主張はソクラテスでしたっけ?
ソクラテスは「無知の知」です。そのために彼は殺されましたが……。世の中の人々は大体は「張りぼて」で生きていますし、それを論破すれば殺されるのです。今の時代でも。私もあまり教授を論破したら退学になるかもしれません。

<何事も人のせいにするのはやめにしませんか、見栄を張るのは疲れるだけですよ。
<それは、変なのでしょうか?
変ではありません。正しいです。今の社会が歪んでいるだけです。

もし、「無知の知」を主張したり、「自分は頭がよくない」と主張したら、私のような一般人に専門職が片っ端から潰されて社会に大きな混乱を招きます。一般人だって頭の良い人はいくらでもいます。しかし矛盾も仕方が無いのでしょう、きっと。誰かこういう日本、社会を変えてくれることを祈ります。

自分としては政治家と1対1で議論したいと思うのですが。

長々とまたもや失礼しました。もし読んでいて気分が悪くなったらそれは私のせいです。
本当にすみません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。読むの大変です。
私とは考えが違うこともよく分かったと思いますが、
自信ありません・・・・

お礼日時:2011/09/25 12:54

3度目の回答、失礼いたします。

長いので2回に分けます。

<私も頭悪いので、貴殿のご主張を理解するのに時間がかかります。
あなたは頭が悪くありません。そもそも本当に頭が悪かったらこういうことを真面目に考えません。あなたは頭が良いほうだと思います。ただ私の教え方が悪いのは間違いありません。すみません。しかし私はあなたと同年代、もしくはあなたよりも下の世代です。私は年齢からしたらまだ大人よりも子供に分類されると思います。ですので大人、社会の仕組みを問われても答えに詰まるのは事実です。あなたと同年代の人にあなたを説得する知能指数を求めても無駄かもしれません。これでも頑張って学んでいるのですが……。

<おそらく外していると思いますが、再度お教えください。
いえ。仮に外れているとしてもそういう色々な質問をされることで私も学ぶことが多いはずです。そういう意味では「嫌らしい質問」の方が私に勉強になります。勉強の機会を与えてくださってありがとうございます。

<あのアインシュタインでも量子力学は納得できなかったことはご存知ですね。
そもそも完全な理論は無いと思います。量子力学は学問として「正しい」と思いますか? 最近、光よりも速く進む物質が見つかった、というニュースがありました。物理学は特に革新的な事柄の多い学問です。物理学で言えば未だに素粒子は不明です。ひも理論が間違いであることを現代の物理学では証明できません。重力の媒介子のグルーオンなどの性質も完全には分かっていません。もっと言えばシュレーディンガー方程式を解かなければ電子ひとつの場所も分かりません。いえ、シュレーディンガー方程式は電子の居場所の「確率」しか求めることができません。そういう風にあやふやな物理学では量子力学自体が現代ではあやふやなのです。彼が理解できなかったのも仕方がありません。もっと言えば彼は量子力学の「本質」を理解できなかったのか量子力学の「正誤」が理解できなかったのか。どちらかも今の私達では分からないでしょう。私自身も納得している事柄などほとんどありません。

<子供に説明すれば、わかるのではなく判った気になるだけです。
そうだと思います。あなたの言うとおりです。しかし「正しい理解」とは何でしょうか? 私は「正しい理解」や「分かる」という定義が分かりません。あなたと私で「理解」という単語に対して想定する内容が違うと思います。一応、次の文脈では「わかる」を「完全な理解」と解釈して話を進めます。 日本語はどこまで極めれば完全ですか? 芸術に果てはありますか? 学問も同様です。完全な知識はありえません。どれほどの学者もまだまだ「判った気」でしかありません。どれほどの音楽家も音楽を「判った気」でいるだけです。ハリソン内科学を読めば分かると思いますが、現代の医学もまだまだです。標準生理学第6版には書いてあります。「人体のフィードバック機構はまだ1割くらいしか調べられていない」と。少なくとも現代の文明で「分かる」学問はありません。私達は皆が「分かったつもり」で生きています。今、私達が完全に正しい「証明」出来ることはこの世には無いはずです。大人も判った気でしかありません。大人のあなたは「完全に理解している」事柄がひとつでもありますか? 私はありません。もしくは「分かる」と公にいえる事柄がどれ位ありますか? 私も世の中に対して「分かる」と完全に主張できる事柄は恐らく無いと思います。一般の方々に話すのならまだしも、命題として「正」を証明できることを私は思いつきません。

<噛み砕いた説明とは、低次元の似た様な事象に置き換えているだけで、
このあたりは鋭いです。オックスフォード現代英英辞典は3000語の低次元の英単語を用いて8万以上の高次元も含まれる英単語を説明しております。しかし低次元の置き換えから高次元に進めることができます。ギャノング生理学の内容を低次元に置き換えて高次元のものを食べやすくすることができます。そのままでは食べづらい高度な学問「氷」も砕いて暖めれば低次元の「水」となって相手が吸収できるようになります。しかし本質は変わりません。少なくとも「H2O」を吸収するのなら後者の方が身体に優しいです。それなら低次元に置き換えても同じではありませんか? たとえば洋書という中学生には高次元のものも、ひとつひとつの英単語を日本語に置き換えて教えて、英単語の成り立ちを教えて、英文法を教えれば、理解は可能です。低次元にばらしても高次元は変化しません。私は「置き換え」ではなく「噛み砕き」だと思います。高次元のものを低次元を沢山用いれば理解できます。もし低次元の置き換えとするならば、「Immunobiology」はどうなりますか? それは「免疫生物学」という高度な学問について書かれていますが、使われている単語は医学部入試よりも少し難しいくらいです。もし噛み砕いた説明を「低次元の置き換え」というならば、「免疫生物学」は「簡単な英単語」に置き換えられているのですか? 「置き換え」ではなくて「噛み砕き」です。

<真の理解とは程遠いものです。
真の理解とは何でしょうか? 完全な理解はありえません。たとえば。高校の化学の本で「完全な知識」「真の理解」は私は見たことがありません。「原子」についての定義は載っています。しかし「原子」という考えが「正しいかどうか」は高校の化学の参考書では議論されていません。大学の無機化学でも議論されていません。「原子」という考え方は「ドルトンが考えていて、物質の性質を変えない最も小さい物質」あたりの定義で「曖昧な理解」で進められています。そうやって化学だって曖昧な前提を採用しています。ルービン病理学でも「原因がわかっている」病気など半分くらいしか載っていません。「リウマチ」も「全身性エリテマトーデス」も「ハンチントン舞踏病」も「副腎腫瘍」も「原因不明」です。現代の学問で「真の理解」と言える学問を知っていたら教えて下さい。いい宿題になります。

<そうではないというのであれば、説明したあとで理解していれば出来るはずの
全ての物事の完全な理解は不可能です。

<試験をして御覧なさい。できないものはできないのです。
試験位の理解は可能です。ところで試験は知識の確認の手段としては適切だと思いますか? 東大の入試はそもそも試験として十分だとあなたは思いますか? 日本の高校、大学入試は「用語を問う」「年号を問う」問題が非常に多く、試験としては落第です。マークシートなどで用語や正否など問うてもそれは「本質」ではありません。東大の日本史、世界史の論述問題は「用語を使用して」論述させます。しかし「用語」自体が真実かどうかはあやふやにされています。点取り虫と実力者は違います。試験ではかれるのは「試験の実力」だけです。たとえば「理科」をなぜ「理科」と呼ぶかどこの学校でも問題として出されたことはありません。しかしなぜ「理科」という名称が使用されているか。こういうものを考えるのが本質の勉強です。「原子論は正しいかどうか」それを議論するのが本質の勉強です。10進法という狭い世界に捕らわれず、3進法、4進法、5進法、6進法………100進法……1000進法……。これらを全てひとつひとつ丹念に調べ上げるのが本質の勉強です。東大数学など「10進法」が大半を占める不完全な試験です。不完全な試験では真の理解をはかれません。真の理解をはかるためには完全な試験が必要です。あなたはどういう試験が真の理解をはかるために必要充分な試験だと思いますか?

<良識のある大人は謙遜という言葉を知っています。
そうですね。しかし大人に成るほど叶わなかった夢が多くなって謙遜する余裕が無くなるのです。大人として恥ずかしいのですが、人生で苦労を重ねることで病んできます。あなた自身も5歳の頃よりも辛いことが多くなってきたのではありませんか? 叶わなかった夢も多くなってきたのではありませんか? 今のあなたは、5歳の頃よりも謙虚ですか? 私は謙虚ではありませんが、傲慢さですら自分の心の傷を守るためにあるのです。人生は苦しい場所です。苦しい場所では醜くなっても仕方が無いと思いませんか? 美しい人は太宰治の様に「死」に追い込まれます。死ぬよりも醜くなって生きることを選択している。それが「人間」です。あなた自身も社会の矛盾に目をつぶっているはずです。私は社会の矛盾に声をあげていません。ホームレスがいても悲しく思うだけで、助ける余裕が私にはありません。将来が不安ですから。私も色々な傷を背負ってますから。謙遜できるほど幸福な人間はどれ位いるのでしょうか。傲慢になって自尊心を満足させて、そうやって生きているのです。人間は。大人は。もし、あなたが「明日一日全ての人に謙遜して生きていきなさい。」と言われたら、出来ますか? 私は出来ません。美しく生きるのは、この世では無理です。綺麗に生きればストレスが溜まって破滅するのが落ちです。謙遜が美徳と知っていても出来ない人は幾らでもいます。

続く。
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2回目の回答すみません。

また厳しいことを書くので嫌な思いをしたら回答を締め切ることをお勧めします。こういう質問では嫌がらせ目的の人も沸いてくると思うので……。

あなたが主張しているのは全く間違いではなく、むしろ正しいことだと思います。本当はあなたの様な疑問を感じることの無い社会になるべきです。しかしまず前提として、社会、世の中の仕組み自体が正論ではないのです。残念ながら。社会は矛盾だらけで、あなたのように正しいことを主張するとのけ者にされます。それが社会です。ホームレスが苦しんでいるのに人々は見捨てているのですから……。悪人を人々は処罰して助けてあげようとしていないのですから。また、学校でも会社でも政治でも「最も優れた人」が「一番上の立場」にいるわけではありません。日産のゴーン社長も給料を億単位もらっていますが、彼は年収1000万円で命をかけているとび職より10倍も大変なわけではありません。社会など矛盾だらけです。大人の都合など大人の醜さの正当化です。この世はそんな汚い所です。学長が学校で一番優れた人間のわけがありません。たとえば医者や教授は一般人よりも賢いとは限りません。私はこの前にタクシーに乗ったとき、その運転手が異常に賢くて度肝を抜かれたことがあります。医者や教授よりも賢かったのです。

この世は正論が通じない「弱肉強食」の世界です。あなたは朝食に何を食べましたか? 他の生物です。この世では他の生物を犠牲にして生きていかないと自分が死んでしまいます。つまり人間は本当に正義を追及したら死んでしまいます。食事が出来なくなって。他の生物をさんざん食べて殺しておいて「人間だけの」幸福を追求するのは私は正しくないと思います。人間同士だって誰もが東大に入れるわけではありません。東大に入るためには他の人間を「落と」さなければなりません。いわゆる「受験戦争」です。自分が東大に入って他の人を不幸にするのが「正しい」のならば相手の説明に難癖をつけるくらいは可愛い「悪」と私は考えるようになりました。昔は他人の「悪」に過敏に反応していましたが、毎日他の生物を殺して食べているのですから、私も人を責められないと思うようになれました。それでもたまには人を責めるのですが。

つまりこの世界の仕組み自体があなたのいう「理想」とは程遠い世界なのです。人間が幸福になる一方で地球や他の生物は多大な犠牲を背負っています。今、他の生物は人間のために毎年数万種絶滅しています。相手の説明に難癖をつけるのはむしろ「かわいい悪」で、実際はそれ以上の悪を人間は施しています。たとえばこの回答の為に電力を使って私は地球を壊しています。あなたも壊しています。相手の説明に難癖をつけて相手に苦痛を与えても後で謝れば済みます。しかし地球の資源は永遠に戻ってきません。化石燃料を作ることは人間にはまず無理です。一応作れますが、化石燃料を作るために他の化石燃料や人的資源を使うので結局は地球が磨耗する一方です。相手の説明に難癖をつけるくらいは許してあげたいと私は思います。ああ、またか、と。

ここで私が言いたいのは「悪に染まらないと生きていけない」ということです。「ブラックジャックによろしく」という漫画でもこういう台詞があります。「美しくありたいと願うのはエゴだ。汚れろ。さもなければ悪に呑み込まれるぞ。」相手の説明にその一般人のように難癖をつけるのは「悪」ですが、私達は毎日膨大な悪を犯しています。悲しいことですが。

ちなみに誠に優秀な人間ならばどれほど落ちこぼれの人にもしっかりと分かる説明ができるものです。説明不足を主張する一般の人々はある意味では正しいです。たとえばある人は小学生に大学課程の病理学や生理学を教えたことがあります。普通の人よりも頭が弱い子供でも医学部の課程という難しい勉強を「噛み砕けば」分かってくれるものです。また、他の人も教養の無いお年寄りに英英辞典を使って英語を教えて事があります。これも「噛み砕けば」難しいことを分かってもらえる証拠です。本当に素晴らしい説明ならば、誰もが完全に理解できるでしょう。そうやって説明するのが本当の教師だと私は思います。

ところがそうやって「物事を噛み砕いて」教えられる教師はそういません。世の中の教師は「課題を出すだけ」で教える義務を果たしていないはずです。そうやって教師や指導者に不満を溜め込んだ一般の人々の本音、不信感が表れてしまったのではないでしょうか。人のせいにするのは悪ですが、上の指導者、教師から嫌な思いを受けて上への不信感、教育層への不信感を募らせてしまったらそう考えてしまうのも仕方が無いと思います。

また、私はテレビを見ないのでその一般の人々がどういう人か分かりませんが、このことだけは言えます。一般人が「自分が頭が弱い」と公言したらどうなると思いますか? 正社員ならアルバイトの人から潰されます。「頭が弱いくせに正社員になるな。」と。会社の役員でも潰されます。「頭が弱いくせに偉そうにするな。」と。東大生でも潰されるでしょう。「なぜお前みたいなのが東大に行くんだ。」と。その一般人は説明不足を理由に自分を守っているのです。責任逃れをしているのです。

では、彼らは悪だと思いますか? 彼らにもし守るべき妻子がいたとしたら? 自分の悪を公にして自分が陥れられるのは仕方が無い。しかしもしそれで妻子まで路頭に迷わせてしまったら。もし自分が潰されて介護している親まで犠牲にしたら。人を守るために汚れているのが世の中の大多数の人間です。また、子供を持っている親なら「私は頭が弱い」とは公言できません。頭が弱い親に従う子供はどれ位いますか? 子供のためなら賢いと嘘をついてでも子供のために尽くすのが親としてあるべき姿ではありませんか? 理想に生きて善に生きるのは最善です。しかし素直だからこそ騙されたとしたら? 自分の頭の弱さをテレビで公言して、家族や親戚まで蔑視されたらどうでしょうか。自分だけならまだしも自分が潰れると、自分が悪とみなされると、家族や親戚や友人まで悪とみなされたとしたら。天涯孤独ならまだしも守るべき存在がいるなら悪になるのも仕方がないと思います。

「それを言っちゃあおしまいよ」という寅さんの台詞も噛み締めたいものです。

またもや長々と失礼しました。嫌な思いをさせたならすみませんでした。
読んでくださってありがとうございました。
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。

私も頭悪いので、貴殿のご主張を理解するのに時間がかかります。
おそらく外していると思いますが、再度お教えください。

あのアインシュタインでも量子力学は納得できなかったことはご存知ですね。
子供に説明すれば、わかるのではなく判った気になるだけです。
噛み砕いた説明とは、低次元の似た様な事象に置き換えているだけで、
真の理解とは程遠いものです。
そうではないというのであれば、説明したあとで理解していれば出来るはずの
試験をして御覧なさい。できないものはできないのです。

良識のある大人は謙遜という言葉を知っています。
そうした大人は、質問に対して「私あまり頭がよくないので・・・と思います」
というふうに前置きをします。日本人としての美徳・道徳です。
そうでない世の中になったのだとすれば、日教組と文科省の失敗ですね。

結局そうすれば、頭いい人も悪い人もみんな頭悪いというので問題ないのです。
まず自らの無知を知るところからはじめよとの主張はソクラテスでしたっけ?
何事も人のせいにするのはやめにしませんか、見栄を張るのは疲れるだけですよ。
それは、変なのでしょうか?

お礼日時:2011/09/25 10:08

「よくわからない」のは、



1、「頭が弱いから」、

2、「説明が少ない(悪い)から」、

3、「頭も説明も悪いから」のケースがあると思います。

失礼ながら、osaka-girlさんの前提(認識)は、少々、大雑把なんじゃないですか……?
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この回答へのお礼

そうですね、説明不足ですみません。
これは、テレビで答えている人に、
「これ以上何の説明がいるの?」って
ツッコミを入れながら思うことです。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/25 09:50

あなたは「説明して分からないのは分からないほうが頭が悪い」と考えていますか?


あなたの言うとおり、塾・予備校は無しで学校の授業だけで東大は可能です。
その点は同意します。
実際に私の同級生も塾・予備校無しで学校の授業だけで東大に行きました。
その命題は「真」です。
厳しいことを書くのは失礼かと思いますが、ここから少し書かせてください。もし嫌な思いをしてしまったらすみません。「頭が悪い」「甘えている」というのは弱者に対する理不尽な言葉です。「東大にいけないのは馬鹿だ」というのは実は強者の理不尽な理論です。と、最近の私は思うようになってきました。また、弱者を否定するだけでなく、強者は弱者を導くべきだとも思うようになってきました。弱者を否定するよりも弱者を強者に導いてあげるのが誠の善と思います。たとえば街にビッグイシューを売るホームレスがいます。私は彼らを「ホームレス」という名目で否定することが出来ます。しかし本来なら強者は弱者を助け、導くべきなのです。街に勉強ができない人々はいくらでもいます。私は彼らを「私より劣る人」という名目で否定することが出来ます。しかし彼らは彼らなりに頑張って生きているのです。強者の理論を弱者に一律に当て嵌めるのもどうかな、と最近は考えます。「リーダー」は英語では「導く者」を意味します。強者は「リーダー」です。強者は弱者を否定せず、弱者を導いていきたいと思っております。ですので私は中学英語も分からない大学院生がいたとしたら「馬鹿にしないで」中学英語から教えてあげたいなと思っております。他者を否定して自分を肯定するのは気持ちよいことです。しかしどこか悲しい気もします。弱者を否定する前に、彼らの悲しみや辛さに目を向けてください。今の彼らだけでなく、過去の彼らも想像する賢さを持ってください。「木を見て森を見ず」は良くありません。

考えてみてください。毎日食べるにも事欠くワーキングプアやドヤ街の人々に勉強する暇があると思いますか? ストリートチルドレンはどうやって本を手に入れればよいのですか? もっと言えば日本人だから勉強し放題ですが、アフガニスタンの子供達はどうなるのでしょうか。紛争地帯の子ども達は? 日本人でも両親とも亡くなった人、両親に捨てられた人は勉強どころではありません。(私の知人でもそういう人はいます。やはり彼らは勉強どころではありません。)だからこそ児童養護施設があるのです。いたるところに。探してみてください。日本でも貧富の差はあります。そして環境の差はそれ以上にあります。勉強したくても出来ない人々もいくらでもいます。日本でもです。あなたには見えていないだけかもしれません。私も成人した頃には見えていませんでした。

弱者はいます。頭の弱い人もいます。しかし彼らがそうなってしまうのも仕方がないのです。誰でも本当は東大に行きたい。そういう恵まれた環境に生きていたいのです。誰でも素晴らしい人間でありたい。誰でも「善」として生きたい。誰でも人を肯定して生きて生きたい。誰でも「良い人」と言われて生きて生きたい。

しかし。

「不幸」ならば「環境が悪い」ならば「悪」になってしまうのも「頭が弱い」なのも仕方が無いのです。
下半身不随ならば走れないように、環境が悪ければ「頭が弱い」のも仕方が無いのです。美しく、善に生きられるのは恵まれているからです。頭が良い人はそういう環境が整えられているからです。あなたも、きっと恵まれているのだと思います。

たとえば。

幼い頃から「親に虐待されている」子供はどうすれば良いのでしょうか。彼らは愛されたい親に虐待されたという心の傷を治すだけで精一杯です。勉強する精神的余裕がありません。

幼い頃から「いじめられている」子供はどうすれば良いのでしょうか。彼らも仲良くなりたい同級生にいじめられたという心の傷を治すだけで精一杯です。勉強する精神的余裕はありません。

そして。

心の傷、辛さを抱えているのに無理をすると「死」や「重病」を招きます。村山聖さん、本多信一さんは「頑張って無理をして」20歳ちょいで「癌」になりました。そして村山聖さんは命を落としました。

両者とも本を出しています。調べてみて下さい。

先程述べた「同級生の現役で東大に行った人」ですが、みんな恵まれた家庭でした。お金持ちの家庭、親が大学教授の家庭、そういう所ばかりです。幼い頃から勉強に打ち込まれる恵まれた人々が東大に行きました。

他人を馬鹿だ、他人の頭が弱いから、は「強者の理論」と、私は思うようになってきたのです。「強者」になれるのは恵まれているからだなあ、と。「弱者」も仕方が無いな、と。

だからインタビューされた人もあなたよりも恵まれない環境に生きているのです。
だからこそあなたからすると能力が低く見えるのです。
彼らの辛さを思いやる強さ、あなたが理解する力をもてると良いと思います。

長々と失礼しました。嫌なことがたくさん書いてあったと思いますが、読んでくださってありがとうございました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

弱者ですか?私は運動が得意でなく、100m走等ずいぶん恥ずかしいタイムでした。
ご存知の通り短距離走は、才能的な面が大きいので、練習では少ししか改善されません。
このように人間の能力には、生まれつきの差異があるのです。
私は運動弱者として「私は走るのが遅いよ」と公言しています。事実ですから。
であれば「私は頭が弱いので難しいことはわかりません」と公言してもいいじゃないですか!
それを、さも他人・社会が悪いかのように「説明が足りないと思います」というのは
人間としてどうなんでしょうか?

お礼日時:2011/09/25 07:30

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