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自分が過去に辛い目に遭った場合や、子どもが辛い目に遭いそうな時には
人を「信じるな」と言うと思いますが、
大抵の親は、子が小さい時から疑う事を教えませんし、信じる事を教えますよね?
裏切られたられ可哀相だとは思わないのですか?
知らない人に付いて行くなという台詞はよく聞きますが
知ってる人でも裏切る人もいますよね?
何故基本的に綺麗な事を教えるのでしょうか?

A 回答 (6件)

人を信じることは大事なことです。



それと同時に信じるに値する人を見抜く能力もとても大事ですね♪

疑うのではなく、信じることのできる人を見出すことを教えればいいのですよ♪♪

ある程度のコミュニケーション能力を有した家庭では、これは常識です♪♪♪
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雀は自分が雛の頃に食べたものの見た目や味や匂いを覚えていて、成鳥になると自分の雛に同じものを食べさせようとします。

そうやって何世代でも同じことを繰り返すのです。

日本人も同じことです。疑うことを知らないまま大人になった親は疑うことを子供に教えられないのです。日本人はそもそも疑うことを知らない民族です。だから科学がまったく発達しなかった。デカルトは方法的懐疑を発見して、それが科学の発展につながった。リンゴは落ちる。しかし月は落ちない。何故だ?それが物理学の発展につながった。しかし日本人は違う。「菜の花や月は東に日は西に」。子供たちは教科書を疑うこと知りません。聖書原理主義者のように教科書を信じるのです。一字一句にこだわり、暗記しようとします。信じる子だけが良い点を取れる。それが日本の教育です。教科書と参考書で違うことが書いてあると途端にパニックに陥る。教科書と参考書のどちらを信じればいいのですか?それこそ天と地がひっくり返ったような騒ぎになってしまう。西洋では天動説と地動説の論争がありました。教会は天動説を教えました。しかしガリレオ・ガリレイは手製の望遠鏡で天体観測をして地動説を確信しました。17世紀初頭のころです。ところが日本にはこうした歴史が全然無いのです。日本人は現代に至っても宗教的方法論のまま西洋科学を勉強しているのです。日本人は家庭でも学校でも疑うことをまったく教えられないまま大人になってしまうのです。
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その通りですね。


そして、他人を信じるな。
信じる奴はバカだ。
信じたらえらい眼にあうぞ。

そういう教育をしてきたのが中国です。

ある特派員の報告ですが。
道路でつまずき倒れたお婆さんを目撃したので
慌てて駆け寄り、助けようとしたら、逆に
そのお婆さんに怒鳴られました。
「何をするんだ! どさくさにまぎれてあたしの
 荷物を盗るつもりだろう!」

私には中国人の知人が沢山います。
彼らは、徹底的な性悪説に立っています。
彼らに親切にしても、これには絶対に裏がある、と
考えます。

そういう国民性なんですね。
そうでないと生き残れないんでしょう。

日本の国民性をそのようにしたいのですか?
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他人を信じるのと、他人に裏切られるのは、同じじゃありません。


信じるのは自分、裏切るのは他人。
信じていなくても他人は裏切るし、信じているから信頼に答えることもままある。

「信じるな」じゃなくて「だまされるな」
信じることは綺麗事じゃありません。信じるに足りる鑑定眼を持てという自己研鑽の教育です。
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この回答へのお礼

仰る通りです

お礼日時:2011/09/26 12:17

なぜ基本的に綺麗なことを教えるのでしょうか?


子供のころから悪い事ばかり教える親が何処にいるのでしょうか。誰だって自分の子供にはシッカリ育って欲しいものです。それに、裏切る人が全員という訳じゃないし、人を信じられない人は社会に溶け込めないと思います。
小さい頃に綺麗なことを教えるのは当たり前の事です
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 幼いころから「人を信じるな」とかネガティブなことばかり教えたら猜疑心ばかり強くて社会人として破綻した大人になるでしょう。



 私も過去に辛い目に遭ったりしましたが、子に「人を信じるな」などと言いません。

 悪いのは裏切る人であり、裏切られる人ではありません。

 人をだますな、だまされるなと教えるだけです。
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