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 行政区画が、江戸時代に定まって以降、基本的に同一の地域を探しています。

 江戸時代を通じて、藩の領域はあまり変化しなかったと思われますが、それが郡の領域にそのまま受け継がれ、さらに平成の大合併で市の領域がこの境界を踏襲した事例を探しています。

 閉鎖的な山間の盆地、あるいは島嶼でこうした事例が見つかるのではないかと推測していますが、ご存じのかたのご教示をお願いします。当方も、兵庫県でひとつ見つけました。

 なお、飛び地とか、分村合併など、少々の出入りは勘定に入れません。歴史的自立経済圏のモデル探しが目的です。

A 回答 (4件)

ANo.3 です。

補足頂き恐縮です。

ところで、篠山藩→多紀郡→篠山市の例で少し気になるので念のために書いておきます。

篠山藩が多紀郡を一円支配し、更に旧多紀郡が最終的に篠山市として統合されたのは認識しておりましたが、
篠山藩の領域は多紀郡を越えて広く周辺地域に及んでいたので、今回の事例には該当しないのでないでしょうか。
但し、幕末の時点で、篠山藩の領域から多紀郡以外の周辺地域が外れていたのであれば、前言撤回します。
丹波国は近世~近代の境界変更が頻繁なので、確認作業に手間取りますが、今回の件を調べる時間が取れません。
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基本的には存在しないと思います。



郡は律令制に端を発しますので、藩よりも古い存在です。
ご質問の「藩の領域(中略)が郡の領域にそのまま受け継がれ」というのは、基本的には存在しません。廃藩置県により藩はいったん県となりますが、間もなく現在の都道府県の原型へと統合されます。統合後の在地の行政区画は村単位で再編成されるので、旧県(藩)の領域としてのまとまりは解体されます。
もし「藩の領域が郡の領域にそのまま受け継がれ」る例が存在するとしたら、それは古くから存在していた一つの郡の領域を、そっくりそのままスライドさせて一つの藩を設置し、明治以後も郡の領域に変更がなかったということです。
明治になって郡の再編も行われますが、旧藩の領域を郡の領域として再編成したという事象を聞いたことがありません。藩の領域を遺すこと自体が新政府の方向性に反すると思います。

旧郡が結果的に現在ひとつの市に統合された例というのはいくつか存在するのではと思いますが、その旧郡が更に一つの藩だった例となると、ハードル高過ぎ‥という感じです。

兵庫県に存在するというのは、山崎藩→宍粟郡→宍粟市のことでしょうか。
山崎藩と宍粟市の領域がどの程度一致するのかは存じませんが、古くからの宍粟郡よりも山崎藩・宍粟市は小さいですよね。

この回答への補足

 問題は、歴史的自立経済圏が同一圏内に納まっている事例探しなので、近世以前はあまり意識していませんでした。説明不足で申し訳ありません。

 これまで、主として参看したのは平凡社の歴史地名大系ですが、全50巻のそれぞれ巻末に行政区画変遷・石高一覧が付せられていて便利です。しかし、判明の記載がないので、照合には手間が大変です。

 なお、宍粟郡については、1649年に1郡1領主の時代が終わり、幕府領がかなりの面積を占めることになりました。また、1697年には三日月藩も立藩しました。(歴史地名体系「兵庫県の地名II」760頁)

 兵庫県では、篠山藩→多紀郡→篠山市が1藩1郡1市の例ですが、細かく言うと東端の5村が亀山藩に属していたので、完全踏襲というわけではありません。

補足日時:2011/10/01 21:58
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藩が郡に、というのは、明治における郡の統合後のことで市の領域は平成合併後、


つまり途中経過は関係ないということでよいなら、佐渡が該当すると思います。
(江戸時代は天領、明治に1郡、現在は全部が佐渡市。)
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対馬国 → 対馬藩 → 対馬市

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この回答へのお礼

 早速の回答ありがとうございます。

 対馬は、いかにも題意に即しているようですが、合併前は上県郡、下県郡の2つが置かれ、平成の合併後も上島、下島の両島は独立性を保っているようです。

お礼日時:2011/10/01 00:27

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