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般若心経の意味や解説を色々調べましたが、単刀直入に短い説明で子供でもわかるように言うと
何が言わんとしているのでしょうか?例えば、色は空空は色、存在はない、存在はないから云々。
なんだか、盗塁失敗して守備にはさまれ行ったりきたりしてるような気持ちです。それと、漢文は意味があるのはわかりますけど、インドから伝わったお経というものは、もともとはサンスクリット語の語音の漢字での模写のようですが、それならサンスクリット語の意味とは全然違ったものになってしまってるのではないでしょうか?外国人の氏名を漢字であらわしたみたいに。例えばジョージなら城侍と勝手にあてはめれば、このジョージは城の侍(家臣)だったかのかと解釈してしまうようなものではないのでしょうか?よろしくお願いします。

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A 回答 (18件中1~10件)

哲学の人間ではなく、仏教徒として。



曹洞宗、防人僧です。

暗誦は当然、下手したらかけるかも? ぎゃーてい のところ

(さいごですな) あそこは無理です。

お経の解釈ですから。文の解釈ですから。外国語ですしね。

 #漢文でしょう?

数学じゃないですから、答えは一つじゃない。

解釈は一つではありませんよ。


見させてもらった感じですね、「間違っている!」というのはないと思いますよ。

それは一つの解釈で全て正しい。それでいいと思います。


クオークみたいに 単品では存在できない。

存在しているようで存在していなかったり、ないようであったり。

宇宙だと思われたり。


お経って、誰のためなのかって、自分のためですから。

自分用の解釈でいいわけです。


最後のぎゃーていのところは、

「さぁ、悟りを開きますよ、ちゃんとしっかり物事見据えて。
彼岸(極楽浄土という人もいますけど)へわたりますよ~」

って言うような意味だそうです。

 曹洞宗では大乗仏教ですので、極楽浄土とは思っていませんし、

 自分だけ悟りを開いて、それでいいや! ではないので

 みんなにも悟ってもらえるように努力するぞ! おー!

みたいなのが 勝手に飛び込みますけどね。


仏教思想の多くは、感謝ですから

より多く自然界に感謝をしましょう、ご先祖に感謝しましょう、

お経にもついでに感謝しましょう。

ありがたいものだと思っておこうよ、それでいいと思いますよ。

合掌・南無釈迦牟尼佛 (。ρω-。) 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。またひとつ理解を深めました。

お礼日時:2011/10/13 20:36

No4です。

回答しようか迷いましたが、まだ締め切られてないようなので。
N14の方の回答に驚かれている方もいらっしゃるようですが、
米国から始まったニューエイジはその考えが主流です。

2012年説はやや暴走した感じは否めませんが、否定もできません。
結局その時に身を任せよで、まさに南無阿弥陀仏、何がおこるか分かりません。
 
1800年代から交霊会と呼ばれる行為が欧米を中心に盛んに行われ、
霊魂側から死後の世界が明らかにされて来ました。
それらは霊訓として纏められ、世界中で刊行されています。
仏教の経典の難解な謎解きなどする必要はない時代なのです。

シルバーバーチ等で検索をかけてみて下さい。
あなたの知りたい情報が全て手に入る筈です。
そこで語られている内容は釈迦やイエスが説いた内容と一致しています。
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 ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

ANo.12のひどっち でございます。


 誠に申し訳ございません。訂正させていただきたい箇所がございましたので、投稿させていただきました。

 まず、前回の例えは、仏教による世界観のようなものでございます。そして、”空”は、さらにこれを押し進めたものと思われます。
 なお、”空”のご説明は、ANo.15のctaka88様にてご説明されておられますが、これが正統的な解釈でございます。

 従いまして、あくまで仏教の世界観の例えと致しまして、先程の愚生の駄文をお読みいただければ、幸いでございます。
 
 それでは、どうも失礼致しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/10/10 21:58

satol2012さんのように解する人がいるとは、びっくりですね。



私の解釈はひどっちさんと基本的に同じだとは思いますが、
「色即是空、空即是色、」の部分については、次のように考えています。

事物は、存在自体としてあるのではなく、他のものとの関係性の中で存在する。(色即是空)
そのもの自体だけでは存在しないが他のものと関係しているから、そこに認識される事物がある。(空即是色)

空=縁起、関係性  です。実体性がないという意味ではありますが、からっぽという意味ではありませんし、宇宙という意味でもありません。

「高次元に実像の世界」=本質があるというような考え方を否定するのが、「色即是空」です。
本質(自性)があれば、それはそれだけで存在しうるからで、「色即色」になってしまいます。
一言で言えば、satol2012さんのような考え方を否定しているのが般若心経と思います。

できればひどっちさん推薦の本を読んでいただければと、私も強くお薦めします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。解釈の仕方は、やはり微妙に個人(偉い哲学者、宗教者、一般人)によりあるようですね。あって当然な話です。本件わたしが理解できて、他人に説いたらまた微妙にニュアンスのちがった説明をするかもしれないです。
是非、推薦の本を呼んでみたいと思います。

お礼日時:2011/10/10 21:57

空即是色、色即是空は、この世界が仮の世界である事を説明するための、表現です。

つまりこの世界は、虚像の世界なので、空です。高次元に実像の世界があり、そこから、投影された影の世界なので、空です。また、脳を自我を休めて頭を空にすると、宇宙の心と交流する事が出来きて、悟る事ができます。だから悟りの表現として、座禅の要領としての、空もあります。時間が、速くなっていると感じる人が、多くなってます。止まる前触れだと言われています。時間が止まり、この仮の世界が終わるのが、アセンションです。この世界は、仮の世界なので、シュミレーションです。この世界の外に本当の世界が、あります。この世界は仮の世界です。だから始めと終わりがあります。始めから終わりまでが時間です。本当の世界は永遠なので時間はありません。これはアインシュタインの相対性理論や仏教哲学で証明されています。マヤ暦では2012年だと言われています。宇宙の太極は、完全調和の世界です。調和の世界が、成長拡大するためには、まわりの周辺部の、不完全、不調和を、調和に変換する必要があります。そこで変換する場所として、仮の世界の地球が創られました。ここで不調和世界の脳と、調和世界の自然の心である神が、出会う事になりました。そこへ調和の世界から、宗教で言う神の子の無我が来て、不調和世界の脳の自我と、合体して、人が誕生しました。だから人の心は、自我と無我が合体して出来ています。最初の頃は、無我が強く自我が小さいので、神の超能力がありました。だから神と人の合いの子である、神人と呼ばれていました。アトランチス古代文明頃までいました。神人がピラミッドを創りました。現代は、人は、自我が強く無我が小さいので、神の超能力はありません。そして人は、脳が自我が自分だと勘違いをしています。人は本当は、無我の神の子です。しかしいよいよ仮の世界が、終わる時が来ました。終わると、仕切り直しになるので、人の心は、脳の自我と、神の無我が、解体されて、それぞれ元の世界へ帰ります。脳の自我は、不調和世界の脳の世界へ、神の無我は、完全調和世界の神の世界へ帰ります。人は、神の子だから神の世界へ帰ります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ご解説の内容に驚かされています。2012年説は私も知っています。それがどうなのか真なのか、小さな自分には理解できるできないの次元ではないようです。しかし、今生きている自分自身の意識は、元の世界に返るとまた別の意識となるのか、そのまま継続して記憶に残るのか気になるところです。

お礼日時:2011/10/10 21:50

自分が初めて般若心経の解説を読んでその意味に触れた時、「あぁそういうことなんだ」と感じた節があります。

質問者さんは既に理解されているかもしれませんが、書いてみます。

 「無無明亦無無明尽 乃至 無老死亦無老死尽」
 無明もなく、また、無明の尽くることもなし。また、老も死もなく、また、老と死の尽くることもなし。

今あるものはいつか無くなってしまうが、無くなってしまうことが無くなる。
この世にあるものは、喜怒哀楽のような人間の感情でさえ無くなるが、無くなってしまうことも無くなる。
無くなってしまうことが無くなれば、何かが残るのだが、
その残されたものが真実なのだという悟りでしょうか?

私の理解はここまでです。

サンスクリットの件については、
当時の漢字を表音文字としてだけではなく、表意文字とし使って翻訳する技は、凡人の想像を絶する偉業であると想像します。当時の高僧には頭が下がります。正に当時の国の宝だったと思います。しかし、年月を経るたびに、頭書の意味は変化することは避けられないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。当時の高僧ははかりしれない力があったのでしょうね。

お礼日時:2011/10/10 21:13

 ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

ひどっち でございます。


>ありがとうございます。2. 苦しみからの解放の説明はよくわかりました。
和訳の件も理解しました。

 愚生と致しましても、とてもうれしくございます。

>「色則是空」は、「物質的な現象・表象というものは、実体がないのだ」、一方
>「空則是色」とは、「実体がないということは、物質的現象としてもあるのだ」
の部分がやはり、「結局、あるの?ないの?どうっちなの?」って言ってしまいそうです。

 目に見えるかもしれないけれど、それには実体なるものは存在しない、さらに、実体なき存在も目に見えてしまう、 ということでございます。

 一例を挙げさせていただきます。以前、マトリックスという映画があったのをご存知でしょうか。つまり、登場人物自体、各々が現実感を持っているのですが、実はコンピューターにより作られた仮想現実であった、というものでございます。
 そこで、考えていただきたいのですが、かく申し上げる愚生はじめ、皆様もこの仮想現実の中で戯れているに過ぎないのではないのか? そして、もし違うと仰るのならば、「この仮想現実では”ない”」ということを証明できるのか?という問いが生じます。
 まず、後半の問いつきましては、現時点では証明不可能な問題であります。そして、前半部分について申しますと、私たちが見たり、感じたりすることはある。けれども、見たものが本当に実在するのか?、単に、誰かにより作り出された意識世界の中の出来事ではないのか? と・・・

 少し、飛躍し過ぎるところもございますが、”空”とは、そんなもの、と理解していただいてもよろしいかと存じます。さらに詳細をお調べになりたいのでしたら、以下の書籍をオススメ致します。相当に深い歴史的経緯、思想があるのが、おわかりいただけるかと存じます。

中村元著「龍樹」(講談社)

 
 ご参考になれば、幸いでございます。
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この回答へのお礼

ご解説ありがとうございます。マトリクスで解説していただくと、なるほどよくわかりました。

お礼日時:2011/10/10 21:09

 こんばんは、ひどっち と申します。




> 般若心経の意味や解説を色々調べましたが、単刀直入に短い説明で子供でもわかるように言うと何が言わんとしているのでしょうか?

1. 空観思想
2. 苦しみからの解放

 ”1”につきましては、次の項目にて言及しております。
 ”2”につきましては、元来、仏教には、”苦”からの解脱というものがございます。”四苦八苦”も釈尊の言葉とされています。そこで、目を瞑って考えていただきたいのですが、”病(四苦八苦の一つです)”というものも、現在では、抗生物質、鎮痛剤、解熱剤等がございます。またワクチンもございます。ですが、その当時(般若心経ができた時期は、各種の説があり定説がございませんが、5、6世紀頃くらいかと思われます)には、伝染病といったものは、得体の知れない恐怖、そして、苦しみそのものだったかと思われます。そして、空観の考えから、乃至無老死、亦無老死尽 以降にて示されておりますように、苦しみがない、ということを主張しております。


> 例えば、色は空空は色、存在はない、存在はないから云々。

 ”空”とは、”有”でもなく、”無”でもございません。それ自体”実体性のない”もの、”本質性がない”もの、もしくは、”自性がない”もののことを指します。
 従いまして、以下のような訳語になろうかと考えられます。
「色則是空」は、「物質的な現象・表象というものは、実体がないのだ」、一方
「空則是色」とは、「実体がないということは、物質的現象としてもあるのだ」


> 漢文は意味があるのはわかりますけど、インドから伝わったお経というものは、もともとはサンスクリット語の語音の漢字での模写のようですが、それならサンスクリット語の意味とは全然違ったものになってしまってるのではないでしょうか?

 中村元注「般若心経」(岩波文庫)には、サンスクリット原文テキスト(マックス・ミュラー版に、中村氏がチベット訳文を、必要に応じて付記したものです)も載せており、さらに和訳もなされておりますが、意味的には、全く同じと考えてくださって、一向に構いません。


 ご参考になれば、さいわいでございます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。2. 苦しみからの解放の説明はよくわかりました。
和訳の件も理解しました。ただ、理解力が乏しいのか
>「色則是空」は、「物質的な現象・表象というものは、実体がないのだ」、一方
>「空則是色」とは、「実体がないということは、物質的現象としてもあるのだ」
の部分がやはり、「結局、あるの?ないの?どうっちなの?」って言ってしまいそうです。

お礼日時:2011/10/09 21:46

どうもものごとも変化していくようです。


心を見失しなったり、何かに奪われたりしないでしなやかにしておきましょう。

ということだと思います。
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この回答へのお礼

個人的にはこのような解釈であればわかるような気がします。ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/09 21:36

「空」って「SPACE」ですよ。



「空(くう)は無いだ」なんて、勝手に解釈するからわからなくなります。

確かにSPACEには、からという意味も有りますが、スペースシャトルをカラの船って訳すと、変なことになるのと同じです。(カラの船っぽい形状をしてはいますが)

「空」は、SPACE、即ち、宇宙全体のことです。

「色」というのは、「人間にとって、あると思えるもの」ってことです。物理学でいう物質ってことです。

物理学では、実験室で観測できるものを、観測できるだけで、実は、そこにな無いかもしれないなんて、疑ったりはしません(素粒子までいくと、「測定された時には、そこには無い」ってなるようですが)。哲学じゃないですから。観測されるものは、そこに実在するって、単純に考えます。

そうした場合の表現では、色は、物質ですし、それに、哲学的懐疑、見えてるだけなんじゃないの?あると思われているだけなないの?っていうのを、加えると、色の本当の意味に近くなります。

細かいところを省略すると、空即是色は、物皆全てが小宇宙であるってことですし、色即是空は、宇宙は小宇宙で構成されているって事です。
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この回答へのお礼

宇宙ですか?よく仏教の話をすると宇宙の話がでてきますが宇宙といえば天体、科学と話が大きすぎて一体、生命と宇宙と仏教とどうつながっていく理屈に迷います。難しいなー。ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/09 21:35

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