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北朝鮮へ食糧支援を行うべきかについていろいろ意見があるようですが、
哲学的、宗教的に見れば話は単純ではないでしょうか。
私たち人は善と悪どちらをなすべきかと考えたとき、当然善を成すべきだという選択になります。
北朝鮮に飢えに苦しむ人がいるならば我々は善性に基づいて食糧支援をおこなうべきではないでしょうか。
食糧支援に反対する意見の多くは、その支援が権力者の私服を肥やす事につながるのではないか、独裁政治を持続させるだけではないかとの危惧のようですが、それは別のこととしなければならないのではないでしょうか。
善悪とは結果の属性ではなく、人の心の属性であるはずです。
結果を恐れて善を成さないという事は本末転倒ではないでしょうか。

要するに善性に基づいて行動するか、結果に基づいて行動するかということです。
哲学的、宗教的には善性に基づいて行動するべきでしょう。
経済、感情、理論に基づくなら損得を基準にするべきではないでしょうか。

A 回答 (27件中1~10件)

何の行動にせよ、


哲学的につまり哲学に基くということは、結果の予測の普遍性に基づくこと、推論の成り立ちの普遍性に基づくことでしょう。それが行動に結びつくこともあれば結びつかないこともあると思います。これこれこういう考え方をするんだなという点がぶれないことが肝心です。しかし現実の社会問題に直面することはしばしば、柔軟なぶれを要求します。哲学的である以前に知的であるとすれば、問題が要求するぶれを排除することはできないと感じるでしょう。したがって、哲学的には、折衷したり妥協したり誤魔化したりすることがどれだけ論理の普遍性に反しているかを、確認作業的に見つめるという監視の仕事しか残らないでしょう。

宗教的につまり宗教に基くということは、信念に基づくことで、認識の体系に基くことでしょう。これこれこういうことが善だと信じるなら、ふさわしい対象であると信じて、信じる価値を信じる対象へ差し向けるでしょう。

経済に基くとは、利益が何時いかにして誰のふところに入るかの仕組みを理解し利用する、ということだと思います。

感情に基くなら、情報や環境のなかで対人とか家族とか会社とか学校とか世間とか大衆とかの一定しない条件を備えるために、一定しない感情に基くことになりますが、それが何がしかのタイミングであるということが行動の重要な動機付けとなるでしょう。

理論に基づくというのは、政治理論でしょうか。法でしょうか。ナチスの行動は理論に基づいた例だと思いますが、いずれにしても理論によって保全しようとしているものは何かということは損得よりも峻別しがたいものです。まさにここで、行動の結果を出すには遠くとも、哲学的な監視の力が必要ではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

選択肢というのは無数にあるわけなのですが、虚偽を排除していけばおのずと何を選択するかは決まると思いたいのですが。それこそ至難というべきでしょうかね。

お礼日時:2011/10/15 23:01

暇です。




善【ぜん】善のイメージ。あこがれの捨身虎図(添付画像)。スリム。善の中枢に起こりつづける連続自死の記憶と予感。ただの投身自殺ではなく、自己以外の長命に男性自身の持ち主が身をもって寄与したという事件。崖から修行僧のニコニコと飛び、ひらり後方回転しながら崖下に飢えている虎の親子へ食べられゆく絵。ああいうのには憧れます。見事な捨て身っぷり……それが善のお手本だと思いましたから、善は北朝鮮で飢えにある人々にも食べ物を与えると思いました。

思い出【おもいで】何日か前に
私も哲学カテゴリで北朝鮮の飢餓問題について質問しましたが、親切な回答を2つしか貰えず、べつにいいですが、世界と心とウェブは広くても、私のそれらは狭いです。

イジメ【いじめ】傍観者は同罪です
隣の国や教室でイジメがあったら、止めないと悪です。傍観とか手をこまねくとかは善に反します。細くなりすぎた善です。善そのものの滅びです。

善悪判断は気の重いこと『実はうちのクラスでイジメが起きています』『なんだか隣の国でも政府が民を飢え死にさせているようですよ』『なんだか食べられに行きたいな』どちらも重苦しい話です。
論客コミュニティーに女口調のシフトさんがいて絶対善と言ってました。どんな選択でも行為でも善で、北朝鮮に食料支援をしてもしなくてもその選択は最善になりそうです。次善が流行ってます

気分の悪さ【きぶんのわるさ】世界には国の入れる保健室がありません。北朝鮮は嫌われ者という設定で、そんな北朝鮮政府からイジメられている民が亡命を邪魔され、イジメの内部連鎖。以下蛇足というか重複です
ひとが新たに何かの行為を善と呼びはじめると、もし自分が善玉でありたければ実行を迫ら(中略)そうしている自分をわりと善側に置いていたい、いやらしい【いやらしい】。果敢に実行すればこの身や自国が壊れるとしても、対象にとっては良いであろう行為に、いろいろ理屈をつけ、今日明日にも餓死者が出る状況を返り見ずにいる自分を正当化する、腑抜け【ふぬけ】、もし北朝鮮に食料支援をすることを善だとしてしまうとそれをしないことは不善で、中国軍や北朝鮮軍や戦争自体に怯える私たちは善が善でも為せません。善を知りつつ為せない気分の悪い暮らしになります。蛇足ここまで以下も蛇足
教育&滅び【きょういく&ほろび】
親や善性先進国などが自らをもって自立や自滅や終身の方法を示し伝えたり、自立や自滅や終身の探り方を示したりすればよくて


善は、ニート【ぜんは、にーと】蛇足内に本題
結果を見越すこと、方法や過程に頓着すること、懸念とか脅威に危ぶむことは善の仕事ではなく、善は私みたいにもっと無能で愚かで、それは死ぬほどです、滅びそのもので、デスる道です、善だけでは生きられません。即死するのが善で、水洗される泡は善にもなれず
善性だけが頼りな瞬間があり、生き物に必ず組み込まれている善性。善に富む人は死に易く捨身飼虎図(シャコ)の修行僧のように、あの様が善の純化したものなら、ピュッと飛んで虎にカリカリ喰われる、そんな善は脆くて阿呆で、要らないかもだけど、あんな善がなければ虎の親子は飢え死ぬし、死も子も惻隠もなく、自死機能がないと手も足も指もできず地上に同種が爆増し共食いになる。善は愚かな気っ風の良さで、賢さも智恵もない母、その仕事はたんなる命の渡し、滅びそのもの。

善の国=死の国【ぜんのくに・イコール・しのくに】滅びたい滅びたい滅びたい……誰でもいいから誰かのために滅びたい
子や子でもない隣国の飢餓民のために滅びたいと思う気持ちが善。滅ぶ行為が善行。私はそんな善を気持ち悪いと思うから悪人。善人なら決まって善を為す。死んでもいいから。むしろ死にあこがれて。善人の国なら善を為す。国滅ぼうとも。むしろ積極的に滅びたがる。死の国。変態国。【へんたいこく。】ちょっと理想ですよね。そんな国で死んでもみたい。いまは地上に悪の国しかない。滅びる気がない。悪の民による健やかな生の国だけが繁栄し、となりあい、これまでもこの先もみるみる外破される。

中ぐらいで【ちゅうぐらいで】薄い哲学の終わり
自死や自己犠牲という脆さに傾かず、まあまあのお人好しに徹することが出来るような豊さか安定感があれば、悪と善の境目で次善や次悪程度の行為や民や国々くらいは出来るかも

あちこちコピぺしたので重なりぐしゃぐしゃしてます。ありがとうございました(何が)。失礼しました。お元気で。
「哲学的、宗教的にみれば北朝鮮への食糧支援」の回答画像26
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この回答へのお礼

・悪(独善)とは何か。
・罪とは何か。
・誰かのために死ねば自分の罪が帳消しになるか。
・善は大、小、最高、次善というようにランク付けができるか。

次までに考えてきてください。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/13 18:41

何かを善と設定することに伴うかったるさ



北朝鮮に食料支援をすることが善としても、予想される北朝鮮軍部からの邪魔に怯える私たちはその善を為せません。善を為せない私たちは情けない灰色か黒い悪人ということになるので、言行不一致の嫌な気分の暮らしに入ります。着手解決すべきようなことがありながら放置して過ごす半分腐ったような時間で、ニートにはおなじみの連日のやましさです。

ならはじめからそれを善と呼ばず、北朝鮮なんかへの食料支援はちょっと善っぽいけれど難しいなら、為すべき善ではないということにして、為せない自分の無力を許します。人ですから善になって自己犠牲なんて無理ですし、善を遠いものとして非人間的感情と呼び、善であっても色々と支障があるなら為すべきでないことだとか、為さなくてもよいことだとか為せなくても仕方ないことにして、善行のリストから抜いて言行一致すれば抜いて眠ってさっぱりします。

いっそ悪人であることを引き受けて生活すれば楽です。自分が悪人なら当然のように善なんか為せませんし為しません。悪人ですから遠まきに善の噂話をするのがやっとで、かといって悪を積極的に為す果敢さもない小悪人か悪人で。善を為すのは私たちとは別の毛色をした人だけだということにして。善を為せる人のみが善人です。私たちは可能性としても実力としても善を為せない腑抜けなので悪人です。北朝鮮で飢える人々にとって私たちは遠くにいる悪人です。国家から苛烈なイジメを受けている民を見過ごしながら生きる、そのような生活を悪と呼んでも善か普通だと思っても、送るなら悪人にふさわしい生活だと思います

悪人も人間ではあるので、そういう生活では善悪の判断力を持つはずの人間としてもの足りませんから、あこがれの善というもについてたまに思い出したり考えたりします。
北朝鮮への食料支援は善であっても為しがたく面倒くさい善なので、私のように悪人であることに慣れてしまった人間には為せません。
善を為さなければ我慢ならないほど濃密な善為が必要なのだろうと思います。志や行動力というものや向こう見ずな阿呆さが、難しい善を為す人の要件になりそうです。

一人っ子政策により結婚できずあぶれている大勢の中国青年が善意に目覚め、悟り開いて阿呆のように命懸けの人海戦術で北朝鮮の隅々まで食物を運びつづければ問題解決です。
日本人も余った食料を船や飛行機に積み、夜な夜な日本海を阿呆のように命懸けで渡るのが善です。捕まって散々な目にあって悪人社会に迷惑をかけるのも善です。
それをしないなら私も人も悪人です。
善の立場と人の立場はいよいよずれっぱなしです。善にとどまる者こそ阿呆です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>いっそ悪人であることを引き受けて生活すれば楽です。自分が悪人なら当然のように善なんか為せませんし為しません。

そりゃむりだ。
神様は人をそのようには作らなかったので、私たちにその選択肢は無いです。
円筒形は上から見ると円、横から見ると四角、善と悪もこれと同じね。

お礼日時:2011/10/13 18:28

>北朝鮮への支援問題だけでなく、会社の実力主義、社会の風潮、日本人の思考パターンが結果のみを重視する方向に向きすぎているのではないかと思うのです。


結果を良くするための努力は尊いものではあるのですが、それが全てではないはずです


日本社会がかっての余裕を失って世界の超企業と激しくガチンコであらそわねばならなくなった、またコンピュータの進歩、情報があふれてその気になれば非常に精緻な計画的経営も可能になった、普通の人間が未来を殆ど現実的に把握したような賢しらな気になって、個人主義自由主義利己主義が普通になって家族的集団的心情的な余裕が価値観として重視されなくなってきたというようなことが背景にはあるのでしょうか。私もそういった印象は持っています。

しかし一面では若者のボランテアへの指向が言われますし、寄付の精神も失われては居ないようです。何かを成し遂げる過程そのものを重視する、また単なる金銭崇拝、経済至上主義も見直されているようですし、まだまだ日本社会も捨てたものではないと私は感じています。

中世の昔、欧州の宣教師が全世界に福音を広めて回りましたが、その時点で彼らの本国の未開の地への経済的侵略がその後ろにあったことを彼ら自身知っていたといいます。聖と俗、善と悪がないまぜになったもの、人間は本来そういったものだということではないでしょうか。

蛇足でした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

次の世代は何を選択するのか楽しみです。

お礼日時:2011/10/12 22:15

善人なんていなくて虚構としての善があるだけ、いるのは黒かグレーばかり、善でいっぱいの生き物がいてもほかの生き物が腹ぺこならすんなり食われるから善は絶滅しやすいけれど、自己犠牲の善がないと産卵や命リレーがありえないので善はしぶとく、体が小魚でもトラでもクマでもヒトでも金正日でもそれが命の容器なら、命の永続に特化したちからである善はその容器にちからを注ぎ、注ぐ方法が分化し変化し臓器になったり理性になったり社会になったり国になったりして、サイズが膨らめば善の湧出量を増やさないとならくて、善すなわち母性的な?生命衝動が理性やら勝利欲やら利己心やら打算やらに分化・悪化すると、人間的なそうしたケチな末端に善が届きにくくなり、その部分が孤立し貧しくなるので、善の湧出量をやっぱり増やさないとならない



木造さん対シフトさんのところ面白かったです、コマスさんとシフトさんのも
木造さん前かなり社会常識から逸脱した純粋なものとして出家を書いてましたが、その個の逸脱を許す公としての国家の頑丈さへの期待があるからなんだと思います。
シフトさんは国家解体を夢見るらしいので木造さんが期待するようなしっかりとした国家とは別の見通しを未来に思い浮かべようとし、二人は合わないもののシャカ的な善や出家や哲学という社会常識・社会情勢から逸脱した態度を尊ぶ点で似てます。

善といいつつ悪をはらめるシフトさんと木造さんと金正日は似ていますから、あぶらっこいおやじ汁のほとばしるがちばとるをぶりぶりやっててほしいと思いました。

トラに食われるのが善のフルパワーで自己犠牲で、子育てでも小さなガキにはフルパワーの善を与える方が気っ風のいい大人に育つらしいし
善は人類愛だし生命愛だし存在愛という、フィクションで、善はヒトやトラの一切を敵視しないバカですから、ヒトラーや金正日を敵視しませんし、盲目的な施しもしてしまいますし、敵・味方という概念の外側にある悲しいやりまんが善なんだと思います。
そういう開けっぴろげなフルパワーの善に、いろんなゲンジツのしがらみが混じり、善の元気が弱まったり剪定されたりして、人間は記憶用の臓器が膨れているので善以外のものも念頭する賢い生き物だったりしますが、

善なんて聞いたことない、人の口から。
「哲学的、宗教的にみれば北朝鮮への食糧支援」の回答画像23
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

>善といいつつ悪をはらめるシフトさん

そりゃしょうがないよ私の仕事は地図作りだかからね
良い道や良い人の住む家しか記載しないってわけにはいかないからね。

お礼日時:2011/10/13 18:20

仁科です。



善の力は飢えがあれば北朝鮮にでも行って食べ物を渡したがり、金正日が腹減らしているなら金正日にも渡したがります。善には敵がないからです。味方もないかもしれません。善にとって悪も味方というか施しも死も殺しも善の方法で、結果を見越すという打算さえ善を本末転倒なケチに導くかもしれないものの善の一部だと思います。善の本質は利他てあり、善は生物の基本的な資質に含まれていて、種の別なく命を継続させようとする営みが善で、滅亡は善のゴールで、むしろ己の外側にある命に己の命を滅することを善だと設定します。崖下飢虎投身自殺前釈迦阿呆図(捨身飼虎図)の光景を背景にします。全ての善が滅んでもものがあればまた善は生まれます

哲学ノールールらしいんで経済や国際問題なんてどうでもいいような遊びですよね
善が弱者に対し自ずから生じる自己犠牲精神とその実行だとすれば、北朝鮮という国や軍部が力強さを持つ場合、その周りの者は北朝鮮に対して善意を持ちづらい。相手がつよいから。北朝鮮の農村部で飢えている人々は弱くて萌え対象かもしれない。ハンミとかいう脱北女児は日本の民に萌えられた。
強い者を利するなら危険で喰われるかもなら善にとって好都合。

シフトさんが回答者たちに何回か「なぜ結果を気にするのか」と問うけれど、それは相手が人だからで純粋な善ではないからで、惻隠や萌えの他にも意識を持つ物だからで
理性や危ぶみや不善や悪さえ善が持つ一部分で、悪は内向した善で善の変形。善は自他の区別がない延命衝動。

アメリカにみな殺られても天皇1人は死守しようとした戦時下日本人の国サイズの善のように、ユダヤ富豪(人)や北朝鮮指導者(生き物)ひとりが命をつなぐなら、善はそのひとりふたりのために身を粉にする、犠牲になる。太陽と鏡の月は善のお手本で故郷で、いつも北朝鮮を照らしたまに曇るし雨も降り、成層圏や大脳新皮質も善の衣で善の一部。墓場も。土も。
北朝鮮は中国・ロシア・アメリカに比べ自国の弱さを自覚しすぎて、自らを弱者とみているため善を内側に向け、自らに惻隠し閉じて独善に陥っている。内向した惻隠つまり悪みたいなケチな状態に陥った善は何によって開くか。
北朝鮮に仕事や役割や萌え対象があればいいのか。善を己より弱い者に向けるものだと設定するのは間違い。捨身飼虎図では力弱い人が強い虎に命を与えた。相手が強くても弱くても苦しんでいるなら己を丸ごと与えるのが善なら善は萌えより広く萌え+マゾ
もし善なる国があって、他の国や何かが不足を訴えれば、善の国の民は自国の資源を易々と送り込み明日も我が身も考えず身を尽くし、平気にのんきに自国解体さえして、国として滅亡する。そして善の国の民はそのことに何の戸惑いためらいもない。現存する国はみんなケチで独善的で不善で悪。善人は売国奴。売国奴以外は悪人。外的にケチな国という方法に善の純粋な発揮を期待しても、あまり滅亡したくない国民に向かって滅亡してくださいとか、他国民のために滅亡しましょうと誘うようなこと。嫌がられます。
豊かな国なら滅亡することなく他を恵むことができます。豊かな国々なら国体を維持したまま自らの善性を発揮できる。国も民も。
マザーは貧しいほど愛を与えつづけられるテレサだけれどちゃんと亡くなり、私は悪人で己の維持を願いますが、もし善人の国がいくつもあれば国家というイメージや国という手段も様変わりしそう
親が子に命や愛情や智恵や時間や傾聴を惜しみなく与え、全く満ちたりた恵みに浴する経験を持った子は、または信仰により神・自然からその恵みにひたる喜びにあれば、子や人は与えられた恵みを善に変え、自ら惜しみなく他者を恵むという、悪人からみたら狂気の沙汰のような病的な無差別の愛情漏洩
善は開放されてて、善の国を紡ぐのは民と他国民で、自然が豊かなら生き物や民に善が満ち、漏れ、自然が貧しいなら善は目立ち、まなざされ感染していく。独善的な生き物がいても善を感染させ、内破できる。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

悪は人間の発明品かな?

お礼日時:2011/10/13 18:16

>北朝鮮を全うな国にする明確な理論があり、それを実行するために支援は邪魔だというならまだわかりますよ。


それがないなら命を天秤にかけるようなやり方はよくないと思います。

よく言われることが「一寸先は闇」、未来のことは誰にも分からない。これは真理です。小惑星が動く軌跡は単純な重力理論におおむね従っていますので随分先まで予測できます。これと世界、国、民衆の未来的な振る舞いを予測するのは無数のファクターがからまって比較できないほど困難です。
仰る北朝鮮を良くして行くための理論はこのように複雑なもので、沢山のひとがこれに関わっていますが残念ながら完璧なものは誰にも出来ないわけで、ご存知のように米国がこの半世紀にやってきた様々な行動を参考にして、北朝鮮を決して壊さないようにしながらすこしづつ世界的コストを極小にするべく包囲網を狭めている。その一環として(他を壊さないようにしつつ、人道支援敵見地からの)かの国の民衆支援になるのだと思います。決して北朝鮮民衆をまるままキム正日のくびと天秤にかけて交渉しているわけではありません。明白にそういった卑劣な行動に出ているのはキム正日のほうなので、彼のそういった行動がこちらの方に影響を与えていることは確かにあります。向こうは赤十字社そのものも傘下におさめて悪行を続けている気配もありますから、こちらもそれに対抗せねばならないという面も少なからずありますし。

今考えられる最善のプログラムを粛々と行っている。その中で可能な限り生命を尊重するという観点からの支援を最大限考えて遂行する。これは現在でも可能だし、なされていることはおおむねこれに沿っているのではないでしょうか。他のイラクとかアフガンに対する遣り方に比べて、対北朝鮮対策はおおむね過激に走らず、民衆のことを考えた動きになっていると私は思っています。

このご質問の動機は私も理解しているつもりです。
仰るようにまだまだ援助が少なすぎるといわれるのはそうかもしれませんが上限は限られているし理念と比較してまったく少ないとは思いません。米国が打算的感情的に援助を絞っているという傾向はあると思います。キム正日は彼らの印象では最悪ですし(ブッシュ氏は小泉さんを「よく、あんな(悪の)男に交渉を持ちかけたもんだ。あんたはいい男だよ」といったそうです)。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

おっしゃられていることはよく分かります。
正直これといって手の打ちようがない状態ともいえるのでしょう。

私はこの質問の副題として「結果にこだわりすぎているのではないか」とい思いがあります。
これは北朝鮮への支援問題だけでなく、会社の実力主義、社会の風潮、日本人の思考パターンが結果のみを重視する方向に向きすぎているのではないかと思うのです。
結果を良くするための努力は尊いものではあるのですが、それが全てではないはずです。
結果さえよければ手段は問わないとなれば危険な事ですし、結果しか見ない(評価しない)なら人間関係はギスギスしたものになるのは当然でしょう。
結果の善し悪しという二元論では状況は変わらないだろうと思うのです。
世界の大部分はグレーなのですから。

お礼日時:2011/10/12 10:31

>なぜそれほどまでに結果にこだわるのですか?



どこか間違っているでしょうか?

こういえば私の善の観念は分かっていただけると思います。
私は子供に100%甘い親ではありません。可能な限り援助していれば、結果として自立できない人間になってしまうからです。将来を見据えた援助、行動が真の善となる援助だと思います。これは常識だと思います。子供を思えば明らかな結果にこだわるのは当然です。

必ずしも現前する経済的な、あるいは自分が利するために行っている行為ではないことを理解していただきたいのです。子供が将来まともなな大人になるためになす善が真の善ではないとは思いません。

やみくもに当面する悲惨に心を動かして施しをするのが最高善ではないということです。その悲惨が結果として解消されなければ善ではあってもより良い善とはいえないと思いますよ。人間はそういう計算と先がある程度読める動物です。結果を重んじる動物です。それが人間を生存競争で有利にさせてきたわけです。この結果を貴方が無視するのは愚かとしか思えません。貴方が何を目的としているのか、せつな的な自己満足のみをみているような気がします。見えている限り未来をコントロールしたい、お互いに幸せになりたいというのが善行の基本だと思います。
それとも釈迦が飢えたトラに身を投げたのを最高善とされておられるのでしょうか。
北朝鮮は飢えては居ますがトラではありませんね。もっと複雑な生き物ですから善も施しも複雑にならざるを得ないと私は思うのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

komaas88さんの意見はよくわかりますよ。
一般的にもその通りだと思います。
それを踏まえて聞いています「なぜそれほどまでに結果にこだわるのか」と。

例えを引用するなら、貴方の子供が貴方の意にそぐわない大人になったらどうするつもりですか。
貴方は子供を愛したことを無駄だったと考えますか。
或いは子供を殺すことになったとしても社会人としてのそれを優先しますか。
それとも自分の子供はそんな風にはならないと絶対の自信があるのでしょうか。

北朝鮮を全うな国にする明確な理論があり、それを実行するために支援は邪魔だというならまだわかりますよ。
それがないなら命を天秤にかけるようなやり方はよくないと思います。

お礼日時:2011/10/12 00:23

15です。



特に理由も無くひもじい何かを助ける。
これが善性を発揮してすることであると。
あなたは北朝鮮を助ける。
そうですね私なら熊を助けますね。
朝鮮人より熊が好きですから。
食料不足で人里にひょっこり出てきて射殺されるの痛ましい。
私は本当に胸が痛いのです。
朝鮮半島の半島民を玄界灘に突き落とし熊の楽園を建設します。
これが神の愛です。
ノーリターン・無制限の愛です。
同じ神の愛でも私とあなたで違う答えが出ました。
結局あなたのは行き着くところは好きか嫌いかなんんですね。
もうすこしご自分で考えてみてください。
根っこを掘っていけばどこかにたどり着くはずです。

ウィキの引用は>で指した2行だけです。
あとは私の意見です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

クマは愛すが人は愛さないという事ですか。
まぁそれもいいでしょう。

お礼日時:2011/10/11 23:32

>哲学的、宗教的にみれば北朝鮮への食糧支援問題は単純



本当に単純かなあと疑問に思っています。
犬養道子氏がどこかに書かれてあったことと記憶していますが、途上国への単純な物的援助はもろ刃の剣だというようなもので、当事者を精神的に駄目にすることが多いというようなものでした。どんな困窮にあっても、彼らはただものを貰うことにありがたみはさほど感じていない。こちらが思うよりもプライドが高い(つまり、そういった精神を駄目にしてしまう)。何らかの自助努力をして、その結果として食糧にありつける、何らかの実質的な働きをすることに非常なやりがいを感じている。そんなものでした。

食糧は北朝鮮でも条件が整えれば自力生産できます。肥料や薬品などはそのまま転売することを禁じる方向で援助の対象にしていいのかもしれないと思います。

キム正日は聞く限りでは最悪の指導者で今でもあちこちに援助を無心しているのはアフリカの難民の精神性を見習わねばならないとは思いますが、質問者様の支援は彼絵の要請には応えねばならないということなのでしょうか。
>食糧支援に反対する意見の多くは、その支援が権力者の私服を肥やす事につながるのではないか、独裁政治を持続させるだけではないかとの危惧のようですが、それは別のこととしなければならないのではないでしょうか。
なぜ別のことになるのか、私は理解できません。彼らを太らすことが理念として正しいはずはありません。それが分かっていれば2の足を踏むのは当然です。悪に手を貸すということですから。
現状の私としての認識では前向きに考えてトマトに水をやらない、いずれ上層部も音をあげて軍門に下るだろうという戦略なのだと思いますが、軍事には回らないようにという知恵を絞りながら世界は常に支援には前向きに考えていると思います。
日本は特殊な世論があります(から政治的になります)が、世界が必ずしも経済、感情的な見地から支援を渋っているのではないと思います。要は実質的に民衆を支援するにはどうするかという技術的な問題で悩んでいるのだと思います。
日本のことに絞って言えば、拉致問題と平行して進めるという今の方法は政治的には妥当だと思います。たしかにもっと援助にも積極的に動いてもいいとは思いますが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なぜそれほどまでに結果にこだわるのですか?

お礼日時:2011/10/11 23:19

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