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江戸時代、飛脚がいますよね。なんでも大阪から東京まで3日でいったとかなんとか。

それはそうとして、時代劇で飛脚を見るたびにおもっていました。

「なぜ、馬を使わないんだろうか?」

馬のほうがいいような気がするんですが、どうでしょうか?

いや馬を使っていたこともあるとは思うんですけど。

飛脚ってほとんど人力走りじゃないですか。おかしくないでしょうか?

gooドクター

A 回答 (7件)

実は日本は世界の歴史から見て、稀有なほど馬を利用しない文化だったのです。

たとえば馬車は地中海や中近東では紀元前には出現しているのですが、日本ではついに一度も利用しないで、自動車社会になってしまいました。日本の道が狭く道路を整備しづらいのは、馬車を利用しなかったからだ、という説もあるぐらいです。

なぜ馬が利用されなかったのかはついては、体系的な説明がなかなかなく、私も調べているかぎりの知識になりますが、いくつかの事実をあげると
・馬の去勢を行わなかった。
・武士階級はそもそも馬を御す技術を持った者のことだったため、乗馬が特権化した。
・仏教思想から、馬に限らず牛なども家畜というより家族として扱った
ということが影響していると思われます。

そのうえで飛脚についていうと、江戸時代でも馬による伝令はあったのです。ですから、飛脚とは別に馬を使った伝令も江戸時代にはあったのが事実です。
これらの伝令用の馬は平安時代に「駅伝駅馬」として整備を始め、江戸時代には駅がおかれた地域を中心に宿場町が発展していました。
つまり江戸時代の宿場には駅(伝令のために馬を用意し、宿泊できる施設も整えた施設)もあったのです。

ところがこれは平安時代から政治的軍事的な伝令のためのもので、庶民がつかえるようなものではありませんでした。武士といっても国の根幹にかかわるような伝達事項でなければ、馬は利用できなかったのです。

そのため、庶民が気軽に利用できる郵便制度として飛脚が発展し、まるで現在の宅配便のように気軽に利用できるようになっていたのですが、ここでそもそもの問題があります。それは「なぜ江戸-大坂間などを頻繁に飛脚が往復する必要があったのか」ということです。

この時代は人の行き来が難しい時代ですから、現代のように関東と関西に親戚がいて、お父さんは東北に出張、お母さんは九州に旅行、という具合にはいきません。当時のほとんどの人は生まれた場所から10kmぐらいの行動範囲しかなかったのです。

そのため飛脚は実は「商売」のために往復していたのが実際のところです。実は江戸時代、江戸と大坂では金貨経済と銀貨経済と貨幣も貨幣単位も違いましたし、大坂の堂島には米の先物取引があり、米相場は大坂しかし米の消費地は江戸、という二重経済をしていたのです。

今で言えば日本の中に円建ての経済地域とドル建ての経済地域があるようなもので、しかも毎日為替相場が動いて、その日の金貨と銀貨の交換比率が変わるという具合だったのです。

現在でもFXのように、為替相場は儲けることができます。また米の先物取引で儲けることもできます。この儲けのために頻繁に江戸-大坂間を証文がやり取りする必要があったので、飛脚が発達したのです。
しかしこれは階級社会から見れば士農工商の商、何の労働もしないで富をえるいちばん悪い儲け方だったので、当然ながら役人は馬の使用を許可しなかったのです。

これが、実際に馬を利用しなかった(できなかった)一番大きな理由です。

もっとも、日本も馬の去勢を取り入れていたら扱いやすい馬が増え、江戸時代には普通に馬や馬車を利用していたかもしれません。

日本から古来から大陸産の馬を時々輸入していたようで、去勢の方法も知らないはずは無かったのですが、たぶん当時の文化的な理由から馬の去勢をしなかったのだと思います。(じつは人間の去勢である宦官も日本は大陸から受け入れていません。日本は中国・朝鮮からいろいろな文化を受け入れつつかなり取捨選択しているのです)

話が脱線しましたが、江戸時代の中期になると庶民でも利用できるぐらい飛脚が発展したので、時代劇にも登場するのでしょう。それに比べて伝令の駅馬は地味すぎるのと政治的なドロドロが多すぎてテレビには向かないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

わかりやすい説明ありがとうございました。
とても参考になりました!

お礼日時:2011/11/10 13:14

 一応、馬早飛脚というのも合ったみたいです。


   http://www.weblio.jp/content/%E9%A6%AC%E6%97%A9% …

 まあ、直ぐ無くなってしまった一番の理由はコストだと思います…。

それ以外で思いつく理由としては

  1.馬って実は長距離を走る能力は人間にも劣ります。

    4足歩行で進む為には、必要な力を全て自身の筋力で生み出さなければ成りません。
    対して2足歩行は、前に倒れこむ引力を利用して進む為、必要なエネルギーが少なくて済みます。
    (この為、アフリカで誕生した人類が、世界中のほぼ全ての地域にまで行動範囲を広げる事が出来た。)

    体温調整能力が人間より低い事もマイナス点です。
    馬自体は、人間と同様に全身で汗をかきますが、体毛の点で若干不利です。
    汗に含まれるミネラル等が多くなっている点も不利です。

    また、馬肉は口内の温度で溶け出すように、馬は体温上昇に弱い生き物です。

    なお、信長公記には「三里の片道さへ運びかね、息を仕り候」何て有ります。
    (東海道が126里強ですから、5街道へ予備等を考えると何頭用意して置かなければ成らないか考えるだけで頭が痛くなるところです。)

    戦国時代だと一角の武将は皆、何頭(場合に依っては10頭以上)も乗用馬を引き連れるのが絶対条件でした。

    人間なら鍛えれば100km以上のマラソン(ウルトラマラソン)だって走破できますし…。
    (ちなみに最長はオーストラリアの5,000kmマラソン!!)
      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB% …

  2.当時の日本の馬に対する技術の未熟さ。
    当時の日本では乗用馬に対する去勢が行われていません。
    乗馬技量が相当優れていないと、口取りという従者が徒で寄り添い馬を制御しなければなりません。
    (戦国武将[武士]で落馬する人が結構いるのはこの所為。)

    蹄鉄という技術が無かった(or 普及しなかった)のも蹄を守るという点で不利ですし…。

  3.江戸時代も進むと、各街道がお伊勢参りなどで混雑してきた。
    混雑している街道を、前述の去勢していない気性の荒い馬が、全力疾走してきたら、歩行者がかなり危険です…。
    幾ら街道が整備されているからと言っても、幅が何十メートルも有る訳では有りませんし…。
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この回答へのお礼

なるほど、以外にも実用性が低かったのかも知れませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/10 13:16

江戸時代は馬に乗るのは武士の特権とされていたのです。

また飛脚は下賎の者の仕事だとも位置づけられていました。武士でも下級武士は馬に乗ることが許されなかった時代なのです。士農工商といいまして、農民は農作業用に馬を使うことは許されていました。しかし、それは手綱を引っ張るだけで農民が馬に乗ることが許されていませんでした。飛脚は商の一番下っ端という位置づけなので論外なのです。元禄赤穂事件で赤穂藩の江戸藩邸の下級武士が事件の急を地元に伝えるために江戸を出立したわけですが、それでも馬に乗ることは許されなかった。駕籠を乗り継いで帰郷したわけです。

飛脚は東京から大阪まで一人で走った訳ではありません。宿場町で交代です。宿場町には問屋場という人足手配所というか駅みたいな場所があって、飛脚は問屋場の役人の命令に従って、次の宿場町の問屋場に荷物を届けるのが仕事です。飛脚は、そこで休憩を取って、「おーい、誰かいないか?」と声がかかるのを待つ。この繰り返しです。東海道五十三次といって東海道には53の宿場町がありました。つまり一人が走るのはたかだか10kmあるかどうかというところです。

徳川家康は江戸を中心に五街道の整備を諸大名に命じました。それは、こういう仕組も含めて街道と宿場町を整備することでありました。
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他の回答者様と被る部分がありますが、ご了承を・・・・



馬を使った時代もあったそうです。それは鎌倉時代から戦国時代にかけてだそうです。大阪から東京までと言えばおよそ550キロです。550キロの道のりを3日で到着したとなれば1日につき180キロ以上は走らなければならず、フルマラソンの実に4.1倍です。

私が思うに、途中途中に馬を交代させる場所があったか、それこそ駅伝みたいに飛脚から飛脚への繋ぎがあったんではないか?と。そうでもなければ、1日に180キロは普通じゃありませんよ。

またよし、5日かかったとしても、それでも1日110キロ、フルマラソンの2.6倍。まぁ人間業では無いですね。馬だってたった1匹の馬でそれだけ踏破できたとは思えません。(花の慶次の松風なら可能かも)

何か飛脚は飛脚でも色々な種類があったんじゃないでしょうか。食べ物を運ぶ食料専門飛脚、普通郵便を扱う飛脚、速達を扱う飛脚、等。

あくまでも私の私見ですけれども・・・・。
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・飛脚にも普通便と速達便があり、、、


普通便の場合、馬よりも人の方が安かったからだそうです。
速達便は、馬などを使ったようですよ。

たぶん、No.1さんは下記リンクを書いたのでしょうね。。。
http://wishpafupafu.blog110.fc2.com/blog-entry-8 …
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この回答へのお礼

馬よりも人が安かった・・・うーん、歴史を感じます。
やはり馬で運ぶ場合もあったんですね!

ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/10 16:17

馬だって大阪まで走り続けていられるわけではありません


死んじゃいます

要所々で馬を交換しておりました
大名や金のある人なら馬を交換することができましたが
飛脚にはそんな金もないし
交換してくれるようなつながりのあるお屋敷も
ありません

んで、俺が走るわけです
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この回答へのお礼

なるほどー途中で交代すれば ガシガシ走れるわけですか!
早そうですね!

しかし、俺さんがはしるなんて凄いですね。準備運動はしっかりしてくださいね!

ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/10 16:17

鎌倉時代の飛脚はほとんどが馬を使用していました。



江戸時代の飛脚は、鎌倉時代と違って、馬を使わず、人間が走って運んでいました。
馬を使うと、エサ代や休憩代、宿泊代などでコストがかさみ、採算が取れなかったからです。
なにしろ、人件費の安い時代、人が交代で走り継ぐほうが経費を押さえられたのです。
江戸から京都まで、東海道を歩いていくと二週間ほどかかったが、普通便の飛脚は6日間で届けたといいます。
なお、当時の飛脚の料金は、荷物一貫匁(3.75キロ)につき、江戸ー大坂間で9匁5分(今の3500円ほど)、書類は、2000円もしなかった。
緊急用に、大坂から江戸まで3、4日で届く”速達便”もあったが、こちらは値段がとんでもなく高かった。(こちらは馬も併用したようです)
文化年間(1804~18年)ごろで、金4両2分というから36万円ほどもしていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。 いろいろとあったのですね。
しかし意外と早く届くもんなんですね!

びっくりしました。

お礼日時:2011/10/10 16:15

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