『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

戦国時代の合戦についてお聞きします。


戦国時代の合戦で、敵を何人打ち取った猛者がいたとか、メチャクチャ強かった兵士がいたとかいう話を本で読んだりします。(可児才蔵とか)
しかしその度に思うんですが、それだけ強かったのもスゴイなーと思うけど、それよりも、よく生き残れたなーと思います。
強かった兵に限らず、生き残れた兵はスゴイなーと思います。


槍ふすまとかで団体でまとまってオリャー!とかならまだ分かるけど、肉弾戦で、もちくちゃになりながら戦った兵士は絶対死んでしまうんじゃないだろうかと思います。どんなに強い奴でも、数の前には意味がないだろうし。


生き残れた足軽や雑兵等の身分が低い兵士は、どうやって生き残れたんでしょうか?
やはり身分が低くて、もみくちゃになりながら戦うしかなかった兵士は、合戦に行くという事はほとんど死ににいく様なものだったんでしょうか?

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A 回答 (4件)

兵の目的は、敵方の全滅ではなく、敵将の首を取ることです。


なので標的は有名武将の命なので一般兵を殺しても一銭の特にもなりません。
敵将前に立ち塞がる邪魔な一般兵は、邪魔をさせないように戦闘不能(逃亡・気絶・負傷など)にすればよいだけです。
なにも殺さなくても怪我人や逃亡者で戦闘参加者が減れば守る人がいなくなり敵将までたどり着きやすいですから。
切られて負傷し動けない無名の兵隊を誰も命は狙わないし、一般兵などトドメを刺されることはないのです。
もちろん、刺された箇所が急所だったり傷の悪化で結果的に死ぬことはありますがね。
圧倒的に死亡率が高いのは一般的な兵士ではなく侍大将以上の武士ですよ。
まぁ家康が討死寸前になったために部下が続々楯となった三方が原の戦いや、殺傷率が高い鉄砲が大量使用された長篠の戦いなど、まれに多くの兵が死んだ戦もありますが、一般的には下級兵の死亡率は低いです(負傷率は高いが)。               
近代の戦争は殺傷率の高い鉄砲や大砲に加え、毒ガスや核兵器など大量殺戮兵器が戦争で使用されてるため、下級兵士でも戦場で生き残る方が難しくなりましたが、昔の戦は、無駄な殺生はしなかったんですよ。
 
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この回答へのお礼

いやー、本当に僕の中の戦国の常識がひっくり返りました!
よく考えれば討っても何の価値もない雑兵と命をかけて戦っても、意味無いですよね。
大将とかの上の者は、やれー!とか指揮とるだけで、兵士に囲まれて安全なんだろうなーと思ったけど、全然違うんですね!


ご回答ありがとうございます!!

お礼日時:2011/10/15 18:44

集団として、組織的な戦いが出来なくなれば


それで戦闘は終わりになります。
まして、昔のことです。
無線機もありません。

簡単にバラバラになってしまい、組織としての
戦闘は出来なくなります。
死ぬ人はあまりいませんでした。

軍事の専門家に聞いたことがありますが、
近代戦争でも、兵士の25%が戦闘不能になれば
もう組織的な闘争はできなくなるので、それを
「全滅」と称するそうです。

ちなみに、旧日本軍は兵士が残り25%になっても
戦い続けたそうです。
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この回答へのお礼

他の方もおっしゃる通り、組織が機能しなくなった時点でもう負けなのですね。
確かに今みたいに電話も何も無いと、組織がくずれたらもう取り返しがつかないですよね

ご回答ありがとうございます!!
しかし旧日本軍、気合いが違う...。

お礼日時:2011/10/15 18:38

戦死率は1%以下です 将の戦死率の方が高いです



足軽は数%も戦死するような状況になる前に逃散します
足軽は重要な食糧生産要員です、それを数%も戦死させるような領主には翌年はありません

時代劇を表面的に受け取っているだけです
時代劇漫画の読みすぎです
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この回答へのお礼

逆に死亡率はそんなに低かったんですか!
テレビや漫画等のイメージだと、絶対死ぬじゃん!と思っていました。
テレビや漫画は実際とは違うとは思ってましたが、こんなに違うとは...。


ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2011/10/15 18:35

戦って別に相手を全滅させるのが目的じゃないからですね。


大体は指揮系統が混乱した時点で退却を余儀なくされたと推測できます。
現に長篠の戦いの武田側の死傷者はほとんどが退却時のものだそうです。
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この回答へのお礼

なるほど!
上の指揮系統の方がずっと大事だったんですね!

ご回答ありがとうございます!!

お礼日時:2011/10/15 18:32

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Q戦国時代における戦での遺体の取り扱いって?

近年の戦争の映画で戦死者の遺体を棺に収め、国旗などでくるんで本国に移送するという場面を見たことがあるのですが、日本の戦国時代はどうしていたのでしょうか?
大きな戦では大量の遺体が発生すると思うのですが、そのまま放置されたのでしょうか?それとも組織的に回収されたのでしょうか?
また、海外(中世の欧州など)でどうだったのかも分かれば教えてほしいです。

ご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、通行するクルマ以外に邪魔者はいません。効率よく死体処理(カラス等の食事)が進むでしょう。

ご質問ですが、戦国時代の戦いでの戦死者の遺体は、下記の経過を辿ったと思われます。

1. 戦死者は、首を取られた状態で戦場に残されている。
よほど大きな合戦、例えば武田信玄が徳川家康を完敗させた三方ヶ原の合戦でも、徳川軍の戦死者は1000人行かない計算のようですから、そんなに大きな数ではありません。普通の合戦なら「戦死者10人」とかの単位です。

2. 戦闘が終わって両軍が引き上げると、既に回答されているように農民たちが「戦場狩り」を行います。これは、「田畑を荒らしたことに対する補償」の意味も含まれていたようです。
この際は、我々の眼から見て価値がある鎧、刀、槍などはもちろん、着ているものもフンドシに至るまで全て剥ぎ取られます。戦国時代の日本は、今の北朝鮮のような「使えるものは全て使う」社会ですから、例えば「戦死者がつけていた、血に染まったフンドシ」でも洗えば価値があるので剥ぎ取られました。地位のある武士が着ていた服は、農民から見れば「超豪華な織物」ですから、血や泥を落として分解すれば高値で売れました。(和服は、縫った部分をほどけば長い反物に戻ります)

3. 農民が徹底的に戦場狩りを行った後、戦死体は、全て丸裸になったでしょう。即ち、冒頭で説明した「クルマに轢かれたタヌキ」と同じ状態です。この状態であれば、後は野生動物が死体を処理してくれたと想像できます。実際、合戦の後の戦場をカラスが徘徊している様子が、当時の手紙か何かで描写されている例があったと思います。

4. 現在も痕跡が残るように、地元の僧侶が穴を掘って死体を埋め、供養したと言う例もあったでしょう。これは、「戦場狩りで大儲けした農民たちが、罪滅ぼしの気持ちで供養を依頼」ということが多かったのではと思われます。

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、...続きを読む

Q中世の戦などで死亡する武士(兵隊)の数

中世では戦が繰り返されてましたけど、ひとたび戦が始まると、どのぐらいの武士(兵隊)が死んでしまったのですか?

僕は歴史に全然詳しくないので素朴な疑問を感じてたんですけど、戦のたびごとに殺しあいをして兵隊が次々に死んでいったら、どんどん男子が減っていってしまいませんか?

今の少子高齢化なんかまるで比較にならないくらいのペースで人口が減っていって、国が成り立たなくなってしまわないのですか?

Aベストアンサー

するどいご指摘でね、映画やドラマなんかじゃ戦闘の後に戦場では死者が累々と横たわっている描写がよくありますが、私は正直疑問を持っています。

ただ、記録には「○○軍は3万人で凸凹の戦いをして敗北した。死者は2万人になった」なんて残っているのですが、これは少々割り引く必要があります。なぜなら、そういう数字って「大本営発表」だからです。
三国志で有名な赤壁の戦いでは曹操軍は100万人の大軍を動員したといわれていますが、実際に動員した数は諸説あるのですが3万人くらいではなかったかといわれています。それでも当時の常識から考えるとものすごい大軍なんですけどね。一方の孫権軍は実数は多くても3000程度ではなかったといわれているので、「曹操軍が圧倒的多数だった」のは間違いありません。

問題は、致死率なんです。医療レベルが低くて衛生状態がよくなかった昔は負傷してからの致死率が極めて高かったのです。例えば矢が当たってケガをしたとして、そのケガ自体はたいしたものではなくても破傷風になって死んじゃう可能性は結構あったのです。だから、ちょっとしたケガだって危険なんですね。
おっしゃるとおりで、どんどん戦闘していったらどんどん男たちが死んでしまうはずです。だから、実際はいわれているほど死傷者はでなかったのではないかと思います。
特に三国志みたいな銃がない時代の戦いでは、歩兵のほとんどは烏合の衆。「勇猛な武将に率いられているから戦う」のであって、もしその武将が打ち取られてしまえば「こりゃもう逃げたほうがいい」となります。だけど武将は最前線で「俺についてこい!」ってやらないと歩兵たちはついてこないですから、彼らは体を張るのが商売なわけです。今でいうとアスリートだったんですね、武将というのは。

そう、おそらくですが(なにしろ見たことがないので想像するしかありません)案外に昔の戦闘というのはスポーツの試合に近いものではなかったかなと思います。
中世イタリアは傭兵による戦争というのが主流だったのですが、これがなかなか面白いです。
まず、傭兵というのは隊長に率いられているのです。傭兵隊長というのは人足の親分みたいな存在だったわけです。で、ある町に雇われるのですが、このとき人数を「水増し申告」します。本当は5000人しかいないのに8000人とかいうわけです。いちいち数えるのも面倒だからまあそれで受け入れるわけです。
で、戦場に行くと相手も金で雇われた傭兵部隊です。そういう意味では同業同士ですから、朝から夕方までわあわあと槍を合わせるのですが、お互い本気ではやらない。一日中やって死んじゃうのは1人とか2人とかそんな程度です。終わったらエールを交換し、時に隊長同士が握手したというのですから、もうスポーツの試合ですな。んで、雇われた町に帰ってきたら「水増し申告」がモノをいうのです。「8000人の兵士が5000人になったので、3000人分の死亡手当をください」とやるわけです。
こんな馴れ合い(というかもうほとんど談合)をやっていたので、フランスから騎士による軍隊が来てしまうともう戦争にならないほど傭兵なんてすぐ逃げちゃう。だって、死んだら意味ないでしょ。「生きるために傭兵」やってんだから。だからマキャベリとかチェザーレ・ボルジアなんかは「傭兵はダメ。国民軍隊を作らないと」といってたのです。

現代でも、アフガンゲリラ同士の戦闘の動画なんかがたまにユーチューブに出ていますが、あれを見ますとみんな「アッラー・アクバル」とかいいながらてんでばらばらに撃ってるもんですから、日本でやってるサバイバルゲームとあまり雰囲気が変わりません。サバイバルゲームだと命は失わないからみんな死ぬ(弾が当たる)まで戦うけど、もし本当に命を失うならやられる前に逃げてしまいますよ。

するどいご指摘でね、映画やドラマなんかじゃ戦闘の後に戦場では死者が累々と横たわっている描写がよくありますが、私は正直疑問を持っています。

ただ、記録には「○○軍は3万人で凸凹の戦いをして敗北した。死者は2万人になった」なんて残っているのですが、これは少々割り引く必要があります。なぜなら、そういう数字って「大本営発表」だからです。
三国志で有名な赤壁の戦いでは曹操軍は100万人の大軍を動員したといわれていますが、実際に動員した数は諸説あるのですが3万人くらいではなかったかといわれてい...続きを読む

Q戦国時代の戦は実際に互いの軍の兵士や武将たちがワーワー叫びながらだだっ

戦国時代の戦は実際に互いの軍の兵士や武将たちがワーワー叫びながらだだっ広いようなところで敵味方混ざりながら戦っていたんですか?
戦国時代がかかれた映画とかゲームとか見るとそんな感じでかかれていますが

Aベストアンサー

何とも言えませんが・・・そうですね、自然に考えれば戦闘の際は現在の科学戦法と違い、真っ向勝負が基本だった事が「何々合戦図屏風」なんかを見れば、分かります。敵味方入り乱れて背中に自分の軍である幟を背負い目印にし、ワーワーやっていたんだろうという事は想像に難くありません。大声を上げるのは「自分を鼓舞」するのと「相手を威圧」する効果があるので、「おりゃ~」「きさま~」「死ね~」「お前らの負けじゃ~」とか言いながら戦闘してたんでは無いですかねぇ。それが入り混じれば、ワーワーとしか聴こえないので、12noname34さんが疑問に思っている事は正しいと思いますよ。

Q戦国時代 : 戦いの最中の兵士の毎日

例えば戦国時代などで多くの戦いが日本全国で行なわれたと思いますが、その多くは決着がつくまで数週間とか数ヶ月とか時間がかかっていますよね? 特に相手が籠城した時などは長期間にわたる戦いになったように思います。 今と違って結構ノンビリした戦いだったと思います。 その時の兵士の毎日について質問です。

1. まず寝る時はどうやっていたのでしょうか? 今のようにテントも寝袋も無い時代です。 やはり鎧・甲冑をつけたままで地面に横たわっていたのでしょうか? その場合、夏はいいとしても冬は?

2. その寝る時なんですが、総大将や上層部の武士はどうなんでしょうか? やはり下級武士と同じように寝ていたのでしょうか? あるいは何らかの形で布団に入れるようにしていた?

3. 例えば今川義元は何万の大軍を率いて都に上る途中で織田信長軍により倒れましたね。 その今川軍なのですが、何万の兵士に毎日食べさせられるだけの米を一緒に持っていったのでしょうか? となると、膨大な量になると思うのですが ・・・ 何万人 x 3食(2食?) x 総日数という事になりますよね。

もし基本的に毎日毎日、現地で買付けする事が念頭にあるのなら、もし敵方ばかりで誰も協力しなかったら、どうなるのでしょうか? その場合は力づくで?

4. 風呂は? 着替えは?
風呂については、おそらく濡れた手拭いで体を拭く程度だったかなと思うのですが、長期間になると髪に虫がわいたり衛生上の問題が出るように思います。 また着替えについても戦闘が無い時に自分で川で洗濯したのかなと思いますが、実際はどうだったのでしょうか?

5. もし病気になったら?
風邪をひいたり、お腹の調子が悪くなって、薬を飲ませたり医師に診せる必要が出た場合はどうしていたのでしょうか? 今のように前線から本国に連れ帰る事は出来なかったはず。 もしかして医師を戦場連れて行ったり、大量の薬品を持参していたのでしょうか? それに病気になった時、上層部と下級武士で扱いは違っていたのでしょうか?

6. 戦いの終了後、傷ついた兵士にはどう対処したのでしょうか? 例えば自分で歩けない人は誰か数人で故郷まで担いでいったとか?

と、素朴に疑問に感じています。 時代考証をしっかり研究した時代劇を見てもそのような描写はほとんどありません。

宜しくお願いします。

例えば戦国時代などで多くの戦いが日本全国で行なわれたと思いますが、その多くは決着がつくまで数週間とか数ヶ月とか時間がかかっていますよね? 特に相手が籠城した時などは長期間にわたる戦いになったように思います。 今と違って結構ノンビリした戦いだったと思います。 その時の兵士の毎日について質問です。

1. まず寝る時はどうやっていたのでしょうか? 今のようにテントも寝袋も無い時代です。 やはり鎧・甲冑をつけたままで地面に横たわっていたのでしょうか? その場合、夏はいいとしても...続きを読む

Aベストアンサー

1基本的には甲冑を着たまま、草むらの上などで寝ます。
ただし長対陣となると、甲冑等は勝手に脱いでるやつが多いです。
またごく一部、上層部の判断で一部のものが脱ぐことを許可することもありえます。

2総大将クラスとなると、近くの小屋や寺などで本営を作り、そこで寝ます。

3基本的には数日分は自弁、あとは現地調達(略奪)です。
よって大軍が一箇所に長対陣すると、大抵食糧不足に陥ります。

ごく一部の大大名になると、荷駄隊を作り本国から食料を送ります。
織田豊臣徳川毛利武田といった面々です。
逆に言えばこうした体制がとれない大名は、遠征能力や長期戦遂行能力が無いといえます。上杉など一見優勢に見える状況での撤退が多いですが、食糧問題があったと考えられます。
ちなみに兵士を支える食料として、1日6合から12合の米を用意します。米以外は結局(手に入れば)現地調達です。

4洗う余裕があれば川や井戸で洗う、基本的には無理となるでしょう。
もちろん衛生的な問題はあったと思われます。

5戦場での病となると武田信玄が有名ですね。基本的には近くの寺などで養生させるか引き返すしか無いです。総大将だとよほど有力な嫡子でもいないかぎり全軍の進軍がストップしてしまいます。
有力武将なら、友のものを連れて寺に残すか送り返します。
足軽となると、近くの寺なり豪農に、多少の金を渡して預けます。
(もちろん本軍が負ければ、落ち武者狩りの対象です。)

医者は連れていきますし多少の薬も医者が持ってるでしょうが、基本的には大将クラスのためのものです。しかも当時は漢方医程度ですから、即効性のある医療ができるわけではないです。後方移送する必要があるかどうかの判断には使えたでしょう。

6連れて帰る余裕があれば連れ帰る、無理なら打ち捨てるか切腹してまわりの者が介錯です。


こういった疑問を本気で解決したいなら、雑兵物語がお勧めです。

1基本的には甲冑を着たまま、草むらの上などで寝ます。
ただし長対陣となると、甲冑等は勝手に脱いでるやつが多いです。
またごく一部、上層部の判断で一部のものが脱ぐことを許可することもありえます。

2総大将クラスとなると、近くの小屋や寺などで本営を作り、そこで寝ます。

3基本的には数日分は自弁、あとは現地調達(略奪)です。
よって大軍が一箇所に長対陣すると、大抵食糧不足に陥ります。

ごく一部の大大名になると、荷駄隊を作り本国から食料を送ります。
織田豊臣徳川毛利武田とい...続きを読む

Q第二次世界大戦の日本兵の死亡率

あの戦争で何人の日本兵が戦地に赴き、そのうち何パーセントぐらいが帰還したのでしょうか。ご存知の方、宜しくご教授ください。
(出典も教えて頂ければ幸いです〉

Aベストアンサー

戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。これこそ無謀な戦争といえる現実でした。

NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫)
>アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。これはガダルカナルに上陸した総人員3万1358人のおよそ三分の一であった。戦死・行方不明は合わせて2万1138人、そのうち戦闘で死亡した兵士は5000人ほどと推定され、残りの1万5000人以上が飢えと病に倒れたのであった。
 
 精神論だけで勝とうとする日本軍の指導者について以下のように記載してあります。
 >またアルビン・クックス教授は、このノモンハン事件(死傷率70%)の失敗が太平洋戦争でも繰り返されたもう一つの大きな点は、事件の指導者(辻正信、服部卓四郎)が責任も取らずに再び太平洋戦争も指揮したことにあるとしている。

インパール作戦でも半数は補給作戦もなく、飢えと病で死んでいます。NHK取材班「責任なき戦場 インパール」(角川文庫)

 
 

戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。これこそ無謀な戦争といえる現実でした。

NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫)
>アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。これはガダルカナルに上陸した総人員3...続きを読む

Q戦場で衛生兵を撃っては行けないルール

戦争映画を観て、よく戦場のシーンで「衛生兵!」って
叫んで、衛生兵がケガした兵士の所に走って行きますけど
戦場では、敵国の兵隊の衛生兵は撃ってはいけないという
国際ルールでもあるのですか?

Aベストアンサー

1864年の第1回赤十字条約「戦地における軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する条約」で、戦地病院は局外中立であるとともに、この病院が「任用する人員」、即ち病院の監督員、事務員、負傷者運搬者、説教者はその本務に従事し、かつ傷病者を救助する必要のある間に限って、局外中立であることが認められています。つまり衛生兵(負傷者運搬者)はその本来の任務を遂行している間は、敵対行動の目標とされていないことが規定されています。
次に1929年の赤十字条約は、その3章で衛生兵の保護について詳細に規定し、「傷者及び病者の収容、輸送及び治療並びに衛生上の部隊及び造営物の事務に専ら従事する人員並びに軍隊所属の説教者」は、戦争中であればどのような場合でも保護されなければならず、また捕虜としても取り扱われません。(敵に捕まっても、拘束されないという意味。)
このような赤十字条約を批准している国家は、戦争中といえども衛生兵をはじめとして、傷病者を救護する任にある者を攻撃してはならないのです。現代の戦争は実はある一定のルールに従って行われている、と言ってもいいでしょう。(もっとも批准していない国との戦争や、戦場が入り乱れている場合などでは、衛生兵が射撃されることもあります。ですから「衛生兵!!」と叫ぶのでしょう。)もっと詳しく知りたければ、国際法の中の「戦争法」を読んでください。

1864年の第1回赤十字条約「戦地における軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する条約」で、戦地病院は局外中立であるとともに、この病院が「任用する人員」、即ち病院の監督員、事務員、負傷者運搬者、説教者はその本務に従事し、かつ傷病者を救助する必要のある間に限って、局外中立であることが認められています。つまり衛生兵(負傷者運搬者)はその本来の任務を遂行している間は、敵対行動の目標とされていないことが規定されています。
次に1929年の赤十字条約は、その3章で衛生兵の保護について詳細に規...続きを読む

Q戦国時代の戦死者家族に対する補償について

 以前から疑問に思っていたことがあります。
戦国時代、多くの大名家では、足軽たちは農業兼業だったと思います。そのような場合に「いくさ」に出て不幸にも戦死してしまった場合、残された家族に対する生活保障のようなものはあったのでしょうか?自分的には模しなかった場合、敵前逃亡や形勢傍観を決め込んでしまいそうなきがするのですが。もしそのような制度があったとした場合でも、戦いの結果次第では家族の居住地が他家の領地に併呑されてしまう場合もあると思います。そのような場合も補償は継続されたのでしょうか?ご存じの方がおいでましたら、教えて頂きたく伏して御願い申しあげまする。

Aベストアンサー

地域差や時代差があるかもしれませんが村は自治と相互扶助が進んでおりましたから、領主の保護を受けるのではなく村内で助け合ったのではないかと。
平等・均等な相互扶助では無いにしろ村の人口や働き手が減れば、村全体の維持が出来なくなりますから。

大名・領主がせねばならぬ事はその領民を守ること。
戦争といっても関ヶ原の合戦や川中島の合戦の様に兵vs兵という大規模なものや城攻めばかりではありません。
最も多く行われた戦は「敵の村を焼く」「敵の村の物資を奪う」という小規模な戦がほとんどでした。
その際に、いち早く駆けつけ領民を守るのが領主の務めです。また戦でなくとも野武士集団からも村を守らなければなりません。
村が疲弊したり領民が減ったりしたら年貢収入や徴兵数が減るだけですから、結局損をするのは領主ですので。
また村が奪われても戦が終われば村へ帰れます。
土地だけ奪っても耕作人が居なければ田畑は運営できませんから・・・大名AのB村が大名CのB村になるだけですからB村の村人は領主がAからBに移っただけになります。
村から切り離された職業軍人としての足軽となった場合は簡単に帰れぬかもしれませんが、、、

地域差や時代差があるかもしれませんが村は自治と相互扶助が進んでおりましたから、領主の保護を受けるのではなく村内で助け合ったのではないかと。
平等・均等な相互扶助では無いにしろ村の人口や働き手が減れば、村全体の維持が出来なくなりますから。

大名・領主がせねばならぬ事はその領民を守ること。
戦争といっても関ヶ原の合戦や川中島の合戦の様に兵vs兵という大規模なものや城攻めばかりではありません。
最も多く行われた戦は「敵の村を焼く」「敵の村の物資を奪う」という小規模な戦がほとんど...続きを読む

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Qなぜどの国も北朝鮮を空爆しないのか?

核開発を進めるなど、北朝鮮は危険なことばかりしていますがなぜどの国も北朝鮮をほっとくのでしょうか?アメリカはイランのことばかりだし。バックに中国がいたとしてもアメリカの戦力なら北朝鮮くらい占領できるんじゃないですか?
正直将来日本が滅ぼされないか不安です。

Aベストアンサー

 将来、日本が北朝鮮に滅ぼされることはありません。

 日本が北朝鮮から受ける可能性のある最大の被害は、北朝鮮崩壊による難民が日本に押し寄せた場合と、北朝鮮の原子炉がメルトダウンして、(北朝鮮の原子炉は、チェルノブイリと同じ黒鉛炉)原子炉内の核物質がばら撒かれ、ジェット気流に乗って日本海や日本にばら撒かれることです。

 <核開発を進めるなど、北朝鮮は危険なことばかりしていますがなぜどの国も北朝鮮をほっとくのでしょうか?>
 現状では、金正日が死んで状況が変わることのほうが、空爆などで手を出すより、ことが上手く解決する可能性が高いからです。

<解説>
 中国が自給自足経済の毛沢東路線を取って、アメリカ・ソ連と対立していた頃、北朝鮮はアメリカ軍の駐留する韓国と中国の間にあって、中国の友好国で、中国と国益を同じくしていました。

 ところが、1979年の中越戦争(中国とベトナムとの間の戦争)で、アメリカとの間の長い戦争を経験したばかりのベトナム軍に、中国は事実上の敗北を喫したのです。(人海戦術で、ベトナム軍の何倍もの兵員を投入し圧勝のつもりが、侵攻はしたもののベトナム軍の何倍もの損害を出して、予定していた目的地のはるか手前で軍需物資が底をつき、結局撤退せざるをえませんでした。)
中越戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%B6%8A%E6%88%A6%E4%BA%89
 この戦争で、中国の人民解放軍は「毛沢東路線=自給自足経済」では近代戦は戦えないという結論を出し、毛沢東路線から鄧小平路線へ、完全に支持を変えました。

 この後、ベルリンの壁崩壊・ソ連崩壊・東西冷戦終結となり、中国も鄧小平の改革開放経済のもとで経済を資本主義化し、急激な経済発展とを遂げ、貿易で大儲けするに至りました。(人民解放軍も軍事予算が急増し、急速に近代化しました。)
 
 この過程で、北朝鮮は「中国の唯一の友好国」から「中国のお荷物」へと変わってしまいました。

 豊かになっていった中国は、貧しいままの北朝鮮へ援助増やし続けるよりも(豊かな国と貧しい国が国境を接していれば、貧しい国が不法入国や犯罪の温床となります。お互いの貧富の差が大きいほど、この傾向は大きくなるので、援助をして貧富の差を少なくする必要が出てきます。)アメリカと日本のように、中国と歩調を合わせて国力を増して通常兵器を大量に買ってくれる国になってもらいたいのです。
 また、現在のように食糧不作の年に、食糧援助がなくなれば国民の2割、500万人が餓死するような状態では、いつ独裁政権が崩壊して政治的混乱が起き、数百万という大量の難民が中国に流れ込むか分かりません。これを確実に回避するには、北朝鮮を豊かにするしかありません。

 ところが、過去の歴史を見れば、「国民が豊かになると、民主化要求が強くなり、独裁者は政権を追われる」という法則があります。
 つまり中国の希望は、「北朝鮮を集団指導体制で豊かにしてもらいたい。(=中国の現在の政治体制)世襲は認めないが、金正日が生きている間の独裁は認める。」ということなのです。

 更に、中国の経済発展・対外貿易拡大は、アメリカと中国の関係緊密化をもたらしました。
 今や、アメリカの貿易相手国第一位は中国で、中国の貿易相手国第一位もアメリカとなりました。
 中国は2007年にはアメリカとの貿易で、15兆円以上を儲けており、そのお金で軍備拡張をしていると言ってもいいくらいです。更に中国はアメリカの国債を70兆円以上も持っており、買い増ししています。
 ですから、北朝鮮とアメリカが戦争する事態になれば、中国は北朝鮮を見捨てます。アメリカと戦争すれば、中国は借金を踏み倒され毎年の大儲けも吹っ飛んで、経済が崩壊しますから。

 ただし、アメリカと北朝鮮の戦争で北朝鮮から数百万の難民が流れ込むのは、経済崩壊よりましではあるものの大迷惑です。
 そこで、北朝鮮にアメリカを刺激することはやめろと言っているのですが、金正日がなかなかうんといわないのです。

 金正日は、父親の金日成から政権を引き継ぐために、北朝鮮の謀略部隊の指揮官として実績作りをし、政権強化・財政確保のため国際的な違法行為に手を染めました。
 具体的には、大韓航空機爆破テロ(=アメリカ人も死亡)・アメリカドル偽造・覚せい剤密造などです。
 アメリカ政府は、金正日を拘束しさえすれば、いつでもアメリカ国内法で裁いて、刑事罰を執行することができるのです。
 アメリカ政府は、過去に外国の独裁者に対して、軍事作戦を何度となく計画したことがあり、(キューバのカストロ将軍、リビアのカダフィ大佐など…)実際に成功例もあります。

パナマ侵攻=ノリエガ将軍逮捕→フロリダ刑務所に収監
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8A%E3%83%9E%E4%BE%B5%E6%94%BB

 アメリカが北朝鮮に電撃侵攻し、金正日を拉致した後に、北朝鮮に親中国の集団指導体制政権が成立するというシナリオがありうるのです。

 これに対して、中国に頼れなくなった金正日は、国民の餓死を無視し、空軍・海軍の在来兵器の更新を中止して防衛力を崩壊させてまでも、核兵器開発・在日米軍を攻撃できるノドンの実戦配備・長距離ミサイルの開発に力を集中しています。

 アメリカも、余命が知れている金正日を拉致をした結果、沖縄の米軍基地にノドンの集中攻撃を受け、在日米軍将兵に多数の死傷者が出るのは得策でないと判断していると思われます。

 また、金正日と少数のその取り巻きの生存のための核兵器開発であり、北朝鮮からの先制攻撃は自分たちの破滅を意味しますから、(アメリカは、攻められれば徹底的に反撃するのが国是)現在のところ、ほとんどありえないとアメリカは見ています。

 将来、日本が北朝鮮に滅ぼされることはありません。

 日本が北朝鮮から受ける可能性のある最大の被害は、北朝鮮崩壊による難民が日本に押し寄せた場合と、北朝鮮の原子炉がメルトダウンして、(北朝鮮の原子炉は、チェルノブイリと同じ黒鉛炉)原子炉内の核物質がばら撒かれ、ジェット気流に乗って日本海や日本にばら撒かれることです。

 <核開発を進めるなど、北朝鮮は危険なことばかりしていますがなぜどの国も北朝鮮をほっとくのでしょうか?>
 現状では、金正日が死んで状況が変わることのほう...続きを読む


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