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その当時の矛盾や義憤を今でも思い出しますが、詳細な当事国以外の思惑や事情・4大国[中国を除く受容人理事国]の動きが良く分かりませんでした。
侵略・独裁弾圧政治等の行為や国民の支持を失った政権ではない筈なのに、国連から追放するのは
何故、いかなる理由からだったのでしょうか?
当時の時代背景や国際情勢、各国の動向、国連の決議等について、お教え願えませんでしょうか?

質問[疑問]
◇国連発足時の連合国・戦勝国は中華民国(蒋介石・台湾)ではないのでしょうか?

◇少なくとも拒否権をアメリカは何故に行使しなかったのですか?

◇人口・領土[支配下地域]等から、何れは中国代表が中華人民共和国[毛沢東]変更されるとしても、冷戦を意識すれば中華民国の追放は(中共の意向や多数決では止むを得ないが)行き過ぎではないのだろうか→拒否権行使・2国参加(当事者が望まないだろうが)等の調整や妥協の道は無かったのでしょうか?

◇形式上は追放だが、実質は中華民国の国連脱退なのだろうか?

A 回答 (4件)

No.1の補足です。



この問題を理解するには中国の歴史をもっと詳細に知る必要があります。
国連が発足したのは大戦末期ですが、まだ日本が降伏していない時期でした。ですから満州国も存在するし、台湾はまだ日本領だったのです。
戦前でも中華民国の政府は乱立していて、南京政府が一貫して存在していたわけでもないのです。余りにも政府の消長が激しすぎて、ここではその全てを触れることができませんので、簡単に説明します。
第一次世界大戦の頃は袁世凱の北洋軍閥政府(北京政府)が中華民国を代表する政府だと国際社会からみなされていて、国際連盟にも北京政府が中華民国を代表して加盟していました。ところが1928年に北京政府は、1927年に南京で蒋介石が樹立した南京国民政府に倒されます。そうすると今度は南京国民政府が中華民国を代表する政府として国際連盟から看做されることになったわけです。ところが以下の表で分かるように南京国民政府以外にも複数の政府が生まれては消えているのです。しかし蒋介石は中国はひとつだ。分裂していないと言い張っていて、国際連盟もそれを認めていたのです。

中華民国臨時政府(1912年)(南京)・・・辛亥革命~孫文が袁世凱に譲位
北京政府(北洋軍閥政府)(1912年~1928年)(北京)・・・袁世凱政権~北伐
武漢国民政府(1926年~1927年)(武漢)・・・第一次国共合作~上海クーデター
南京国民政府(1927年~1949年)(南京~武漢(1937-1938)~重慶(1938-1945)~南京(1945-1949)・・・上海クーデター~台北疎開
中華ソビエト共和国臨時政府(1931年~1934年)(瑞金)・・・国共内戦~長征
冀東防共自治政府(通州・唐山)(1935年~1938年)・・・日中間の協定~中華民国臨時政府に合流
中華民国臨時政府(1937年~1940年)(北京)・・・日本軍占領化の北京で樹立~汪兆銘政権に合流
汪兆銘政権(1940年~1945年)(南京)・・・日本軍占領化の南京で樹立~消滅

日本が降伏すると蒋介石は、台湾に進駐して実効支配しました。第二次国共内戦が起こり、劣勢になった南京国民政府は台湾に逃れて、大陸を中国共産党に任せてしまいます。その中国共産党が中心になって中華人民共和国が建国されたのです。
ところが国際連合はそれでも中国を代表するのは蒋介石政権だといいはって、中華人民共和国の建国を認めませんでした。ソ連は当然ながら中華人民共和国を認めろと主張していたのですが、アメリカが拒否権を発動したために中華人民共和国が承認されなかったのです。戦前同様に中国は一つであり、実効支配しているのは台湾だけだとしても蒋介石の政府が中国の代表なのだという論理です。
これも詭弁というか屁理屈としかいいようがない論理なのですが、国際連合としては、この論理で中華人民共和国を無視し続けてきたわけです。

この屁理屈を中華人民共和国に利用、逆用されたのが中国代表権問題なのです。中華人民共和国はアルバニアに息を吹きかけて代表権交代を提案させました。アルバニアは中華人民共和国の歓心を得たいために一働きしたといったことです。いままでアメリカが中国はひとつだと言い張って中華人民共和国の国連加盟を拒否していただけに反対する論理が成立しないのです。ひとつである中国の代表として台湾政権を認めるか大陸政権のどちらかを認めるか決着つけようという論理でこられたら、アメリカにはそれを否定する論拠が無いわけです。戦前に北京政府から南京国民政府への代表権移動を認めたのだから、戦後に国民党政府から共産党政府への代表権移動があっても何もおかしくはないわけです。実態は中国は2つに分裂していたのだけど、国民党政府も中国はひとつだといいはっていて、中華人民共和国など認めないと主張していたわけですから、アルバニア提案を拒否できる論理が成り立たないのです。

ここがアルバニア提案の巧妙なところです。それはアメリカ-台湾政府が従来繰り返してきた主張を逆手にとったようなものなのです。確かに中国はひとつです。では大陸政府と台湾政府のどちらを中国の代表と認めるか国連総会で決を取りましょうと提案されれば、反対する大義名分も論理も何もないわけです。

それまでアメリカと台湾は中国はひとつだと言い張って中華人民共和国の国連加盟を妨害してきたわけですから、いまさら中華人民共和国を承認しますとはいえないわけです。

台湾政府は実質的には国際連合を脱退したと認識されていますが国際連合として名目的に中華民国が継続し続けていて、その代表が台湾政府から大陸政府に代わっただけだということなのです。

学校の社会科教師には余りにも難しすぎる話なので、彼らの頭では、台湾が追放されて、中華人民共和国が新たに国連に加盟したとしか理解できません。彼らは彼らの頭で理解したことしか生徒に教えられないのです。それはどんなものもそうです。自分が理解していないことを他人に教えられる道理がない。

確かに台湾は不憫だという見方もありますが、実は自分が掘った落とし穴に自分が落ちてしまったような話で自業自得としかいえないのです。台湾が不憫だというなら、1971年まで無視され続けてきた中華人民共和国だって不憫だという論理が成り立つのです。
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この回答へのお礼

重ねてのご説明、ご教授心より感謝とお礼を申し上げます。

時系列に然も時代背景や周辺事態を交えて詳しく紹介願い、非常に分かり易くお蔭様で何とか理解させて頂きました。

歴史にifは無いけれど、やっぱり2国同時加盟が為されておれば、その後の砲撃戦や大陸反抗とか武力開放の問題も国際社会の中で調整され、各種の競技会(オリンピック・ワールドカップ他)でも独自参加で武器を持たずに互いに国&国民の期待と威信を掛け競い合い、もっと早く文化・スポーツ・貿易面での交流が開放され盛んに行われたのでは・・・

お礼日時:2011/10/22 21:46

台湾は国連から追放されていません。


常任理事国を外されたので脱退したのです。

米国が中国の常任理事国に賛成したのは、
ベトナム戦争で中国の協力を得る必要が
あったからだ、とされています。

尚、米国は、台湾の国連脱退までは希望して
いなかったということです。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

>台湾は国連から追放されていません。
常任理事国を外されたので脱退したのです。

アルバニアの決議案や国連並びに国際機関からの追放が中華人民共和国サイドの主導で多数派工作が行われた事が現実ではないでしょうか。
形式的には、最終的に脱退かもしれませんが、名誉を重んじる自主独立国家として、内戦中の相手であり、大陸反抗が求心力の中、複雑な苦渋の判断だったのだと思いますが・・・


>米国が中国の常任理事国に賛成したのは、
ベトナム戦争で中国の協力を得る必要が
あったからだ、とされています。

米国のご都合主義で、国共内戦への姿勢と合わせ、少し横道に逸れるが朝鮮動乱への関与と同じく、米国の思惑や事情に、何か振り回されたように思われます。


国連総会での決議、常任理事国での扱いの過程・実態を詳しく丁寧にお教え頂
き大変に参考に成りました。
心より感謝とお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/22 07:31

国連憲章第23条には 5つの安保理常任理事国の国名が書かれているが、現在も「中華民国」と書かれたままであり、「中華人民共和国」の文字はどこにもない。

それなのに中華人民共和国が安保理常任理事国になっているのは、「中華民国は中華人民共和国に継承されて消滅したので、国連憲章に書かれている中華民国の文字は中華人民共和国を意味する」と解釈されているからである。1971年10月25日に国連総会が第2758号決議案を可決したためである。
1971年10月25日に国連総会が採択した第2758号決議案には「中華人民共和国の代表が、国連における中国の唯一の合法的代表であり、蒋介石の代表を国連および全ての国連機関から即時追放する」と書かれている。これはアルバニアを通じて国連総会に提出されたので、アルバニア決議案と呼ばれているが、中国の周恩来総理の苦心の作であった
国連成立時は、中華民国(重慶・・南京・・現在の台北政府)でしたが、席(中国代表権)を
中共(共産党北京政府)に取られたということです。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

>国連憲章第23条には 5つの安保理常任理事国の国名が書かれているが、現在も「中華民国」と書かれたままであり、「中華人民共和国」の文字はどこにもない。それなのに中華人民共和国が安保理常任理事国になっているのは、「中華民国は中華人民共和国に継承されて消滅したので、国連憲章に書かれている中華民国の文字は中華人民共和国を意味する」と解釈されているからである。

内戦後の実効支配や統治能力、国民の支持等からの判断だと思いますが、国連加盟国の多数決や利権狙い?での中華民国(台湾)の追放までは国連の内政干渉&政権選択の様であり釈然としない面が有ります。


>国連成立時は、中華民国(重慶・・南京・・現在の台北政府)でしたが、席(中国代表権)を
中共(共産党北京政府)に取られたということです。

国連総会での決議、常任理事国での扱いの過程・実態を詳しく丁寧にお教え頂き大変に参考に成りました。
心より感謝とお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/22 07:15

大きな誤解があります。

国連総会で中国の代表は北京政府だと決議されたのです。安全保障理事会の決議ではないので、どの国にも拒否権はありません。国連としての建前は中国はひとつであって中華人民共和国と中華民国という2つの国を承認しているわけではないのです。国連の立場としては中国はひとつであって、台湾に亡命した政権はもはや中国を代表する政府ではないというものです。中国の代表が入れ替わっただけで、中華人民共和国が加盟したわけでもないし、中華民国が追放されたわけでもありません。
その前もその後も中国という国が加盟し続けているだけで、その前もその後も中国が安保理の常任理事国なのです。これは形式的・建前的な話で実態と異なっているといえば、まさにその通りなのですが、これが国連の立場なのです。国連総会にて賛成多数で決議されました。いかにも詭弁というか屁理屈に聞こえるかも知れませんが、上記のことは私が主張しているわけではなくて、それが国連の立場だと説明しているだけです。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

国連総会での決議、常任理事国での扱いの過程・実態を詳しく丁寧にお教え頂き大変に参考に成りました。
心より感謝とお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/22 07:06

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