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満州を放棄し、中国へ侵攻している全ての軍隊を引き上げて、
日米戦争を回避していたら、今頃(現代)の日本やその周辺国はどうなっていましたか?

例えば、
・今頃、韓国、北朝鮮、台湾やグアム、サイパン、パラオなどはパスポートのいらない日本国内旅行ですか?
・フィリピンはアメリカ領、インドネシアはオランダ領、インドやマレーシアはイギリス領、ベトナムはフランス領のままですか?
・今のような、日本は経済大国になっていないのでしょうか?

考えてみたら、戦前の日本のほうが領土的に広いので、戦争していなかったら今とどう違っていたんだろうと、ふと疑問に思いました。

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A 回答 (12件中1~10件)

戦前の軍事書籍を読むと分かるのですが戦前の日米対立とは即ち「中国市場を巡る対立」でした。


もともと市場規模が小さく、資源も少ない日本を支配しても米国の得にならない事は明白であり、そんなことは当時から分かりきった話でした。
このため戦前から日本では「米国の圧力は中国市場を獲得するために目障りな日本を潰すためのもの」という認識だったのです。
そして戦前の日本では日清・日露の両戦争を始め多くの戦争と犠牲を通じて獲得した「満蒙の特殊権益」はいかなる理由があろうと手放してはならない、という意識が極めて強かったのです(戦後で言えば「憲法9条を絶対に守れ」と似たようなものです)。
この結果、中国大陸での武力行使は国民の強い支持を得る事となり、必然的に中国市場を巡る日本と米国との対立を深める事になってしまいました。
しかし逆に考えれば、大戦後に中国が共産化してしまえばもはや、中国における利権対立も無くなるわけで、日米の対立要因も失われるでしょう。
そうなると戦後の日本はかつての韓国やインドネシアのように軍部が強い影響を持ちつつも、開発独裁体制の元で経済成長を遂げ、その後の民主化の発展に伴い軍部の影響力も次第に減少していくものと考えた方がよいかも知れません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど。日米の領土争いの種がなければ
案外、今と同じように経済発展していたかもしれないですね。

お礼日時:2012/01/01 00:14

可能性のある?未来構成と言うのなら、恐らく想像が出来難い社会構成になっていたのかも知れません。


軍事国家は避けられず、もっと辛く悲惨な毎日が待っていたとも考えられます。
軍事国家は、世界中に参考になる国々が存在しますので、そちらを参考にして下さい。


太平洋戦争について、戦争を「宣戦布告するか」「迎え撃つ」かの違いです。
主な結果は今現在と差して変らず、中共から事実無根な数値を突きつけられずに済んでいたのかも知れません。

今現在でも、「自称天皇」や「官僚の奴隷となってしまった国民性」は避けられずにいます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
軍事政権が続くというのは嫌ですね。

お礼日時:2012/01/01 00:15

次の仮定で



・欧州の第二次世界大戦は、Uボートのアメリカ船舶撃沈を口実に、アメリカが参戦。
数年遅れで、ほぼ史実どうり(ために日本では第二次欧州大戦と呼称される)
・日本は三国同盟離脱。Uボートの日本船舶攻撃を口実に参戦。史実の中国に変わり国連安保理常任理事国となる

・フィリピンはアメリカ領、インドネシアはオランダ領、インドやマレーシアはイギリス領、ベトナムはフランス領のままですか?

 フィリピンは、太平洋戦争なかったので、史実より早く、予定どうりコモンウエルズ(独立準備政府)から共和国政府への移行を果たし、完全独立。インドは、イギリスの戦争協力の条件でカナダ・オーストラリア並の自治獲得・事実上の独立。他の蘭印(インドネシア)・仏印(ベトナム他)英領植民地の多くで独立運動激化、軍隊と衝突の結果、中には国連軍の調停・国連暫定統治下の選挙などで、2011年ころまでには、主要な植民地は、ほとんど独立してるのでは。

・今頃、韓国、北朝鮮、台湾やグアム、サイパン、パラオなどはパスポートのいらない日本国内旅行ですか?

  グアムは太平洋戦争なかったので、ずっと米領。他の南洋諸島は、日本による国連信託統治移行後、
現地語と共に日本語を公用語とする独立国「大南洋」に。
 アフリカアジア植民地の独立ブームに影響され、大韓国、大台湾国、平和裏に独立、英連邦にならい八紘連邦となり、2011年になる。


・今のような、日本は経済大国になっていないのでしょうか?

  ここが一番問題で、陸軍が日中戦争以前に戻り、経済力が回復すれば、史実ほどではないが、
世界の五大国の一員に伍することはできたであろうし、大正末期から昭和初期のように
政党政治に戻れば、帝国憲法下でも、それなりに民主的国家はできたであろう。
 しかし軍事力削減できないと、ソ連のような、ぶざまなことになるであろう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
日本軍の関与が大きいのかと思ったのですが
東南アジアはどうやら今と同じように独立できた可能性も高いんですね。

お礼日時:2012/01/01 00:17

グアム島は太平洋戦争開戦前のときもアメリカ領でした。

お隣のサイパンは日本領だったんですけどね。開戦とともに日本軍が上陸して占領しました。
また、フィリピンは開戦前には親米政権の下での独立という予定でした。一説には、初代大統領はマッカーサーの予定だったとか。
パラオやサイパンが親日的なのに比べてグアムやフィリピンが今ひとつ親日的ではないのはそういう理由です。フィリピンは親米国家ということに不満を持っていなかったので、日本がドヤ顔で「解放してやったんだよ」といわれても「前の親分(アメリカ)のほうが金持ちだったのにな」なのです。

さて、日本が開戦を決意したのは中国からの撤退などを要求する「ハル・ノート」を突きつけられたからですが、そもそもそのハル・ノート自体が日米開戦させるためのものだったのです。突きつけられたら「こんな条件を飲むくらいなら、もう戦争だ」と思わせるためのもの、つまり日本側が飲めないことを百も承知で突きつけたものだったのです。

アメリカつう国は実はえげつない国でして、この国と戦争すると決めるとでっちあげでもなんでもやって無理やり開戦の口実を作って強引に戦争をおっぱじめる国なのです。
まず、米西戦争。キューバ沖でアメリカの戦艦が爆発して沈没したのですが、これを「スペインの仕業」として開戦しました。近年の研究では、爆発の原因は偶発的な事故であったといわれています。
そしてベトナム戦争。アメリカがベトナム戦争に本格的に介入する原因になったのがアメリカの軍艦が北ベトナム軍によって攻撃されたという「トンキン湾事件」だったのですが、近年、公文書が公開され、トンキン湾事件がねつ造であったことが公式に明らかになりました。
さらに湾岸戦争。まだ「湾岸危機」であった頃、イラクに占領されたクウェートから命からがら逃げてきたという少女がアメリカ議会で弟をイラク兵にむごい殺され方をされたと涙ながらに訴えました。この光景が全米にテレビ中継されアメリカ世論は一気に開戦支持になったのですが、この議会で訴えた少女は「在米クウェート大使」の娘で、いうまでもなく湾岸危機のときはアメリカに住んでいました。
もひとつイラク戦争。アメリカがイラクに侵攻した口実は、「イラクが大量破壊兵器を隠し持っている確かな証拠があるから」でした。イラクのフセイン大統領(当時)は「そんなものは持っていない」といっていたのですが、ミスターブッシュが「しらばっくれるとはいい度胸してやがるこの野郎」と開戦しました。後に、アメリカ(とその情報機関)が主張した「大量破壊兵器」なるものはどこにも存在しなかったことが判明しました。

ハル・ノートは上記の「開戦の口実」のひとつなのですよ。当時の日本は国家予算の30%くらいを軍事予算につぎ込んでいました。東北の貧しい村では娘を売るなんてことも日常だったほどの貧乏国であった日本が身の丈をはるかに超えた軍事力を持つ口実も「欧米(当時だとアメリカやソ連)から日本を守るため」というものでした。
それだけ国家予算を食っていた軍隊が戦いもせずにアメリカに屈したとなると、到底国民に説明がつきません。当時の軍隊は「若者の雇用先」という側面もありました。下手に復員されると失業者が国内にわんさと出てしまうのですよ。
さらに、当時の日本(とその植民地)で一番豊かだったのが満州国でした。「満州は日本の生命線」というのはある意味真実だったのです。戦前にブラジルやハワイに移民する人が多かったのもいうまでもなく日本が貧しくて仕事がなかったからです。
そんな国が「植民地を手放せ」といわれるのは、今でいえば「日本企業は中国に工場を持ってはいけない。すべての日系企業は中国から撤退せよ」といわれるようなものでした。もしそんなことになったらどうでしょうか。ユニクロを始め衣料業界は全滅するし、自動車を始め製造業界も壊滅です。生産拠点を失うだけでなく市場まで失うのですから、国家が持ちません。内閣は倒れ、国内は大混乱になるでしょう。当然、「座して死を待つなら、ここは乾坤一擲のイチかバチかの戦争に賭けよう」という声も出てくるのではないでしょうか。

あまり知られていませんが、実はナチスドイツも蒋介石を支援していました。だから、当時のアジア情勢では日本は包囲された状態だったのです。蒋介石の味方を減らし、日本の味方を増やすつもりで日独伊同盟をしたら、そのドイツとソ連が不可侵条約を結んでしまい、「欧州情勢は複雑怪奇」の言葉を残して内閣が倒れました。そんな時代だったのです。
当時の経済的、政治的状況も考えると、ハル・ノート受け入れというのは現実的に不可能な話であったのです。そして、突きつけるほうはそれを百も承知、二百も合点で突きつけたのです。まるで「自殺するか俺に殺されるか、好きなほうを選べよ」といわれたようなものです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
米にいいようにされて、結局同じ道を歩んだ可能性もありますね。
アメリカの戦争の口実は確かに強引過ぎるかんはありますね。

お礼日時:2012/01/01 00:21

過ぎてしまったことにifはありません。



結果は出ていますから・・・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
仰るとおりifはないですし意味のないことかも知れません。
でも、あの戦争は過ちだったとよくいわれるけれど、
では当時戦争を回避していたら
今がどうなっていたのかということも含めてちょっと考えてみたいのです。

お礼日時:2011/10/31 19:40

まさに今の中国のような国家になってたのではないでしょうか?


 異民族を支配するために反日ならぬ、反米教育?
 敗戦の歴史的教訓がないから、対外政策も好戦的で軍事費が財政を圧迫。
 アメリカの恩恵もない為、経済的にも貧富の差が大きい。
 民主主義も立ち遅れ、人権意識が低い。
 朝鮮独立テロ頻発。
アジア各国は結局、最終的にはアフリカ諸国みたいに独立してそう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね。敗戦の歴史的教訓がないから
軍部がいばっている国、
民主主義の思想もあまりない国になっていたかもしれませんね。

お礼日時:2011/10/31 19:33

日清戦争、日露戦争などは朝鮮半島を巡る


戦いでした。

半島が列強の下の置かれたら、日本の安全は
危機状態に陥ります。
キューバにミサイル基地が出来る、というだけで
米国は第三次大戦覚悟で海上封鎖をしました。

日本は中国や半島から引き上げる訳ですから
そこには列強、特にロシアが入って来るでしょう。
日本はロシアに占領されたかもしれません。

それが無く、大東亜戦争で米国と戦わなかったら?

米国はどうしても戦争をしたかったので、たぶん無理
でしょう。

あの時の米国は、大不況で株価は1/10に、GDPは半分に
失業者は30%に、背後には社会主義革命の足音が
聞こえていました。
戦争を起こさないと、米国は体制崩壊です。
事実、戦争後、米国経済は見事に回復しています。

米国は戦争をやる他無かったのです。

そういう訳で、日本は米国の子分になって、米国と供に中国やロシア
と戦争することになったでしょう。
欧州戦線ではロシアは味方ですが、米国が敵対しても
ロシアはドイツとの戦争を止める訳にはいかなかった
と思われます。

結果、東西の冷戦構造が早めに登場したかもしれません。

日本、及び周辺諸国は米国領になっていた可能性が
あります。
つまり、日本消滅です。
あのハワイのようにです。

日本だけ米国領にして
周辺諸国はそのまま、という選択肢もあるかと思いますが
その場合、それら周辺諸国を管理するのは、日本州。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
日本州・・ですか。

お礼日時:2012/01/01 00:23

 政治統治が不可能になり、四分五裂になる。


 どの勢力が国体護持の御旗を手にするか。軍隊のクーデターが起こる。
 新聞が政府を叩く。

 外地の軍隊の暴走となる。
 欧米列強など好餌で、どんどん攻め込まれる。日本の独立は失われる。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに軍は残るわけなので暴走しそうですね。

お礼日時:2012/01/01 00:18

>州を放棄し、中国へ侵攻している全ての軍隊を引き上げて、


それを行った政府は、軍のクーデターで倒され、軍部が日本を完全掌握し、再度大陸進出、欧米との戦争を引き起こしたでしょう。
結果は、同じ事が2年から3年遅れることになるだけです。
それにより、原爆が100発くらい落とされ、日本の多くの地区に人が住めないようになっていたかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
結果は同じ可能性も高いんですね。

お礼日時:2012/01/01 00:19

太平洋戦争をしてなかったら、既に始まってた「日中戦争」が更に泥沼化してたと思います。



そして、ドイツと戦争をしてたソビエトがドイツに勝利したことで「ソビエト軍の全兵力とも戦うことになった」でしょう。

その結果、日本は「中国とソビエトに敗れて」日本の領土は全面的に中国とソビエトの領土に分断されて社会主義国家になってたと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに米がいないなら中ソに占領されていたというのは有り得ますね。

お礼日時:2012/01/01 00:08

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Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む

Qもし昭和日本軍が諸外国の要求を呑み中国を放棄していたら?

22歳の学生です。時期が時期なのでいろいろ考え、みなさまの考えを聞いてみたくなりました。

太平洋戦争はもともと勝つ見込みの低い戦争であったとはよく言われます。
ただ諸外国からのアジア大陸からの撤兵の要請および、
その拒否によっておこった資源の禁輸から開戦やむなしであったともよく言われます。
また資源が残り少ない以上無駄な待機は無駄に血を流し続けるも同然で
戦端をひらくならば早い方が良かったともよく言われると思います。
実際アメリカ軍との戦闘にくわえて、資源をもとめて東南アジアを探検するという
二重の戦いは確かにどう見ても心許なく、
また帝国海軍および近衛首相も米英開戦には基本反対であったようです。

そもそも中国における満州事変およびそれによる日本の国際連盟脱退あたりから
太平洋戦争勃発の「臭い」をかぎとることができますが、
もし日本が素直に国際連盟の勧告に従い中国利権を破棄していたら、
日本はどうなっていたと思いますか。
中国利権を手放すことは日本にとって必死(必ず死に至る)だったのでしょうか?

すでにざっと調べた限り以下のような意見が多く見受けられます。
1、日本はアメリカの植民地になっていたのではないか
2、日本が戦わなかったらアジアの白人支配は終わらなかった
3、日本が赤化した

2はなんとなくわかりますが、1,3はありえないような気もしています、が
もちろん自分は確固たる考えはいまだ持てずまたいろんな人の意見が聞いてみたいと思っています。
みなさまの考える if をお聞かせください。
よろしくお願いいたします。

願わくばその考えに行き着いた思考のプロセスを詳細に
教えていただけると助かります。

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Aベストアンサー

個人的には、現在の日本ほど豊かになれたかどうかは分かりませんが、決して悪い方向には進まなかったと思います。

「民衆に不満が溜まった時は、外交(戦争)でガス抜きをさせる」ことは治世の常套手段です。第一次世界大戦終了の反動で襲ってきた不景気、世界恐慌というダブルパンチで経済が停滞し、国民の不満が溜まったところで、当時の政治家が国内での調整を怠り、全て軍拡で対応しました。雇用問題は軍隊の増強で解決し、中国に進出して国民の目を反らすとともに、中国を植民地化して日本製品にとっての新たな市場を確保することで、経済を立て直そうとしました。

当時の世界情勢もあるので、この方針が全くの間違いというつもりもありません。ただ、本来国内で解決すべき問題を全て国外に押しつけてしまい、肥大した軍隊と、完全に戦争に目が行ってしまった国民を政治がコントロール不可能になったしまったところに悲劇があったと思います。つまり、アメリカ始め諸外国の外圧で仕方なしに始めた戦争というよりは、自国の問題を政治家が責任回避し続けたために、対米戦争まで行きついてしまったというのが真相だと考えます。

>もし日本が素直に国際連盟の勧告に従い中国利権を破棄していたら、
日本はどうなっていたと思いますか。

という質問ですが、もちろん時の政府は国民から反発を喰らい、政権を失っていたでしょう。さらに、加速する不景気と用済みになった軍人の処遇を巡って国内はかなり混乱したに違いありません。

それでも、数年の混乱を乗り切れば、ヨーロッパの第二次世界大戦の特需により日本経済は持ち直し、ドイツの敗勢が濃くなった後は、むしろソ連への牽制のために英米の支持を取りつけながらシベリアへの出兵もあったでしょう。こうなれば、満州についても、英米にとってはソ連の脅威からの防波堤の意味で、むしろ日本の権益を積極的に認めていた可能性が高いのではないでしょうか。

日本が撤退することで再発する中国国内の内戦も、ひょっとしたら国民党を助ける名目で英米の支持のもと堂々と再出兵していたかもしれません。

実際の歴史では、日本が経済大国化した後は、アメリカが冷戦を乗り切るために西側にイギリス、東側に日本という前線基地を確保して、共産主義を抑え込もうとしました。

日本が中国から仮に撤退していたとしても、この流れだったと思います。日米はむしろ共産主義の浸透を防ぐという旗印のもとに接近し、超大国アメリカの支援を受けながら東アジアの地域覇権国としてそれなりに恵まれた歴史を迎えることになっていたような気がします。

ただし、これによって日本社会の変革は、GHQの改革ほど進まなかったでしょうし、中国共産党が史実通り中国を支配すれば、日中そして日ソの対立は史実の比ではないので、国防費がうんとかさむ「軍国・日本」のままだったかもしれませんが。

個人的には、現在の日本ほど豊かになれたかどうかは分かりませんが、決して悪い方向には進まなかったと思います。

「民衆に不満が溜まった時は、外交(戦争)でガス抜きをさせる」ことは治世の常套手段です。第一次世界大戦終了の反動で襲ってきた不景気、世界恐慌というダブルパンチで経済が停滞し、国民の不満が溜まったところで、当時の政治家が国内での調整を怠り、全て軍拡で対応しました。雇用問題は軍隊の増強で解決し、中国に進出して国民の目を反らすとともに、中国を植民地化して日本製品にとっての...続きを読む

Qもしハルノートを受諾し、大日本帝国が続いていたら?

今日の夜9:00~NHK真珠湾スペシャルを見ましたが・・・

ハルノート原案では、日本軍全面撤退と引き換えに20億ドルの対日借款が盛り込まれていた。
それが国務省内で練り直され、対日強硬派の言い分が通り、借款の項目は削られた・・云々


なかなか興味深い番組でしたね。


でも

当時の日本政府・軍部の主流派から見て、ハルノートは受け入れられない。それどころか対英米戦は既定路線・・・・かな。


さて、今回、あくまで IF ですが

日米戦争を回避でき、大日本帝国も明治憲法もそっくりそのままで今日この21世紀のIT社会に至ったらどうなったことでしょう?

若者が茶髪でスマホに熱中し前を見ずに道歩き、少女がローライズでパンツ半分見せながら道歩いて、それでも大日本帝国存続中だとしたら。

いったいどんな日本社会になっていることでしょうね?

テクノロジーは今の現実そのままの社会で、国体は大日本帝国。

つまり往時(1941時点で)、あと数年を待たずして、台頭する巨大な軍事大国ソ連、蒋介石を追い出し中国の覇権を握った中国共産党。米国はこれらと対峙するために、日本を利用せざるを得なくなるのです。良い悪いはこのさい別として。

尚、連合国による対独・対伊 の戦争はあり、歴史通り連合国の勝利に終わったとします。日本だけがそのまま。


今どんな日本社会になってますか?あくまで IF です。

今日の夜9:00~NHK真珠湾スペシャルを見ましたが・・・

ハルノート原案では、日本軍全面撤退と引き換えに20億ドルの対日借款が盛り込まれていた。
それが国務省内で練り直され、対日強硬派の言い分が通り、借款の項目は削られた・・云々


なかなか興味深い番組でしたね。


でも

当時の日本政府・軍部の主流派から見て、ハルノートは受け入れられない。それどころか対英米戦は既定路線・・・・かな。


さて、今回、あくまで IF ですが

日米戦争を回避でき、大日本帝国も明治憲法もそっくりそのまま...続きを読む

Aベストアンサー

afv2012さんの回答に対する意見です。

>>そして、軍事以外でも20世紀の主要な産業において、エネルギーや資源の問題は深刻です。
>> けっきょく、何らかの形で海外から資源やエネルギーを得るすべがなければ、資源の乏しい日本は衰退せざる得ません。

>>もし、こうして資源もなく、確固とした産業を持たないままでは…

日本が資源を海外に頼らざるを得ない状況はメタンハイドレートや核融合発電を実用化してみせない限りどこに転んでも変わりませんよ。戦争を回避した仮想の大日本帝国でも、実際の戦後日本でも。

勿論、戦中の相手であったアメリカと比べては凄く物足りなかったような気がしますが、戦前日本の産業基盤がそんなに貧弱な訳じゃありませんでしたよ。

もしかして此れが「確固とした産業を持たない」とされている戦前日本の姿(?)でしょうか。
これは戦中の敵国であった日本を出来るだけ嘲笑する為に日本を今の朝鮮、中共みたいにポンコツしか作れない産業未開国のように酷く描写している連合国側のプロパガンダアニメです。

第二次世界大戦中のポパイのアニメ(反大日本帝国)
jp.youtube.com/watch?v=NzRgvt_0Trg

Tokyo Jokyo
jp.youtube.com/watch?v=QGbQjyrHjF8

しかし実際はどうだったんですか。
ご存知の通り戦中には歴史上最大の戦艦である大和級戦艦を、しかも3隻も建造したのですよ。(大和、武蔵、信濃。ただし、信濃は途中で空母改装)

それ以前に有色人種が白人国家の技術力に頼らずに独自設計で独自に建造した世界最初の近代艦船の「薩摩」もあったし、戦後連合軍側は鹵獲した旧日本軍の航空機に適用された技術力を高く評価しました。

(軍事兵器しか評価しなかったような気がしますが、そもそも軍事技術というものはその国の工業技術力の尺度を表すのですからね。)

既に戦前からそれなりの技術力と工業力を持っていた日本を 確固とした産業を持たないと評価するには無理があると思います。

>>… 国内での国民の不平不満はかなりの高さで暴動や革命思想へと容易に誘導される不安定な不穏な状態が続くでしょう。

>>ちょうど南米の共産主義国家が歩んだ道筋に似た感じになるのではないかと想像されますが、日本はアメリカから遠いので、より共産主義国家の影響力が高くなる可能性は強く、共産主義革命が成功してしまう可能性もありえます。

戦争を回避した帝国より、寧ろ実際の戦後のドサクサの中の暫くの間に未だ自衛隊も編成出来ずになんの軍事力も無かった時、そして60~70年代の高度成長期に団塊世代の青年(今はジジババですけどね…)どもが火炎瓶と石投げたり竹槍振るったりする暴力的な共産主義闘争を繰り広げた時代のほうがもっと共産主義革命が成功しやすかった環境だと思いませんか。
スパイを丸腰に容認してしまってた実際の戦後の方がもっとやばかったんじゃないですかね。

そして南米の国家は、土着文明を破壊して占領してきたスペイン、ポルトガルの植民地だった地域が独立したばかり、国家としての基盤が非常に軟弱な地域でした。
当然、この隙が共産主義勢力を安易に許してしまう結果となり、これが直ぐに南米社会主義政権の誕生に直結したのです。

それに対して日本は王家が途中で断絶するなどインディオ民族としてのアイデンティティを相当失ってしまった南米地域とは違い、長い時皇室を断切なく継続的に維持しながら昔から地道にソフト、ハード的なものを積み上げる等、長い時にかけて大和民族とその国家としての基盤とアイデンティティを確立することが出来ました。

国家としての基盤とアイデンティティの丈夫さがガン並みに違うのに、南米と同じく呆気なく共産化する、というのは無いじゃないんですか。

物理的にソ連からの距離は日本が南米より近いからソ連からの風当たりそのものは南米へのより遥かに強いかもしれません。
しかし、民族としてのアイデンティティと国家としての基盤が既に確立した日本がそんなに共産主義の波に安易に巻き込まれるはずがないんでしょう。

更に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」中華秩序からの離脱を告げるこの文章が書かれた以来、日本は決して中華勢力の侵入を許した事が無かったんです。依然として中国からの文物は受け続けながらですね。
中華大陸とシルクロードを全て制覇して更には東ヨーロッパにまで飲み込もうとしたモンゴル帝国の侵略も食い止めたんじゃないんですか。

大陸からの侵略にずっと立ち向かってた歴史、経験があるから日本が又大陸勢力であるソ連の侵略を簡単に許す訳にはいかないと思います。

(実際にはハルノートを日本が拒否したのも、ある意味ではそれまで大陸からの侵略に屈服してなかった伝統の続きでないのか、と私はそう思っています。ただ、その時は日本としては始めての海洋勢力からの脅威で、その始めての海洋勢力との全面衝突には負けて今に至る…んじゃないんですかね。)

>> この惨状の日本をソ連が黙ってみているとは思えず、何らかの形で冷戦時代初期に良くあったように、武装革命を影で援助し、武器を供給したりされる可能性は高いと思えます。

しかし実際の戦後日本でもないのに、此れをただ見ているわけでもないですね。日本の方もソ連のやり方を黙ってみているだけじゃ居られませんよ。

こんな共産主義勢力が余計な真似をしないようにした法律がありました。「治安維持法」。
勿論、この法律が真っ当な国民まで些細な理由で無闇に捕まってしまうなど、立憲主義に違背し国民の権利を一部侵害した負の側面もありましたが、
共産主義勢力、無政府主義勢力等の国家の治安に害悪を及ぼす諸勢力が帝国内外部からの混乱を煽るのを食い止める事には相当に役が立ちました。

そもそも帝国がずっと存続していたならこの治安維持法を国民の権利を侵害しない、ながらももっと有効に国家の安全を脅かす勢力を食い止めれる方向へ何回も改正されてる筈でしたね。

(もしかして、実際今の日本に一番必要なのはこの治安維持法かも知れません。ただ、前述のように立憲主義に違背されるように要素は改正する必要はあるんですけど…)

今更やっと日本版NSCだね、特定秘密保護法だ、スパイ防止法だ、と急いで対内外諜報対策が用意されてるのが救いなんだけど、とにかく戦後日本が敵性国家のスパイを丸腰で許して来たたのはご存知の通りですね。
しかし、戦後GHQによって旧帝国の各機関が解体される前は日本にも一応諜報機関が存在して、その能力はかなり優秀だったと要られます。

もしソ連が密かに武器を配るなど日本内部から革命を煽ろうとしても、それが日本側の諜報機関によって食い止められるのは間違いないでしょう。



…取り敢えずハルノートを受け入れるのはとにかくアメリカをはじめとする連合国側の下に入るというのだから、この点では史実の敗戦後の日本がアメリカの同盟国になったのとあんまり差が無いと思います。
大陸共産勢力の中蘇からの脅威に対応するために日米が連合するのは…

多分、こうなったら南米のようになるのではなく、他ならぬ実際の今の日本と似ている情勢になったんじゃないのかと思います。
はい、今の「第二次安倍政権の日本」みたいにですよ。
今年2013年度の安倍政権は憲法9条を解釈改憲して集団的自衛権を容認しようとしたり、日本版NSC,秘密保護法などの安保対策を用意する等、アメリカとの連帯を強めて中共からの脅威を含む様々な安全保障的なリスクに対応しようとしていましたね。

ハルノートを受け入れた大日本帝国はデブ将軍が率いる独裁国家北鮮でも、社会主義革命が成功してしまった南米のようにでもなるわけは無いです。
多分今の安倍率いる自民党政権が目指す国家の姿に似ているではないかと思います。(安倍晋三が敢えて始めてからハルノートを受け入れて戦争を回避した帝国を想像してあんな政策を推進するわけではないですけどね。)

ただ、旧帝国なら朝日、毎日新聞はあるけど9条も日教組も共産党もないから一部偏向報道するマスコミは処分して立憲主義、国民の権利を侵害し得る憲法、法律の「穴」を適切に改正してアメリカとの関係を改善しただけで良いでしょう。

又の長文、駄文申し訳ございません。

afv2012さんの回答に対する意見です。

>>そして、軍事以外でも20世紀の主要な産業において、エネルギーや資源の問題は深刻です。
>> けっきょく、何らかの形で海外から資源やエネルギーを得るすべがなければ、資源の乏しい日本は衰退せざる得ません。

>>もし、こうして資源もなく、確固とした産業を持たないままでは…

日本が資源を海外に頼らざるを得ない状況はメタンハイドレートや核融合発電を実用化してみせない限りどこに転んでも変わりませんよ。戦争を回避した仮想の大日本帝国でも、実際の戦後日本で...続きを読む

Q太平洋戦争は政治力で回避できましたか?

先の戦争で亡くなった方は日本人で330万人と聞いております。なんと言う惨状でしょうか?今更なにも始まりませんが、避けられたのでしょうか? 回避はできたとしても理不尽な要求を呑んで日本人としてのプライドも無くなっていたのでしょうか?歴史に”もし”は禁句ですが、色々想像しています。

Aベストアンサー

どこまで歴史を振り返るのかで変わってくると思います。

NHKの番組やその取材班の日米開戦の本などでは「南仏印進駐」を戦争不可避の分岐点としています。
私もその考えに賛成です。

そもそも、日本の大陸進出が先鋭化しなければアメリカと戦争になる事は回避できたと考えます。

1932年の満州事変ではアメリカを含め国連が日本の行動に反対しましたが、決定的になるところまではいきませんでした。

1937年に日支事変が起きた時も、アメリカ政府はすぐには中国に味方しませんでした。
日支事変発生を受けての九カ国条約会議の開催で、中国側が日本への経済制裁を提案した時、アメリカは反対に回りました。
なぜなら、日支事変発生によって、日本も中国もアメリカから購入する戦略物資の量が増えたからです。
つまり、戦争する両者に物を売ってぼろ儲けする立場にアメリカはいたのです。
だからアメリカは一方的に中国に味方する事はありませんでした。

その状況が変化したのは、中国大陸で日本が中国を負かすため戦略爆撃を開始したからです。
当時、アメリカは中国に多大な投資を行っていました。
それが日本の空爆で被害を受けます。
アメリカは日本に中国での空爆を止めるよう何度も抗議しますが、日本は受け入れません。
怒ったアメリカは日本へ徐々に経済制裁を開始します。
始めは空爆を止めさせるための飛行機関連の輸出停止でした。
しかし、日本の空爆は止みません。
しかも、日本は空爆での民間被害の補償は行わない方針を打ち出します。
さらに、爆撃を強化すると通告し中国にいる外国人の安全も保障しない方針を打ち出します。
アメリカの苛立ちはつのり経済制裁を日本に段階的に行いますが、日本の行動は止まりません。
しかも大東亜共栄圏構想という日本の植民地拡大政策と判断される政策を打ち出してきました。
そこでアメリカは中国への支援に乗り出しました。

アメリカが中国への資金援助を開始したのは1938年12月という日支事変開始より1年5カ月も経った時点からでした。

その後も日本はアメリカを怒らせ続けます。
1940年9月にアメリカがイギリスと防衛協定を結んでドイツを潜在的敵と見なせば、その二週間後に日本はドイツとイタリアと日独伊三国同盟を結びます。
アメリカが敵と見なしている国と同盟を結ぶのですから喧嘩売ってるのと変わりません。
怒ったアメリカは鋼鉄の対日輸出を停止します。

最終的には南仏印に日本軍が進駐してアメリカを決定的に怒らせ、アメリカの対日石油禁輸となりました。
この南仏印進駐についてはアメリカは日本に対して警告までしています。
当時の日本の外相は南仏印進駐はアメリカとの戦争になるから止めた方がよいと主張しますが他の閣僚が甘い見通しで押し切ってしまいました。
そしてアメリカは石油を止め、日本は戦争の決断を。

アメリカによる段階的経済制裁の始まりの原因は日本の行動にあります。
アメリカの抗議を受け入れ日支事変での戦略爆撃を止めていたら。
また、日支事変の戦略爆撃においてアメリカに与えた損害について補償をすぐに行っていたら。
大東亜共栄圏構想という他国に日本の植民地拡大政策と捉えられる発表をしなかったら。
アメリカが中国を支援する事は無かったかもしれませんし、その後の日米開戦も避けられたかもしれません。
その後も
日独伊三国同盟を結ばなければ。
北仏印に進駐しなければ。
南仏印に進駐しなければ。
恐らくアメリカと戦争になる事は無かったでしょう。

アメリカのチャールズ・A・ビアードという歴史家の「ルーズベルトの責任」という本の中で、ハーバード大学のデートレフ教授がこの本の紹介文を寄せていますが、そこには
「日本がアジア大陸で膨張主義的な目的を追求した事からルーズベルト大統領は懸念を覚え、日本を押さえ込むために圧力をかけ始めた」と記しています。
この本を読めばルーズベルト大統領が表向きは不戦の姿勢を見せながらもハル・ノートという過度な要求を日本につき付け、日本を戦争へ追いやった事がわかりますが、その前に日本のアジアの膨張政策が問題であった事もわかります。

1941年8月1日、アメリカが日本に対し石油の全面禁輸を禁止を行いました。
その2日後、ニューヨークタイムズにギャラップのある世論調査の結果が載りました。
それは「アメリカは戦争の危険を犯してでも日本の膨張に歯止めをかけるべきか」というアンケートに対するものです。51%の人がYESと回答していました。
この時点でアメリカ国民も半数が日本のアジア進出に危機感を抱いていたのです。

そもそも当時のアメリカの好景気でした。

「ニューディール政策」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%94%BF%E7%AD%96

この上に貼ったウィキの「ニューディール政策」のところにあるアメリカのGDPのグラフと失業率のグラフを見ていただければわかりますが、戦争が開始される1941年12月よりも前の1940年以前において、既に世界恐慌前のGDPの水準に回復している事がわかりますし、戦争開始前に失業率が低下していっているのがわかります。
これはヨーロッパにおいて第二次世界大戦が始まったからであり、イギリス、フランス、カナダ等、連合国から大量の武器や物資の受注があったからです。
それだけではありません。イギリスはアメリカの軍需産業に投資を行い工場の拡大や設備の増強を求め、生産の拡大に動いています。
つまり戦争特需が発生していたのです。
自国が戦争を起こし戦争で経済を回復させるなどという必要はありません。
そもそも第二次世界大戦におけるアメリカの戦費は戦時国債です。つまり国の借金でしかありません。
それに一時的に景気が回復しても戦争が終われば軍需生産は萎みます。
その後は不況が来るだけです。実際、アメリカは戦後に戦後不況に陥っています。
上に貼った「ニューディール政策」のGDPや失業率のグラフにおいて、第二次世界大戦後に悪化を示しているのは戦後不況が起きたからです。
もし世界恐慌からの経済回復を目指して戦争を仕掛けさせる謀略を行うというのなら、そんな回りくどい事をしなくても1937年12月に発生した日本軍機によるアメリカ軍艦攻撃事件「パネー号事件」を利用していた筈です。
何せ、この時はアメリカ政府内から日本に宣戦布告するべきだという声が上がっていたのですから。

ともかく、日本がアメリカの敵視する独伊と日独伊三国同盟を結んだり、南仏印に進駐するなどの膨張政策を見せなければ、アメリカも日本に過度な要求を突き付け戦争に追い込んで来る事はなかったでしょう。

これらの事を考えれば、日本とアメリカの戦争を回避する可能性は南仏印進駐前までなら、その時、その時でありました。
日支事変での戦略爆撃の停止。
日支事変における戦略爆撃被害の補償。
大東亜共栄圏構想の公表を控える。
日独伊三国同盟の締結中止。
北仏印、南仏印進駐の停止。
そうした事が為されていたら、アメリカとは戦争にならず朝鮮も満州もそのまま日本の支配下で暫くは歴史も進んだのではないかと思います。

天皇陛下は日独伊三国同盟に反対していました。
また南仏印進駐にも反対で東条陸相に言いましたが受け入れられませんでした。
もっと天皇陛下の御意思を政府の閣僚が尊重していれば日本とアメリカの戦争は避けられたと思います。

どこまで歴史を振り返るのかで変わってくると思います。

NHKの番組やその取材班の日米開戦の本などでは「南仏印進駐」を戦争不可避の分岐点としています。
私もその考えに賛成です。

そもそも、日本の大陸進出が先鋭化しなければアメリカと戦争になる事は回避できたと考えます。

1932年の満州事変ではアメリカを含め国連が日本の行動に反対しましたが、決定的になるところまではいきませんでした。

1937年に日支事変が起きた時も、アメリカ政府はすぐには中国に味方しませんでした。
日支事変発生を受けての九...続きを読む

Q戦前の日本領土??

日本が太平洋戦争に負ける前に領有していた状態の地図とかそれが記されたサイトとかないですか~~??あったら教えてください~~~。

Aベストアンサー

こんにちは

こんなのでしょうか?
濃い赤が直接的な領土ですね。

参考URL:http://www.meigaku.ac.jp/kokusai/png/03.jpg

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む

Q日本は強かったの? 他国から歴史をみたら日本なんてなんてことない国だったの?

第一次、第二次世界大戦の時代
私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?)
私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

Aベストアンサー

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸軍は弱かった、人命無視のムチャクチャな作戦をやって自滅して行った…という悪いイメージがありますが、仔細に見るとそうでもありません。

A) 支那事変は、蒋介石率いる国民政府が、上海周辺にドイツ軍事顧問団の指導で建設した第一次大戦型の塹壕陣地(第一次大戦の常識では『突破不可能』。ゼークトラインと呼ばれた)を建設した上で、上海に駐屯していた海軍の上海特別陸戦隊を襲撃し、救援にやってくる日本陸軍を、上海周辺の塹壕陣地に誘致して殲滅する、という計画で始まりました。

蓋を開けてみますと、上海特別陸戦隊は意外なほど頑強に戦って陸軍の援軍が来るまで持ちこたえ、杭州湾に上陸した日本陸軍3個師団は、国民政府が頼みにしていたゼークトラインを「浸透戦術」を巧妙に用いることで少ない損害で突破し、国民党軍を包囲殲滅しながら国民政府の首都である南京へ進撃しました。

これは蒋介石にとって全く予想外のことで、国民政府軍は総崩れとなりました。日本陸軍は、上記のランキングでは「ランキング対象外」の国民政府軍より「遥かに強かった」と言えます。

ウィキペディア 第二次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89

B) ポツダム宣言受諾の「後」に、ソ連軍が北方から千島と南樺太に侵攻しました。
千島列島の北端である占守島、日本領であった南樺太には、比較的装備が良く、兵員も充実した守備隊が残っていました。
8月15日以降のソ連軍の攻撃に対し、占守島と南樺太の陸軍部隊は善戦し、
「占守島においては、上陸したソ連軍をもう少しで海岸に追い詰めて全滅させるところまで戦う」
「樺太においては、ソ連軍の南下を食い止め、南樺太の日本人が北海道へ逃げる時間をかなり稼ぐ」
という戦いぶりを見せています。

<海軍について>
日本海軍については、アメリカに次いで世界第二位の戦力を持っていたのは異論がない所で、戦前においては、東太平洋は「日本の海」でした。

「空母機動部隊」はアメリカと日本だけが編成して運用できたものですし、18インチ砲搭載の戦艦を建造できたのは日本だけです。第二次大戦終結までに完成させた大型空母の隻数で言えば、アメリカが圧倒的に多いわけですが、次に多いのは日本です。第三位のイギリスにかなり差をつけているはずです。

無限の物量と高度な技術を持つアメリカと戦っては、昭和19年のサイパン沖海戦で日本空母機動部隊が壊滅し、レイテ沖海戦で航空機の援護のない「レイテ湾への特攻」を命じられた水上部隊がろくな戦果を挙げられずに甚大な被害を受け、「沖縄への大和特攻」(坊の岬沖海戦)で終わったわけですが、アメリカ海軍相手にここまで戦える海軍は日本海軍だけだった、というのは紛れもない事実でしょう。

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Q70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?

お世話になります。

戦争は、外交手段の一つの方法でしかも最後の方法です。それでも、70年前に日本は世界大戦を決断しました。

(この世界大戦に至る序章として中国東北部の植民地化があったと考えます。この植民地化は、日本の勝手な解釈で「欧米列強のマネであることが権利」で錯覚していた様子です。この意味では、日本を含め中国を占領した国家は中国に謝罪は必要です。)

その延長で、連合国との全面戦争は開始されましたが、

●技術的
●生産力
●資源力
●人員力

から見ても、圧倒的に不利であったはずです。合理的に考えれば、国力の差は戦力に比例するはずですよね。

でも、70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?その時の日本は、戦争をしなければならない 進退窮まる理由 があったのでしょうか?でも、敗戦は必定です。

Aベストアンサー

マクロ経済の観点から考察する対米開戦はまさに無謀の一言、一例を挙げれば一般会計と臨時軍事費に占める直接軍事費の割合が脅威の75.7%、これは対米開戦直前の数字ですが、当時の日本は日中戦争以来まさに食うや食わずで戦争を継続していた事がこの点に於いて明らか。
冷戦構造下のソビエト連邦が、アメリカとの軍拡競争で経済が破綻した際の同比率が50%強ですから、戦争突入以前の直接軍事費が70%を超える事の異常さが御理解頂けるかと思います。

更にはGDP比換算で1(日本):20(アメリカ)、質問者様が仰る通り近代戦は国家としての総力戦でありまさに大人と子供の喧嘩、そう形容するしかない戦争でした。

>70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?

以上述べた前提はいかに当時の軍部主導下にあっても、大国アメリカとの戦争を想定した場合当然客観的判断材料として顧みられたはずであるが、では何故当時の大日本帝国首脳が対米開戦を決意したのか、その原因はそれこそ無数にあると思われますが、私なりの結論としては以下の2点。

1.本来日本の意図は対中権益の確保、本命である日中戦争を継続する為の石油・粗鋼の多くをアメリカに頼っており、その供給をストップされ且つ日本の対米資産凍結、更にはイギリス・オランダがそれに同調して所謂ABCD包囲網が構築された事で追い詰められていた事。

2.日露戦争の悪しき前例、即ち交戦期間2年程度を互角の戦いに持ち込み、ナチスドイツの欧州での勝利を希望的観測で織り込み、総力戦・消耗戦になる以前に仲介国を待つという戦略が可能であると甘く判断していた事。

但しドイツがソ連との不毛な戦争に突入した事で日本の思惑は大きく外れ、しかもアメリカの戦時経済が本格的に稼働しはじめた為、太平洋戦争開戦1年を過ぎた頃から国力相応の差が出始め、皆様御承知の通りの結果に終わってしまいましたが。

マクロ経済の観点から考察する対米開戦はまさに無謀の一言、一例を挙げれば一般会計と臨時軍事費に占める直接軍事費の割合が脅威の75.7%、これは対米開戦直前の数字ですが、当時の日本は日中戦争以来まさに食うや食わずで戦争を継続していた事がこの点に於いて明らか。
冷戦構造下のソビエト連邦が、アメリカとの軍拡競争で経済が破綻した際の同比率が50%強ですから、戦争突入以前の直接軍事費が70%を超える事の異常さが御理解頂けるかと思います。

更にはGDP比換算で1(日本):20(アメリカ)...続きを読む

Qもしも、真珠湾攻撃をしなかったら・・・

太平洋戦争の発端は真珠湾攻撃と聞いています。
それでは、日本が真珠湾攻撃をしなかったら、日本はどのようになったのでしようか。
何が理由で、大国と戦争をしたのですか。

Aベストアンサー

 大東亜戦争(国際法上に於ける正式名称・East Asia War)の発端は真珠湾攻撃ではありません。ワシントンDC及びロンドンで米英蘭に対して日本が宣戦布告したのが発端です。
 この宣戦布告に基づいて真珠湾・フィリピン・マレーシアに同時攻撃を行いました。続いてインドネシアへの攻撃が行われます。
 もし真珠湾攻撃をしなかったらですが、米国太平洋艦隊が無傷だっただけのことです。米国国民が対日戦に賛同するかは微妙です。フィリピンを巡る戦いのために米国国民が2年も3年も戦争を支持するとは思えません。

> 何が理由で、大国と戦争をしたのですか
中国との戦争を止めるためです。米英が国民党政府をバックアップしていたのが判っていましたのでその供給元を戦争に引きずり出して彼らのアジアに対する影響力を排除しない限り安定がないと思ったから戦争したのです。


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