
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
二百三高地って、旅順湾から4キロも離れた場所にある高台です。
海側には老鉄山、椅子山などがあります。
湾外から砲撃をするとなると10キロほどの射程が必要ですが、当時の大砲では届きません。
旅順要塞を艦砲射撃できるなら、そもそもの目的である湾内の旅順艦隊を砲撃すべきです。
旅順攻略戦は海軍が旅順艦隊の撃滅に失敗し、陸軍に泣きついたのが始まりです。旅順の攻略は海軍の要求により海軍が攻撃する場所と決定されて陸軍は要塞攻略の計画すら立てさせてもらえませんでした。
一部の識者は、二百三高地を最初に攻略すればと言われます。
二百三高地への攻撃ルートが確保されたのが9月中旬で、ほぼ同時期に28cm砲の設置が開始されました。あと、二百三高地を攻略しても周辺の要塞を叩かなければ対砲兵砲撃(大砲のある場所を着弾点から判断して報復砲撃する方法)を受けて重砲陣地が全滅します。尚、二百三高地の場所からでは重砲は湾内に砲撃する事は遠すぎて出来ません。
28cm砲が設置された場所ですが、松樹山・二龍山砲台の射程圏内でしたが、砲撃を受けていません。これが何を意味するのか解りますか?8月の第1次総攻撃で北東方面重砲陣地の破壊に成功したという事なんです。
松樹山・二龍山砲台には第1師団と重砲隊が集中配備され、盤龍山砲台は第9師団、東鶏冠山砲台は第11師団が攻撃しました。第9師団は初日に盤龍山砲台を制圧(翌日放棄)しています。
私は日露戦争について多くを存じません。予想より多くの回答をいただきましたが、ご回答一つ一つに適切なお礼を述べる知識を持ちませんので一つのご回答にお礼をまとめさせていただきます。
感想としては、
1.乃木大将は愚将であったという意見は少数である。
2.軍艦からの艦砲射撃は意見を総合するとどうやらおぼつかないものであった。
3.軍艦からの砲撃は陸上からの砲撃より不利である。軍艦はダメージを受けると沈むという大きな欠点があるし、動くので狙いが定めにくいと点もある。
4.乃木大将が聖将として崇められる一方で、愚将として非難されることがあるのは、やはり多くの将兵を死なせたことに尽きる。
ご回答ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
追加で書いておきましょう
8月総攻撃
松樹山・二龍山・盤龍山・東鶏冠山の重砲陣地破壊と水師営の制圧を目的とする
松樹山・二龍山・盤龍山の砲台を破壊し、水師営を制圧
陸軍参謀本部が訳していなかった要塞攻略教範の翻訳を行う
9月の攻撃
高崎山(二百三高地への進入口)の制圧と松樹山・二龍山正面の安定確保を目的とする
何れも達成
要塞攻略教範を完訳し、3個工兵大隊に坑道爆破戦術の訓練を行う
10月の攻撃
二百三高地正面への進出と望台の確保を目的とする
何れも達成
重砲隊は湾内への砲撃を開始し、気球による観測でその成果を確認する
11月の攻撃
松樹山・二龍山・東鶏冠山への包囲網を縮め、攻略を企図する
満州総司令部の横やりで作戦変更を余儀なくされる
12月の攻撃
要塞の完全制圧を目的とする
二百三高地・完全制圧
松樹山・二龍山・東鶏冠山の要塞障壁を坑道爆破し、制圧
椅子山など攻略不可能地点の砲台も対砲兵砲撃で破壊
ちなみに旅順要塞にあった機関銃の総数は50挺弱で、第3軍が持っていた機関銃より少ない
日本軍の第一線部隊は全て5連発小銃(三〇年式小銃)を装備し、機関銃も同口径という装備
ロシアが建設した近代要塞で最も短い時間で攻略された要塞が旅順要塞(4ヶ月で陥落)
クリミア戦争のセバストポールで18ヶ月
独ソ戦のセバストポールで11ヶ月
レニングラード、モスクワ、クルスクの防衛陣地は陥落せず
No.9
- 回答日時:
>もし艦砲射撃を命じていなかったのが事実とすればなぜ命じなかったのでしょうか?
質問者様の御問い合わせに対する回答としては、下の方で皆様が仰られている海軍に対する指揮権を有さなかった事、203高地が軍艦の射程範囲外にあった事がその原因の全てであると思われますが、少し拡大解釈して別の観点から御答えするとすれば
1.乃木大将及びその参謀たる伊地知少将共に、近代戦を指揮する知識・能力そして想像力に欠けていた事。
2.帝国陸軍に依る203高地攻略は一連の旅順作戦に於いて飽く迄従の立場、即ち旅順艦隊との海上決戦を欲した海軍の要請に依り急遽決定された作戦であり、参謀本部もそれ程深刻な戦いになるとは考えていなかった事。
依って火力の集中が遅れ、兵力の逐次投入という兵家に於いて最も忌み嫌う状況にならざるを得なかった。
No.8
- 回答日時:
回答内容がずれて申し訳ない。
乃木はやはり、愚将だった。
どれかの回答で第一次総攻めのことしか言っていないが、総攻めは3回行われた。
そして、すべて失敗。
1回目の総攻めが失敗するのはやむを得ないが(機関砲の効能はわかっていなかった←守備側のロシアですら!)、2回目以降は考えなければならない。
正確に言えば参謀長の伊地知が悪いのだが、参謀に参謀としての仕事をさせられなかった乃木に最終責任がある。
旅順要塞陥落後、伊地知は要塞守備を言い渡されている。(すなわち左遷ね)
旅順要塞を落とすことができた直接の戦果は、工兵隊による坑道掘削による爆破だ。>>のちに要塞攻めはこれが基本となる。
28cm砲も、守備側に対する精神的効果はあったが、物理的効果はあまり無かった。
もちろん、他の砲の効果なんて、ほとんど無かった。
ここで砲弾を使わずに、奉天で使った方がよっぽど良かった。
艦砲射撃だが、たしか、どこか1箇所だけ、効果的な射撃ができるポイントがあったが、乃木が断ったような記述があった気がする・・・(自信ない)。
No.7
- 回答日時:
ご質問の回答は他の方が書くとおりですが、乃木将軍が無謀な突撃をくり返したことについて乃木将軍にのみ責任をおっかぶせるのは少々可哀想かなという気はします。
後に第一次世界大戦になり、欧米の軍事関係者が思い知ったのは「堅牢な陣地に立てこもる機関銃は、どれだけ準備砲撃をしてあんまり意味がない」ということでした。
第一次大戦では、攻撃前に準備砲撃をすることで機関銃陣地を破壊しようとしましたが、どれだけ準備砲撃をしても、無理でした。
これは第二次大戦になっても実はあまり変わっていなくて、準備した陣地にこもった日本軍を相手にする戦いであったタラワ、ペリリュー、硫黄島、沖縄のそれぞれの戦いでは、米軍は砲撃のみならず空襲もものすごい量を投じましたが、どの戦いも出血を強いられました。
乃木将軍が愚将なら、上記の戦いの米軍司令官もヘボ将軍といえるかもしれません。機関銃陣地戦のノウハウがなかった時代ですから、同情すべき点はあったと思いますよ。
No.6
- 回答日時:
>なぜ命じなかったのでしょうか?
⇒砲撃可能な海域は旅順港内であり、そこにはロシア艦隊がいまだ立てこもっていた。
艦砲の射程から203高地を射撃可能なのは旅順港(直線距離4000m)ですが、当の旅順港にはロシア艦隊が(少数ながら)立てこもっていて、日本海軍の艦艇は進入できません。また203高地は文字通り高地なので、仮に旅順港に日本海軍の艦艇が進入、砲撃をしたとしても、海面から高地への弾着観測が有効におこなえたかどうかは疑問です。
というより、本来旅順港に立てこもったロシア艦隊を攻撃するために旅順要塞を攻略する必要があって、203高地はまたそのために必要な高地であったわけですから、やや本末転倒かと。
肉弾突撃は確かに無茶ですが、戦車や航空機による支援は見込めない時代ですし、あとは坑道戦くらいしか手はないが時間がかかりすぎる、ということで、他に手がなかったという見方もあります。

No.2
- 回答日時:
↑
ご参考までに。
「203高地」関連の書籍には、色々と異説(特に小説)も有るようですが。
乃木大将も、本人のサイトを検索すれば解りますけど、『愚将』を見る作家も少なく無いようですね。
ここでは、乃木大将の評価は置いておいます。
>艦砲射撃を命じていなかったのが事実とすればなぜ命じなかったのでしょうか?
↑
上記URLをご覧になって解るように、乃木大将は、混乱させられた立場です。
そもそも、乃木大将は陸軍大将です。
艦砲射撃は、「海軍の軍艦」が行うのであって、乃木大将は、艦砲射撃を陸軍に要請する事は出来ても、「艦砲射撃を命令したり、中止させたりする権限は無い」と思いますよ。
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