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私はこれでもかなり確認をしながら運転しています。
他人をほとんど信用しない運転なのです。

一車線の道路で右折するとき、まず横断歩道に人がいないか確認してから、対向車を見ますが、私は対向車が2台以上が右折の指示器を出さないと、右折しません。

今日はいつも通りにこの方法で右折しようとしましたが、なぜか前に(横断歩道に)自転車がいて、轢いてしまう所でした。

バカな!なぜ? と驚きました。 思い返してみると、おそらく、自転車は信号が青のうちに猛スピードで歩道を駆け抜け、大きくアールを描いた状態で(直角で正規に絵柄の上を通らず、歩道の途中から道路に出てきて)横断歩道に合流してきたのかと思います。
なので私が、対向車に目がいっているわずかに自転車がそこまで来ていたのだと思います。

車の運転でよく 気をつけろよ とかいわれますが、ここまでくるとどう気をつければいいのか分からなくなってきています。

生身の人間如きが車に適うはずがないのに、「轢かれたら車が悪いんや」などと調子こいて、無作為に動く歩行者や自転車、車も、多すぎる状態で、事故をしない運転は無理なのでしょうか?

事故を起こしたことの無い人間は所詮 運が良かった だけなのでしょうか。

運転免許についてもその辺の人間が3ヶ月勉強したくらいで取れていいものなのか。とも思っています。

A 回答 (13件中1~10件)

わたしも確認ということは欠かしません、ですが、必要以上に神経質になることはかえって


危険なことと思っています。

気をつける…、これは運転をする際に必要な当然の絶対条件です。ですが、気をつけるべき
項目を頭の中に並べ立てていたとしても、あそこではこうしなくてはならない、あんなとこ
ろでは…、いつもこうして頭の中のマニュアルと相談しながら運転していたのでは神経が休
まりません。しかも、人間てある以上、それでさえ完璧とはいえないものです。

運転をする場合に一番大切なのはリズムだと思っています。右折する際はなにをどうするか、
高速で合流する際は…、信号のない四つ角では…、横断歩道があれば…、それはすべてあえ
て意識して行う義務としての行為ではなくて、ひとつのリズムとして、身体が覚えた無意識
の意識としての危険回避の手順として、経験が自然に目や手や足や身体全体を動かすような
自己反射で、しっかり確認し安全を得ていると言ったらいいでしょうか。

ときには、もうゼブラゾーンには誰も居ないと加速に移りかけた自分のクルマの前に、突然
自転車が飛び出してくることもよくあります。それも違法な走り方で…、でも、それもまた
長年の経験で何度もあったこと、そうした経験を基にした自分のリズムとして、あるいはそ
ういうこともあるのだと認識できてさえいれば、ああ、やっぱり出て来たな…ととっさに対
応することが出来ます。

これがわたしの運転方法です。ですが、事故はいつか起きる、それはたぶん避けられないこ
と、たとえどんなにリズムが有効であっても、たとえどんなに神経を研ぎ澄まして運転して
いようとも、運が悪ければ事故は起きるものです。

だから、わたしは何時でも、事故は起きるかもしれないと覚悟だけはしています。これまで
の長い年月、一度もこちらからの事故はありませんが、貰い事故までは完全なまでに防ぎ切
ることが出来ませんから。ただそのためには、自分の側に、運転時なら基本負担割合となる
10%はしかたがないとして、それを超える責任が発生しないような運転だけは心がけてい
ますし、万一に備えて最大限の保険も掛けています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

自転車って本当に危ないですよね。私にとってはこれほど怖いものはありません。

リズムですか。

私はなるべくスムーズな運転をしようと思っていますが、リズムとは少し違うかもしれません。

出てきそうな車はタイヤを見ます。狭い道での譲り合いなど神経を使いそうな道でなく、少し帰り道が遠くなっても、広い道を走ったりします。

お礼日時:2011/11/11 20:50

50歳♂運転歴30年


視界をオープンにして、目で見えて無い視界の外側に常に人や車両
が居ると言う前提で、考えてるとそんなに苦労も無い…来るか来な
いかは、時の運と常に思う事です。

私は、常にどんなに人気の?車の?見えない場所でも?見えて無い
外側は、何時も渋滞で大混乱と考えて運転していて、誰にも会わな
い、車に出くわさないと…ラッキー!?と考える様にしています。

つまり…そっちに曲がったら、逆方向も曲がる先も大混乱だぁー!
と常に考えて…先に進んで、どちらの方向から、何も来ないと?
よっしゃぁー!!…付いてるぞ?と思う様にしています。

> 無作為に動く歩行者や自転車、車も…事故をしない運転は無理なのでしょうか?
考え方の違い…あまり、四角四面に考えているとその様に成り
事故も増えます。もっと柔軟に対処される事をお勧めします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

あまり期待せずに運転して、すいていたらラッキーということですね。

やはり運だのみですよね。自転車を轢かなかったのも運が良かったからかもしれません。
その上さらに気をつけようと思えたのですから。ラッキーでした。

お礼日時:2011/11/11 21:03

個人的な考えですが、自分が注意しただけでは事故を起こさない運転は


無理であると思っています。

他車から煽られて動揺したり(動揺するのは個人の性格にも左右されますし)
側道からの急な飛び出し(人に限らず野生動物など)

様々な、想像を超えたアクシデントが起きるものであると思っています。

だから。
>事故を起こしたことの無い人間は所詮 運が良かった だけなのでしょうか
わたしはそう思っています。

もちろん、自分が原因となって事故を起こさないように気をつけてはいますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに煽られると意識がそっちにいきがちで事故を起こしやすいかもしれませんね。

と言うことは煽る人間は事故を誘発させようとする犯罪者かつ殺人者と言っても過言ではありませんね。

お礼日時:2011/11/11 20:59

周囲の状況の監視が甘いと言えますね。



自転車は、歩行者よりも自由気ままに走ります。

その「進路予測」も必要です。

それに「右折」ですよね、右のピラーで隠れて、見えなかったんですよ。

だから、『なぜか前に(横断歩道に)自転車がいて、轢いてしまう所でした。』となるんです。

よく言われるのが「飛び出した」ですが、実は飛び出してはいないんです。

車の死角に存在してて、そこから突然現れるので、「飛び出した」となるわけです。

私は右左折時に、「ピラーの陰を覗く」ように頭を振って、確認しています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


車の死角になる部分でしょうか。 私も頭を振って確認ですね。

お礼日時:2011/11/11 20:56

> なので私が、対向車に目がいっているわずかに自転車がそこまで来ていたのだと思います。



安全を確認したといいますが、自転車の予想行動を危険予測をしていなかったからです。
事故を起せば、誰もみんなが「思わなかった」、「見えなかった」などと言います。

大きな会社では、たいてい「交通危険予測トレーニング」で交通安全に努力しています。
あなたも、「交通危険予測トレーニング」をしてみましょう。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E4%BA%A4 …

-----------------------

「交通危険予測トレーニング」
普通は、職場の安全環境のトレーニングの、KYT(危険のK、予測のY、トレーニングのT)としての安全の為の訓練
でした。
これを発展させて、KKYT(交通のK、危険のK、予測のY、トレーニングのT)ともいいますが、最近は略してして、KYT(Kをひとつ省略)とか、交通KY(危険のK、予測のY)とも言う様です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

よさそうな、URLですね。参考にさせていただきます。

お礼日時:2011/11/11 20:52

意識の違いです。



できるだけ安全運転しようなどと思っていては
事故を起こします。

死んでも事故を起こさないと誓ってください。
いつも自分の車に天皇陛下を乗せているつもりで
運転してください。

事故を起こせば切腹と思って運転してください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

それを毎日続けていたら神経がまいるかもしれません。

お礼日時:2011/11/11 20:41

運の問題かと思います。


こちらがいくら気を付けていても、「もらわれ事故」があります。
相手の車、バイク、自転車、歩行者の動きを注意していても完全には予測のしようがありません。
私もかつて、相手の車の一時停止違反で左後ろ(後輪フェンダーあたり)を真横からぶつけられたことがあります。
「JAF-MATE」という雑誌の中に、“この後、どうなる?”的なページがあって、相手の不意な動きはどんなもので、それに対してどう対処すべきか・・というアドバイスが載っています。
ただそうはいっても、加齢とともに運転の判断力や決断力が鈍ってきますから、見落としが増えてきたと実感するようになったら、自ら車を降りる勇気も必要でしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

周りの運転を見ていても、たいした事故を起こしてないのでしょうから、本当に運だなーとも思っています。

もらわれ事故。これは避けようが無いですよね。これで逆切れされたらたまったものではありません。
逆切れしたら過失割合が増える設定がほしいところです。

お礼日時:2011/11/11 20:40

事故を起こして、運が悪かったでは済まないですよね


だからみんな、気をつけて運転をしています。

あなたの場合も、自分では十分に気をつけて運転しているつもりでも、やはり、予測不可能な状況は出てくると思います。

歩行者優先・自転車は動くパイロンって感じで、今後も気をつけるしかないと思います。

文句を述べたとこで、歩行者・自転車をひっかけてしまえば、自動車に大なり小なりの責任はのしかかってきます。

ちょっと問題

信号の無い横断歩道で人が立ち止っています。
あなたは、一時停止をして、渡らせてあげますか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

その問題の答えは いいえ です。

そんな神のような人間には 私如きでは程遠いです。

こんな場面見たことありませんか?

右折しようとしている車を曲がらせてあげようと譲ろうとした対向車がいました。

だがその右折の運転者は「先行け」と言わんばかりに手を横に振ってその恩恵を受けようとしませんでした。

こういう手を振る運転者は結構見ています。 私もされたことあります。

こんな人間がいるから譲ってくれる人間が少なくなっていっているのだとも思っています。

私が立ち止まっている人側なら、そんな千人に一人くらいの神を待つより、違う方法でわたろうとすると思います。

お礼日時:2011/11/11 20:34

>事故しない運転をするのは無理でしょうか?



結局の所、どんなに用心し気を付けても、自己中心的な人間がいる世の中ですから無理ですね。

何処に危険が潜んでいるか判りません。


>事故を起こしたことの無い人間は所詮 運が良かった だけなのでしょうか。

その通りですね。


>運転免許についてもその辺の人間が3ヶ月勉強したくらいで取れていいものなのか。とも思っています。

ホントに免許持ってるの?と疑問に思う運転者が多いのも現実です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

運転免許って本当に簡単に合格できますよね。

お礼日時:2011/11/11 20:19

日本の道路は諸外国と違い、構造がもともと危険で事故が起こりやすくなっています。



自転車や歩行者を轢いて人生を棒に振りたくないのなら、車は止めておいたほうがいいです。

加害者になり相手が亡くなれば、例え刑務所で罪を償ったとしても、一生遺族に恨まれます。

死ぬまで遺族に嫌がらせをされる場合もあります。

この国での運転免許は、殺人許可証だと僕は思ってます。

平穏な人生を送りたいなら、車は捨てましょう。

車で人の命を奪うのは、自分の人生を奪われるのと同じです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

都会なら車は捨てられるし、田舎なら車は必要だけど事故はそんなには起き難い。

ですが私の住む三重は中途半端なんです。都会でもなし、田舎でもない。

都会みたいに赤信号でもあたりまえのように渡る人間もいれば、信号を守る人間もいる。

だからでしょうか。三重は交通事故が多い県2位だとも言われています。

お礼日時:2011/11/11 20:17

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