出産前後の痔にはご注意!

筒井筒には二人の女がでてきますよね。
「もとの女」と「高安の女」、といえばいいのでしょうか。

授業で筒井筒をし、お話を理解した後に二人の女の性格をクラスでまとめました。

「もとの女」については、一途で優しいとかが多く、策士だという意見が少しでした。
ところが「高安の女」については、重い女、だとか猫かぶりだとか、そういう意見ばかり。

私のクラスは「もとの女」ばかりを支持しているようです。


ですが、私は「もとの女」は歌を読むときに化粧をしていたとか、そこら辺からこの女は確信犯だと思うのです。
一方「高安の女」は、頑張って男に尽くそうと思って器にご飯をよそったり、
序詞などを使わずにストレートに男の思いを綴る歌などから
ただ不器用すぎるだけで、男をまっすぐに想う、純粋さを感じました。


「もとの女」より「高安の女」の方がよっぽど純粋じゃないですか?


みなさんはどっちの女が好きですか? 意見をお聞かせ下さい。

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A 回答 (1件)

解釈は人それぞれなので、ご自分の考えを尊重されればいいと思います。



ただ、高安の女が、「自分でご飯をよそう」という行為は、当時の貴族の感覚からすると召使がやることなんですよね。
男と会うはじめのうちはおしとやか、お上品にふるまっていて、だんだん気にしなくなって召使のするようなことをしていたとしたら、それは「猫かぶり」と思われても仕方ないかもしれません。
ただ現代の感覚では、逆に「あけっぴろげ」な感じで支持されるかもしれないですけどね。
逆にもとの女は現代の人がやっていたら、ちょっとめめしすぎてぶりっ子(?)な印象を持たれるかもしれないですね。
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    • 2
この回答へのお礼

遅くなってすみません;;

やっぱ人それぞれですよね。
いろいろな見方があるのも、醍醐味かもしれませんしね!

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/18 20:58

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Q伊勢物語

こんばんわ~☆
伊勢物語を読んでいて不思議に思った事があるので教えてください。

「筒井筒」での一説で、
「まれまれのかの高安に来て見れば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙とりて、笥子の器ものに盛りけるを見て、心憂がりて行かずなりにけり。」

というのがあります。
主人公の男が浮気相手のところへ通っていて、最初は良かったけどだんだん浮気相手が気を許すようになって自分の手でしゃもじをとって器にご飯を盛ったのを見ていやになって行かなくなってしまった、
という意味だと思いますが(間違ってたら教えてください!)、
「手でしゃもじを取って器にご飯を盛ること」が、どうして相手に興ざめしてしまう原因になりうるのか、現代の考えではわからないので歴史的背景など教えていただけたらと思います。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 
『伊勢物語』は、短い話・エピソードの集合で作られていますが、登場人物の固有の名は出てこず、主人公は、ある「男」という形で出てきます。この「ある男」は、在原業平だと一般に言われています。

業平は、母方・父方の祖父が両方とも天皇で(父方は平城天皇、母方は桓武天皇)、当然、父は親王、母は内親王で、元々皇族でしたが、臣籍にくだり、「在原」の姓を賜った人です。非常に高貴な出自の人ですが、当時の文献では、彼については、「よく和歌を詠むが、漢文は書けない、官吏としての実務能力ゼロ」などという評価があります。

高貴な生まれで、宮仕えしなくとも、生活にも不自由ないので、各地を遍歴し、歌を詠みながら、恋愛沙汰をあまた起こし、なかには、首が飛ぶような危険な恋愛事件も起こした人です。当時有名な美男子で、浮き名を流す遊び人でした。

質問に出てくる、「男」は、業平がモデルと考えられるのですが、しかし、この『筒井筒』の段では、男は、筒井筒(幼なじみ)の女性と念願の結婚をしたものの、女の親が亡くなって貧しくなったので、河内の高安に住む別の女のところに通い始めたという話になっています。ちょっと業平がモデルだとすると状況が合わないとも言えます。

男とその妻、そして高安にいる愛人という三角関係になっています。この文章自体は短くて、「男」やその妻が、どれぐらいの階級の人なのかよく分かりません。臣籍に降りた元皇族の業平がモデルというのは、ちょっと無理があります。しかし、男も妻も、愛人も、それぞれ歌を詠み合って、自分の思いや希望を述べるので、こういう文化習慣は、一応、貴族階級の習慣とも言えるかも知れません。

貴族階級であるならば、女性は、やはり自分の手で、ご飯を器に盛ったりはしない訳で、また、あまりになれなれしくなって、礼儀を見失ってしまうのも、男にとっては、がっかりすることだとも言えます。

ただ、元々身分が卑しい女の愛人であるので、慣れるに従って「地」が出てきたので、高貴な男は、見苦しいと思って女を見捨てた、という解釈も難しいようにも思えます。

モデルとされる業平は、先に述べたように、浮き名を流した有名なプレイボーイで、この『筒井筒』の話のなかでは、妻と愛人と男という三人しか出てきませんが、業平自身は、もっと大勢の女性のあいだを、次々に渡り歩いたのであり、簡単に女と関係ができて、また簡単に、女と別れて別の女の元に通うというようなことを繰り返した人です。

この段の話に即して考えると、やはり「筒井筒の妻」が上品だという思いが、男に起こったのだと解釈されます。前後の文章を読むと、そういう風に読むのが自然だと思います。

『伊勢物語』の書き手は、ここで、貴人である男の愛人として、最初は雅やかに振る舞っていたが、慣れて来ると、ご飯を自分の手で器によそった女の挙措を、品がないと男に感じさせて、この愛人を棄てるのも当然だというような、貴族階級の理屈を付けているように見えます。しかし他方で、この男が、筒井筒の品の良い妻が、貧乏になったというので、高安に愛人を作ったとかも書いているのですから、そういうことをする男も、やはり品がないのではないか、と思えます。

(妻が貧乏になったので、愛人の処に通うとかは、どう考えても、「雅な浮気」ではないでしょう。男の方も、相当、品がないということになります)。

つまり、何かと理由を付けて愛人を作っては、また理由を付けて愛人を棄てる、というプレイボーイの「男」の性格・行状の話だということです。「高安の愛人がなれなれしくなって、下品な振る舞いをしたので、落胆して女を棄てた」というのは、後付けの理屈のようにも見えます。(また、上にも述べていますが、「筒井筒の妻」が非常に上品で寛容なので、それと愛人を比較して、浮気はやめて妻の元に還った男の話……とも読めます)。
 

 
『伊勢物語』は、短い話・エピソードの集合で作られていますが、登場人物の固有の名は出てこず、主人公は、ある「男」という形で出てきます。この「ある男」は、在原業平だと一般に言われています。

業平は、母方・父方の祖父が両方とも天皇で(父方は平城天皇、母方は桓武天皇)、当然、父は親王、母は内親王で、元々皇族でしたが、臣籍にくだり、「在原」の姓を賜った人です。非常に高貴な出自の人ですが、当時の文献では、彼については、「よく和歌を詠むが、漢文は書けない、官吏としての実務能力ゼロ...続きを読む

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それぞれ何グラムぐらいなんですか?困っています教えてください。私はさじを持っていないので測れないのです

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重さは量るものによって違いますが、
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こさじ一杯=5cc
です。


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