ノーベル賞を受賞した利根川進さんが・・
「すべての生命現象が物質現象から発生したものである以上、生命に特有と思われている感動や衝撃といった心理的な現象も、いずれは解明されるだろう」と何か書いているのを、今、思い出した。

人間には自由意志が存在するのか、それとも、自由意志が存在するように見えるものの、それは決定されたものにすぎないと考えるのか。

利根川進さんよると・・「自由意志が存在するように見えるものの、それは決定されたものにすぎない。」らしい。
自由意志は存在するのですか?
教えて下さい

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A 回答 (7件)

kokoro111さん、はじめまして。

素人のmori0309です。

 今、会社におりまして多くは書けませんけど、簡単に考えを述べさせて
ください。
 コンピュータのメモリのしくみがわかれば、これから生まれてくるソフト
ウェアの可能性のすべてを理解したことになるでしょうか。
 オーディオ装置のしくみや原理がわかれば、音楽がわかったことになるで
しょうか。

 脳内の物質やその動きを観察したところで、精神や意志の謎を解明する
ことはできないだろうと思います。ミクロレベルの脳細胞とマクロレベルの
精神のへだたりはあまりに大きいです。ミクロからマクロへと単純に階段を
上っていけば頂上にたどりつけるとは思えません。階段の途中で精神なる
ものはミクロレベルの因果法則から自由になると思えてなりません。

 ただ科学研究が無駄だと言っているわけではなく、今後も科学は私たちに
たくさんの神秘的な事実を教えてくれるだろうと思います。
 自由意志が存在するかという問いに対しては、まず自由の定義をしなくては
ならず、これもたいへん難解な問題だと思います。よく考えて出直します。

 偶然と必然の問題については「運命の定義って?」のなかでserpent-owlさんが
詳しく解説されています。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=69689
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先ず、下の方も言われたように「自由意志とは何か」定義するべきでしょう。

それ抜きに考えても堂々巡りに陥るだけです。

kokoro111さんにとっては重要な問題なんでしょうが、少なくとも私にとっては、これを問うこと自体無意味です。じゃあ、何でわざわざ、でしゃばるか?分かりません。これが「自由意志」なんでしょうか?

この類の「難問」にぶつかった時、私なら先ず、「定義」する努力から始めます。これによってトンでもなく大きな「疑問」が一気に氷解することが少なくないです。
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 自由意志の問題は、「私の」意識する自由意志、にとらわれていると考えます。


「私」は社会的役割のひとつで「あなたでも良いし誰でも良いものです」。ですか
ら、刺激的に言えば、人は人を殺してもそれも自由です。そういった意味では、わ
たしでもあなたでもない「何もの」かが何をしても「わけがわからないほどに人は
自由」かも知れません。ただ、人は人を超え出ることは出来ません。
 生まれながらに構造的に日本語にからめとられ、無意識の底まで「人間」の規制
を受けている私たちが「自由」を満喫したことなどないでしょうから。
 「自由」を考えること自体が「自由」に反していますから。しかし、これは「決
定論」という意味での「規制=制度」ではありません。個人のレベルに起こる「偶
然」のようなことがら、事態とでもいうべきものではないでしょうか。
 「私」は日々刻々積み重ねられる事態において、ほんの上澄みにある「意識」を
糧に日本語を駆使して「認識」を変化させている、というのが実態だと思います。
 それは、やはり「自由意志」が存在するか否かとは別な問題提起であるし、その
意識形態がわかったとしても、何も問題は解決しないだろう、と考えます。
 意識を生化学というか、DNAのレベルで解明すれば、人間の究極の真理がつか
め、すべて決定論的に論証できる、という判断は、通じるのでしょうか?
 人間は自由に対してすら宙ぶらりんのような気がします。
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あなたが思っている自由意志とはなんでしょう。

今すぐ「あるヒトデを見たくなりたく」なれますか?それができれば、それを持つあなたは誰にも相手にされないような競争率の低い不細工とされている異姓でも、あなたは最高に好きになれます。目にいる全てを好きになることも可能です。明日「あの人を嫌いになろう」と思って、嫌いになれますか?あなたが思っている自由意志は、「したいこと」を選べるのでしょうか?
あなたは、選択をするときに、最も大きい意味で「好き嫌い」を基準にしているでしょう。しかし、「自由意志」が「好き嫌い」そのものを選択できるものとしているなら、我々は「自由意志」を操れないでしょう。「自由意志」はあなたと共にありますが、自由な「意志」なのであって、我々の言う事はきかないのです。明日誰を好きになるかも分かりません。しかし、すでに「決定された」ものとは思い難いです。何故なら、「自由意志」が「好き嫌い(自由意思自身)」を選択する際に、なにを基準に選択しているのか?という疑問がでそうになった時、思うんです。自分を選ぶ?!基準がないから自由なのであって、また、主体性をもつから、意志であると。限定されない主体とはどの様なものでしょうか。それは、主体のみの(他の存在しない)世界の事です。しかし何もない世界じゃあないと考えます。むしろ、すべてが限定されていない様態(自由)である。私の語力が乏しくてすみません。全ての可能性としてある、といえるでしょうか。ですから、「決定」を「限定」ととれば決定されていません(未だ現実にないものが可能性としてある)が、「主体」という意味では決定しています。結論としては、我々の好き嫌いは、主体のみの世界であるため、当然、選択の余地はなく、ただあるのみです。あるのは分かるが、何故、自由意志がある形(好き嫌いを示すような)をとるのか?それは、現実の我々の個々の「何らか」が、全ての可能性としての主体、「自由意志」をある形で見させてしまっている。我々が意図せずに、しかし形を与えているのはではないでしょうか?終盤にきて分からなくなってしまったので、すみません。力不足でした。
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「自由意志」は決定論が正しくても存在しますよ(笑)



そもそも自由意志とは自分自身がその理由を知ることができない意志のことです。
もし自由意志がないとしましょう。そうすると意志について、意志の意志とか、
意志の意志の意志とか、意志の意志の意志の意志とか・・・というふうに際限
なく意志の理由を遡れてしまうので、困ってしまうわけです(笑)

ということで、感情や意志が外から見てその原因を知ることができても、
内から見てその原因を知ることができなければ相変わらず存在します。

また「もし完全に決定論なら、結果を先取りしてしまえばいいじゃないか」
と思うかもしれませんが、いくら決定論だといっても、この世の中に、
結果だけベターと書いたものがあるわけではないので、実際に実行する
以上に早く結果を知ることが出来なかったりするわけです。だから、
人の意志を徹底的に封ずる究極の悪魔も存在し得ないわけです。

これで安心?じゃ、ぐっすりお休みください(笑)
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 mori0309さんご紹介の serpent-owlです。

で、これも mori0309さんご指摘の「運命の定義って?」のところで書きましたように、純然たる物理現象といえども「事実上偶然」としか説明の仕様がないものが、自然界の随所に見出されます。たとえ原理そのものは法則的で決定論的であっても、その現実の振る舞いはきわめて複雑であり、決定論的には説明できないということです。こういうものに関して科学的な説明ができないという意味ではありません。が、旧来の還元主義的な科学の手法では理解できないことはたしかです。ここ30年ほど、そうした科学の在り方への反省が科学の領域内部で行われています。
 「意志」や「感動」というものについて、人がそれらを感じたときに脳内でどのような物質がやり取りされるのか、どのような信号が行き来するのか、ということはいずれ説明されるかもしれません。が、そのことをもってして「意志や感動を説明した」とは言えないでしょう。今日のお昼にカレーを食べるか、それともラーメンにするかといった意志の内容、あるいは、バッハのミサ曲ロ短調を聞いたときと、パウル・クレーの絵を眺めたときと、蕪村の俳句を吟じたときの感動の内容、そのちがいが脳内の物理化学的過程に還元できるとは思えません(刺激が音声か映像か言語かにより、興奮する脳の部位が側頭葉、後頭葉、前頭葉などちがってくるとか、そういう程度でしょう)。
 脳内物質に働きかける薬物で人の意志をある程度操作することはできます。自白剤を打って「アンタ、ゆうべはどこで何してたの?」と聞くと、「渋谷で知り合ったコギャルとホテルでちょめちょめしてた!」などとつるつる白状してしまい、即離婚の上、淫行条例違反で警察送りとなったりします。でも、これは「薬物だけ」の力ではありません。コトバによる誘導や暗示も必要です。脳内の物理化学的過程そのものだけで思考の内容が規定されているわけではないということです。
 ですから、脳内過程の解明がなされることは、ただちに自由意志を否定することにはなりません。

 自由意志の問題はもう少しちがったレベルで論じるべきなのではないでしょうか。「私」というものが、どの程度まで社会や他者から「刷り込まれた」要素で成り立っているかとか。あるいは、人間というもの、「群衆(マス)」の規模になると非常に単純で愚かなものになり、簡単に操作できてしまうということがあります。マインドコントロールなんてのもありますね。オウムやら統一教会やらエホバの証人やらに取り込まれた人たちは「押し付けられたのではなく、自発的に自由意志に基づいて信仰しているんだ」と主張するものです。
 自由意志と思われるものが、本当に自由意志であるのか。そういうところからして、問題はあります。
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利根川進さんの言ったことの全容を知らないので、質問の中に書かれてる範囲で理解してお答えしますが、


「自由意志」「決定されてる」どちらも両極端です。実際は、
1.「過去の行為の結果に対しては決定されてるので拒絶できない」
2.「しかし、それをどう受け止めるかは自由である」のです。

現実には、ほとんどすべての人が過去の行為の結果(謂わゆる運命)や、物質現象、生理現象に「振り回されている」ので、見かけの上では「自由意志が存在するように見えるものの、それは決定されたものにすぎない。」ように見えるのです。
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事象の地平線、重力崩壊、チャンドラセカールの限界、特異点(数学でも使いますが・・)
真空の相転移、自発的対称性の破れ、陽子崩壊、ディラックの海
マクスウェルの悪魔(魔)、熱的死

欲しい用語のイメージと違ってたらすいません。

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全てを創造した神が人間に自由意志を与えたのは、人間が神の意志どおりに動くロボットなら、神にとっては面白くもなんともないからではないのでしょうか。

神が、人間に自由意志を与えた目的はなんだと思いますか。

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神が、人間に自由意志を与えた目的はなんだと思いますか。

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・・・そのように思いますよ。

神が、人間に自由意志を与えた目的はなんだと思いますか。

○頓知じゃありませんが「聞いてみればわかることですね。」
私の知りうるところでは、「金太郎飴のようなものはお嫌いなようですね。」
例えば、花畑でも様々な花が咲き乱れるというのが好きということですね。様々な花ということは花に「自由意志」を持たせないと様々な花になりませんからね。
つまり、言葉で言えば、百花繚乱、百家争鳴が創造神のよしとするところじゃないかと思うのですね。
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ご存知の方、ご教示ください。

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Q不確定性原理と自由意志 運命

不確定性原理っていうものは決定論を完全に否定できてますか?
不確定性原理と自由意志との関連性は何ですか?

不確定性原理って人間が観測不可能なので不確定って言ってるだけで、実際にはある法則があるんじゃないですか?
無から有はできませんよね?原因なしで結果があるってのはおかしい気がします。
例えばAとBになる確率が半々だとして、Aになったとします。
じゃあ、何故Aになったの?という問いに対して、そこだけ空白になってしまいますよね。

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実際には決まってるかもしれないけど(いや、決まってるんだと思います)、自分たちが観測できないだけってことになるじゃないですか。

行動っていうのは その人の脳の構造(性質)と外界からの情報の受信で化学反応を起こし、起きるものだと思うんですけど、
それは自由に起こしたものではなくて、法則に従った=決定された ものですよね?
脳の化学反応によって起きる意思決定は物理法則に従ってますよね・・?

僕は自分の脳の性質にしたがって思考をしていますし、行動も明らかに周りの出来事や情報に左右されているのを日常で実感しています。
原因なしの行動はありえません。
ないとすれば、人間の思考だけこの世の法則を無視した非科学的なものになってしまいます。
全ての事柄は原因=結果=必然なんじゃないですか?
人々は自由ではなく縛られた中で、その行動の原因や要因を認識していないので自由のように錯覚しているだけのような気がします。
そもそも自由意志の定義って何ですか?

質問がたくさんあってすいません
物理学は全く分からないので、数式や専門的な言葉は分かりませが、よろしくお願いします。

不確定性原理っていうものは決定論を完全に否定できてますか?
不確定性原理と自由意志との関連性は何ですか?

不確定性原理って人間が観測不可能なので不確定って言ってるだけで、実際にはある法則があるんじゃないですか?
無から有はできませんよね?原因なしで結果があるってのはおかしい気がします。
例えばAとBになる確率が半々だとして、Aになったとします。
じゃあ、何故Aになったの?という問いに対して、そこだけ空白になってしまいますよね。

自由意思存在の正否は、「未来が観測可能か」か...続きを読む

Aベストアンサー

不確定性原理っていうものは決定論を完全に否定できてますか?
→古典力学では、粒子は一か所にしか存在しませんし、運動量もただ一つの値しか持ち得ませんが、量子力学では、粒子はAにも存在するしBにも存在します。運動量も幾つもの値を持っています。ある物理量がいくつもの値を持っているというのは、重ね合わせの原理と言います。これを人間が扱えるような数学で表したものが波動関数です。状態を変化させて、位置をただ一か所(と思えるような狭い範囲)に限定したとすると、運動量はかなり幅広く値を持つことになります。これが不確定性原理です。状態のあり方に制約があることを示したものが不確定性原理です。決定論との関係でいうと、波動関数が時間とともにどのように変化するのかは、シュレーディンガー方程式を解けば求まります。初期状態とその後の時間変化が完全に対応しているという意味では、古典力学も量子力学もまったく同じです。

不確定性原理と自由意志との関連性は何ですか?
→いろんな意見を持っている人がいると思いますが、広く認められている関連性はありません。私は、関連はないと考えています。

不確定性原理って人間が観測不可能なので不確定って言ってるだけで、実際にはある法則があるんじゃないですか?
→たとえば、粒子がAにも存在しBにも存在する、という考え方は、2重スリットによる光子の干渉実験から導かれたものです。重ね合わせの原理の考え方は、量子力学では最も根本的な考え方とされており、単に観測不可能という問題ではありません。

無から有はできませんよね?原因なしで結果があるってのはおかしい気がします。
→原因があって結果があるというのは、量子力学でも同じです。

例えばAとBになる確率が半々だとして、Aになったとします。じゃあ、何故Aになったの?という問いに対して、そこだけ空白になってしまいますよね。
→相互作用によって状態が変化した場合に、実際に観測される量がどれなのかは、今のところ、確率しか分からないのが実情です。これが本来の自然の姿なのか、あるいは別の理論(隠れた変数)があるのかは、まだ分かっていません。

そもそも自由意志の定義って何ですか?
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たとえば、今日の昼に何を食べようか、と考えます。ラーメンにするかカレーにするか悩んだあげく、カレーに決めたとしましょう。前日は、同じような腹のすき具合だったのに、ラーメンを食べていました。同じ条件なのに、違うものを選択したのだから、一見すると、そこに自由意思が働いたように思えます。
ただこの例では、初期条件の設定が不適当です。前日と同じような腹のすき具合だからといって、条件が同じではありません。その日の天候、気温は前日とは違うでしょうし、その日の朝食は前日とは違うものかもしれません。午前中にやった仕事も同じとは言えませんし、なにより、今日は、前日の記憶があります。まったく同じ条件を設定することができませんので、ここに自由意思があるというには、条件設定が適当ではありません。こう考えると、自由意思があるかどうかを確認することは不可能なような気がします。

不確定性原理っていうものは決定論を完全に否定できてますか?
→古典力学では、粒子は一か所にしか存在しませんし、運動量もただ一つの値しか持ち得ませんが、量子力学では、粒子はAにも存在するしBにも存在します。運動量も幾つもの値を持っています。ある物理量がいくつもの値を持っているというのは、重ね合わせの原理と言います。これを人間が扱えるような数学で表したものが波動関数です。状態を変化させて、位置をただ一か所(と思えるような狭い範囲)に限定したとすると、運動量はかなり幅広く値を持つこ...続きを読む

Q存在が目的、存在が価値、存在が意味であり、存在が正義、存在を求めることが愛 分かる人?

存在が目的、存在が価値、存在が意味であり、存在が正義、存在を求めることが愛

この意味が分かる人居ますか?腕に覚える人は見抜いて下さい。

端的に書き表してください。

Aベストアンサー

私が何に悩んでいたかが分かりました。

この「存在性理論」は、「空間」というものがすでに
あるものということだけでなく、「存在」というもの
もすでにあるものという前提での理論であると思いま
した。

それならば、例えば「人間」という存在に「物質」面
と「精神」面が備わっているということや、子供が生
まれることも、進化してゆくことも、この理論で説明
できそうです。
唯物論と唯心論をまとめる、新しい理論であるとおっ
しゃることも分からないではないです。

しかし、私が悩んだのは、№12で申し上げた、宇宙の
元初の状態から「存在」が生じるということについて
は、この理論では説明できないだろうということでし
た。
その部分は「真理」ということで「未知」ということ
でよろしいのですね?
尤もこれが分かったら、えらいことですが‥‥

Q生徒本人の自由意志に反して勉強を強要することの是非

私は大学生で、家庭教師のアルバイトをやっています。

今回、新たに一人教えて欲しい、という希望がありまして、とりあえず面談だけしてきました。

生徒は中学三年生、高校受験を控えていて、この前の定期テストでは、5教科の平均点が、百点満点中18点だったそうです。そして勉強は大嫌い。このままでは高校受験が危ぶまれ、さらに高校も卒業できるのか、目指す大学がかなり限られるのではないか、といったことが危惧されます。
その成績に常々危機感を感じている親御さんから頼まれたのですが、生徒本人は家庭教師を嫌がっています。

私は生徒が勉強するしないは生徒の自由意志によって選択すべきと考えています。その理由は勉強するのは生徒本人ですし、勉強するしないで影響が出るのは、生徒の人生だからです。言い換えれば、ほぼ全て生徒本人が責任を取ることになるからです。自分で責任を取る限りにおいて、人は自分にとって不利な行動をとる権利があり、他人が勉強を強制する権利は無いと考えています。

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私は生徒の勉強しないという自由意志を尊重しようと思うのですが、親御さんは生徒の今後が心配だから、なだめすかして勉強させてくれ、と主張していました。

私は、生徒の自由意思に反して勉強させるべきなのでしょうか?

生徒が勉強しないで、仮に留年したりした場合には、親に金銭的・精神苦痛を与えるので生徒本人の責任だけではすまない、あるいは中学三年生は判断力が大人よりあきらかに劣っているので親が子供に代わって判断する権利を持つなど、多様な意見をお待ちしています。

私は大学生で、家庭教師のアルバイトをやっています。

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生徒は中学三年生、高校受験を控えていて、この前の定期テストでは、5教科の平均点が、百点満点中18点だったそうです。そして勉強は大嫌い。このままでは高校受験が危ぶまれ、さらに高校も卒業できるのか、目指す大学がかなり限られるのではないか、といったことが危惧されます。
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Aベストアンサー

学力がそっくりの中3児がおります。で、ええと、なんで、勉強を教えるか否かの話になってるのかなあ。もっと根本的なところを見る必要があるのではないでしょうか。

その生徒さんが勉強をしたくないのは分かりました。そして、成績が悪くても中学を卒業できるのは知っています。さて、中学を出てから、その生徒さんは、どうするつもりなのでしょう? 親御さんは、勉強してもらわないと困ると思っておられるようなので、当然、学生をやらないなら、家を追い出され、自分で稼ぎながら家事をして生きていくわけですよね。それを分かった上で、勉強したくないということですか?

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ここから先は、家庭教師ではない私には答えられません。ですが、素人判断の案として、たとえば人生について語り合ったり、中学を出てからの生活について話し合ったりしてはどうかなと思います。アパートの探し方や契約の仕方を教えてあげてもいいと思います。そうした中から「やはり勉強が必要だ」と感じるようになるかもしれないし、「やはり勉強はしないが、親に迷惑をかけずに稼ごう。そのために学校以外の特定な勉強をしよう」と心を新たにするかもしれません。どちらに転んでも、親は納得しなければなりません。義務教育は中学で終わりなのですから。

もちろん、これは親に伝えたうえで家庭教師を引き受けます。「引き受けても、すぐには学校の勉強に応じないだろうから、勉強と人生のかかわりについて、まず教えることにします」と。そして、当然、これには、中学卒業まで、紙の上での勉強には至らないというリスクを伴います。もしかしたら、大学生のあなたの手には負えないかもしれません。ただし、どのみち、このまま「勉強するのはイヤだ」止まりでは、高校に進学したところで中退は目に見えています。

ちなみに、我が子も家庭教師はどうしても付けたがりません。ただし、勉強はするべきだと思っているようで、どこで聞きかじってきたのか、本人曰く、「ニートになって親に迷惑かけたくないから」だそうです。そして、最近になって、ようやく、私になら勉強について質問できるようになりました。

これを機に、かねてから知人に勧められていたベテラン塾講師と私が面談したところ、講師は「そういうお子さんなら、急に連れてくるのは、やはりよくないので、このまましばらくは、お母さんが勉強をみてあげてほしい。本人がその気になれば、いくらでも塾で協力する」とおっしゃいました。とはいえ、私も科目によっては中学生以下の学力なので、あの手この手で自分自身が勉強しながら、その内容を子供に伝えています。

親自身が家庭教師となるという選択肢も含めて、もう一度、親御さんと話し合われてはどうでしょう?

学力がそっくりの中3児がおります。で、ええと、なんで、勉強を教えるか否かの話になってるのかなあ。もっと根本的なところを見る必要があるのではないでしょうか。

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Q自由意志について

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ウィキペディアの《自由意志》です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97

わたしは 責任との関係および神学との関係に関心があります。

たとえば こうです。約束をしたとき それを果たせなかったとします。事情を説明し――多少の償いをしつつ―― 詫びて治まると思いますが ここには 自由意志がからんでいるのではないでしょうか。意志の自由な選択によって 約束をしたのであるからには それを違えたことについて 何らかの責任が発生するという具合いです。

一般に表現の自由を言うからには その言動責任ないし文章責任が生じていると考えられるのだと思いますが いかがでしょうか。つまり 自由意志が ほんとうに存在するか否か これは 分からないかも知れないのだけれど 社会的な取り決めとして 上のような事態にかんして 自由意志はあると想定されていると考えるのですが そのあたりについて 自由な見解をおしえてください。

Aベストアンサー

bragelone様 ここ2日程あまりに忙しなく投稿出来ずに居りました。投稿が遅くなり大変失礼致しました。また、 bragelone様のHNも意味を履き違え誠にお恥ずかしい限りです(大汗)、どうぞお許し下さい。それでは今回も宜しくお願い申し上げます。

> 一点 こう感じたところがあります。つまり 【(肉体は)死んでも(魂は)死んでない】の《体験・認識・感得》につきましては これまでお伺いした限りでは けっきょく 行きっぱなしではないだろうかと。 むろんその実践じたいがよくないというものでは毛頭なく 往きと還りがあるという記憶を思い起こしたのですが。 わたしのかつて習ったところでは 往相・還相があって たとえ彼岸に実際に到達していないとしても あたかも一たん達したとして そこから還ってくる・還って来たという姿(還相)でさらに修行に励むのであるし また 人にも接するのでもあるというふうに覚えているのですが いかがでしょうか。

○まず「行きっぱなしではないだろうか」につきまして、「彼岸」への片道切符的(笑)感覚で捉えられているとしたら、それは全くもって私の本望ではありません。振り返りますに、これまでの投稿はどちらかと言うと【「個」と「全」の構造認識(「関係性の側面⇔独立性の側面」の双方向性を含有する大宇宙である自分自身)】に対する「認識論」的内容が濃かったと思います。誤解を恐れず申し上げれば、 bragelone様は「大乗的衆生救済」無くてして何の悟りか?!…と仰せではないかと思います。私は過去の投稿(> 理解不能な自分を愛する事が総てを愛する事に繋がります。それが「自分が良くなる為に人を良くする」(抹香臭く申せば所謂「自利利他」)に発展して来ると思います。… / bonnnou03 )で申しました通り、この現実世界に於いて自分の映し絵である現象を整える事(例:困っている人への人助け 及び 導き)は恐らく bragelone様の仰る「往相・還相」と近い、若しくは ほぼ同意ではないか?…と思います。私が知る言葉としては「 上求菩提 下化衆生 」がこれにあたります。論点が自由意志に始まる「意識の構造認識(略)」から「現実世界の処し方」にシフトするのであればそのように致しますし、私が申しました「肉体を全うする」は当然 bragelone様の仰る「往相・還相」を包摂するものとお考え頂いて結構でございます。

> 気概の現われを抑えることができないという限りで この信仰は わたしが選んで持ったのではなく 与えられたものであるということになります。そこから 《人間(現実)が変わる》という表現をも得てしまったという事情です。

○『信仰』に付きましては個々人の自由だと思いますので、他人様の『信仰』に対し とやかく口を出す筋合い物ではないと思いますが、先日来の私の投稿で「信じる」(…「信じる」と言う打算的期待で自己を成り立たせなければ成らなくなります… 等々 )と言う語句の見解が遠因してご不快な思いをさせてしまっているようであれば、恐らく誤解であり 伏してお詫び申し上げます。本意は盲目的に「信じる(信じすぎる)」と言う行為から「依存症」や「マインドコントロール」を生み、結果 人の心を「自己喪失」状態に追いやり人生の歩みを阻害するのを憎むものであります。決して純粋な信仰(心)を揶揄したものではありません。どうぞご理解頂きとうございます。

> 焦点は結びました。このわたしの法螺吹きが 法螺吹きでどうもすみませんと言わなければならないというのは 往相還相の問題が 唯識にはないという場合だということになりますが いかがでしょうか。

○「法螺吹き」について …完全な誤解です。自らの不徳の致すところです。この箇所【 …常に自らの体験を持って語る事を旨として参りたいと思いますし、そうでなければただの大法螺吹きになってしまいます。… 】は私 bonnnou03 自身の投稿にあたっての決意として挿入した文言でした。それ以上の文意はありませんし、私には bragelone様を「法螺吹き」呼ばわりする理由が毛頭見当たりません。どうぞご理解頂きまして、お許し願えればと思います。

また『往相還相』については上述の通りです。因みに『唯識』も仏教の中の学問としてある以上「 上求菩提 下化衆生 」の一面を離れないと思いますが、(意識の)上下間の双方向性の説明は『大乗起信論』(ちとマイナーですが!)がより詳しいと思います。内容はさほど理解が深くないため割愛します(失礼)。

> これは 大乗であるべきか 上座部のままにとどまるべきかという主題にもなるのでしょうか。

○いいえ、そうは思いません。この場合、私は「密教(特に真言密教)」を提示させて頂きます。この理由については様々在るのですが、大きくは2つです。1つはこの身このまま仏になる『即身成仏』(≠「即身仏」入滅してミイラになる)(参考:多くの大乗仏教では悟りまでに大変時間の掛かる「三劫成仏」と言われています)と『現世利益』の【(結果を出す)実践哲学】と言う事。もう1つは教義の面で亜細亜に於ける【統合宗教】(儒教・道教・上座部・大乗・バラモン教・ヒンドゥー教・ゾロアスター教・インド哲学…等々を包含している。想像ですが恐らく「景教」= キリスト教 の影響も受けていると思われます)であると言う事からです。

> 面白いとも思われることは 信仰〔なる賭け〕による希望派が あくまでこの《いま・ここ》に立っていて 前世・来世を気にしていないことであり それに対するに 修行による希望派は 逆に 《【(肉体は)死んでも(魂は)死んでない】》といった表現も持たれてくるということのように感じられる。

○【(仮に)信仰〔なる賭け〕による希望派】が『前世・来世』をどのように捉えているか?についての統計は恐らく「無い」と思いますので、コメント控えさせて頂きます。他方【修行による希望派】に付きましては、一先ず… 決して「乱暴な賭けではない」と申し添えておきます。

以上です。

最後までお読み下さり、ありがとうございます。あくまで私の認識(体験)に基づく投稿です。徒然なる文面です。お役に立てればと思いますが、ご参考程度にされてください。どうぞご自愛下さい。

bragelone様 ここ2日程あまりに忙しなく投稿出来ずに居りました。投稿が遅くなり大変失礼致しました。また、 bragelone様のHNも意味を履き違え誠にお恥ずかしい限りです(大汗)、どうぞお許し下さい。それでは今回も宜しくお願い申し上げます。

> 一点 こう感じたところがあります。つまり 【(肉体は)死んでも(魂は)死んでない】の《体験・認識・感得》につきましては これまでお伺いした限りでは けっきょく 行きっぱなしではないだろうかと。 むろんその実践じたいがよくないというものでは毛頭...続きを読む


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