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ノーベル賞を受賞した利根川進さんが・・
「すべての生命現象が物質現象から発生したものである以上、生命に特有と思われている感動や衝撃といった心理的な現象も、いずれは解明されるだろう」と何か書いているのを、今、思い出した。

人間には自由意志が存在するのか、それとも、自由意志が存在するように見えるものの、それは決定されたものにすぎないと考えるのか。

利根川進さんよると・・「自由意志が存在するように見えるものの、それは決定されたものにすぎない。」らしい。
自由意志は存在するのですか?
教えて下さい

A 回答 (7件)

先ず、下の方も言われたように「自由意志とは何か」定義するべきでしょう。

それ抜きに考えても堂々巡りに陥るだけです。

kokoro111さんにとっては重要な問題なんでしょうが、少なくとも私にとっては、これを問うこと自体無意味です。じゃあ、何でわざわざ、でしゃばるか?分かりません。これが「自由意志」なんでしょうか?

この類の「難問」にぶつかった時、私なら先ず、「定義」する努力から始めます。これによってトンでもなく大きな「疑問」が一気に氷解することが少なくないです。
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 自由意志の問題は、「私の」意識する自由意志、にとらわれていると考えます。


「私」は社会的役割のひとつで「あなたでも良いし誰でも良いものです」。ですか
ら、刺激的に言えば、人は人を殺してもそれも自由です。そういった意味では、わ
たしでもあなたでもない「何もの」かが何をしても「わけがわからないほどに人は
自由」かも知れません。ただ、人は人を超え出ることは出来ません。
 生まれながらに構造的に日本語にからめとられ、無意識の底まで「人間」の規制
を受けている私たちが「自由」を満喫したことなどないでしょうから。
 「自由」を考えること自体が「自由」に反していますから。しかし、これは「決
定論」という意味での「規制=制度」ではありません。個人のレベルに起こる「偶
然」のようなことがら、事態とでもいうべきものではないでしょうか。
 「私」は日々刻々積み重ねられる事態において、ほんの上澄みにある「意識」を
糧に日本語を駆使して「認識」を変化させている、というのが実態だと思います。
 それは、やはり「自由意志」が存在するか否かとは別な問題提起であるし、その
意識形態がわかったとしても、何も問題は解決しないだろう、と考えます。
 意識を生化学というか、DNAのレベルで解明すれば、人間の究極の真理がつか
め、すべて決定論的に論証できる、という判断は、通じるのでしょうか?
 人間は自由に対してすら宙ぶらりんのような気がします。
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あなたが思っている自由意志とはなんでしょう。

今すぐ「あるヒトデを見たくなりたく」なれますか?それができれば、それを持つあなたは誰にも相手にされないような競争率の低い不細工とされている異姓でも、あなたは最高に好きになれます。目にいる全てを好きになることも可能です。明日「あの人を嫌いになろう」と思って、嫌いになれますか?あなたが思っている自由意志は、「したいこと」を選べるのでしょうか?
あなたは、選択をするときに、最も大きい意味で「好き嫌い」を基準にしているでしょう。しかし、「自由意志」が「好き嫌い」そのものを選択できるものとしているなら、我々は「自由意志」を操れないでしょう。「自由意志」はあなたと共にありますが、自由な「意志」なのであって、我々の言う事はきかないのです。明日誰を好きになるかも分かりません。しかし、すでに「決定された」ものとは思い難いです。何故なら、「自由意志」が「好き嫌い(自由意思自身)」を選択する際に、なにを基準に選択しているのか?という疑問がでそうになった時、思うんです。自分を選ぶ?!基準がないから自由なのであって、また、主体性をもつから、意志であると。限定されない主体とはどの様なものでしょうか。それは、主体のみの(他の存在しない)世界の事です。しかし何もない世界じゃあないと考えます。むしろ、すべてが限定されていない様態(自由)である。私の語力が乏しくてすみません。全ての可能性としてある、といえるでしょうか。ですから、「決定」を「限定」ととれば決定されていません(未だ現実にないものが可能性としてある)が、「主体」という意味では決定しています。結論としては、我々の好き嫌いは、主体のみの世界であるため、当然、選択の余地はなく、ただあるのみです。あるのは分かるが、何故、自由意志がある形(好き嫌いを示すような)をとるのか?それは、現実の我々の個々の「何らか」が、全ての可能性としての主体、「自由意志」をある形で見させてしまっている。我々が意図せずに、しかし形を与えているのはではないでしょうか?終盤にきて分からなくなってしまったので、すみません。力不足でした。
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「自由意志」は決定論が正しくても存在しますよ(笑)



そもそも自由意志とは自分自身がその理由を知ることができない意志のことです。
もし自由意志がないとしましょう。そうすると意志について、意志の意志とか、
意志の意志の意志とか、意志の意志の意志の意志とか・・・というふうに際限
なく意志の理由を遡れてしまうので、困ってしまうわけです(笑)

ということで、感情や意志が外から見てその原因を知ることができても、
内から見てその原因を知ることができなければ相変わらず存在します。

また「もし完全に決定論なら、結果を先取りしてしまえばいいじゃないか」
と思うかもしれませんが、いくら決定論だといっても、この世の中に、
結果だけベターと書いたものがあるわけではないので、実際に実行する
以上に早く結果を知ることが出来なかったりするわけです。だから、
人の意志を徹底的に封ずる究極の悪魔も存在し得ないわけです。

これで安心?じゃ、ぐっすりお休みください(笑)
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 mori0309さんご紹介の serpent-owlです。

で、これも mori0309さんご指摘の「運命の定義って?」のところで書きましたように、純然たる物理現象といえども「事実上偶然」としか説明の仕様がないものが、自然界の随所に見出されます。たとえ原理そのものは法則的で決定論的であっても、その現実の振る舞いはきわめて複雑であり、決定論的には説明できないということです。こういうものに関して科学的な説明ができないという意味ではありません。が、旧来の還元主義的な科学の手法では理解できないことはたしかです。ここ30年ほど、そうした科学の在り方への反省が科学の領域内部で行われています。
 「意志」や「感動」というものについて、人がそれらを感じたときに脳内でどのような物質がやり取りされるのか、どのような信号が行き来するのか、ということはいずれ説明されるかもしれません。が、そのことをもってして「意志や感動を説明した」とは言えないでしょう。今日のお昼にカレーを食べるか、それともラーメンにするかといった意志の内容、あるいは、バッハのミサ曲ロ短調を聞いたときと、パウル・クレーの絵を眺めたときと、蕪村の俳句を吟じたときの感動の内容、そのちがいが脳内の物理化学的過程に還元できるとは思えません(刺激が音声か映像か言語かにより、興奮する脳の部位が側頭葉、後頭葉、前頭葉などちがってくるとか、そういう程度でしょう)。
 脳内物質に働きかける薬物で人の意志をある程度操作することはできます。自白剤を打って「アンタ、ゆうべはどこで何してたの?」と聞くと、「渋谷で知り合ったコギャルとホテルでちょめちょめしてた!」などとつるつる白状してしまい、即離婚の上、淫行条例違反で警察送りとなったりします。でも、これは「薬物だけ」の力ではありません。コトバによる誘導や暗示も必要です。脳内の物理化学的過程そのものだけで思考の内容が規定されているわけではないということです。
 ですから、脳内過程の解明がなされることは、ただちに自由意志を否定することにはなりません。

 自由意志の問題はもう少しちがったレベルで論じるべきなのではないでしょうか。「私」というものが、どの程度まで社会や他者から「刷り込まれた」要素で成り立っているかとか。あるいは、人間というもの、「群衆(マス)」の規模になると非常に単純で愚かなものになり、簡単に操作できてしまうということがあります。マインドコントロールなんてのもありますね。オウムやら統一教会やらエホバの証人やらに取り込まれた人たちは「押し付けられたのではなく、自発的に自由意志に基づいて信仰しているんだ」と主張するものです。
 自由意志と思われるものが、本当に自由意志であるのか。そういうところからして、問題はあります。
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利根川進さんの言ったことの全容を知らないので、質問の中に書かれてる範囲で理解してお答えしますが、


「自由意志」「決定されてる」どちらも両極端です。実際は、
1.「過去の行為の結果に対しては決定されてるので拒絶できない」
2.「しかし、それをどう受け止めるかは自由である」のです。

現実には、ほとんどすべての人が過去の行為の結果(謂わゆる運命)や、物質現象、生理現象に「振り回されている」ので、見かけの上では「自由意志が存在するように見えるものの、それは決定されたものにすぎない。」ように見えるのです。
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kokoro111さん、はじめまして。

素人のmori0309です。

 今、会社におりまして多くは書けませんけど、簡単に考えを述べさせて
ください。
 コンピュータのメモリのしくみがわかれば、これから生まれてくるソフト
ウェアの可能性のすべてを理解したことになるでしょうか。
 オーディオ装置のしくみや原理がわかれば、音楽がわかったことになるで
しょうか。

 脳内の物質やその動きを観察したところで、精神や意志の謎を解明する
ことはできないだろうと思います。ミクロレベルの脳細胞とマクロレベルの
精神のへだたりはあまりに大きいです。ミクロからマクロへと単純に階段を
上っていけば頂上にたどりつけるとは思えません。階段の途中で精神なる
ものはミクロレベルの因果法則から自由になると思えてなりません。

 ただ科学研究が無駄だと言っているわけではなく、今後も科学は私たちに
たくさんの神秘的な事実を教えてくれるだろうと思います。
 自由意志が存在するかという問いに対しては、まず自由の定義をしなくては
ならず、これもたいへん難解な問題だと思います。よく考えて出直します。

 偶然と必然の問題については「運命の定義って?」のなかでserpent-owlさんが
詳しく解説されています。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=69689
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