アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

例え課長や部長であっても取引先には
「うちの鈴木が・・・」みたいに呼び捨てにします。
逆に呼び捨てにしないと注意されたりします。

先ほどマンションの自治会で同じようにすべきか
という質問があり、自治会は内輪とは違うのだから
それはさん付けが適当だろうという意見がありました。

こう考えていたら会社の所属のものを外部に紹介するとき
呼び捨てにするのは何故かと疑問に思えて来ました。

日本の慣行ですか。それとも西洋から伝わったマナー?
あるいはもっと根本的なものがあるのでしょうか。

A 回答 (4件)

>組織内部の者を外部に呼び捨てにするのは何故?



日本の敬語には、尊敬語、謙譲語、丁寧語があります。
さんづけは謙譲語や、丁寧語になるのでしょうか。
外部の人間に対しては、組織内の上下関係は関係ないので
部長、課長、さん付けなどはおかしいので
あえてつけないのが正しいとなります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

外部、内部で考えると
マンションの管理人の話も内部ですよね。
それを外部の人と話しをする時に呼び捨てにしますか?

というところが疑問の発端なのですが・・・
国語で説明して貰うと話が噛み合わない様ですね。

お礼日時:2011/11/23 15:44

会社というのは「お仕事をいただく」という形で成り立っています。

どのような会社であっても、最終的にお金を払ってくれる人がいないと仕事をすることができません。

そうなると、自社から見た外部の人と接するときにはすべて「謙る(へりくだる)」ということが基本になります。ですから謙譲表現として、自社の人間に尊称をつけないのです。

それに対して自治会や管理組合はあくまでも「寄り合い」であり、自治組織ということになります。どちらかというと外部に対しては仕事を出す立場だといえます。
ですから「さん」付けで呼んでもかまわないといえばかまいません。

しかし日本のマナーというか敬語の使い方から言えば、本来「さん」付けするのはおかしいです。簡単にいえば、家庭と同じということです。
家庭の誰かが外部の人と話すときは「うちの父はただいま外出しております」のように話します。「お父さん」などは子供から見た尊称ですから、外部の人間にはつかいません。

家庭は自治組織と同様、寄り合いですから、会社と比べれば謙る必要はないはずなのに、謙譲表現(というより尊敬表現を使わない)ということなのです。

日本の家庭を含む組織は内輪と外部を区別したとき「いつもお世話になっている」という感覚を表現するために、相手に対して自らを一歩謙った表現を使うのが本来のマナーです。

ということで、会社だろうが自治会だろうが組織(集まり)である以上は外部に対して謙るのが本当です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
相手の立場によって変わってくるということですね。
確かに外部の者に身内を紹介するとき、
父とか叔父とか言いますよね。

ということまでは理解できたんですが、
謙るというのが日本独自の慣行のような気がします。
諸外国もそうなのか、今はそこが知りたいです。

お礼日時:2011/11/23 17:11

会社組織は身内であり、外部とは、顧客・取引先となり、自分ら身内より上の立場として話をしますよね


ですから、身内のことはへりくだった言い方「謙譲語」を使う必要がありますから
身内は呼び捨てになります

自治会というものはどういうものですか?
マンション自治会の外部とはなんですか?
自治会として、県や市になにか働きかけするのでしょうか?

そうではなく、対等な立場の方と話をするならば、へりくだる必要はないと思いますが・・・

まして、新しく入ってきたかたに、自治会長を紹介する場合また、ご近所さんに紹介する場合
「こちらが自治会長の山田です」とか言って紹介しますか?
ちがいますよね
「こちらが自治会長を引き受けてくださっている山田さんです」ですよね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
対等な立場なら謙る必要はないとのことですね。

向こうの質問は還暦を迎えた者が20代の夫婦を
呼び捨てにするのは当然だとか
それは相手を見下しているとかで
盛り上がってるようです。
本当に色々な考えがあると思います。

今、関心があるのは会社組織の人間を呼び捨てに
することについて、日本独自の慣行かどうかです。
何かお分かりになれば宜しくお願いします。

お礼日時:2011/11/23 17:19

#2です。

お礼ありがとうございます。

>謙るというのが日本独自の慣行のような気がします。
諸外国もそうなのか、今はそこが知りたいです。

そうですね。日本独自の部分もありますが、そうでもない部分もあります。

まず、謙譲表現という部分だけ抜き出して考えると、ほぼどこの国・文化でもあります。これは階級差が関係してくるからです。
確実に存在する謙譲表現としては王に対して自分を一歩下げて表現するものがあります。現在王国ではない地域でも、これらを元にした敬語的な表現が流通していますので、謙譲という考え方そのものは存在するといえます。ただし、文化的に一般的かどうかはその国の状況しだいです。

たとえば英語にも尊敬表現や謙譲表現があるのですが、王国であるイギリスとそうでないアメリカではかなりニュアンスが異なるものがあります。
ビジネス英語としてはアメリカ流が一般的ですが、英語国ではない日本の皇室やその他の王室などや大使(特に大使婦人)などは敬語が整っている(つまり上品に話すことができる)イギリス英語を身につけるのがベターとされています。

日本的な謙譲語はかなりアジア的で世界中にあるわけではありませんが、謙譲表現や敬語的表現は世界中に存在するといえます。

さて謙譲語はアジア的と書きましたが、そもそも謙譲語や尊敬語は人間関係に由来するものであり、日本語および日本文化の下地には儒教思想が入っています。

儒教思想は簡単に言えば「五常(仁、義、礼、智、信)という徳を磨くことにより、 五倫(父子、君臣、夫婦、 長幼、朋友)の関係を正常に保」ち、それが社会の安定と発展そして平和につながるという考え方になります。
このため父子や君臣・夫婦などの内輪とそれ以外の外部に対しての敬語の使い方が変化する、ということなのです。君臣は現在で言えば会社組織ということになるわけです。

このような文化的な要素から、日本だけではなく韓国・中国・ベトナム・ラオス・タイなどの儒教文化を受け入れた地域には謙譲表現または謙譲的な考え方は存在するといえます。

ただし、地域によって結構違います。
韓国は、日本よりも謙譲表現と尊敬表現が厳密に存在しており、長幼のマナー(たとえば年下は年上の前では遠慮したしぐさをしながら酒を飲むなど)も日本より厳密であるのと相まって、ものすごく利用されています。
中国では言葉としては謙譲語が存在するものの、共産革命以後にそういうマナーを廃止したので現代中国語ではほとんど使わないようです。

ベトナム・タイなども謙譲表現はありますが、現代ではあまり利用されているとはいえないようです。

最後に身内と外部と分ける考え方については、たぶんに日本的だといえると思います。
英語などはMr.Dr.Sir.などの敬称(尊称)がありますが、これは個人に付属していると考えられているので、外部に対しても省略しません(ただし、Mrなどは普通は省略していますが・・)
韓国の敬称はその人から見た絶対的なものなので、外部に対してもそのまま利用します。逆を言えば、外部の人間も、その敬称を聞くことで話している人と話題に出ている人の長幼を判断し利用するわけで、必要なことだともいえます。

日本の社会は「内輪と外部を分けることで成り立っている」というようなことを司馬遼太郎や山本七平などの日本文化(特に社会学)を深く分析した人々は異口同音に言っています。

敬語とか敬語的表現は世界中にありますが、内部と外部で分けるのは日本だけかもしれません。もっともイスラム地域は良く知らないものの、外部と身内を分ける文化がありますので、日本と同じような感覚があるかもしれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

これは大変貴重なお話有り難うございます。
ひょっとしてphjさんは専門家の方なのでしょうか。
大変な博学で、ここまで噛み砕いて説明して下さると、
なるほどと頷かされるものがあります。

普段、漠然と半ば儀式めいた感じもしていたのですが、
諸外国だともっと厳しい基準があったりするわけですね。
重ねてお礼申し上げます。どうも有り難うございました。

お礼日時:2011/11/24 14:03

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!