プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

親友が先月、母親を病気で亡くしました。

1ヶ月ほどたった昨日、突然メールが来て、「人は何のために死ぬんだろう?」と一言だけ書いてあり、私は「生命の重さと愛の深さを伝えるため」ということなどを含め、丁寧に返信してあげました。

すると、「ありがとう。救われた気がする」という返信は来たのですが、ちょうど私がメールを送信した頃に途中まで打っていたというメールを、あとで参考のために送信してきたのを見て、驚いてしまいました。

そこには、「母親の闘病生活の中で、医者から覚悟しておいたほうがいいと言われて、その時点で生命の重さは十分に分かったはずなのに、なぜ私だけがこんな目にあわなければいけないの?世の中にたくさんいる犯罪者や親不孝者が、なぜのうのうと生きているの?その人たちこそ悲しみを味わうべきよ!」という内容のことが書いてありました。

たまたま私が先に送ったメールで落ち着いたというものの、世間に対する恨みや怒りが湧き上がってくるのは、感情的になりすぎているような気がしました。
何より、自分だけが不幸だと思う感情にさいなまれている彼女がかわいそうでなりません。

世の中にはもっと不幸な人が大勢いるのに、自分だけが不幸に思えるようです。

大切な人を亡くしてしまうと、こういう心理状態になってしまうものなのでしょうか?
だとすれば、私にできることって何なんでしょう?

A 回答 (8件)

こんにちは。


18歳の時に父親を亡くしました。(6年前)ですので、経験者として回答させていただきます。

さて、ご友人に対してpuentedecorazonさんがしてあげられることについてですが、ご友人の心の状態をしっかり見つめて支えていくことが今は大切なんじゃないんでしょうか?
できれば
>何より、自分だけが不幸だと思う感情にさいなまれている彼女がかわいそうでなりません。
>世の中にはもっと不幸な人が大勢いるのに、自分だけが不幸に思えるようです。
というような気持ちは押えて、彼女の不安定な感情を受け止めてあげてほしいな、と思います。

もしもpuentedecorazonさんが「世の中にはもっと不幸なひともいるんだよ?」とご友人に説明しても、「そうか、私はまだまだ幸せなほうなんだ。」とは思わないと思います。
むしろ「やっぱり私にしかこの気持ちは分からないんだ」と、心を閉ざしてしまう可能性もあります。
実際、私はそうでした。

私の父も9ヶ月の闘病生活の上で亡くなりました。心構えもしっかりできていたつもりです。
でも、父の心臓が止まった瞬間のことは未だに忘れられません。
足元が本当に崩れて、自分が砂になってボロボロこぼれてるような感覚でした。
悲しい、なんてものじゃ表現できないような感情なんです。
その時の感情は。。。やっぱり表現できませんね。不安や怒り、悲しみ、ものすごく辛い気分になったり、投げやりな気分になったり…とにかくいろんな感情が渦巻いていたような気がします。
私の弟は、父に対して怒りをぶつけていました。
感情をどう表現したらいいのか分からなかったのでしょう。「死にやがって!」と言いながら、よく壁を殴っていました。

>たまたま私が先に送ったメールで落ち着いたというものの、世間に対する恨みや怒りが湧き上がってくるのは、感情的になりすぎているような気がしました。
普段はそうでないご友人が、世間に対し恨みや怒りを抱いてしまうということは、それだけ悲しくて仕方がないのだ。とは思えませんか?
ご友人の話を心から聞いてあげてください。それがどんなに理不尽な事を言っていても、です。
私は、そうやって話を聞いてくれた友達のおかげで立ち直ることができました。

失礼な事も申し上げたかもしれません。お気を悪くなさらないでください。
参考にしていただけたら幸いです。
puentedecorazonさんも、ご友人のためにがんばってあげて下さい。
    • good
    • 9
この回答へのお礼

そうですね、私は割と何事も一生懸命になってしまうタイプなので、何かいい答えをしてあげなきゃ!と思ってしまっているのかもしれません。ありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2003/11/26 21:23

投稿ありがとうございます。

友人が身近な人を亡くして悲しみに暮れている。そんな友人に何ができるのか悩んでしまう。そんなお気持ちお察しします。

大切な人を亡くして悲しみに暮れてしまう。まわりの人が幸せそうに感じて,自分だけが不幸なように感じてしまう。こんな状態を精神医学的には,死別反応と呼んでいます。死に直面して悲しみに沈むとき,これを喪に服するとも表現します。人間,誰にでもあることなのです。「生まれてきたものは必ず死を迎える」そう頭の中の理屈ではわかっていても,実際に直面すると,哀しみが襲ってきます。

実際には,こうした哀しみは時間とともに薄れてきます。それを待つことも大事です。また,哀しんでいる人を支えてあげることも大切です。何かをしてあげると言うよりも,気持ちに共感して,崩れそうなときには支えてあげる。あとは時間が解決する。そんな感じで考えておけば良いのではないでしょうか? 友人共々,明るい日常にいつか復帰できることを祈っています。
    • good
    • 0

どのくらいの入院期間があって、どのくらい死別に対する心の準備があったかにもよって後遺症は様々に違ってくると思います。



死別に限らず辛さや、悲しさは抑えたりしないで、グリーフ・ワークという嘆きの作業をして、逆に吐き出してしまったほうがいいようです。その中には世間への理不尽な思いもあるし、やりきれないせつなさもあると思いますが、それでいいんです。腹の中に溜めておくよりは吐き出してしまったほうがいいんです。

きっとお友達も今頃、ネット等を通じて似たような境遇の人を探しているのではないでしょうか。
できるだけ価値観の同じ、似た経験をした仲間と嘆きの作業をしたほうがいいのだろうと思います。

puentedecorazonさんが無理をして、お友達の話に同意するのも辛いでしょうからpuentedecorazonさんはグリーフワークというのがあるということ教えて差し上げて、あとは今までどおりに接するのがいいかと思います。
図書館にいくと近親者の死別を乗り越えた体験談とかもありますからご紹介してあげてください。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

そうですね。同じ痛みを持つ人の体験談などは、少しでも癒しになるかもしれませんね。
友人に紹介してみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/26 21:35

過去に大切な人を亡くしました。


これはあくまでも私の場合ですが、、

>世の中にはもっと不幸な人が大勢いるのに、自分だ>けが不幸に思えるようです。
私はまさか"自分に限って"そんな事がおこるとは思いませんでした。
私よりも不幸な人はたくさんいるんだってことはもちろん承知でしたが、そこで"どうして私だけが"というよりも、
"なんでたまたま私なんだろう"とは思いました。

>大切な人を亡くしてしまうと、こういう心理状態に>なってしまうものなのでしょうか?
少しなります、、
いいえ、ほんとうはかなり錯乱しました、、
私の場合、時間がたってだいぶ冷静に心の整理がついたと思います。

今となっては自分にとってはとても大きな問題で
決して忘れてはならないとても大切な経験だったと思います。

>だとすれば、私にできることって何なんでしょう?
特に励ましの言葉を交わすわけではなく
今は何も言わずにそっと見守ってあげててください。
時間はどのくらいかかるかわからないけど
いつかは冷静に自分を取り戻してくれるよう願ってます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。親友だからと思って気負いすぎていたのかもしれません。温かく見守ってあげるという、静かな友情もあるんですよね。
貴重なご意見をいただき、感謝します。

お礼日時:2003/11/26 21:31

こんにちは。


 自分も大切な存在が亡くなってしまったことがあります。
 その時はともすればおかしくなってしまうのではないかと思われるほど、どうしようもない気持ちでした。
 そんな時、今振り返ってみて言えるのですが、「悲しいのね、泣いていいよ」という気持ちで話を聞いてくれ、もしくは側にいてくれる人がいたからなんとかやってこれたと思います。ありがたい存在です。

 ひとつ気になるのが「もっと不幸な人は大勢いるのに」ということです。例えば大怪我をしたとして痛くてたまらないとき、「自分よりひどい傷を負っている人は世の中に五万といるのだから大したこと無い」と痛みを割り切れるでしょうか。結局、どんな怪我をした人が他にいたとしても、今ここが痛いと感じるのは隣にいる人でも他の人でもなく、自分だけなのです。

 お友達は、今は「どうなの?」と思うような発言も含め、きっと色んな言葉を出して、そのうち心の整理がついてくるのでしょう。だから今はどんな話でもいいから聞いてあげるとか、そばにいてあげるのが良いと思います。もしくは少し時間をおいて、食事に誘ったり外に連れ出してあげるのも良いかと思います。

 結局は気持ちが大事なのだと思います。今から思うと取り乱していたのでとても恥ずかしくも思いますが、支えてくれた友人たちには心から感謝しています。

 乱文で申し訳ありません。ご参考になれば幸いです。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

ありがとうございました。自分の母親が癌になったとき、最初はつらかったけれど、例えば目の前で両親を殺された子供やもっと辛い思いをしている人がたくさんいるんだと自分に言い聞かせながら、歯をくいしばって生きてきたことと比較してしまったのかもしれません。辛い思いをしたとは言っても、私の母は今は一応元気になりつつあるので、根本的に状況が違いますね。反省することしきり、です。

お礼日時:2003/11/26 21:29

私も身近な人の死を何回か体験しています。



これは体験した人にしかわからないことです。
誰もが体験することだし、たしかに客観的に見たら「そんなに自分ばっかり不幸なように思わなくっても・・」って思うかもしれませんね。
でもそれはあなたが大切な人をなくした経験がないから、それを想像する想像力がないからです。少なくとも私は、自分がそういう経験がない時でも、友達や知り合いが「死」に直面することがあれば、悲しくって何も言うことができません。

人が死ぬ・・というのは「もっと不幸なことがある」というような問題じゃありません。

私は別に「自分が一番辛い」とは当時も思いませんでしたが、大切なのは立派な助言をすることでもなんでもありません。ただ「悲しいよね」「辛いよね」そう理解してくれることです。

私は自分が経験したことがあるからか、友達に不幸があったときもわざわざ助言やら同情はしません。「そっとしておいてあげる」のが一番いいと思うからです。友達が嘆いてきたら、怒りや弱みをぶつけてきたら、それを聞くに徹するのみです。

>大切な人を亡くしてしまうと、こういう心理状態になってしまうものなのでしょうか?

はい、そうです

>だとすれば、私にできることって何なんでしょう?

ただうなずいて聞いてあげるだけ

それが苦痛なら彼女に助言やら慰めのことばをかける必要はないと思います。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

私も母が癌で闘病しています。何度か最悪の事態を想像して落ち込んだことがあり、友人の気持ちを全くできないと言うつもりはありません。ただ、ここまで他人に対する恨みが大きくなることが少し理解しがたいと思った次第です。ご意見は参考にさせていただきます。ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/26 21:17

とっても近い人が亡くなると、やはりそのなくなったということを拒絶したいという心理状態がまず働くと考えられています。

その後、抵抗という時期になり、お友達はこの抵抗の時期にさしかかっているものと思われます。
なんで私だけという考えは、とっても辛くてという気持ちと比例して大きくなります。
その後、感情が落ち着いてくるとお母様も死を受け入れ、前向きに気持ちが進むと考えられます。

友達の側にいてあげるだけで多分お友達も今はいいのではないでしょうか。
そのうち感情を素直に外に出すことが出来るようになると思います。今はそういう手紙を書いたりして、心の整理をつけようと彼女自身も辛い思いをしているのです。

私の義母の場合はやはり長女を亡くし1年程かなりないてばかりいました。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

やはりいくつかの段階を経て立ち直って行くのですね。貴重なご意見をありがとうございました。

お礼日時:2003/11/26 21:13

初めまして。

私が感るままに回答したいと思います。

身近な人が亡くなると言うのは本当に悲しい事です。
悲しみのあまりに自分の心のコントロールしにくくなってしまいます。
最愛のお母様との親子関係の良さが彼女の悲しみを深めてるのでしょう。
病気のことも、死も・・・受け止めきれず感情的になってしまってるのではないでしょうか。
精神的な衝撃がおおきい時の言動は、本人自身も覚えていない事があります。日頃の理性を失ってしまうのですね。

貴方は、彼女のそんな気持ちをただひたすら聞いてあげてください。辛いでしょうけれど、彼女の心を聴いて傍にいてあげてください。言葉は必要ないと思います。「辛いね」「悲しいね」と・・・それでいいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。誰かに聞いてもらうだけで救われることがありますものね。下手に気を使わずに、じっくり聞いてあげることにしたいと思います。

お礼日時:2003/11/26 21:10

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!