「何故、世の中ではこうも理不尽な事件や事故が起きているのか?」まともな知能
と良心がある人なら誰でも考えたことがあることだと思います。私も日々考えてお
ります。話し出せばきりがありませんが、結論だけ言わせて頂きますと、やはり、
宇宙法則が不完全だからではないかと思います。
皆様のご意見をお待ちしております。

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A 回答 (24件中21~24件)

たしかに最近殺人事件のニュースとか多いですけど、まだまだ世の中捨てたもんじゃないと思いますよ。

僕の周りには立派な人・尊敬すべき人がいっぱい居ます。
だいいち悪い事がニュースになるって事は、世間一般からすればニュースにすべき稀有な事の範疇に入っている訳で、「ぬいぐるみの帽子をかぶった人が殺人」を犯しても誰も騒がなくなったら、それこそどうしようも無いって事じゃないでしょうか?

この回答への補足

そうですね、立派な人・尊敬すべき人がいることで、世の中まだ捨てたものじゃ
ないというのは同感です。
でも、被害者当人、近い人にしてみればどれほどの苦しい、悔しい、無念
なことでしょうか。私はこのようなことが起ってしまうこと自体がおかしいん
じゃないかということを問題視しています。

補足日時:2001/05/05 00:36
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固定概念にとらわれているのではないでしょうか?


いったい何が理不尽であるとだれが、断定できるのでしょうか?
誰一人としてものごとの事象を説明することはできない。ただ唯一いえるのは考えている自分がどこかに存在しているということだけ。。
この考えもあやしいものがありますが。自分が現在考えている状態はまわりからの状態によって決定されているとすれば、自分でかんがえているような機械といっしょだということになりますからねえ。
何が普通なのですか?何が異常なことなのですか?
そのような考えは自分中心にしか考えていないためじゃないでしょうか。本当の第三者的目線からみれば、それなりに見えてくると思うのですが。

この回答への補足

あれこれ考えていますので、固定観念にとらわれている訳ではありません。
確かに、すべてを知り尽くしたわけではないのに、総合的に、究極的に何が正し
い、間違っているとは言えないのではないかという考え方はあるかもしれません。
しかし、部分的なことが間違っていて(不当)、総合的には正しい、究極的には正
しいというようなことがあるでしょうか。そんなことがあるとすれば、それこそ
他が不当にどれだけ苦しんでもよいとする、自己中心的な存在を認めることにな
るのではないでしょうか。
また、自分中心にしか考えていないというのは全く心外です。自分が善人だと
言いたいわけでもなんでもないですが、逆に自分中心にしか考えない人間は
このようなことは考えもしないと思います。

補足日時:2001/05/05 00:15
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 宇宙の法則は、たとえ不完全であっても、完全です。


 別にキリスト教の最善律やら無謬律やらを持ち出すまでもない。たとえ宇宙の法則が、どこか不完全に定められているとしても、この宇宙はその定められた法則によって営まれているわけですから、「その法則がすべて」としか言いようがありません。既存の法則に、新たな何かが付け加わる可能性を認めるならば、話は別ですが。
 また、宇宙の法則と人間社会における理不尽な事故・事件とを直接結び付けることも、問題を過剰に単純化してしまうように思えます。

 ご質問の内容だけでは、hioxさんの問題意識が今一つ不分明です。もう少しお考えをお示しいただけますか?

この回答への補足

失礼ですが、不完全であっても、完全です、というのは矛盾しているように思われ
ます。何が完全で、何が不完全と仰られているのか教えて下さい。完全というの
は、数学的、科学的に正確、普遍、不変というようなことでしょうか。
私が言いたいのは、例えば、コンピューターゲームの世界がプログラムによって
展開が変わってくるように、法則が違えば、当然、違う世界が展開されるはずだ、
それがもっと優れたものであれば、利害がぶつりたり、矛盾したりせず、無闇な
苦しみや不幸がなくなるのではないかということです。もちろん、それは人間の
みならず生物が受けている苦楽が必要性があるものなのか、どんな意味があるの
か、というようなことも考察した上で、やはり、それは、正当なものと不当なも
のがあると言わざるをえないだろう、というようなことも考えた上でのことです。
また、問題を単純化し過ぎているというより、打つのが面倒だっただけです。(笑)

それから、宇宙法則は改良したり、付け足したりできるものなのかということも、
私もよく考えますが、同じような疑問をもたれる方がみえて、ほっとしました。

補足日時:2001/05/04 23:42
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宇宙法則が不完全だから、理不尽な事故や事件が…というのは、ちょっと突飛すぎてよくわかりません。



 事件や事故が起きるのは、当人の問題とそのときの環境の問題…などが関わっているように思います。

 ちなみに、犯罪心理学には次のような要約があるそうです。

 V=f(aeP・ctU)

V:犯罪行動  ae:人間が先天的、後天的に持っている要素  P:人格
ct:犯罪を行うときの環境と犯罪者が育った環境   U:環境一般

 すなわち、犯罪行動は、人と環境をファクターとする関数で表現される…

法則でわかっているからといって、現段階で撲滅するに至っていない部分もあるかも…とも思うのですが。
 ま、だから不完全だといえば、その通りなのかもわかりませんが…

この回答への補足

問題提起から、いきなり結論だけ言っておりますので、突飛と言われるのも分かり
ますが、もちろん、いろいろと考えた上での結論です。

私がいいたいのは、科学的な原因がこれこれこうで、こうだから、こうなるのだ、
というのではなく、その原因が善悪でなく、苦楽がもたらされることが、おかしく
ないくはないかということです。それが、ちょっとしたことならいいかもしれませ
んよ、でも、実際はもっと深刻ではありませんか。

補足日時:2001/05/04 23:30
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「全ての結論は間違っている」という結論は正しいのか、否か…。
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どなたか、ご教授をお願いいたします。

Aベストアンサー

すでに、全称命題の復習をされたらいかがという、適切と思われるアドバイスが出されていますが、念のために。

「結論」という件を横に置く為に同等な例を出しますが、

命題A)すべての命題は偽である。
をちょっと考えて見ましょう。
命題Aは偽です。自己言及形の命題ですが何の問題もありません。
この命題Aを何らかの手段で証明しようとして、例えば、命題Aを真だとすると、などと考えると、そこでいきなり終ってしまうので、面食らうことはあるでしょう。それだけのことであって、パラドックスでも何でもありません。証明をする必要がないくらい自明な、「偽の命題」であったというだけのことです。元々命題には、「真の命題」と「偽の命題」が在る。

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P)全ての結論は間違っている
は、「結論」と呼び得るものとは何かという厳密な話をする必要もなく、偽です――なぜか――。結論が「偽」であるケース、即ち結論が間違っている場合はあるでしょうが。
したがって、
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――もっと簡単な話としては、
我々が或る命題を「結論」と呼ぶのは、我々が正しい命題というものを持ち得る=在る、と考えていることを基礎としている訳だ。したがって、「全ての結論は間違っている」と誰かが言えば、「そんな、アホなことを」、で終わりでしょう。

すでに、全称命題の復習をされたらいかがという、適切と思われるアドバイスが出されていますが、念のために。

「結論」という件を横に置く為に同等な例を出しますが、

命題A)すべての命題は偽である。
をちょっと考えて見ましょう。
命題Aは偽です。自己言及形の命題ですが何の問題もありません。
この命題Aを何らかの手段で証明しようとして、例えば、命題Aを真だとすると、などと考えると、そこでいきなり終ってしまうので、面食らうことはあるでしょう。それだけのことであって、パラドックスで...続きを読む

Qどこで人工知能と人工知能もどきを分けると考えますか?

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入力:1+2=
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頭の中には電流が流れていますが電気の有無では分けられないですよね?

電卓などは人工知能と認めないというのであれば
何が出来たら人工知能なのでしょうか?

またクローン人間は人工知能であると考えますか?
xinmanはある意味究極の人工知能であると考えてます。

質問の要点は
「どこで人工知能と人工知能もどきを分けると考えますか?」
です。

みなさんの考え方をお聞かせください。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

人工知能の定義については、哲学者の間でも定説はありません。確かに人間の知能の一部を代替する機械、という意味なら電卓は人工知能ですが、それをAIだという人は誰もいないでしょう。電卓には計算以上のことはできないからです。

算盤は自動的に何かをする事はありません。人間が一つ一つの手順を与えて始めて演算ができます。こういうデバイスを通常、我々は「道具」と呼びます。道具は人間の知能活動を支援してくれる装置ですが、これもAIとは呼びません。なぜなら人間が関与しなくなった途端、それはたちまち動きを止めてしまうからです。自律的ではないのですね。

AIとは、人工的に作られた知能、ということです。この人工、という意味は「生物的行為」は含まれていません。従ってクローン人間は人工知能とは言えません。「子作り」を「ロボット製造」と呼ばないのと同じ理由です。

では何がAIかというと、古くはチューリング・テスト、というものが唱えられました。これは心理学の行動主義に基づいた考えで、外側からみて人間らしい反応を返すようであれば知能があるとみなす、という概念です。

しかしこれに対してドレフュスら伝統的哲学者は痛烈な反論を浴びせます。その一つが「中国語翻訳問題」というもので、全く中国語が分からない人に辞書と翻訳手順書だけを与えて翻訳させ、その翻訳文が意味が通っているとします。その場合、その翻訳者は中国語を理解したといえるでしょうか?

チューリングテストによれば、それは「理解」とされますが、我々は通常そのような行為を「理解」とは呼びません。それは「機械的」「鵜呑み」といわれ、知能とは異なるものとされています。この辞書と翻訳手順というのは、知識とルールという人工知能の基本概念の事を比喩したものですが、中国語問題はそのようなやり方では知能は模倣できない、ということを示したものです。

しかし、この事はある重大な帰結を示唆していました。それは「外側から知能を理解することはできない」という事です。技術が進み、人間の神経網を細部まで模倣するデバイスができたとしましょう。しかし、そのデバイスが人間と同じ知能や感情を持っているとは、誰も分からないし、知ることもできないのです。なぜなら、誰もそのデバイスの「心」を感じ取ることはできないからです。(我々が他人の心を知ることができないのと同じ)

コウモリの比喩はその辺の事情を言い表しています。コウモリAとコウモリBは同じ脳神経を持っていますが、Aが青と感じる神経に、Bは赤と接続しています。しかしBは赤と感じる神経は青という出力回路に接続しています。つまり、同じ「青」という入力を与えても、AもBも「青」と答えるのです(Bは赤、と感じるのに)。外側から見れば両方とも青という意味を理解しているように見えますが、実際はその内部で異なる理解のされかたがされているのです。

この事を突き詰めて考えていくと、デカルトのコギトにぶつかります。自分の思考だけを頼りに思索を進めていくと決して他人の脳は理解できない、つまり近代哲学はある点で飛躍を行わないと脳科学に踏み込んでいけないのです。そこで脳科学者たちは「同じ神経構造なら同じ知能を持つ」という仮定をおいて研究を行っています。それが正しいかどうかは科学の範囲内の話ではないので、あくまで仮説ですが。

元に戻ってチューリングテストだけでは不十分だと悟った哲学者たちは、次に指向性、という概念を持ち出します。これは現象学絡みで出てきた言葉ですが、知能の本質はあるものに対する執着である、という考えです。物質は物質に執着しません。氷山は船に執着しません。我々が氷山について考えたり、思ったり、船にぶつかったりすると興奮したりするのです。言い換えれば、そのような執着を人工的に作り出すことができればその装置には知能があるとみなす、という事です。

その他にも認知言語学からのアプローチもあり、さまざまな主張が飛び交ってますが、知能という概念は近代哲学の根本に直結する難しさもあって、論争のための論争状態が続いています。従って、ご質問の回答にたいしては「明快に分けられる基準はない」ということでしょう。生物と非生物の境界みたいなものですね。

ただ、工学的、実用的基準からいえばチューリングテストで十分でしょう。機械は使えればいいのであって、それが何を思おうと、ユーザには無関係なことですから。

人工知能の定義については、哲学者の間でも定説はありません。確かに人間の知能の一部を代替する機械、という意味なら電卓は人工知能ですが、それをAIだという人は誰もいないでしょう。電卓には計算以上のことはできないからです。

算盤は自動的に何かをする事はありません。人間が一つ一つの手順を与えて始めて演算ができます。こういうデバイスを通常、我々は「道具」と呼びます。道具は人間の知能活動を支援してくれる装置ですが、これもAIとは呼びません。なぜなら人間が関与しなくなった途端、それは...続きを読む

Q【コグニティブ・人工知能を使いこなす知能が人間に必要】コグニティブってどういう意味ですか? 人間側

【コグニティブ・人工知能を使いこなす知能が人間に必要】コグニティブってどういう意味ですか?

人間側に人工知能を使いこなす知能が必要になってきた。

コグニティブ時代。

スマホも使いこなせない定年退職組の親世代はもう時代に置いていかれる運命なのでしょうか。

自分も30年後の60代になったときに今の高齢者や老人のように意味も分からず、使い方も分からないスマホを持たされてお金だけ取られていくみたいになってるのでしょうか。

人工知能を使いこなす知能が人間側に必要と言われてちょっと不安になってしまいました。

時代に取り残されている大人って働いている世代でもいっぱいいますよね。。。

時代に着いていけてないのにビジネスを引っ張っていけるわけがない。

Aベストアンサー

>コグニティブってどういう意味ですか?

直訳すれば「認知」です。膨大な情報を取り込んで傾向を分析して、成功事例のノウハウやより正しいと思われる答えを出すために、必要とされる「認知」能力のことを指しています。

>人間側に人工知能を使いこなす知能が必要になってきた。

完璧じゃありませんからね。信号制御なら定められた時間間隔で正確に信号を青、黄、赤に切り替え、また夜間には赤点滅とかに切り替えます。そのアルゴリズムは明確で正しく実装できて、また実装される側の仕様上の制限に抵触しないならば、完璧なシステムです。
認知や判断のロジックには何を手本とするかですが、偏りはあります。各国の法制度を理解してその枠の中で最適解を出すことはできそうですが、国際間取引に視野を広げると個別最適解の集合には矛盾が生じます。調停ロジックは組み込めるでしょうが、何を優先して判断するか等は人間が外側から働きかけないと駄目でしょう。メーカはそれもコグニティブでできると言うとは思いますが、「米国のルール=国際ルールとする」とか大雑把で乱暴なロジックを入れてくるか、その場限りで上手くいった事例を最適解で入れてくるぐらいでしょう。

>スマホも使いこなせない定年退職組の親世代はもう時代に置いていかれる運命なのでしょうか。

「頭が良いけど人の気持ちが理解できていない小僧が躓いたときに、道を示してあげる」という仕事でしょうから、別段置いていかれることはないでしょうが、出来の悪いインタフェースに付き合わなければならなかったり、癖のある言語を使わなければならないとしたら、あのUIを最高と信じている「スマホを使いこなせる世代」にしか対応できないかもしれません。

>自分も30年後の60代になったときに今の高齢者や老人のように意味も分からず、使い方も分からないスマホを持たされてお金だけ取られていくみたいになってるのでしょうか。

30代の方でしたか。新しいものへの対応は加齢とともに難しくなるでしょうし、それと誤認させる詐欺的手法にも騙されやすくなるでしょう。
しかしながら、一番大事なことは、下記のような取り組み姿勢ではないでしょうか。
 「正確な判断を下すために、より多くの正しい事例を知ること」
 「正しい事例を知るためには、より多くの事例を入手し分析すること」
 「より多くの事例を入手するためには、自身のアンテナを高くしておくこと」

でも、上記はコグニティブの弱点そのものです。「情報をたくさん集めるためには多くのデータを保存しておくための領域がたくさん必要(ディスクがより売れるのはメーカには◎、ユーザには×)」、「情報が多くなれば分析にはよりコストがかかる(より高性能なCPUが売れるのはメーカには◎、ユーザには×)」、「情報の取捨選択判断こそが難しい。性善説なんて成り立たない(これはメーカもユーザにも難しい)」等々。

こういうことを考えつつ下記の推進者が提示する情報を見ると、実に白々しく都合の良い薔薇色の未来を語っていると思いませんか?

http://www.ibm.com/cognitive/jp-ja/outthink/#

ビデオでは白血病の論文、他言語の習熟、法令の施行、過去20年の財務報告等が例として出されています。全ての論文、情報が価値のある内容でしょうか、糞みたいな嘘論文が精査されずに混在している可能性もあります(というか、よくあります)。言語は変遷変化しますが、大筋参照回数や出現回数が多い語を正とするでしょうから、発信情報が多い世代の情報が重み付けされ、特定世代の偏った単語や文法を「正しいもの」と判定することがあります。過去の情報は言語分析アルゴリズムが正しければ書いてある通りに理解するでしょうが、それが間違っていたり、TPOを判断できていなければ全く別の意味に解するかもしれません。

既にお気づきでしょうがコグニティブは、多数決は正しい、誤情報はほとんど無いということを前提にしている感があります。なので「ワトソンなんて機能しない。あれは多変量解析に過ぎない」という情報を意図的に広めてそれが多数派になれば、ワトソンは「ワトソンなんて機能しない。あれは多変量解析に過ぎない」と言い出す訳です。そこで外部から「ワトソンなんて機能しない」、「ワトソンは多変量解析である」という情報を取り込ませないか取り込んでしまったら破棄するよう教えこまないとならない訳です。

>人工知能を使いこなす知能が人間側に必要と言われてちょっと不安になってしまいました。

集合知を傾向分析して最適に近い結論を出しているに過ぎない、単に計算が速いだけのものですから、補正してやるのは人間側の分担です。

>時代に取り残されている大人って働いている世代でもいっぱいいますよね。。。

30代という若手から中堅に達する世代の割りには、自身の情報収集アンテナを高くするという努力をするわけもなく、目の前にいる「時代に取り残されている大人」を自分の何十年後かの姿を自覚できずにディスっているようでは、既に枯れてしまっているのではないですか。

>時代に着いていけてないのにビジネスを引っ張っていけるわけがない。

自戒ですか? それとも自覚したのですか?

>コグニティブってどういう意味ですか?

直訳すれば「認知」です。膨大な情報を取り込んで傾向を分析して、成功事例のノウハウやより正しいと思われる答えを出すために、必要とされる「認知」能力のことを指しています。

>人間側に人工知能を使いこなす知能が必要になってきた。

完璧じゃありませんからね。信号制御なら定められた時間間隔で正確に信号を青、黄、赤に切り替え、また夜間には赤点滅とかに切り替えます。そのアルゴリズムは明確で正しく実装できて、また実装される側の仕様上の制限に抵触しな...続きを読む

Q【人間の人生最大の幸せを高僧が考え抜いて出した結論が「睡眠」だった】 寝ることが人間にとって最大の幸

【人間の人生最大の幸せを高僧が考え抜いて出した結論が「睡眠」だった】


寝ることが人間にとって最大の幸福らしい。

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人間の最大の幸福は動いている時ではなく止まって静かに静のときが1番幸せってなんだかなあって唸ってしまう。

Aベストアンサー

今まで考えたこともなかったですが そう言われるとそうかもしれないと思いました。
例えば痛みのある時 病気で苦しい時 悩みがある時 興奮してる時…そう言う時って眠れないですよね?

眠れるっていう事は 気絶するのでなければ 少なくともそういう状態から一瞬でも逃れ、 敵のいない ある程度安心した場で満たされている状態であるとも言えます。

人間の3大欲求 (睡眠欲 食欲 性欲) この中で何が一番奪われると苦痛かといえば睡眠欲だと聞いたことがあります。
拷問で『眠らせない』というのもあるとか…

意識のない『眠る』という行為はある意味『死』にも似ている
生まれ出ずる前と、死してどこかに還るという考えからすれば 眠るというのはそれに近い状態であるから幸せなのだという事なのでしょうか?
哲学的というか、宗教的な感じもしますが 納得できる話に思えます
お答えになってなくてすみません。

Qどうして世界ははこうも上手く行かないのか?

世の中うまく言ってると思いますか?

国政的に 経済的に 仕事の面で 心の問題として

上手く行ってるのでしょうか?

商業競争で人手不足 保育 看護 介護で人手不足

世の中なんで上手く行かないのでしょうか?

不条理な事も多い

Aベストアンサー

「世の中・・・・国政的に 経済的に 仕事の面で 心の問題として上手く行ってるのでしょうか?」
⇒うまくいっているとは云えないでしょうね。

「商業競争で人手不足 保育 看護 介護で人手不足 世の中なんで上手く行かないのでしょうか?」
⇒逆に云えば、そもそもうまくいくはずがないのでしょう。

つまり、うまくいくような教育(家庭教育、学校教育、社会教育)もないですし、実際の社会でもうまくやろうよ、と考えている人は少ないと思います。

日本は戦後民主社会に向けてきましたが、実態は受験でも、企業でも、激しい競争の中にあります。
そんな中で、”自分だけうまくやろう”という国民がほとんどでしょうね。


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