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お世話になります。

東京を皇居・東京駅を中心とすると、(皇居・官庁街・大使館街のある千代田区、港区、中央区は別格として)
西側地域(世田谷区、杉並区、渋谷区、新宿区、武蔵野市、三鷹市、国立市、国分寺市、調布市)は居住地として人気が高く、
「金持ち、小金持ち、ハイソ、高学歴、幸福な人たちが住んでいる」
というイメージがあります。
対して北区、足立区、葛飾区、江戸川区、江東区、台東区、墨田区あたりの「皇居から見て北東地域」は
「貧乏、下町、都内の田舎、メンコ、ビー玉、神社、寺、お祭り、お神輿、寅さん、両さん、場外馬券売り場、浮浪者」
という感じがします。

なぜ東京西部は人気居住地なのでしょうか?
いつごろから金持ちは東京の西側にすむようになったのでしょうか?
東側に住んでいる金持ちはいないのでしょうか?

(あ、別に東部居住者をバカにするつもりはありません。私も、
「お神輿、寅さん、両さん、場外馬券売り場、浮浪者」
のイメージの街に住んでいたことがあります)

gooドクター

A 回答 (7件)

こんにちは。



生まれも育ちも東よりです、現在はやや西より。

西よりがこれだけベットタウン的に拡大したのは(ベットタウンだけではないですが)
やはりなにも無かったからではないでしょうか。
宅地開発などは何も無いところから始めるのが楽です。一人の地主さんから畑を買収すれば
済みます。東よりでは沢山の地主からこまごました宅地を沢山買ってまとめないとなりません。
広くて何も無かったからだと思います。

あと私鉄の発展でしょうか、西だと山手線から連絡する私鉄が沢山ありますが東は京成ぐらい、
東武は山手線とは無縁、私も山の手と言うと新宿渋谷から私鉄を少し乗った辺りを指すのでは、
と漠然とイメージしています。

標高の違い。
東よりは標高が低いです、昔の言い方だと海抜ゼロm地帯、だから水害があり地盤も緩い。
標高の高いとこだと水害の心配も無いし関東ローム層と言う良好地盤が多いです。
関東大震災で同じ下町でも墨田台東に比べお隣だけど標高の高い文京区は被害は少なかった。

西は地方出身者が多い。(大学の西方移動)
30年ぐらい前かと思いますがお茶の水にあった中央大学が八王子に引っ越しました。
それに連れて大学の西方移動が起こります、連れて地方出身学生はその近くに住みます。
その学生さん達が東京圏で就職しよう、永住しよう、と考えた時どこに住むか?
やはり慣れ親しんだ地域を選ぶのではないでしょうか。
私の高校時代の友人はみんな東の生まれ育ちで現在は代替わりして昔と同じ所に住んでます。
ところが大学時代の友人たちはみんな地方出身でほとんど西よりに住んでいます。
ですから地方出身者が西よりに住まうことが多い、と言うのも原因の一つかと考えます。

以上が西が人気居住地?と言うか人が集まる理由です。
次の金持ちが西に寄った時期、東金持ちの有無 と言うのは良く解りません。
西に沢山の人が移動してその分金持ちも増える傾向にあるとは言えると思います。
東に金持ちがいないのか、私の付き合いの中ではいません。

でも本当の金持ちは意外と手付かずの山手線の中に多く文京区などに
スンゴイお宅がまだまだ残っています。本当の金持ちと言うか昔からの金持ちが。

――――以上
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>西は地方出身者が多い。(大学の西方移動)

大変納得のいく、よくわかる解説です。
地方私大、地方国公立大よりも、中央(首都の意味)の大学の方が偏差値が高い。
そういった彼らが首都圏の企業に勤めた場合、高給取りとなる可能性は高い。
その彼らが一戸建てを立てる際に、東京西部地域は重要な候補地となる可能性が高い。
全てがイコールで結ばれるわけではありませんが、非常に説得力のある学説です。
反対の現象を表せば、東京北東部は、代々続いた江戸っ子が多い、大学卒業者が少ない、
所得が低い、自営・中小企業勤めが多い、となるわけで、これまた一致しますね。

>でも本当の金持ちは意外と手付かずの山手線の中に多く文京区などに
スンゴイお宅がまだまだ残っています。本当の金持ちと言うか昔からの金持ちが。

確かに。音羽とか護国寺周辺とかお茶の水女子大、日本女子大学周辺ですね。
まあ、あの辺りは千代田区、中央区、港区と同じく、「別格」ってことで。

お礼日時:2011/12/10 19:46

簡単なことです。

東京の北東部は明治時代の土地代が安い頃に開発されつくされたのです。だから貧乏人でも住み着くことができた。それに対して東京の西南部は武蔵野の原生林か畑作地帯で全く開発されませんでした。

だから鉄道なんかも北東部の方が敷設が早かったのです。明治時代に日本鉄道、水戸鉄道、総武鉄道などが開業しています。それに対して西南部は甲武鉄道だけでした。

また北東部は、東京市電のテリトリーでもありました。北東部で鉄道国有化の後に開業した東武伊勢崎線や京成本線が山の手線の駅にターミナルを設けることができなかったのは、それが東京市電のテリトリーを侵すことになったからです。後に京成本線だけはなんとか上野駅まで延伸させましたが、これも政治家を賄賂で買収して大変な苦労があったのです。東武の浅草、京成の押上は第一次世界大戦前の日本の産業構造が変換する前から栄えていた古いターミナルで東京市電と接続する場末でもあったわけです。

それに対して西南部は、第一次世界大戦後の産業構造の変換と共に鉄道・宅地とも開発されました。東京市電も甲武鉄道の荻窪駅と結ぶ路線しかなかった。要は西南部は古いしがらみもなく、既得権者の妨害もなく新興の鉄道業者が宅地開発や遊園地や大学や競馬場などを誘致しながら路線を敷設することができました。だから西南部の私鉄は、池袋・新宿・渋谷といったターミナルに接着することができました。

結局のところ、北東部と西南部の違いは金持ちがどうとかいう問題ではありません。北東部に強い国鉄は長い間、長距離輸送、貨物輸送に注力していて沿線の短距離輸送に力を入れてこなかったのと、私鉄の東武、京成は既得権者との利害調整や古いしがらみとの戦いに多大なエネルギーを奪われ、沿線を開発する余地もなく、貨物輸送や参拝輸送に力を入れていたので、どうしても古いイメージが抜け切れない。

それに対して、未開発だった西南部はイメージ戦略、ブランド戦略で旅客の誘致の為の経営努力が必要であった為になんとなく良いイメージが伴っているわけです。

例えば東武や京成は、何年もかけて路線を延長開業させています。鉄道用地の買収に苦しんだということです。それに対して小田急線は、あの長大な路線を関東大震災のどさくさに便乗して安く買い叩いて一気に全線開業しているのです。しかし開業しても客がいない。だから小田急は東海大学、明治大学、成城大学、松蔭大学、玉川大学、日本大学、東京大学、専修大学、和光大学などを誘致したり、箱根観光を開発したり、向ヶ丘遊園を開園したり様々な旅客誘致の努力を行ったわけです。

そういったことが沿線イメージの差につながっているのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

詳細な分析ですね。感服いたします。

お礼日時:2011/12/13 21:54

最大の理由は地形によるものです西側が台地であるのに対して東側は低湿地帯ですから本来住環境としてはよろしくない。




関東大震災後に中央沿線(荻窪あたり)に中産階級が移住してきたのが最初でしょう。
ホワイトカラーは丸の内などに電車一本で通勤できることと比較的安価に広い土地を取得できたので移ってきたようです。
これに対しブルーカラーはまだ電車通勤の概念は無く就労場所から徒歩圏内に住むのが一般的でしたので工場などが多い東側に居住することが多く棲み分けが見られるようになって来ます。

その後私鉄による分譲地の開発 目黒蒲田電鉄→東京急行による田園調布、箱根土地→西武鉄道による大泉学園、国分寺などで人口が増えて行きます。
この場合東側の東武鉄道、京成電鉄等では開発適地が少ないこと路線上に既成の都市が存在したため土地開発には消極的でした。

さらに第2次大戦後では壊滅的被害を受けた東側をさけ比較的被害が少なく軍用地が宅地として払い下げられるなどの要因も加わります。

職場と住居を容易に切り離せられるのはホワイトカラーだけですから現在のような棲み分けが出来てきた事になります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
よくわかりました。
私鉄の沿線開発が理由の一つなんですね。

ホワイトカラーは電車通勤、ブルーカラーは徒歩通勤。今まで考えたこともないですが、言われてみればそんな気もしますね。

お礼日時:2011/12/12 08:52

東京の住民のほとんどは、地方出身者か、地方出身者の子孫です。


経済的に余裕のある関西出身の人が関西からの近い方角にある、西側に好んで住みたがったから、徐々に高級なイメージができたとの説を聞いたことがあります。

東京の人にとっても、鎌倉、湘南というのは高級なイメージですね。
東京人の西への憧れは、京、大阪、神戸など関西圏に対する劣等意識の裏返しとも言えるかもしれません。

こういう価値観は過去のものとなりつつあるのでしょうが、地価の西高東低は相変わらずですから、都心で働く人は埼玉方面、市川、取手などに住めば同じ家賃でも近かったり、広い家に住めたりしますから、お得だとおもいます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

関西から来た人は東京の西側に住んだ方が里帰りに便利ですもんね。

>東京の人にとっても、鎌倉、湘南というのは高級なイメージですね。

売れっ子芸能人とか政治家とか大企業の役員などの高収入の人でそのあたりに住んでいる人も多いですね。

お礼日時:2011/12/11 02:27

まず第一に住宅地としての質の違いがあります。


家を建てようとした人は知っていると思いますが、東京西部の武蔵野台地は地盤が非常に安定しています。
最も条件の良いところは地表すれすれまで安定した地盤のため、地盤改良も必要なければ、家の土台を直接地面に構築することができます。
一方東京の東側は地盤が安定しておらず、地下数十mくらい下まで掘らなければ安定した地盤にたどり着けません。
マンションのような大規模開発ならば50mの巨大な杭を何十本も打ち込んで安定層に基盤を作ることもできますが、一戸建てなどの場合はそこまですることができませんよね。
つまり、地震が来ても大丈夫という安心感を得るために西側の方が人気になるわけで、そうなるとお金を持っている持っていないでどちらの人たちが「良い地盤の土地」を買えるかが決まるわけです。

しかしながら最近はちょっと事情が変わってきて、東京の東側はどんどん再開発が繰り返されています。
大規模マンションと大規模ショッピングモールが作られ、新しい人たちが流入してきています。
それこそ何十年も前に東京の西側のニュータウンが開発されていた時と同じような状況ですね。
街の新しさ、施設の新しさで言うと、最近は例えば人気の吉祥寺あたりのショッピング施設と東京東側のショッピング施設では、後者の方が断然きれいですし、バリアフリーであったり、ベビーセンターなども吉祥寺あたりでは「とってつけた感」が強いですが、東側では最初から設計して作られているので便利です。

質問者さんのイメージは再開発が進んでいない地域のイメージですが、徐々に減って来ているのが現状ではないでしょうか。
#と言ってもイメージが払拭されるのはまだまだ先のことだと思いますが。。。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>しかしながら最近はちょっと事情が変わってきて、東京の東側はどんどん再開発が繰り返されています。
大規模マンションと大規模ショッピングモールが作られ、新しい人たちが流入してきています。

湾岸地域ですね。最近ではおしゃれに「キャナル族(運河族)」とか言うらしいですね。東京駅から都バスに乗って有明ビッグサイトに行く際にそのあたりを通ります。大規模資本が金にモノ言わせて超巨大なショッピングセンターをバンバンおったてているのを見ていると、それなりに「メガロポリスTOKIO」的な畏怖は感じます。しかし正直「品の良さ」は感じられませんな。また、それらに興味を惹かれてその周辺の超高層マンションに入居する人類も、東京西部地区に居住する人類とは異なる家族構成、異なる世代のようです。

>質問者さんのイメージは再開発が進んでいない地域のイメージですが、徐々に減って来ているのが現状ではないでしょうか。

そうね、金妻時代のたまぷらーざあたりのイメージが染みついてるかも。
それにしてもたまぷらーざって名前は何だ?

お礼日時:2011/12/11 02:19

「東京台地になっている」というのは、おわかりになりますでしょうか。



山手線の田端のあたりがわかりやすいですが、崖のようになって、そこからはストンと地面が低くなっています。

土地がひくくなっていて、大洪水があると、以前はよく浸水していた地域です。
今はそのようなことが少ないので、不思議に思うかもしれませんが、台風が来ると浸水してしまうような地域は、大切な財産を保管するのには適していません。

また、空襲で焼けて、多くの人が苦しんだ場所とか、関東大震災のときに崩れた地域を知っている人は、そのころ被害の少なかった地域に住みたいとおもうのが、当然でしょう。

湾岸地域も、たとえ高級住宅街であっても、今回の震災で液状化したようなところは、資産価値に不安がありますので、選びたくないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

西部地域は災害につよい地域なのですね。

お礼日時:2011/12/10 19:30

浮浪者の意味が今と昔では大きく異なります。


浮浪者でも今の路上生活者とは異なり、昔は職が無いだけで仕事を欲していた港湾の日雇い労務者が多かった。しかし、東京の港湾業務が減ると失業してしまっただけです。
また、昔の東京は23区内より小さいので、下町の寂れた地域に集まっただけです。
昭和初期までは世田谷区だって農村地帯、多摩にいたってはきつねやたぬきしか居ませんよ。

湾岸地域も豊洲など大規模開発で富裕層を相手の不動産会社がマンションを建てましたが。
今回の地震で高層ビルの欠点が露見し、しかも下層は津波の危険もあるうえ、東京湾北部地震の震源近くという事もあって人気は陰っています。

東京が小さかった頃は会社でもゆっくり出て行けた役職階級や自由業が大森などに住んでいたり別荘を構えていました。
やがて東京が大きくなるにしたがって彼らもドンドン外側に移って行きます。今では川崎や横浜の私鉄沿線が同様になっていますが、一般人の急増で昔と異なり混在するようになりました。
つまり、東京西部は少し前の新興住宅地で人気があったわけです。

今回の震災以降、地盤の丈夫な場所、津波被害の及ばない高台が人気を博しました。
そこで目をつけられたのが固い地盤があり津波被害の及ばないであろうこれらの地域です。
でも実際には調布近辺には巨大な活断層があるのですけど、当初は誰も考えていなかったんですね。
俄か知識で風評に左右される人間が東京西部に群がったということです。

ちなみに今下町ふぜいを楽しむと言われている辺り、浅草寺以北や葛飾区などは江戸では江戸外、戦後までも府外で、下町でも何でもありません。ただの田舎です。
もちろん北西部も世田谷区や新宿などは江戸の外です。港区も半分は江戸ではありませんでした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/12/10 19:29

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