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ハルノートが太平洋戦争のきっかけになったとききましたがハルノートとは何ですか

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株価 戦争」に関するQ&A: 戦争と株価

A 回答 (3件)

ハルノートの内容については、他の方が


回答してくださっているようです。

1,経緯
1930年の大不況のため、米国の株価は1/10
GDPは半分に、失業率は30%近くに達しました。
背後には社会主義の足音まで聞こえます。
このままでは体制が崩壊しかねません。

それで米国はどうしても戦争をやりたかったのです。
その為、ハルノートを日本に叩きつけました。
「あんなことをされたら、モナコのような小国でも
 武器を持って戦っただろう(パル)」

米国の狙い通り、日本は大東亜戦争に突入しました。
結果、米国経済は見事に立ち直り、危機を脱すること
ができたのです。

ちなみに、ハル氏は、米国兵士に当てた檄文で次のような
ことを述べています。
「欧州人は、清教徒革命で米国に来なかった臆病者だ。
 バンバンやれ。
 日本人は人間じゃない。猿だ。いくら殺してもかまわん」

2,参考
(1)今月25日に全訳刊行(上巻)される「ルーズベルトの責任-日米戦争はなぜ始まったか」
(藤原書店、下巻は来年1月刊行)には、ルーズベルト米大統領が、
巧妙な策略によって日本を対米戦争へと追い込んでいった過程が、
米側公文書などによって、浮き彫りにされている。

 著者は、米政治学会会長や歴史協会会長などを務めた第一人者、
チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授(1874~1948年)。
順次解禁された米側の外交公文書や連邦議会議事録など膨大な資料を詳細に調査・分析し、1948年4月に米国内で発刊されたものの、政府側の圧力などによって激しい不買運動が起き、事実上
の禁書扱いとなってしまった「幻の名著」だ。
いわゆる「ルーズベルト陰謀説」が終戦直後に、
米側公文書などによって裏づけられていた意味は大きい。

(2)ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874~1964年)が、
日本軍が1941年12月8日、
米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランクリン・ルーズベルト
(第32代、1882~1945年)について、
「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った
『狂気の男』」と批判していたことが分かった。

フーバーはマッカーサーに対し、日本との戦争は
「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘。
在米日本資産の凍結など41年7月の経済制裁は「対独戦に参戦するため、
日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」と語った。
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分かりやすく言うと日米開戦のときのハル国務長官(日本の外務大臣に当たる)が「日本帝国が作った満州は他国への侵略だから中国に返せ」と言いました。


しかし当時の日本は「満州は日本国の生命線」とまで言ってましたから聞く筈もなく、更に日本の経済に不可欠な石油の輸出をストップされ、日本はもう開戦しかなくなりました。ハルさんはそれを読んでました。

アメリカはモンロー主義が生きていてヨーロッパのことには関わるなという国策でした。
ナチスドイツはすごく強かったし、なにかきっかけがないとドイツや日本相手に参戦の支持が得られないとして大きな賭けに出たんです。「一発打たしてやれ。そうすりゃいくら戦いたくない国民だってヤンキー魂を剥きだしてくるだろう」ということでハルノートを日本につきつけたんです。
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1941/11/26日米交渉のときの当時の国務長官のハルの提案


コーデル ハル
日本側は戦争準備していたし、最後通牒とうけとったのでしょうね
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB% …
詳しくはwikiを参照
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Qハルノートを受け入れていたらどうなったの

帝国国策遂行要領の段階ですでにハルノートの有無など無関係にアメリカがどう出ようとも戦争をやる気だったのかもしれませんが、仮にハルノートを受け入れていたらどうなっていましたか?
300万人の日本人と2000万のアジアの生存権は守れていましたか?
1945年の敗戦で失った権益と比べてどう違っていたか教えてください。

Aベストアンサー

米国の戦争史をみると面白いことが解ります。

1,メキシコとの戦争ではアラモ砦が全滅
 しました。それで、国民の士気はいやがおうでも
 高まりました。

2,スペインとの戦争の時は、米国艦が原因
 不明の爆発を起こしました。
 これが戦争の端緒になりました。

3,ベトナム戦争では、トンキン湾事件が起こり
 これは後になって、米国のやらせであることが
 判明しました。

4,湾岸戦争では、時の大使がフセインに米国は
 介入しないと約束しましたが、いざクエートに
 攻め込んだら、米国が先頭きって介入しました。

5,大東亜戦争では、真珠湾で、アフガン、イラクでは
 911です。

この中で、はっきりしているのは、トンキン湾事件と
湾岸戦争で、後は疑惑だけです。

ハルノートを受け入れても、米国は何か仕掛けて
強引に戦争に持っていったと思います。

あの大不況で、株価は1/10,GDPは半分に
失業率は30%近くに達し、背後には社会主義の足音
が聞こえます。
ニューデールなどをやっても効果はさっぱりです。
体制維持の為にはどうしても戦争をやる必要が
あったのです。

戦争後、米国経済は見事復活しました。

米国の戦争史をみると面白いことが解ります。

1,メキシコとの戦争ではアラモ砦が全滅
 しました。それで、国民の士気はいやがおうでも
 高まりました。

2,スペインとの戦争の時は、米国艦が原因
 不明の爆発を起こしました。
 これが戦争の端緒になりました。

3,ベトナム戦争では、トンキン湾事件が起こり
 これは後になって、米国のやらせであることが
 判明しました。

4,湾岸戦争では、時の大使がフセインに米国は
 介入しないと約束しましたが、いざクエートに
 攻め込んだら、米国が先頭...続きを読む

Qハルノートについて

初歩的な質問になってしまいますが、
日本が太平洋戦争、ないし大東亜戦争を起こすきっかけになったものが、当時のアメリカによる経済封鎖だったのは理解しています。
ですが、最大のきっかけになっているハルノートについてどうにも要領を得ません。
この場合、総括すると、日本に対して「自分からアメリカの軍門に下れ」というものであったとの解釈でよろしいのでしょうか?

Aベストアンサー

「米国が、それまでの外交交渉の経緯一切を無視して、いきなりとてつもなく無礼な文書を通告してきた」と日本政府の要人が解釈して開戦へ突っ走った……というところだと思います。
戦後の東京軍事裁判で、インドのパル判事がハル・ノートの「無礼さ」を責める判決理由書を書いています。『このような無礼な外交文書を提示されれば、ルクセンブルグ大公国のごとき小国でも、米国に対して武器を持って立ち上がっただろう』……と。ハル・ノートが当時としては「それまでの外交経緯を踏みにじった、我が軍門に降れと言わんばかりの無礼で脅迫的なな通告」と解釈されるべき側面は確かにあったようです。

ハル・ノートの主要な条項を上げれば、こういった内容でした。
1) 英中日蘭蘇泰米間の不可侵条約締結、2)仏印の領土保全、3)日本の中国印度支那からの撤兵、4) 日米の中華民国の承認、5) 日米の海外租界(と関連権益の放棄)、6) 通商条約再締結のための交渉開始、7) 米による日本在外資産凍結解除、8) 円ドル為替レート安定に関する協定締結、9) 第三国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄、10) 本協定内容の両国による推進。
この内、日本政府が耐え難い条項と見なしたのが、3)、4)、9)。
特に、3)の「中国」が満州(現在の中国東北部)に対する日本の権益放棄を要求したと日本政府が解釈したことで、日本政府にとって宣戦布告に等しい通告と解釈された、と言われています。つまり、それまでの日米間の外交交渉で、日本政府は米国が満州においての日本の権益を認めていると解釈していたため、ハル・ノートのこの条項が「掌を返したように、日本に屈服を迫るもの」と解釈されました。満州地域の領有に関しては、当時の日本政府の要人が『たとえ日本全土を焦土と化しても、絶対に守りきる』と公言したほどで、絶対に譲れない条件と、当時の日本政府の中では考えられていました。ゆえに、ハル・ノートが『日本の焦土化』を要求したとの解釈に直ちに結びついたと考えられます。

また、4)に関しては、当時の日本政府が、日本政府の援助で南京に樹立された王兆銘政権を正規の中国政府として承認している事実の無視。近衛文麿首相が『国民政府を交渉相手とは認めず、これを抹殺するまで戦う』と宣言していますので、日本政府としてはメンツに拘わる条項でした。

9)については日独伊三国軍事同盟の破棄を要求するものとして、当時の日本政府としては受け入れがたい条件と捉えられました。これもヒトラー・ドイツと外交的な同盟を結ぶ唯一の大国(当のヒトラー自身の述懐によります)となった日本のメンツにかかわる問題でした。

以上、一応ハル・ノートに焦点を絞って回答してみました。

「米国が、それまでの外交交渉の経緯一切を無視して、いきなりとてつもなく無礼な文書を通告してきた」と日本政府の要人が解釈して開戦へ突っ走った……というところだと思います。
戦後の東京軍事裁判で、インドのパル判事がハル・ノートの「無礼さ」を責める判決理由書を書いています。『このような無礼な外交文書を提示されれば、ルクセンブルグ大公国のごとき小国でも、米国に対して武器を持って立ち上がっただろう』……と。ハル・ノートが当時としては「それまでの外交経緯を踏みにじった、我が軍門に降れと言...続きを読む

Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Q社会主義国と共産主義国の違いは?

社会主義国と共産主義国の違いは何でしょうか?また、中国は、どちらの主義国になりますでしょうか?

Aベストアンサー

 社会主義と共産主義の違いについて

学者も含めて、これらの言葉を広い意味で使ったり、政治体制と経済体制が裏表の関係にあるので混同したり、厳密な使い方をしなかったりで分かりにくくなっているようです。

 狭い意味で本来の使われ方からいうと、「個人の自由」に対し「社会の規律」と言う言葉が対立します。
 つまり、自由主義と社会主義が対立する考えで、個人の自由な考え方を優先するか、個人の自由を規制して社会全体の調和を優先するか、つまり一個の人間と社会との関係をどう捉えるかのを示す用語です。
 ですから、これは政治用語で本来は政治体制を意味します。

 資本と共産(共に生産する)は、共に経済用語です。つまり資本主義と共産主義が対立する用語で、これは経済体制を意味します。

 現実問題として、資本主義は自由主義政治体制でなければ、資本の効率的流れが生まれないため、自由主義経済と言ったり、社会主義体制の下では計画経済が行ない易く、共産主義を標榜することが多くなります。その結果これらの言葉の使い分けが曖昧になってしまいました。

 また、経済用語である共産を冠した政党が存在することにより、更に分かりにくくなっているのが現状です。
(社会を優先して個人の権利を規制するという政党名より、共に生産しようという名前の方が受けがよいと思ったのでしょうか?今では「共産」と言う言葉はは、元の意味を離れて、政治的に最も左の考え方という意味に変化しているのが現実でしょうか。)
 そして、自由主義国家の中には、資本主義体制の下で政治的には穏やかな社会主義を目指す政党:社会民主党や労働者の権利を守ることを標榜する労働党もあり(社会主義国の政権党名が共産党ではなく、労働党である場合も多い。)、現在の中国は、共産党政権下で自由主義経済を行なおうとしているなど複雑怪奇で今までの概念では捉え切れません。

 今の中国を一言で言うなら、一党独裁政権下での資本主義経済を導入した巨大発展途上国です。
 独裁政党の名前が如何なるものでも、一党独裁である以上、政治体制としては個人の自由より社会の秩序優先であることは間違いありません。

 ソ連の終焉と冷戦構造の崩壊で、世界の二極構造はなくなりました。
 米ソ二極構造時代のパターン化され意味の限定された政治・経済用語を無理やり当てはめて、それぞれの国が行なう独自の政治・経済状態を理解しようとすると、現実を見失います。

 

 社会主義と共産主義の違いについて

学者も含めて、これらの言葉を広い意味で使ったり、政治体制と経済体制が裏表の関係にあるので混同したり、厳密な使い方をしなかったりで分かりにくくなっているようです。

 狭い意味で本来の使われ方からいうと、「個人の自由」に対し「社会の規律」と言う言葉が対立します。
 つまり、自由主義と社会主義が対立する考えで、個人の自由な考え方を優先するか、個人の自由を規制して社会全体の調和を優先するか、つまり一個の人間と社会との関係をどう捉えるかのを...続きを読む


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