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石田三成はキリシタン大名だった、と聞いたのですが本当のところどうなのですか?小西行長のように、キリシタンだったから関ヶ原の戦いで敗戦したとき、自害を拒否したというのもあるのでしょうか?

A 回答 (1件)

おっしゃるように、三成は「オーガスチン」という洗礼名を持つキリシタン大名でした(実は行長もオーガスチンなのですが・笑)。

「茶坊主であった」という説もあるくらいの人なので、もともと信仰の素養はあったと思います。

しかし、秀吉がキリスト教を正式に禁じた1589年以降は、表立った信仰を避けていたようです。三成がその後も順調に出世したところを見ると、形式的にせよ一度信仰を捨てて見せたのかもしれませんね。それとは対称的に、信仰を捨てきれなかった高山右近などは、秀吉によって一度追放され、小西行長に保護されています(右近は関ヶ原以後も生き延び、1614年には家康によってなんとマニラに追放されています!その地で生涯を閉じました)。

さて、自害を拒否したかという点ですが、家康側は最初から選択種を与えておらず、行長の「自害も易けれど~~切支丹の法により自害せず」というのはあくまで彼の負け惜しみと見る向きが有力です。家康は付き従った大名達を納得させるために、あえて斬首に処す必要がありました。武士にしか許されない切腹では、敗軍の将の体面が保たれてしまうため、あえて罪人と同じ形で処刑したものと考えられます。ちなみに処刑の際、三成と行長の二人は遊行上人の念仏を拒否しています。

長々と書いてしまいましたが、文献は『戦国武将』(奈良本辰也監修/主婦と生活社刊)によります。
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この回答へのお礼

詳しい説明どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/05/12 20:10

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