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大学一年です。

「あの人は教養がある」といった場合、「あの人はどこか洗練されている」といっているようにも聞こえます。

「教養を身につける」とはどういうことかがよく分かりません。

大学では教養課程というものがあり、前期もいくつか講義を取りましたが、それを受けたからといってすぐに教養が身につくとも思えませんでしたし、実際そうでした。

私にとって教養があるということは
「ただ知識だけが豊富なことではなく、世のなかで起こっている様々なことを知っており、それらに対する自分なりの見解をもっていること」だと思っていたのですが、間違っているでしょうか?

例えば、最近話題になったTPPについて言えば、TPPとはそもそも何で、日本にとってどんな利益・不利益が考えられるのか。賛成する人と反対する人の意見はそれぞれどのようなものか。自分はTPPについてどのような考えを持っているか。
といったようなことを、あまりその方面に詳しくない人にでも分かりやすく説明できることでしょうか?

もう一つ例を挙げると、現在私が取っている第二外国語のドイツ語に限定して教養を身につけるということを考えた場合は
「ドイツの歴史、気候、人々の暮らしなどを十分に理解したうえで、日常的なことをドイツ語で会話ができる」といったものでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

教養とは、仕事や日常生活で直接必要となることがない学術的な知識です。

実用的な知識・ノウハウは含まれません。昔は、詩(和歌や漢詩)や古文書(四書五経)、クラッシカルな芸術に造詣があることが教養でした。

現在の教養とは何か。いろんな考え方がありますが、
「“教養”とは、学者界や出版業界が需要獲得のために広められた概念」
という考え方もあるのではないかと思います。

”世のなかで起こっている様々なことを知ろう”という人が増えれば、学者センセイ方は仕事を増やせます。また、ドイツ語の例で言えは、ドイツ語の文法書や辞書だけでなく、ドイツの歴史書や紀行書なども買うこととなり、出版業界は喜びます。
今はネット社会で情報が溢れているので、必ず需要(売上)になるわけではありませんが、
何らかのカタチで利益となっていることは間違いありません。

一方、どんな人間にも必ず、“詳しくない分野”、“知らない世界”があり、全てを網羅できるわけではありません。

知識がないことはダマされますいことにつながるので、知識武装(これは教養とはいえない)は必要です。しかし、教養というものは切りがないので、程々にして、自分に必要な知識や技術を選んで身につけることが大切なことだと、私は思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。そのような見方もあるのですね。参考になりました。

お礼日時:2011/12/30 19:49

あくまで参考マデ。



 社会全般でなくても、ある限られた分野について深く知ることではないでしょうか。

 人間、能力に限りがありますから、広くなれば浅い知識になります。好きな分野に深く入り、むやみやたらに知識を詰め込むのではなく、体系的に知ればどうでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2011/12/30 19:46

教養ですか…強要しないことです。



冗談です。

教養についての考え方は各人によって様々だと思います。
ですから正解はないと思いますが、私にとっては
「溢れる知識を敢えて隠す慎ましさ」です。

普段は口を出さず、何事かがあった時にだけ
「差し出がましいですが…」と、あくまで控えめに人助け。

どんなに知識があっても、それをひけらかす人は
「物知りだ」「博識だ」「オタクだ」とは言われても、
「教養がある」とは言われないような気がします。

私の博識を思い知れ! と強要しない人。

あら、最上段が冗談ではなくなってしまいました。
お後がよろしいようで。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。謙虚であることも大事だということですね。

お礼日時:2011/12/30 19:46

教養とは「こういう質問をしないでも自分で解決出来ること」でしょうね。



まず辞書で調べ、関連書籍にあたり、思索することの繰り返しですよ。

教養については新書でも何冊も出ていますので、ネットに頼る前にまず読みましょう。定義についてもよくわかりますよ。

「知識だけでは駄目」などといったところで、平均を上回る知識量なしに教養人とされることなどありえないのですから、大学生ならまずは勉強です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。おっしゃるとおりですね。まだまだ勉強が足りません。

お礼日時:2011/12/30 19:40

単純にいえば


知育と徳育を兼ね備えることですね。
もちろん芸術、学問、一般教養、時事などを知っていること、そしてそれを使うことができること。
もちろんおっしゃるように時事問題など自分の見解を持つことも大事です。
語学も当然入るでしょうね。知らないより知っていたほうが教養は高いといえます。

もう一つは徳育。
人間性、あるいは機転、融通が利く、など頭の回転のよさも入ります。

私の会社でこういうことがありました。

私の会社で孫が働いているおばあちゃん(田舎育ちのお年寄り)が
上京し、会社を訪ねてきました。
私は丁寧に社長室に招きいれソファに腰掛けてもらいました。

私のお客さんだと思った秘書はすかさずお茶をいれテーブルの上に出したところ
おばあちゃんは床に正座し伏すようにお辞儀をして
「始めまして、孫がお世話になってます」と挨拶しました。
その時その秘書は、いつもはツンツンしてるくせに
ハイヒールをさっと脱ぎ、自分も床に正座して
「こちらこそいつもお世話になっております。
社員のご家族のかたが遠路おたずね下さって一同喜んでおります。」
とのあいさつ。

その時単純な事務と私のスケジュール管理くらいしかしてなかった
その子がそこまでやるとは!・・・・。
ウチの社員も捨てたもんじゃないと思いほくそ笑んだ覚えがあります。

つまりはそういうこと、普通なら相手が座って挨拶しても
どうぞどうぞそのままで、というのが精一杯。
ハイヒールを脱いでまで相手に合わせる対応ぶり。

ちょっとしたことなのですが、人間性も良く機転も利く教養高い人だと
思いますよ。

様々な事象に興味を持ちそれを自分のなかで咀嚼して自分のものにする事を
教養を高めるというのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。実際にご覧になったことを具体例に挙げていただき、分かりやすかったです。知育と徳育ということを意識していきたいです。

お礼日時:2011/12/30 19:38

「ただ知識だけが豊富なことではなく、世のなかで起こっている様々なことを知っており、それらに対する自分なりの見解をもっていること」



で、相手にナイフを押し付けて、自分の見解に同意を求める……
ことが教養ある人のすることですか?
それは、強要でしょう。

冗談はさておき、教養とは「行動」ですよ。
つまり、知識が行動に結びついて、はじめて「教養」になるのです。

マナーを語るときに有名な話があります。
某国の女王の賓客が女王主催の晩餐会に呼ばれたが、
その客はテーブルマナーに慣れていなくて、
手洗い(指先を洗うため)の小さなボールの水を
飲み水だと思って、飲んでしまった。
当然、回りからはひんしゅくを買ったが、
その女王は、慌てず騒がず、
自分もボールの水を飲み干した。
これこそがマナーの基本と言われています。
そして、これこそが「教養」なのですよ。

知識は知識以上でも、以下でもありません。
その知識を豊かな果実にするのが、教養です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。具体例を交えての説明分かりやすかったです。行動も大事なのですね。

お礼日時:2011/12/30 19:36

こんにちは。

若い方が、すてきなお悩みですね。

>「ただ知識だけが豊富なことではなく、世のなかで起こっている様々なことを知っており、
>それらに対する自分なりの見解をもっていること」だと思っていたのですが、間違っているでしょうか?

それで合っているんじゃないか、と思います。
自分なりの見解というところでは、その人自身の道徳観念がとわれると思います。
やはり、ある程度道徳観をもった上での見解があると、人の心をとらえると思うので。
「教養がある」というのは、人からのほめ言葉・人の解釈ですから、テストの点数のようにはいかないと思います。
(相対評価/絶対評価的な違いかと)
また、他人をほめられる人も、魅力ある方で、やがてはほめられる側だと思います。


>「ドイツの歴史、気候、人々の暮らしなどを十分に理解したうえで、
>日常的なことをドイツ語で会話ができる」といったものでしょうか?

その「理解」や、「語学の習得」の動機が、ドイツ国民への敬意に根ざしたものであり、
誰に対しても謙虚さを忘れなければ、やはり教養ある方と思われると思います。
同じような能力があったとしても、傲慢であったりすると、ただ知識をふりかざしているように見えると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。道徳観念も大事なのですね。参考になりました。

お礼日時:2011/12/30 19:33

【教養】


人間性・知性を磨き高めること。
その基礎となる「文化的内容」・「知識」・「振舞い方」などは、
時代や民族の文化的理念の変遷に応じて異なる。
[広辞苑(第六版)]

このように説明されています。

ですから、
>「ただ知識だけが豊富なことではなく、世のなかで起こっている様々なことを知っており、
>それらに対する自分なりの見解をもっていること」だと思っていたのですが、
>間違っているでしょうか?

間違ってないと思います。

「教養」とは、上記の説明の通り「知識の詰め込み」や「情報の丸暗記」ダケでは不十分です。
★常に、人間性や知性を高める。
★その時代の民族や文化に即応した「基礎」が必要。
という二つの条件が有る限り、
★「その人一代限りが作り上げて終わる人間そのもの」
では無いのでしょうかね?。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。やはり、知識だけではダメで、人間性やその時代に即した基礎が必要なのですね。

お礼日時:2011/12/30 19:29

教養は一般常識レベルだと思います。



その昔は、古典や漢文を知っていることが
教養があるということだったわけですし、
物事を考える上で基礎や背景となってる部分は
知識として押さえている、というのが教養ではないですかね。

人をほめる場合の、「教養がある」は
最近はインターネットの普及のために、
一般教養レベルでは使わないことが多いので、
専門家かオタクに使うくらいですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2011/12/30 19:27

教養


一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および、物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す。(ウィキぺディアより)

つまり教養のある人とは豊富な知識を生活の中で生かせる人。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2011/12/30 19:26

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