「夫を成功」へ導く妻の秘訣 座談会

 
 
人間の行うあらゆる精神活動、哲学を含めあらゆる形の思考も有機体の生化学反応なる物理現象に他ならない。

このよーに考えて良いのではないか。
 
 

「思考も有機体の生化学反応なる物理現象に他」の質問画像

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A 回答 (13件中1~10件)

 すでに同じ趣旨の回答も出されていますが 別様に表現した内容を 広い意味での回答として寄せます。




 質疑応答のあり方について考えるものです。

 OKWave としては 次の利用規約第3条第1項における《質問と回答の形式による情報交換》 これが 基本的なあり方だと捉えます。
 それ以前に理念などが大前提になっているかと思いますが 具体的には 情報交換ないしは 言い方を変えるなら一般に《対話》と呼ばれるかたちであろうと見ます。

 ▲ (OKWave 利用規約)~~~~

 第3条(本サービスの概要と範囲)

 1. 本サービスは、会員間における質問と回答の形式による情報交換、利用者における情報収集および閲覧の機会、ならびにそれらの環境を提供することを目的とします。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ ところがさらにその具体的な内容を示す《禁止事項ガイドライン》という規定があって そこには 《意見表明目的や議論喚起目的》の質問は 禁止であると言います。

 ▲ (禁止事項ガイドライン) ~~~~
 【趣旨にそぐわない記述/投稿】

 当サイトは、質問と回答の形式で会員の方同士の助け合いによる情報交換の場として運営しております。以下のような投稿については、当サイトの趣旨にそぐわないものとして禁止とさせていただきます。

 ■ 質問ではない質問
 結果報告やお礼、個人的なメッセージ、雑談、ご自身の意見を表明することを目的とした内容、議論喚起を目的として議題を掲げる内容など、質問欄に質問形式以外の質問として成立しない内容を投稿することは、ご遠慮ください。

 ■ 回答ではない回答
 質問と関係ない内容や雑談、便乗した質問、回答者同士のやりとりや議論、個人的なメッセージなど、質問に対する回答として成立しない内容を回答欄に投稿することは、ご遠慮ください。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ つまりはまづ考えるにあたって前提になることがらについてですが 質疑応答というものは 特に哲学のカテゴリでは 誰もが認める事実認識(つまり自然科学の知識など)にかんする内容以上のことをしばしば問い求めます。
 つまりは 個人個人の意見を表明し互いにこれについて議論を交わす。それをとおして結論を得ることも重要ですが その対話の過程こそを重んじるとも言えます。特に思想(生活態度)としての哲学にかんしてなどは 結論がひとつにまとまるということが まれだからです。

 だとしたら それなら 《禁止事項》に抵触するのではないか? どうでしょう? ガイドラインは 次のように表現しています。
 ▲ ご自身の意見を表明することを目的とした内容、議論喚起を目的として議題を掲げる内容など
 ☆ と。おそらくいわゆる《ためにする》場合を言っていましょうか? 意見表明のための意見表明 議論のための議論 これを禁止とするのだと。

 ところが これでもまだ 必ずしも明らかではありません。
 情報交換として対話する場合と 情報交換の体裁を取りながら自分の意見を表明するためや議論を起こすためにそのやり取りをしている場合と。これらのあいだの違いは どこにあるか?




 
 わたくしの考えを述べます。
 
 《質問と回答の形式による情報交換》 これを対話とわたしは言い換えましたが 問答あるいはやり取りのことです。問いと答え そしてその答えがまた問いとなって 答えがある。これだと思います。
 言いかえると 対話は 双方が始めるのでもあれば 双方がこのあたりでキリをつけましょうと合意して終えるものです。
 あるいは 主題や論点をはぐらかさないこと。話をすり替えて じつは対話を断つということ。もしこのことが現われれば それは《自分の意見表明を目的とする情報交換》であると見られます。
 という結論に達しました。意見表明や議論そのものが禁止されているのではないということ。意見に対する批判をどこまでも受けて議論ないし対話をつづけるのが 情報交換の趣旨に合致するものだと。





 ついでと言ってはいけませんが つぎの課題もあると考えます。 
 ▲ (利用規約 3・1) 利用者における情報収集および閲覧の機会・・・を提供することを目的とします。
 ☆ おそらく ここまでに述べた《情報交換》においてやってはいけない《やり取りの勝手な中断・中止》は おもに質問者がおこなう場合に当てはまります。そしていま引いた条項の《情報収集》にかんしては おもに回答者が 質問者にその情報を提供する場合に当てはまるようです。

 ところがこの規定は 早く言えば回答のしっぱなしといったかたちの回答は 成り立つのか? という課題を持つと考えます。
 質問者が そのいちどの回答だけではまだ飲み込めない・分からないと思って問い返している場合にも あとは書き込まれた回答内容によってだけあなた(質問者)は情報収集すればよいと言っている態度 これの問題です。質問者や訪問者が《閲覧の機会が与えられた》というそれだけでも 正当な活動であるのだという場合です。


 議論を端折りますが 結論は ひとつに それでもよい。なぜなら 情報収集の機会を提供するという目的にかなう行為をしているのだから。
 ひとつに それでももし問題が生じるとすればそれは 同じ回答・同じ内容の投稿を延々とつづけるという場合です。ではないでしょうか?
 おそらくここでも譲歩しなければならず もし課題として残るとすればそれは 同じ回答内容を同じ質問者の別の質問に対して投稿するという場合なのではないか?
 なぜなら その質問者は お礼欄ないし補足欄で ここが飲み込めない そこが分からない これこれのように考えるが なぜあれそれのようにあなたは考えるのか? といったふうにすでに問い返しているからです。つまり 初めに戻って《情報交換》というかたちまたはそこにおけるむしろ互いに情報提供をおこなうという精神 これに反するのではないかとうたがわれるからです。


 まとめるなら 勝手に回答を投稿するから 自由にそこから得るものがあると思えば得てくれという回答の姿勢は 規約に反しないという考え方が おおむね共有される。
 と同時に おしえて(O)とこたえる(K)との波を広めるという理念にかんがみれば 回答のしっぱなしというのは 同じ回答内容と同じ質問者の場合には その波をそこで断つかたちになる。
 そうでない場合というのは その回答内容が つねに全部ただしいという場合に限る。それなら わが回答を何度も何度もよく読んで咀嚼したまえと言い置いておけば足りる。そうでなければ 問答を絶やすことは 禁止事項ガイドラインに抵触しまいか? 自分の意見表明を目的として 回答のみだが 投稿をおこなっているという疑いがかかる。


     *

 ですから
 ★ ~~~~~
 人間の行うあらゆる精神活動、哲学を含めあらゆる形の思考も有機体の生化学反応なる物理現象に他ならない。

 このよーに考えて良いのではないか。
 ~~~~~~~
 ☆ ではなく――つまり《このよーに考えて良いのではないか》という捉え方ではなく―― そのように捉えたあと どのようにそれぞれ人は考えるのか 考えをすすめるのか こういう見方・行き方が 問われなければならず 問い求められなければならないでしょう。
 思考は 生きる上でのさまざまな主題について用いる手段ですから。
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「思考」と「思考する手続き」とが混同されているようです。

次のように例えてみれば整理しやすいかと存じます。
「テレビの働きとは物質と電気エネルギーとの間の物理反応である。同様にテレビドラマも物理現象である」。テレビドラマを通して人に与えられる感動を物理現象だとなさってはいけません。音楽から得られる感動を物理現象だとすることが、一そう美しい音楽を与える道には繋がりません。
「思考(神・人の道をも含む)」に由来する「価値」は物理現象ではありません。「思考する手続き」が物理化学反応を経由しているに過ぎません。
仮にご質問の主張が正しいとして、その正しさからどんな「価値」を得ることが出来ましょうか。価値を生むことのない正しい主張があるとしても、その主張は全く無価値でしょう。
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事実かも知れませんが、その思考自体も「有機体の生化学反応なる物理現象」で行われているのですから、証明するのは難しいでしょう。

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あらゆる精神活動、哲学を含めあらゆる形の思考を行う人間もアミノさんから変化した動物の一種という糞袋にほかならない。


そのよーに考えることもま違いではない。
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あんたの論理だと、人間は完ぺきで自らに関して理解の及ばないところはない。


すなわち神に等しき完全である。
そう言う事になる。
それでいて始めて完成する論理である。
私はそれを支持しません。
何故なら私は神に愛され切っており彼女の愛に包まれて過ごしています。
一方で彼女の愛に溺れており、彼女なしには生きていけない。
したがって神の介助なしには生きていけない。
神様に反抗したいのならいくらでもしろ。
君に対して神の声を代弁し、ご宣託を述べよう。

そのキモイ顔はもう2度と見たくないんだ。
もう君に限ってはどこぞでのたれ死んでも知った事じゃないよ。
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精神も物質の一部だと思います。



しかしその物質というのが現在多くの人間が捉えている概念とは大きく違った存在であるはずです。
あらゆる物質は何らかの変化のときに意識(または感覚)が生じているというのが私の予想です。
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「心は物質の属性」=唯物論と、


「宇宙は心の中に生じる」=唯心論は、
その極限における量子性において合一となる。
全ての存在は、感受表面の量子相互作用
パターンによる広がりの予測に還元され、
その「感受表面」も、「予測」としての空間に
広がりを有する事で、仮説性を絶対化する。
その自我仮説(経験=時の流れ=時間)と
時空仮説(予測=広がり=空間)の相補分化
において、無=無限不確定性は相補性を
持つようになる(不確定性原理=そこにおける
無の射影(仮説的有を無に還元する)が量子性)
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「このよーに考えて良い」と断定するよりも、「このよーに考え」た結果、質問者さんには、新たに見えてきたことと見えなくなってしまったこととの二つがある、と考えた方がより正確であるように思われます。



「あらゆる形の思考も有機体の生化学反応なる物理現象に他ならない」は、「思考」という、無限の因果・因縁の連鎖でもある一現象の《一属性》に対する説明としてなら、確かに「こういう言い方もできるかな」程度に受け止められなくもありません。

が、私としては、むしろ人間の「思考」が言語なくして成立し得ないことに着目した方が、より「思考」の本質的、中枢的な側面を浮き彫りにしてくれるように思われてなりません。
われわれが「思考」している間、脳・神経細胞内ににどんな「生化学反応なる物理現象」が起きているにせよ、とにかくそこにはいろんな《概念》が入れ替わり、立ち替わりしながら、めまぐるしく生滅を繰り返していることだけは否定しようがないでしょうから。

しかも、《概念》は《言語》なくしては存立し得ないとしたら、ある意味、言語そのものが人間の「思考」を根本的に規定しているとは考えられませんか。

たとえば、今年の干支にちなんで、「タツノオトシゴ」という言葉(概念)を例に挙げるなら、ある漁師が漁の最中にこれまで見たことのない、魚とは違う奇妙な生き物と遭遇し、帰宅後にこの生き物が何かを漁師仲間に説明しようとしたものの、なかなか分かってもらえず、あれこれ「思考」した挙げ句、苦しまぎれに「たとえば『タツノオトシゴ』のようなものだ」と言ったとすると、こうして「タツノオトシゴ」という言葉が誕生しただろうと考えるしかないですよね。

以上は、立派な人間の「思考」にほかなりませんよね。
そして、これを一般に《比喩》と称してもきました。

質問者さんにしても、《未知》の何ものかに直面したとき、自分が持ち合わせているのは《既知》の言葉でしかないだけに、《既知》の言葉で《未知》の何ものかを表現することがウソでしかないのはお分かりですよね。
で、より《未知》の何物かをより正確に、より写実的に言い表そうとして、「思考」した結果、たとえばこのの漁師の場合、「タツノオトシゴ」という《比喩》を生み出さずにはいられなかったのではないでしょうか。

ということで、「あらゆる形の思考も有機体の生化学反応なる物理現象に他ならない」という質問者さんお示しの命題は、以上のような、誰もがごく普通の日常生活で直面する出来事に対し、はたしてどういう意義・価値を有するのか?と問われてくるのではないでしょうか。
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そう言う仮説はあります。



しかし、物質の電気化学反応が、何故、非物質である意識を生み出すか分かっていません。

証明されるめども立っていません。
 
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映画を鑑賞すると言う事は、眼球の裏側の網膜を光に反応させると言ってよいか?



貴方の質問はコンテンツの尊重を欠いているよ。
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